2018 桜紀行 2 南禅寺 ~ 石川五右衛門を気取りで眺める桜 ~

 京都五山の最高位に君臨した 南禅寺 は正式には『瑞竜山太平興国南禅禅寺』 平安時代初期に造られた禅林寺(永観堂)の中に亀山上皇が離宮を造られ、その離宮が上の宮と下の宮から成っていて、下の宮を亀山天皇が深く帰依したいた大明国師に与えて寺とし、禅林寺の南にあったため『南禅寺』としたといいます。天下の大盗賊・石川五右衛門が『絶景かな、絶景かな』と見得を切った伝説で知られる三門はあまりにも有名で、南禅寺の代名詞になっています。

 勅使門を入ると花を落とし始めた桜と入れ替わるように眩しいほどの若葉が山内に広がっています。石川五右衛門が見得を切ったといわれる三門は寛永5年(1628)東堂高虎の寄進によるもので、石川五右衛門が釜茹でにされた三十数年後の建立といいます。三門の回廊からは、眼下に境内の四季折々の風景、そして遥か彼方に京の街を眺めることができます。春の南禅寺、豪壮で厳めしい三門と桜の取りあわせ、春のロマンが感じられます。

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 三門の先に建つ法堂(仏殿)は明治に再建されたもので、天上には豪壮な龍図が描かれています。その法堂の近くでは桜が枝を広げる美しい構図が・・・

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    法堂                            法堂に映える桜

 そして、法堂の奥には黒い木組みが白壁を仕切る庫裡が建ち、玄関を入ると方丈、書院が建っています。大方丈は豊臣秀吉が寄進した御所の清涼殿を移建したものといわれ、内部は狩野元信や永徳の障壁画で飾られ、まるで美術館にいるような感覚になります。大方丈の前には小堀遠州の作と伝わる『虎の児渡し』とよばれる庭園が広がっています。

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    庫裡                            大方丈

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     方丈庭園

 境内の賑わいが嘘のような静寂な本坊には方丈庭園のほか幾つもの庭があり、趣きが異なるそれぞれの庭は印象深く、心を落ち着かせてくれます。

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 取だって名のある桜があるわけでもなく、さりとて桜苑があるわけでもない 南禅寺 ですが、広い境内のそこかしこに咲く桜を見ながらの散策は石川五右衛門ではありませんが、そこには絶景と感じる桜の風景に出会える楽しみがあると私は思います。

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2018 桜紀行 1 醍醐寺 ~ 豊臣秀吉「花見の宴」跡に咲く桜 ~ 

 人々は四季折々の風情を求めて花の名所を訪ねます。花に魅せられる理由はさまざまで、その時期にしか見れないこと、慌ただしい日常を忘れさせてくれること、美しいものに感動したいこと・・・中でも春の訪れを告げる『』はそんな人々の心を熱くし、『和歌』の世界をはじめ『』と言えば『桜』を指すほど、また『花見』と言えば『』を鑑賞することを指して、マスコミに登場する『』の代表でもあります。例年を遥かに上回り開花した『』、今年は京都の人気スポットを訪ねました。

 豊臣秀吉が花見の宴を繰り広げたことで知られる 醍醐寺 は洛南随一の花見の名所。慶長3年(1598)3月15日に催された花見には、その花見に先立ち桜を700本も集めて移植され、当日は秀頼、北政所、淀君、家臣らが華やかに装い、満開の桜を楽しんと伝えられています。そして、その花見は5ヶ月後の8月18日に他界した秀吉にとって最後の花見となりました。

 世界遺産に登録されている 醍醐寺 は秀吉による『醍醐の花見』の煌びやかな寺院の印象がありますが、その実は骨太な山岳信仰の寺院です。『上醍醐』『下醍醐』からなる醍醐寺は標高450㍍の笠取山(醍醐山)とその西麓にかけて伽藍が広がっています。寺伝によれば、醍醐寺は貞観年間に聖宝(理源大師)が山上に草庵を設け、准胝・如意輪観音像をつくって准胝堂、如意輪堂を建立、さらに聖宝に帰依した醍醐天皇により薬師堂、五大堂が造営されて御願寺となったといいます。准胝堂は平成20年(2008)の落雷による火災により焼失しましたが、山中には五大堂、薬師堂、開山堂、如意輪堂や醍醐寺の山内守護神清龍権現を祀っている清龍宮拝殿などが建っています。そして拝殿の横の石段を上ると『醍醐寺』の寺名と由来となった『醍醐水』の祠があります。『醍醐』の語源は『最高の味』を意味し、仏教では『最高の真理』にたとえられるといいます。

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    五大堂                           開山堂

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    如意輪堂                         薬師堂 

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    清龍宮拝殿                        醍醐水

 上醍醐に対し山下は下醍醐にとよばれ、延喜4年(904)頃から造営がはじまり、釈迦堂(金堂)、五重塔などが建立され、真言密教、修験道の寺として隆盛を極めたといいます。室町から戦国期にかけて兵火に見舞われるも豊臣秀吉の支援より再興され、秀吉没後は秀頼、北政所に引き継がれ諸堂も甦ったといいます。

 さすがに京都有数の桜の名所、総門から仁王門にかけての『桜の馬場』はソメイヨシノやシダレザクラが隙間なく咲き乱れ、そよぐ風に桜が舞い落ちる風情ある光景が・・・

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    総門                            桜に彩られる仁王門

 総門を入り、桜の舞い散る参道を進むと左手に下醍醐の山内で重要な子院・三宝院があります。三宝院は醍醐寺だい14代座主・勝覚僧正によって創建され、以来醍醐寺の座主の居住する本坊として醍醐寺の中核を担ってきたといいます。五七の太閤桐の文様が浮彫されてた煌びやかな唐門の手前の表門から中に入ると巨大なシダレザクラが枝を広げています。 散り桜になっても存在感を示す巨木に圧倒されます。 

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    唐門                            シダレザクラ

 大玄関から葵の間、秋草の間、勅使の間を経て、表書院へ。表書院からは秀吉が直接作庭を指示したと伝わる庭園が開けています。

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    大玄関                           庭園

 池を中心に配した池泉回遊式の庭園は池の中に島が設けられ、そこに石橋が渡され、一方に植えられた樹木の中に茶室が造られています。普請狂とまでいわれた秀吉の死の直前に造った庭、往生極楽という願いが込められた庭なのかもしれたいと、秀吉を偲びました。

 再び参道の桜の馬場に戻り、下醍醐の伽藍エリアに。
 仁王門を入ると左右には五七の太閤桐が描かれた幔幕が張られ、花見気分を盛り上げてくれます。現存する京都最古の建物といわれる五重塔、秀吉の命により紀州から移されたという金堂(本堂)など、満開の桜のもとでその存在感を示しています。

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    五重塔                          金堂

 満開の桜、散り始めた桜、ほんのり先を紅く染めた桜・・・さまざまな桜の植えられた境内には清滝宮本殿・拝殿、不動堂、祖師堂などの建造物が建ち、さらにその先の日月門をくぐると観音堂、弁天堂が建っています。

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    不動堂                          弁天堂

 弁天堂の池には散り落ちた桜の花びらが、そして周囲の樹木は新緑の装いを。暫したたずみ情緒ある風景を満喫し、木漏れ日に包まれた庭園を散策・・・

 そして最後に、霊宝館に向かいました。天皇、貴族、武士、民衆など多くの人々から祈りを奉げられた醍醐寺には10万点を超える寺宝が残されているといいます。公開されている絵画や文書、そして仏像は国宝や重要文化財の貴重なものばかり。文化財を堪能し館内をあとに庭を散策。シダレサクラ、サトザクラは満開  あちこちから聞こえる感嘆の声とシャッターの音、華やかな光景の下でひっそりと座る御仏に舞う花びら・・・

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 華やかな桜に感動、公開されている寺宝に圧倒された 醍醐寺 やはり天下に名を届かせる桜の名所、何度訪れてもその感動は無限です。

 

傳法輪寺 ~ 京都で一番大きな阿弥陀様と聞く涅槃図の絵解き説法 ~

 『関通さん』とよばれる 傳法輪寺(てんぽうりんじ) には座像でありながら高さが約7.5㍍という京都で一番大きいといわれる阿弥陀如来像が安置されています。傳法輪寺は江戸中期、専修念佛の法門を世の人々に説き示した関通上人によって創建された浄土宗の寺で、現在の地には昭和3年(1928)に移転したといいます。通常はあまり公開されることのない傳法輪寺ですが、今年は2月10日から4月8日まで特別公開されており、巨大な阿弥陀様と釈迦涅槃図の拝観に訪れてきました。

 仁和寺の東側の土塀に沿ってゆるやかな道を上って行くと右手に『傳法輪寺』と刻まれた石柱があり、参道を少し入ると右手に龍宮造りの門が見えてきます。寺の南門となる門の上は大きな釣鐘が懸けた鐘楼門になっています。

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 門をくぐると花木や花が植えられたこじんまりとした庭が広がり、その先に本堂が建っています。白砂の庭を前に白壁、白い障子の本堂は眩しく、清浄感をたたえた佇まいで参拝者を迎えてくれています。

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 本堂に入り安置されている阿弥陀如来坐像は想像以上の大きさ この阿弥陀如来坐像は江戸時代の代15代・桜町天皇御追福のために寄進されたもので、五色の光背中央には鏡が飾られているといいます。如来像の前に座り見上げると、仏さまが包むような優しい眼差しで見つめてくださっているようで、思わず『南無阿弥陀仏』が・・・この巨大な阿弥陀如来像、話によれば、現在に地に遷されるとき、当時通っていた市電の高架電線を潜る必要があり、竹竿で電線を持ち上げて通るもどうしても無理な場所があり、電線の切断か、仏像の頭部を切断しして移動するかの決断が迫られたとか。しかし、電線を切断することもなく、また改定することもなく無事に運び込まれたとの逸話があるといいます。

 そして、本堂に掛けられている『涅槃図』は縦5㍍を越し、横5㍍近い大きなもので、宝暦14年(1764)に作られたものといいます。

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 中央に涅槃のお釈迦様、周囲を取り巻く弟子、諸仏、鳥獣に至るまで、この世の全ての者たちが描かている涅槃図。この一枚には様々な物語が隠れているといいます。特別公開では、毎日ご住職がそれぞれの物語をその物語を解説してくださいます。訪れた日は、『』の物語で、一番人気とか。解りやすい言葉で知る涅槃図に全ての物語を知りたくなりました。

 安置されている阿弥陀如来像の裏側には、珍しい裸形阿弥陀如来立像、開基の関通上人像などが祀られています。

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 また、本堂の一角にはさまざまな模様が彫られたの木魚が置かれ、本尊の前にある巨大な木魚とともに魅入ってしまいました。

 『きぬかけの路』沿いにありながら、なかなか拝観することのなかった 傳法輪寺 ご住職の説法に魅せられ、寺庭婦人の御接待に心が温まり、是非また阿弥陀様の眼差しにあいに来たいと思います。

 

龍安寺 ~ 石庭で知られる禅寺の春を訪ねて ~

 金閣寺から龍安寺を経て仁和寺に至る道は『きぬかけの路』とよばれる散歩道。宇多天皇が盛夏に雪景色が見たいと衣笠山に絹をかけ、『きぬかけやま』の故事にちなんで名づけられたといいます。その『きぬかけの路』沿いには世界遺産が建ち並ぶ、京都でも有数の観光エリアとして知られています。

 枯山水の石庭で知られる 龍安寺 は室町幕府管領細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受けて寺地とし、宝徳2年(1450)に妙心寺の義天玄承を開山として創建。その寺は自身が東軍の将となった応仁の乱で焼失、自身も没し、勝元の子政元が再興するも、寛政9年(1797)の火災でほとんどの堂宇を焼失したといいます。現在の方丈は塔頭西源院の方丈を移築し、庫裏はその時に再建されたものといいます。主だった建物の少ない龍安寺を拝観する人のほとんどは、代名詞にもなっている『石庭』をお目当てに訪れているようです。

 龍安寺前のバス停から、なだらかな勾配の参道を行くと山門が建ち、門くぐるとその先には春の訪れを感じさせる山々が、そして左手には春の陽に水面を輝かせた鏡容池が広がっています。

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    山門                            鏡容池

 池沿いの参道や境内ではピンクや紅色の梅や早咲きの桜が訪れる人を出迎えてくれています。幅の広い石段をのぼりつめると白壁と木組みの美しい庫裏が建っています。

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    石の大仏

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                                   禅寺らしい簡素な庫裏

 ひんやりとして空気が漂う庫裏から方丈に向かえば、方丈の縁には座して石庭を眺める人、カメラを向ける人、黙してうなずく人・・・そのほとんどが外国の方 であることに改めて日本を訪れる人に多さを感じました。東西25㍍、南北10㍍の空間に砂紋を描いた白砂、そして15個の石は立ったもの、臥したもの、周囲に苔を生やしたもの・・・と様々。『虎の子渡しの庭』とよばれるこの庭の作者、作庭の時代、その意図も不詳といわれ、見る人に自由な解釈を委ねているいわれています。謎めいた庭は眺めていると、何時しか心に緊張感が走り、背筋が伸びてくるような・・・

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 そして、方丈の裏手に回ると『銭形のつくばい』が置かれています。これは水戸光圀が本を借りたお礼に寄進したものと伝えられています。真ん中の手水の部分を口にすれば『吾賀唯足知』という言葉に成り、禅の格言をデザイン化したものといいます。

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    渡り廊下の先に建つ仏殿と昭堂           水戸光圀寄進と伝わるつくばい
 
 今回の拝観で楽しみにしていたのが日本で最古といわれる『侘助椿』 秀吉の朝鮮出兵の際に『侘助』という人物が持ち帰ったことからこの名がつけられたといわれ、秀吉も絶賛、また利休などの茶人たちからも愛された椿は、今も可憐な姿を見せてくれます。

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    日本最古といわれる侘助椿

 『石庭』が代名詞の龍安寺ですが、四季折々に様々な花に彩られるお寺でもあります。徳大寺家によって築かれたという鏡容池、春は池の回りは雪柳と桜に縁どられ、初夏から夏は菖蒲、蓮、そして紅葉が池に映る秋、雪景色と四季それぞれの美しさで心に安らぎをもたらしてくれます。

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 また、鏡容池の西側にある桜苑では梅や桜などの花木、もみじや杉などが植えられ、この日は終わりかけの梅と咲き始めの桜の共演で、春を感じさせてくれました。

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 人は時として訪れたくなる庭園。京都には珠玉の庭園が数多く存在し、四季折々にその美しさで人々を魅了してくれます。世界遺産に登録された庭園、皇族や武士、粋人が作庭した庭園、隠れた名園、唯一無二の遺物が残された庭園・・・大自然が凝縮された庭は私たちにとってかけがえのない心の『オアシス』 であるかのように、時には疲れた心を癒やし、時には力強い勇気を与えてくれます。禅の境地が表現されたと思える石庭、水の持つ力が成せるかのような和らぎをもたらしてくれる鏡容池を囲む庭、両方を備えた庭を持つ龍安寺。四季折々に心を癒やしに、そして生きる喜びを感じに来たいと思います。
 

伏見界隈を歩く ~ 幕末の動乱が駆け抜けた酒蔵の街 ~

 豊臣秀吉の伏見城築城によって誕生した 伏見 は幕末の『鳥羽伏見の戦い』の主戦場となり、町は炎上して多くの古い建物は失われてしまいましたが、今も当時がうかがえるスポットはあちこちに点在しています。

 最も知られているのが薩長同盟や大政奉還に大きくかかわった坂本龍馬の京の定宿であった 船宿寺田屋 です。文久2年(1862)、薩摩藩士の尊皇攘夷派が穏健派に襲撃された『寺田屋事件』、また慶応2年(1866)、投宿中の龍馬が幕史に襲撃されるも、後に妻となるおりょうの機転によって難を逃れたというエピソードで知られる寺田屋には、当時を物語る品々が残されています。また、寺田屋近く、濠川沿いには日本の新婚旅行実施第一号といわれる『龍馬とお龍 愛の旅路像』がたてられています。

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      史跡 寺田屋

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    寺田屋事件記念碑と龍馬像 

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 この寺田屋の東側にある蓬莱橋から北に続く道は『竜馬通り』とよばれる商店街で、寺田屋で襲撃された龍馬はこの道を駆け抜け、西岸寺まで逃げたとか・・・ 

 『油掛地蔵さん』の名で親しまれる 西岸寺 は天正18年(1590)雲海が開創したと伝わる浄土宗の寺。その昔、山崎の油商人が寺の門前で転び、担いでいた油桶をひっくり返してしまったため、残っていた油を地蔵にかけたところ商売が繁盛し長者になったという説話から、願いのある人はこの地蔵に油をかけて祈るようになったといわれています。

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    西岸寺本堂                       油掛地蔵が安置されている地蔵堂

 また、伏見区鷹匠町にある 大黒寺 は 『薩摩寺』 ともいわれ、薩摩藩とのかかわりが深いことで知られています。大黒寺は平安時代初期に真如法親王により創建され、もとは『長福寺』と称し、元和元年(1615)、薩摩藩主・島津義弘が島津家の守り本尊の大黒天が藩邸に近い長福寺に祀られていたことから、藩の祈祷所とし、本堂に大黒天を安置したことに因んで『大黒寺』と改めたといいます。境内には西郷隆盛が私財を投じて建てたといわれる『寺田屋事件』で命を落とした薩摩藩士九烈士の眠る墓が建っています。名水で知られる伏見、大黒寺の境内にも『金運清水』とよばれる水が湧き出ていて、金運・出世・子孫繁栄にご利益があるといわれています。

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  薩摩藩家紋の十字が記された瓦をのせた本堂    境内に湧く『金運清水』

 酒造の街で知られる伏見には切り妻屋根に白壁の独特の酒蔵が並んでいます。新高瀬川ほとりにに建つ松本酒造の佇まい、足元に顔をのぞかせ始めた土筆を探しながら春風と戯れる心地よさは時間が止まったかようなひと時。菜の花がほとりを埋める頃に訪れたかった・・・と思いながらのどかな風景は十分に心を満たしてくれました。

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     松本酒造

 そして濠川沿いの黄色い花を付けたサンシュや雪柳が白い花を付け始めた川沿いを歩けば、月桂冠の酒蔵が建っています。

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    濠川                            春を告げるサンシュ

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     月桂冠大倉記念館

 かすかにピンクの蕾を膨らませた河川敷は絶好の散歩道。隠れた桜の名所で知られる 長建寺 の門前にある船着場から乗る十石舟での船旅は、水の街・伏見の良さを一層引き立ててくれます。

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    長建寺の糸桜                      十石舟

 風情たっぷりの街には酒造メーカーが開いている博物館や記念館があります。社名の由来となった『欝金桜』とよばれるサトザクラが咲く『キザクラカッパカントリー』での酒造りの見学、『月桂冠大倉記念館』での伏見の酒造りの歴史や酒造り用具の展示などを見ることができます。

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     キザクラカッパカントリー
 
 龍馬とおりょうの青春のひと時をしのび、桃山時代と幕末の面影をたどりながらの散策は、水の街・伏見ならではの風情に満ちたものでした。
 
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