岡山紀行 1 岡山後楽園 ~ 日本を代表する回遊式庭園の新緑 ~

 古くから備前国の国府が置かれてきた岡山は、山陽道と瀬戸内海という水陸の交通の要地として発展、現代も四国・中国地方の交通の要衝となっています。『岡山』の名の由来は、現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んでいたものであったが、宇喜多秀家がここに城を築き、その後形成された城下町を含めて『岡山」と呼ぶようになったといいます。

 豊臣秀吉の実質的養子として育てられ、五大老のひとりでもあった宇喜多秀家により築城された 岡山城 は岡山平野を流れる旭川が湾曲してできた半円形の地形を利用して築かれた平山城で、外壁の黒漆がで塗られた下見板が光に照らされた様が烏の濡れ羽色に似ていたことから『烏城(うじょう)』とも称されています。昭和20年(1945)の空襲で焼失した城は昭和42年(1966)の再建ですが、城内では400年前の姿を残す月見櫓や石垣が見られ、当時を偲ぶことができます。

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     「烏城」の別名を持つ岡山のシンボル岡山城

 この岡山城の対岸にある 岡山後楽園 は『日本三名園』のひとつで、日本を代表する回遊式庭園として知られています。後楽園は約300年前に岡山2代目藩主・池田綱政が家臣・津田永忠に命じ、14年の歳月をかけて完成したといいます。『後楽園』という名称は『先優後楽(人々よりも先に国のことを心配し、人々が楽しんだ後に自身も楽しむべき)』の精神から造園されていることから明治になって改められ、それまでは『後園』と呼ばれていたといいます。

 新緑に染められた園内に入ると、日本庭園には珍しい芝生で覆われた敷地と池や築山、茶室などが水路や園路で結ばれ変化に富んだ景色が広がっています。

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 芝生の中の園路を進むと茅葺き屋根に障子の眩しい建物が見えてきます。『延養亭』とよばれる後楽園の中心的建物で、藩主が訪れたときの居間として、また賓客をもてなす場として使われてきたといいます。特別公開が終了していてため内部に入ることができず、沢の池・唯心山、借景の操山、南方に岡山城と園内外を一望できる美しい景観をみることが出来なかったことが心残りに・・・

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    延養亭                           栄唱の間  

 満開のサツキに囲まれた延養亭を眺めながら進むと右手の高台には、能を好んだといわれる池田綱政が自ら作り、舞ったといわれる『能舞台』と能を鑑賞したという『栄唱の間』の建物(再建)があり、その前に広がる『花葉の池』では水面を覆ったハスが出番を待っています。池の端には『大立石』と呼ばれる巨石がたっていますが、この巨大な石は90数個に割って運びこまれたからもとの形に組まれたそうで、その豪快な姿は大名屋敷の庭園にふさわしい存在を示しています。

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    栄唱橋                          大立石

 花葉の池を見下ろしながらから『二色が岡』に上ると、木漏れ日の中に茂松庵がひっそりと建っています。庭が築かれた当時は桜や紅で彩られる林だったといいますが、現在は杉木立になったいて野鳥が多く飛来してくるとところになっているといいます。ここを訪れる人は少ないようで、静寂な岡に流れる爽やかな風、スポットを当てたような木漏れ日、時折り聞こえる鳥の声・・・身も心も癒される癒やしの空間でした。

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    茂松庵                          廉池軒

 満たされた心で園内を巡る曲水に沿って進むと『廉池軒』が見えてきます。池田綱政がもっとも好んだといわれる亭舎からの眺めは絶景ですが、園内を一望できる『唯心山』からの眺望は日本を代表する回遊式庭園であることを実感させられる素晴らしさ 唯心山を下りると建物の中央に6個の石を配した水路が流れる造りの『流店』と呼ばれる休憩所と花を付け始めた花菖蒲畑が広がっています。

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    唯心山と岡山城天守閣                流店と花菖蒲                         

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      唯心山からの沢の池と曲水

 花菖蒲畑の先にはモミジや桜、梅の林が広がり、新緑の林の中ではタンチョウヅルが羽を休める姿も・・・

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 新緑の森を抜け、茶畑、井田を過ぎると園内で一番大きな『沢の池』に。中には中の島、御野島、砂利島があり、ゆったりと泳ぐ錦鯉に混じって亀が顔をのぞかせるのどかな光景に出会い思わず笑みがこぼれます。そして池のほとりに建つ『寒翠細響軒』や『五十三次腰掛茶屋』からは沢の池、廉池軒、生い茂る木々の中にそびえる岡山城天守閣の望め、その美しい景色に感動です。

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    沢の池にある中の島の島茶屋           寒翠細響軒                         
 
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 沢の池のほとりから広がる木立の中には池田綱政が藩内の平安と池田家の安阿地を願って建立したという『慈眼堂(観音堂)』や家臣の武芸の上達ぶりを観賞したといわれる『観騎亭」や『観射亭』などが建っています。

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    慈眼堂                          観騎亭

 金沢の『兼六園』、水戸の『偕楽園』とともに日本三名園に数えられる 岡山後楽園 藩主の憩いの場として使われ、また碑を定めて藩内の人々にも観覧が許されていたといいます。散策しながら誰もが気軽に変化に富んだ景色を楽しめる岡山後楽園、いつかまた季節を替えて訪れたいと思います。

立山黒部アルペンルート 3 室堂から黒部ダム ~ アルペンルート屈指の眺望 ~

 立山山黒部アルペンルート2450㍍に位置する室堂ターミナルは日本最高所の鉄道駅。立山トンネルトロリーバスに乗ること10分、終点の大観峰駅に到着。
 
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    室堂ターミナル                     立山トンネルトロリーバス

 大観峰駅は断崖絶壁にせり出すようにつくられていて、屋上テラスからは残雪の北アルプス後立山連峰やエメラルドグリーンに輝く黒部湖を一望

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 澄み切った青空から放たれる光が射し込む黒部湖の神秘的な美しさ、その空に向かってそびえる北アルプスの峰。その雄大な眺望にしばし立ち止まり大自然を満喫・・・

 大観峰からは立山ロープウェイで黒部平に支柱の一本もないロープウェイからは360度の大パノラマを観ることができ、その雄大さに驚かされます。到着した黒部平の展望台からも残雪の北アルプスの峰々と眼下にはきらめく黒部湖を望むことができます。

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    立山ロープウェイ黒部平駅              黒部平からの黒部ダム

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 そして、ここから黒部ケーブルカーで黒部湖に。

 黒部湖は『くろよん』名で親しまれている『黒部ダム』の貯水池。黒部峡谷を流れる黒部川にある黒部ダムは昭和38年(1963)7年の歳月を費やして完成したアーチ式のダムです。堰堤の高さは186㍍で日本一を誇り、堰堤の端から端までは192㍍といいます。

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    黒部湖と黒部ダム堰堤                黒部ダム碑

 北ルプスの大自然に抱かれ、エメラルドグリーンの水をたたえる黒部湖、ダムの堰堤からは雪を頂く北ルプスの峰々や若葉を付け始めた木々が訪れた人を魅了しています。展望台でひと時を過ごしていれば、鶯の鳴き声に混じってカッコウの鳴き声が聞こえ、遅い春と待ち遠しい夏が一緒になって立山黒部アルペンルートの名勝を盛り上げてくれているように思えます。真夏に、紅葉の季節に訪れた時とは異なる景色は、また訪れてみたい思いが募ります。

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    新展望台から見下ろすダム堰堤と黒部湖     新緑の谷間に峰をみせる鹿島槍岳

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    黒部湖より立山                     顔を見せ始めたクロユリ

 天候にに恵まれ、雄大な景色が堪能できた楽しかった 立山黒部アルペンルート の旅は忘れがたい思い出をいくつも心に残してくれました。 
 

立山黒部アルペンルート 2 美女平から室堂 ~ 天空ロードの新緑と雪の壁 ~

 立山は3000㍍におよぶ山岳に、熱気が噴き上がる地獄谷、高山植物が咲き乱れる高原という地獄と極楽が同時に存在する、神に支配され、仰ぎ見ることさえも神々しい霊山でしたが、困難を極めた霊山は『立山黒部アルペンルート』の開通で、雄大な大自然が織りなす絶景を真近にすることが可能になり、今では多くの人が訪れる観光地になっています。

 立山黒部アルペンルート、富山側の入口にあたる富山地方鉄道・立山駅からケーブルカーで美女平へ。その名の由来は、女人禁制の立山へ登ろうとした女性が、神の怒りに触れ一本の杉の巨木に化したという伝説によるものといいます。ここからバスに乗り換えて『天空ロード(立山高原バス道路)』の終点・室堂に向かいます。

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    立山ケーブルカー                    天空ロード

 美女平駅を出発したバスは、ブナの原生林が広がる美女平を曲がりくねりながら標高を上げ、瑞々しい若葉が光り輝くブナの林、天に突き刺さるようにそびえる杉の巨木、それらの木々の根本はところどころにまだ雪が。ようやくこの地に訪れ始めた春の気配に日本も広いと感じます。トチノキ、ミズナラ、ホオノキなどの広葉樹、樹齢数百年の杉の巨木が点在する美女平周辺の森は散策路がつくられていて、原生林に囲まれた散策、是非一度体験してみたいと思います。
 
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 次第に標高を上げたバスの窓からは雪を頂いた山々が青空をバックに目の前に迫ってきます。

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 標高1930㍍の弥陀ヶ原にはラムサール条約に認定されている弥陀ヶ原湿原があります。湿原を彩る高山植物はまだ深い眠りの中、わずかに葉や蕾をみせ始めたニッコウキスゲやシラネアオイが雪除けされた地面に顔をのぞかせています。

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 そして、弥陀ヶ原を過ぎ、道路以外は雪に覆われた天空ロードは最大の見どころ『雪の大谷』に。
  その高さ14㍍という雪の壁は迫力満点 『立山・雪の大谷ウォーク』が開催されているエリアでは写真を撮る人、雪の壁にメッセージを刻む人などで賑わっています。

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 室堂ターミナルの裏側に広がる室堂平も雪に覆われ、室堂を代表する『みくりが池』も水面を雪が覆っています。

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 下界は初夏の陽気に包まれているのに、ここはまだ冬の真っただ中と感じるほどの冷気 これがあと一ヶ月ほどで夏を迎えるとは信じがたい光景です。高原の花たちがいっせいに目覚める季節まであと少し。今はこの雪景色で訪れた人々に感動を与えてくださいと・・・

 深緑の瑞々しさ、雪の山と大地、迫力ある雪の壁、そして雲海の彼方に沈む夕日、寒さに震えながら仰いだ星空・・・大自然の織りなす絶景は言葉にできない素晴らしい感動を与えたくれました。

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立山黒部アルペンルート 1 雄山神社 ~ 日本三大霊山のひとつ立山を神体山とする神社 ~

 立山黒部アルペンルート は富山県立山町の立山駅と長野県大町市の扇沢駅を結ぶ交通路で、そのほぼ全区間が中部山岳国立公園内にあり、いくつもの景勝地を観ることができる世界有数の大規模な山岳観光ルートとして知られています。

 立山黒部アルペンルートの 『立山』は山の名ではなく、雄山、大汝山、富士ノ折立の3つの峰を総称して呼ばれる山で、古くから聖なる山として崇められ、富士山、白山と並び称される『日本三大霊山』のひとつとして、多くの人々に信仰されてきました。言い伝えによれば、この立山を修行場として開拓したのは越中守佐伯有若の子有頼とされています。佐伯有頼が逃げ去った鷹を追って山に入ると、熊があらわれたので矢を放つと熊は岩窟に逃げ込んでしまい、それを追って岩窟に入ると、そこには胸に矢の刺さった阿弥陀如来が立っていたことからこの地を霊場としたといいます。

 雄山神社(おやまじんじゃ) はこの立山を神体山とする神社で、雄山山頂に峰本社、山腹に中宮祈願殿(芦峅寺 あしくらじ)、山麓に前立社壇(岩峅寺 いわくらじ)あり、三社合わせて『雄山神社』といいます。雄山神社の主神は伊邪那岐命、本地仏は阿弥陀如来で、山麓に位置する 雄山神社前立社壇 は山頂にある峰本社が冬期間登山することが至難であったので、山麓岩峅に社壇を建て、年中の諸祭礼の奉仕をしたと伝えられているとのこと。

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     立山

 富山地方鉄道立山線の岩峅駅を降りて歩くこと10分程、雄山神社前立社壇の鳥居が見えてきます。

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    電鉄富山岩峅寺駅   

 鳥居をくぐり、参道を進んだ先には荘厳な雰囲気の漂う境内が広がっています。

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    表神門

 越中一宮のひとつとして庶民の信仰の篤かった雄山神社は皇室、藩主、武将の信仰も篤く、本殿は源頼朝が再建し、足利義稙や佐々成政が改修、五間社流造杮葺の建物は北陸最大の本殿でといいます。

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    拝殿                            本殿

 また、拝殿の入口には加賀藩二代目藩主の正室永姫が寄進したと伝わる石の狛犬が置かれています。

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    吽形狛犬像                        阿形狛犬像

 境内には八幡宮、刀尾社、稲荷社、社務所、斎館などの建物や加賀藩十二代藩主前田斉泰から寄進されたという『湯立の釜』が置かれています。この湯立の釜は湯を沸かし、参拝者の身に降りかけて身に罪のないことを神様に誓ったもので、江戸時代には春祭りにこの釜で湯を沸かし湯茶の接待をいていたものといいます。

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    八幡宮・刀尾社・稲荷社                湯立の釜

 人影もなく、ときおり聞こえる鶯の声に耳を傾けとひと時、旅の無事を願い、神々しさに包まれた境内をあとにしました。

 

長等神社 ~ 大津京鎮護のために創建さた神社 ~

 明治時代、琵琶湖の水を京都へ運ぶ水路として造られた 琵琶湖疏水 その疏水の両側にはたくさんの桜が植えられていて、滋賀の花見の名所のひとつとして知られています。

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                        新緑に包まれた琵琶湖疏水

 天智天皇が大津京遷都の際に、鎮護として創建された 長等神社 はこの琵琶湖疏水を遡った長等山岩座谷に位置しています。須佐之男命を勧請して創建された長等神社は貞観2年(860)、園城寺(三井寺)開祖の智証大師(円珍)が日吉山王神・大山咋命を勧請して、園城寺の守護神となったといいます。

 石の大鳥をくぐり参道を進むと、新緑の社叢を背に鮮やかな朱色の楼門が建ち、その奥に拝殿、大山咋命が祀られた本殿が建っています。

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    石の大鳥居                       楼門

 境内に建つ建物は南北朝の戦乱により消失、現在の社殿や楼門などの建物は足利尊氏によって再建され、壮麗な神社は皇室をはじめ武将や民衆の崇拝を集め隆盛したといいます。

  楼門を入った近くには平忠度の歌碑がたっています。

    さざなみやしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな

 「志賀の都はすっかり荒れてしまったけれども、長等の山桜は昔のままに咲いている」と詠まれているように、今もこの辺りは桜の名所として知られています。

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     平忠度の歌碑                      拝殿                            

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      本殿

 そして、境内には三馬神社のひとつ 馬神神社 があります。古来より牛馬の守護神として名高い神社は豊臣秀吉も信仰したと伝えられているとのこと。現在もうまの関係者、愛好者、午年生まれの参詣が多いといいます。

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    馬神神社                         栄稲荷大明神

 園城寺を守護する神社として栄えた 長等神社 長い歴史を有する古社でありながらどこか庶民的な温かさを感じる神社でした。

 長等神社を出て南に行くと長等公園があり、木漏れ日に包まれた山裾の道を進むと、園城寺五別所のひとつ尾蔵寺に住んで多くの弟子を育てたといわれる慶祚阿闍梨が入定したとつたいわれる石室やいつ頃に祀られたのか不詳という長等山不動堂がひっそりと建っています。

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    慶祚阿闍梨入定窟                    長等山不動堂

 爽やかな空気に包まれた木漏れ日の道をさらに進むと山側に 近松寺(高観音) が建っています。近松寺も園城寺五別所のひとつで、平安時代に安然が開基し、智証大師が刻んだ観音像が安置されているといいます。本堂は江戸時代の享保年間に、阿弥陀堂は嘉永年間に建てられたといいます。

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    近松寺本堂                       近松寺阿弥陀堂

 高台に建つ近松寺、ここから眺める琵琶湖の眺望は昔から人々に親しまれたいてといいます。今ではビルや民家などの建物で埋め尽くされてしまった大津の町ですが、東海道の宿場があった頃は、その絶景に多くの旅人が癒されたであろうと・・・

   長等神社15

 大津市と京都市の境にある逢坂山から長等山には長い歴史を持つ由緒ある寺社や史跡が点在しています。それらの寺社や史跡はゆかりある人々や地域の人々により受け継がれ、そこかしこに面影をとどめ、今も私たちに当時を偲ばせてくれます。そして自然美あふれる道沿いでは四季折々の美しい風景と眺望が目を楽しませてくれます。道の傍らで咲く花を見ながら浮かんだ句

        山路来て何やらゆかし菫草

 この句は松尾芭蕉が、近江から京に出る小関越で読まれたといわれていますが、当時は草深い山道で見つけた心のオアシスだったのではと・・・

 眩い新緑と、霞む琵琶湖の眺望に癒された山道は、歴史も堪能できた素晴らしい散策でした。

 
 
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