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清閑寺 ~ 古典文学にも登場する京の街を一望する古寺 ~

 子安搭で知られる泰産寺は清水寺の塔頭成就院の子院で、搭堂内には子安観音を祀り古くから安産祈願の寺として信仰を集めていることで知られています。

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    泰産寺                          子安搭

 その泰産寺の東側から 清閑寺 まで続く山間の道は『歌の中山』と呼ばれ、古くから紅葉の名所として多くの歌に詠まれてきました。昔、清閑寺の真燕という僧が夕暮れ時、門前に佇み往来する人を見ていると、ひとりの美しい女性が目にとまり、心が動かされるも言葉をかけるきっかけがつかめず、思わず 『清水への道はいずれか』 と問いかけたところ 『見るだに まよふ心の はかなくて まことの道を いかでで知るべき』 と歌を詠み、姿を消したてしまうが、じつはその女性は清閑寺の本尊・十一面観音の化身であったといわれ、この逸話から『歌の中山』の地名が起こったといいます。

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                             歌の中山

 その 清閑寺 は延暦21年(802)比叡山の紹継が創建した天台宗の寺院。平安時代、一条天皇の頃に勅願寺となり寺運が維持されるも応仁の乱で罹災し、衰退。そして、江戸時代初期に、紀州根来寺の性盛により復興され、真言宗に改宗されたといいます。

 音羽山の深い樹木に覆われた狭い道は、今もなお昔の面影を残す風情ある散歩道。そよぐ風に葉を揺らす木や竹、足元に積もった枯れ葉・・・歌に心得があるならばと思いながら山道を進むと、『歌の中山 清閑寺』の石碑がたっています。参道の石段を上って行くと、山門の手前の斜面に高倉天皇と六条天皇の御陵があり、高倉天皇陵の傍らには小督局の墓搭がたっています。小督局は『平家物語」に登場するヒロインのひとりで、高倉天皇に寵愛されたために、平清盛により宮中を追われ、この清閑寺で出家させられます。高倉天皇は小督局を失ったことに深く心を痛まれ、「亡くなったら局のいる清閑寺は葬ってほしい」と遺言され、21歳の若さで崩御。そして、その葬儀は清閑寺で行われこの地に埋葬されたといいます。

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    清閑寺参道                        高倉天皇後清閑寺陵

 山門を入るとさえぎる物のない境内は柔かな春の光に包まれて、絨毯を敷き詰めたような瑞々しい苔に覆われた庭が広がっています。

  清閑寺7  清閑寺8

 入口近くの鐘楼の傍らには『大西郷月照王政復古謀議舊趾』碑が建っていますが、かつてこの鐘楼の上には『郭公亭』と呼ばれた茶室があり、西郷隆盛と月照上人はその茶室で密議を交わしたといいます。

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    鐘楼                            「郭公亭」趾

 そして、本尊・十一面観音を安置する小ぶりな本堂の前庭には、小督局を供養する宝篋印塔が建てられています。苔生した塔は小督局の人生を見ているようで・・・どこかもの悲しい思いになってきます。

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    本堂                            小督局を供養する宝篋印塔

 苔の庭が広がる境内の西端には『要石』と呼ばれる大きな石が置かれています。それはここに立てば、京都の街が扇を開いたような角度で見えることから、扇の要の位置にあたるとして『要石』と名づけられたといいます。確かに、そこにたたずみ眺める風景は開発された今でも見応えがあり、かつて大津を経て山科から京をめざした旅人がこの地に辿り着き、初めて見た京の街の風景は感動と喜びに心がときめいたのでは・・・と思います。また、この石に誓いをたてると願いが叶うとの言い伝えもあるようです。

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     「要石」と市中の眺望

 平安時代にさかのぼる歴史を秘め、多くの和歌や古典文学にも登場する清閑寺は今も現実から離脱した趣きを持ち、雄大な眺望は心に安らぎと自然の美しさを教えてくれます。雑多な日常に疲れたとき、自然を楽しみたいとき、そして心を素にしたいとき・・・また、訪れたいお寺がひとつ増えました。

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                                   早春の庭に咲く木瓜



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