2018 京の冬の旅 2 ~ 相国寺塔頭 豊光寺 廃仏毀釈に立ち向かった傑僧ゆかりの寺 ~

 『京の冬の旅』では相国寺塔頭の 豊光寺 も公開されています。

 豊光寺は慶長3年(1598)、豊臣秀吉や徳川家康の外交顧問として重用され、相国寺中興の祖といわれる第92世住持西笑承兌が豊臣秀吉の追善のために創建した寺。西笑没後、荒廃した豊光寺は、天明の大火で焼失し、廃絶の危機にあったが、明治15年(1882)、荻野獨園により再興され、塔頭の慧林院とその子院冷香軒の客殿を移築し、合併したといいます。相国寺派初代官長であった荻野獨園は、廃仏毀釈の際に日本の禅宗を守るために奔走したことで知られ、山岡鉄舟などとの親交を持ち、この豊光寺で亡くなったといいます。

 豊光寺は法堂とつながる庫裡や方丈の裏手に位置しています。桃山期、または江戸初期の建立といわれる山門を入ると苔を敷き詰めた庭のなか、石畳の参道が玄関に向かってのびています。

  豊光寺1  豊光寺2
    山門

 玄関から本堂に入ると本尊・釈迦如来像を中央に開祖・西笑承兌像、慧林院冷香軒開祖・太嶽周崇像が安置され、書院には足利幕府10代将軍足利義稙の肖像画や獨園の頂相、山岡鉄舟の書などの寺宝が公開されてされています。そして方丈南から書院東には苔と白砂に楓が配された庭園が広がっています。

  豊光寺3  豊光寺4
    退耕塔

 白壁の塀に囲まれ、地面を覆う苔の上で葉を落とした楓が幹や枝をのばす庭は禅寺らしい閑寂な雰囲気を漂わせています。そして、書院東の庭に中には獨園が亡くなった後に、参学の有志によって建てられたという『退耕塔』があり、碑文は富岡鉄斎によるものといいます。 

   豊光寺5

 明治期の傑僧といわれた荻野獨園は廃仏毀釈の影響が強かった鹿児島県の仏教寺院再建に尽くし、また、薩摩藩の京屋敷として貸していた敷地が同志社英学校の用地になった際も「信教の自由の」の立場からこれを認めたといいます。幕末・明治維新に相国寺はゆかりの深い寺院であることを改めて感じた拝観でした。


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