田村神社 ~ 坂上田村麻呂を祀る「厄除大祭」で知られる古社 ~

 江戸時代、東海道は江戸の日本橋を起点とし、五十三の宿場を経て京都三条大橋に至る要道で、この街道が伊勢国から近江国に入る鈴鹿峠は箱根の並ぶ難所として知られていました。 『坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る』の馬子唄で知られる土山は近江国に入った最初の宿場町として栄えたところ。また伊勢から多賀大社に詣でる御代参街道もここから通じ、参拝する人々や近江商人が行き交い、宿場には今も当時の面影を偲ばせる本陣や旅籠の跡、旧街道沿いでは松並木や常夜灯などを見ることができます。そして、津和野藩の御典医だった文豪・森鴎外の祖父が参勤交代の途中病のためこの地で息を引き取り葬られた常明禅寺には悲劇の皇子、長屋王が母の死を悼んで納めたといわれる大般若経が伝えられ、境内にはここを訪れた時に詠んだ松尾芭蕉の句碑も残っています。

 土山宿の入口であった甲賀市土山町北土山に鎮座する 田村神社 は蝦夷征伐で知られる征夷大将軍・坂上田村麻呂を主祭神とし、厄除けで知られる神社です。坂上田村麻呂は、延暦10年(791) 桓武天皇の勅命を受けて鈴鹿峠に出没して旅人を悩ましたせた悪鬼を討伐し、交通の障害を取り除いて土地の安定を確保。そして、坂上田村麻呂薨去の後、その遺徳を仰ぎ、嵯峨天皇の勅命でゆかりの地である土山に田村公の神祠を建て、神として祀ったといいます。

 国道一号線に面してたつ一の鳥居をくぐると、鬱蒼とした森に包まれて参道が伸び、銅製の二の鳥居があらわれます。

  田村神社4  田村神社5
    一の鳥居                         二の鳥居

 二の鳥居の右手には野洲川支流の田村川が流れていて、東海道はここにかかる板橋から田村神社の参道を経て土山宿に入ったといいます。現在の橋は『海道橋』の名で、平成17年(2005)に再建されたものですが、橋の入口には当時の高札が掲げられています。また、安藤広重の浮世絵『土山宿 春の雨』はこの橋を渡る大名行列を描いたものといわれ、その絵を思い描き橋を渡ればどこか当時の雰囲気が頭に浮かんできます・・・

  田村神社1  田村神社2
    田村川                          再建された「海道橋」
             
           田村神社3 高札

 二の鳥居から三の鳥居をくぐると拝殿があり、その先に神明石鳥居が立っています。

  田村神社6  田村神社7
    拝殿                            神明石鳥居

 鳥居の入口には福豆が売られていて、参拝者は鳥居をくぐり境内を流れる御手洗川に架けられた太鼓橋から年の数だけこの豆を流して厄を落として祈願し、本殿前の斜めに交えて掛けられた神矢をくぐり参拝します。

  田村神社8  田村神社9
    神矢                            本殿

 この神矢の由来は鈴鹿峠の征伐を行なった際に、坂上田村麻呂が悪鬼に向かって「今や悪鬼もなし 之より此の矢の功徳を以て万民の災いを除かん。此の矢が落ちたる地を吾が宮居として斉き祀れ」と、放たれた矢が本殿前に落ち、不思議なことに青々と芽が出て育ち、現在の矢竹になったといわれ、以来、田村大神の心として神矢が奉納し、矢の功徳を以て災厄を祓い開運を導く信仰になったとのこと。

  田村神社10  田村神社11
    矢竹                            吉崎稲荷社

 いつもは静寂な境内に人の波が押し寄せる『厄除大祭』 厄除の神社として知られる田村神社の『厄除大祭』は毎年2月17日から19日にかけて催行され、県内外から厄落とし祈願に二十万人もの人出で賑わうといいます。杉の古木に覆われた本殿はその歴史を見続け、人々の祈願を受け止めてきていることに感慨深い思いがします。

            田村神社12  境内に並ぶ授与所

 東海道の旅人が神社の前を通るたびに参詣し、京へ、鈴鹿越えへと・・・とそれぞれの目的地に向かうその岐路に鎮座していた 田村神社 今もその面影を宿し、厄除の神社として多く人々から崇敬を集めています。

 
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