清涼寺 ~ 「源氏物語」のモデルとされる源融ゆかりの寺の仏像 ~
『嵯峨釈迦堂』の名で知られる 清凉寺 は.小倉山の山麓から少し離れた平坦地に伽藍を構えています。清凉寺は『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされる源融の山荘『棲霞観』あったところで、没後、その山荘に阿弥陀堂を建立して『棲霞寺』としたことにはじまるといいます。天慶8年(954)に醍醐天皇の皇子重明親王が堂宇を建立し、等身大の釈迦像を安置、これが釈迦堂の名の由来ともされています。その後、東大寺の僧奝然が宋から持ち帰った釈迦如来像を釈迦堂に祀って華厳宗の寺とし、『清凉寺』としたといいます。この釈迦如来像は釈迦が37歳のときの生き姿を刻んだもので、胎内には結縁手印状、経典、文書などとともに絹製の五臓六腑が納められています。異国情緒あふれるこの仏像は清凉寺式と呼ばれ、以後数多くの模像がつくらています。
新丸太町通の最西点を北に進むと、正面に重層な仁王門が見えてきます。たびたび火災にみまわれ、応仁の乱で諸堂が焼失した清凉寺は江戸期に徳川家康や綱吉の援助を受けて現在の伽藍がととのっていったといいます。この仁王門も同時期の再興で上層内には十六羅漢が安置されているといいます。
門をくぐると木々のまばらな境内には明るい光がさしこみ修学旅行生のにぎやかな声が飛び交っています。正面にたつ豪壮な本堂は德川綱吉と生母桂昌院の寄進で、桃山建築の名残りをしめす堂内の中央には生き姿を刻んだという釈迦如来像が安置され、堂内を見守っていいます。また、開祖奝然上人の木像、厄除地蔵が祀られ、清凉寺縁起の一部を拡大した壁画、桂昌院寄進の品々も展示されています。

本堂
本堂の裏手には放生池、摩尼堂(弁天堂)、納骨堂の建物が建っています。放生池には小島や橋、周囲には花木や木々が植栽されています。その池には屋根を宝形造りにした摩尼堂と目に染みるような青葉の木々やツツジの花が水面に映し出されています。

摩尼堂(弁天堂)と庭園
本堂の右手には清涼寺のはじまりといわれる『棲霞観』を寺にした阿弥陀堂、さらにその手前には一切経蔵がひっそりと建ち、傳大士像と笑仏が祀られた経蔵に中には一切経を納めた輪蔵が置かれています。

阿弥陀堂
一切経蔵 傳大士と笑仏
さらに境内には多宝搭、鐘楼や毎年4月に行われる『嵯峨大念仏狂言』が演じられる狂言堂などの建物、開山の奝然上人の墓、源融の墓といわれる宝筐院石塔、秀頼公の首塚などがあります。また、多宝塔の横には24歳のとき広く人々のを救うための仏教を求めて本堂の釈迦如来の前に7日間こもられたという法然上人の大きな立像もたてられています。

多宝塔 鐘楼

奝然上人の墓 法然上人立像
そして、境内の奥まったところにある霊宝館には国宝の阿弥陀三尊像をはじめ多くの寺宝が収蔵されており、春と秋に特別公開されています。阿弥陀如来三尊は棲霞観を阿弥陀堂にした際の本尊と伝えられ、光源氏のモデルとされた源融が亡くなる直前に自分の顔に似せてつくらせたともいわれています。引き締まった美しい顔に逞しい造形、そこに漂う神秘的な表情に心が奪われていきそうな・・・この霊宝館ではほかにも多くの仏像や軸、釈迦如来像の胎内納入品などが展示されています。
のどかな風景と竹林に囲まれた小径、美しい自然の中に佇む古刹、世をはかなんで出家した人々の少庵・・・嵯峨野にはしっとりと落ち着いた情景が漂っていますが、境内が広い清凉寺は開放的で、地元の人々から『嵯峨の釈迦堂』と親しまれているのが納得できるような明るいお寺、今度は和泉式部ゆかりの『軒端の梅』の深紅の花が咲くころの訪れてみようか・・・と思いながら境内をあとにしました。
新丸太町通の最西点を北に進むと、正面に重層な仁王門が見えてきます。たびたび火災にみまわれ、応仁の乱で諸堂が焼失した清凉寺は江戸期に徳川家康や綱吉の援助を受けて現在の伽藍がととのっていったといいます。この仁王門も同時期の再興で上層内には十六羅漢が安置されているといいます。

門をくぐると木々のまばらな境内には明るい光がさしこみ修学旅行生のにぎやかな声が飛び交っています。正面にたつ豪壮な本堂は德川綱吉と生母桂昌院の寄進で、桃山建築の名残りをしめす堂内の中央には生き姿を刻んだという釈迦如来像が安置され、堂内を見守っていいます。また、開祖奝然上人の木像、厄除地蔵が祀られ、清凉寺縁起の一部を拡大した壁画、桂昌院寄進の品々も展示されています。


本堂
本堂の裏手には放生池、摩尼堂(弁天堂)、納骨堂の建物が建っています。放生池には小島や橋、周囲には花木や木々が植栽されています。その池には屋根を宝形造りにした摩尼堂と目に染みるような青葉の木々やツツジの花が水面に映し出されています。

摩尼堂(弁天堂)と庭園
本堂の右手には清涼寺のはじまりといわれる『棲霞観』を寺にした阿弥陀堂、さらにその手前には一切経蔵がひっそりと建ち、傳大士像と笑仏が祀られた経蔵に中には一切経を納めた輪蔵が置かれています。

阿弥陀堂


一切経蔵 傳大士と笑仏
さらに境内には多宝搭、鐘楼や毎年4月に行われる『嵯峨大念仏狂言』が演じられる狂言堂などの建物、開山の奝然上人の墓、源融の墓といわれる宝筐院石塔、秀頼公の首塚などがあります。また、多宝塔の横には24歳のとき広く人々のを救うための仏教を求めて本堂の釈迦如来の前に7日間こもられたという法然上人の大きな立像もたてられています。


多宝塔 鐘楼


奝然上人の墓 法然上人立像
そして、境内の奥まったところにある霊宝館には国宝の阿弥陀三尊像をはじめ多くの寺宝が収蔵されており、春と秋に特別公開されています。阿弥陀如来三尊は棲霞観を阿弥陀堂にした際の本尊と伝えられ、光源氏のモデルとされた源融が亡くなる直前に自分の顔に似せてつくらせたともいわれています。引き締まった美しい顔に逞しい造形、そこに漂う神秘的な表情に心が奪われていきそうな・・・この霊宝館ではほかにも多くの仏像や軸、釈迦如来像の胎内納入品などが展示されています。
のどかな風景と竹林に囲まれた小径、美しい自然の中に佇む古刹、世をはかなんで出家した人々の少庵・・・嵯峨野にはしっとりと落ち着いた情景が漂っていますが、境内が広い清凉寺は開放的で、地元の人々から『嵯峨の釈迦堂』と親しまれているのが納得できるような明るいお寺、今度は和泉式部ゆかりの『軒端の梅』の深紅の花が咲くころの訪れてみようか・・・と思いながら境内をあとにしました。
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