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圓徳院 ~ 趣の異なるふたつの庭を持つねねが余生を過ごした寺 ~

 高台寺の参道入り口前に立つ 圓徳院 は秀吉の正妻ねねが、伏見城の化粧御殿を移築して移り住み、日々、秀吉の菩提を弔うために創建した 高台寺 に通い余生を過したことで知られています。また、此処にはねねを慕って多くの大名や禅僧、歌人、茶人などの文化人が訪れ、文化サロンのような一面もあったといわれています。そして、ねねの没後、甥の木下利房が高台寺の三江紹益禅師を開山に、木下家の菩提寺とし開き、自分の法号である『圓徳院』を寺名としたといいます。

 ねねの道に面して開かれた長屋門を入るとその先に『圓徳』の扁額がかかげられた中門がなっています。ここから方丈に向かう石畳の両側にはツワブキが植えられ、冬の足音が聞こえそうな時期になると美しい紅葉とともに黄色の花が訪れる人の目を楽しませてくれます。

  えんとくいん  円徳院
    「ねねの道」に面して開く長屋門           「圓徳」の扁額がかかげられた中門

  円徳院3  円徳院4
                                   方丈
 木漏れ日がさし込む石畳の参道を進み方丈に上がれば、本尊前で荒れ狂う波涛から天に向かって顔を上げる白龍を描いた雄大な襖絵が出迎えてくれます。これは近年に描かれたもので、圓徳院の襖絵として知られているものに、長谷川等伯が唐紙に描いた山水画があります。また、その他にも近年い描かれた松竹梅図や雪月花図の鮮やかな襖絵が方丈を彩っています。そして方丈の前にはカエデなどの木々を背景に白砂の眩しい庭が広がり、コントラストの美しい庭は眺めているだけで心も癒されてきます。

   円徳院5

 伏見城の化粧御殿が移築されたという北書院の前には、化粧御殿の前庭を移した桃山時代を代表する庭園が広がっています。

   円徳院6

 小堀遠州により整備されたと伝わる枯山水式庭園には多数の巨石大岩が置かれ、その豪壮華麗な石組みの迫力に圧倒されます。

   円徳院7

 豪華な印象の北書院北庭、優しい印象の方丈南庭、対照的な表情を持つふたつの庭園はぞれぞれに趣きがあり、四季折々に風情ある光景を見ることができます。
      
 境内の出口の広場には秀吉の念持仏としたと伝わる三面大黒天尊天と歌聖とも呼ばれた長嘯子(ねねの甥で若狭藩主)を祀るお堂と高台寺や関連寺院の名品を収蔵する掌美術館が建てられています。

  円徳院8  圓徳院9
    三面大黒天尊天堂                   歌仙堂

 また、同じ広場には茶店や土産店などもあり、内外の観光客が足をとめて休憩する姿も。

 糟糠の妻として秀吉を見守り続け、秀吉没後は出家して夫の霊を弔いながら生涯を終えたといわれる『ねね』ゆかりの 高台寺 と 圓徳院 今も伝わるねねの面影を偲びにまた訪れたいと思います。 

 
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高台寺 ~ 豊臣秀吉の正室ねねを偲ぶ壮麗な寺 ~

 京都・東山の円山公園から維新の道へと続く石畳の道は『ねねの道』と呼ばれ、京情緒あふれる道は、季節を問わず多くの人が行きかう散歩道として知られています。道の名の由来は道沿いにある 高台寺 が『ねねの寺』とも呼ばれることから付けられたといいます。豊臣秀吉の菩提を弔うために正室・ねね(北政所)が開創し、徳川家康の援助を受けて創建された寺には今も、開山堂や霊堂、茶亭など創建当時の建物やゆかりの品々が数多く残されています。高台寺では様々なイベントが開催されていますが、夏の風物詩となっているのが『百鬼夜行展』で、さまざまな絵巻が展示されています。

 『ねねの道』から東に台所坂と呼ばれる石段を上ると左手に庫裏が建っています。

  高台寺1  高台寺2
    台所坂                           庫裡

 庫裡の左手から境内に入ると、鬼瓦席や遺芳庵が木々の中に風情ある佇まいを見せています。書院から方丈にあがると室内には『百鬼夜行絵巻』が展示されています。これらの絵巻は、物は大切に使い、捨てる時は供養しなければならないという教えを意味していえるとのことですが、九十九神や捨てられた古道具などが妖怪や化け物に姿を変えて徘徊している様子はユーモアがあり不謹慎ながら微笑ましく感じてしまいます。

  高台寺4  高台寺3
    遺芳庵                           軒先にかかる提灯

 方丈の前の枯山水の庭は『波心庭』と呼ばれる白砂が清々しい庭で、趣向を凝らされるライトアップの美しさは格別です。

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    初秋の方丈前庭園                   ライトアップに浮かぶ方丈前庭園

 方丈の東側には小堀遠州作と伝わる偃月池と臥龍池を中心とし、石組と萩などの植物が配された壮麗な池泉回遊式庭園が広がっています。そして、開山堂西にある偃月池には書院と開山堂がつなぐ楼船廊が架けられ、真ん中には観月台が設けられ、東の臥龍池には臥龍廊が架かり、秀吉とねねの木像が安置されている霊堂が建っています。

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     偃月池にかかる廊橋でつながる開山堂

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     臥龍廊
 
 幾度もの火災のため堂宇が失われた高台寺で残る建物のひとつ開山堂は天井画見どころで、全体に色あせてはいますが、文様や色彩の華やかさに豪華絢爛な桃山時代の面影を感じさせます。堂内には一段高いところにある霊堂(おたまや)を見守るように第一世住持の三江紹益禅師、ねねの兄である木下家定とその妻らの像が安置されています。秀吉とねねが祀られている霊堂は現在修復中ですが、これも創建当時の建物のひとつで、檜皮葺宝形造りの豪奢な装飾を持ち、内部の須弥壇と秀吉とねねの木造が安置されている厨子は華麗な高台寺蒔絵で知られています。ともに安土桃山文化が結集されたともいわれる建造物で、当時の華やかさが偲ばれます。

  高台寺7  高台寺9
    開山堂                          霊堂

 さらに山腹をのぼると、千利休作との伝承を持ち、伏見城から移築したと伝わる茶席の傘亭と時雨亭が建っています。内部を丸竹の垂木を放射状に組んだことから名づけられた傘亭と、上階を涼み台、下階を茶室とした時雨亭とは土間廊下で結ばれています。初秋の風が吹き抜ける高台に建つ茶亭からは霊山観音の横顔が望め、茅葺き屋根の傘亭の軒先ではカマキリがしばしの休息・・・のどかな昼下がりのなんとも贅沢な時間に心が癒されます。

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     傘亭と時雨亭

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     傘亭                           時雨亭
 
 茶亭をあとに下りてくる竹林の道には木漏れ日を通して秋の気配が・・・そして、境内の片隅から望む八坂の搭や京の街を眺めながら秀吉とねねを偲び、仲睦まじく並ぶ二人の像に触れて、誰からも慕われたねねの人生にあやかりたいとの願いを胸に境内をあとにしました。

  高台寺13  高台寺15
 
   高台寺16



青蓮院門跡 ~ 池泉回遊式名園に癒されて過ごす初秋のひと時 ~

 名所旧跡が集まる東山界隈にあって『粟田御所』るとも呼ばれる 青蓮院門跡 は比叡山延暦寺の三門跡のひとつで、皇室ゆかりの寺院として知られています。かつては比叡山三千坊のひとつとして『青蓮坊』として東塔南谷に建てられ、山下に移ったのは平安時代末期の行玄大僧正の時といいます。そののち、鳥羽天皇の皇子覚快法親王が第二世として入寺して門跡寺院となり、以来、皇族や摂関家からの入寺がつづき、『粟田御所』と呼ばれることになったといいます。

 三条通から神宮道を南に行くと、左手に巨大なクスノキが目に入ってきます。親鸞聖人お手植えと伝わる樹齢800年ものクスノキは石垣のうえの土塁に根を張り、青蓮院の築地塀を背に大きく枝を広げ、参拝者を迎えていす。一万坪もある敷地はそのすべてが国の史跡になっており、寺格にふさわしい壮麗な伽藍は、応仁の乱で焼失、その後も再建と火災が繰り返され、現在の建物は明治以降に再建されたものといいます。また、名園で知られる池泉回遊式庭園の庭園は、四つの庭から構成されています。華頂殿から望む室町時代の相阿弥作と伝わる庭、華頂殿の北東面に広がる江戸時代の小堀遠州作の『霧島の庭』と呼ばれる庭、江戸時代の大森有斐作と伝えられる茶室・好文亭の前庭、そして宸殿前の苔の庭で、ライトアップが開催される春と秋には多くの人が訪れる人気のスポットになっています。

  青蓮院2  青蓮院3
    長屋門

 大きなの二本のクスノキを前にした長屋門を仰ぎながら門を入り、拝観順路に沿って進むと三十六歌仙の額絵が飾られた華頂殿(客殿)があり、襖には鮮やかな色彩の蓮の花が描かれていてその力強い絵柄に圧倒されます。

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    華頂殿                         華頂殿内部 

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 開け放たれた室内からは粟田山を借景にした庭園が広がっています。右手には相阿弥が作庭したと伝わる庭園には龍心池を中心には跨龍橋と呼ばれる石橋が架かり、対岸には洗心滝と呼ばれる滝が配されています。そして、左側に目を転じれば、小堀遠州が作庭したと伝わる『霧島の庭』が、庭名の由来となっているキシシマツツジを中心にモミジや松など様々な木が庭を覆うように続いています。静寂な室内を流れるほんの少し秋を感じる風、庭に響く蝉しぐれ・・・時間が止まったようなひと時に心が癒されてきます。

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     相阿弥の庭

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     霧島の庭

 華頂殿から渡り廊下を進めば、廊下に面して豊臣秀吉が寄進したといわれる一文字手水鉢が置かれていて、その大きさに驚かされます。その先にある小御所、主要な法要が行われる宸殿はそれぞれ御所からの移築されたものといい、狩野派作と伝わる障壁画で飾られています。そして小御所の奥にある本堂には開創時から祀られている本尊・熾盛光如来曼荼羅が安置されています。日本三大不動のひとつで国宝の『青不動』と呼ばれる不動明王二童子画像は以前は本堂の奥に建物の中に置かれていましたが、今は将軍塚青龍殿に遷されており、拝観することはできませんでした。

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    一文字手水鉢                      小御所

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    宸殿                            本堂

 建物の拝観を終え庭園を散策。

 春と秋にはライトアップされ幻想的なの美しさに包まれる庭園、相阿弥の庭の中心をなす池では緋鯉がゆったりと泳ぎ、夏の日差しに色を失った苔のに色を添えるように数輪の蕾をつけた萩が風に揺れ初秋の風景を漂わせています。そして枝を広げたモミジの間に見え隠れする石燈籠に風情を感じながら進むと茶室・好文亭がひっそりと建っています。

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    好文亭                           大森有斐作の庭

 好文亭の前庭からゆるやかな坂道をのぼって行くと眼下には青蓮院の建物や庭園が見え、そびえる竹林からの木漏れ日を受けながら先を進むと本堂、宸殿が建っています。宸殿の前庭は一面苔の庭になっていて右近の桜、左近の橘が植えられています。そしてその庭に覆いかぶさるように巨大なクスノキが枝を広げ宸殿の大きさに負けないほどの圧倒的存在感を示しています。

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    宸殿に枝を広げるクスノキの巨樹

 この宸殿は浄土真宗開祖・親鸞聖人が得度したところといわれ、大玄関近くには親鸞聖人童形像がたっています。境内に建つ植髪堂には、得度の際に剃り落された髪を張り子で造った親鸞聖人童形像の頭上に植えられた像が阿弥陀如来像とともに安置されているそうです。

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    親鸞聖人童形像                     植髪堂

 青蓮院 の美しい名を持つ門跡寺院、門前の巨樹が織りなす四季のけしきと閑雅な庭園、優雅な建物は何度訪れても心が癒されます。そして、今年の秋は、青蓮院から将軍塚青龍殿に祀られている『青不動』まで足をのばしてみようかと・・・思いをめぐらしながら境内をあとにしました。

大覚寺 ~ 風光明媚な地に立つ旧嵯峨御所を彩る大沢池の蓮 ~ 

 盆地であるがゆえに風が弱く、蒸し暑いことで知られる京都の夏。それでも嵯峨の山々に囲まれた北嵯峨あたりは竹林や雑木林を抜ける風が、市街地とは異なる涼を少しだけ感じさせてくれます。

 嵯峨野の地、多くの寺社が立ち並ぶエリアからひとり離れて、その存在感を示すように立つ 大覚寺 その境内にある 大沢池 は『桜の名所』『観月の名所』として知られていますが、真夏には蓮の花が散策する人の目を楽しませてくれます。

  大覚寺15  大覚寺18
                           大沢池に咲く蓮の花

 『旧嵯峨御所大覚寺門跡』が正式名の 大覚寺 は貞観18年(876)嵯峨天皇の離宮嵯峨院を天皇の皇女・正子内親王(淳和天皇の皇后)が寺として、清和天皇から大覚寺の寺号を賜り、淳和天皇の皇子・恒寂法親王を開山に開創し、その後、後嵯峨上皇、亀山法皇、後宇多上皇が入寺して門跡寺院として格を高めたといいます。そして、後宇多天皇が大覚寺を仙洞御所としたことから南朝の大覚寺統がおこり、北朝の持明院統と皇位をめぐって対立し、ここで講和会議が開かれて南北朝統一がなされたといいます。応仁の乱で荒廃した後、信長や秀吉の寺領寄進、さらには家康からの朱印を受けて日本最古の門跡寺院として復興されたといいます。真言宗大覚寺派の大本山である寺院は、心教写経の根本道場および華道御嵯峨流の宗家でもあり、嵯峨天皇の命日には華道祭が行われています。

 旧嵯峨御所と呼ばれる大覚寺には仰々しい山門はなく、時代劇の撮影にも使われることの多い参道を行くと、簡素な門が建っています。

  大覚寺1  大覚寺2

 門を入るとその先に菊の紋章を描いた幕の下がる式台玄関が見えてきます。この式台玄関は江戸時代初期に御所から移されたものといい、先入観からか寺院というより御所のような雰囲気を感じます。玄関を入った後ろ側には正寝殿(客殿)、宸殿、御影堂や五大堂が『村雨の廊下』と呼ばれる柱を雨に、廊下を稲妻に見立てた板敷の渡り廊下で結ばれ、それら諸堂には狩野山楽をはじめとする画家たちの障壁画で飾られています。また、御影堂の奥にある勅封心経殿が建っています。嵯峨天皇が弘仁9年(818)に疫病が流行したとき般若心経を浄書したことにはじまり、弘法大師がこれを供養すると疫病はたちまちおさまったといわれ、以後、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇が行い、この中に奉祀されています。

  大覚寺3  大覚寺4
    式台玄関                         正寝殿

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    御影堂                          五大堂

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    村雨の廊下                       勅封心経殿

 本尊の五大明王が祀られる五大堂は大覚寺の本堂で、嵯峨天皇が天下泰平・五穀豊穣を祈念して建てられたものといい、濡れ縁からは大沢池の風情ある光景が一望できます。

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    五大堂から大沢池                   大沢池対岸より五大堂

 大沢池は嵯峨離宮の池庭として造られた日本最古の庭苑池で、中国の『洞庭湖』を模したことから『庭湖』と呼ばれ、池の中には天神島、菊が島と庭湖石があり、この二島一石の配置が華道嵯峨御流の基本になっているといいます。また、池のほとりにある『名古曾の滝跡』は小倉百人一首で大納言藤原公任が詠んだ
  
     滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなお聞こえけれ

 に登場する滝の名所で、近年復元されています。

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    天神島、菊が島                     名古曾の滝跡
  
 さらに、池の周りには心経宝塔、聖天堂、茶室・望雲亭などが建っています。

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    心経宝塔                         茶室・望雲亭

 花見の頃や船上で催される『観月の夕べ』の中秋の月見、そして11月、ひょろひょろとのばした茎に下から七花、五花、三花と三段の花を咲かせる独特な嵯峨菊の花展の頃は訪れる人も多く、賑わいをみせますが、人影もまばらなこの時期は御所から下賜された建物や日本を代表する画家たちが描いた絵を心ゆくまで観賞でき、その素晴らしさに感動 蓮の花に彩られた周囲1㌔の大沢池をめぐる散策も、木漏れ日に包まれ心地よいひと時をもたらしてくれました。

  

天龍寺 ~ 特別名勝庭園で知られる後醍醐天皇鎮魂の寺 ~

 真夏の水辺に彩りを添える『蓮の花』は涼しげであると同時に神秘的で、古代エジプトやインドでは神聖視され、仏教においては汚水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の知性や慈悲の象徴とされ、死後の極楽浄土に咲く花とされています。夜明けとともに咲き始め、昼には花びらを閉じ、その命は4日ほど・・・神秘的で優雅に咲く蓮の花は真夏の風情には欠かすことのできない花となり、蓮の名所は各地にあります。京都屈指の観光地で知られる嵐山、その寺社めぐりで最初に訪れることの多い 天龍寺 もそのひとつとして知られています。

 臨済宗天龍寺派大本山 天龍寺 は暦応2年(1339)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔い、南北両朝の闘いで死んだ兵士を悼んで、足利尊氏が夢窓国師を請じて創建されています。天龍寺が建つこの地は、嵯峨天皇の后・檀林皇后が開いた檀林寺の旧地で、のちに後嵯峨天皇が仙洞御所亀山殿を営み、後醍醐天皇も幼年期ここで過ごし修学した場所といいます。そのゆかりの地に建築を始めた寺は十分な資金が調達できず、夢窓国師は足利直義(尊氏の弟)と計って中断していた中国・宋との貿易船『天龍寺船』を再開したことは歴史上よく知られています。『天龍寺船』によって得た利益により、康永2年(1343)までには七堂伽藍のほとんどが整えられ、貞和元年(1345)後醍醐天皇の七周期法要とともに開堂大供養が行なわれたといいます。こうして整えられた伽藍群は現在までにで八回もの火災に遭ったといいます。そして、そのたびに再建され、平氏6年(1994)に『古都京都の文化財』のひとつとして世界文化遺産に登録されています。

 総門を入り参道を進むと、勅使門前にある放生池には水面いっぱいに蓮の葉が広がり、葉の間からは茎をのばした蓮が天に向いて花を広げています。甍を連ねる塔頭の間で見せる夏の風景は、極楽浄土の光景を連想させてくれます。

   天龍寺2
     放生池に咲く蓮の花

 放生池を過ぎると楓などの樹木地が続き、その先に法堂が建っています。法堂内には釈迦三尊と夢窓国師、足利尊氏の木像が安置され、天井には日本画家・加山又造筆の「雲龍図」が描かれています。

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    法堂                            庫裡

 法堂の右手から石段をのぼり、堂々たる構の庫裡に入ると正面には達磨大師像の描かれた衝立があり、黒光りする廊下を進むと釈迦如来像が安置されている大方丈、書院、後醍醐天皇聖廟となる多宝殿の堂宇を拝観することができます。建立から670余年の間に8回もの火災にあったという堂宇はそのほとんどが明治期の建物といいます。

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    大方丈                          書院

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    多宝殿                         大方丈より庭園

 大方丈の西面には名庭として名高い池泉回遊式の『天龍寺庭園』が広がっています。

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     夏の曹源池庭園

 仙洞御所時代に苑池といわれる曹源池を中心に背後の亀山や嵐山を借景造られている庭園は夢窓国師の作庭といわれ、曹源池の名は、池中から発見された霊石に、夢窓国師が『曹源一滴』と彫ったことから名付けられたといいます。また、正面にある三段の滝組からなる『龍門の滝』は「鯉が滝の難関を突破すれば龍になれる」という故事によるものといいます。

   天龍寺7
     池の正面にある龍門の滝

 国の史跡・特別名勝第一号に指定された庭園は四季折々に美しい光景で訪れる人の心に深い感動をもたらしてくれます。池を包み込む樹林の緑や赤、黄と彩りをみせ、水をたたえた池に影を落とす石組み・・・嵐山観光のメインスポットでもある庭園は常いつも人波に押されゆっくり鑑賞することもままなりませんが、真夏の今は少しだけ場所を確保して後醍醐天皇鎮魂の庭を心ゆくまで観賞することができました。

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     晩秋の曹源池庭園

 庭に降りて、曹源池庭園の周囲から多宝殿に向かうとその前に庭には見事なシダレ桜の木が2本あり、さらに境内にはシダレ桜や染井吉野が植えられています。多くの桜が繫る天龍寺、その寺の創建の際には、後醍醐天皇の南朝があった吉野から多数の桜が移植されたといわれており、境内を彩る桜花は後醍醐天皇の魂を受け継いだ鎮魂の花に思えてきます。

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 そして境内には桜の他に、さまざまな花木や草花が植えられており、一年中花が季節を語ってくれます。夏の今は、百花苑に咲くサルスベリや桔梗、サラサラと葉を揺らす竹林が・・・そして深々とした樹林の中に設けられている散策路を歩けば、蝉しぐれに包まれた散策路には木漏れ日がさし込み、少しだけ夏の暑さを忘れさせてくれます。

  天龍寺15  天龍寺16

  天龍寺14  天龍寺13

 そして、望京の丘と名付けられた高台からは比叡の峰が澄み渡った空に向かってそびえています。
  
   天龍寺17

 観光客で賑わう天龍寺のつかの間の静けさ・・・真夏の天龍寺はいつもとは異なる優美な風景を見たように思えました。  


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