長弓寺 ~ 親子の悲劇から生まれた古刹 ~

 奈良県生駒市の富雄川沿いにある 長弓寺(ちょうきゅうじ) は聖武天皇がこの地で狩りをしていた時、供の小野真弓長弓が子の長麻呂の放った矢が誤って長弓に当り絶命。その不運を哀れんだ天皇は行基に命じて寺を建立させ、行基は十一面観音を安置し創建したと伝わる古刹。その後、延暦年間に藤原良継によって再興され、中世には隆盛するも応仁の乱の際に山名宗全方の落人により寺宝をことごとく破壊され、さらに天正5年(1577)に織田信長に寺領を没収され多くの建物を焼失、盛時には20院あったとされる塔頭が現在は4院が残っているのみです。

 真弓山橋を渡り、小さな山門をくぐると左手には宝光院地蔵堂が建っています。

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   真弓山橋                           宝生院地蔵堂

 真っすぐに伸びて参道を進めば池があり、その上の小高くなった所に阿弥陀如来を本尊とする薬師院、不動明王を本尊とする円生院、愛染明王を本尊とする法華院が建っています。これらの塔頭は住職のいない本寺の本堂を輪番制で護持しているといいます。

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    薬師院                           円生院

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    法華院                           伊弉諾神社  

 そして薬師院と円生院の間にある石段を上れば長弓寺本堂が建っています。

   長弓寺8

 弘安年(1279)に建立されたという建物は入母屋造りで、檜皮葺の屋根の優美な曲線は今にも天に舞い上がろうと翼を広げる鳥の姿を連想させ、和様を主体に大仏様、唐様が混用された細部も調和がとれてた美しく国宝に指定されています。深い緑の木々を背後にひっそりと佇む本堂に訪れている人はなく、心ゆくまでその優美な姿を堪能 

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 隠れたアジサイの名所で知られる境内には神仏混交の名残りを残す鎮守・伊弉諾神社、まゆみの鐘と呼ばれる梵鐘、石仏、宝蔵などがあります。

 静寂な中に佇む長弓寺は知る人ぞ知る名刹、季節をかえてこの優美な本堂をまた訪ねてみたいと思います。

 
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久米寺 ~ 『今昔物語』で知られる久米仙人建立と伝わる聖徳太子ゆかりの寺 ~

 奈良県橿原市にある 久米寺 は『今昔物語』などで知られる 久米仙人 が建てたとも、また聖徳太子の弟来目皇子が開基したとも伝わる寺院。

 伝説上の人物とされる久米仙人は吉野山の竜門寺に籠り、飛行術などの神通力を習得し、この術を使って空を飛んでいた時、川のほとりで洗濯をしていた若い女性の白い脛に見とれて神通力を失い墜落、そしてその女性を妻にしましたが、術を失えばただの凡人で生活が困窮。すると間もなく高市郡に都が移されることになり、宮殿建造のための人夫として材木を運搬する仕事をしていると、仙人であることを知った役人が大勢の人夫の前で揶揄したため、それに発憤し、7日7夜の修行の後、飛行術を取り戻すことができ、この飛行術をもって巨木を空運させ、スムーズに建造が進んだといいます。そしてこの不思議な出来事を耳にした天皇は褒美として、免田30町を久米仙人に賜り、その地に建立したのが 久米寺 といわれています。その後仙人は一切衆生の中風と下の病を除くために本尊の薬師如来に諸願を立て、中風除けの竹の箸を作り、自らの頭髪と歯を用いて作った自分の像を納めたとされています。一方、来目皇子の説は来目皇子が眼病を患った際、兄の聖徳太子の勧めで薬師如来に祈願したところ、満願の日に天から25菩薩とともに薬師如来が降臨し眼病が癒えたので、皇子はこの薬師如来を本尊に伽藍を建立、皇子の名を取り『来目の精舎』と呼ばれ、この由緒から眼病に霊験があるとして信仰を集めたといわれています。

 橿原神宮駅から西に5分程歩くと久米寺の山門が見えてきます。かつては相当な大伽藍を誇ったとされるように山門を入ると大塔跡に大きな礎石が残されています。

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    山門                            大塔礎石

 蝉しぐれに包まれた境内には幾つもの毘沙門天や地蔵などの石仏が並び、樹木に囲まれた中に多宝塔がそびえています。この多宝塔は江戸時代に京都の仁和寺より移築したもので、もとの多宝塔は養老2年(718)にインドから来朝した善無畏三蔵によって建立され、仏舎利と大日経が納められていたと伝えられているそうです。弘法大師空海はこの寺に詣でてこの多宝塔の『大日経』を知り、密教の妙義を学ぶために入唐して修行、帰国後真言宗を開いたことから久米寺は『真言宗発祥の地』ともいわれています。

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    多宝塔                           修行大師の像

 江戸初期の本堂には本尊薬師如来像や久米仙人坐像が安置されています。

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 境内には阿弥陀堂、観音堂、大師堂、三宝荒神堂などが建ち、桜、雪柳、ツツジ、アジサイの花木なの花木や草花が植えられ広い境内に色を添えています。特にアジサイは有名でアジサイの寺として知られています。

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    久米仙人像                        阿弥陀堂

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    大師堂                           三宝荒神堂

 歴史と伝説に満ちた久米寺、境内の片隅で往時を偲び、また訪れる機会があるならば桜が見頃な頃に訪れたいと・・・



観音寺 ~ 『おふさ観音』の名で親しまれるバラと風鈴の寺 ~  

 奈良県橿原市にある高野山真言宗別格本山 観音寺 は おふさ観音 の名で親しまれ、バラと風鈴のお寺として知られています。境内にはイングリッシュローズをはじめとする1500種ものバラが育てられており、色とりどりのバラが咲く光景は曼荼羅の世界に例えられ『花まんだらの寺』とも呼ばれています。また夏、2000個もの風鈴が飾られる『風鈴まつり』は大和の夏の風物詩になっています。

 縁起によれば、おふさ観音は本堂が建つこの辺りはかつて『鯉ヶ淵』と呼ばれる大きな池で、慶安年(1650)、この池の中から白い亀の背に乗った観音さま現われ、それを発見した土地の娘おふさがこの池に小さなお堂を建立して観音を祀ったことがはじまりといいます。

 山門をくぐると鉢植えのバラに埋め尽くされた境内の頭上には2000個ものさまざまな色や形をした風鈴が飾れれています。蒸し暑い日本の夏に涼しい風情をもたらしてくれる風鈴の音。風鈴を飾る風習は鐘の音が魔を払い、厄を払うという仏教思想から生まれたものといいます。

  おふさ観音1  おふさ観音2

 涼やかな風鈴の音色を聴きながら参道を進むと本堂があります。線香の煙が流れる本堂の軒下にはカラフルな短冊を付けた風鈴が風に揺れさまざまな音色を奏でています。その音色は心地よく、まるで清涼剤のように清々しい気持ちにさせてくれ、厄も払われたように思えます。

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 バラと風鈴に包まれた境内にはバラ園を取り囲むように鐘楼、大師堂、三宝荒神堂、恵比寿天や尊堂などの建物が建っています。

   おふさ観音3

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    三宝荒神堂                        大師堂

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    尊堂                             鐘楼 

 そして、見頃が過ぎたバラ園には風鈴が取り付けられ、さまざまな方向から風鈴の音色を楽しむことができ、まるで風鈴と一体化したような気分になってきます。

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 本堂の裏側には円空庭と名付けられた日本庭園が広がり、『鯉の池』では放たれた鯉がゆったりと水の中で泳ぎ回っています。

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 長寿とぼけ封じの寺としても知られる おふさ観音  『花まんだら』の境内に響く風鈴に迎えられ、風鈴に送られるおふさ観音は涼しさとともに心も癒された素晴らしいものでした。


諏訪大社下社(秋宮・春宮) ~  御神木をご神体と仰ぐ信濃国一之宮 ~

 諏訪大社下社も上社と同じく本殿を持たず、御神木をご神体と仰ぐ、古い神社の形式を残しています。

 大社通りのゆるやかな坂道を進むとその突き当りに 諏訪大社下社秋宮 の鳥居があり、左手に千尋池、右手の小高いところには八幡社と恵比寿社が祀られています。神橋を渡り、鳥居ををくぐると鬱蒼とした森のなかに御神木の『根入りの杉』が天高くそびえ、敬虔な雰囲気が漂っています。

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                                   御神木『根入りの杉』 

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     神楽殿                     

 境内の中央には大きな注連縄をつけた神楽殿が建ち、その前には青銅製では日本最大といわれる狛犬が圧倒的な存在感で参詣者を迎えてくれます。神楽殿の後に重要文化財に指定されている幣拝殿・左右片拝殿、その奥に御宝殿が建ち、四隅には御柱がそびえ、おごそかな雰囲気に包まれています。

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     幣拝殿・左右片拝殿

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 境内にはほかに、皇大神宮社、若宮社、稲荷社、八坂社、加茂社、子安社、鹿島社が祀られ、宝物殿には大同年間に平城天皇から下賜されたとといわれる『売神祝印』と刻まれた銅印や下社関連の資料が展示されています。深い緑に包まれた境内を回り展望台に上がれば、眼下には下諏訪の町並み、その先に光を浴びて煌めく諏訪湖が広がっていました。

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     秋宮からの下諏訪の町並みと諏訪湖の眺望 

 そして、下社春宮 は秋宮から北西に1㌔ほど行ったところに鎮座しています。その春宮の正面参道には下社では最も古いと建造物の下馬橋で、俗に『太鼓橋』と呼ばれ、その特殊な形には目を奪われます。

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    下馬橋

 鳥居をくぐり石畳を進めば神楽殿、その横に『結びの杉』がそびえています。この杉は根元が一つで梢が二又に分かれていることから縁結びの杉と呼ばれ、男女の縁のみならずさまざまなものとの縁結びにご利益があるといわれています。

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    神楽殿                          『結びの杉』

 そして神楽殿の奥に建つ幣拝殿・左右片拝殿、軒にほどこされた獅子、鶏、龍などの見事な装飾彫刻に目を奪われます。

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     幣拝殿・左右片拝殿

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    装飾彫刻                         筒粥殿

 また境内にある筒粥殿は毎年1月14日のよりから15日にかけて行われる下社特殊神事・筒粥神事の神粥炊き上げが行われる建物で、作物の吉凶が占われるといいます。

 この春宮境内から西方に流れる砥川にかかる細い橋を渡ると、巨大な自然石に仏頭をのせた不思議な石仏がたっています。

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    砥川と浮島                        万治の石仏

 『万治の石仏』と呼ばれる石仏は、江戸時代、高島藩主が石の鳥居を寄進する仕事を請け負った石工がこの地にあった大きな石にノミを入れたところ、石から血が流れ出したため、驚いた石工が鳥居を造ることをやめ、阿弥陀如来を刻み建立したといわれています。その名のとおり、『万のことが治る』とよまれ、物事を万事丸く治めてくれて、願いを叶えてくれる石仏として人々の信仰を集めてきたといいます。かの岡本太郎はこのアンバランスな石仏を愛してやまず、何回もここを訪れたといいますが、不思議な姿はどこかユーモラスで心が和みます。

 諏訪大社四社まいり、日本最古の神社のひとつでもある大社は多くの歴史にはぐくまれ、今なお多くの人々に愛されていることを知った貴重なものでした。

 

諏訪大社上社(本宮・前宮) ~ 御山を神体とする信濃国一之宮 ~

 7年に一度の奇祭・御柱祭が行われる 諏訪大社 は信濃国の一之宮で、わが国最古の神社のひとつで、全国に一万余りの分社を数え、その総本社として人々の崇敬を集めています。諏訪大社には上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)があり、諏訪盆地の中心諏訪湖の南北に二社ずつ四か所に鎮座しています。神がたてまつられる本殿を持たず、かわりに上社は御山を神体に、下社春宮は杉の木、下社秋宮はイチイの木をご神木としてたてまつっています。祭神に上社本宮に建御名方神(大国主神の子)、上社前宮に妃神八坂刀売神、下社春宮、秋宮は二神に加えて八重事代主神が祀られています。諏訪湖が寒さで全面氷結すると氷が膨張してせりあがる『御神渡』は上社の男神が下社の女神のもとに通った恋の道といわれています。また、『御柱祭』は寅年と申年に行われる式年祭で、御宝殿の造り替えを行うとともに、御柱を建てる一連の行事であり、起源は平安時代以前に遡るといいます。

 諏訪湖の南側の諏訪市に鎮座し、4つの大社のなかでも最大の規模を誇る『上社本宮』の東参道の鳥居を入ると正面に『布橋』とよばれる屋根付回廊があります。江戸時代につくられたという回廊の入口には見事な彫刻が施されています。

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    東参道                          布橋入口

 布橋の左手には絵馬堂、摂末社遥拝所、大国主社が並び、さらに進むと斎庭に入るための『四脚門(勅使門)』が建っています。東西宝殿の間に建つこの門は徳川家康の寄進により造られたといいます。

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    四脚門と東西宝殿                   塀重門

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      参拝所

 塀重門を過ぎ、参拝所に。参拝所の奥には重要文化財になっている幣殿・拝殿、左右片拝殿がご神体山である守屋山を背後に横並びに建っています。社殿の奥の社叢の中には三之御柱と四之御柱がたてられており、それぞれに遥拝所が設けられています。古来より諏訪大明神として親しまれてきた諏訪大社は農業・産業・航海の守り神として崇められ、五穀豊穣の祈願が行われてきました。境内にある清祓池では毎年春の御頭祭には近隣の農家の人々が種もみを浸してその浮き沈みに依って豊凶を占ったといいます。

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    清祓池                          境内最古の樹木のひとつ大欅と二之御柱                          
 諏訪大社の中でも最も多くの建造物が残っている上社本宮、布橋から一段下がった境内には神楽殿、五間廊、勅使殿、駒形舎(神馬舎)などが建っています。

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    神楽殿                           五間廊 

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    勅使殿                           駒形舎(神馬舎) 

 上社本宮の裏手には上社と縁深い宮寺のひとつ 法華寺 があります。伝教大師最澄が東国布教の際、この地に巡錫し開山されたと伝えられています。その後鎌倉時代に禅宗に改宗、織田信長の甲州征伐の際には本陣とされ、明智光秀はこの寺で信長のよる辱めを受けたことを恨み、本能寺の変で命をおとす原因になったともいわれています。また、赤穂浪士討ち入りに遭遇し、高島藩へお預けの身になった吉良上野介の外孫・吉良義周の墓があります。かつては壮大な伽藍を有していたという法華寺は明治維新の神仏分離令により破壊され、現在は昭和初期に建造された山門、近年に再建された本堂、庫裏が建っています。そして本堂裏の小高いところに若くしてこの地に没した義周の墓がひっそりとたっていて、苔生した墓石に時の流れを感じます。

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    法華寺山門                        吉良義周の墓

 本宮から南東に位置する『前宮』は諏訪大明神第1の鎮座地といわれています。鳥居をくぐると諏訪大社の神職・大祝の居館であった神殿跡や十間廊、内御玉殿などがあります。

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                                   神殿跡

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     内御玉殿                        十間廊

 少し登りになった参道を進むと前宮の社が見えてきます。

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 前宮も本宮と同じく本殿がなく、拝殿もない特殊な形式になっており、社の近くには三と四の御柱がたっています。かつては本宮よりも栄えていたといわれる前宮ですが、それを偲ばせるものはほとんどありません。古木の中にひっそりと佇む前宮、木漏れ日から差し込む光が神々しく身が引き締まりました。

智恩寺 ~ 『知恵の文殊』で知られる古刹 ~

 天橋立の入口にある 智恩寺 は日本三文殊のひとつ『知恵の文殊』と称される臨済宗の寺院。寺伝によれば、平安時代の延喜年間に創建され、室町時代には足利義満や五山の僧、連歌師ら多くの有力者、文化人がこの地を訪れたといいます。

 両側に土産物店や飲食店が並ぶ参道を進むと大きな山門が建っています。江戸時代に上棟されたという二重門の山門は丹後地方では最大のもの、そして門をくぐった左手に建つ多宝塔は室町時代の建立で、丹後地方最古の木造建築といわれています。

  智恩寺1  智恩寺2 
    山門                            多宝塔

 雪舟筆の『天橋立図』にも描かれている文殊堂は智恩寺の本堂で、内陣厨子には獅子に乗った文殊菩薩、その脇に獅子をひく優闐王と経箱をかかげ持つ善財童子が安置されています。

   智恩寺3
     芳珠造りの文殊堂

 宝珠造りの美しい文殊堂が現在の姿になったのは江戸時代初期、宮津藩主・京極高広が行った修理によるもので、内陣を囲む4本の柱は建立されたと伝わる鎌倉時代のままといいます。その文殊堂の外陣の壁には芝居絵・俳額・算額など多くの絵馬が掲げられ、境内の木々にはたくさんの扇形のおみくじが付けられており、人々の文殊堂によせる信仰の深さがうかがえます。

           智恩寺4 扇みくじが揺れる松の古木

 境内にはほかに鐘楼、鐘楼門、方丈、無相堂、吉祥弁才天堂などの建物あります。 

  智恩寺6  智恩寺5
    鐘楼                            鐘楼堂

  智恩寺9  智恩寺10
    方丈                            無相堂

 また、手水鉢として使用されている鎌倉時代の鉄湯船や歌人・和泉式部の供養塔と伝わる石造宝筐院塔、室町時代のものいわれる石造地蔵菩薩などの貴重な文化財が残されています。

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    鉄湯船                          和泉式部ゆかりの伝承を持つ宝筐院塔

 『知恵の文殊』のほか、この地の名から『九世戸の文殊』や『切戸の文殊』とも呼ばれる 智恩寺 古くから人々の信仰を集めてきた寺院は信仰のみならず文化財にも接することができました。千年余の歴史にはぐくまれた古刹は天橋立にはなくてはならない大きな存在であることを改めて知った拝観でした。

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