蓮華寺 ~ 五智如来像が安置される『きゅうり封じ』で知られる寺 ~

 京都の洛西・双ヶ丘の北、御室の地に壮大な伽藍を持つ 仁和寺 は『御室御所』と称されたように優美で重厚な門跡寺院。壮大な仁王門をくぐれば広々とした参道が中門に向かってまっすぐに伸び、新緑の境内は爽やかな風に包まれています。

  蓮華寺1  蓮華寺2
    仁和寺の仁王門                     新緑の中にそびえる五重塔

 この仁和寺の東門を出たところに真言宗御室派 蓮華寺 があります。縁起によれば蓮華寺は天喜5年(1057)藤原康基が広沢池の北西に不動明王像を安置したことがはじまりで、そののち円融、後冷泉天皇の祈願所ならびに仁和寺奥院となり隆盛したが、応仁の乱の兵火にあい、鳴滝音戸山に移るも衰退したといいます。その後、寛永18年(1641)江戸の豪商が荒廃していた蓮華寺に石像五智如来像を安置し堂宇を再興、昭和の初めに現在の地に移され、昭和33年(1958)に山上に残った石仏をこの地に遷座したといいます。

 仁和寺の大駐車場のうしろ、石垣に五筋塀で囲まれて建つ蓮華寺、境内に上がると石仏群が南に向かって二列に並んで参詣者を迎えてくれます。

  蓮華寺3  蓮華寺5
                                    地蔵菩薩像を中心に並ぶ石仏

   蓮華寺4
     大日如来を中心にして鎮座する五智如来像

 五穀豊穣功徳の大日如来を中心に安置された石仏は医薬功徳の薬師如来、福徳財宝功徳の寶生如来、極楽往生の阿弥陀如来、知恵聡明功徳の釈迦如来の5体で、古来より庶民から深く信仰されている仏さま。そして後列には地蔵菩薩像を中心に10体余り安置されています。これらの石仏は蓮華寺を再興した豪商樋口平太夫が依頼して造らせたものといいます。まじかで、こころおきなく拝むことのできる蓮華寺はより一層功徳が得られたようでうれしくなります。

 石仏の並ぶ奥には木の香りの芳しい本堂、その右手には不動堂が建っています。

  蓮華寺6  蓮華寺7
    本堂                            不動堂

 不動堂内には『近畿36不動尊第15番霊場』の石造不動明王が安置されています。

 またこの蓮華寺は土用の丑の日に行われる『きゅうり封じ』で知られています。これは弘法大師空海がきゅうりに疫病を封じて五智不動尊に祈願すると罹病しないと説いたことによるもので、祈祷を受けたきゅうりで患部をなでると病気に効くといわれています。

 それぞれの仏像に手を合わせ蓮華寺から再び仁和寺へ。

 平安貴族も桜会を催したといわれる『御室桜』はピンクの花から瑞々しい青葉に変り、境内の一角で風に揺れています。御室桜の脇を通り、西門から『御室八十八カ所めぐり』に向かいました。四国八十八カ所札所を模したコースは約3㌔、山あり谷ありですが、清々しい初夏の風、鶯の声に疲れも吹き飛び、そして、山頂からの眺めに大満足  

  蓮華寺8  蓮華寺9

   蓮華寺10

 蓮華寺で五智如来の功徳を授かり、御室八十八カ所めぐりで達成感とリフレッシュ  素晴らしい一日に感謝です。

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小浜 みほとけの里を歩く 3 ~ 萬徳寺 名勝庭園を見下ろす本堂に安置された阿弥陀如来像 ~

 若狭国の最高峰・百里ヶ岳を源とする遠敷川、その川沿いの集落には奈良から平安時代創建の天台・真言宗の古刹が多くあります。小浜市金屋にある 萬徳寺 もそのひとつ。寺伝によれば、応安年間(1368~75)安芸国円明寺の僧覚応が、もとこの地にあった極楽寺を再興して『正照院』と改称、江戸初期、言現在の地に移され再興して『萬徳寺』と称したとのこと。萬徳寺は戦国時代若狭国守護大名武田氏の祈願所となり、国中の真言宗の本寺としての地位を与えられ、特に信豊は罪科を犯したものでもこの寺に入れば、俗世との縁が断ち切られ保護されるとする、駆け込み寺としての規定を与えられ、江戸時代になっても小花藩初代藩主京極高次や歴代藩主の祈願寺として崇敬されたといいます。

 道路から見上げる石段をのぼり、山門をくぐった右手に茅葺き屋根の書院が建っています。

  萬徳寺1  萬徳寺2
    山門                            茅葺きの書院

 江戸初期に造られたという書院は藩主の休憩所に供されていたといわれ、上段の間等も設けられています。書院の前には白砂が敷き詰められ、その奥に山裾を築山に利用した埋石式庭園が広がっています。国の名勝庭園に指定されている庭園は、金剛曼荼羅の庭園といわれ、中央に真言密教の本尊大日如来を表した巨石が置かれ、両脇の四個の庭石は阿閃如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来を意味し、斜面に置かれた多数の小石組みは諸仏が座る蓮台といいます。置かれた石の間には刈り込まれたツツジやサツキが植えこまれています。

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     書院庭園
  萬徳寺4  萬徳寺5

 日本紅葉百選にも選ばれている萬徳寺、庭園周辺には大小200本もの山モミジがあり、本堂に向かう苔生した石段にも新緑の美しいモミジが枝を伸ばして木漏れ日の参道をつくっています。
  
  萬徳寺6  萬徳寺7

 本堂には極楽寺の本尊であったという木造阿弥陀如来座像が安置されています。平安時代後期に造られた檜の一木つくりの阿弥陀像は穏やかな両眼、微笑みをたたえているような表情に心が安らいできます。

 高台に建つ本堂、眼下には萱葺の素朴な書院、初夏の陽ざしを受けて眩しい白砂、木の間からもれる光に鮮やかさをましたサツキ・・・自然がつくりだす美しい風景に感動  そして、モミジの紅葉を是非一度見てみたいとと思いながら境内をあとにしました。

   萬徳寺8

 萬徳寺から山裾を国道27号線に向って進むと、国史跡に指定された 若狭国分寺跡・国分尼寺跡 があります。奈良時代に聖武天皇の勅願によりこの地に建立されたという国分寺・国分尼寺は幾度かの災厄により焼失、現在は発掘調査で確認された伽藍配置の跡、江戸時代、小浜藩初代藩主京極高次が再建した釈迦堂があります。

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    南大門跡                         中門跡

 釈迦堂に安置されている木造釈迦如来坐像は兵火を免れた国分寺の本尊で、福井県内では最も大きなものといいます。また薬師堂には国分尼寺の本尊木造薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像が安置されています。薬師如来坐像は鎌倉時代、春日仏師の作と寺伝では伝えられ、その見目麗しい仏像は狭い薬師堂の中でひっそりと祀られています。

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    釈迦堂(金堂跡)                    薬師堂

 仏像を拝観したのち、改めて史跡公園となっている境内に点在する国分寺跡をまわると、文献でしか知りえない天平の昔が偲ばれてきます。

 今回の『みほとけの里』めぐり、古刹で拝観した多くの仏像に心が癒された素晴らしいものでした。
 いつかまた、季節をかえてあの仏像たちに会いにいきたいと思います。

小浜 みほとけの里を歩く 2 ~ 妙楽寺 若狭最古の建造物に安置される千手観音立像 ~

 小浜市野代に位置する 妙楽寺 は養老3年(719)、行基が若狭を巡歴したとき、千手千眼の霊像を刻み、近くの岩屋に祀って開創、延暦16(797)、諸国をまわっていた空海が、本尊と拝して堂舎を建立したと伝わる古刹。

 のどかな田園が広がる里、案内板に沿って進むと、山の麓に向かって参道が伸び、木漏れ日に桜並木の若葉が光り輝き、歩いているだけで気持ちが和らいでいきます。やがて苔むした石垣の先の小橋を渡ると仁王像が安置された山門に・・・

  妙楽寺1  妙楽寺2
    木漏れ日の美しい桜並木の参道          山門

 山門をくぐると、眩しいほどの緑を背にゆるやかな屋根の本堂の美しい姿があります。

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     若狭最古の建造物となる本堂

 鎌倉時代初期に建立されたという本堂は、若狭地方における最古の建造物で、優美で格調の高さを感じさせます。木造千手観音菩薩立像が安置されている堂内の和様天井は、化粧屋根裏、内外陣に菱間と格子戸を入れて区画されています。ヒノキの一木造の千手観音は平安中期の作で、頭上には菩薩が三面あり、すべての面を合わせると二十四面の千手像という珍しいものといいます。千本の手が整然と美しく配置され、黄金色が残る観音像の表情は優しく穏やかで気持ちが安らいできます・・・また堂内には平安時代後期作の木造聖観音菩薩立像なども安置されています

  妙楽寺6  妙楽寺4

 そして境内には木造地蔵菩薩像が安置された地蔵堂、薬師堂、六社明神の建物がひっそりと佇んでいます。

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    地蔵堂                          薬師堂

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    六社明神                         芭蕉句碑

 俗世を離れさせてくれるような静寂な境内で、安置された仏像を心ゆくまで拝観できる 妙楽寺 山門前のせせらぎに見送られ歩く参道に流れる爽やかな風・・・秋の紅葉もさぞや美しい・・・忘れられない拝観でした。

 また、妙楽寺から少し西南に行ったところには 北陸随一の大日如来像を安置する 圓寺寺 があります。創立は不明で、春日明神の神託によって刻まれた大日如来像を奈良の三笠山より若狭堂谷に遷して一宇を建立し、遠松寺と号したことがはじまりといいます。のちに、現在の地に移され 圓照寺 と改め、真言宗より臨済宗に改宗したと伝わっています。大日堂に安置されている大日如来坐像は12世紀初頭の作、ヒノキの寄木造の安定感のある造型で、穏やかな表情に心が和みます。本堂裏にある庭園はモリアオガエルが生息していることで知られています。

  圓照寺1  圓照寺2
    圓照寺本堂                        大日如来座像が安置されている大日堂



小浜 みほとけの里を歩く ~ 羽賀寺 元正天皇がモデルと伝わる十一面観音菩薩像 ~

 福井県南西部、日本海側に位置する若狭小浜は海を通じて人々の交流や物資の交易が盛んで、古くから大陸や朝鮮半島、奥州、そして京の都とのつながりも深かった地として栄えてきました。文化都市であった小浜には現在も数多くの寺社が残されており、歴史ある文化財を見ることができます。『みほとけの里』と呼ばれるこの地には奈良から平安時代に創建された天台、真言宗の古刹が多く、平安時代に作られた仏像が静寂な境内に佇む堂内でひっそりと時を刻んでいます。

 小浜市羽賀にある 羽賀寺 は、霊亀2(716)行基の開創と伝わる若狭地方の古刹のひとつで、安置されている本尊木造十一面観音菩薩立像は若狭の古仏では欠かすことのできない仏像です。

 のどかな田園が広がるこの地は若狭の中世荘園のひとつ国富荘があったところで、羽賀寺はその最奥部の山裾にあります。境内の少し高くなったところに立つ中門の奥には庫裡と開山堂が建っています。

  羽賀寺1  羽賀寺2

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    開山堂

 開山堂から進む参道は木漏れ日に包まれ、心地よい初夏の風が頬をかすめ、ときおり聞こえる鳥の声に気持ちが和らいでいきます・・・

  羽賀寺4  羽賀寺8

 参道の突き当りには茅葺の落ち着いた佇まいの本堂が建っています。この本堂は室町時代に『奥州十三湊日之本将軍』と称する安倍(安藤)康季により再建されたといい、ここにも東北と若狭の海を通じる結びつきの深さがうかがえます。

   羽賀寺5

 そして、本堂に安置されている木造十一面観音菩薩立像がこの寺を勅願所とされた女帝元正天皇の御影と伝えられています。平安時代初期の作と伝わる仏像は146.6センチの等身大といわれ、色彩も極めてよくとどめた姿に感動  見とれてしまう美しさに感銘です。堂内には厨子に安置された本尊のほか、木造千手観音、木造毘沙門天が安置されています。

   羽賀寺6

   羽賀寺7



 羽賀寺は源頼朝が三重搭を建立したと伝えるのを始め、歴代領主・藩主から保護され寺宝も多く残されている名刹、また訪れてみたいと思います。

遍照寺 ~ 風光明媚な地に建立された真言密教の『広沢流』の根本道場 ~

 のどかな田園が広がる嵯峨野の北、遍照寺山を水面に映した 広沢池 は遍照寺池とも呼ばれるこの池は平安中期に建立された 遍照寺 の庭池として造営されたともいわれ、古くから観月の池として数々の歌にも詠まれてきた景勝地。周囲1.3kmほどの池のほとりには桜並木が続き桜の名所としても名高く、また時代劇のロケーション地としても知られています。

   遍照寺8
     風光明媚な地で知られる広沢池

 風光明媚で知られるこの地にはかつて宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正が開いた 遍照寺(へんじょうじ) の堂宇が池を中心に並んでいたといわれています。開山の寛朝僧正は広沢御坊とも称された高僧で、真言密教の秘法を究め、真言宗二大流派のひとつ『広沢流』の根本道場を開き栄えた寺は寛朝僧正没後次第に衰退し、応仁の乱で廃墟と化したといいます。その後、江戸時代寛永年間に広沢池から南に入った今の地に本尊十一面観音立像と赤不動明王坐像を安置する草庵が建てられ、江戸末期に寺となり新たな 遍照寺 として現在に至っているといいます。

 住宅地の中にとけ込むようにひっそりと佇む遍照寺、小さな山門の先には広々とした空の下に枯淡な参道が本堂向かってのびています。

  遍照寺1  遍照寺7
                                   『広沢流』の名が刻まれた石柱

 山門を入れば参道の両側には季節の草花が植えられ、ところどころにある石塔や社を見ながら進むと正面にこじんまりとして本堂が建っています。

  遍照寺2  遍照寺3

   遍照寺4

  遍照寺5  遍照寺6
    本堂                            客殿

 本堂内には創建当時の十一面観音立像、成田山新勝寺の不動尊と一本二体の霊像と伝えられる赤不動明王が祀られ、庫裡を挟んだ客殿には狩野探雪の軸、寛朝僧正御影などが展示されています。

 嵯峨野には『源氏物語』ゆかりといわれる地が多くありますが、この遍照寺は『夕顔』の土台といわれています。紫式部が20歳頃のこと、村上天皇の皇子具平親王と親王家に仕える大顔がお忍びで月見に出かけ、月見を楽しんでいる最中に大顔が突如亡くり、紫式部の父と叔父は残された子供たちのために奔走することになったとのこと。身分違いの恋を描いた『夕顔』の巻の夕顔はその大顔がモデルといわれています。

 数々の歴史や物語の舞台となった嵯峨野、時代は移り変わってもその佇まいや風景で古の情景に思いを馳せることができる・・・嵯峨野の散策は無限の喜びをもたらしてくれました。

  

 清涼寺 ~ 「源氏物語」のモデルとされる源融ゆかりの寺の仏像 ~

 『嵯峨釈迦堂』の名で知られる 清凉寺 は.小倉山の山麓から少し離れた平坦地に伽藍を構えています。清凉寺は『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされる源融の山荘『棲霞観』あったところで、没後、その山荘に阿弥陀堂を建立して『棲霞寺』としたことにはじまるといいます。天慶8年(954)に醍醐天皇の皇子重明親王が堂宇を建立し、等身大の釈迦像を安置、これが釈迦堂の名の由来ともされています。その後、東大寺の僧奝然が宋から持ち帰った釈迦如来像を釈迦堂に祀って華厳宗の寺とし、『清凉寺』としたといいます。この釈迦如来像は釈迦が37歳のときの生き姿を刻んだもので、胎内には結縁手印状、経典、文書などとともに絹製の五臓六腑が納められています。異国情緒あふれるこの仏像は清凉寺式と呼ばれ、以後数多くの模像がつくらています。

 新丸太町通の最西点を北に進むと、正面に重層な仁王門が見えてきます。たびたび火災にみまわれ、応仁の乱で諸堂が焼失した清凉寺は江戸期に徳川家康や綱吉の援助を受けて現在の伽藍がととのっていったといいます。この仁王門も同時期の再興で上層内には十六羅漢が安置されているといいます。

   清凉寺1 

 門をくぐると木々のまばらな境内には明るい光がさしこみ修学旅行生のにぎやかな声が飛び交っています。正面にたつ豪壮な本堂は德川綱吉と生母桂昌院の寄進で、桃山建築の名残りをしめす堂内の中央には生き姿を刻んだという釈迦如来像が安置され、堂内を見守っていいます。また、開祖奝然上人の木像、厄除地蔵が祀られ、清凉寺縁起の一部を拡大した壁画、桂昌院寄進の品々も展示されています。

  清涼寺2  清涼寺7
                                   本堂

 本堂の裏手には放生池、摩尼堂(弁天堂)、納骨堂の建物が建っています。放生池には小島や橋、周囲には花木や木々が植栽されています。その池には屋根を宝形造りにした摩尼堂と目に染みるような青葉の木々やツツジの花が水面に映し出されています。

   清涼寺8
     摩尼堂(弁天堂)と庭園

 本堂の右手には清涼寺のはじまりといわれる『棲霞観』を寺にした阿弥陀堂、さらにその手前には一切経蔵がひっそりと建ち、傳大士像と笑仏が祀られた経蔵に中には一切経を納めた輪蔵が置かれています。

   清涼寺9
      阿弥陀堂                         

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    一切経蔵                         傳大士と笑仏 

 さらに境内には多宝搭、鐘楼や毎年4月に行われる『嵯峨大念仏狂言』が演じられる狂言堂などの建物、開山の奝然上人の墓、源融の墓といわれる宝筐院石塔、秀頼公の首塚などがあります。また、多宝塔の横には24歳のとき広く人々のを救うための仏教を求めて本堂の釈迦如来の前に7日間こもられたという法然上人の大きな立像もたてられています。

  清涼寺4  清涼寺6
    多宝塔                           鐘楼

  清涼寺5  清涼寺3
    奝然上人の墓                      法然上人立像

 そして、境内の奥まったところにある霊宝館には国宝の阿弥陀三尊像をはじめ多くの寺宝が収蔵されており、春と秋に特別公開されています。阿弥陀如来三尊は棲霞観を阿弥陀堂にした際の本尊と伝えられ、光源氏のモデルとされた源融が亡くなる直前に自分の顔に似せてつくらせたともいわれています。引き締まった美しい顔に逞しい造形、そこに漂う神秘的な表情に心が奪われていきそうな・・・この霊宝館ではほかにも多くの仏像や軸、釈迦如来像の胎内納入品などが展示されています。

 のどかな風景と竹林に囲まれた小径、美しい自然の中に佇む古刹、世をはかなんで出家した人々の少庵・・・嵯峨野にはしっとりと落ち着いた情景が漂っていますが、境内が広い清凉寺は開放的で、地元の人々から『嵯峨の釈迦堂』と親しまれているのが納得できるような明るいお寺、今度は和泉式部ゆかりの『軒端の梅』の深紅の花が咲くころの訪れてみようか・・・と思いながら境内をあとにしました。             

厭離庵 ~ 楓樹に包まれた藤原定家ゆかりの寺 ~

 新古今和集、新勅撰集の撰者で知られる藤原定家、 嵯峨野にある 厭離庵(えんりあん) は定家の『小倉山荘』の跡と伝えられ、江戸時代に定家の子孫である公家冷泉家が復興して寺とし、霊元天皇より「欣求浄土、厭離穢土」から庵名を与えられたといい、その後、臨済宗天龍寺派となり、明治末に山岡鉄舟の娘素心尼が住職につき、それ以降尼寺となっているといいます。

 民家の間のある竹藪に挟まれた細い道を進むといつもは閉められている山門が特別公開のためが開けられ、参詣者を迎えてくれています。

  厭離庵1  厭離庵2

 門を入ると正面に萱葺の門が見えてきます。これは門の姿をした腰掛待合で、飛び石を進むと頭上の高い位置に茶室『時雨亭』が建っています。

  厭離庵3  厭離庵5
    中門の姿を取った腰掛待合             茶室『時雨亭』

 定家の山荘・時雨亭の名を付けた茶室は大正時代に建てられたもので、葦の化粧天井に傘を想わせる屋根裏の趣きある佇まいです。

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     茶室『時雨亭』

 待合を左に折れると少し小高くなった所に小さな門があり、この門をくぐると瑞々しい若葉をつけた楓などの木が頭上に広がり、湿り気を帯びた苔を覆っています。ところどころに化石の橋や灯篭、飛び石が置かれている風情ある庭は京の名庭に数えられています。

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     京の名園に数えられる風情ある庭

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    書院                            本堂

 本堂は境内の一番奥、石段をのぼりつめたところに建っています。堂内には本尊である定家の子為家の念持仏の如意輪観音像を真ん中に両側には開山霊源禅師、西行法師、家隆卿、貫之卿の木像と定家卿、為家卿、為相卿の位牌が安置され、それを見守るように愛らしい『飛天』から見下ろしています。

 そして本堂の石段下には定家卿を偲ぶ五輪塔『定家塚』がひっそりと佇んでいます。

  厭離庵9  厭離庵10
    定家塚                           木の葉をかたどった飛び石

 静寂さが漂う境内にさし込む木漏れ日、そよぐ風に葉を揺らす楓や竹・・・寺院のなかとは思えないような風情を漂わせる 厭離庵 いつの日かまたここを訪れる機会にめぐり合えることを願って境内をあとにしました。
 

二尊院 ~ 新緑に包まれた釈迦如来と阿弥陀如来の二体の本尊を祀る寺 ~

 のどかな田園、さわやかな竹林・・・美しく豊かな自然に織りなされた嵯峨野は古くより貴人、文人たちが隠棲した地であり、また政争や愛に破れ、失意を抱いて移り住んだ人々の疲れや傷ついた心を癒やした地でもあります。そして今、心を癒やした嵯峨野の風景は京都を代表する観光スポットとなり、国内外から多くの人が訪れることで知られる地になっています。

 その嵯峨野にはそれぞれに趣を異にした寺社も多くあります。『百人一首』で名高い小倉山の東麓に伽藍を構える 二尊院 は釈迦如来と阿弥陀如来の二体を本尊とした天台宗の名刹。二尊院は承和年間(834~48)、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師円仁が開山したといわれ、寺名は発遣(使者などを送り出すこと)の釈迦如来と来迎(浄土へ招き迎えること)の阿弥陀如来の二体を祀ることにちなんでつけられたといいます。応仁の乱により焼失した諸堂は、広明恵教が三条実隆父子の援助を受けて復興、その後豊臣家や徳川家からの寺領も受け、明治になってふたたび天台宗に戻ったといいます。また二尊院は法然上人とかかわりの深い寺院で『法然上人25霊場大7番札所』になっており、念誦で画像の姿を変えたといわれる法然上人の画像『法然上人足曳きの御影』が残されています。

 多くの人やさまざまな言葉が飛び交う道沿いに門を開く二尊院。白壁の築地にはさまれた総門は江戸時代の豪商角倉了以が伏見城の薬医門を移築したものといいます。その門をくぐるとその先には『紅葉の馬場』と呼ばれる広い参道が筋塀に向かって一直線に伸びています。

  二尊院1  二尊院3
    伏見城の遺構の総門

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    新緑に包まれた『紅葉の馬場』

 鮮やかな緑に包まれ、緋色のツツジが咲き乱れる参道には初夏を思わせる爽やかな風が流れ、ときおり耳にする鶯の声に心が癒やされ、そして洗われたようなすがすがしい気持ちになったきます。『紅葉の馬場』と呼ばれるこの参道、紅葉の美しさは圧巻ですが、新緑の緑は新鮮で生命力を感じさせたくれます。平坦な参道がゆるやかな坂道に変わる頃、木漏れ日の中、枝を伸ばした楓の先に筋塀が見えていきます。その筋塀に挟まれて黒門と勅使門があり、勅使門の正面に小倉山の緑を背に落ち着いた佇まいの本堂が建っています。

  二尊院4  二尊院6
    勅使門                          後奈良天皇の勅額が掲げられた本堂

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     山の緑を背に負う本堂

 京都御所の紫宸殿を模した本堂の入口には、後奈良天皇から賜ったといわれる『二尊院』の勅額の掲げられ、堂内には釈迦如来と阿弥陀如来の二体の本尊が安置されています。本堂前の庭は白砂に苔や樹木が植栽され、ところどころに置かれた季節の花木が彩りを添えています。本堂の裏ある六道地蔵の庭には草花や花木の中に地蔵が置かれ、その愛らしい姿に心が和みます。

  二尊院10  二尊院7
    二尊院普賢像桜                    六道地蔵の庭
 
 本堂の右側には九頭竜弁財天堂や『しあわせの鐘」と名付けられた梵鐘があり、その間の急勾配な石段をのぼると中興の祖湛空上人(法然上人の弟子)の廟が、ひっそりと山内を見下ろすようにたっています。そして湛空上人廟の右斜面には旧摂関家や角倉了以父子、伊藤仁斎父子などの多くの墓が並んでいます。

  二尊院9  二尊院11
    九頭竜弁財天堂                    梵鐘

  二尊院12  二尊院13
    湛空上人廟                       時雨亭跡

 また、左手の山道を進むと藤原定家が『小倉百人一首』を選定したことで知られる山荘・時雨亭の遺構があります。礎石のみが残る平地の淵の立ち眼下を見下ろせば甍が並ぶ町並みが、そして東山連峰、比叡の山が一望できる雄大な眺望が・・・

   二尊院14

 山内の風景を楽しみ、ふたたび『紅葉の馬場』に。そして、木漏れ日に映し出された参道に降りかかる瑞々しい青葉に送られて、境内をあとにしました。

   二尊院14

  
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