播磨路 5 ~ 羅漢寺 北条の五百羅漢 ~

  遠い昔、四角い柱状の石にデフォルメ化された人の顔を彫った石仏を旅の本で目にし、いつかその石仏を見てみたいとおもっていました。その石仏は『北条の五百羅漢』で親しまれる石仏群で、加西市北条にある 羅漢寺 の境内に並んでいます。

 かつては近くにある酒見寺に属していたという羅漢寺は中国自動車道の高架の手前に建っています。境内の入口には慶長15年(1610)の銘が入った石の仁王像があり、中に入ると足下には小さな石仏があちこちに置かれ、さらに花木の間をぬうように進むと本堂が建っています。こじんまりとした本堂は大正時代に、地元の人々により御旅所にあった薬師堂を移築したものといいます。

   羅漢寺1 

 境内には他に庚申堂、大歓喜天などが建っています。 

  カラン寺2  羅漢寺3  
                                    本堂                  

  羅漢寺9  羅漢寺9
    庚申堂                           大歓喜天

 この寺の名を世間に知らしめている『五百羅漢』は境内の一番奥の釈迦三尊を中心に並べられています。切石に胸部から上だけを刻み、極度に簡略化されデフォルメ化された顔は一体一体がなんともいえないあじわいがあり、どれも神秘的な表情をたたえています。いつ、誰が、何のために造ったのかはわからないといわれる石仏。目的や用途はわからなくても、ここに並ぶ石仏は純粋に信仰心を持たせてくれ、自然に心が安らいできます。

   羅漢寺5

   羅漢寺6

  羅漢寺7  羅漢寺8
    釈迦三尊                         来迎二十五菩薩        
   
 謎多き五百羅漢が造りだす不思議な空間を肌で感じた 羅漢寺 長年の願いが叶い、心の中に潜んでいた忘れ物を見つけたような晴れ晴れしい気持ちで、この播磨路をあとにしました。

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播磨路 4 ~ 酒見寺 彩色ある多宝塔と鐘楼の美しい行基創建と伝わる古刹 ~

 播磨平野のほぼ中央に位置する加西市は、『播磨風土記』の『根日女伝説』の玉丘古墳、法道仙人開基と伝わる一乗寺、北条石仏・・・と史跡や名刹などが点在しています。市内の中心北条にある 酒見寺 は天平17年(745)、この地を訪れた行基が酒見明神の神託により創建したことにはじまると伝わり、聖武天皇の勅願寺として歴代天皇の帰依も深く、また徳川家代々のご朱印を頂くとともに姫路城の守護寺として栄えた名刹として知られています。

 市内を走るローカル線の北条鉄道の終点・北条町駅から古い街並みを西に行くと 酒見寺(さがみじ) の楼門が見えてきます。たびたびの兵火で再建、焼失を繰り返し、天正年間にも戦火で焼失、酒見楼門は棟札から文政8年(1825)に再建されたといいます。

  酒見寺1  酒見寺2
    楼門                            多宝塔

 江戸後期の建築技法を伝える楼門をくぐると、本堂に向かって青銅製の灯籠が並び、その右手には朱塗りの多宝塔が目に入ってきます。鮮やかな色彩が施された塔は江戸初期の寛文2年(1662)に建立されたといい、全国で最も美しい多宝塔といわれており、境内にひときわ華やかさを漂わされいます。多宝塔の向かいに建つのが引聲堂と呼ばれる常行堂。ここでは毎年9月10日から一週間にわたり引聲会式が行われ、円仁によって伝えられ、古式を伝えるのはほかにはないといわれています。

  酒見寺3  酒見寺5
    引聲堂                          地蔵堂

 『新西国三十三箇所29番札所』の酒見寺、本堂には十一面観世音菩薩、多聞天、持国天が安置されています。
   酒見寺4
     本堂(金堂)

 本堂の東側にはカラフルな鐘楼が建っていますが、この色彩豊かな鐘楼も多宝塔と同時期に建てられたと考えられているそうです。

  酒見寺6  酒見寺7
    鐘楼                            御影堂

 そして、本堂の西側の小さな池に架かる石橋を渡ると 住吉神社 があります。

  酒見寺8  酒見寺9

 住吉神社は古くは 酒見社 といい、播磨国三宮として知られる1300年の歴史を持つ神社で、社殿は江戸初期に姫路城主・池田輝政により復興されたといいます。

  酒見寺10  酒見寺12

   酒見寺11

 この神社で4月に行われる神事の『節句祭り』は播州路に春を呼ぶ祭として知られ、播磨三大祭のひとつになっています。

 カラフルな多宝塔に鐘楼、由緒ある堂が立ち並ぶお寺、神仏習合の名残りを色濃くとどめる神社は見応えのあるものでした。
 

播磨路 3 ~ 光明寺 東播磨平野を望む五峰山主峰に建つ真言宗の名刹 ~

 兵庫県加東市の北西にあるは五峰山は、宿尾・明星が辻・経の尾・大岩・弥木揚の5つの峰からなり、『播磨高野』とも呼ばれ、その主峰の山頂近くにある 光明寺 は真言宗七十五名刹のひとつに数えられています。この光明寺は推古2年(594)、法道仙人が開基したと伝わる古刹で、『新西国三十三箇所』、『播磨西国三十三箇所』の観音霊場としても信仰をあつめています。また、丹波道や湯の山街道を見下ろせる要害の地に位置するため、たびたび戦場となり、観応2年(1351)2月、足利尊氏・直義兄弟が争った『観応の擾乱』の舞台となったことが『太平記』に記されています。

 播磨中央公園から山道を進むと光明寺の駐車場があり、そこからは眼下に東播磨の平野が一望できるすばらしい眺望が広がっています。境内の入口にたつ石門を入るとすぐに地蔵堂があり、ここから原生林に囲まれた急な坂が突きますが、今年初めて耳にした鶯の鳴き声に、参道わきで見送ってくれる石仏たちに足どりは軽やかに進みます。

  光明寺1  光明寺2
    東播磨の平野                      石門と地蔵堂    

  光明寺3  光明寺4

 ほんの少し芽吹きだした木々の間から射し込む春の陽射しを浴びながらさらにのぼって行くと、多聞院、遍照院、大慈院、花蔵院と塔頭寺院があり、その先の石段の上に元禄時代に山麓から移築したという仁王門が建っています。

  光明寺5  光明寺6
    大慈院の二重搭                     仁王門

 門を入ると右手に文殊堂、鎮守社が並び、常行堂があります。常行堂(阿弥陀堂)は仁明天皇の勅願により慈覚大師が建立と伝わっていますが、常行堂、文殊堂ともに江戸時代の再建といいます。

  光明寺7  光明寺8
    文殊堂                           鎮守社

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     常行堂

 そして、梵鐘堂、本堂(金堂)があり、本堂は幕末に焼失したため、大正時代に再建ですが、鎌倉時代の建築様式を伝えるものといいます。

   光明寺11 
     本堂

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    鐘楼堂                          光明寺合戦本陣跡

 この本堂の裏手には足利尊氏・直義兄弟の争った『観応の擾乱』で『光明寺合戦』の舞台となった本陣跡が残されています。

 杉・ヒノキ・シイなどが常緑広葉樹が植生し、新緑・紅葉の名所として知られ、『ひょうご森林浴丈50選』』のひとつに数えられている 五峰山光明寺 森林浴が楽しめるころにまた訪れてみたいと思います。

 

播磨路 2 ~ 朝光寺 伝説の仙人が開基した無人の寺 ~

 東播磨の中で北東に位置する加東市、何げなく野中や町の片隅に建つ寺社が貴重な建築を残すものであったり、境内が源平をはじめとする合戦の舞台だったりと歴史好きにとってはたまらなく魅力ある土地。

 加東市畑にある 朝光寺(ちょうこうじ) 飛鳥時代の白雉2年(651)法道仙人が開基したという伝承を持つ古刹。法道仙人は天竺(インド)から紫の雲に乗って中国、朝鮮半島を過し、日本にやってきたと伝えられる伝説の人物で、仙人が日本にやってきて最初に見出した霊地が兵庫県加西市にある法華山といわれていて、播磨国一帯の山岳には法道仙人開基とされる寺院が数多くあります。この朝光寺もそのひとつで、当初は裏山の権現山に建立され、現在の地には文治5年(1189)に移ったといい、江戸時代の記録によれば学侶3カ院・坊21・末寺5カ寺あったといいます。

 東条湖からのどかな田園地帯を西に車を走らせていくと朝光寺の駐車場らしき空き地があり、そこから小川のせせらぎをたよりに川沿いの道を歩いていくと小さな滝が見えてきます。辺りにツクバネの木が多く自生していることから『つくばねの滝』と呼ばれているそうです。山間の風景に相まって、その清冽さは参拝する人の心を洗ってくれるようです。

  朝光寺1  朝光寺2
                                   鹿野川にかかるつくばねの滝

 滝で心を洗い流し、境内につながる石段を見上げれば、古木が覆う石段はあまり人が足を踏みれないためか苔生し、忘れられたように木の実が・・・のぼりつめた石段の上には二体の仁王像が安置された仁王門が建っています。

  朝光寺3  朝光寺4

 山門を入った境内は人影らしきものはなく、ひっそりと静まり返った中に本堂、鐘楼、多宝塔などの建物だけがひっそりと佇んでいます。どっしりとした力強さが感じられる床下の柱の上に造られた本堂は典型的な和様・唐様の折衷様建築で室町時代初期を代表する建築で国宝で、格子戸と菱格子欄間によって内陣と外陣に区切られています。うす暗い内陣には須弥壇が置かれ、宮殿が安置されています。

   朝光寺5

  朝光寺6  朝光寺11
  
 その本堂を見下ろすように建つ多宝塔は文治年間(1185~90)の建立と伝えられ、慶長6年(1601)に池田輝政によって再建されたといいます。また、鐘楼は永正年間(1504~21)に赤松氏の再建とと伝わり、優美な屋根の曲線など鎌倉時代末期の特徴が残り、箱棟をのせた寄棟造・袴腰の形態は珍しく、貴重な遺構とのこと。

  朝光寺7  朝光寺8

 そして境内のあちこちには無人の寺院を護るかのように幾体もの石仏が置かれています。苔にその姿を覆われたもの、長い歳月に風化されたものなど・・・石仏を見ていると、そのひとつひとつが語りかけてくるような・・・そんな気持ちがしてきます。

  朝光寺9  朝光寺10

 置き忘れられたような閑静な佇まい、ひとり占めして堪能できる貴重な建物、そこにある歴史と文化の重み、 朝光寺 は忘れられないお寺のひとつになりました。

播磨路 1 ~ 浄土寺 お堂の中で見る西方浄土 ~

 北は日本海、南は瀬戸内海のふたつの海に面し、近畿地方のなかで一番広い面積を持つ兵庫県。その南西部、おだやかな丘陵が広がる播磨路(播州路とも呼ばれる)は遠い飛鳥時代から仏教に縁が深かったといわれ、今も歴史や文化の残る古刹や神社が点在しています。

 小野市にある 浄土寺 も鎌倉時代の建物や仏像、石造物など数多くの貴重な文化財が残されている古刹として知られています。浄土寺は、鎌倉時代の建久年間に源平合戦の兵火により焼失した東大寺を再興するための大勧進となった俊乗坊重源上人によって創建されています。東大寺再興の大勧進となった重源はその拠点として、日本の7か所に東大寺の別当を造りますが、そのひとつがこの『播磨別当』と呼ばれた浄土寺といいます。

 のどかな田園地帯、ため池が並ぶ先の小高い丘の上に建つ浄土寺、石段を上ると広い境内に池を中心に建物が取り囲んでいます。入口に建つ鐘楼堂は江戸時代初期に建てられた袴腰付鐘楼で、和様と唐様が調和する優美な造りは当時の様式が残る貴重なものといいます。

  浄土寺9  浄土寺1
                                   鐘楼堂

 その境内の西に建っている朱塗りの建物が国宝の浄土堂(阿弥陀堂)です。浄土堂は鎌倉時代初期の建立で、大仏様(天竺様)という技法を唯一伝える貴重なお堂で、勾配が直線的に下がっているため外観からはあまり大きく感じませんが、室内に入るとその大きさに驚かされます。天井を張らない化粧屋根裏、太いタルキが放射状に走らせているのが特徴といいます。そして、中央の須弥壇には鎌倉初期の名仏師快慶作の阿弥陀三尊が安置されています。5メートルをも越す阿弥陀如来、脇侍の観音・勢至菩薩、金色に輝く三尊の姿は圧巻です。雲形の台座に立たれる三尊、背面となる西側の壁部が蔀戸になっていることから、夕方、西陽が射し込むと光が足元の台座の部分をかすませ、阿弥陀様が雲に乗って西方浄土から迎えに来るという『御来迎』の姿が表現されるといいます。生憎その美しい光景を目にすることはできませんでしたが、思い描くだけで感動に胸が躍ります。

   浄土寺2
     阿弥陀三尊が安置されている浄土堂

 そして池を挟んで東側には重要文化財の薬師堂(本堂)、開祖重源上人の座像が安置するための開山堂が建っていますが、ともに室町時代の再建ですが、当時の形を今に伝えているといいます。

   浄土寺3
     薬師堂

  浄土寺4  浄土寺5
    開山堂                          不動堂

 池の南側にある神社は創建時に祀られた浄土寺の鎮守社・八幡神社で、本殿、拝殿ともに国の重要文化財になっています。

  浄土寺7  浄土寺6
    八幡神社本殿                     八幡神社拝殿

 またこの浄土寺、本堂の裏の散策路で四国八十八カ所めぐりも楽しむことができます。

 浄土寺8  浄土寺10
    四国八十八カ所霊場めぐり            板碑

 一度は訪れたいと思いながらなかなか訪れることのできなかった 浄土寺 貴重な文化財を見ることはできましたが、『御来迎』を見ることは叶いませんでした。いつかまた、黄金の夕陽を背にした如来さまが拝めることを願いつつ境内をあとにしました。

 

北向山不動院 ~ 王城鎮護のために北向きに安置された不動明王 ~

 近衛天皇安楽寿院陵の小さな森から少し西に行くと、南側の道路に面して鮮やかな朱塗りの山門が目にとまります。その先には参道がのび、入口には『北向不動尊』と書かれた大きな石柱がたち、門には『北向山』の扁額が掲げられています。『北向のお不動さん』で親しまれている 北向山不動院 は、大治5年(1130)、興教大師が鳥羽天皇の病気平癒を祈願した際に不動明王が出現、回復した鳥羽天皇の勅願により鳥羽離宮内に興教大師を開山に創建され、大師自らが刻んだ不動明王を王城鎮護のため、北向に安置したことから 北向山不動院 の名を賜ったといいます。

  北向山不動院1  北向山不動院2

 山門脇には江戸時代に造られたという梵鐘がかけられています。北に向かってのびる参道を進むと本堂や護摩堂、開山堂、薬師堂などの建物があります。北向山不動院は応仁の乱など、しばしば兵火を被ったといいますが、本尊不動明王は無事で、称徳2年(1712)に東山天皇の旧殿を移したという本堂に安置されています。

   北向山不動院4
     本堂

  北向山不動院5  北向山不動院6
    護摩堂                          薬師堂

  北向山不動院10  北向山不動院8
    地蔵堂                          山王大権現・稲荷大社

 また、この境内には不動滝、大護摩厳修道場もあります。

  北向山不動院7  北向山不動院9
    不動滝                          毘沙門天

   北向山不動院3
     十二支守り本尊(普賢菩薩・文殊菩薩・虚空菩薩・千手観音)
 柔らかな早春の光を受けながら境内に安置されている十二支守り本尊を見て歩いていると、境内を訪れる幾人かの近隣と思われる年配の人や子供を連れた人に出会い、みんなが大切にしている『北向のお不動さん』に心温まる思いを感じながら境内をあとにしました。

   
  

安楽寿院 ~ 鳥羽上皇が愛した鳥羽離宮に建つ寺 ~

 鳥羽離宮 は12世紀から14世紀頃まで代々上皇の院御所として使われていたところで、平安時代後期、白河天皇が退位後の御所として造営をはじめ、鳥羽上皇の時代に完成し、その広大な敷地には南殿・北殿・泉殿・馬場殿・田中殿などの御所にはそれぞれ御堂があり、池を持つ庭園が築かれていたといいます。、しかし、鳥羽上皇崩御後は、平清盛による後白河上皇の押し込めや、南北朝の内乱期の戦火により多くの殿舎が焼失し壊滅したといいます。

 安楽寿院 はその鳥羽離宮の東殿の地に建てられたお寺。鳥羽上皇が保延3年(1137)、国家安泰と自らの後世安楽を願い、阿弥陀三尊を本尊として開基され、保元元年(1156)、上皇は願い通りこの安楽寿院で亡くなると、自ら陵所と定められて建立した三重塔(本御搭)の下に葬られたといいます。

 地下鉄竹田駅の西口から南に歩くと住宅が立ち並ぶ中に、搭の相輪が見えてきます。その塔は安楽寿院の寺域に建てられている近衛天皇安楽寿院南陵で、その右手には安楽寿院の建物が建っています。御陵の御新搭は鳥羽上皇の皇后美福門院のために造られたものであったが、美福門院は高野山に葬られたため、二方の子で17才で夭逝した近衛天皇の遺骨が葬られたといいます。現在の搭は豊臣秀頼により復興されたもので、三宝荒神社はこの御新搭復興に際して勧請されたといいます。また、大師堂は慶長元年の地震で倒れた御新搭の遺材で建てられ、本尊が安置されていた阿弥陀堂は薬師堂として昭和に再建されています。

  安楽寿院4  安楽寿院2
    近衛天皇安楽寿院南陵                安楽寿院

  安楽寿院5  安楽寿院6
    大師堂                          薬師堂

  安楽寿院8  安楽寿院9
    梵鐘                            三宝荒神社

 現在の安楽寿院は慶長年間に塔頭寺院のひとつ前松院を安楽寿院として再興したもので、築地塀に囲まれた内には庫裏および書院があります。

  安楽寿院1  安楽寿院11
                                   書院庭園

 そして本尊鳥羽上皇念持の阿弥陀如来像は現在、収蔵庫に安置されていて、美しく整った肢体と穏やかな相好の王朝美あふれる姿をときおり扉が開かれる特別公開で拝見することができます。

  安楽寿院7  安楽寿院10
                                   釈迦三尊・薬師三尊石仏           

 この離宮跡には平安時代末期の作と伝わる三尊石仏や石造五輪塔などがのこり、また鳥羽天皇安楽寿院陵、白河天皇成菩提院陵があり、かつての広大な鳥羽離宮を偲ぶことができます。

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    鳥羽天皇安楽寿院陵                 白河天皇成菩提院陵 

城南宮 ~ 方除の大社で愛でるしだれ梅と椿  ~

 早春に清楚な花を咲かせ、甘い香りを漂わせる梅の花、その清らかな姿は万葉の貴族たちの心をとらえ、古くから『四君子』のひとつにあげられていました。日本人の美意識にかなった梅の花はその後も愛され続け、今も各地に梅の名所として知られるところは数多くあります。『方除の大社』として信仰されている 城南宮 もそのひとつ。京都市伏見区に位置する 城南宮 、由緒によれば、平安遷都の際に国の安泰と都の守護を願って創建されたとも、この地にあった城南寺の鎮守社としたのが始まりともいわれています。平安後期、退位した白河上皇がこの地に鳥羽離宮を築くと、城南寺の祭礼『城南寺明神御霊会』が盛大に行われ、また上皇は、熊野詣の精進屋をこの地に設けて道中の安全を祈願し、貴族は悪い方角を避けるために『方違い』の宿所を定め、方除の信仰が高まったといいます。城南宮の祭神は国常立尊、八千矛神(大国主命)、息長帯比売命(神功皇后)の三神で、神紋は神功皇后の旗印にちなむ日・月・星の三光を象っためずらしいものとのこと。

 社域の西側に国道一号線、北側に高速道路のインターの出入り口と京都でもきわめて交通量の多い場所にある城南宮、しかし、築地塀のように樹木が囲む境内は驚くほどの静けさが広がっています。城南宮道にある東鳥居を入ると、真幡寸神社、唐渡天満宮が建ち、さらに進むと社殿へ導く城南鳥居が建っています。鳥居の入口にある手水舎には『伏見八名水』のひとつ『菊水若水』が湧き出ていて、この水を飲むとあらゆる病が治るといわれています。また、東大寺のお水取りの香水は若狭の遠敷川からこの菊水若水の下を通って、二月堂の若狭井に達すると伝えられています。

  城南宮1  城南宮2
    東鳥居                           唐渡天満宮 

  城南宮4  城南宮3
    城南鳥居                         菊水若水

 鳥居の先には拝殿、本殿が真っすぐに並び、拝殿の左右にはならび殿、神楽殿が建っています。これらの社殿は平安時代の建築様式で昭和53年(1978)に造営されています。

  城南宮5  城南宮6
    拝殿                            本殿(現在は工事中)

 城南宮といえば京都の春秋の歳時記にかならずといっていいほど取り上げられる平安貴族の風流な遊びを再現した『曲水の宴』と四季の花木を植栽した神苑『楽水苑』が有名です。春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭の五つの趣の異なる庭は『源氏物語』に登場する植物などを百種以上も植栽されていることから『源氏物語 花の庭』とも呼ばれ、その神苑の春しだれ梅と椿から始まります。150本ものしだれ梅が植えられた春の山、築山を彩る光景に訪れた人々からは感嘆の声が・・・その声につられるようにあちこちでシャッターを切る音が響きます。陽光を浴びた苑内は鮮やかなピンクと吹雪のような白い梅の花に包まれとこまでも花、花、花・・・そして地面を覆う淡い緑の苔の上には数輪の散り椿が、まるで一枚の絵を見るような風景をつくりだしています。

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     春の山

  城南宮7  城南宮10

   城南宮8

 春の山から山里のような風景をみせてくれる苑路を進めば、その先には平安貴族の邸宅に倣ってつくられたという池や苔で覆われた平安の庭がつづきます。その風景はなんとも優雅で、この庭を流れる鑓水を前に開催される『曲水の宴』の雅な映像が思い出されます。

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    平安の庭                         曲水の宴の鑓水

 そして神苑は東鳥居と西鳥居を結ぶ参道を挟んだ南側にも広がっています。池を中心に室町時代の庭園様式で築かれ、椿や見事な枝ぶりの松が植えられた室町の庭、ツツジなどの刈込で山並みを表し、芝生を海に石を島に見立てた雄大な桃山の庭、茶室楽水軒でお茶を頂きながら眺めるこの風景は格別なものに思えてきます。

  城南宮13  城南宮14
     室町の庭                        桃山の庭

 桃山の庭の裏手には玉砂利を池に、点在する石組みを御殿に表した城南離宮の庭があります。白い玉砂利が眩しい庭は離宮の風景を枯山水で表しているといいます。

       城南宮15 城南離宮の庭

 京都の花の名所として知られる城南宮の神苑、桜、山吹、藤、ツツジ、紅葉・・・と、四季折々の花木や可憐な草花に彩られる苑内はいつ訪れても花好きにはたまらない魅力をもたらしてくれます。国の安泰、武勇に秀でた神、そして安産と子育てを守護する神の祀られた 城南宮 はそのご利益を願うとともに美しい花々で心が洗われる神社です。

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