湖国 早春の風景 ~ 琵琶湖南部の風物詩 ~

 周囲を山脈と山地に囲まれ、中央部に日本最大の湖・琵琶湖と盆地が広がり、『近江』が『近つ淡海』に由来し、『湖国』と呼ばれる滋賀県。日本海側気候の北部の地域はまだ雪に包まれる早春、太平洋側気候と瀬戸内海式気候を併せ持つ南部の地域には春の気配が漂い始めます。

 滋賀県の面積の1/6の大きさを占める琵琶湖、冬になると飛来してくるユリカモメたち、早春の湖岸はオシドリ、カモの水鳥で賑わいをみせてくれます。

  早春1  早春2
    
 霊峰比叡山や頂きに雪の残る比良の峰々をバックに草津市志那沖では翼を広げて湖面を飛び回ったり、餌を探し求めて歩くユリカモメの姿、枯草の上でうずくまるユリカモメやオシドリなどの水鳥たち・・・冬から早春にかけての湖岸の風物詩、いつまでも見飽きない光景が広がっています。

 そしてこの季節の絶景スポットが守山市のある第一なぎさ公園の菜の花です。

   早春3

 菜の花と峰に残る雪のコントラストはまさにこの季節のならの風景。陽光の柔らかな陽ざしを浴びた菜の花はあたり一面に芳しい香りを漂わせ、訪れた人に感動を与えてくれます。カメラを手に絶景スポットを探す人や、キャンパスを広げて絵筆を走らせる人、犬を散歩させる人・・・思い思いに菜の花畑の散策を楽しむ姿があります。

  早春4  早春5

 菜の花畑を抜け湖岸の堤防に上がれば、目の前には雄大な琵琶湖が早春の柔らかな光を受けて広がり、その水面を滑るように進む観光船が一枚の絵のような光景をみせてくれます。 

 大自然に育まれた湖国・滋賀は、歴史ある神社仏閣、「近江を制するものは天下を制する」と評された街道や地域を訪ねて歴史や史跡に触れ、四季折々の風景や花を楽しむことができます。私にとっての早春の風景は雪を頂いた山並と菜の花、そして明るく輝き始める琵琶湖、今年もこの風景に出会えたことに感謝です。

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吉祥院天満宮 ~ 菅原道真公生誕の地に建つ最初の天満宮 ~

 菅原道真公を祭神とする天満宮、京都では北野天満宮が日本三大天神(天満宮)のひとつとして知られていますが、京都市南区にある 吉祥院天満宮 は天満宮の中で最初に創建された天満宮です。この地は道真公の曽祖父・古人卿、祖父・清公卿が桓武天皇のお供として都に入った時に、領地として賜ったところで、道真公は承和12年(845)にこの地で誕生したといわれています。幼少の頃より才智に秀で、18才で文章生に合格するまでここに住み、そして政略により左遷される悲運をたどり、冤罪を晴らすことのできなかった道真公、亡くなってから31年目に当る承平4年(934)に朱雀天皇の勅命によりこの誕生の地に神として祀られ、天満宮が創建されたといいます。

 西国街道沿いに位置する吉祥院天満宮、参道を進むと弁財天社があり、社の横には道真公が役所に参勤するときに姿を映したという『鏡の井』があります。

  吉祥院天満宮1  吉祥院天満宮4
                                   弁財天社

 そして道を挟んだ鳥居の横には『菅公御誕生之地』の碑がたち、その手前には復元された『産湯の井』があります。

  吉祥院天満宮2  吉祥院天満宮3
                                   誕生之碑と産湯の井

 賑やかな子供たちの声とほのかな梅の花の香りの漂う参道を進めば吉祥院(吉祥天女社)があります。

  吉祥院天満宮5  吉祥院天満宮6
                                   吉祥院

 吉祥院は道真公の祖父・清公卿が遣唐使として唐へ向かう途中、暴風に遭遇、船が転覆しかけたとき、同船の僧最澄と共に吉祥天女に平安を祈ったところ、波風が静まり無事に使節の役割を果たせたことから、帰朝後吉祥天女を刻み、この庭の一堂を建立して安置し、伝教大師最澄にはかって開眼供養を行い、『吉祥院』と号したことがはじまりといい、福徳招来、大願成就にご利益があるといわれています。

 そして天を覆うように枝を伸ばした楠の先に社殿が建っています。

   吉祥院天満宮7
     拝殿

 『学問の神様』とされる天満宮、御神徳は受験合格、学業成就・・・季節柄、境内にはたくさんのおみくじが結び付けられていました。

 また、境内には琴比羅社、吉野社などを祀る小宮社、へその緒を埋めたと伝わる『胞衣塚』、幼少時代習字に用いたという『硯之水』などがあります。

  吉祥院天満宮9  吉祥院天満宮10
    小宮社                           胞衣塚

        吉祥院天満宮8 硯之水

 境内に保育園や公園があるためか、白馬と人気キャラクターのキティちゃんのコラボ、拝殿前の人形にちょっとびっくりしましたが、古い歴史を持つ神社であることを知った参拝でした。

2017 京の冬の旅 4 ~島原 角屋 新選組も通った旧花街の揚屋 ~

 『花街』の呼称はもともとは中国が発祥で、遊芸を楽しむ遊里を『花街柳巷』と呼んだことが由来といいます。京都市下京区に位置する 島原 はわが国最初の官許の廓として知られている『花街』です。島原の地名は、移転する際の騒動がの様子が移転の数年前に勃発した『島原の乱』の戦乱の様子になぞらえてついたといわれています。

 往時の名残をとどめる大門を入ると、右手には多くの太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋・輪違屋があります。幕末、山南敬助と明里、平間重助と糸里など新選組隊士も輪違屋の芸妓とよく遊んだといわれ、現在もお茶屋として太夫をかかえる老舗の輪違屋、内部は非公開ですが、近藤勇の書の屏風なども残されているそうです。

   島原1
     大門

   島原2
     輪違屋

 『京の冬の旅』で特別公開されている唯一現存する揚屋建築の遺構である 角屋 は輪違屋から少し歩いたところにあります。揚屋とは太夫や芸妓を呼んで遊宴を行ったところで、大座敷に面した広庭には必ず茶席を配し、大きな台所が備えられているのが特徴といいます。

   島原3

   島原4

 角屋の紋が染め抜かれた暖簾をくぐると、松の間、網代の間などそれぞれに異なる洗練された意匠で造られた座敷、その座敷から望む見事な枝ぶりの松を中心とした庭園、鮮やかな襖絵・・・そして贅沢な調度品の数々は、江戸期に太夫や文人らによる和歌や俳諧などの文芸活動も盛んに開催された文化サロンであったことを彷彿させてくれます。また、幕末には久坂玄瑞、西郷隆盛などが密議を行ったり、新選組隊士も足しげく通ったことなどでも知られ、部屋の柱には隊士がつけたと伝わる刀傷なども残されています。ダンダラ染めの羽織を着た隊士がこの辺りを歩いている姿を思い描きながら通りを見わたせば、今にも彼らの姿が現われてきそうな気配が・・・

  島原5  島原6

 『壬生の狼』と恐れられた新選組、彼らのひと時のやすらぐ場所となった島原、時代を経て角屋は『角屋もてなしの文化美術館』として一般に公開されています。

 幕末のゆかりある寺院を訪ねた『京の冬の旅』、歴史的出来事の舞台となった建物や文化財を目にすることができた有意義なものでした。

  

2017 京の冬の旅 3 ~ 建仁寺塔頭 久昌院 「遠州別好ノ席」と武勲を描いた襖絵 ~

 お茶屋が立ち並ぶ花見小路の先に壮大な伽藍を構える 建仁寺 には塔頭寺院が14寺あります。しかしそのほとんどは観光的な拝観がなされていませんが、今年の『京の冬の旅』では 久昌院 が特別公開されています。

 久昌院 は慶長13年(1608)に美濃加納城主であった奥平信昌が三江紹益を開山として招き、奥平家の菩提寺として創建した寺で、寺名の久昌院は信昌の法号から名付けられたといいます。奥平信昌は織田信長と徳川家康が武田勝頼を破った長篠の戦いにおいて、長篠城に約一ヶ月間たてこもり、城を死守して武田勢を撃退して勇将として知られ、その功績により信長から信の一字を、さらに家康の娘の亀姫を妻として迎え、関ヶ原の戦いにも参戦し、後に初代の京都所司代に任命されたといいます。

 八坂通に面してたつ建仁寺の勅使門の奥の境内には、放生池越しに三門、その先に堂々たる構えの法堂、本坊と一直線上に堂宇が建ち、その間の植え込みには創建した栄西が宋から茶種を持帰ったことの由来からか、お茶の木を植えられています。

  久昌院1  久昌院2 
    勅使門                           三門 

  久昌院3  久昌院4
    法堂                            お茶の花

 法堂の西側に位置する久昌院の山門を入ると、敷石の先に庫裏が建ち、その左手に本堂があります。

  久昌院5  久昌院6
    山門                            庫裡

   久昌院7

 この本堂には信昌の武勲を称えた『長篠合戦図』が障壁画として残されていますが、これを描いた宇喜多一惠は『安政の大獄』に連座した尊攘派の志士として知られているいます。

 心字池を中心にした本堂前庭は池泉観賞式の庭園で、二段に刈り込まれた生け垣の奥には建仁寺の堂宇が望まれ、木立の間からは東山を望むことができます。陽ざしが射し込む縁側に座り眺める庭園には、柔らかな光が早春の気配を漂わせ、心も暖かくなってくるような・・・そんな思いになってきます

   久昌院8
     本堂前庭
   
 本堂、方丈と渡り廊下で結ばれた書院には『遠州別好ノ席』と呼ばれる茶室が残されています。珍しい舟底型の天井、間取り、にじり口に至るまでの塀との間に屋根を設けた通路など変化に富んだ席となっています。また、庭園の南にある霊屋には信昌と亀姫の五輪石塔が安置されているそうです。

 そしていつの日かまた、公開されるときも今日のように心地よいひと時が過ごせることを願いつつお寺を後にしました。

2017 京の冬の旅 2 ~ 妙法院 天台三門跡は『七卿落ち』ゆかりの地 ~

 梶井門跡(三千院)、青蓮院門跡とともに天台三門跡のひとつに数えられる 妙法院門跡 はもとは比叡山にあり、天台座主となった快修が住した本覚院にはじまり、その後、後白河上皇が新熊野神社を勧請する時に本覚院の昌雲が別当となって法住寺の付近に開創したといいます。そしてあまり知られてはいませんが、この妙法院は千一体の千手観音で知られる蓮華王院(三十三間堂)の本坊でもあります。

 京都国立博物館の東、東大路通に面して総門を開く 妙心院 は堅固な石垣と高い築地塀に囲まれ、寺格の高さを漂わせています。

  妙法院1  妙法院2
    総門                            庫裡

 恐る恐る門を入ると豪壮な庫裏が建っています。桃山時代の造営という庫裏は大棟上に煙出し、左側屋根上にも小棟を出して煙出しを設けるなど変化に富んが外観を持ち、国宝に指定されています。その庫裡の南にある大玄関と大書院は後水尾天皇の中宮東福門院(徳川秀忠の娘・和子)の御殿を移築したといわれています。

  妙法院3  妙法院4
                                   大玄関

 今回の特別公開では庫裏、大書院、内仏殿、宸殿、『七卿落図』が公開されています。

 秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養を行った時の造られたという『庫裏』は国内最大級のもので、その巨大さにも驚きますが、自然木を用いた梁や貫の力強さは圧巻です。また、近世の庫裏は居住機能を持っているのに対し、この庫裏は本来の台所のみに限定されていることが特徴といいます。

 東福門院の御殿を移築したいう『大書院』は帳台構を備えた書院造りで、内部は狩野派が描いた豪華絢爛の障壁画で飾られています。眩いばかりの障壁画に彩られた大書院の南側には、伏見城の遺構と伝わる池泉回遊式の庭園が広がっています。庭園に造られている瓢箪型の池には楠の化石といわれる橋が架かっていますが、案内がなければ石と見紛がってしまいそうです。大書院と渡り廊下で結ばれた『内仏殿』には平安初期の不動明王、後白河法皇の念持仏と伝わる千手観音、歴代門主の位牌などが安置されています。

 その先にある歴代天皇や皇后・中宮の位牌を安置する『宸殿』は院内で最も重要なお堂。文久3年(1863)の『八月十八日の政変』で公武合体派に敗れて失脚した三条実美をはじめとする7人の公家が長州へ落ちのびていった『七卿落ち』の舞台となったところです。堂内にはその様子を描いた『七卿落図』が特別に公開されています。文献では知っているこの史実、初めてその様子を目にして感慨深いものがありました。

   妙法院5
      宸殿

 そして、宸殿の前庭には『七卿落ち』の記念碑がたてられ、一番奥には妙法院の本尊・普賢菩薩が安置されている普賢堂が建っています。

  妙法院7  妙法院6
    七卿碑                           普賢堂

 また、宝物庫の龍華蔵には仏像、什器、書画など秀吉ゆかりの品や寺宝が展示されていています。

 天台宗の門跡寺院で、幕末まで代々、法親王が住持を務めた格式高い寺 妙法院 その閉ざされた建物に入り寺宝を目にすることは特別公開の時だけですが、庭の一角にはよだれかけの可愛い石仏が並び、白梅や紅梅がほのかな香りを漂わせて少し早い春を感じさせてくれました。

   妙法院10 

  妙法院9  妙法院8

  

2017 京の冬の旅 1 ~ 知恩院 浄土宗総本山は幕末の薩摩藩・島津久光の宿所 ~

 毎年この季節に開催される非公開文化財特別公開 京の冬の旅 、今年は『大政奉還150年記念』をテーマに開催されています。260年余続いた徳川幕府の終焉は武家による政治の終わりでもありました。慶応3年(1867)10月、二条城二の丸御殿の大広間で諸藩の代表を集めて政権を朝廷へ返上する決意を表明してから150年、幕末の動乱の出来事の中心となった京都には多くの史跡が残されています。その幕末ゆかりの寺院を中心に特別公開されている 京の冬の旅 いくつか訪ねてきました。

 浄土宗の開祖・法然上人が草庵を結んだことにはじまる浄土宗総本山 知恩院 の正式名称は『華頂山知恩教院大谷寺』 といいます。東山三十六峰のひとつ華頂山を背後に、現存する木造の門の中で日本最大のスケールを誇る三門をはじめ、境内には106棟もの伽藍が立ち並んでいます。徳川家康は法然上人を深く崇拝し、知恩院を菩提寺として多大な援助をしたこともあって、現在の建物のほとんどは家康、秀忠、家光の三代にわたり再建されたものといいます。

  知恩院1  知恩院4
    三門                            宝佛殿

  知恩院2  知恩院3
    御影堂                           現在修理中の御影堂

  知恩院5  知恩院6
    納骨堂                           経蔵

  知恩院9  知恩院8
    阿弥陀堂                         ほのかな香りを漂わせる白梅

  知恩院7  知恩院10
   日本三大名鐘のひとつ大鐘楼             武家門と法然上人御堂 

 今回の『京の冬の旅』で公開されているのが 大方丈小方丈方丈庭園 です。豪壮で威厳が感じられる堂宇は徳川家の菩提寺というだけではなく、徳川幕府の『要塞』といった側面をもつといわれる知恩院には『知恩院の七不思議』があります。德川家光が創建した大方丈にはそのひとつ『鴬張り廊下』があります。寺院に用いられることは非常に珍しい鴬張り廊下で続く8室には可能尚信、信政ら狩野派の筆によると伝わる障壁画が描かれています。上段の間、中段の間、下段の間、金地に鶴が描かれた鶴の間、抜け雀の襖絵のある菊の間など華麗で豪壮な佇まいは圧巻です。少方丈は大方丈の北東に位置し、室内は水墨画で飾れています。こちらには上段の間、雪中山水の間、蘭亭の間などがあり大方丈と同時期に建てられたものといいます。

  知恩院11  知恩院12
    大方丈                           小方丈

 この方丈の前に広がる回遊式庭園は、僧・玉淵の作と伝わっています。

   知恩院13

   知恩院14
     二十五菩薩の庭

 東山の裾を築山の代わりに使い、瓢箪形の池を中心に石組と刈込が配された庭は雄大で豪壮。池に射し込む木漏れ日が冷気の漂う庭をほんの少しだけ温かみを感じさせてくれているような・・・そんな思いからか、小方丈の前の庭には『二十五菩薩の庭』の名がありました。配されている石は阿弥陀如来と二十五菩薩、植込みは来迎雲を表わしているとのこと。庭で表現された極楽浄土への様子に深く感銘しました。

 そして、庭園の先の門から上がった小高いところには家康、秀忠、家光の霊を祀る権現堂の霊宇が建てられています。浄土宗の総本山として偉観をみせる知恩院、その庇護者となった徳川家、その基礎を築いた家康、秀忠、家光、今もその影をこの知恩院のあちこちでみることができます。

    知恩院15 権現堂

 また、この知恩院は幕末の文久年間に公武合体の中心であった薩摩藩・島津久光が宿所とし、その京都での拠点となった所といいます。島津久光公については文献や資料でしか知り得ませんが、明治維新の進行において果たした役割はかなりのものだったようです。『大政奉還150年』の今年、幕末の文献をもう一度ひも解いてみようかと思う拝観でした。


神泉苑 ~ 水にまつわる伝説と雅な雰囲気を漂わせる史跡 ~

 神泉苑 といってもあまりなじみがないかもしれませんが、今から数万年前、京都盆地は湖であったといわれ、その水がいつしか干上がり湖底として残ったのが 神泉苑 ではないかと考えられているようです。平安京を造った桓武天皇はこの神泉苑を禁苑(天皇のための庭園)として造営させ、その敷地面積は南北に500m、東西に240mに及んでいたといいます。一方、神泉苑は京都御所の裏鬼門にあたり、鬼門の比叡山に延暦寺を建てさせて国家鎮護とした桓武天皇は、ここを裏鬼門の守護として朝廷の儀式に用いたといわれています。弘法大師空海が法成就池の中央に善女竜王を勧請して、西寺の守敏大徳と請雨法修してその技を競い、守敏の呪力を破ったことは有名で、その後も京都を大干ばつが襲うたびに祈雨の儀式が繰り返し行われ、また祇園祭の起源ともなった御霊会、重陽(9月9日)の節句に菊花を賞する行事などが盛んに行われたといいます。しかし、中世以後は荒廃し、慶長7年(1602)に始まった 二条城 造営で苑域の大半を失い、慶長12年(1607)に快雅が再興して現在は東寺真言宗の寺院となっています。

 御池通に面した鳥居を入ると法成就池が広がり、その真ん中に善女竜王が祀られている善女竜王社が建っています。

  神泉苑1  神泉苑4
                                   善女竜王社

   神泉苑3
       放生池と法成橋

 池に架けられた石橋を渡ると右手に恵方社が建っています。この恵方社には歳徳神が祀られていて、毎年大晦日の晩には翌年の恵方に祠の向きを変える行事・歳徳神方違式が行われます。

  神泉苑5  神泉苑6
    毎年恵方に向きを変える恵方社           法成橋

 善女竜王社の前にある鮮やかな朱色の橋はひとつだけの願いを念じながら渡ると成就するといわれる法成橋。弘法大師の雨乞いの儀式の後、静御前が雨乞いの舞を舞い、源義経と出会った場所ともいわれていることから、この橋は恋のご利益に一役買ってくれるかも・・・

 ひとつだけの願いが思いつかないままに法成橋を渡るとその先に本堂と方丈が建っています。本尊は聖観音は後孝明天皇ゆかりのものといいます。

  神泉苑7  神泉苑2 
    池のほとりで遊ぶアヒル                本堂
 
 苑内には他に、弁天堂、鎮守稲荷社、平安殿などの建物が建っています。
 
  神泉苑8  神泉苑9 
    弁天堂                           鎮守稲荷社

 中国の禁苑にならって造営された苑内に、かつては乾臨殿や左右に楼閣、釣殿などが建ち、桓武天皇以後、歴代の天皇が行幸遊宴を行ったといいますが、その当初の建物は現存していません。それは徳川家康がこの地に目をつけ、自らの居城・二条城の池庭に取り込んでしまったからで、特別名勝として知られる二の丸庭園にある池はもと神泉苑の池の一部であり、しかも二の丸庭園は天皇の内裏のあった場所に重なって建てられているといいます。

  神泉苑11  神泉苑10
    二条城二の丸庭園                   二条城二の丸御殿

 江戸幕府の威信をかけて造営された二条城、その二条城で15代将軍慶喜が大政奉還の決意表明をしてから今年で150年になります。四季折々の花に彩られる池の周りを歩きながら二条城の梅園が懐かしく思い出され、また近いうちに二条城を訪れてみようかと思いながら神泉苑を後にしました。

   神泉苑12
     二条城梅園
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