闘鶏神社 ~ 神社の名の起こりを伝える源平合戦の秘話 ~ 

 和歌山県田辺市にある 闘鶏神社(とうけいじんじゃ) は鶏にゆかりのある神社として知られています。神社の創祀は5世紀中ごろ、熊野権現を勧請し、田辺の宮と称したのがはじまりと伝えられ、神社の名の由来は源平合戦の際に紅白の鶏を闘わせて占ったことにより、『闘鶏権現』の称が生まれ、明治時代に『闘鶏神社』の名に改称されたとのこと。名の由来となった故事とは、壇ノ浦の戦いの際、熊野水軍を率いる湛増がいずれかに味方するかを思い悩み、熊野権現の神託によって去就することを決することに。その神託の方法は権現の社前で紅白二軍に分けた闘鶏を行ない、それぞれの旗標になぞらえて、紅組が勝てば平家に味方し、白組が勝てば源氏に荷担しようというもの。紅白二羽どうしの七番勝負の結果は、赤が一羽も勝つことがなかったので源氏に荷担したといいます。また、一説には源氏に荷担したのは武蔵坊弁慶が湛増の子であったからとも伝えられています。

 大きな鳥居をくぐると拝殿があり、その背後に本殿、上御殿、中御殿、下御殿、西御殿、八百萬殿の六棟からなる熊野造りの古い形式を残した社殿が並び、その風格ある佇まいに目を見張ります。

  闘鶏神社1  闘鶏神社2

   闘鶏神社4

  闘鶏神社5  闘鶏神社6
    西御殿                          八百萬殿

 その他境内には玉置神社、十日戎神社、弁天神社、藤厳神社などの社が建っています。

  闘鶏神社7  闘鶏神社8
    玉置神社                         十日戎神社                          

  闘鶏神社9  闘鶏神社10
    藤厳神社                         十日戎神社

 そして境内には闘鶏を前にした湛増と弁慶の銅像があり、社務所には源義経寵愛の横笛、弁慶の産湯釜などが展示されています。
  
   闘鶏神社10

 熊野街道の中辺路と大辺路の分岐点となる田辺市、その市街東部、仮庵山の麓に鎮座する 闘鶏神社 は熊野三山各社の御祭神を祀り、熊野権現の三山参詣に替えるという熊野信仰には欠かせない存在であり、かつては熊野参詣時に、歴代上皇、法皇、公達がこの神社に参籠宿泊して、心願成就を祈願したといいます。また歴代領主かrも篤い庇護を受けたとのこと。そして、この歴史ある闘鶏神社は2016年に世界遺産のひとつ『紀伊山地の霊場と参詣道』に追加登録されています。

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 石上神宮 ~ 古来朝廷の武器庫の境内で遊ぶ神の使いの鶏 ~

 この季節になると干支に因んだ寺社が話題になります。来年2017年の干支は 酉 なので酉にゆかりある神社を取り上げてみました。奈良県天理市にある 石上神宮(いそのかみじんぐう) はニワトリやチャボが境内で放し飼いにされていることで知られています。
 
   石上神宮4

 奈良市街と桜井市三輪を結ぶ山の辺の道は『日本書紀』にも登場する古代の道。その中ほどに位置する 石上神宮 は桜井市にある 大神神社 と並んで日本最古の神社と考えられ、江戸時代までは神殿がなく、背後につづく布留山がご神体となっていたといわれています。主祭神の布都御魂神は、建御雷神が所有する『神剣』のことで、崇神天皇の代に、宮中に祀られていたこの剣を、物部氏の祖・伊香色雄命に命じて、石上に遷し祀らせたと伝えられています。そしてこの神社の代表的な神宝『七支刀』には百済王と倭王の名が記されている貴重なものとして知られ、さらに多数の武器が奉納されていることから、大和朝廷の武器庫の役目も担っていたと考えられています。また、物部氏は『神剣』の管理を任されたことからこの土地を納め、石上神宮を氏神として仰ぐようになったといいます。

 布留山の北西麓に鎮座する石上神宮、古木が生い茂る参道はうす暗く、差し込む光が神々しさを感じさせます。その参道を進むと右手に広々とした池が見えてきます。鏡池の名を持つ池には水草を食べる『ワタカ』が生息しているそうです。

  石上神宮1  石上神宮2
                                   『ワタカ』が生息する鏡池
 池を囲む境内にはニワトリやチャボが悠々と歩き、生い茂った木々の枝の上からは歓迎してくれるかのように高らかな声を張り上げてくれています。

  石上神宮5  石上神宮6

   石上神宮15

 ひと時、鶏の姿を追いかけたのち、摂社の出雲建雄神社へ。この神社の拝殿は『割拝殿』という形式で、現存のものでは最古で国宝に指定されています。

   石上神宮7

 檜皮葺の屋根の切妻造、正面、背後、馬道の左右には引き違い格子戸が入り、側面には両開きの板扉が設けられ、馬道上部は唐破風が備えられ、梁には素朴で美しい蟇股をのせてひっそりと佇み、苔むした屋根に歳月が感じられます。そして拝殿の奥には出雲建雄神社、さるたひこ神社、七座社などの社が並んでいます。

  石上神宮8  石上神宮9
    出雲建雄神社                      猿田彦神社

  石上神宮10  石上神宮11
    七座社                           回廊

 回廊で囲まれた石上神宮の楼門をくぐると清められた庭を前に拝殿が建っています。

   石上神宮12

   石上神宮13

 この拝殿の奥の禁足地にはご神体である『神剣』が埋められていて、その傍らには高床式の武器かが建てられているそうです。

 神の使いとしてのニワトリやチャボが遊ぶ境内の奥に潜む古来朝廷の武器庫、石上神宮は古代ロマンに包まれた神社です。
   

上品蓮台寺 ~ 聖徳太子の創建と伝わる寺は桜の隠れた名所 ~

 京都市北区紫野十二坊町にある 上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ) は聖徳太子の創建と伝わる古刹。正式名は 九品三昧院 と号するが、かつてこの付近一帯に十二の子院を有していたことから、俗に『十二坊』の名で知られる真言宗の寺院です。寺伝によれば、聖徳太子が開創し、宇多天皇の勅願により寛空僧正が伽藍を整備して、寺号を 上品蓮台寺 と改めたといいます。広大な寺域に伽藍を配した寺は応仁の乱などでことごとく焼失、その後、文禄年間に紀州根来寺の性盛上人が復興し、蓮台野一帯に十二の子院を建立したといいます。

 船岡山の西、千本通に面して二か所の門を開いて、塀に囲まれている上品蓮台寺、境内の参拝は自由ですがが拝観がされていないためひっそりとしていました。

  上品蓮台寺1  上品蓮台寺2

 手入れの行き届いた境内ではわずかに残ったモミジと葉を落として桜木が枝の先に小さな蕾を付けて、参詣者を迎えてくれました。

  上品蓮台寺4  上品蓮台寺3

 初冬の柔らかな陽ざしを受けた境内には本堂、大師堂、鐘楼などが静かに佇み、人気のない境内を歩いていると心も和んできます。そして、桜に包まれた境内を思い浮かべながらお寺を後にしました。

  上品蓮台寺5  上品蓮台寺8

  上品蓮台寺6  上品蓮台寺7

引接寺 ~ 普賢象桜で知られる閻魔大王像を安置する寺 ~

 京都には正式名よりも通称名で親しまれているお寺は多くあります。千本ゑんま堂 と呼ばれ親しまれている 引接寺(いんじょうじ)もそのひとつです。春に行われる『ゑんま堂狂言』と8月の『お精霊迎え』で知られる千本ゑんま堂は、現世と冥土を行き来していたとの伝承がある小野篁が閻魔大王から精霊迎えの法を授かり、この地に閻魔堂を建て、その後、恵心僧都源信の弟子・定覚が布教のため大念仏をはじめたことが『ゑんま堂狂言』のはじまりといいます。寺名ととなっている『引接』とは仏が人間をあの世に導いてくれることを意味し、この引接寺は京都3大墓地のひとつ『蓮台野』の入口にたっているとのこと。

 山門を持たない引接寺は千本通商店街の商店にまぎれ込むように境内への入口があります。

  引接寺1  引接寺2

 土肌が広がる右手にある鐘楼は、盂蘭盆会の迎え鐘で、かつて葬送の地であった蓮台野に死者を迎える時に撞いたという故事にちなんでいるそうです。

  引接寺5  引接寺9

 赤い提灯が下げられた本堂にはびんずる尊者を前に『ゑんま堂』の通称になっている本尊閻魔大王坐像と書記役の司録、検事役の司命の像が安置されています。

  引接寺3  引接寺4

 本堂の裏手には朱雀大路より発掘されたというお地蔵さんが『塔婆流し場』となっている池の淵を囲むように並び、落ち葉の浮かぶ水面に映り、風に揺れる様に心が和んできます。

   引接寺6

 境内の一角には圓阿上人の勧進により建立されたという紫式部の供養塔がたっていますが、十重からなる塔は珍しいもので重要文化財に指定されているそうです。

  引接寺8  引接寺7

 また、鐘楼の近くに植えられている桜は『普賢象桜』と呼ばれる遅咲きの八重桜の珍種で、散るときに花冠ごとと落ちる珍しい桜として知られていますが、その姿を未だ目にしていないのがとても残念。

          引接寺10

 街にとけ込むようにたたずむ 引接寺 通称名の 千本ゑんま堂 の名で親しまれているこのお寺に、来年こそは桜の頃に訪れてみたいと思います。

石像寺 ~ 『釘抜地蔵』の名で知られる病気平癒を願う寺 ~

 京都市上京区千本通にある 石像寺(じゃくぞうじ) は通称 釘抜地蔵 の名で親しまれ、病気平癒にご利益のある寺院として知られています。寺伝によれば弘法大師が唐から持ち帰った石に自ら地蔵菩薩像を刻み地蔵堂に安置、衆生の諸悪、諸苦、諸病を助けんと祈願したといいます。釘抜は苦抜地蔵が転訛したものといい、寺伝では、両手の痛みに苦しんでいた京都の商人がこの地蔵菩薩に願をかけて祈ったところ、地蔵菩薩が夢に現われ、前世の罪により刺さっていた二本の釘を抜いて商人の前に示すと、痛みは去っていて、感激した商人が寺に参ると地蔵菩薩の前に朱に染まった釘があったとの伝えから、苦抜地蔵と呼ばれて苦しみを抜くという信仰が生まれたといいます。またこの地は、鎌倉初期の歌人・藤原定家、家隆が住んだ所ともいわれています。

 千本今出川の交差点から北にしばらく行くと、東側に小さな門が開いて、その入口には『釘抜地蔵尊』と書かれた石柱がたっています。釘抜地蔵尊の幟が揺れる参道を進めば中門があり、その先に壁面に無数の『二本の釘と釘抜き』を張り付けた絵馬におおわれた地蔵堂が建っています。そして、奉納された絵馬におおわれた地蔵堂を病気平癒を祈願する人、ご朱印を頂戴する人々が祈りを込めて回っていました。

  石像寺1  石像寺2

  石像寺4  石像寺6

   石像寺5
     奉納された御礼絵馬におおわれた地蔵堂

 その地蔵堂の裏には阿弥陀三尊の石仏が安置されています。この石仏は鎌倉時代初期に造られ、台座から仏像、光背まで一つの石を彫ったという貴重なもので重要文化財になっています。

   石像寺7
     阿弥陀三尊が安置されている阿弥陀堂

 こじんまりとした境内には他に行基が作ったと伝わる観音菩薩像を祀った観音堂、玉姫大明神などがあります。

  石像寺3  石像寺8
    観音堂                           玉姫大明神

 庶民信仰を物語る『釘抜地蔵』、一番近い身内の病気平癒祈願に訪れました。その日が一日も早く来ることを願いお寺を後にしました。
 
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