安曇野紀行 ~ 塩の道に鎮座する現存する最古の神明造の社 仁科神明宮 ~

 日本海側から内陸地方に塩を運搬していた 塩の道 そのひとつ千国街道は新潟県糸魚川から長野県大町を経て、松本盆地に塩を運んでいた街道として知られています。わが国に現存する最古の神明造の 仁科神明宮 はその塩の道沿いに鎮座する神社。祭神は天照皇大神一柱で、伊勢神宮内宮の御厨がこの仁科の地に勧請され、その御厨鎮護のために建立された社といわれていますが、その創祀の年代は明らかではないようです。

 街道沿いにある一の鳥居をくぐると正面に仁科神明宮の杜が見えてきます。

  仁科神明宮1  仁科神明宮2
    一の鳥居

 境内に入った左側にはには『神宮寺』と書かれた標識がたっていますが、往時を偲ぶものは何も残されていません。神宮寺跡を見ながら進むと『三本杉(真ん中の一本が倒伏して現在は二本杉)』と呼ばれる杉の大木がそびえ立っています。樹齢千年程といわれるだけにその姿は圧巻で、古社の風情が漂ってきます。

  仁科神明宮3  仁科神明宮4
    神宮寺跡                         三本杉

 杉や檜、松、ナラなどの大木に囲まれた境内は神々しい雰囲気に包まれ、社殿に向かう参道に射し込む光さえもが神々しく感じてきます。
 
  仁科神明宮5  仁科神明宮6
    手水舎  

  仁科神明宮7  仁科神明宮8
    三の鳥居                         神門

 三の鳥居を入った正面には神門が建ち、その境内には境内社の社が整然と並んでいます。

  仁科神明宮10  仁科神明宮9
    境内社                          神楽殿

 神門を入るとすぐに拝殿、その奥に国宝の本殿・中門・釣殿を持つ仁科神明宮の社殿が建っています。

   仁科神明宮13
     わが国最古の神明造の仁科神明宮社殿

 仁科神明宮も伊勢神宮にならい20年に一度社殿の造営を行い式年遷宮祭が行われていますが、江戸時代初頭以後は、部分修理にとどまってきたために、原初形態をそのまま残されていることから国宝に指定されたといいます。伊勢神宮と同じ檜皮葺、千本・勝男木をのせた簡素な社殿が杉や檜の巨木にとけ込みかもしだす光景は古社ならの風格を漂わせています。

  仁科神明宮11  仁科神明宮12
    拝殿  

 仁科神明宮には祭典や神事も多くありますが、20年に一度の式年正遷宮祭は平成31年(2019)に行われるとのこと、その歴史ある遷宮の時にまた訪れてみたいとの希望を胸に社叢を後にしました。

 そして、古道 『塩の道』を少し北に向って行くと 盛蓮寺観音堂 の看板を見つけたので訪ねてみると、屋根の上に一見して宝形造のようにも見えるきわめて短い箱棟をのせたお堂が建っていました。盛蓮寺は高野山照光院の末寺で、鎌倉時代にこの地を治めていた仁科氏によってここに移され仁科氏の祈願寺となり、観音堂は室町時代後期の建立で、松本地方最古の寄棟造建築とのこと。澄み切った青空の下、境内に流れる初秋の風、そこにたたずむ観音堂の風景に懐かしさを覚えます。

  仁科神明宮14  仁科神明宮15
    盛蓮寺山門                        盛蓮寺観音堂

 刈取りがはじまった稲田、道の傍らの道祖神、少しだけ秋色を深めた北アルプスの峰々、歴史の中に息づく古社に古寺、安曇野の風景は忘れがたい思いでの一ページを作ってくれました。

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安曇野紀行 ~ 安曇野を代表する観光スポット 大王わさび農場 ~

 のどかな安曇野を象徴する風景のひとつに雄大な北アルプスをバックに広がる 大王わさび農場 があります。この辺りは烏川、梓川扇状地の扇端部にあたり、豊富な湧き水が得られることから、『』がいのちのワサビ栽培に適した土地で、明治時代中期からは商品のワサビ栽培が本格的に始まったといいます。

 100年の歴史を有する 大王わさび農場 は日本最大規模のわさび農場として知られています。わさび畑に沿って設けられた散策路、その足下を流れる清らかな湧き水は年間を通して平均13℃とのこと、手をさし入れるとその冷たさにビックリ 

   安曇野1 

  安曇野3  安曇野4

 そして場内を流れる一般河川の万水川と湧き水からなる蓼川の水質の異なる二つの川を挟む中の島付近には、安曇野の原風景ともいわれる茅葺きの水車小屋が。

  安曇野6  安曇野5
    手前が蓼川、中の島の奥が万水川  

 この美しい景観は映画『』弟8話の「水車のある村」のロケ地として知られているところ。      

   安曇野2

 爽やかな初秋の風が流れる川べりで時の流れを忘れたかのように静かに回る水車、季節を知らせるかのように赤い花びらを広げる曼珠沙華、風に揺れるススキの穂・・・郷愁を漂わせる風景は忘れかけていた遠い昔を思い出させてくれました。

   安曇野7

 豊かな自然に囲まれたこの風景、いつまでもここに立ち止まり眺めていたい思いを振り切り農場を後にしました。

安曇野紀行 ~ 安曇氏の祖神が祀られる日本アルプスの総鎮守 穂高神社 ~

 北アルプスの山麓に広がる 安曇野 のどかで美しい田園風景は懐かしい日本の原風景を感じさせてくれます。その安曇野は北九州の志賀島を本拠地としていた海人族のひとつ安曇氏が次第に勢威を拡大し、やがてその一部が信濃の国に移り住み、稲作、農牧文化を普及しこの地に安曇郡を成立したといいます。安曇野市穂高にある 穂高神社 はその安曇氏の祖神を祀った古社で、殖産興業の神と崇められ、また日本アルプス全域を見守る総鎮守社で、この穂高の地に本宮、上高地の明神池畔に奥宮、北アルプスの穂高岳山頂に嶺宮が鎮座しています。

 欅の大木がそびえる参道を入れば穂高神社の鳥居が見え、本宮の例祭御船祭りの幟がたなびいています。この御船祭りは本宮の例祭で、大きな船型の山車を激しくぶつけ合い、五穀豊穣・子孫繁栄を願った伝統行事、その起源は古代九州に本拠があった安曇族が海洋に親しみ、海運を司っていたことに由来しているといわれています。

  穂高神社1  穂高神社3

 そして杉木立に囲まれた参道を進むと鳥居の奥に白木に銅板の屋根が輝く神楽殿と拝殿が建っています。

  穂高神社4  穂高神社5
    手水舎と手水石                     神楽殿

   穂高神社6
     拝殿

 神社本殿は中殿・右殿・左殿の三殿から成り、中殿に穂高見命、右殿に瓊々杵命、左殿に綿津見命が、また神楽殿の右側にある若宮には安曇連比羅夫命の祀られ、その若宮を中心に境内社が並んでいます。。そしてそれらの社殿を見下ろすように病気治癒や親孝行に霊験があるといわれる孝養杉がそびえ立ち、その孝養杉に負けじと欅の巨木の枝を広げています。

  穂高神社8  穂高神社10
    若宮                            境内社

  穂高神社7  穂高神社9
    孝養杉                          欅の木

 この穂高神社の境内には歌碑や伝説や逸話を秘めた石碑、銅像、また安曇野の代名詞でもある道祖神も並べられています。

  穂高神社11  穂高神社12
    御伽草子の『ものぐさ太郎』のレリーフ       健康長寿道祖神

   穂高神社13
     道祖神

 海人族のひとつである安曇族が海の遠い信濃の地に安住の地を定め、その安曇族によって多くの農耕文化が生まれた安曇野の里、その安曇族を祀る穂高神社、季節をかえてまた訪れてみたいと思います。

奥石神社 ~ 歌枕で知られる老蘇森にたたずむ古社 ~

 滋賀県近江八幡市安土町東老蘇の国道8号線沿いから見える鬱蒼と生い茂る森は、古来より 老蘇森(おいそのもり) と呼ばれ、万葉の時代から繰り返し讃えられた歌の名所。伝説によれば、この一帯は地裂けて水が湧き、人の住めるところではなかったが、石部大連という翁が樹を植えて、神々に祈願したところ、たちまち大森林となり、この大連が百数十歳まで歳を重ねたことから『老蘇森』と称せられたといいます。今も杉や檜、松などが生い茂るその老蘇森の中に 天津児屋根命を祭神とする 奥石神社(おいそじんじゃ) の社があります。この社は中世、近江守護としてこの地を支配した六角氏の居城があった繖山(観音寺山)をご神体として遥拝する祭祀場だあったといわれています。その奥石神社は『鎌宮(かまみや)』とも呼ばれていますが、これは『蒲生野宮(がもうのみや)』が訛ったものと考えられているそうです。

 中山道に面してたつ鳥居からは巨木の連なる表参道が、寂静な空気に包まれて真っすぐに伸びています。

  奥石神社1  奥石神社2
    中山道の面した表参道の鳥居            巨木に覆われた参道

 初秋の風が吹き抜け、漂う森の香りが漂う参道・・・いにしえ人がもてはやした意味がなんとなく分かるような気がしてきました。

  奥石神社4  奥石神社3 
    参道のある吉住大明神                 静まり返る森

 境内に入ると深緑の樹木を背に社が建っています。

  奥石神社5  奥石神社6
    境内                            拝殿

   奥石神社7
     本殿

 拝殿の奥に本殿、諏訪神社本殿が並び、本殿は織田信長が再建させたと伝わり、安土桃山時代の華麗な装飾がほどこされた神社建築になっているそうです。

  奥石神社8  奥石神社9
    豪華で優美さが漂う本殿                諏訪神社本殿

 古代から知られる老蘇森、その中にひっそりとたたずむ奥石神社、どこか神秘的な思いがする神社でした。   

引接寺 ~ 石仏、石塔が並ぶ『来迎浄土』 ~

 滋賀県東近江市上山町にある 引接寺(いんじょうじ) は聖徳太子の勅願により百済人のために創建された近江最古級の古刹 百済寺 の末寺にあたる天台宗の寺。織田信長の焼き討ちで寺の資料が消失したため、いつ建立されたかは不明ですが、百済寺を再建した亮算の弟子亮誉が開山し、ここに寺を建立したといわれています。そして、この引接寺には付近の山野に散在していた石仏や石塔を集めて造られた『来迎浄土』があることで知られています。

 国道307号から集落を抜けると民家も途絶え、木漏れ日の中に続く百済寺への道を上って行くと左手に引接寺の山門がたっています。

  引接寺1  引接寺2
                                   山門

 山門を入ると静かな境内に本堂が佇んでいます。本尊の阿弥陀如来像は平安時代の作とのこと、歴史がうかがえます。

  引接寺3  引接寺4
    境内                            本堂

 本堂の奥には庭園が作られ、その右手に大石塔を中心に5000体もの石仏や石塔が並ぶ『来迎浄土』が広がっています。その光景にしばし引き込まれ、やがて石仏や石塔の一つ一つに手を合わせたいような気持が・・・

   引接寺6

   引接寺7  

   引接寺8

 整然と並ぶ石仏や石塔は、百済寺付近の山野に放置されたままになっていたものを信者の人々が一つ一つ手で集めたといいます。そしてその信者により一つ一つの石仏や石塔に灯りがともされる毎年8月22日の『万灯供養』は夏の風物詩になっています。

 澄み渡った空の下、蝉しぐれに包まれ、初秋の風が吹き抜ける『来迎浄土』をゆっくり回り、居並ぶ石仏に手を合わせ、心ゆくまで石仏と向き合うことのできた 引接寺は 安らぎをもたらしてくれるお寺でした。
 

太郎坊宮 ~ 太郎坊天狗が守護する勝利と幸福を授ける神社 ~

 滋賀県東近江市の赤神山の中腹にある 太郎坊宮 は『勝運授福』『厄除開運』の神として信仰を集める神社で、正式名を 阿賀神社 といい、創建は約1400年前と伝えられています。そもそも太郎坊とはこの社を守護する天狗のこと。京都鞍馬に住む次郎坊天狗の兄で、この赤神山で修行をしながらご祭神の『正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)』を守っていたといい、通称名の 太郎坊宮 が世間では有名になったいいます。

 巨大な岩石を露出した赤神山の麓にある伝教大師最澄が創建してと伝わる 成願寺 の境内にある参道から石段を上り太郎坊宮へ。

  太郎坊1  太郎坊2
    成願寺                           太郎坊参道

 祈祷所のある広場でひと休みして本殿を目指します。願掛け天狗が迎えてくれる入口の先には絵馬殿があり、そこから蝉しぐれの表参道(男坂)をのぼっていくと、仰ぎ見るような岩石の上にいくつもの建物があり、やがて拝殿が見えてきます。

  太郎坊3  太郎坊4
    願掛け天狗                        絵馬殿
  
  太郎坊5  太郎坊6
    拝殿                            表参道

 拝殿からさらに石段を上ると愛宕社、稲荷社の社が並び、その横には源義経が鞍馬山を下りて、奥州に向かう途次、この山に登り源氏再興を祈願したという故事があり、その時休息してと伝わる『源義経 腰掛岩』があります。

  太郎坊7  太郎坊8
    源義経 腰掛岩                     夫婦岩

 そして、その岩の前には『夫婦岩』と呼ばれる巨大な二つの岩がそびえ立っています。別名『近江の高天原』とも称される巨岩は、その昔大神の神力を以って左右に押し開き造られたと伝えられており、幅約80㌢の隙間を悪心のある者が通ると岩にはさまれるという伝承もあるだけに、岩の間を通り抜けるときは身も心も引き締まり、霊感を覚えるような神秘的な気持ちに・・・夫婦岩を通り抜けると眼下には取り入れが終わった蒲生野の初秋の風景が広がっていました。  

   太郎坊9

 本殿はその上の境内の中で最も高いところに建てられています。

   太郎坊10

 本殿に参拝したのちは寿老人や弁財天の石像が並ぶ裏参道(女坂)を下ってい行きます。

  太郎坊11  太郎坊12
    裏参道                           弁才天

 心地よい初秋のかげに身を任せ、石段を下りていくと、入口にたくさんの絵馬がかけられた一願成就社が建っています。。この社は参拝者が自ら願掛け神事を行うところで、社の脇にはお百度参りに願掛け道があり、石に願いを書き納める石塚があります。また道の途中には天狗や役の行者の象も祀られています。

  太郎坊13  太郎坊14
    一願成就社                        天狗象 

 また、願掛け道からは遥かかなたに比叡山を望む風景も。

   太郎坊15

 山の中腹に境内を構える太郎坊宮、御神徳を得られることはもちろん、参道の至るところで出会う巨石や怪石、眼下に広がる四季折々の田園風景、遥かかなたの山の眺望と魅力あふれる神社です。

六角堂 ~ いけばな発祥の地として知られる聖徳太子ゆかりの寺 ~

 お寺にはその寺にまつわる逸話や庶民の信仰の中で、正式な名でより通称で呼び親しまれるお寺が数多くあります。京都市中京区六角通東洞院西入にある 六角堂 もそのひとつ。本堂が六角宝形造であることから 六角堂 の名で京の町の人々に昔から親しまれていますが、正式名称は 紫雲山町頂法寺 と号する天台宗の寺院。縁起によれば、四天王寺’(大阪)の造営のため、用材を探し求めている途中、霊夢により紫雲たなびく霊木を用いて六角の御堂を建立し、中に太子の護持仏である如意輪観音像を安置したことが始まりと伝えられいます。その後、弘仁13年(822)に嵯峨天皇の勅願所となり、建仁元年(1201)には親鸞がこの寺に百日間籠り、観音の示現を受けて浄土真宗の開宗の契機を得たといわれています。また、太子の歿後、唐から帰国した小野妹子が朝夕花を供えたことが『華道』の始まりともいわれ、さらに本坊が池のかたわらに建てられたことから『池坊流』の華道がおこったといいます。

 烏丸通から六角通を東に入ったところに建つ六角堂、山門をくぐると『縁結びの柳』として注目を集める柳が、重たげに風に揺らいでいます。

  六角堂1  六角堂2
    山門                            縁結びの柳

 その柳の横にはそこが京都のほぼ中心であることあらわす『へそ石』が置かれています。

  六角堂12  六角堂3
    へそ石                          本堂

 六角形の本堂の入口には大きな提灯が下げられ、その奥にお前立と厨子に鎮座した本尊如意輪観音、地蔵菩薩、毘沙門天が安置されています。また、ビルに囲まれた境内には他に、石不動、不動明王、太子堂、親鸞堂と日影稲荷、三社が祀られています。そして、親鸞堂の池の淵では十六羅漢が、また境内のあちこちではかわいいお地蔵さんが参詣者を迎えてくれます。

  六角堂6  六角堂7
    不動明王                         石不動

  六角堂4  六角堂5
    太子堂                           親鸞堂

  六角堂8  六角堂9
                                   十六羅漢

  六角堂10  六角堂11
    わらべ地蔵                        一言願い地蔵

 賑やかな京洛の中心地にある六角堂は西国三十三カ所、洛陽三十三カ所の札所でもあることから多くの巡礼者が訪れますが、町堂としても親しまれており、四季折々、気軽に足をのばせるお寺です。

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