西方院 ~ 聖徳太子廟を望む寺 ~

 新西国三十三ヶ所8番札所である 西方院 は聖徳太子の墓を守るために建立された叡福寺と道を挟んだ向かい側にある浄土宗のお寺。寺伝によれば、聖徳太子が死去した後に3人の侍女が太子の冥福を祈るために得度し、太子廟の前に堂を建立し、たのがはじまりといわれ、その3人の侍女は善信(蘇我馬子の娘月益)、禅蔵(小野妹子の娘日益)、恵善物部守屋の娘玉照)と号し、三尼公と呼ばれて、尊崇されたといいます。当初は叡福寺の塔頭のひとつで法楽寺と称していましたが、織田信長の兵火により叡福寺とともに焼失。衰退し荒廃した寺は、寛永16年(1639)に蓮誉壽性尼が再興し寺名を西方院と改めたとのこと。そして西方院はわが国最古の尼寺といわれています。

 ゆるやかな石段を上って行くと朱塗りの門があり、その門の前で振り返るとその先には叡福寺の山門を望むことができます。

  西方院1  西方院2
    西方院参道                        叡福寺の山門を望む

 門をくぐると右側に寺門を入ると落ち着いた庭園が広がり、正面に本堂が建っています。

   西方院5
      本堂

 本堂には聖徳太子作といわれる阿弥陀如来立像と三尼公の木像が安置されていました。その本堂の右手には観音堂、左手にに納骨堂と鐘楼があり、納骨堂には太子の御遺髪が納められているそうです。

  西方院7  西方院9
    観音堂                           納骨堂

  西方院8  西方院6
    鐘楼                            三尼公の墓碑のたつ覆屋

 3人の乳母たちが聖徳太子の遺作を本尊とした西方院、こじんまりとした境内に落ち着きのある庭園、その中を漂う香の香り・・・ふと足を留めると何処からともなく読経の声が聞こえてくるような思いを抱かせてくれるお寺でした。
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叡福寺 ~ 聖徳太子の墓を守る寺 ~

 大阪府南河内郡太子町にある 叡福寺 は聖徳太子の墓の前に営まれた寺院で、四天王寺、法隆寺などとともに聖徳太子を崇拝する『太子信仰』と中核寺院として知られています。寺伝によれば、推古天皇30年(622)に聖徳太子の陵墓を守護するために推古天皇が一堂を建立したことがはじまりで、その後、聖武天皇の勅願で伽藍が造営され、法隆寺のように東西両院からなり、東の伽藍を転法輪寺、西の伽藍を叡福寺と称したとのこと。その叡福寺は歴代天皇の崇敬が篤く、また空海、親鸞、一遍、日蓮をはじめとする多くの高僧たちもここで修行を行ったと伝えられています。

 近鉄長野線貴志駅からバスに揺られ、太子前で下車すると北側の石段上に、鮮やかな朱色の南大門が見えています。門を入ると広々とした境内に多宝塔、その北側に金堂、その奥に聖霊殿(太子堂)などの建物が並んでいます。

  叡福寺1  叡福寺2
    南大門                           伽藍が並ぶ境内

  叡福寺14  叡福寺4
    多宝塔                           金堂

  叡福寺3  叡福寺5
    聖光明院                         聖霊殿

 これらの伽藍は戦国時代末の織田信長の兵火で被災しましたが、豊臣秀頼により聖霊殿が再建され、その後、次第に伽藍が整えられたといいます。江戸時代に再建された金堂には本尊・如意輪観音坐像を安置、桃山建築の様式で再建された聖霊殿には聖徳太子16歳植髪等身像と南無太子2歳像が祀られています。また、本堂の後ろ側にある聖光明院は太子に仕えていた調子麻呂が、太子の葬送の後も留まって、菩提を弔ったところといいます。
 そして、南大門から真北の一直線上にある石段を上ると鮮やかな色彩を施した二天が祀られた二天門がたっています。門をくぐると目の前の山の斜面に唐破風とふたつの切妻破風を重ねた屋根をもつ御廟があります。

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    二天門

   叡福寺7
      御廟

 山の斜面と見えたのは円墳で、内部には横穴式石室に聖徳太子の墓、太子の母、太子の妃が葬られていることから『三骨一廟』と呼ばれています。御廟の近くには聖徳太子35歳像が祀られている上の御堂、弘法大師堂、見真大師堂、浄土堂、経蔵などの建物が並んでいます。

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    上の御堂                         浄土堂                         

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    見真大師堂                       弘法大師堂

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    経蔵                            念仏堂

 我が国仏教の聖地として重要な位置をしめす叡福寺、現在もなお、太子に会いたいと各地から参詣する人が絶えないそうです。
 太子町は飛鳥と難波を結んだ日本最古の国道といわれる 竹内街道 が通り、その道沿いには多くの飛鳥文化の名残が点在しています。その飛鳥文化の一端を担った聖徳太子が眠る 叡福寺 にはこの日、梅雨の晴れ間の太陽が降り注ぎ、深い緑に覆われた円墳は神々しく感じられ、何度も振り返りながら境内を後にしました。

近江神宮 ~ 天智天皇ゆかりの『かるた』の聖地 ~

 滋賀県大津市にある 近江神宮 は大津宮を営んだ天智天皇ゆかりの地に、皇紀2600年を記念して昭和15年(1940)に建立された神社。 祭神の天智天皇は日本で初めて漏刻(水時計)を造り時刻制度を定めといわれていることに因み、毎年6月10日に『漏刻祭』が行われ、また、『小倉百人一首』の第一首目の歌を詠んだことに因み、競技かるたの大会が開催さることでも知られています。時の記念日を前に久しぶりに近江神宮を訪ねてみました。

 道路に面した一の鳥居から高い樹木に囲まれた参道を行くと二の鳥居、その石段を上ると鮮やかな朱塗りの楼門がそびえています。

  近江神宮1  近江神宮2

 楼門を入ると正面の外拝殿が参詣者を迎えてくれます。近江神宮の社殿は『近江造』と呼ばれる近代神社建築の代表的なもので、山麓の斜面に本殿・内外拝殿を回廊が取り囲む独特な造りをしています。 近江神宮は、大化の改新を断行し日本の運命開拓の神、時の祖神を祭神としていることから、開運・学問などの信仰を集めています。

  近江神宮3  近江神宮4
    外拝殿                           内拝殿

   近江神宮5
      本殿と内拝殿 

 そして、競技かるた名人位、クイーン位決定戦はこの境内にある神楽殿で行われています。 
 
 近江神宮6  近江神宮7
    神楽殿                          百人一首の歌が掲げられた回廊

 また、境内には漏刻(水時計)、古代式火時計、日時計が置かれ、時計館宝物館内には和時計や日本最古の懐中時計などの貴重な時計も展示されていました。

  近江神宮8  近江神宮9
    漏刻(水時計)                      古代式火時計

  近江神宮10  近江神宮11
                              日時計

              近江神宮12
                 時計館宝物館

 日本の長い歴史の中にあってあまりにも短かった大津京、その跡地といわれる場所に建つ近江神宮は今、映画『ちはやぶる』の舞台となって脚光を浴びているようです。境内に並んでいる歌碑や句碑を見ながら、百人一首をまたひも解いてみたいと思いました。

峰定寺 ~ 『北大峰』と呼ばれる修験道の聖地 ~

 鞍馬寺でさえ洛中から見れば北の端に思われるのに 峰定寺(ぶじょうじ) はその鞍馬寺からさらに18㌔近い山道を北進した花背の里にある修験道の聖地といわれる寺院です。奈良県の大峰山に対して『北大峰』とも称される大悲山にある峰定寺は仁平4年(1154)大峰熊野の修験僧三滝上人観空が鳥羽法皇の勅願により三間四面の堂を建て、白檀の千手観音坐像を祀ったことにはじまるといいます。同時に鳥羽法皇により不動明王、毘沙門天、二童子像が安置、さらに諸堂が造営され、その造営には平清盛も大きな役割を果たしたとのこと。

 鞍馬街道から花背峠を越え、杉林の間をぬうように続く山道、途中で路線バスにすれ違わないように願いながら進むとようやく花背の里にでました。寺谷川沿いにさらに進むと平坦な地が開けていて、そこは『京の隠れ宿』で知られる料理旅館の美山荘。

   峰定寺1
     美山荘のはなれが並ぶ峰定寺総門前

 建物の間を抜け、ゆるやかな流れの寺谷川に沿って歩くと峰定寺の総門があり、その先の左手に八脚門の仁王門が建ち、その前には境内を見わたすかのようにご神木の『高野槇』がそびえています。

  峰定寺2  峰定寺3
    寺谷川のせせらぎ                   峰定寺境内

   峰定寺8
      仁王門

 峰定寺6  峰定寺7
                         ご神木の『高野槇』

 大悲山は修験道の霊場であるため、本堂に行くには寺務所で入山の許可を頂きます。そく俗界の手荷物はすべて寺務所に預け、貸して頂く袋に財布とハンカチのみを入れて、手には杖を持ち、仁王門の入口の扉を開けて参道に入ります。寺務所で教えられたように『六根清浄、六根清浄…』と唱えながら無我の境地で足がかりになる石を見つけてのぼる石積みの参道は鬱蒼とした樹木が生い茂り、その間に奇岩奇石が露出して迫ってくるような迫力。息継ぎのため足を止めると、心地よい風がほほをかすめていきます。鐘楼で鐘を撞き、俊寛搭を経てようやく懸崖造りの本堂に辿り着きました。本堂の回廊で周囲を一望すると、きつかった参道の苦しさよりも、自然と対話できるような喜びの方が勝っていました。本堂の内部を見ることはできませんが回廊にたたずむだけで満足でした。そして本堂の一角にある最古といわれる閼伽井屋の遺構を見て、約束の時間に間に合うように本堂を後に参道を下りました。

  峰定寺5  峰定寺4
    寺務所                          自然林の生い茂る大悲山

 修験道の聖地 峰定寺 は寺社巡りの中でもかなり体力の必要とした寺院でしたが、有名な石楠花が咲くころにまた訪ねてみたいと思いました。

 阿弥陀寺 ~ 洛北大原 古知谷に佇む古刹 ~

 京都の市街地を離れた洛北・大原は自然が広がるのどかな山里。深い歴史を秘めた古社寺が集まるこの里には四季折々の風情を求めて多くの旅人が訪れています。 『古知谷の阿弥陀寺』 の名で知られる 阿弥陀寺 もこの地にあります。縁起によれば、光明山法国院阿弥陀寺は 慶長14年(1609)に弾誓上人が開いた如法念仏の道場。開基の弾誓上人は9歳で出家して諸国を修行し末、最後の修行地・古知谷の岩穴に住し、念仏三昧の日々を送っていたところ近江国伊香立の人々の縁で、この地に一宇を建立、本尊に上人が求め続けた理想像を刻み、自分の頭髪を植え本堂に安置したといいます。

 大原の里を走る若狭街道(鯖街道とも)から高野川に沿った細い道を行くと山手に中国風の山門が見えてきます。

  阿弥陀寺2  阿弥陀寺3
    山門                            木漏れ日の参道

 山門をくぐると鬱蒼とした老樹に覆われた参道が曲がりくねりながら山に向かって続き、かなり急な坂に時折立ち止まり、南無阿弥陀仏と刻まれた石塔を散見し、古木を眺めてはまた歩く・・・やがてその参道に谷川のせせらぎが聞こえてくると『禁葷辛酒肉』と刻まれた石碑がたち、斜め上には懸崖造りの小堂が見え、その石垣はユキノシタの花に覆われています。

  阿弥陀寺4  阿弥陀寺5
    苔生した参道                       懸崖造りの小堂とユキノシタの花

 実相の滝が流れる石段を上る途中には樹齢800年といわれる天然記念物のカエデの老木がそびえ出迎えてくれます。阿弥陀寺は隠れた紅葉の名所として知られ、このカエデを中心に境内には300近いカエデが秋を彩るといわれていますが、この季節の青々とした若葉のカエデは紅葉とは異なる清々しさを感じます。

  阿弥陀寺6  阿弥陀寺7
    実相の滝                          天延記念物『古知谷カエデ』

   阿弥陀寺14


 石段を上りつめ、ようやく辿り着いた平坦地に建つ本堂には弾誓上人自作の尊像、鎌倉期作の阿弥陀如来坐像が置かれています。また開山堂の後ろには大きく掘った岩窟があり、石廟が治められています。この岩窟は弾誓上人は入定される一年前にこの寺で修行中の僧らに掘らせたもので、上人は石棺の真下に掘ってある二重の石龕に生きながらミイラになったといいます。暗くひんやりとした岩窟は、岩間から水がしみ出ていてる霊妙な場所でした。

   阿弥陀寺9
     本堂

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    石龕のある開山堂                   懸崖造りの瑞雲閣

 また本堂の横には宝物殿には弾誓上人の法衣、仏具、皇室から賜った宝物が展示されていました。

 カエデで知られる阿弥陀寺には山野草が多く植えられていて、初夏咲きの山野草が可憐な花で癒してくれました。

  阿弥陀寺11  阿弥陀寺12
    クリンソウ                         イワギリソウ                       

             阿弥陀寺13
               シライトソウ 

 白砂が眩しい本堂前の庭を歩けば鐘楼や石仏を覆うようにカエデが枝を広げて爽やかな風を運び、心地よい空気があたりを包みます。古木の山を背後に静寂の中でひっそり佇む 阿弥陀寺 時の立つのも忘れてしまうようなひと時でした。

  阿弥陀寺15  阿弥陀寺1

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