白毫寺 ~ 山寺の趣きが漂う花の寺 ~ 

 新薬師寺からのどかな道を南東に辿ると 花の寺で知られる 白毫寺 があります。高円と呼ばれたこの地は万葉歌人・志貴皇子(天智天皇の第七皇子)の離宮があったところで、その山荘を寺としたといわれています。草創についての定かな説はないようですが、鎌倉中期に興正菩薩尊が再興、その後弟子の道照が宋から大宗一切経の摺本を持帰り、転読法要をおこなったことから『一切切寺』と呼ばれといいます。白毫とは、仏の額にあって光を放つ毛のことで、本尊の阿弥陀如来像の白毫に因んで付けられたそうです。

 高円山の中腹にある 白毫寺 風情ある石段の参道では散り椿が訪れる参拝者を迎えてくれました。そして山門を入ると土塀越しに奈良の街が見えてきます。

  白毫寺1  白毫寺2

   白毫寺3

 境内に入ると勾配のゆるやかな屋根をした本堂が建ち、堂内には阿弥陀三尊、聖徳太子二歳像が安置されていました。

   白毫寺4

 関西花の寺第十八番札所になっている白毫寺、四季折々の花が咲き乱れる境内、特に『奈良三銘椿』のひとつに数えられている『五色椿』は大輪の八重で、白、赤、紅白の絞りなどが美しい花びらで知られています。

  白毫寺6  白毫寺
                       『奈良三銘椿』のひとつ『五色椿』 

 寛永年間に興福寺塔頭の喜多院から移植されたといわれる樹齢およそ450年の椿、その太い幹と四方にのばした枝は圧巻です。 そして、その椿の傍では可愛らしい子福桜が花を咲かせ始めていました。

  白毫寺5  白毫寺12
    子福桜                           春の花が咲き乱れる境内                         

 椿やサンシュ、梅など春の花に包まれた境内、本堂と池を挟んだ小高いところでは『白毫寺』の名を持つ大椿の木が多宝塔の跡を見下ろしていました。

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    『白毫寺』の名を持つ大椿               多宝塔跡

 多宝塔跡からは『石仏の道』と名づけられた散策路があり、そこには不動、弥勒、地蔵などの石仏が静かに点在しています。椿や古木に囲まれた石仏は微笑ましく、心が和みます・・・

   白毫寺11  白毫寺10

 また、境内の西では奈良市街を一望できる大パノラマを堪能することができます。

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 中興の祖・空慶上人が祀られている御影堂、本尊の阿弥陀如来像、地蔵菩薩、像として残っているのが珍しい閻魔大王とその眷属の像などが収蔵されている宝蔵では多くの仏像をまじかで見ることができます。

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    御影堂                           宝蔵

 椿や水仙などの春の花に包まれた境内に射し込む優しい光に見送られ、いつかまた、参道の石段の両側を埋め尽くす見事な萩の頃にまた訪れてみたいと思います。
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新薬師寺 ~ 薬師如来像をを囲む日本最大最古の十二神将 ~

 春日大社から木漏れ日の中、スズランに似た壺状の白い小花を付けた馬酔木に包まれながら『ささやきの小道』と呼ばれる下の禰宜道を抜けると高畑町。文豪の旧居や古刹が建ち並ぶこの町に、聖武天皇の妃・光明皇后が夫の病気平癒のために建立されたと伝えられる 新薬師寺 があります。

 新薬師寺 の拝観入口になる南門からは石灯籠を前に、流れの美しい屋根を持つ入母屋造りの本堂は静かに佇んでいます。

   新薬師寺5
     南門

   新薬師寺4
     天平の遺構を伝える本堂

 そして、土塀で囲まれた境内の中には地蔵堂、鐘楼などがひっそりと建ち、南門の左側には多くの石仏が肩を寄せ合うように置かています。

  新薬師寺8  新薬師寺6
    地蔵堂                           鐘楼

  新薬師寺7  新薬師寺9
    実忠和尚の御歯搭                   石仏

 この新薬師寺最大の見どころが本堂内に安置されている仏像群。黒瓦を敷き詰めた中央に置かれた円形の須弥壇には、大きく見開いた目が印象的な本尊薬師如来像を守り固めるように並ぶ十二神将像が置かれ、その躍動感と憤怒みなぎる表情は、たじろってしまいそうになります。   言葉では表現できないような感動を与えてくれるこれらの十二神将は天平時代を代表する塑像で、12体のうち11体が国宝になっています。

 本堂の西側には『織田有楽斎の庭』と名付けられた庭園があり、その一角には香薬師堂が建っていますが、飛鳥時代に作られたといわれる香薬師様は現在行方不明中とのことです。

   新薬師寺12

  新薬師寺13  新薬師寺14

 そして、南門の入口には新薬師寺の鎮守社として勧請されたという 南都鏡神社、その摂社の 比売神社 が鎮座しています。

  新薬師寺1  新薬師寺3
    南都鏡神社                        比売神社

 新薬師寺は本堂の白壁に映える萩で有名ですが、八重桜も境内を華やかにしています。四季の花々に彩られる新薬師寺の素晴らしい仏像、また会いに来たいと思います。

   新薬師寺11

福智院 ~  地蔵大仏の祀られる寺 ~

 東大寺の大仏殿に安置されている盧舎那仏や鎌倉・高徳院の阿弥陀如来坐像などで知られる大仏様は丈六(4.85m)以上の大きな仏像の通称です。奈良には最も親しまれている仏さまのお地蔵さまが大仏として安置されている寺院があります。 その 地蔵大仏 が本尊として安置されている 福智院 はもと奈良時代の高僧・玄昉がこの地に地蔵菩薩を本尊として創建した『清水寺』を前身とし、その後、興福寺大乗院実信僧正が地蔵堂として再興したといいます。

 奈良ホテルの南側に広がる大乗院庭園から少し南に下がったところにある 福智院 淡い黄色の塀に挟まれた山門を入ると、一重の裳を付け、重層のように見える鎌倉時代の様式を伝えた本堂が建っています。

   福智院1

   福智院3

 本堂には台座から約7m近い木造の地蔵菩薩像が安置され、光背に千体の小地蔵を配た姿は圧倒されそうです。しかし、その大きな地蔵さまの優しい顔と慈悲に満ちた優しい眼差しは見ていると次第に心が穏やかになってきます・・・

 優しい気持ちになって本堂を出ると、境内では手のひらほどもある大輪の椿が出迎えてくれました。

  福智院7  福智院8

 また、かつて大乗院の地蔵堂であったという境内には五輪塔や石仏が数多く残り、当時の面影が偲ばれます。

  福智院2  福智院5

   福智院6

 老若男女から子供にいたるまで愛されるお地蔵さま、福智院の地蔵大仏様はそれにふさわしい仏さまに思えました。

十輪院 ~ 美しい蔀戸の本堂の奥に置かれた石仏龕の地蔵菩薩 ~

 旧元興寺境内に広がる奈良町には歴史ある寺社がいくつも点在していますが、優雅な貴族の邸宅風な外観と美しい蔀戸(しとみど)で知られる 十輪院 もそのひとつ。寺伝によれば、十輪院は元興寺の別院とされ、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養の創建と伝えられているそうです。

 南門を入ると、大きな石を前に住宅風のこじんまりとした本堂が建っています。

  十輪院1  十輪院3
    南門からの本堂                   

   十輪院2
      鎌倉時代建立の本堂(国宝)

 この本堂は鎌倉時代前期に石仏龕(せきぶつがん)を拝むために建立されたといいます。反りの少ない屋根、正面に広縁と蔀戸が用い、軒や床は低く抑えられ、当時の住宅を偲ばせる要素が随所に見られることから、国宝になっています。本堂の奥に置かれた龕(厨子)は花崗岩で造られていて、中央に弘法大師空海が刻んだと伝えられる本尊地蔵菩薩、左右に釈迦如来、弥勒菩薩が浮彫で刻まれ、周囲には十王、不動明王、天女などが刻まれています。まだかすかに色彩も見られる石仏龕は言葉では言い表わせない素晴らしいものでした。

 境内には本堂のほか、護摩堂(不動堂)、御影堂などの建物とはす池があります。

  十輪院10  十輪院9 
    御影堂                          護摩堂

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      はす池から望む本堂と御影堂

 その池の回りには不動明王立像、合掌観音立像などの石仏、興福寺曼荼羅石や十三重石塔などが置かれています。

  十輪院5  十輪院6
    不動明王立像                       合掌観音立像

  十輪院8  十輪院7
    興福寺曼荼羅石                     十三重石塔

 静かな境内に季節のの草木が植えられた池、その周囲を歩きながら拝める石仏・・・十輪院 は心やすらぐお寺です。

元興寺(極楽坊) ~ 奈良町に美しい屋根を広げる古刹 ~ 

 格子造りの民家が建ち並ぶ趣きある風景で人気のある 奈良町 は、かつて南都七大寺として栄えた 元興寺 の旧境内だったところで、今は町衆文化の活気と古い寺社が同居する町です。 その元興寺の前身は、聖徳太子によって飛鳥の地に創建された法興寺(または飛鳥寺)と呼ばれていたお寺で、都が奈良に移された際にこの寺も移され、元興寺と改めたといいます。そのため、飛鳥の寺を本元興寺、新寺を新元興寺とも云われています。南都七大寺のひとつに数えられていた新元興寺は幾度もの兵火や災害により堂宇伽藍は焼失・倒壊し、今では奈良町の民家の一角にある五重塔跡の礎石で、かつての偉容を偲ぶことしかできません。

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    元興寺五重塔跡                     五重塔礎石

 しかし、奈良町にはもう一つの 元興寺 があります。厳密には新元興寺の僧坊で、極楽曼荼羅を安置したことに始まり、その後改築されて曼荼羅堂となり、今は 元興寺 極楽坊 として、世界文化遺産『古都奈良の文化財』のひとつに登録されています。

 東門を入ると、正面に行基葺きと呼ばれる独特の瓦葺きの屋根を持つ本堂が建っています。この本堂は僧坊の一部で本尊には日本最初の浄土教の研究家として知られる智光が遺した浄土変相図の 『智光曼荼羅』 が祀られています。

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    東門                            本堂

 そしてその奥に同じ行基葺きの屋根に覆われた禅室があります。

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    禅室                            行基葺きの屋根

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      行基葺きの美しい屋根が印象深い本堂と禅室

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      萩で有名な境内は本堂と禅室を囲むように咲き乱れる  

 そしてこの元興寺の境内には2500余基にものぼる石搭や石仏があります。それらの多くは鎌倉末期から江戸中期にかけて作られえた供養仏搭で、『浮図田(ふとでん)』と名付けられた境内に置かれ、毎年8月に行われる地蔵会の万灯供養は南都の風物詩となってます。

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      整然と並ぶ石塔と石仏 

  元興寺8  元興寺9

 本堂、禅室がともに国宝に指定されている元興寺で忘れてならないのが収蔵庫に置かれている奈良時代作と伝えられている五重塔小搭(国宝)です。重文の仏像や庶民信仰資料などがある収蔵庫で、内部まで精密に作られ、往時の建築様式を知る上で貴重な資料といわれる搭はひときわ目を引く存在となっています。

  元興寺6  元興寺5
    法輪館(収蔵庫)                     講堂跡礎石

 境内の真ん中で微妙な色合いの瓦を頂く本堂と禅室の屋根の美しさ、整然と並ぶ石塔と石仏群、木漏れ日の中に置かれた石仏、周囲に植えられた四季の花々に癒され、訪れるたびにタイムスリップしたかのような気持ちになってきます。

 ゆっくりとした時間を過ごした境内の東門の脇では、この寺院らしい清楚な白い椿が見送ってくれました。

伝香寺 ~ 『武士椿』で知られる筒井順慶の菩提寺 ~

 『 奈良七重 七堂伽藍 八重桜 』 芭蕉が詠んだといわれるこの句のように奈良の春は、華やかに桜が彩ることで知られていますが、椿の花も古都の春に色を添えてくれます。

 『洞ケ峠』で有名な筒井順慶の菩提所である 伝香寺 には 東大寺開山堂の『糊こぼし』、白毫寺の『五色椿』とともに『奈良の三銘椿』のひとつである『武士椿』が植えられています。記録によれば、伝香寺 は奈良時代に唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟思託律師が故国を偲んで庵を結んだ実円寺と称していたところで、戦国時代に筒井順慶の母芳秀尼が若くして没して息子の菩提を弔うために再興し、伝香寺と号したといいます。

 『やすらぎの道』沿いに建つ 伝香寺 は境内を白壁の塀で囲み、創建時に建立されたといわれる表門の内からは元気に飛び回る園児たちのにぎやかな声が聞こえてきます。

  伝香寺1  伝香寺3
    やすらぎの道に面して立つ白壁の塀        表門

 その声にひかれるように北門を入ると、左手に弁財天を祀る社、五輪塔が並び、その先には順慶堂が建っています。

  伝香寺4  伝香寺5
    北門                            筒井家の五輪塔と順慶堂

 その参道には目を見張る大きな椿がたくさんの花をつけています。この椿は開創した芳秀尼が供えたといわれ、色がまだ盛りの時に桜の花びらのように一枚一枚散ることから、若くして没した順慶を弔う意味を込め、いつしか『武士椿』の名になったといいます。 

   伝香寺7
     武士椿と呼ばれる散り椿(三代目)

  伝香寺8  伝香寺9
                                   片袖地蔵

 散り椿の奥には巨大な楠木を前に本堂が建っています。安置されている本尊釈迦如来像は京都・方広寺の大仏のモデルとなったとのこと。

   伝香寺10
     本堂

 本堂の隣には大きなお地蔵さん(由留木地蔵)と小さなお地蔵さん(飛雲見返り地蔵)が並び、その横に春日地蔵が安置されているお堂が建っています。『はだか地蔵』とも呼ばれる地蔵尊は鎌倉期の作といわれ、着衣を彫刻せずに表現され、実際の布による着衣が着せられています。衣をまとったお地蔵さまのなんとも可愛らしい表情に心が温かくなってきます・・・

   伝香寺11
      春日地蔵が安置されるお堂と由留木地蔵、飛雲見返り地蔵

 またここは『日本のアンデルセン』といわれた久留島武彦翁が住んで幼稚園をはじめた所といい、境内は園児たちの庭。春の光を浴びて庭を駆け回る姿に思わず笑みがこぼれてきます。

  伝香寺12  伝香寺2
    久留島武彦蟄居の碑                 白木蓮

愛らしいお地蔵さまに癒され、ほのぼのとした気持ちで境内を出てふと見上げた塀の上には白の木蓮が・・・ 『散り椿』と『はだか地蔵』、また逢いに来たいと思います。

大将軍八神社 ~ 方位の災厄から守ってくれる神社  ~

 大将軍とは、陰陽道でいう太白(金星・宵の明星)の精で、方位を司る神。三年ごとに四方を正して十二年で一巡するとされていました。そのため、その方位は三年塞がりとなり、それを犯すと災いが起きると信じられていました。京都市上京区一条通に建つ 大将軍八神社 は平安京遷都の際、桓武天皇の勅願によって都城を護る方除の神として、奈良春日山麓より勧請した大将軍のひとつで、初めは陰陽道のお堂として大将軍堂と称され、応仁の乱の荒廃後に神社として復興。のちに暦の神の八将軍と習合して現在の名称になったといいます。この大将軍は神仏に習合して、神道では素盞鳴尊、仏教では牛頭天王になるそうです。

 大将軍八神社の建つ一条通には、平安時代、打ち捨てられた古道具が『付葬神(つくもがみ)』という妖怪に変化し、変化の神さまに感謝するための大行列をしたという『百鬼夜行』の伝説があります。その伝説から大将軍商店街は一条通を『妖怪ストリート』と銘打ち、妖怪をテーマにした様々なイベントが開催されています。また商店街の各店先にはユーモアたっぷりの古着や古道具で飾られた妖怪たちが並び、道行く人を楽しませてくれます。

  大将軍八神社2  大将軍八神社1
                  『妖怪ストリート』に並ぶ古着をまとった妖怪たち

 妖怪ストリートに面してたつ大将軍八神社の鳥居をくぐり、神門を入った境内の正面に本殿、左側に三社、五社の朱塗りの社が並び、右側には金神・歳徳神を祀る大金神神社、本殿の奥に大杉大明神が祀られた地主神社が建っています。

   大将軍八神社3 
      鳥居と神門 

  大将軍八神社4  大将軍八神社5
                               本殿

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    三社                            五社

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    大金神神社                       地主神社

 そして、入口に大将軍神の石像が置かれた方徳殿(宝物庫)には八十体もの大将軍神像が収納されています。これらの神像は木造で平安中期から鎌倉時代にかけて作られたものといい、その独特な異形には驚かされます。

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           大将軍神像が安置されている方徳殿

 平安京の王城守護のために創建された 大将軍八神社 は千数百年後の現在も移転、旅行、婚姻などの災いから護ってくれる神として信仰されています。

 大将軍八神社の参詣を終え、同じ一条通にある通称・ 椿寺 と呼ばれる 地蔵院 へ五色八重散椿を見に。暖冬といわれる今年はすでにかなりの花が開いていました。加藤清正が豊臣秀吉に献上したものを秀吉がここに献木したといわれる五色八重散椿、なかなか見頃にめぐり合うことはできませんが、ちらほら咲きもなかなか風情があります。本堂の前で参詣者を出迎えてくれるこの椿に今年も春の訪れを感じました。

   大将軍八神社11

晴明神社 ~ 安倍晴明邸宅跡は病気平癒と成績アップのパワースポット ~

 パワースポットといわれる寺社は各地にありますが、京都で修学旅行生に圧倒的に支持されているのが堀川通一条戻橋の北にある 晴明神社 です。ここは 陰陽師・安倍晴明 の邸宅であったところで、晴明が没してから二年後に一条天皇の勅旨により『晴明』を祭神として創建されています。安倍晴明は平安時代中期、摂津国阿倍野(現在の大阪市阿倍野区)に生まれたとされ、陰陽師・賀茂忠行、保憲父子に陰陽道(仏教、道教、神道、修験道の要素を混合させた日本独自の学問)を学び、天文・陰陽道を専らとして朝廷につかえた日本屈指の陰陽師といわれています。陰陽師とは奈良、平安時代の律令制において陰陽寮に設置された官職のひとつであって、晴明は式神(陰陽師に従って神技をおこなう精霊)を扱うことにすぐれ、数々の秘術をあらわしたといいます。

 堀川通に面してたつ一の鳥居は『晴明桔梗』の社紋の額が掲げらる珍しいもので、『晴明桔梗』は『五芒星』とも呼ばれ、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられています。

   晴明神社1
      『五芒星』の額を掲げた一の鳥居

 鳥居をくぐると『一条戻橋』と書かれた石橋があります。これは源頼光の四天王のひとり渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所として有名な一条戻橋を再現したもので、橋の横では陰陽師が使う精霊の式神の石像が置かれています。

  晴明神社3  晴明神社5
    旧一条戻橋                       式神の石像

 二の鳥居を入った手水舎の横には悪病が退散すると伝えられている『晴明井』があります。この井戸は晴明が念じて湧きだしたといい、その水の出るところは毎年立春の日にその年の恵方に向けられるのだそうです。病気平癒のご利益が得られる水は、此処の境内であった場所に千利休の屋敷があったことから利休も使っていたといわれています。

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     二の鳥居

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    晴明井                          千利休屋敷跡の碑

 樹齢300年といわれる楠のご神木が本殿を見下ろすかのようにそびえる境内、屋根に『晴明桔梗』を掲げた本殿の前には安倍晴明の像と厄除桃が置かれ参詣する人を迎えてくれます。

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    ご神木の楠                        『晴明桔梗』の社紋を掲げた本殿

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    安倍晴明の像                      厄除桃

 あちこちにシンボルマークの『晴明桔梗』が描かれている境内はどことなく神秘的な空気が漂っているような・・・とあたりを見回すと制服の修学旅行生と思われる少年、少女が参拝もそこそこに陰陽師グッズの売店に駆け込んで行きました。彼らにとっての阿倍野晴明は映画、漫画で描かれている陰陽師・阿部晴明となっているようです。

 今の私にとって安倍晴明公のパワーが宿っている境内は晴明公のパワーを借りての成績や仕事運アップより、晴明公の念力が込められた水で悪病退治の方にご利益を得たいと思いながら賑わう境内を後にしました。
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