淡路島紀行 5 ~ 千光寺 『淡路富士』の山頂に建つ霊場 ~

 洲本市にそびえる 先山 は『淡路富士』とも呼ばれ、国生みの神話で伊弉諾・伊弉冉尊の二神が淡路島を創ったとき、最初にできた山であったことから名づけられといいます。この先山の山頂に淡路島第一の名刹の 千光寺 があります。

 縁起によれば、醍醐天皇の御代、播磨の国に住んでいた狩の大好きな忠太(藤原豊広)という男が、山奥に住みついた為篠王(いざきおう)と呼ばれる巨大な猪が田畑を荒らすという噂を耳にし、それを仕留めようと山に入り、探し求めていたその猪を見つけ、意を決して矢を放つと、その矢がのど元をそれたものの胸元に刺さりました。ところが巨大な猪はそれをものともせず、『猪突猛進』の如く、山を越え、海を渡り南へ南へと逃げのびてゆき、ついに淡路島・先山頂上近くの杉の古木の前にたどりつきます。するとその杉の木には大きな洞穴があって、中は輝いていることを不思議に思い入ってみると、そこには猪に放ったはずの矢が刺さった大観音像があったといいます。それを見た忠太は『日頃の殺生の罪を実を持って諭されたに違いな』と己の非を悟り仏門に帰依し、観音像を祀るための寺を建立したことが 千光寺 の始まりといいます。

 古木の生い茂った参道を進み、急な石段を上ると不動堂や大師堂などがある境内にでます。ここに祀られている不動明王は『淡路十三仏』のひとつになっているそうです。

  千光寺1  千光寺2

  千光寺3  千光寺16

 その境内を左に歩いていくと目の前に雄大な景色があらわれます。深い緑の山並みの先には鳴門海峡と四国の山並みです 

   千光寺15

 しばし休憩して石段を上ると仁王門がたっています。安置されている仁王像は運慶の作とも伝わっているようですが・・・

   千光寺4

  千光寺5  千光寺6

 門を入った境内の左手に三重塔がそびえ、正面には神使である猪の像を前に本堂がたち、本尊の千手観音は忠太に殺生の罪を諭した観音さまと云われています。そしてここは『淡路島西国三十三ヶ所霊場』第一番札所としても知られています。

  千光寺7  千光寺8
    三重塔                          神使・猪の像

   千光寺9

 境内には鐘楼、護摩堂、六角堂などの諸堂が立ち並び古刹であることが偲ばれます。 

  千光寺10  千光寺11

  千光寺12  千光寺13

 そして、仁王門を出て再び目にした遥か四国までの眺望に感動して山を下りました。

 数十年ぶりに訪れたかった灘黒岩水仙郷の水仙は異常気象で見ることができませんでしたが、淡路島をめぐる旅は新しい発見ばかりで、また季節をかえて訪れてみたいと思います。  
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淡路島紀行 4 ~淡路島七福神めぐり 2~

 淡路島七福神めぐり『和合の神』の布袋尊が祀られている 護国寺 は南あわじ市賀集八幡にあります。京都の石清水八幡宮を開いた行教上人の開創と伝わる高野山真言宗の古刹です。神仏分離以前は 賀集八幡神社 の神宮寺といいます。由緒によれば、賀集八幡神社 は貞観2年(860)奈良大安寺の行教上人が石清水八幡宮の御分霊を奉じて淡路島に建立したことが始まりで、『八幡(やわた)の八幡(はちまん)さま』として親しまれてきたとのこと。現在の社殿は江戸時代に阿波藩主により再建されたものといいます。また、参道にはたくさんの桜が植えられており、淡路島の桜の名所として知られているそうです。

  護国寺1  護国寺2
    拝殿                            本殿

 賀集八幡神社に隣接する 護国寺 の入口には鮮やかな仁王門がそびえ立ち、二体の仁王像が参詣する人を迎えてくれます。

  護国寺3  護国寺8

 門を入いると正面に本堂があり、堂内には数多くの布袋さまが並べられていて心が和みます。蜂須賀家の菩提寺であった本堂の裏手には江戸時代に作られたという美しい池泉回遊式の庭園が広がっています。

   護国寺9

 仁王門脇にある本地堂には阿弥陀如来像、毘沙門天、不動明王が安置されています。

  護国寺7  護国寺6
    本地堂                           にこにこ布袋尊

 本地堂の前でゆったりとして姿で微笑みを浮かべるにこにこ布袋尊に思わず笑みがこぼれます。『家庭円満・和合を授ける寺』 護国寺 で暖かな心を授かりました。

 『大望の神』福禄寿を祀る 長林寺(ちょうりんじ) は洲本市五色町にあります。天平9年(737)僧行基が七堂伽藍を創建し、十一面観音菩薩像を安置したことが始まりで、塔頭も十二坊を構え仏教弘通の霊場として威容を誇っていたといいます。かの菅原道真も九州・大宰府に赴く船待ちの際に、ここを参詣されたとのこと。

 淡路サンセットラインから少し山手に入った高台にある境内には可愛らしい七福神の置物が並べられ、参詣者を出迎えてくれます。

  長林寺3  長林寺4

 かつての大寺も現在は本堂と福禄寿が祀られている堂が並んでいるだけでしたが、歴史あるこの寺は五色町出身で、江戸時代後期の豪商・高田嘉兵衛の菩提寺でもあるといいます。

  長林寺1  長林寺2

 『大望成就を授ける寺』 長林寺 ここでは日々の慎み深さこそが人生を成就できることの福を授かりました。

 『知恵の神』弁財天が祀られている 智禅寺 は淡路市草香にあります。大日如来を本尊とした寺院は、仏法有縁の修行道場として開かれ霊跡といいます。

 山門をくぐると右手に観音堂があり、新しく整えられた境内では色鮮やかな紅梅が春を告げ、手水鉢の前では水かけ弁天にたむけられた水が光り輝いています。

  智禅寺1  智禅寺2

  智禅寺3  智禅寺5

 石段を上ったところにたつ本堂内は参詣する人で賑わっていました。

   智禅寺4

 七福神で唯一女性の神である弁財天は『音楽の神』でもあります。 『良妻・賢母の道を授ける寺』である 智禅寺 では日頃の言葉づかいで他人を思いやる知恵を授かりました。

 淡路島全島にまたがる七福神めぐりは、それぞれのお寺の歴史、祀られている神について学べるこのうえない機会でした。

淡路島紀行 3 ~ 淡路島七福神めぐり 1 ~

 伊弉諾・伊弉冉大神によって最初に生まれた島・淡路島には四百余りの古刹の寺社が点在しています。それぞれの寺社は古くから人々が信仰を育んできましたが、その中でとりわけ七福神は厚い信仰を集めてきたと云われています。祀られている七福神は淡路島全島に点在しており、淡路島そのものが七福神乗合いの宝船に見立てられているようです。

   八浄寺1

 大黒天 を祀る 八浄寺(はちじょうじ) は淡路市佐野にあり、七福神霊場の総本院になっています。 應永年間(1394~)心了法師が阿弥陀如来像造立がお寺の始まり、盛奝上人が浄満寺を中興、その後八幡神社別当寺・八幡寺を合併して 八浄寺 と改称されたといいます。

 道沿いに漂うスイトピーの甘い香りに迎えられて山門を入ると、鮮やかな朱色の瑜祇七福之搭がそびえたっています。この塔内には巨大な水晶の霊玉があり、太陽光を受けた光はその霊玉から四方八方に放射され、その光に包まれた空間では宇宙の霊妙なるパワーを体感できるといいます。外見からも圧倒的な存在感を示す搭のパワーに感服 

  八浄寺2  八浄寺3

 本堂に向かう参道には大師堂、手水舎があり、手水鉢には愛らしい七福神が並び、水を差しだしています。

  八浄寺6  八浄寺4
    大師堂                          手水鉢に並ぶ七福神

 『裕福の神』大黒天が祀られる本堂には、開運を頂きに大勢の参拝者が訪れていました。

  八浄寺5  八浄寺7
    本堂                           四国八十八か所お砂踏霊場

 『身・心の裕福を授けみる寺』 八浄寺 大黒様のパワーを頂きました。

 『長寿の神』 寿老人 を祀る 宝生寺(ほうしょうじ) は天平13年(740)聖武天皇の勅命を受けた僧行基が、自ら刻んだ地蔵菩薩を安置したことが始まりと伝わる古刹で、その地蔵菩薩は『日限地蔵尊』と崇められ、人々に親しまれてきたといいます。 

 淡路市塩田里に位置する宝生寺、 寿老人の幟がたなびく石段を上ると目の前に本堂がたっています。

  宝生寺1  宝生寺2

  宝生寺3  宝生寺4
    本堂

 寿老人が手にする桃は若さのシンボルであり、長寿の実であるといわれています。健康で美しく年をとり、美しく老いてゆくことは誰しも願うこと。『達者で長寿を授けみる寺』 宝生寺 にはそれを願う人がたくさん訪れていました。

 『勇気の神』 毘沙門天 が祀られる 覚住寺(かくじゅうじ) は推古天皇の頃(592)聖徳太子の勅詔のより創建されたと伝えられる淡路島でも最古の寺院のひとつといわれ、往時は七堂伽藍を備えた広大な寺領に数多くの塔頭が並んでいたといいます。

 南あわじ市神代社家に位置する覚住寺、山門の周りには草鞋が所狭しとかけられていましたが、これはおみくじ(

  覚住寺1  覚住寺2

 少し小高い境内からはのどか田畑が望め、毘沙門天の赤い旗の風に揺らめく風情は春の訪れを感じさせてくれました。

  覚住寺3  覚住寺4

 祈祷していただいた『勇気と決断を授けみる寺』 覚住寺 で、これから訪れるであろう老いとの戦いに備えての『勇気』という力を授かりました。

 『律儀の神』 恵美酒神 が祀られる 万福寺 は 宝亀年間(770~)淳仁天皇の御陵と御母当麻夫人の墓守を務める僧侶の宿坊として創草され、その後應永年間にこの地に館を構えた加集しにより再興し寺院となったといいます。

 万福寺は南あわじ市賀集かじやの住宅に囲まれた一角にあります。注連縄のかかった山門を入るといぶし瓦で作られたにこやかな恵美酒神が出迎えてくれました。

  万福寺1  万福寺2

 境内には本堂、薬師堂などの建物と、子育地蔵尊、ボケ除け観音など置かれています。手入れの行き届いた庭で祀られている毘沙門天の前では白梅が春の訪れを告げていました。

   万福寺3
     本堂

  万福寺4  万福寺5
    薬師堂                           子育地蔵尊

 『幸せの釣り方授けみる寺』 万福寺 では努力することこそ幸せへの道が開けるの示唆を頂きました。

淡路島紀行 2 ~ 自凝島神社 日本発祥の地 ~

 古事記・日本書紀によれば、日本の国を創った伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神が初めて降り立った地が『於能碁呂島(おのころじま)』で、天の浮橋に建たれた二神は、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となり、これが『自凝島』となり、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の大八洲(おおやしま)が生まれたといいます。 自凝島神社 (おのころじまじんじゃ) はその国生みの聖地と伝えられる丘の上に社を構え、伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られています。

 京都の平安神宮、安芸の宮島と並ぶ日本三大大鳥居のひとつである鳥居は鮮やかな朱塗りでそびえ立っています。

   自凝島神社1

 樹木に覆われた境内から、参道の石段を上ると右手に紅白の紐のついた『鶺鴒石』が置かれています。案内によれば、伊弉諾・伊弉冉尊はこの石の上につがいの鶺鴒が止まり、夫婦の契りを交わしている姿を見て夫婦の道を開かれ国生みをされたといわれ、その鶺鴒のしぐさが現在の神前結婚式の三々九度に受け継がれる縁結びの起源とのこと。この自凝島神社が縁結び、夫婦円満の神社といわれる起源はここにあるようです。

  自凝島神社2  自凝島神社5
    手水舎                          鶺鴒石  

 拝殿、本殿の奥には摂社の八百萬神社がありますが、ここには国生み神の御神徳をたたえたその御子神・八百萬神が祀られているそうです。

   自凝島神社3
     拝殿

  自凝島神社4  自凝島神社6
                                   八百萬神社

 日本発祥の地である自凝島神社は古くから『おのころ島』と親しまれて崇拝され、縁結び・夫婦円満などの御神徳で知られています。ここに参詣できたことは私の中で、日本の歴史をもう一度顧みる良い機会となりました。

淡路島紀行 1 ~国生み神を祀る 伊弉諾神宮 ~

 瀬戸内海の東部に位置する 淡路島 は瀬戸内海で最大の島。温暖な気候に恵まれ、四季折々に美しい花が楽しめる島は『花の島』として有名ですが、古事記・日本書紀の神話では、淡路島は伊弉諾尊・伊弉冉尊が日本列島の中で最初に創造した島といわれています。また古代から平安時代までは、『御食国(みつけくに)』として皇室・朝廷に『贄(にえ)』を貢いだとされています。

 歴史ロマンあふれる淡路島・早春の旅は伊弉諾神宮からスタートしました。

 淡路市多賀の地に鎮座する 伊弉諾神宮 は『国生み物語』で知られる 伊弉諾大神・伊弉冉大神 をご祭神とする淡路国一の宮です。由緒によれば、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾尊が御子神の天照大御神に国家統治の大業を委譲されたのちに、最初に創造された淡路島・多賀の地に『幽宮(からくりのみや)』を造られ、余生を過ごしたとと古事記・日本書紀に記されており、その住居跡に御陵が営まれ、聖地として神社を創始されたことが起源といいます。

 『くにうみライン』の愛称で親しまている石灯籠が並ぶ県道から表参道にそびえる大鳥居をくぐると緑豊かな神域が広がり、参道に整然と並ぶ灯籠が境内へと導いてくれます。

  伊弉諾神宮1  伊弉諾神宮2

 参道の先には二の鳥居が放生の神池を前にたっています。神池の傍にある手水舎には豊臣秀吉が大阪城築城の際、瀬戸内地方から大量の石材を調達し、運搬する途中に誤ってこの近くの沖合に落としたものを氏子の漁師が引き揚げて刻んで奉納したという手水鉢が置かれていました。

  伊弉諾神宮3  伊弉諾神宮13
    水神の祀られた神池                  奉納された手水鉢

 聖域の周濠の遺構と伝わる神池の反り橋を渡ると、檜皮葺の表神門が参詣する人々を迎えてくれます。

  伊弉諾神宮4  伊弉諾神宮5
    奉納された手水鉢                   表神門

 神門を入ると拝殿、本殿、祓殿などの社殿が古木に覆われた中に立ち並んでいます。

  伊弉諾神宮6  伊弉諾神宮7
    舞殿を兼ねた拝殿                   幣殿と連結した本殿                

  遺残技神宮8  伊弉諾神宮9
    祓殿                            伊勢神宮遥拝所

 伊弉諾神宮は皇室の祖であられる天照御大神のご両親が祀られていることから、歴代の天皇や皇族も多く参拝されており、拝殿の脇には昭和天皇がお手植えされた『楠』が境内を見守るかのように天に向ってそびえ立っていました。

  伊弉諾神宮14  伊弉諾神宮10
    昭和天皇お手植えの『楠』              夫婦大楠と岩楠社

 また、この境内には樹齢900年といわれる大楠がありますが、その大きさは圧巻です  元は二株の楠が成長するに連れて合体し、一株に育ったという奇樹で、伊弉諾・伊弉冉二神の御霊神が宿った御神木として夫婦円満・安産子授・縁結びなどのご利益で崇められているそうです。

 社殿などの多くの建物は明治時代に造営されてた伊弉諾神宮ですが、東西の神門は江戸時代に藩主蜂須賀家よりの寄進、六角鳳輦型の御神與が格納されている神與庫は江戸時代に阿波藩主により寄進されたものといいます。

  遺残技神宮12  伊弉諾神宮11
    東神門                          神與庫

 楠などの樹木に覆われた社に漂う荘厳な空気、身も心も清められて神門をでると早春の眩しい光があたりを包み込み新しい朝が来たような晴れ晴れとした気持ちに・・・

今宮神社 ~ 疫神を祀る神社の『阿呆賢さん』と呼ばれる神占石 ~

 平安京の造営にあたって、南北の中心軸・朱雀大路の北の基点とされた船岡山。疫病退散の神が祀られ、京都三大奇祭のひとつ『やすらい祭』で知られる 今宮神社 はその船岡山の北にあります。社伝によれば、京都に疫病が流行った正暦5年(994)、一条天皇が船岡山に神輿を造って御霊会を催し、さらに長保3年(1001)再び疫病流行したため、船岡山の北に新しく神殿を建立して今宮社と称し、東遊、走馬を奉納したことが神社の始まりといいます。『鎮花祭』とも呼ばれる『やすらい祭』は疫病を鎮めて一年の健康を願う今宮神社の摂社 疫神社 の祭礼で、毎年四月第二日曜日に行われています。また今宮神社は、西陣の八百屋の娘から徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院の氏神社であったことから『玉の輿神社』ともいわれ、良縁・開運のパワースポットになっています。

 今宮通に面した鮮やかの朱色の楼門を入ると広々とした境内が広がり、左手に絵馬舎、正面に拝殿がたっています。

  今宮神社1  今宮神社2

 拝殿の横には『阿呆賢さん』と呼ばれ親しまれている神占石が置かれた小屋がたっています。この『阿呆賢さん』は幅30センチほどの楕円形の石で、手のひらで軽くこの石を撫でて、その手で体の悪いところを擦ると平癒するご利益があるといわれています。また、この石は手のひらで三回たたいて持ち上げると重くなり、次に願い事を唱えながら三回優しく撫でて持ち上げると軽くなる『重軽石(今宮の奇石)』と呼ばれています。但し、軽く感じなければ願い事が叶わないのだとか。手にした石は見た目よりはるかに重いのでビックリ 

   今宮神社6
    『阿呆賢さん』杜呼ばれる神占石

 大国主命、事代主命、櫛稲田姫命を祀る本社は白砂を前に拝殿の先に、西隣はに素盞鳴尊を祀る疫神社が並んでたっています。疫神社は今宮神社が鎮座する前からの社で、その古社に対するために本社は『今宮』の名がついたとのこと。

   今宮神社3 
     本社 

   今宮神社4
     疫神社

 今宮神社は氏子町に絹織物で知られる西陣があり、境内にはその機業家に祀られた織姫神社や若宮社、月読社、地主稲荷社など多数の末社がたっています。

  今宮神社5  今宮神社7
    織姫神社                         若宮社

  今宮神社9  今宮神社8
    月読社                           地主稲荷社

 そして今宮神社で有名な『あぶり餅』は東門をでた参道に向かい合った店で売られています。搗いた餅を小さくちぎり、きな粉をまぶし竹串に刺して炭火であぶり、白みその甘辛いタレをつけた『あぶり餅』は祭のときに神様に捧げた供物がルーツといわれ、その歴史は千年にさかのぼります。千年もの長い間人々に愛された芳ばしい香りが漂う店先、座敷で頂く柔らかで暖かなお餅は懐かしくてここに来るたびに立ち寄ってしまいます。

  今宮神社10  今宮神社11

   今宮神社12

 長い歴史に育まれた今宮神社は荘厳なイメージよりも庶民がいつでも気軽にお参りできるような身近な神社、桜の咲くことにまた訪れたいと思います。

2016 京の冬の旅 2 ~ 相国寺塔頭 養源院・長得院 ~

 臨済宗相国寺派の塔頭寺院は12院あります。そのひとつに 養源院 は室町幕府三代将軍義満・義持父子に寵遇された曇仲道芳が、自ら出世を望むことなく終生黒衣で通して隠棲した禅室『養源軒』を、弟子の横川景三が相国寺山内に移転して再興した寺院です。幕末、京都における藩邸のひとつを相国寺の寺領内に建設した薩摩藩が、戊辰戦争(王政復古を経て明治政府を樹立した薩長ら中核とした新政府軍と旧幕臣勢力による内戦)の中の鳥羽伏見の戦いで負傷した藩士の手当てをする野戦病院として藩士たちの治療を行ったところとして、薩摩藩ゆかりの寺となっています。

 毘沙門天の旗がたなびく山門を入ると正面に『多聞天』の額を掲げた本堂が見えます。

  養源院4  養源院6

   養源院5

 石敷の道は苔と白砂の庭の間を一直線に本堂まで伸び、踏みしめる一足ごとに身が引き締まってくるような気持ちになってきます。

  養源院7  養源院8

 庫裏に続く石敷の道の傍らでは咲き始めた椿が迎えてくれます。そして本堂には本尊・薬師如来像と毘沙門天像(多聞天像)が安置されています。この養源院が野戦病院となったのは本尊が薬師如来像だあることが関係しているのかもしれませんが・・・
秘仏である毘沙門天像は鎌倉時代の慶派仏師の作と伝わっていますが、長い間その存在は知られていなかったそうで、江戸時代、相国寺近くに住む奈良屋与兵衛の夢枕にこの毘沙門天像が現れて『我が像を修復して人々に参拝せしめよ』と告げたことから像が発見されたといいます。左手に戟を掲げ、眼光鋭い表情で立ちはだかっている姿は若々しく、逞しく・・・印象深い毘沙門天像です。また本堂から続く『長生軒』の柱にはここで養生していた薩摩藩士が付けた刀傷がいくつも残っていて、当時の様子がうかがえます。

 また近衛家から移築した書院『相和亭』からは池泉式庭園を見ながら茶室『道芳庵』を望むことができます。ガラス越しに眺める庭園は柔らかな陽ざしに包まれ、春の近さを感じさせてくれました。

   養源院9

 この養源院から少し北に歩くと足利五代将軍義量の菩提寺 長得院 があります。長得院は室町時代の応永年間中頃に創建され、開祖は相国寺第十九世住持を務めた仏慧正続国師で、寺名は五代将軍義量の法号にちなんで付けられたといいます。

 山門を入ると深い緑に包まれた庭が広がっています。

  長得院1  長得院2

 苔の中を石畳の参道が庫裏に向って伸び、庫裏の手前を左に折れると蓮華窓のある方丈の玄関が。

  長得院3  長得院4

 江戸時代に再建された方丈の襖絵は岸派の岸連山による水墨画で描かれています。山水花鳥画を得意とした画家の得意分野が描かれた襖絵は、かなり墨が落ちてはいるももの素晴らしいものでした。そして方丈の南と西に広がる庭は苔や木々に覆われ、その先には広々とした空間が広がりひっそりと静まり返っています。将軍在籍3年、弱冠20歳でこの世を去った五代将軍義量は歴史の表舞台には登場することはほとんどありませんが、今はこの菩提寺で無の境地で時の流れを見つめているのかもしれません。

   長得院5

   長得院6

 相国寺の塔頭寺院は非公開が多くなかなか拝観することはできませんが、また機会があれば他の塔頭寺院の文化財も見てみたいと思います。そして、最後に東門を出たところにある『薩摩藩戦死者墓』に手を合わせお寺を後にしました。

   養源院10
  

2016 京の冬の旅 1 ~ 相国寺 足利義満が創建した『鳴き龍』で知られる禅寺 ~

 毎年1月初旬から3月中旬に、普段は見学できない様々な文化財が特別公開される 『京の冬の旅』、 今年は臨済宗の宗祖・臨済禅師(臨済義玄)の1150年遠諱にあたることから 「 禅-ZEN- ~ 禅寺の美 日本文化の美 ~ 」 をテーマに公開されています。

 紀元前6世紀に菩提達磨がインドから中国に伝えた禅宗、日本には鎌倉初期、二度入宋を果たした栄西によって伝えられました。栄西の伝えた禅宗の一派 臨済宗 は室町・南北朝時代以降、朝廷や幕府の庇護もあって京・鎌倉を中心に大いに栄え、日本の文化・芸術に多くの影響を与えました。京都にある臨済宗大本山の東福寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、大徳寺、妙心寺、南禅寺などの禅寺院には現在も多くの建築、庭園、仏像、襖絵などが残されています。

 そのひとつ、京都御所の北側に広大な伽藍を構える 相国寺 は室町幕府三代将軍の足利義満が発願し、春屋妙葩・義堂周信を開創の中心として創建された臨済宗相国寺派の大本山で、山内に12の塔頭寺院、山外に鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺の3つの塔頭寺院があります。

 今出川通から同志社大学の校舎の間の道を北に歩いていくと総門、西側に勅使門がたっています。総門を入ると広々とした境内に松の大木がそびえ、幹や枝の間からは木漏れ日に照らされた石敷の道が伽藍や塔頭に向って整然と伸び、大寺の威圧感はなく清々しさに包まれています。勅使門の前に広がる放生池には天界橋が架かり、その先の松林になっているところにはかつて三門、仏殿があったといいます。

  養源院1  相国寺3
    総門                            仏殿跡                                                 
 さらにゆるやかな石段を上ると荘厳な法堂が建っています。『無畏堂』とも呼ばれる法堂は慶長10年(1605)に豊臣秀頼が」再建した現存最古の法堂建築で、現在は仏殿も兼ねているそうです。堂内には本尊・釈迦如来像と阿難尊者像、迦葉尊者像が安置され、天井からは狩野光信が描いた巨大な龍『蟠龍』が見下ろしています。この『蟠龍図』は堂内で手を打つとその反響音が天から降る龍の鳴き声のように聞こえることから『鳴き龍』として知られています。

  養源院2  相国寺5
                             法堂(仏殿)

 法堂の周囲には無窓疎石像を安置した開山堂、経蔵、浴室、鐘楼などが建ち、奥には廊下でつながる方丈と庫裏が建っています。

  相国寺6  相国寺7

   相国寺4

 たびたびの焼失と再建を繰り返した相国寺はそのたびに幕府の威信をかけて再建されたといいます。江戸後期に建立され方丈には原在中筆の障壁画が残り、南側には白砂の平庭、北側には深山幽谷を表した枯山水庭園と対照的な庭が広がっています。

 また境内に一角にはこの相国寺や鹿苑寺・慈照寺・塔頭寺院に伝わる美術品を保存する承天閣美術館があり、貴重な美術品を見ることができます。

   養源院3 
     承天閣美術館  
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