下鴨神社 ~ 『葵祭』で知られる世界遺産の古社は縁結びのパワースポット ~

 『古都京都の文化財』として世界遺産に認定されている 下鴨神社 は正式には 賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ)といい、創建は天平勝宝2年(750)頃と伝えられ、平安遷都後は王城鎮護の社として朝廷や公家、武家の崇敬を集めたといいます。上賀茂神社と下鴨神社を合わせた賀茂社の例祭(5月15日)が『葵祭』です。古くは『賀茂祭』と呼ばれていましたが、祭儀に関わる人々から牛車、氏子の家の軒下にいたるまで『双葉葵』を掛けたことから『葵祭』と呼ばれるようになったとのこと。古典文学の『源氏物語』『枕草子』『今昔物語集』にも登場する『葵祭』は、欽明天皇の代に国内が風水害で凶作に見舞われたため、ト部伊吉若日子に占わせると、賀茂神の祟りであることがわかり、4月の吉日に馬に鈴を付けて走らせて祭とし、五穀豊穣を祈願したことが始まりといわれています。

 御蔭通のから鳥居をくぐると原生樹林に覆われた糺の森が広がり、その真ん中を下鴨神社の参道がまっすぐに明神鳥居に向って伸びています。

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    世界遺産の碑                       糺の森の中を通る下鴨神社参道   

 参道の両側には絨毯を敷き詰めたような落ち葉が積もりその間を清流の泉川、御手洗川がぬうように流れています。清涼感の漂う参道には冬の木漏れ日が・・・

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 さらに参道を進み、朱塗りの明神鳥居をくぐると左側に縁結びの神さまとして有名な神皇産霊神の祀られた相生社があります。この相生社の横には『恋を叶えるご神木』として絶大な人気を誇る『連理の賢木(れんぎのさかき)』がそびえ立っています。2本の木が途中から1本に結ばれているという珍しいもので、『京の七不思議』のひとつになっています。しかもこの木が枯れると、糺の森のどこかに跡継ぎが生えるとの言い伝えがあるとのこと、因みに現在のご神木は4代目にあたるそうだす。

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     縁結びの神さまが祀られる相生社

 楼門を入ると正面に舞殿、左に神服殿、右に御手洗川の上に橋殿の建物と入口に須佐之男が祀られている出雲井於神社があります。この神社は周囲にどのような木を植えても、柊葉のようなギザギザになることから比良木社とも呼ばれています。

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    楼門                            舞殿

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    神服殿                          橋殿

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    中門                           拝殿

 中門を入ると下鴨神社の特徴ともいえる干支の守り神が祀られた7つの社『言社(ことしゃ)』があります。大国主命は七つの名前を持っていることから名前ごとに神社が祀られ、十二支すべての守護神が揃う珍しいところです。

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     十二支が祀られた言社 

 東西二殿から成る本殿は、西殿に国民の平安を祈願する賀茂建角身命が、東殿に縁結び・子育ての神として信仰されている玉依姫命(賀茂建角身命の娘)が祀られ、ともに国宝になっています。  

 そして本殿の東側に病気やけが、災難除けの神さまとして知られる瀬織津姫賣命を祀る御手洗社(井上社)があります。この社は井戸の上に建てられており、社の前の池は『みたらし池』と呼ばれ『みたらし団子』発祥の地と伝えられています。 水で足を洗い身を清める『御手洗祭(夏の土用の丑の日に行われる足つけ神事)』が近づくと、この池からふつふつと湧いてくる泡をかたどって作ったのが始まりといいます。またみたらし池の南の庭は葵祭に先立って行われる斎王代が禊ぎをされるところとて知られています。池に架かる輪橋のたもとにある紅梅は尾形光琳の代表作『紅白梅図屏風』のモデルとなった紅梅で、通称『光琳梅』と呼ばれていますが少し早かったので残念ながら、今回はその愛らしい姿を目にすることはできませんでしたが。

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      御手洗社とみたらし池

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      輪橋

 古代の山城の名残をとどめる森に鎮座する下鴨神社、歴史ある数々の行事も魅力ですが四季折々に趣がある糺の森は手軽な散策にオススメです。
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河合神社 ~ 女性守護の神を祀る鴨長明ゆかりの神社 ~

 賀茂川と高野川が合流し、鴨川と名前を変える賀茂大橋北側にある三角州は『鴨川デルタ』と呼ばれ親しまれています。この三角州を北に歩いて行くと、クスノキ、ケヤキ、ムクノキなどの原生林が生い茂る 糺の森 が広がっています。その森を入ったところに下鴨神社の第一の摂社 河合神社 がたっています。社名の由来は、高野川と賀茂川が合流する地にあることからといいます。 河合神社 のご祭神は玉依姫命(神武天皇の母)で、古くから女性の美の神さまとして信仰される女性守護神として知られています。そして河合神社は『方丈記』の著者として知られる鴨長明ゆかりの神社でもあります。

 糺の森を流れる瀬見の小川に架かる紅葉橋を渡ると河合神社の朱塗りの鳥居がたっています。

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                                   瀬見の小川に架かる紅葉橋

 鳥居をくぐると左手に三井社、右手に神門があり、入口には『女性守護 日本第一美麗神』の表札が。

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                                   三井社

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     神門

 神門を入った先にある舞殿の両脇には奉納された絵馬がたくさん掛っていますが珍しい柄鏡の絵馬。顔の描かれた表面にメークされた絵馬がその大半を占めています。絵馬の表面に描かれた顔に持参したメーク道具で願いを込めて化粧し、裏面に願いを書くとその願いが叶う・・・とここは若い女性のパワースポットになっています。

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    舞殿                            柄鏡の絵馬

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    拝殿                            六社

 拝殿、六社などの社殿が立ち並ぶ境内の一角には『長明の方丈』が建っています。これは鴨長明が『方丈記』を執筆した方丈を再現したもの。

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 平安時代末期から鎌倉時代にかけて歌人・随筆家として知られる鴨長明は河合神社の神官・鴨長継の次男として生まれましたが、神職につくことは叶わず50才の時に出家し、東山、大原、日野で閑居生活に入ります。そして各地を移動して歩いている間に仕上げたのがこの方丈といわれ、建物は移動に便利なようにすべて組み立て式になっているそうです。世の無情と人生のはかなさを著した『方丈記』、こうした簡素な生活の中で執筆されていたのです。

出町妙音堂 ~ 七福神のひとつ弁財天を祀る寺~

 『』をもたらすとして信仰されている七福神。その七柱の神が祀られている神社仏閣を参拝してご利益を頂き、ご朱印を頂く『七福神めぐり』は京都が発祥といわれています。新春の巡拝は功徳が大きいといわれることから、この時期に『七福神めぐり』をする人も多いようです。京都市上京区河原町通今出川上ル東入ル青龍町にある 出町妙音堂 はその七福神のひとつ『弁財天』が祀られ 出町の弁天さん として親しまれている寺院です。

 京阪電車の出町柳駅を出て、高野川に架かる河合橋、賀茂川に架かる出町橋を渡ると左手に鳥居が見え、入り口には妙音弁財天の石柱がたっています。

  出町妙音堂2  出町妙音堂1

 こじんまりとした境内には社務所、手水舎、本堂、六角堂、豊川稲荷社が建っています。出町妙音堂の本尊は青龍妙音弁財天画像で、西園寺公衡の長女寧子(光厳・光明天皇の母)が後伏見天皇に嫁したときに念持仏として持参し、伏見離宮に祀られていて、江戸時代に伏見宮邸がこの地に移るとともにこの本尊も遷座されたといいます。明治維新で一時東京に移った本尊は京都の信徒の請願により現在の地に祀られたとのこと。一説ではこの青龍妙音弁財天画像は弘法大師空海の筆とも云われているようです。

   出町妙音堂3
     青龍妙音弁財天画像が置かれる本堂

 琵琶を弾く妖艶な姿で現される弁財天は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されていますが、水の神という性格もあったといわれています。その水の神の使いは蛇とされていることから本堂の軒下には奉納された蛇の額がたくさん掲げられています。

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     本堂の軒下掲げられた蛇の額

  出町妙音堂7  出町妙音堂5
    社務所                          六角堂

 本堂の裏手に建つ六角堂、この堂を時計回りに年の数だけ願いを込めながら回るとそれが叶うといわれています。若い人は年の数だけ回れてもこの年齢では、目が回ってしまいそう・・・そんなことを思って回っていると気の早い紅梅に出会いました。

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    境内に咲く紅梅                     豊川稲荷社

 境内を出て、煌めく賀茂川の流れに『春は遠からじ』を目にしたような気が・・・

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     賀茂川と大文字山

幸神社(さいのかみのやしろ) ~縁結び・鬼門除けの神さま~

 『縁結びの神』として崇められる神社はたくさんありますが、京都市上京区寺町通西入ル幸神町にある 幸神社(さいのかみのやしろ) は日本最古の縁結びの神さまとして信仰されています。もともとは賀茂川の河原に祀られていた道祖神で、出雲路神とも呼ばれ、この地に蟠踞していた出雲氏の氏神であったようです。天武天皇の白鳳時代になって再興、桓武天皇が平安京創建の際に都の東北鬼門除け守護神として造営され、当初は 出雲路道祖神 と呼ばれていましたが、江戸時代現在の地に遷座された時に 幸神社 の改められたといいます。ご祭神の猿田彦大神はここ地に伝わる道祖神信仰と習合し、古くから霊験あらたかな縁結びの神として信仰されています。

 今出川通から寺町通を北に進むと一筋目に、『縁結び・厄除け 幸神社』と書かれた石柱があり、左に曲って少し歩くと民家に挟まって幸神社の鳥居がたっています。

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 かつて広大な社域を誇ったという神社は住宅地の中でひっそりと境内を構えていました。中に入り拝殿に進むと入口には烏帽子をかぶり御幣を担いだ猿が描かれた絵馬がかけられています。

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    手水舎                          絵馬

 本殿の東北隅では鬼門である東北の空を見上げ、疫神や邪悪などの侵入を防ぐ御幣を持った鬼門除けの猿の像を格子越しに見ることができます。この像は左甚五郎の作ともいわれていますが定かではないようです。

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    東北鬼門に置かれた神猿              末社

 社殿の横には末社の社が並び、その間に『おせきさん』と呼ばれる神石が祀られています。この神石は祈願すると縁結びのご利益があるといわれ、また触れると祟りがあるともいわれています。

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     『おせきさん』と呼ばれる神石

 『』という字は幸せというイメージに結びつき、 幸神社 に参拝したことで幸多い一年になるような・・・そんな思いで神社を後にしました。

正善院(四天王寺庚申堂) ~ 庚申信仰発祥の地 ~

 民間信仰のひとつ 庚申信仰 は中国の道教の伝説にもとづくもので、日本には平安時代に伝わり江戸時代に盛んになったといわれています。庚申信仰にゆかりある寺社は日本各地にありますが、大阪市天王寺区堀越町にある 四天王寺庚申堂 (正善院) は『庚申信仰発祥の地』といわれています。由来記によれば、文武天皇の時代、疫病が大流行し、それを鎮めようと四天王寺の僧毫範が一心に祈ったところ、大宝元年(701)正月7日庚申の日に帝釈天の使いとしてあらわれた童子から青面金剛童子像を授かり、それを祀るとたちまち疫病が治まったとのこと。以後60日ごとの庚申の日に青面金剛童子に祈れば一願が叶えられると参詣人で賑わうようになったそうです。

 JR天王寺駅から北に300m程歩くと四天王寺庚申堂の赤い山門が見えてきます。入口には『本邦最初 庚申尊』の石柱が。

   正善院1

 大木が見下ろす境内に入ると青面金剛童子と書かれた青色の幟がはためき、本堂が建っています。祀られている本尊青面金剛童子像影は秘仏で拝観できるのは60年に一度とのことで、見ることはできませんが家内安全、無病息災を祈願・・・

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   正善院4

 庚申信仰では青面金剛とよばれる神体が本尊ですが、神道の猿田彦神とも結びついているのは『猿』の字が庚申の『申』に通じたことから猿田彦神が塞の神と同一視されたといわれています。そのことから『猿』は庚申の使いといわれています。使いである『猿』は境内の三猿堂で、木彫りの『見ざる・言わざる・聞かざる』の三猿像として祀られ、庚申日には開帳され、庚申参りのに日はコンニャクを北に向かって食べると利益があるという習わしや、『見ざる・言わざる・聞かざる』の加持を受ければ痛いところが治るともいわれているそうです。

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 そして三猿の像に別れを告げ北に向って歩くと、 超願寺 があります。超願寺の創建は古く、推古天皇22年(614)聖徳太子の創建と伝えられ、太子が蘇我馬子の末子慧観を住まわせたとのこと伝えられています。

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 ここには浄瑠璃節の祖・竹本義太夫の墓があります。この付近に生まれた義太夫は将来歌うことが好きで、中年になって浄瑠璃の稽古を始めたがどれも自分の気にいらず、独得の音節をつけて『義太夫節』を考案。これが大阪市中の人気を得て、新派浄瑠璃の大家となり竹本座という人形浄瑠璃芝居を始め、そして近松門左衛門を作者のに迎え後世に残る作品を発表し、人形浄瑠璃の地位を確立したといいます。

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 人形浄瑠璃が『文楽』と呼ばれるようになった現在も、竹本義太夫の考案した義太夫節がなければ存在しない大阪を代表する伝統芸であることを改めて感じました。

猿丸神社 ~ 癌封じ、病気平癒で知られる『猿丸さん』 ~

 三十六歌仙のひとり 猿丸太夫 は実在の人物かどうか定かではないようですが、『小倉百人一首』に詠まれている

      奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき 

を知らない人はいないのではないでしょうか。

 京都府綴喜郡宇治田原町にこの猿丸太夫を主祭神とした神社があります。 神社の創建は不詳のようですが、猿丸神社 が建つ地は猿丸太夫が晩年隠棲したところと伝えられています。またこの神様はできものなどに霊験があるといわれ、癌封じや病気平癒に訪れる人も多いようです。

 今年に干支は  ということもあり、猿丸神社に初詣に。

 猿丸神社 は府道783号沿い、京都府宇治田原町と滋賀県大津市の県境近くに位置しています。府道から参道に入り、一の鳥居をくぐると左手に裏参道の石段があり、さらに右手にすすむと表参道があります。

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 いつもはひっそりとしている境内は初詣の人でにぎわっていました。そして表参道の石段の途中では夫婦猿が出迎えてくれます。

   猿丸神社3  

 石段を上りつめると本殿が建ち、狛犬ならぬ狛猿が置かれています。

   猿丸神社6

  猿丸神社4  猿丸神社5

 本殿の入口には病気が治癒した人々の奉納した木瘤が積み上げられていました。 

 賑わう本殿の脇には『猿丸太夫故跡』の碑が。

    猿丸神社7 

 そして絵馬掛けにはかわいい猿の絵馬が。表に猿の顔の輪郭と口が印刷されている絵馬に、参拝する人が目や鼻などの表情を描き、裏に願掛けの内容や名前などを書いて奉納したもので、個性豊かなユニークな絵馬が並んでいました。

   猿丸神社8

 申年にサルにゆかりある神社への初詣、今年の平穏無事を願って神社を後にしました。
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