泉涌寺別格本山 雲龍院 ~ 走り大黒天が祀られる皇室ゆかりの写経道場 ~

 泉涌寺の大門から奥に入ったところに、別格本山の 雲龍院 があります。寺伝によれば、雲龍院は応安5年(1372)に後光厳天皇が創建、竹厳聖皐により開山され、後円融・後小松天皇の帰依を得て発展しましたが、焼失や兵火、地震による倒壊などで度々被害に遭うも、寛永16年(1639)に中興の祖、如周正専が後水尾天皇の援助で黒戸御殿を再建、以後諸堂の修理や鐘楼等の建立がなされたといいます。

 泉涌寺の大門を左手に見ながら樹木におおわれた参道を進むと山門、その奥に勅使門が見えてきます。山門を入り正面の庫裏に向って進むと鐘楼脇の鮮やかな楓が目に入ってきました。

  雲龍院1  雲龍院2
    山門                            鮮やかな楓と鐘楼

 赤い毛氈の敷かれた玄関を入ると衝立の龍が迎えてくれます。

   雲龍院3

 龍華殿と呼ばれる本堂の中央には薬師如来三尊が安置されています。その屋根はさわら材を竹の釘で打った杮葺きの貴重な物といいます。写経道場として知られる雲龍院、堂内には薬師如来三尊と並んで写経塔が置かれ、その前には写経机が並べられていました。そして皇族の位牌堂である霊明殿は明治元年に建立され、内陣には後光厳をはじめとする歴代天皇、江戸時代の皇子、皇女の位牌が置かれています。霊明殿前には徳川慶喜寄進の石灯籠が白砂で描かれた菊の御門上に置かれています。

  雲龍院8  雲龍院7
    本堂と石灯籠                      霊明殿と石灯籠

 書院は中庭を囲むように清浄の間、蓮華の間、大輪の間、月窓の間、悟りの間から成り立っています。蓮華の間にある障子窓からは四枚の異なった絵画にような風景を眺めることができます。

   雲龍院4
     障子窓から見る庭園  

 障子が開け放たれた大輪の間からは赤や緑の美しいコントラストに包まれた庭を堪能することが。建物に囲まれているためか、風の音も鳥の声もない静寂な庭は眺めているだけで心の中が穏やかになり、身も心も清められすがすがし気持ちになって行きます・・・

  雲龍院6  雲龍院6
 
 庭園を囲む間からはそれぞれに異なった趣きや情緒ある風景を眺めることができます。

  雲龍院9  雲龍院10
    廊下に置かれた柿の実                悟りの窓からの風景

   雲龍院11  雲龍院12
     緑のある風景                      光に浮き出された五色の紅葉

 そして泉山七福神のひとつ大黒天は台所に祀られています。『走り大黒天』と呼ばれる黒光りした大黒様は、草鞋ばきで大きな袋を背負い、水晶の入った眼で睨みつけられているようで怖さを感じますが、走って家に幸福を運んでくださる有り難い神様のようです。

 福徳をもたらす神として信仰されている七福神、山内に9人の神様がいる泉涌寺の寺院を廻り、今年もつつがなく過ごせたことに感謝、そして新しい年も元気で過ごせることを祈願して山内を後にしました。 
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泉涌寺子院 観音寺 ~ 病気平癒の観音さまがおられる西国三十三カ所観音霊場 ~

 山内に多くの子院が点在する泉涌寺、西国三十三カ所観音霊場の第十五番札所で『ぼけ封じ』や『智恵授け』の観音さまとして知られる 観音寺 も子院のひとつです。観音寺と号する寺院は全国に数多く存在していますが、泉涌寺子院の観音寺は東山三十六峰の南に連なる今熊野山の麓に位置することから通称 今熊野観音寺 、そして親しみを込め『今熊野の観音さん』と呼ばれています。寺伝によれば、弘法大師空海が、熊野権現の化身の老翁から十一面観音像を授けられて草創し、藤原緒嗣が伽藍を建立。その後、熊野権現を深く信仰した後白河法皇がこの地にあった法住寺殿に熊野権現を勧請して社殿を建立した際に、観音寺の山を本地仏に擬して山号と寺名を与えられおおいに隆盛したといいます。しかし、応仁の乱の兵火により衰退し、泉涌寺の子院となったとのこと。

 子院が立ち並ぶ泉涌寺の参道から左に下って行くと渓谷にかかる朱塗りの鳥居橋が見えてきます。

   今熊野観音寺1

 橋を渡ると『今熊野観音寺』『西国十五番』と書かれた標札のかかった門があり、その先に子供と戯れる弘法大師の像が立っています。

  今熊野観音寺2  今熊野観音寺3

 木漏れ日がさし込む石段を上ると正面に本堂が建っています。安置されている本尊十一面観音は頭痛持ちであった後白河法皇が霊験によって持病が治ったといわれる説話から頭痛、中風封じの観音さまとして篤く信仰されています。

   今熊野観音寺4 

   今熊野観音寺5

 本堂の右手には大師堂があり、『泉山七福神』のひとつである恵比寿神が安置されています。

  今熊野観音寺6

そして本堂の裏手の少し小高いところには日本の医学の発展に尽くして人を祀る多宝塔・医聖堂が澄み切った冬空に向ってそびえいます。

    今熊野観音寺8  

   今熊野観音寺7

 願掛けに訪れる人の途切れた境内は、舞い落ちた木の葉がカサカサと飛び交い紅葉シーズンの終わりを告げているようでどこか物寂しく・・・朱色の橋に送られて観音寺を後にしました。

   参考データ

 泉山七福神は泉涌寺山内の寺院を廻る七福神巡りの行事で、毎年成人の日に行われています。

  第一番 福禄寿 即成院  第二番 弁財天 戒光寺  第三番 恵比寿神 観音寺  第四番 布袋尊 来迎院    
  第五番 大黒天 雲龍院  第六番 毘沙門天 悲田院 第七番 寿老人 法音院

  番外 楊貴妃観音 泉涌寺楊貴妃観音堂  番外 愛染明王 新善光寺

泉涌寺子院 来迎院 ~ 『忠臣蔵』大石内蔵助ゆかりの寺 ~

 人形浄瑠璃や歌舞伎の演目で知られる『忠臣蔵』、その中心人物の大石内蔵助ゆかりといわれるところは京都にも多くあります。泉涌寺子院 来迎院 もそのひとつ。元禄14年(1701)、赤穂藩家老・大石内蔵助は赤穂を退き浪人となった時、外戚の来迎院住職・卓厳韶興宗師を頼り、山科に居を構えて来迎院の檀家となったといいます。そして、同族の進藤源四郎とともに書院を再建、さらに弘法大師が独鈷をもって掘ったと伝わる名水が湧き出ていることから茶室を建立し、そこで茶を楽しむとともに仇討の策を練り、同士との密会も行ったといわれています。

 来迎院 は弘法大師が大同元年(806)、唐の国で感得した荒神尊をこの地に祀ったことが始まりと伝えられ、建保6年(1218)に月翁智鏡律師が堂宇を開創して泉涌寺子院としたといいます。

 高い樹木に囲まれた泉涌寺の参道を歩き、やがて左手に折れ右方向に行くと宮内庁の管理事務所が見えてきます。渓谷のような小道を進むと木漏れ日の中に山門がたち、その先の小高くなったところに荒神堂の建物が見えています。明治の廃仏毀釈でこの荒神堂のみを残して荒廃した来迎院、その荒神堂には日本最古といわれる木像荒神坐像が安置されています。

  来迎院1  来迎院6
    山門                            荒神堂  

 荒廃した来迎院は大正時代に玄暁和尚の努力により、本堂などの建物が新しく建立され、庭や茶室なども補修され現在の姿になったそうです。

   来迎院3
     本堂

 荒神堂に向かう参道の傍らには弘法大師像と弘法大師が掘ったといわれる独鈷水が湧き出ています。

  来迎院4  来迎院5

 紅葉の隠れた名所として知られる来迎院ですが、静寂に包まれ境内はまるで森の中にいるような気がしてきます・・・

  来迎院2  来迎院7
                            錦秋の境内                       

 大石内蔵助ゆかりの茶室含翠軒は山門を入った左手の含翠庭の中に建っています。茶室の軒下にある扁額『含翠』は大石の筆によるものだそうです。

  来迎院10  来迎院8  
    含翠庭                           客殿 

   来迎院9
      茶室含翠軒                           

  来迎院11  来迎院12

 緑、赤、黄のコントラストの鮮やかな庭は足下を撫でるような草花が心地よく感じられ、ところどころに置かれている灯籠、心字池に浮かぶモミジの葉・・・身震いすような風景に時の立つのを忘れてしまいました。そしてしんしんと、凛々とした真冬のこの庭を訪れてみたいとの思いが募りました。

泉涌寺子院 即成院 ~ 極楽浄土は那須与一ゆかりの寺 ~

 皇室の菩提寺として知られる 泉涌寺 の山内には多くの子院が点在しています。弓の名手 那須与一  ゆかりの寺として知られる 即成院 もそのひとつ。寺伝によれば、正暦3年(992)に恵心僧都が伏見に建立した光明院が始まりで、平等院会を建立した藤原頼道の子、橘俊網が阿弥陀堂を移設したと伝えられています。現在の地には明治時代に移転し、泉涌寺の子院となったとのこと。また那須与一の墓とともに知られているのが『二十五菩薩お練り法要』です。 これは阿弥陀如来の来迎する様を具現化した法要で、本堂を極楽浄土、地蔵堂を現世に見立ててそれを橋で結び、、菩薩の面をかぶった子供たちが来迎礼讚に合わせて練り歩き往復することで極楽浄土に導かれる様子を表したもので、京都でもユニークな行事のひとつといわれています。

 東大路通から泉涌寺道を上って行くと、『御寺泉涌寺』と標札のある総門があり、その左手に即成院の門が開かれ、入口には『極楽浄土』『願いが的へ』と書かれたのぼりが張られています。

  即成院1  即成院2
    泉涌寺総門                        即成院山門

 境内に入ると地蔵堂、庫裏、本堂などの建物と幾つもの石像が建っています。

  即成院3  即成院5
    地蔵堂                           庫裏

  即成院6  即成院4
    本堂                            境内に並ぶ石像

 本堂に入ると内からは優雅な笙の音が聞こえ、その音色に誘われるように内陣に入ると中央に阿弥陀如来像、その両側に二十五菩薩が安置されています。これらの仏像は平安時代の仏師、定朝とその弟子の作といわれています。極楽浄土に導いてくださるといわれる阿弥陀様、豊かな表情で取り囲む二十五菩薩様、室内に流れる笙の響き、香が漂うこの場所はまさに極楽浄土・・・なのかもしれません。日頃の煩悩が嘘のような穏やかな気持ちに・・・

 即成院は平家物語で知られる屋島の合戦のヒーロー・那須与一が合戦の後に庵を結び没したところと伝わり、本堂の裏手には墓といわれる供養塔があります。

  即成院7  即成院8

 与一が見事に扇の的を射ることができたのは阿弥陀様に祈願し、精神を集中したからといわれ、与一の武勲にあやっかて堂内には願い扇が沢山奉納されていました。私も、『願いが的へ』叶うよう、また『極楽往生』を願ってこの供養塔に手を合わせ、即成院を後にしました。    

東福寺塔頭 芬陀院 ~ 京都最古と伝わる雪舟作の枯山水庭園『鶴亀の庭』 ~

 東山三十六峰のひとつ月輪山麓に広大な伽藍を構える 東福寺 は寺域に多くの塔頭が並び、それぞれに趣きある茶室や庭園、そして由緒ある仏像が安置されています。そのひとつ 芬陀院 は室町時代の水墨画家 雪舟 の作庭した枯山水庭園があることで知られています。別名・雪舟寺とも呼ばれる 芬陀院 は鎌倉後期、ときの関白一条内経が定山祖禅和尚を開山として創建されています。

 芬陀院、雪舟寺の標札が掛る山門を入ると苔の植えられた参道に石畳がまっすぐに伸び、清められた石畳を歩くと禅寺の凛とした空気が漂ってきます。

  芬陀院1  芬陀院2

 御所から移築された大玄関の唐門を入り、順路に向って進むと白砂の眩い枯山水庭園が広がっています。

      芬陀院3

   芬陀院4
      雪舟作の『鶴亀の庭』

 『涙で描いた鼠』の逸話で知られる雪舟は、禅僧になるため東福寺の末寺に入り、本山来山の折にはこの寺に起居したといいます。当時大檀徒であった一条兼良の所望により作庭された庭がこの『鶴亀の庭』で、京都最古の枯山水といわれています。冬の柔らかな陽ざしを受けながら、深い緑の樹木を背景に、石で描かれた鶴と亀が苔の上に表現された庭を眺めていると心地よい時が流れこの場から離れがたい気持ちになってきます・・・
 そしてこの南庭の東側には南庭を復元された重盛三玲氏が新たに手がけた『鶴亀の庭』が作られています。光と影が織りなす美しい庭は南庭とは違った新しさを感じさせてくれました。

   芬陀院5
      新たに作られた東庭  

 また建物一角には茶室が設けられています。『図南亭』と呼ばれる茶室で、『茶関白』と呼ばれた一条恵観が東福寺参拝の折に茶を楽しんだと伝えられています。当時の茶室は火災で焼失していますが、再建された現在の茶室も往時の姿を偲ばせるものといい、室内に木像が安置され、路地には愛用の手水鉢や灯篭も置かれていました。

  芬陀院6  芬陀院7
    図南亭                           図南亭からの東庭

     芬陀院8
       路地に配された手水鉢と灯籠

 塔頭が並ぶ東福寺の一帯はかつて藤原氏の氏寺・法性寺の大伽藍があったところで、 同聚院 は藤原道長が建立した法性寺五大堂のあった付近といわれています。開山は琴江令薫禅師で、安置されている本尊不動明坐像は仏師定朝の父康尚の作といわれています。この不動明王は『十万不動明王』と称され、十万の従者を従える不動で、火除けの信仰で知られています。不動明王といえば厳めしさをイメージしますが、まじかで拝まていただいた不動明王はなんと優美で優雅なことか・・・不動明王のイメージをが覆されました。

  芬陀院9  芬陀院10

 今だ色あせない紅葉は大本山の東福寺以外にもありました。東福寺の北方を守護する毘沙門天が安置されている 勝林寺 には 吉祥紅葉 と称される色鮮やかな紅葉があります。紅葉の美しさから吉祥天が宿るモミジといわれているそうで、良縁を求める情勢にご利益があるとか。毘沙門堂の前で色鮮やかに枝を広げたモミジはまさに美しいの一言・・・以前訪れたときはみずみずしい新緑に感動しましたが、あの紅葉がと思わず見とれてしまいました。

  芬陀院11  芬陀院12

 この勝林寺は天文19年(1550)に高岳令松によって創建されています。本堂は近衛家の大玄関を移して建立され、毘沙門堂に安置されている毘沙門天像は平安時代の作で、東福寺仏殿の天井内に秘かに安置されていたものを開山の高学令松が発見し勝琳寺の本尊として祀ったといいます。

 大本山東福寺には塔頭が25寺院あります。その多くが非公開になっていてなかなか拝観する機会がありませんが、広大な寺域を散策すると四季折々に美しい風景や花木と出会え、それを楽しみに毎年ここを訪れています。今年は色鮮やかな紅葉との出会いでした。さて、来年は・・・

東福寺 ~ 谷間を染める紅葉と壮大な伽藍 ~

 紅葉の名所といわれるところが数多く存在する京都にあって、ベストスポットとして必ず登場するのが 東福寺 です。 鎌倉時代に摂政九条道家が九条家の菩提寺として創建した寺院で、寺名の東福寺は東大寺と東福寺から『東』と『福』の二字をとり 東福寺 と命名されたことで知られています。伽藍の造営には20年余りの歳月を要し、道家は完成をみずして没し、息子の実経(一条家の祖)の代でようやく完成したといいます。開山は日本ではじめて天皇より聖一国師という国師号を与えられた円爾弁円で、当初は天台・真言・禅の三宗兼学の寺として広大な地に諸堂が甍を連ねていたといいます。しかし鎌倉末期の相次ぐ火災で大部分が焼失、ただちに復興された諸堂はその後は足利、豊臣、徳川家の保護修理が加えられ、現在も鎌倉・室町期の禅宗様式の堂塔伽藍が残されているそうです。

 伏見街道に面した北門を入り、退耕庵、龍眠庵など塔頭の並ぶ参道を行くと臥龍橋が見えてきます。臥龍橋からは洗玉澗と呼ばれる渓谷を挟んで 通天橋 を見ることができます。谷間を染める真っ赤な紅葉にあちこちから感嘆の声とシャターの音が・・・

  東福寺1  東福寺2
    臥龍橋                           臥龍橋から見る紅葉と通天橋

 日下門から境内に入ると日本最古最大を誇る禅堂、日本最古の東司が並び、その向かいには三門、本堂(仏殿)がそびえ立っています。思遠池を挟んでたつ国宝の三門は足利初期の建築で日本最古最大といわる建造物で、その大きさには圧倒されます。三門の北側にたつ本堂は昭和の再建で、天井には堂本印象作の蒼龍図が描かれています。

  東福寺3  東福寺4
    禅堂                            東司

  東福寺5  東福寺6
    三門                            本堂(仏殿)

 本堂の北側には明治に再建された庫裏と方丈がたち、方丈には重盛三玲氏により作られた『八相の庭』と称する四つの庭があります。『八相の庭』とは四庭に配された「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壷梁」「八海」「五山」「井田市松」「「北斗七星」の八つを「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)」に因んで命名されたといいます。方丈を取り囲むように東西南北に作られた庭は鎌倉時代庭園の質実剛健を基調にして現代芸術の構成をを取り入れられたとのこと。白砂で描かれた砂紋の中に置かれた石組、緑の苔の中で輝きを増す白砂・・・この『八相の庭』は何度見ても新しさを感じてしまいます。

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    庫裏                            南庭(瀛洲・蓬莱・壷梁・方丈・五山・八海)

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    西庭(井田市松)                    北庭(小市松)

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    東庭(北斗七星)                    方丈通天台からの通天橋

 東福寺で最も有名な 通天橋 は方丈と開山堂を結んでいる橋で、ここから眺める洗玉澗の新緑と紅葉は京都を代表する風景のひとつになっています。紅葉の季節はもちろん素晴らしいのですが、私は若葉が芽吹きだす新緑のみずみずしい景色に心が奪われます。

   東福寺13  

  東福寺18  東福寺14


 紅葉の時期を過ぎた初冬の今はさすがに人の数も少なく、開山堂にもスムーズに。楼閣を屋根にのせた開山堂には聖一国師が祀られています。開山堂と聖一国師が住んでいた方丈の普門院のあるこの場所は建物と山の緑に囲まれた空間になっていて、普門院の縁側から眺める庭園は静かで落ち着いた雰囲気が漂ってきます。

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    開山堂                           普門院から眺める庭園 

 伽藍の拝観を終え洗玉澗に入ると、初冬に入っているとは思えないような見事な紅葉が・・・

   東福寺19

 約2000本といわれる楓が植えられた渓谷は真っ赤に染まり、地面は落葉の絨毯に覆われ言葉には言い表せない景色が広がっていました。

   東福寺20

   東福寺17

 紅葉の時期は人波であふれかえる東福寺、ここ数年はこの時期を避けて新緑や冬枯れの頃に訪れていましたが、この紅葉はさすがに見応えあるものでした。

 紅葉に彩られた渓谷の美しさと大伽藍の光景、京都五山を担う東福寺は巨刹であることを改めて感じさせられた拝観でした。

 
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