比叡山山麓 坂本 ~石積みに彩られた門前町 ~

 日本仏教の発祥地である霊峰比叡山、その山麓に位置する 坂本 は穴太衆積み石垣に囲まれた門前町で、その美しい町並みは重要伝統的建造物保存地区に指定されています。

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 比叡山延暦寺を開いた 伝教大師 はここ坂本の地で誕生したと伝えられています。生源寺は大師の父三津首浄足公の邸宅址といわれ、比叡山を開山された大師が衆生教生と両親に対する恩恵のためにここに一宇を建て自ら刻んだ観世音を安置したといいます。その後弟子の慈覚大師が師の遺志を継ぎ自作の十一面観世音菩薩の胎内に伝教大師自作の千手観音を納めて本尊とし、寺名を生源寺と号したと伝えられています。境内の大銀杏の近くには大師の産湯として水を汲んだと伝わる井戸があります。

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    生源寺本堂                        伝教大師産湯井戸

 日吉参道や裏通りで美しい町並みを造っている石積みの内には 里坊 があります。里坊とは比叡山で修行を積んだ僧侶が天台座主の許しを得て住み込んだ隠居所で、今も数多く残されています。しかし多くの里坊は非公開で門は閉ざされ、毎年春に特別公開される『里坊の庭園めぐり』に開けられる以外その立派な庭園を見ることは叶いません。
 その中にあって 旧竹林院 は拝観が可能な里坊です。石垣の廻らされた奥にある門を入り、木漏れ日がさし込む庭を進み、弁柄色の主屋に入ると八王子山を借景に庭園が広がっています。

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 大宮川の清流が取り込まれた園内には二棟の茶室と四阿が残されています。茅葺の茶室(小間)は『天の川席』と呼ばれる珍しい間取りを持ち、全国でも武者小路千家東京道場以外に例がないものといいます。

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     園内を流れる大宮川の清流             四阿

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    小間(天の川席)                     広間(蓬莱)

 滝組と築山が配された庭園は手入れの行き届いた苔に紅葉した木の葉が散らばり、静寂とひんやりとして空気に包まれていました。『心を落ち着けて景色を見ることは悟りの境地に達する』という仏教の教えに沿って里坊の庭園は造られたとそうですが、俗世間にたっぷりと浸っている身であっても、四季折々の風情に包まれた庭は心が落ち着いてきます・・・

 旧竹林院の傍にある 律院 も里坊松祥院のあった所で、1583年玄俊によって開創され、明治以降は荒廃していたものを、戦後、千日回峰行者・叡南祖賢師により再興されたといいます。山門から石畳の敷かれた参道を進むと、草木や灯篭が配された庭園を前に本堂、祖師堂、不動堂などが並んでいます。

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 坂本は比叡山の台所を預かる町、日吉大社の門前町として、また京都への物資の基地として繁栄した商業地の一方、比叡山を舞台とした戦火に晒された町でもありました。しかしそんな過去の栄華と欲望の町は今、石垣の美しい豊かな自然に恵まれた町並みとして知られています。
 ライトアップに映し出された町の風景がいつまでも心に残った坂本、桜の頃にまた訪れてみたいと思います。

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唐崎神社 ~日吉大社西本宮の鎮座にかかわる古社 ~

 琵琶湖西岸の大津市唐崎にある 唐崎神社 は山王総本宮の 日吉大社 の摂社のひとつです。 ご由諸によれば、日吉大社で代々神職を務められた琴御館宇志丸宿禰がこの地に居住し『唐崎』と名付け、天智天皇が奈良の三輪山から大己貴神を勧請された際、琵琶湖を渡り、この唐崎の地に降り立ち、日吉大社の西本宮に祀られたといわれています。神社のご祭神は琴御館志丸宿禰の妻・女別当命、創建は持統天皇の御代と伝えられています。そして境内にある有名な『唐崎の松』は志丸宿禰が松を植えたことに始まったといわれています。

 JR唐崎駅から東に向かい国道161号線を北に行き、右手の側道を入ると赤い鳥居が見え、その先には拝殿と豊かな水をたたえた琵琶湖が姿をあらわします。

   唐崎神社1

  唐崎神社2  唐崎神社3

 平安時代にはこの唐崎に地は天皇の災厄を祓う『七瀬祓所』のひとつとして重視され、また『枕草子』では湖畔の名勝として紹介されています。さらに室町時代に『近江八景』の中の『唐崎の夜雨』の舞台になっています。

  唐崎神社7  唐崎神社6

 境内に中ほどにある『唐崎の松』は現在三代目ですがその堂々たる姿には圧倒されます

   唐崎神社4

 そして松の根元には近江をこよなく愛した松尾芭蕉が詠んで歌碑が

   唐崎神社5
       唐崎の 松は花より 朧にて 

 また歌川広重の『唐崎の夜雨』の浮世絵にもこの老松が描かれています。

 古代から多くの歌人に愛された名勝 唐崎
 万葉集の中にも柿本人麿のこの歌があります。 

    さざ浪の志賀の唐崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ

 かつての景観は失われてしまったといわれる唐崎ですが、境内の真ん中でそびえ立つ松、雄大な琵琶湖、遠くに霞む山並み・・・広々とした草むらからの眺めはまだまだ捨てがたい風景でした。

日吉大社 ~ 比叡山・延暦寺の入口に鎮座する『山王さん』の総本宮 ~

 滋賀県大津市坂本にある 日吉大社 は全国約3800社ある日吉、日枝、山王神社の総本宮として知られる日本では最も古い神社のひとつです。平安遷都の際にはこの地が都の表鬼門であることから、都の魔除け・災難除けを祈る社、そして伝教大師が延暦寺を創建するとその鎮守社として崇敬されました。日吉大社の創祀は紀元前91年(崇神天皇7)といわれ、主祭神は二柱で東本宮には大山咋神、西本宮には大己貴神が祀られています。

 京阪坂本駅前から西に向かうと車の行きかう道路の中に鳥居が見え、モミジの植えられた歩道の両側には石積みの美しい風景が広がっています。この石積みは『穴太衆積み(あのうしゅうづみ)』と呼ばれ、この地に居住し寺院の土木営繕の御用を勤めていた『穴太衆』の石工技術といわれています。

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    日吉馬場と呼ばれる参道               『穴太衆積み』の石塀が並ぶ町並み

 日吉馬場とも呼ばれる石積みのある参道を進むと朱塗りの鳥居が見えてきます。

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    赤鳥居                           ライトアップされた赤鳥居

 日吉大社は貴重な文化財の宝庫として知られていますが、境内を流れる大宮川に架かる石橋もそのひとつ。大宮橋、走井橋、二宮橋の石橋は『日吉三橋』と呼ばれ、築造は豊臣秀吉といわれています。

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      大宮橋

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    走井橋                          二宮橋

 大宮橋を渡るとその先に神仏習合信仰を表す山王鳥居があります。古来より日吉といえば猿といわれ、魔除の象徴として扱われているお猿さん。境内には神馬舎と並んで神猿舎が 

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     山王鳥居                         神猿舎

 日吉と因縁の深い神猿(まさる)、西本宮の入口に建つ楼門の軒下の四隅では木像のお猿さんが屋根を支えながら参拝する人を見守ってくれています。

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    木像のお猿さんがいる西本宮楼門          軒下で屋根を支える木像のお猿さん 

 楼門を仰ぎながら中に入りと拝殿、その奥に『日吉造』という独特な形をした国宝の西本宮本殿があります。この西本宮の主祭神である大己貴神は、天智天皇が大津に都を遷都した際に奈良の三輪山から御神霊を迎えて国家鎮護の神として祀られたとのこと。

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      『日吉造』の西本宮本殿

 西本宮の東の門をでると宇佐宮、白山宮の社殿があり、その先に神輿収蔵所があります。この中には湖国三大祭のひとつ『山王祭』で使われる7基の神輿が展示されています。桃山時代から江戸時代に作られたという豪華な神輿を中心に様々な神事が行われる『山王祭』、この祭りで湖国の春が始まります。

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     宇佐宮                          白山宮

 さらに老樹に覆われた境内を進むと左手に二つ遥拝所が並んでいます。これは八王子山上の急斜面にある三宮宮と牛尾宮の遥拝所の社で、間にある参道を約1㎞登ったところに本殿が建っています。往復1時間に断念しましたが・・・

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     三宮宮遥拝所と牛尾宮遥拝所           八王子山上にある三宮宮と牛尾宮の社

 遥拝所から少し参道を進むと東本宮楼門があります。楼門を入るとすぐ左手に樹下宮、正面に東本殿が建っています。因みに東本殿のご祭神の大山咋神と樹下宮のご祭神の鴨玉依姫神はご夫婦。仲睦まじく同じ境内に社を構えたご夫婦にあやかるわけではないでしょうが、この境内には雌梛と雄梛の木があり、雌梛は男性が女性の幸せを雄梛が女性が男性の幸せを祈る木とされたいるそうです。

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     東本宮楼門                       東本宮と樹下宮

 広大な境内にはかつて108社といわれる多くの神々が祀られていた日吉大社。歴代の天皇・上皇の臨幸があり、室町期には仏教施設が林立し、神仏習合の山王社として最盛期を迎えたといいます。しかし、信長による焼き打ちで建造物はすべて灰燼に期してしまいましたが、豊臣秀吉、徳川家康によって再興されています。

 また日吉大社から300m南に行ったところに 日吉東照宮 があります。この東照宮は日光東照宮の雛形として造られたもので、関西の日光ともいわれています。

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      日吉東照宮

 日吉大社境内は関西屈指の紅葉の名所、来年の干支の申年には少し早かったのですが、祈願も兼ねての紅葉には少し遅かったことが残念でした。

離宮八幡宮 ~ 『油の神様』として信仰を集める神社 ~

  夜の闇から人々を解放する灯り、かつてその灯りには灯油が使われており、その灯火の油は胡麻や荏胡麻から採られていました。京都府乙訓郡大山崎にある 離宮八幡宮 は神官が荏胡麻の搾油機を発明したことから『製油発祥の地』といわれ、鎌倉時代には神人(神社に隷属して神事や雑役に奉仕する下級の神職)『油座』が作り、座の会所となり大いに繁栄したといいます。

 寺伝によれば 離宮八幡宮 の創建は貞観2年(860)に大和大安寺の僧行教が豊前の国(大分県)宇佐八幡神を勧請するとき、嵯峨天皇が営んだ河陽離宮に鎮座したことに始まったとのこと。 

 離宮八幡宮はJR山崎駅を降りた右手の木々に囲まれた杜の中にあります。

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    惣門                            鳥居

 惣門を入り鳥居をくぐると右手に『油祖像』が置かれ『本邦製油発祥地』の石柱がたっています。油座を結成した神人たちは水陸交通の要衝である山崎の地で、中国・四国から原料を仕入れ製造された灯油を出荷、大消費地である京都をはじめ西は九州北部から東は美濃地方まで販売を独占し、大山崎は幕府から自治権を認められ独自の発展を遂げたとのこと。しかし、江戸時代にはいると菜種油や蝋燭が普及して油座は衰退、離宮八幡宮の威光に翳りがでたといいます。

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 中門を入ると拝殿、奥に本殿が建っていますが、社殿は蛤御門の変で焼失したため現在の社殿は昭和に入ってから再建されています。

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    中門                            拝殿

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      拝殿と本殿

 木々に覆われた境内には摂社や多宝塔礎石、菅原道真腰掛石があります。この石は菅原道真が九州に流される折に腰を掛けて和歌を詠まれた石とのことで、横には腰掛天神社の社が建っています。

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      多宝塔礎石

 かつては大いに賑わったと神社も時代とともに翳りは見せていますが、今も『油の神様』として製油業者の人々の厚い信仰を得ているそうです。
 

観音寺(山崎聖天) ~ 『山崎の聖天さん』で知られる古寺 ~

 『天下分け目の天王山』という言葉で知られる天王山、その山の東側の中腹に『山崎の聖天さん』と呼ばれ親しまれているお寺があります。通称・山崎聖天は正式には妙音山 観音寺 という真言宗の寺院で、寺伝によれば、昌泰2年(899)に宇多天皇の勅願寺として創建され、その後江戸時代に摂津箕面勝尾寺の僧・木食以空が聖徳太子作と伝えられる十一面観音菩薩を本尊に中興開山、後に歓喜天を祀り大阪商人の厚い信仰を受けおおいに隆盛したといいます。しかし元治元年(1864)の禁門の変に巻き込まれ、事前に避難させていた十一面観音菩薩と歓喜天を残して焼失、現在の伽藍は明治以降に再建されたといいます。

 JR山崎駅から線路に沿って北にしばらく歩くとしだいに道が上りになり、住宅街を過ぎると右手下に桂川や宇治川がみえて来ます。葉を落とし始めた桜の並木に沿って進むと左手に観音寺の鳥居がたっています。樹木に挟まれた参道に人の気配はなく、枯れ落ちた葉が時折に風に舞う風景はどこか懐かしい山寺の雰囲気が漂い、目の前にはそびえるよな急な石段があります。後ろを振り返れば目がくらむようなその先に仁王門が建っています。

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 仁王門をくぐりさらに石段を登ると天王山を背に広々とした境内が広がっています。

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   山崎聖天5

 豪商住友家が寄進したといわれる青銅製の灯籠を前に本堂が、その横に歓喜天が祀られた聖天堂が並んで建っている境内は紅葉には少し早いためかひっそりとしてひんやりとした空気が流れていました。

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      本堂

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      聖天堂                          

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   山崎聖天8

 歓喜天は事業の成功を祈願する護法神であることから御本尊の観音さまより有名になってしまった観音寺ですが、古寺の趣きが漂う境内を桜の頃のもう一度訪ねてみたいと思いました。

宝積寺(ほうしゃくじ) ~ 豊臣秀吉建立の『一夜の塔』と一寸法師物語の伝わる古刹 ~

 京都と大阪の府境、天王山の麓に位置する京都府乙訓郡大山崎町。この地は桂川、宇治川、木津川の合流点あり、東国と西国を結ぶ西国街道が通り、古来から交通の要地となっていました。ここを制することが戦いの勝者となり、最も有名な戦いとして知られる『山崎に戦い』も天王山山麓で行われたことから、勝負の分け目を『天王山』と呼ばれるようになったといいます。その戦いに勝利した秀吉はその記念に三重塔を建立したと伝わっています。その三重塔は天王山の中腹に建つ 宝積寺 にあります。

 寺殿によれば 宝寺 とも呼ばれる 宝積寺(ほうしゃくじ) は聖武天皇の勅命により神亀元年(724)僧行基が開創、宝の着く寺名は聖武天皇が龍神から授かった打出の小槌をこの寺に奉納したことによるといわれています。

 JR京都線の山崎駅を降り、線路沿いに北歩き線路を渡ると天王山への登り口がはじまり、勾配のある坂道を進むと大黒天、冬至祭の幟がはためき、『聖武天皇勅願所』の石柱と仁王門があらわれます。

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     仁王門

 仁王門をくぐり左手に行くと鐘楼や不動堂が建つ境内からは桂川、木津川、宇治川を望むことができます。

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    鐘楼                            不動堂

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     三川合流

 参道の右手は『豊臣秀吉の一夜の塔』として知られる三重塔がひっそりと佇んでいます。

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 少し登りになった参道を進むと正面に十一面観音菩薩像が安置されている本堂、左に打出と小槌、大黒天神が祀られているお堂が建っています。

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    本堂                            大黒天神が祀られているお堂

 そして本堂の前にはパワースポット、座れば(囲まれていて座れませんが)出世するといわれる秀吉出世石があります。

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    秀吉出世石                        閻魔堂

 境内に一角にある閻魔堂には閻魔大王と眷属(けんぞく)御影が安置されています。冥界の総司である閻魔大王を中央に筆を手にした司命菩薩、司録菩薩、暗黒童子、倶生神の五体が一堂に並ぶ光景は圧巻  です。

 宝積寺から坂道を下り アサヒビール大山崎山荘美術館 へ。

  宝積寺1  宝積寺2

 この美術館は実業家・加賀正太郎氏が大正・昭和初期に建築した英国風邸宅を美術館に改修、陶芸作品や印象派の画家モネの『睡蓮』などが展示されています。展示品を鑑賞した後は庭園の散策。四季折々の草花や花木が植えられた庭と澄み切った青空に、身も心も癒されて時を過ごし、美術館を後にしました。
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