粟嶋堂(宗徳寺) ~ 女人一生の守り神 粟島大明神を祀る寺 ~

日本の民間信仰の神のひとつに アワシマ信仰 があります。婦人病平癒、安産・子授け、良縁など女性に関するあらゆることに霊験ある神として信仰され、「 あわしまさん 」 と呼ばれて親しまれています。 祭神の 粟嶋大明神 は神仏習合の神として医薬の祖神でもある少彦名命の化身した神、本地佛は虚空蔵菩薩といいます。

 京都市下京区三軒替地町にある 粟嶋堂 宗徳寺 はその粟嶋大明神を祀り「 京のあわしまさん 」と呼ばれ、女性の参拝者が多いことで知られています。

 粟嶋大明神が祀られている 宗徳寺 は行阿上人が室町時代・応永年間に開山した西山浄土宗に属するお寺で、粟島堂は室町時代・宝徳年間に南慶和尚が紀伊国淡島(和歌山県和歌山市加太)から淡島神を勧請して上洛する際に、この辺りで御神体が急に重くなったため、鎮守粟嶋明神としてこの地に祀ったことが始まりと云います。

 堀川塩小路、リーガロイヤルホテル京都から少し西に歩くと大きく『人形供養』の文字と粟嶋堂の南門が見えてきます。その右手にある正面門から中に入ると粟嶋堂の神殿が建っています。

  粟嶋堂1  粟嶋堂2
     南門                            正面門

 門の横には江戸時代の俳人の与謝蕪村が娘の病気平癒にため参拝した際に詠んだという句の碑がたっています。

   粟島堂5
     蕪村の句碑  『 粟嶋へ はだしまゐりや 春の雨 』

 そして境内では人形供養として奉納された多くの人形たちが出迎えてくれました。

   粟嶋堂4

 清められた境内の中央にびんずるさまを前に粟嶋大明神の祀られた神殿、『一生を守っていただけますように』と祈願・・・

  粟嶋堂3  粟嶋堂7

 秋の草花が咲く境内には絵本「おじぞうさまはいつでも」のモデルとなったお地蔵さま、その向かいには傍生の祠(ペットの納骨)、その奥に宗徳寺の御本尊阿弥陀如来さまの安置された建物、納骨堂が向かい合って建っています。

  粟嶋堂8  粟嶋堂6
     鮮やかな色で秋を演出する段菊           絵本のモデルとなったお地蔵さま

  粟嶋堂9  粟嶋堂10
     阿弥陀如来の安置された建物            納骨堂

 足下で咲き乱れる草花にさりげなく枝をのばした樹木、境内に置かれた人形たち・・・堅苦しくないお寺の雰囲気に心が暖められてお寺を後にしました。
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六孫王神社 ~ 清和源氏発祥の宮 ~

 京都のシンボルとして存在感を示す東寺、その東寺の北総門から八条通を西に行き、壬生通と交差する角に 六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ) という源氏ゆかりの神社があります。この神社には日本の歴史において武将として最も後世に名を残した 清和源氏の始祖 六孫王大神が主祭神、相殿に天照皇大神・八幡大神が祀られています。
 由緒によれば、第56代清和天皇の第6男貞純親王の御子として生まれた経基が、皇室内で六男の『』と天皇の『』に王を付けた『六孫王』の愛称で呼ばれていました。その経基が臣籍降下により源姓を賜って源経基を名乗ったことが始りで、現在の社地に居を構え、遺言でここに埋葬されたといいます。

 壬生通に面した鳥居をくぐり、参道を進むと池を挟んで社殿が見えてきます。

   六孫王神社1

 境内中央にある池は神龍池で、その側には経基の長子である満仲誕生の折、竹生島から勧請し安産を祈願したという誕生水弁財天社があります。この誕生水弁財天社の拝殿は社の下(池の中)あるかなり珍しいものでした。

   六孫王神社4
     神龍池

  六孫王神社2  六孫王神社3
                           誕生水弁財天社

 参道の橋を渡った先に建っている唐門、拝殿、本殿等の建物は江戸時代徳川綱吉の時代に建立されたといいます。

  六孫王神社5  六孫王神社7
    燈籠が並ぶ参道                    手水舎

  六孫王神社6  六孫王神社8
    唐門                            唐門の脇に置かれた神馬

   六孫王神社9
     拝殿

 かつてこの六孫王神社の敷地の中には 大通寺 という立派な伽藍の寺院があったといいます。大通寺は鎌倉三代将軍実朝が甥の公暁の凶刃に倒れたのちに、夫人が出家し菩提を弔うために都に帰り創建、俗に尼寺と呼ばれたお寺ですが、現在は九条大宮南に移築されています。

   六孫王神社12
     大通寺

 池の傍に植えられた金木犀の甘い香りが漂う境内はひっそり・・・かつて境内一部であったといわれる場所を走りゆく新幹線がその静けさを打ち破る以外は・・・

 清和源氏の家系は足利氏、武田氏、島津氏、細川氏、徳川氏等歴史に名を連ねた武将をはじめ出世した人が多いことから出世開運、子孫繁栄の守護として知られている神社、そして隠れた桜の名所でもあります。桜の季節、また訪れて古の人々を偲んでみたいと思います。

  六孫王神社10  六孫王神社11
    秋の訪れを告げる金木犀               桜の古木

本福寺 ~ 蓮如と芭蕉ゆかりの寺 ~

 湖族の郷として栄えた大津市堅田には様々な由緒を伝える寺院が建立されています。 そのひとつ 本福寺 は 蓮如 、 松尾芭蕉 ゆかりの寺として知られています。

 本福寺 は南北朝時代に野洲御上神社の神職であった善道が本願寺覚如の門人となり開創したのが始まりとう古刹。3代目住持法住の時、本願寺を追われた蓮如がこの寺に身を寄せ、浄土真宗再興の本拠とし、その本願を果たすために蓮如を支えたのが全人衆と呼ばれた堅田の商工業者、農民、漁民であったといいます。また11代住持明式は松尾芭蕉の最古門人で俳号を『千那』であることから本福寺は 千那寺 とも呼ばれています。

  『堅田の落雁』で知られる浮御堂近くに建つ本福寺は、山門の入口に『本願寺舊址』の石柱がたち、周囲は白い塀に囲まれてどこか武家屋敷のような雰囲気が漂っています。

   本福寺1

 山門を入ると古松が枝をのばし右手の一角には句碑が並んでいます。

   本福寺4
     蓮如上人御舊跡の石柱と千那の句碑  

 千那は芭蕉を初めて大津に招いた人で、句も書や絵などにすぐれ、芭蕉は千那に俳画を習ったと云われています。

  本福寺2  本福寺3
    芭蕉の肖像と句碑                    からさきの松は花よりおぼろにて

 芭蕉の句碑と並んで置かれている肖像碑、その穏やかなご面相は近江の人々との触れ合いを心の底から楽しんでいるように思えてきます。

 境内には鐘楼、近代的な本堂、蓮如堂、書院と蓮如のゆかりの遺品が数多く所蔵されている宝物館などが建っています。

  本福寺5  本福寺6

 書院の近くの庭の中にはこの地で風邪を引き、この寺で養生していた時に詠んだといわれる句の碑があります。

   本福寺7
     書院の庭にたつ芭蕉句碑 病雁の夜寒に落ちて旅寝哉

 本福寺の住持であった高弟千那、養子の角上、さらには角三と俳諧を受け継ぎ、堅田は蕉風俳諧が興隆することになったといいます。

 そして堅田を再三訪れた芭蕉はこの地で幾つかの句を詠んでいます。
 そのひとつ 祥瑞寺 にはここを訪れたときに詠んだ句碑があります。祥瑞寺は応永13年(1406)に一休の師華叟宗曇が開山した禅寺で、一休宗純が22才の頃から足かけ10余年修行していたことで知られています。

   本福寺8

  本福寺9  本福寺10

 禅寺の祥瑞寺は清められた境内に一歩入ると凛とした空気が流れ、身が引き締まるような・・・そんな雰囲気が漂ってきます。芭蕉がこの寺で詠んで句の碑は苔で覆われた木漏れ日の中にひっそりとたっていました。

     本福寺11
       芭蕉句碑  朝茶のむ僧静かなり菊の花 

 歴史とロマンの息づいた堅田は身近にありながら来れずにいたところ、芭蕉の句に触れながらの散策は多くのことを学び、美しい風景を堪能することができました。そして、また機会があれば芭蕉の句碑を探しに行ってみたいと思います。

満月寺 浮御堂 ~ 近江八景 『堅田の落雁』 ~

 滋賀県大津市堅田は琵琶湖の最狭部の西岸に位置し、平安時代から京の都の外港として重要な役割を果たし、中世には琵琶湖の漁業権や水運権を一手に掌握し湖上において圧倒的な力を誇っていました。その時活躍した人々は堅田衆(湖族)と呼ばれ、自らの手で郷つくりを行い、近江最大の自由都市を築いたといいます。その堅田衆を頼って恵心僧都源信、一休禅師、蓮如、松尾芭蕉等、歴史に名を遺した人々が往来しています。そして堅田には様々な由緒をもつ寺社も多く建立されています。

 湖上に浮かぶ仏堂 浮御堂 は近江八景『 堅田の落雁 』 で知られ、古くから絵画や歌などに描かれていますが、正式には 満月寺 と称する臨済宗大徳寺派の寺院。平安時代中期、比叡山横川の恵心僧都源信が湖中に一宇を建立し、自ら千体の阿弥陀仏を刻み、「千体仏堂」と称し湖上交通の安全と衆生済度を祈願したことが始まりと伝えられています。

 みくりや参道から老松に覆われた山門を入ると湖面に浮かぶ浮御堂が目の前に現れます。

   浮御堂1
     満月寺山門(楼門)

   浮御堂3
     浮御堂と近江富士遠望

 松の枝がのびる参道の右側に書院、左手には観音堂が建ち、天井に色鮮やかな草花を描いた観音堂には聖観音坐像(厨子の中)、薬師如来像、十一面観音像が安置されています。

  浮御堂10  浮御堂2
    満月寺書院                        観音堂

 現在の浮御堂は昭和12年(1937)の再建で、それ以前の浮御堂は京都御所桜町天皇の能舞台の御下賜を仰いで建立したといいます。

   浮御堂4

  浮御堂5  浮御堂6
                                   浮御堂からの眺望

 「千体仏」を安置した浮御堂からは湖水を一望しながら対岸に近江富士(三上山)、長命寺山、冲の島、さらには伊吹山まで眺望をすることができます。湖中に建つ仏堂は琵琶湖も波に足元を濡らしながら青空の下でひっそりと佇む姿は一幅の墨絵を連想させてくれるような・・・

 そして多くの文人墨客が訪れた満月寺の境内には幾つかの句碑がたてられています。

  浮御堂8  浮御堂9
    芭蕉の句碑                       芭蕉句碑
      鎖あけて月さしいれよ浮御堂            比良三上雪さしわたせ鶯の橋

 広重の浮世絵に描かれた近江八景の景勝地に建つ浮御堂、清められた境内と老松に囲まれたその寺はすがすがしく、心の奥までも洗われたような気持ちになってきます。近八景の面影が薄れていく中で、この風景はいつまでもと思いながらお寺を後にしました。

義仲寺 ~ 木曽義仲と松尾芭蕉の眠る寺 ~

 滋賀県大津市馬場、旧東海道沿いにひっそりとたたずむ 義仲寺(ぎちゅうじ) は 木曽義仲 の死後、愛妾であった巴御前がこの地で討ち死にした義仲を弔うため、墓所の近くに草庵を結び供養したことが始まりと伝えられているお寺です。また、琵琶湖の風景と近江の人々を愛した俳人 松尾芭蕉 は境内にある無名庵にたびたび逗留し、大阪で客死した際に『 骸は木曽塚に送るべし 』との遺言によってここに葬られています。

 かつては琵琶湖畔に面し、景勝の地にあったといわれる義仲寺は街の中にとけ込み、旧東海道の面影も今ではほとんど見ることはできません。そして義仲寺と書かれた山門の脇には巴御前を祀る地蔵堂がひっそろと建っています。

  義仲寺1  義仲寺2
    旧東海道沿いに面した山門              巴地蔵堂

 山門を入り参道を進むと右手に義仲寺本堂である朝日堂が建ち、その入口に芭蕉翁の『 行春をおうみの人とおしみける 』の歌碑がたっています。本尊聖観世音菩薩の安置された朝日堂には義仲父子とともに芭蕉翁の位牌も置かれているそうです。

   義仲寺3  
     朝日堂(本堂)                      

  義仲寺4  義仲寺5
    朝日堂前の句碑                  巴塚の脇の句碑 
       行春をおうみの人とおしみける          古池や蛙飛びこむ水の音

 本堂の向かいには無名庵の建物が建ち、その前に義仲公と芭蕉翁のお墓が並んでたっています。

  義仲寺6  義仲寺7
    義仲公の墓                       芭蕉翁の墓

 お墓の近くには有名な『 木曽殿と背中合わせの寒さかな 』の句碑がたっています。

  義仲寺8  義仲寺9

 萩の花が咲く池の前にある鄙びた茅葺の建物は翁堂で、正面に芭蕉翁坐像が置かた室内の左右の壁上には三十六俳人の画像が掲げられ、天井には伊藤若冲筆の四季花弁の絵が描かれています。

   義仲寺11

   義仲寺12

   義仲寺10
     芭蕉翁の辞世の句
        旅に病で夢は枯野をかけ廻る

 義仲公と芭蕉翁が眠るこの義仲寺の境内には19にも及ぶ句碑や終生芭蕉翁を敬愛した蝶夢法師が創設した粟津文庫とその収蔵品を展示する史料観があります。

 平家討伐を掲げ信濃から都に入り、その成果を見ぬままにこの地で討ち死にした木曽義仲、近江に心を奪われ幾度となくこの地を訪れここに滞在した松尾芭蕉、歴史に名を連ねる二人が眠る義仲寺、お寺というよりも心休まる庵のようなところでした。
   

梨木神社 ~ 『萩の宮』とよばれる萩の名所 ~

 秋の七草のひとつ  は古くから日本人に愛され、、『万葉集』に最もたくさん詠まれた植物、さらには鑑賞だけではなく、食料や薬草、屋根材として暮らしに深いかかわりのある植物でもありました。

 『くさかんむり』に『秋』と書く『萩』は、夏の終わりから秋にかけて赤紫や白の小さな花を無数に咲かせ、しなやかな枝を風に揺らして秋らしい情景を漂わせてくれます。その風情故か、『萩の名所』と呼ばれるところも各地に点在しています。京都御所の東側にある 梨木神社 も京都を代表する萩の名所のひとつです。

 『 萩の宮 』とも呼ばれる 梨木神社 は明治維新に貢献した三条実萬、三条実美親子を祀る社として明治18年(1885)に三条邸跡に創建されました。

  梨木神社1  梨木神社2

 鳥居をくぐると参道の両側で、ほんの少し色づいた萩が風に揺れながら出迎えてくれました。

   梨木神社9

 参道を進むと左手に、萩とともに知られる名水『 染井の水 』の湧き出ている井戸があります。 『染井の水』は京都三名水のひとつで、現存する唯一の名水として茶の湯に適して言われています。

  梨木神社3  梨木神社4

 また、この井戸の前には御神木の桂の木がそびえていますが、葉がハートの形をしていることから『愛の木』の名称で親しまれ、木にふれながら祈ると願い事が叶うとか・・・

              梨木神社5

 神門をくぐると小ぶりな社殿は萩に囲まれ、別名である『萩の宮』がありました。この境内では毎年9月の第3日曜日に『萩まつり』が開催され、多くの人でにぎわいます。

  梨木神社6  梨木神社7

   梨木神社8

 季節を先取りした感はありましたが、境内でそよぐ風と少し膨らんだ萩のつぼみは確実に秋の訪れを感じさせてくれました。
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