京都御苑 ~ 九条池の百日紅と拾翠亭 ~

 サルスベリ ( 百日紅 ) は猿も滑るぐらい滑らかな木肌に由来して 猿滑 とも表記されることもある夏を彩る花のひとつです。花が美しく耐病性があり、長い間花を楽しむことができることから庭や公園、街路樹などに植えられているサルスベリは、原産地中国ではかつて宮中に植えられていた花木だったそうです。

 京都市民のの憩いの場となっている 京都御苑 にも緑の木々に混じって、鮮やかな紅色の花でその存在感を示しています。

  拾翠亭1  拾翠亭3

   拾翠亭2
     間ノ町口にあるサルスベリの大木

 京都御苑は明治2年(1869)に東京遷都が行われるまでは公卿の私邸があったところで、苑内ではその邸宅跡を示す立札が見受けられます。

 丸太町通に面した堺町御門から中に入ると左手に九条池があり、その池ののほとりに九条家の遺構である 拾翠亭 が建っています。

  拾翠亭4  拾翠亭5
    九条池に架かる高倉橋

   拾翠亭6
     九条池の中に祀られている九条家の鎮守社厳島神社

  拾翠亭7  拾翠亭8

 資料によれば、九条家は藤原鎌足を遠祖とし、摂政関白の要職に就いた人が多い家柄で、元は京都の南東部九条陶化坊一帯を領していましたが、豊臣秀吉の政策により御所の南の地に移され、その後東京遷都により建物も取り壊され拾翠亭のみが残されたといいます。拾翠亭は江戸後期に建てられものと伝えられ、九条家の別邸として茶会や歌会などの社交の場として使用されたといいます。数寄屋風の書院造りからなり、現存する貴族の茶室としては数少ないもので、貴重な文化遺産となっています。

   拾翠亭9

   拾翠亭10
      九条池に映るサルスベリの紅色と拾翠亭

 緑に包まれた拾翠亭を高倉橋から眺める風情も優雅ですが、拾翠亭の広縁から眺める九条池も素晴らしく、晩夏の拾翠亭を彩るサルスベリは暑さを忘れさせてくれました。

  
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南禅寺 大寧軒 ~ 茶人 藪之内紹智の作庭による池泉回遊式庭園 ~

 地下鉄東西線の蹴上駅から地上に出て、三条通をほんのわずか北に行くとインクラインの下をくぐる歩行者専用の煉瓦造りのトンネルがあります。煉瓦を平積みにせず、ねじったような形で積んでいることから『ねじりまんぼ』と呼ばれ、トンネルの西の入口には『雄観奇想』、東の入口には『陽気発處』と書かれた扁額が掲げられています。

   金地院1
     『ねじりまんぼ』のトンネルに掲げられた『雄観奇想』の扁額

 このトンネルを抜けると左手に樹木に囲まれたところがあります。ここはかつて南禅寺の塔頭寺院『大寧院』の跡で、明治末期に茶人 藪之内紹智 の構想る庭園が創建され、現在は 南禅寺 大寧軒 となり、庭園が特別公開されています。

 いつもは閉ざされている入口の扉が開かれ、打ち水された露地はひと時の涼しさで訪問者を迎えてくれました。

   大寧軒2  

 水を含んだ苔は夏の光に輝き、主屋の前の飛び石のところどころでは桔梗の花が暑さに耐えるようにそっと細い花首を揺らしています・・・

  大寧軒3  大寧軒10  

 東山三十六峰のひとつ大日山を借景にした庭園には茶室・環翠庵が建ち、池を挟んだ向かい側には待合があります。

  大寧軒5  大寧軒6
    茶室・環緑庵

 待合の前の池の中には石造りの『三柱鳥居』が立てられています。この鳥居は『京都三珍鳥居』のひとつとして知られる京都市右京区太秦にある 木嶋坐天照御魂神社(通称:蚕の社) の鳥居を模したものといわれ、その鳥居の下からは清泉が湧き出ているそうです。

   大寧軒7

 園内に置かれた様々な燈籠、池の中で揺らめく水草やスイレンの白い花、枝をのばした楓の木、風情ある庭園は心が落ち着き、暑さをも忘れてしまいそうで・・・

   大寧軒4

 樹木の覆われた池の奥から滝が流れ落ちています。この滝口の水は琵琶湖疏水の取水のひとつから導かれているそうで、池の中には琵琶湖特有の貝である『瀬田シジミ』が生存していました。ひと山越えた京都で『瀬田シジミ』にお目にかかるとは  ビックリです。

  大寧軒8  大寧軒9
    琵琶湖疏水の水が流れ落ちる滝          池に生存する『瀬田シジミ』

 大日山を借景とした露地風の 大寧軒の庭園 、季節を替えて見てみたいと思いました。

   

南禅寺別院 南禅院 ~ 南禅寺発祥の地 ~

南禅寺法堂の南側にあるレンガ造りの建物 水路閣。今も現役で活躍する水路閣は明治23年(1890)に琵琶湖疏水を京都市内に引き入れるために造られたもの。その光景はテレビドラマや映画などでおなじみとなり、南禅寺を訪れた人は必ずと言っていいほど足を運ぶところです。

   南禅院1

 その水路閣の上に南禅寺別院 南禅院 があります。南禅院は南禅寺を造営された亀山天皇の離宮禅林寺殿の『上宮』の遺跡であることから、 南禅寺発祥の地 といわれています。法皇となられた亀山天皇は晩年をここで過ごされ、崩じた後は分骨し埋葬するように御遺言され、庭園の一角には御陵が設けられています。

   南禅院5
     亀山法皇の廟所

 水路閣の下をくぐり石段を上ると南禅院の庫裏が見えてきます。

  南禅院2  南禅院3

 案内によれば、南禅院の建物は初めは離宮の遺構であったそうですが焼失し、現在の建物は元禄16年(1703)に徳川綱吉の母、桂昌院が再建したものといいます。

   南禅院4

 入母屋つくりの本堂の前に広がる庭園は夢窓国師の作庭といわれ、離宮当時の面影を残す鎌倉時代末期の代表的池泉回遊式庭園として、天龍寺庭園、苔寺庭園とともに京都三名勝史跡庭園に指定されています。 

   南禅院6

   南禅院7

 池を中心に造られた庭園は深い樹木に囲まれ、石組みの間から流れる落ちる水は幽谷の中にいるようで、暑さをも忘れさせてくれます。

  南禅院8  南禅院9

 池に浮かぶスイレンの白い花、夏の光にきらめく水面、そして池に覆いかぶさるように枝をのばした楓・・・季節を替えてまた訪れてみたい庭園です。

南禅寺塔頭 天授庵 ~ 対照的な2つの庭を禅寺 ~

 日本の庭園は『自然風景式』と呼ばれるように、池を中心にして土地の起伏を生かすか、築山を築いて自然石として庭石を配して四季折々に鑑賞できる景色を造るのが一般的といわれ、いつの時代においても自然への深い思いによって造られてきているそうです。
京都の蹴上界隈にはその美しい庭園が多く点在しています。南禅寺塔頭のひとつ 天授庵 では枯山水庭園と池泉回遊式庭園の対照的な2つの庭を堪能することができます。

 天授庵 は暦応2年(1339)南禅寺15世虎関師錬が、南禅寺開山の無関普門(大明国師)の塔所として朝廷の勅許をえて建立され、そののち細川幽斎が再建して細川家の菩提所としたといいます。

 いつも参詣者や観光客でにぎわっている南禅寺境内もさすがに人影もまばら、時折見受けられる人のうち半数近くは海外の人。天授庵は『絶景かな』で知られる三門の南側にあります。

  天授庵1  天授庵14
    人影もまばらな南禅寺三門              天授庵からの南禅寺三門

  天授庵3  天授庵2
    正門                            通用門

 天授庵の表札が架かる門を入ると正面に庫裏、その奥に大書院(工事中)、左側に本堂が並んでいます。

  天授庵4  天授庵5
 
 細川幽斎の寄進による優雅な柿皮葺屋根の本堂には大明国師の木像と細川家歴代の位牌が置かれています。そしてその前に広がる枯山水庭園は白砂の中に緑苔が添えられた二条の石畳が敷かれ、その背後の楓とのコントラストの美しさに暑さも遠のいてきます。

   天授庵7

   天授庵8

 もうひとつの庭園は池泉回遊式の書院南庭。案内によれば、この庭園は多少は改造されているものの、創建当時に作庭されたもので、鎌倉末から南北朝時代の特色を備えた庭といいます。

   天授庵10 
 
 ひっそりとした池の周囲に広がる竹林や樹木からは蝉の声が休みなく響き、池の中に設けられた石橋を歩くと足音を聞きつけた鯉が近寄ってきます。その光景に心も和み、思わず足を止めて見いてしまい、書院からのびた岬のような出島が池を二分してつくりだす、光と影のバランスはこころの安らぎを与えてくれます。

  天授庵11  天授庵12

   天授庵13

 紅葉時に訪れるこの庭は人波に押し流されて風趣を楽しむこともできませんが、誰もいないこの季節は庭を独り占め。京都の紅葉時の案内に掲載されるライトアップされた『天授庵庭園』は、言葉で言い表わせないほどに美しい姿をみせてくれますが、人気のない真夏の庭はその良さを改めて見せられたような気がしました。

南禅寺塔頭 金地院 ~ 『黒衣の宰相』と呼ばれた政僧ゆかりの寺 ~ 

 京都盆地の東を囲む東山三十六峰、その峰のひとつ南禅寺山を背後に大伽藍を構える 南禅寺 は亀山天皇が大宮院(亀山天皇の母)の御所として造営した離宮禅林寺殿がはじまりの臨済宗の寺院です。足利義満によって定められた京都五山では五山の上位『天下五山之上』に置かれた名刹。その南禅寺の塔頭のなかでひときわ雄壮な構えを見せているのが 金地院 です。 金地院はもともと大業徳基が足利幕府四代将軍義持の帰依を受けて鷹峯に開創したといわれる寺といい、それを慶長10年頃に徳川家康の参謀として活躍した 以心崇伝 が南禅寺の住持した際、現在の地に移して再興したといいます。

 南禅寺の境内に向かう参道の中門の手前を南に曲ると、左に金地院の山門がありその正面に白壁が美しい庫裏が建っています。

  金地院2  金地院3
    金地院山門                        庫裏

 庫裏の手前に立つ明智門(明智光秀が母の菩提のため、大徳寺に建立したものを移建)を入ると弁天池が広がり、池の中では真夏の光を浴びながら今を盛りにスイレンが白い花を咲かせています。

                   金地院4
                              明智門

  金地院5  金地院6
                              弁天池

 人影のない境内はひっそりとして蝉の声だけがにぎやかに響き渡っています。池を囲むようにつくられている散策路を独り占めに、木漏れ日に映し出された苔の中を進むと東照宮の楼門があります。京都では珍しい権現造りの東照宮には徳川家康の遺髪と念持仏が祀られているそうです。

  金地院7  金地院8
    木漏れ日の美しい散策路               東照宮楼門

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    楼門から続く東照宮参道                東照宮

 東照宮から石段を下りると開山堂が建ち、方丈があります。この方丈は伏見桃山城の遺構と伝えられ、襖絵は狩野探幽、尚信の作とのこと。大阪城攻撃の理由となった方広寺鐘銘事件の計略者といわれる崇伝、この方丈をどのような思い出見つめていたのでしょうか・・・

  金地院11  金地院12
    開山堂                           方丈

 この方丈の前に広がる庭園は『鶴亀の庭』と称し 小堀遠州 の代表的造園で国の特別名勝になっています。

   金地院13

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    鶴島                            亀島

 一面に敷かれた白砂は海に見立て、背面の崖地を蓬莱山として、その前に縁起の良い鶴島と亀島を築いた枯山水の庭園は豪壮で、背景となっている刈込が深い幽谷を現しているようで何度見ても圧巻です。この庭園の背後が東照宮であることから、小堀遠州は中央に礼拝石を配し、左右に鶴島、亀島を設けて神格家康と徳川の永遠を祈る庭として造られたのではないかという見解もあるようです。また、この方丈の裏手には小堀遠州作の「八窓席』という茶室もあります。

 『黒衣の宰相』と呼ばれ、権勢をほしいままにして大名待遇となった以心崇伝、その権威はなんと家康、秀忠、家光の代まで続いたといいいます。その崇伝ゆかりの金地院は南禅寺のなかでひときわ存在感を示す寺院です。
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