観音寺 ~ 豊臣秀吉と石田三成の出会った寺 ~

 滋賀県米原市朝日に 観音寺 という天台宗の寺院があります。ここは戦国武将・石田三成が豊臣秀吉に見いだされた『三椀の才』の逸話で知られるお寺と云われています。当時、近江長浜の城主であった秀吉が鷹狩りの際、寺に立ち寄りお茶を所望すると、一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差し出し、その才能を認められて出世の糸口を作ったという話です。

 寺伝によれば、観音寺 は通称名で、正式には 伊富貴山観音護国寺といい、平安前期に三修沙門が創建した伊吹山四大寺のひとつで、この地には鎌倉中期に移転。鎌倉から室町には時の領主であった佐々木大原氏から庇護を受け、戦国期には浅井家からも多くの寺領を認められ、幕末は彦根藩の所領として迎えたといいます。

 『石田三成公出生地』の柱が立つ一角に、『三成屋敷跡』の石柱がありました。幼名の佐吉と言った石田三成が関白秀吉が設けた五奉行のひとりに選ばれるのに要した月日がたったの10年という異例の出世を遂げた三成が生まれ育った地は山裾ののどかな田や畑に囲まれた里・・・この屋敷跡から東に車を走らせ、トンネルを抜けると三成が小僧をしていたと観音寺の惣門にでます。惣門の脇にある蓮池の奥に佐吉少年がお茶の水を汲んだとされる古井戸が残っていました。

  観音寺1  観音寺2

  観音寺3  観音寺13

 総門から少し登りになった参道が境内に向ってまっすぐに伸びています。かつては23の寺坊があったといわれる観音寺に今は本坊と玉泉坊の2つの坊を残すだけとなり、人けのない参道は伸びた夏草に混じったアジサイの花が咲き、夢の跡を連想させてくれました。

  観音寺5  観音寺4

 木漏れ日の石段を上ると目の前に本堂があり、置かれている石灯籠は苔に覆われ風情ある姿をみせてくれています。

  観音寺6  観音寺7

   観音寺8

 見事な彫刻をほどこした本堂は時の流れと雨風や雪の重みに耐えかねたようで、屋根がかなり沈んでいました。境内には本堂のほか、薬師堂、鐘楼、鎮守などが建っていますが、どの建物も傷みがひどい状態になっていました。

  観音寺12  観音寺9   

  観音寺10  観音寺11

 観音寺には伝教大師坐像や千手観音をはじめとする文化財も多くあるようですが、本堂は閉ざされており中は拝観することはできませんでした。
 近江西国三十三カ所12番札所の 観音寺 観光寺院ではありませんが歴史の一齣にふれることのお寺でした。
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青岸寺 ~ 佐々木道誉が開基した枯山水の名園 ~

 米原市米原にある 青岸寺 は名勝指定の枯山水庭園 『青岸寺庭園』があることで知られる曹洞宗のお寺。室町初期に当時の近江守護・佐々木道誉が米泉寺として開創したことが始まりといいます。その米泉寺は戦国時代に兵火で焼失、その際に本尊聖観音像のみが難を逃れ小堂に祀られていましたが、江戸時代になって彦根大雲寺の要津守三和尚が再興を期して入山し、その願行に打たれた敦賀の伊東五郎助の寄進で伽藍が建立されたとのこと。しかし、間もなく五郎助が卒したため守三和尚はその功績を伝えんと、おくりなである『青岸宗天』にちなんで寺名を 青岸寺 としたといわれています。

 JR米原駅の東口から住宅街を少し入ると木々に囲まれた中に鳥居がたっています。鳥居の手前を左に進むと木漏れ日の中に山門が姿を現し、その山門を通して本堂が見えてきます。境内には鎮守の社とするすべりの木が本堂を守るかのように植えられています。 鐘楼の脇から庫裏に入り、本堂で本尊観世音菩薩と十一面観音に手を合わせ、庭園へ。

   青岸寺1

   青岸寺2

  青岸寺3  青岸寺4
    本堂にかかげられた扁額               鐘楼 

 このお寺の名を世に知らしめている 『青岸寺庭園』は建物の裏手に広がっています。

   青岸寺5

   青岸寺6
     
 この庭園は観音さまが住まわれる補陀落山の世界を表現したものといい、見どころは石組み、水を現す苔、回遊がの園路、和洋折衷の燈籠、降り井戸形式の蹲踞などがあげられています。その見どころをにしたがって庭園を鑑賞しているとより一層この庭園の素晴らしさを感じさせ、静寂の庭に響く鳥の声はすがすがしく、時折ほほをかすめる風に心が落ち着きます。

   青岸寺7
     庭園の一角にある『六湛盦』と名づけられた書院

  青岸寺8

 ところどころで風に揺れるヤブミョウガの白い花を見ていると、サツキの頃、梅雨時の苔の美しい頃、そして園内が紅葉する頃に訪れてこの庭の風情ある花々に出会ってみたいと・・・機会があればまたその季節に訪ねてみたいと思いながらお寺を後にしました。 

松尾寺 ~ 飛行観音の寺 ~

 滋賀県米原市は昔から湖上・陸上交通の要所として名高く、旧中山道と旧北国街道を結ぶ宿場町として栄え、中山道醒井宿の面影を残す町並みと初夏から晩夏にかけて水面に咲く梅花藻に心が癒されます。

   松尾寺1
     水面に漂う梅花裳

 その米原市上丹生に『飛行観音の寺』と呼ばれる 松尾寺 があります。ご本尊の聖観音と十一面観音の二体の観世音菩薩が雲に乗って空から飛来されたと伝わったことから『飛行観音』と称されたとのこと。

 天武天皇9年(680)に役行者が松尾寺山に入り修行したことが始まりと伝わる 松尾寺 は鈴鹿山系の北端に位置する霊仙山の麓にあります。資料によれば、奈良時代にはこの霊仙山附近には七カ寺が創建されてたといわれ、その中のひとつであった松尾寺は山岳信仰の寺院として発展、戦国時代に一度消滅の憂き目をみるも、江戸時代に彦根藩の庇護を受け本堂が再建され、唯一現存するお寺なのだそうです。

 霊仙山を源とする宗谷川の清流と深い緑に包まれた醒井峡谷を見ながら進むと、やがて東洋一の規模を誇る 醒井養鱒場 があり、松尾寺はその入口を少し山手に入ったところにあります。

  松尾寺2  松尾寺3
                        四季折々に美しい醒井峡谷

  松尾寺6  松尾寺7

 霊仙山の山上にあった本堂は松尾山寺の麓の新しく再建され、堂内にはお前立の観世音菩薩(ご本尊は秘仏のため厨子に安置)、聖観音菩薩、毘沙門天、阿弥陀如来、役行者の像などが安置されています。御本尊の『飛行観音』は今までにお目にかかったことのない仏像で感動しました。

  松尾寺8  松尾寺9
    山門                            本堂

 さらに本堂に隣接されている松尾寺資料館には南北朝つくられたといわれる大曼荼羅図や梵鐘、古文書、皇室に献上する際に用いられた茶壺などが展示されており、かつてのお寺の偉大に驚きました。

  また、ここには仏教の経蔵、律蔵、論蔵の三蔵に精通した僧侶の『三蔵』の称号を日本で唯一与えられた 霊仙三蔵 の記念堂が建てられています。西遊記に登場する三蔵法師の玄奨三蔵も数ある三蔵法師のひとりとして知られていますが。霊仙三蔵は近江出身の興福寺の僧で、息長氏丹生真人の一族として霊仙山麓の地に誕生し、6才頃から15才頃まで霊仙山上の霊仙寺、松尾寺で修行をし、奈良・興福寺に入山。そして唐留学僧に選ばれ、最澄や空海と供に遣唐使船で入唐し、修行の功績により『三蔵』の称号を授与されたといいます。  

  松尾寺5  松尾寺4
    霊仙三蔵記念堂  

 風光明媚な峡谷の中に建つ松尾寺、また優しい顔の飛行観音に会いに、そして山上に残る本堂の礎石や重要文化財に指定されている石造九重塔を見に行ってみたいと思います。 
                

谷性寺(こくしょうじ) ~ 明智光秀ゆかりの寺に咲くききょうの花 ~

 秋の七草のひとつ ききょう は梅雨の重苦しい空の下、真夏の太陽の下、そして秋風に揺れる頃までの長い期間、美しい紫色の花を咲かせ続けてくれます。そして、星型の花の形から『桔梗紋』が生まれ、その『桔梗紋』を明智光秀が用いていたことはよく知られています。

 京都府亀岡市宮前町にある 谷性寺(こくしょうじ) は明智光秀ゆかりの寺で、通称・光秀寺 とも呼ばれる真言宗のお寺。その門前には『ききょうの里』と呼ばれるききょう園があり、50000株もの ききょう が植えられています。

   谷性寺11  

  谷性寺10  谷性寺7

 谷性寺の創建は平安時代。明智光秀はこの寺の本尊不動明王を崇敬しており、主君織田信長に対する謀反を決意するとこの不動明王に誓願をこらし、本懐を遂げたといいます。

 アジサイの咲くのどかな小道を歩いていくと、少し上りになった参道が見えてきます。

  谷性寺1  谷性寺2

 参道に枝を広げたしだれ桜の先に門があり、その奥に赤い屋根の本堂が建っています。

  谷性寺3  谷性寺4

 門を入ると『光秀公首塚』の石碑がたっていますが、案内によると、『本能寺の変』で本懐を遂げた光秀が『山崎の戦い』で豊臣秀吉に敗れ、近江の坂本城に向かう途中に山科の小栗栖で民衆に襲われ殺されてしまったので、家臣がその首を包み生前に信仰をしていたこの寺に運び葬ったとのこと。この石碑は幕末の志士により光秀の怨念を鎮めるために建てて供養したといわれているそうです。

   谷性寺5

 その首塚の正面東に『明智山門』が立っています。この門を通して首塚が見えるので『明智山門』と名づけられたようです。

   谷性寺6
 
 本堂に入らせていただくと、本尊の不動明王とともに光秀公尊像が安置されていました。そして展示されている明智光秀に関する資料に、私たちの知らない『領民に愛された明智光秀』を知り、知らざる功績に深い感慨を覚えました。

  谷性寺9  谷性寺8

 明智家の家紋に基づき、光秀供養のために植えられるようになったといわれる 谷性寺のききょう は 桔梗寺 の名にふさわしく、梅雨時から初秋の風が境内を渡る頃まで境内一面を紫に染めるそうです。初秋の風がそよぐ頃、光秀公を偲びにまたここを訪れてみたいと思います。

   谷性寺12
 

丹州観音寺 ~ 丹波のあじさい寺 ~

 梅雨時の鬱陶しさを晴らしてくれるように咲く アジサイ は一年の花こよみには欠かすことのできない花。日本で生まれ育ったアジサイは庭先や公園、神社仏閣にも多く植えられ、あじさい寺 と称されるお寺も数多くあります。京都府福知山市観音寺にある 観音寺 もそのひとつです。

 観音寺 はインドの帰化僧・法道仙人が養老4年(720)に霊木に十一面千手千眼観世音菩薩を刻み、草堂に安置したことが始まりと伝わり、平安時代、空也上人により中興、七堂伽藍が建立されたと伝わっています。鎌倉時代には歴代将軍家の庇護を受け、丹波国の仏教の中心地として栄えましたが、明智光秀の焼き討ちにより伽藍を焼失、本堂等は江戸中期に再建されたといいます。そして20世紀半ばごろ、秘仏本尊開帳時に万灯万華を供養しようと発願され、その万華の花として『アジサイ』が選ばれ栽植されたことが あじさい寺 の始まりといいます。

  総門を入ると参道の両側には色とりどりのアジサイが植えられ、主役であるアジサイに期待が高まってきます。

  観音寺1  観音寺3
    総門                            色とりどりのアジサイに覆われた参道

   観音寺2
     仁王門

  仁王門をくぐりアジサイに導かれるように参道を進むと、右側に山門が立ち、その奥に位牌堂があります。

  観音寺5  観音寺6
    山門                            位牌堂

 その位牌堂の前には見わたす限りのアジサイが・・・圧巻です 

   観音寺7

 このアジサイの群生の奥には千手観音、馬頭観音、十一面観音、聖観音、如意輪観音、不空羂索観音、准胝観音の七観音が祀られています。

  観音寺8  観音寺9

 しっとりとした地面とアジサイに囲まれながらの観音様巡りは、草木の香りが鼻をくすぐり心地よいせせらぎの響きに包まれ、あたかも渓谷にいるような気持ちになってきます。みずみずしい空気を体いっぱいに吸収し、本堂で御本尊に手を合わせると心も穏やかになったような・・・そんな気がしてきました。

  観音寺10  観音寺12
    本堂                            鐘楼                         

  観音寺13  観音寺11
                                   不動堂と慈母観音

 本堂の周囲には不動堂、弁天堂、太子堂、鐘楼などの建物があり、それらに寄り添うようにアジサイが咲き、双樹の白い花が風情を添えています。

   観音寺14
     境内に一角にはかわいいお地蔵さまが・・・

 丹波のあじさい寺 と称される観音寺は 『関西花の寺25カ所霊場会』の第一番札所でもあり、一年中美しい花にめぐり合うことができるとのこと、いつかまた、折々の花を見に此処を訪れてみたいと思いながらお寺を後にしました。
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