九州紀行 8 ~ 長崎 興福寺 ~

 長崎では江戸初期に創建された 崇福寺興福寺福済寺 の三ヶ所の 唐寺 を 長崎三福寺 と呼んでいます。

 そのひとつ、長崎市寺町にある 興福寺 は国内最初の黄檗宗の寺で、寛永元年(1624)に真円が開基しています。黄檗宗開祖・隠元隆琦も中国から長崎に渡海、この寺で住職として一年滞在後、京都宇治に万福寺を開山したといいます。興福寺は中国浙江省・江蘇出身の人が信徒に多かったことから 南京寺、また山門が朱塗りであることから あか寺 とも呼ばれています。

 寺院が建ち並ぶ寺町通り、朱塗りの山門には隠元禅師の肖像が描かれ目を引きます。その雄大な山門の上部にかかげられた扁額『初登宝地』は隠元禅師の御書といいます。

   興福寺2
     「あか寺」と呼して親しまれている興福寺の山門

 門を入ると手入れの行き届いた参道で満開の柏葉紫陽花の白い花と句碑や歌碑が迎えてくれます。

  興福寺3  興福寺
    柏葉紫陽花                       斉藤茂吉の歌碑

 その先に鐘鼓楼、媽祖堂、大雄宝殿があります。おりから開催されている『ながさき紫陽花祭』の会場のひとつになっている境内は紫陽花の花に彩られています。

  興福寺4  興福寺7
    鐘鼓楼                          手入れの行き届いた庭

  興福寺11
    山紫陽花『紅額』

   興福寺9
     大雄宝殿(本堂)と媽祖堂

 寛永9年(1631)に建立され、明治に再建された大雄宝殿は中国工匠による純粋な中国建築で、氷裂式組子といわれる丸窓、アーチ型の黄檗天井などかなり珍しいものといいます。そのアーチ型の屋根を支える柱が歪んでいるのは原子爆弾投下の際の熱風によるものとうかがい、その威力には驚くばかりです。また庫裏の入り口にさがる巨大な魚鼓も日本に唯一残る明朝魚鼓とのこと。

  興福寺13  興福寺10
  アーチ型の黄檗天井の柱と氷裂式組子の窓     魚鼓

 ここには明治初期に中国江南・浙江・江西三省出身者が設立した三江会所という集会所があったそうですが原爆で大破、現在はその門だけが残されています。『豚除け』のために敷居が高くなっている珍しい門や儒者向井元升が設立したという聖堂の門が移築されています。

  興福寺6  興福寺5
    三江会所門                       中島聖堂遺構大学門

 由緒ある唐寺の広々とした庭にゆったりと植えられた木々、それに合わせるかのように置かれた紫陽花の花、手入れの行き届いた庫裏の内に築かれた庭、迎えてくださり案内をしてくださったご住職、旅の終わりに心温まるお寺を訪ねることができました。数えきれないほどのお寺を訪ねましたが、興福寺は忘れられない寺院のひとつになりました。

   興福寺12

    
 また、長崎三福寺のもうひとつ 福済寺 は福建省出身の覚海により開基されましたが、昭和20年(1945)の原子爆弾投下で焼失。現在はその大雄宝殿跡に 万国霊廟長崎観音 が原爆被災者と戦没者の冥福を祈って立てられています。

  興福寺13
   福済寺の大雄宝殿跡にたつ観音さま

 今回の九州の旅はいつか行ってみたいと思っていた神社仏閣を主に廻ってきましたが、それぞれの神社仏閣は想像していた以上に素晴らしく新しい知識を得ることができました。また機会があれば九州にある神社仏閣を訪ねてみたいと思います。
  
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九州紀行 7 ~ 長崎 崇福寺 ~

 九州にある国宝の建造物は5つ、そのうち3つは長崎に存在しています。長崎市鍛冶屋町にある 崇福寺 にはそのうち2つの建造物があります。黄檗宗の崇福寺は寛永6年(1629)長崎に在留していた福州人たちが、故郷の福州から僧超然を迎えて寺を造ったことが始まりといいます。中国様式の寺院としては日本最古のもので、福建省出身の門徒が多かったことから福州寺や支那寺とも称されていたそうです。

 『ながさき紫陽花(おたくさ)まつり』の真っ最中の街は紫陽花の花がいたるところで見受けられ、色とりどりの花は雲の広がった重苦しい街に彩りを添えてくれています。

    崇福寺1
       街のあちこちを彩る紫陽花の花

 少し登りになった崇福寺通りと書かれた石畳の道を行くと、紅色の龍宮門が見えてきます。これが崇福寺の三門で、寛永2年(1849)に造られたといいます。門をくぐり石段を上った先に国宝の 第一峰門 があります。

   崇福寺2  崇福寺3
     三門                     

 唐門、赤門などと呼ばれる第一峰門は正元年(1644)に創建されています。中国・寧破で切組み、唐船で輸入して組み立てたといい、軒下の複雑な斗栱には目を見張ります。

    崇福寺4
       即井禅師の扁額がかけられた第一峰門

 門を入ると左手に本堂である国宝の 大雄宝殿、右手に護法堂が向かい合って建っています。

   崇福寺6
      本堂の大雄宝殿

  崇福寺7  崇福寺8
    護法堂                          鐘鼓楼

 正保元年(1646)に創建された大雄宝殿には、中央のきらびやかな須弥壇の中に本尊の釈迦如来が祀られ、その両側には黄檗系彫像の代表作といわれる十八羅漢が置かれています。向いにある護法堂の中央には観音、左右に韋駄天、関帝(関羽)が祀られています。護法堂の並びには鐘鼓堂、その前に大きな釜が置かれていますが、これは天和年間の飢饉の時、住持の千呆禅師が書物什物を売って造ったもので、この釜で施粥されたといいます。

  崇福寺5  
    大釜

 長崎の唐寺の特色は媽祖堂を持っていることといわれ、ここには海上の安全を祈願して海の神様媽祖が祀られています。媽祖堂には大雄宝殿の横にある門から入ります。また、この門は仏殿と方丈を結ぶ廊下の役目も兼ねているそうです。

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    媽祖堂門                         媽祖堂

 是非に参詣したいと思っていた崇福寺に行けたことはこの上ない喜びでしたが、これだけ多くの文化財を秘めた崇福寺に参拝しているのは私たちだけで、かつては在留人でにぎわっていたであろう堂内は音ひとつせずシーンと静まり返り、お香の香りだけがあたりに漂っているだけ・・・『もったいない』そんな気持ちがしてなりません。

九州紀行 6 ~ 熊本 天草下島の教会 ~

  熊本県南部に位置する 天草 は周囲を海に囲まれ、九州本土宇土半島と天草諸島は天草五橋と呼ばれる五つの橋で結ばれています。現在、野生のイルカを間近で見られつエリアとして人気のある天草は、16世紀中頃、領主がキリスト教を受け入れ住民のことごとくがキリシタンになったといわれています。そしてその天草下島には美しい教会があります。

 江戸幕府の長い禁教時代から解禁されたキリスト教。隠れキリシタンによって信仰が守れれていたため、天草のキリスト教復活はこの地から始まったそうです。明治6年(1873)、この地に来たひとりの信者の教話に耳を傾け、入信した人たちが長崎で洗礼を受けます。こうした人々を中心に信仰共同体の基礎が形づくられ、さらにはパリ外国宣教会の司祭も来島、そして旧キリシタン信者をさがすことから始めて、教会は次第に成長していったといいます。明治25年(1892)にはガニエル神父が来島、彼は49年間大江教会の主任主宰を務め、、昭和8年(1933)私財を投じて 大江天主堂 を建て、貧しい人、弱き者の友としてキリスト教に生涯を捧げたそうです。

  大江天主堂の上がり口には 天草ロザリオ館 があります。ここはキリシタン資料館で、潜伏キリシタンが仏式の葬式を行う際に経を封じ込めるために使用した経消しの壺、マリア観音、踏絵などキリシタン禁制の遺物が展示されています。ロザリオ館から山手に上がって行くと白亜の建物が見えてきます。

  大江教会1  大江教会3
    ロザリオ館                        白亜の美しい大江天主堂

 ロマネスク様式の教会は優美な外観、館内はステンドグラスで彩られています。また館内にかけられた木版画も見ごたえがありました。

  大江教会2  大江教会5
    花に彩られた聖堂までのアプローチ        ガルニエ神父の墓

 また、北原白秋が紀行文『五足の靴』で「パアテルさんはどこに居る』と詩に著されたパアテルさんはこのガニエル神父であったと初めて知りました。

  大江教会4  大江教会6
    教会の庭にあるルルドの聖母            高台にある教会の庭からは大江の集落が          

 大江天主堂から南に4㎞ほど行ったところに津崎の集落があります。崎津は日本在来の宗教である仏教、神道とキリスト教信仰が共存が存在する集落と云われ、キリスト教禁制時代には集落の多くが潜伏キリシタンであったそうです。長く続いたキリスト教禁制が解かれると、その多くの住民はカトリックに復帰したといいます。そのよりどころの 崎津天主堂 は明治19年(1886)に創建、現在の建物は昭和9年(1934)当時教会の神父でであったハルプ神父によって改装されていますが、その敷地はキリシタン弾圧を象徴する『絵踏』を行った庄屋屋敷跡といいます。

  崎津教会1  津崎教会2
                                   崎津天主堂

 尖塔がそびえるゴシック様式の教会は海辺の町に佇み、この町の歴史を見つめています。聖堂内が畳式という和洋が混在するめずらしい教会で、崎津集落とともに世界遺産候補として名を連ねています。

  津崎教会3  津崎教会4

 教会の近くには津崎教会の改装に尽力を尽くしたハルプ神父のお墓があります。そのお墓の横にある石段をあがった先に 崎津諏訪神社 が建っています。

  津崎教会5  津崎教会6
    ハルプ神父の墓                    崎津諏訪神社                 

 この崎津諏訪神社は集落の70%が潜伏キリシタンと発覚した『天草崩れ』の舞台で、代官所の役人は信仰遺物を境内に設置した箱に捨てるように指示したと記録に残されているそうです。人影のない境内で当時を想像することは難しいですが、今は宗教の自由を法律で守られていることに有り難さを感じずにはいられません。

 天草は戦国時代の合戦や天草・島原の乱の舞台であったことから多少は知ってはいましたが、今回訪れて、地元の人にお話をうかがい改めて知ったこともたくさんありました。風光明媚な景色とも出会え楽しい旅になりました。

九州紀行 5 ~ 鹿児島 霧島神宮 ~

 鹿児島県北部の霧島は韓国岳をはじめとする火山群がそびえる山岳地帯。その霧島市霧島田口に、南九州最大の規模と歴史を誇る 霧島神宮 はあります。国家安泰から家内安全までにご利益があるといわれる古社。由緒によれば御祭神の 瓊瓊杵尊 (にぎにぎのみこと)は天照大神の孫で、葦原中国の高千穂に降臨した神といわれ、その高千穂(高千穂神社のある高千穂とは異なる)の峰の麓に天孫を祀る社を建てられたのが起源といいます。その後たびたびの火山の噴火によって社殿は失われ、現在の地には500年前に鎮座されたとのこと。

 国道にある大鳥居を過ぎ、広々とした参道を行くと二の鳥居が立っています。

  霧島神宮1  霧島神宮2
    広々とした参道                     二の鳥居                   

 鳥居をくぐり開けた場所には坂本竜馬とおりょうのパネルが。そういえば日本初の新婚旅行は坂本竜馬が妻のおりょうを伴って訪れた霧島旅行といわれているから、この霧島神宮にも参詣したのかもしれませんが・・・

  霧島神宮4  霧島神宮3
                                   社務所の前にあるオガタマの古木

 老杉の深い緑に包まれた参道を行くと三の鳥居があり、正面に朱塗りの社殿が建っています。

  霧島神宮6  霧島神宮5
    三の鳥居                         『君が代』に歌われているさざれ石  

   霧島神宮8

   霧島神宮7

 この霧島神宮の社殿は正徳5年(1715)、21代薩摩藩主島津吉貴により造営寄進されたもので、拝殿、幣殿、本殿のほかに勅使門を配した様式は南九州独自のもで、本殿をはじめほとんどの建造物が重要文化財に指定されているといいます。絢爛たる建物は新緑の境内で鮮やかに輝き、圧倒的な存在感を示していました。また霧島神宮は国家安泰から家内安全までのご利益があるといわれるだけに境内ではバラエティーに富んだお守りが並んでいました。

 広々とした社殿の一角には南九州の杉の祖先といわれる御神木の杉の木が社殿を見守るようにそびえ、旧参道の途中のある亀石は神との約束を破ったカメが石にされたと伝わるもの。

  霧島人具9  霧島神宮10
    樹齢およそ800年の御神木の杉           旧参道にある亀石               

 パワースポットとしても知られる霧島神宮、天孫降臨の神が祀られる古社は静寂の中に威厳が感じられる神社でした。

九州紀行 4 ~ 宮崎 鵜戸神社から南郷 ~

 青島から日向灘に沿って南下する海岸線の道路は宮崎を代表するドライブルートで、表情に富んだ美しい海岸線とふりそそぐ太陽が眩しい南国情緒満載のエリアです。

   鵜戸神宮1

 縁結びから結婚、出産、育児にご利益があることで知られる 鵜戸神宮 はその日向灘に面した日南市鵜戸にあります。『鵜戸さん』の愛称で親しまれる鵜戸神宮は崇神天皇の御代に創建され、延暦元年(782)に天台宗の僧と伝えられる光喜坊快久が勅命により神殿を再興し、寺院を建立してと伝わっています。その後、真言宗に転じ、西の高野と称され隆盛を極めたといい、明治の神仏分離により寺院は廃され鵜戸神宮と改められたといいます。また剣法の念流・陰流や琵琶楽の発祥の地でもあります。

 本殿を守護するようかのようにそびえる神犬石を背に参道を進むと神門があります。

  鵜戸神宮2  鵜戸神宮5
    神犬石                           急な階段の下の洞窟の中に建つ本殿

  鵜戸神宮3  鵜戸神宮4
    神門                            楼門

 楼門をくぐり神橋を渡ると急な階段が本殿まで続きます。

  鵜戸神宮6  鵜戸神宮7
    神橋                            本殿の入り口に立つ鳥居

 鵜戸神宮は全国でも珍しい『下り宮』の神社で、本殿、幣殿、拝殿が一体となった権現造りです。主祭神は神武天皇の父、鵜葦草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)。この神は山幸彦(彦火火出見)と豊玉姫命の御子で、その産屋の屋根を鵜の羽で葺いている途中で生まれたので、この名が付けられたといわれています。そしてその産屋が造られていた場所が本殿のある洞窟であったとのこと。

   鵜戸神宮8
      洞窟の中に鎮座する鵜戸神宮本殿

 この洞窟にはお乳岩といわれる岩があり、鵜芦草芦不合尊はこの清水をお乳代わりとして成長したことから、ここから滴る清水を飲むとお乳の出が良くなるといわれ、清水でつくられた『おちちあめ』は参拝の記念として喜ばれているそうです。 また、岩に『運玉』を投げて、岩のくぼみに入れば願いが叶うといわれる亀石が本殿の前にあります。

   鵜戸神宮9
      『運玉』に願いを託す亀石

 この鵜戸神宮から海岸沿いに南下した『道の駅 なんごう』 に世界三大花木のひとつ ジャガランダ が日本で唯一群生する『ジャガランダの森』があります。

  鵜戸神宮11  鵜戸神宮10
     道の駅 なんごう                    道の駅 なんごう からの日向灘                   

 時期的には少し早く、紫色に包まれたジャガランダ(紫雲木)の絶景は見ることができません出したが、亜熱帯作物支場で南国の花や作物を堪能してきました。

   鵜戸神宮12
     世界三大花木のジャガランダの花

  鵜戸神宮14  鵜戸神宮13
    フェイジョアの花                     ミッキーマウスの木

  花データ

~ ジャガランダ ~ ノウゼンカズラ科 中南米原産の高木

 5月末~6月中頃が花期で、ひとつの花房に50~90個の青紫色の花をつける。鳳凰木、火炎木と並ぶ世界三大花木のひとつ。

九州紀行 3 ~ 宮崎神宮から青島神社 ~

 温暖な気候に恵まれた宮崎は豊かな自然と山海の幸に恵まれた街。そして『天孫降臨』などの神話などで知られる日本発祥の地は、『神々のふるさと』とも云われるところ。今回は『神々のふるさと』のの中の宮崎、日南エリアを訪ねてきました。

 宮崎市内にある 宮崎神宮 は初代神武天皇を御祭神として、孫である健磐龍命が九州の長官となった際、祖父の御遺徳を讃えるために鎮祭されたのが始まりと伝えられています。そのため古くは神武天皇宮、神武天皇社とも呼ばれていたそうです。

 宮崎県総合文化公園の近くにあるため周囲の交通量はかなりあったのに、境内に入るとそれが嘘のように静寂で巨木が生い茂る参道の先には鳥居が立ち、鳥居をくぐると千本(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が設けられた神門があります。

  宮崎神宮1  宮崎神宮2
    広々とした境内                     鳥居

   宮崎神宮4  
      神門                           

 門を入ると白砂が敷かれた参道の両側には、皇室の方々が植樹された木が並び厳かな雰囲気が漂います。

  宮崎神宮3  宮崎神宮5
     手水舎                           

 そして、杉の木で造られた拝所、拝殿、その奥に本殿があり、千本・鰹木の設けられた社殿は青空の下で白砂に映え清楚で厳かな空気に包まれています。その中での参拝は身も心も引き締まり、全身が清められたようでした。

   宮崎神宮6
      拝所

   宮崎神宮7
      拝殿

 宮崎市の中心部から青島へと続く国道はきらめく日向灘を見ながらの九州屈指の絶景ルート。沿道にはフェニックスの並木と南国の花デイゴが咲き乱れがリゾート気分は満載 

   青島神社1
     沿道のフェニックスが印象的なドライブルート

 縁結びの神様として有名な 青島神社 がある『青島』は周囲が1.5キロの小さな島。島とを結ぶ弥生橋を渡ると、『鬼の洗濯板』と呼ばれる珍しい波状岩が広がり、穏やかな日向灘の波に洗われて光り輝いています。

  青島神社2  青島神社3

 青島神社は亜熱帯植物に囲まれた『青島』の中央に鎮座しています。境内には蝋人形『海幸彦山幸彦』の神話を再現した『日向神話館』が建ち、鮮やかな朱塗りの門の先に拝殿、その奥に彦火火出見と豊玉姫命夫婦を祀る本殿があります。さすが縁結びや安産、渡海安全にご利益があるといわれる神社、恋愛成就の絵馬やお守り並び、境内には若いカップルの姿も目に付きました。そういえば、かつてここは新婚旅行のメッカでした。  

   青島神社5  青島神社6

 拝殿の脇の神門を入るとビロウジュをはじめとする亜熱帯植物に覆われた『御成道』と呼ばれる参道があり、元宮が鎮座しています。その元宮の横には夫婦ビロウと呼ばれる御神木があり願いによって色が異なる紙縒りを結ぶ『産霊紙縒り(えんむすびこより)』と呼ばれる願掛けがありました。この青島神社には他にも『海積の祓い』『修祓の儀』『天の平瓮投げ』と恋愛成就にまつわる神事があります。

  青島神社8  青島神社9
    亜熱帯植物に覆われた『御成道』          元宮 

 またこの青島神社にわたる入り口には青島熱帯植物園があり、鮮やかな色のブーゲンビリア、デイゴなど南国の花や夏の花が咲き乱れ南国を散策しているような気分になりました。

  青島神社10  青島神社11
  

九州紀行 2 ~ 大分 西国東の寺 ~

 国東半島には 六郷満山(ろくごうまんざん) と呼ばれる寺院があります。 六郷満山 とは国東半島一帯のにある寺院の総称で、古来の山岳信仰が宇佐神宮及び神宮寺の弥勒寺を中心とする八幡信仰、天台系修験とが融合した結果、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されたといい、宇佐八幡宮の化身(生まれ変わり)といわれる仁聞菩薩が養老2年(718頃)、国東半島の各地に26の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれています。

 その六郷満山の国東半島のなかで、大分県豊後高田市地域は宇佐に近いことから、宇佐神宮の影響を受けた文化財が多く存在している所、今回は 真貴寺真木大堂胎蔵寺熊野磨崖仏を訪ねてきました。

 豊後高田市田染蕗にある 真貴寺(ふきじ) は、六郷満山のなかで、満山を統轄した西叡山高山寺の末寺のひとつで、養老2年(718頃)仁聞菩薩が開基したといわれ、宇佐宮大宮司の祈願寺として12世紀後半に建てられています。

 庚申塔、不動明王石仏、石殿などの石造物が並ぶ参道は古木が繁り、石段の上には山門が見えています。その山門の両側には石で造られた仁王像が置かれていますが、石で造られた仁王像を見るのは初めてです。

  富貴寺9  富貴寺1
    庚申塔・不動明王石仏・石殿             石造物の並ぶ参道

  富貴寺2  富貴寺3
    吽形の仁王像                      阿形の仁王像 

 山門を入ると正面に国宝の大堂が建っています。鳥の鳴き声が響く境内、木漏れ日の中で簡素な形、そして優美な屋根を広げてひっそりと佇む大堂は言葉で表現できないほどに美しく、心が奪われます。平安後期のの建立といわれる大堂は九州最古の木像建築物で、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂のひとつで、中には木造阿弥陀如来坐像が安置されています。榧材の寄木で造られた仏像はふくよかな相貌で見ているだけで心が和んできます。そして堂内を見わたせば後壁、四方の壁、四天柱には壁画が描かれています。資料によれば堂内には三千の仏様が描かれているとのこと。壁画に囲まれ阿弥陀像を見つめていると、浄土の世界に導かれた行くような・・・そんな気持ちになってきます。

   富貴寺4

 またこの大堂の周囲には笠塔婆や国東塔など多くの石造文化財があります。これらの塔は鎌倉時代に造られたそうで、苔生した石が時代を感じさせます。

   富貴寺8  富貴寺5
                               笠塔婆
 
   富貴寺6  富貴寺7
     国東塔

 次に向かったのが豊後高田市田染真木にある 真木大堂  真木大堂には不動明王像をはじめとする九体の仏像が置かれています。『幻の大寺』とも呼ばれる真木大堂は、もともと六郷満山65ケ寺のうち36坊の霊場を有した 馬城山伝乗寺 のことで、往時は広大な境内の中に七堂伽藍を備えた大寺院であったのが、七百年前に火災により焼失。その後伝乗寺の各寺坊が衰退したため、それらの本尊がこの真木大堂に集められたとのこと。

  真木大堂1  真木大堂2

  真木大堂3  真木大堂4

 九体の仏像は木像阿弥陀如来像・木造大威徳明王像・木造不動明王と二童子・木造四天王立像で、それぞれが国の重要文化財に指定されているもの。大威徳明王と不動明王は、密教で崇拝された五大明王に含まれるもので、ともに九州を代表する密教彫刻の大作といいます。これらの仏像には全霊を捧げつくして造った人々の魂がこもり、当時の人々の厚い信仰と守護が現在に至っていることに深い感銘を受けます。

 そして向かった豊後高田市田染平野にある 胎蔵寺 も六郷山寺院のひとつで、養老2年(718)に仁聞菩薩が開基、その後熊野権現を分請して 今熊胎蔵寺 となったといいます。現在、ここには国東唯一の尼寺 風雲庵 があり、女性の悩み事相談、一日尼さん修行、さらには占星術でひとりひとりにあったアドバイスもしてくださるとのこと。

  胎蔵寺1  胎蔵寺2
                              胎蔵寺

 胎蔵寺の横の山道から日本最大級のスケールを誇る不動明王と大日如来が刻まれている 熊野磨崖仏 の参道がはじまります。川に沿った参道には初夏の風が流れ、鳥のさえずりを聞きながら300m程上ると鳥居があり、鬼が一夜で築いたという自然石を使った急な石段を登りきると雄大な不動明王と大日如来は姿を現します。そして息切れした体はその磨崖仏を目にすると疲れが体の中から消えていくように感じられます。光がさし込んだような岩壁に刻まれた不動明王の顔は一般の不動明王とは異なり優しく人間味にあふれ、大日如来は慈悲深い顔立ちで参詣者を見守ってくださっているように思えてきます。

  熊野磨崖仏1  熊野磨崖仏6

  熊野磨崖仏2  熊野磨崖仏3 
    鬼が一夜で築いたと伝わる石段           不動明王の磨崖仏

   熊野磨崖仏4
       大日如来の磨崖仏

 数か所ではありましたが国東の仏像を見たことで、いつか機会があればこの国東半島の 宇佐神宮六郷満山霊場 を巡礼してみたいとの思いが募りました。

九州紀行 1 ~ 大分 宇佐神宮 ~

 大分県宇佐市にある 宇佐神宮 は全国 八幡宮 の総本社で 宇佐八幡宮・宇佐宮 とも呼ばれ、また神輿と神仏習合の発祥の地として知られています。

 由緒によれば、八幡さまとは応神天皇の御神霊といわれ、欽明天皇32年(571)にはじめて宇佐の地に示現された神を祀ったのが始まりで、現在の地に最初の社殿が建てられたのは神亀2年(725)とのこと。養老4年(720)の隼人の乱で霊験を現したことで世に知られるようになり、東大寺の大仏建立を助けたことによって中央でも信仰されるようになったそうです。さらには道鏡による皇位簒奪未遂でも重要な役割を果たしたことにより朝廷護持の神として性格も強まり、古代国家における宇佐神宮の重要性が増すにつれ社領も拡大、さらには聖武天皇の勅願で建てられた宇佐神宮の神宮寺弥勒寺の荘園も拡大、平安時代末期には九州最大の荘園領主となり、国東半島を中心とした 六郷満山 の仏教文化発祥に多大な影響を与えたといわれています。

 寄藻川にかかる朱塗りの神橋を渡ると宇佐神宮の参道に入ります。入るとすぐに武内宿禰の祀られた黒男神社があります。武内宿禰は景行天皇から仁徳天皇までの五代の天皇に240余年忠誠をつくして仕えたと伝えられる人物で、長寿、忠誠、奉仕などの御神徳があるといわれています。

  宇佐神宮2  宇佐神宮11
    寄藻川にかかる神橋                  武内宿禰が祀られた黒男神社

 大鳥居をくぐった右手には『日本三沢の池』のひとつ初沢の池があり、池の中ではハスの花が出番を待つかのように蕾を膨らませていました。その横に宝物館が建っています。この宝物館には国宝の孔雀文馨をはじめとする多数の文化財が収納されています。

  宇佐神宮  宇佐神宮4
    大鳥居                           宝物館

 斎館、神宮庁、絵馬殿、手水舎などが並ぶ表参道をさらに進むと、やがてイチイガシがの杜が頭上を覆い、上宮の石段が見えてきます。

  宇佐神宮5  宇佐神宮6
    絵馬殿                          イチイガシに覆われた上宮に通じる石段

 石段を上がった所には仁徳天皇をはじめとする応神天皇の皇子が祀られた若宮神社があり、その社から少し登ると朱塗りの西大門がたっています。華麗な唐破風の門は宇佐神宮を代表する建造物、その豪華さに圧倒されます。

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    若宮神社                         西大門

 西大門を入ると朱塗りの宇佐神宮本殿が建っています。鬱蒼としたイチイガシの参道を歩いてきたからか、その鮮やかさがひときわ眩しく感じられました。勅使門を中心に回廊が巡らされ、その内側に本殿あり、左から一の御殿、二の御殿、三の御殿と並ぶ『八幡造り』といわれる独特な建築様式で造られています。一の御殿には八幡大神(応神天皇)、二の御殿には比売大神(多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命)、三の御殿には神功皇后(応神天皇の母)が祭神として祀られています。また、宇佐神宮での拝礼は『二礼・四拍手・一礼』という作法で行われていますが、この形は古来より受け継がれてきたもので、史料は無く、起源も不詳とのことです。

   宇佐神宮9
      八幡造りといわれる独特な建築様式で造られている宇佐神宮本殿

 若宮神社から下って行くと下宮があります。祭神は上宮と同じで、古くは神にささげる食事を調理する場であったそうです。

   宇佐神宮10
      下宮

 また、境内の西の端には本殿同様の檜皮葺で、唐破風の屋根に覆われた豪華な橋『呉橋』がかかっていますが、これはかつて弥勒寺の仁王門につづく橋であり、現在は10年に一度勅使祭の時だけに扉が開くのだそうです。

  宇佐神宮12

 八幡さまの総本宮の宇佐神宮、広大な境内を歩き、鬱蒼とした杜を抜け辿り着いた華麗な社殿、時間をかけてもう一度ゆっくり見たい思いを胸に境内を後にしました。
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