高野山紀行 2 ~ 檀上伽藍 ~

伽藍とは梵語のサンガ・アーラーマの音訳で、本来僧侶が集い修行する閑静静寂な所を意味し、高野山を開創された弘法大師は造営にあたり 檀上伽藍 から造られ、金堂、大塔、西塔の建立を始められたといいます。さまざまな堂や塔が立ち並ぶ聖地・檀上伽藍には1200年の開創に多くの参詣や観光する人々で賑わっていました。

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 開創1200年の記念大法会のために新しく再建された中門には持国天、多聞天、増長天、広目天の四天の像が安置され、丹土色の鮮やかな姿で迎えてくれます。

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 門をくぐると特別に公開されている本尊薬師如来(阿閦如来)が安置されている金堂(1934年再建)があります。大法会のほとんどの行事はこの金堂で行われているようで、この日も多くの人が出入りされていました。

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     金堂                            根本大塔

 金堂の後方にそびえる根本大塔。伽藍中心の塔として高野山開創の頃より着手し、弘法大師と真然僧正の二代を費やして完成したといいます。現在の塔は昭和12年(1937)に再建されたものですが、中央に大日如来、四方に金剛界四仏、周囲の柱には十六大菩薩を配して曼荼羅を立体に表現されていて、その壮大さには目を見張ります。

 金堂の奥には大師が唐から伽藍建立の地を占うために投げた三鈷がかかったと伝えられる三鈷の松が天高くそびえ、その松を前に御影堂が建っています。

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     三鈷の松                         御影堂と根本大塔

 御影堂の左側に大師得度剃髪の際、自らの本尊としてお祀りされたと伝えらる准胝観音の置かれる准胝堂(1883年再建)、祈雨の本尊・孔雀明王を祀る孔雀堂(1984年再建)、光孝天皇の勅命により建立された西塔(1834年再建)が建っています。

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     准胝堂                           

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     孔雀堂                           西塔                            

 金堂の西側には高野山の開創に際して丹生・高野両大明神をこの地に勧請し祀られた御社とその拝殿となる山王院(1845年再建)が巨木の下にひっそりと建っています。山王院の横に建つ六角経蔵(1934年再建)は鳥羽上皇の菩提を弔うために美福門院得子が創建。紺紙金泥一切経とともに、一切経会料として紀伊国荒川荘を寄進したことから荒川経蔵とも呼ばれているそうです。

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     山王院                          六角経蔵

 根本大塔の一段下がった東側には後醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るために建立された愛染堂(1848年再建)、皇女五辻斎院頌子が父鳥羽上皇追善のために創建した大会堂(1848年再建)、その横に、西行法師が現在の地に移築したと云われる三昧堂(1816年再建)が西行桜を前に建ち、白河上皇の御願により創建された東塔(1984年再建)がその三昧堂を守るかのように堂々たる姿で建っています。

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     西行桜の植えられた三昧堂             東塔            

 檀上伽藍で唯一の国宝建造物である不動堂は大会堂の前にあります。行勝上人が創建、現在の堂は鎌倉時代の和様建築で、平安期住宅様式を仏堂建築に応用されたものとのこと。その趣きある建物は賑わう境内の一角でそこだけが静寂さに包まれひときわ存在感を示していました。

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高野山紀行 1 ~ 金剛峯寺 ~

 真言宗の開祖・弘法大師空海が密教修行の道場を高野山に開かれてから今年(平成27年)で1200年、弘法大師の軌跡を訪ねて高野山に行ってきました。

 訪れた高野山には真言宗の檀信徒、他宗派の信徒、僧侶や一般の人々が日本全国から、さらには外国からもたくさんの人が訪れていました。

   金剛峯寺3  金剛峯寺4

 高野山への入り口は高野七口といわれるように七つの入り口があります。高野山の正門でもある大門は江戸時代の再建で、凛々しい金剛力士像が安置されています。また女人禁制だった明治5年(1872)までは高野山内に入れない女性のために参籠所が設けられていて、不動坂口には当時の面影を残す唯一の女人堂があります。

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     高野山の総門 大門                  女人堂のある不動坂口

 金剛峯寺 は高野山山上にある117の塔頭寺院の中核となる本坊のことであると同時に、高野山全体を 総本山 金剛峯寺 と呼ばれ、高野山全体がお寺で、『一山境内地』とも呼ばれています。

 現在の金剛峯寺は文禄2年(1593)、豊臣秀吉が大軍を率いて高野山攻撃を計画、それを知った客僧の木食応其が交渉の末、寺領の多くを失ったものの、一山を兵火から守り、秀吉は応其の人柄に打たれ、山上に生母の菩提を弔うための寺を建立、これが応其の住房となり、青厳寺と称し、明治2年(1869)に 金剛峯寺 と改められたといいます。

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 枝垂れ桜が揺れる参道を進むと正面に正門がたち、門をくぐると檜皮葺の豪壮な屋根の大主殿が現れます。その屋根の上には火事が起きた時に備えて天水桶が置かれています。

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 大主殿には大広間、梅の間、柳の間などがあり、襖絵は狩野元信、狩野探幽らの筆で描かれています。柳の間は豊臣秀吉に追放され、高野山に豊臣秀次が自刃を命ぜられ、自刃した間とのこと、豪華な襖絵で彩られたこの建物には悲しい歴史が潜んでいたのです。特別に公開されている金剛峯寺持仏の前ではたくさんの人が秘仏を一目拝もうと列を連ね、大広間ではお茶の接待を受けくつろぐ人の姿もありました。
 他にも別殿、新別殿、奥殿、書院、真然(空海の十大弟子)廟などの建物があり、奥殿を守るかのように石庭もつくらています。蟠龍庭と名づけられた庭は石庭としてはわが国最大のもので、雲海に雄雌一対の龍を表現しているそうです。

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       蟠龍庭

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     真然廟 

 『かご塀』という檜皮葺の築地塀で囲まれている境内は、青厳寺であった頃、寺域を区切るために設けられたものといい、苔むした屋根に歳月を感じます。

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      鐘楼                            かご塀

 高野山の本坊となる金剛峯寺はやはり高野山の中心的存在と改めて感じました。

江南の春 4 ~ 杭州 ~

 浙江省の省都・ 杭州 は西湖で知られる風光明媚な古都。悠々と流れる銭塘江のほとりに開けた町は秦の始皇帝がここに銭塘県を設置したのが始まりといい、それは2000年以上前に遡ることになります。文献によれば、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が開通したことにより交易の要衡として発展、呉越国時代、南宋時代には首都となり中国六大古都のひとつとなっています。その頃ここを訪れたかのマルコ・ポーロはこの町を『地上の楽園』と称えたといいます。

 その杭州は今、近代的なビルが立ち並び活気に満ちた都会に・・・

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中国十大風景名所のひとつに数えられる 西湖 は世界文化遺産に登録された杭州随一の観光名所で、『西湖十景』に代表される数々の見どころが点在しています。約1万2000年前には浅瀬の入れだったところが長い年月を経て湖となり、西湖の名として知られるようになったのが、北宋時代のことで、西湖を愛した詩人の蘇東波が春秋時代の美女、『西施』にたとえて『西施湖』と詠み、それが西湖のなの由来になったといいます。

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 西湖を代表する『西湖十景』は三潭印月・断橋残月・蘇堤春暁・雷峰夕照・曲院風荷・花港観魚・南屏晩鐘・柳浪聞鶯・平湖秋月・双峰挿雲の10ヵ所の名所をさし、『三潭印月』は明代に造られた人工の島小瀛州の南側にある三つの石塔を月夜の晩に船上から眺めた景観美を、『蘇堤春暁』は西湖を南北に貫く堤坊に春霞のかかる朝、しだれ柳の枝で鶯が鳴く様子が美しいことから名づけられたといわれ、また湖面に揺れる柳とその枝で囀る鶯の声の情緒的な風景を醸すことから『柳浪聞鶯』と呼ばれるようになったといい、それぞれの名所の美しさが表現されています。
 西湖の観光は湖岸から眺望する美しさ、観光船や小舟で湖から眺める美しさとあらゆる角度から堪能することができます。

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                                    人工の島小瀛州

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                             蘇堤の風景                       

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     蓮の名所                         雷峰塔の遠望

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     牡丹とコイなどが鑑賞できる花港公園       月見の名所平月台

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     ライトアップされた光が映る夜の西湖        公園を彩る春の花

 また西湖の近くの劇場では毎夜、物語仕立ての雑技エンターテイメント『西湖之夜』が上演されています。美しい湖と杭州の歴史をテーマにした『西湖之夜』は歌あり、踊りあり、アクションで構成されており、たくさんの人で会場は賑わっていました。

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 杭州市を流れる銭塘江は海水の逆流現象で知られていますが、この氾濫を鎮めるために建造されたのが、 六和塔 で、外から見ると十三層に見える塔が内部は七層という不思議な塔。名前の『六和』とは仏教の六合(日本では六方)の教えの由来しているそうです。

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 狭く急な階段を上がると最上階からは悠々と流れる銭塘江が目の前に広がり、雄大な江南の景観を一望することができます。

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 塔の前には中国の国花でもある牡丹の花が甘い香りを漂わせ、広場では鉢に植えられたボタンが展示されていました。

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 観光船で眺めた春爛漫の風景、柳が揺れる湖畔の散策、不思議な塔から眺めた銭塘江の雄大さ、杭州は感動の町でした。

江南の春 3 ~ 無錫 ~

 長江(揚子江)の下流に開けた水郷の町 無錫 は古くから物流の拠点として栄え、京杭大運河が町の中を流れ、南部には中国で3番目に大きな淡水湖の太湖が広がる町。その歴史は殷末期に築かれた匂呉国が始まりといいます。

 その太湖に突き出た半島の一部にある 黿頭渚(ゲントウショ)公園 は自然公園として整備されており、春に桜祭りが開かれお花見を楽しむ人で賑わうそうです。

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 桜祭りは終わっていましたが公園内には春の花が咲き乱れ春爛漫の風景が・・・

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 この公園は太湖第一の名勝と称される風光明媚な公園で、ここからは太湖仙島まで船で行くことができます。

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    満杯の遊覧船で出航                帆船で島に渡ることも
              
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 この島はかつて道教の修行の場として栄えたといわれ、島には道教寺院も建てられています。また、野外授業のような子供たちの姿も多くお土産屋さんや屋台のお店も賑わいをみせていました。

 『無錫旅情』の歌によって日本人にもなじみある無錫は、映画「三国志』に使用された撮影所や『水滸伝』の使用された撮影所がテーマパークとして一般公開されており、ここを訪れる人も多いとのこと。機会があればこのテーマパークも一度訪れてみたいと思います。

江南の春 2 ~ 水郷古鎮の町 鳥鎮 ~

 中国には古民居が保存され、伝統的な生活様式が残る『古鎮』と呼ばれる町や村があり、特に江南地方は昔から水利に恵まれたため、『水郷古鎮』が点在しています。 京杭大運河の畔に開けた 鳥鎮(ウチン) も『江南6大水郷』のひとつで、古くから交通の要衡として栄え、その歴史は1300年前にも遡るといいます。

 鳥鎮には水郷の趣きを残す景区が東西にふたつありますが今回は東柵の地域を訪ねてきました。

 景区入口の門を入ると目の前には、水郷に沿って古い建物が連なり、タイムスリップしたかのような風景が広がります。

  鳥鎮1  鳥鎮2

  鳥鎮4  鳥鎮5 

   鳥鎮6

 東市河に沿うように立ち並ぶ家々には現在も住民が居住していて、観光のために朝から夕方までは中を見学できるように開け放たれていて、中には土産店や飲食店などをしている家も。見どころが並ぶ東大街は散策する人で溢れています。中国の人が特に多いのは、ノスタルジックな情景を求めて、中国の人のツアーが多いからとか・・・

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   東大街                          華麗な装飾の中国ベットが並ぶ江南百床館

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   薬棚の並ぶ香山堂薬店                江南地方の暮らしがわかる江南民族館

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   特産の藍染の工房                   晴耕雨読

 往時の風情はみたことがないのでわからないのですが、今ここにある鳥鎮の風景はどこか懐かしく憂いを感じ、映像のワンシーンを見ているような錯覚に陥ります。遠い昔を連想させてくれる風景は旅の思い出の一ページに刻まれました。

江南の春 1 ~ 蘇州 ~

中国・長江(揚子江)の南岸、特に江蘇省南部から浙江省の 江南 と呼ばれる地域は関西とほぼ同じ気候で、春には桜や桃の花が咲き、運河沿いや町の中を走る水路や西湖の湖畔には青みを増した柳が枝が風にそよぐといわれる、そんな春爛漫の風景を求めて江南地方を旅してきました。

 『蘇州夜曲』などで知られる 蘇州 は太湖のほとりに開けた水の都で 東洋のヴェニス  とも呼ばれ、運河に囲まれた市街には縦横に水路が走り、古びた町の一角では白壁と黒瓦の家並みが連なり情緒ある風景を見ることができます。

   蘇州1

  蘇州2  蘇州3

 町の中を歩いているとあちこちで桜やツツジの花が競い合うように咲いています。

   蘇州4

 蘇州の歴史は春秋時代の紀元前514年、呉国王の闔閭(こうりょ)がここに都城を築いたことが始まり、当時は呉州ととよばれ、蘇州と改名されたのは隋代589年のことで、唐代以降はシルク産業により発展、明・清代には国内有数の大都市になったといいます。

 市の中心部から少し離れたところにある 寒山寺 は南北朝梁の天監年間(502~519年)に創建された禅宗寺院。妙利普妙塔院と呼ばれていた寺院は、唐の貞観年間(627~649年)風狂の人寒山がこの地に草庵を結んだことから寒山寺と改名されたといいます。

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 寒山拾得の故事で知られる寒山寺、寒厳幽窟に住んでいたことから寒山と呼ばれ、天台山国清寺の僧・豊干に拾われ養われたことから拾得と称したふたりは国清寺に出入りして、その食事係となって残飯や野菜のクズを拾い食糧とし、乞食同然の生活をする非僧非俗の風狂の人ではあったが仏教の哲理には深く通じていたといい、特に寒山は「寒山子詩」と呼ばれる多数の詩があります。寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来ともいわれ、師の豊干禅師を釈迦如来に見立て「三星」「三隠」と呼ばれているそうです。また、宋代以降は彼らの生き方に憧れる禅僧や文人の格好の画題とされ、日本や中国の画家や小説家によって絵画や小説が残されています。

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     寒山と拾得の像

 広大な伽藍が立ち並ぶ境内は人でにぎわい、五重塔からはみる諸堂の多さには驚きます。そして『鐘が鳴るなり寒山寺』で知られる鐘楼の前には鐘を撞く人々が列をつくっていました。

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 白居易が蘇州の長官を務めたときに築いたという蘇州城と虎丘山をつなぐ水路沿いに山塘街では運河の風景を楽しむことができます。明清代の町並み再現されており、水辺に連なる白壁の家々は風情たっぷり。

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 散策する町にはレストランや茶館、画廊、ショップなどが点在し、買い物する人、お茶を飲む人、景観を楽しむ人などの姿も見受けられます。

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 町の中心である観前街は 玄妙観 の門前町として発展し、今はファッショナブルなショップやカジュアルなレストランのある歩行者天国として人気のある場所。

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 玄妙観は晋の咸寧年間(275~280年)に創建された道教寺院。中国三大木造建築のひとつで、内部には太清、玉清、上清の道教三清が安置され、地元の人々が熱心に参拝に訪れるお寺といいます。

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 富豪たちが競い合うように造った江南式庭園、寒山拾得で知られる寒山寺、白壁と黒瓦の家並みの中を走る水路の町・蘇州。日系を含む多くの外国企業が進出し、町は近代的な景観に変わりつつありますが、外城河に囲まれたところではまままだ情緒ある風景が残り運河の風景を楽しむことができました。
  

法楽寺 ~ たなべのお不動さん ~

 日本各地で古くから栽培・利用されてきた伝統野菜。その中でも『京野菜』はよく知れれていますが、大阪にも『なにわ野菜』といわれる伝統野菜があります。水茄子をはじめとする『なにわ野菜』の中に、大阪市東住吉区の田辺地区で江戸時代から栽培されてきた『田辺大根』と呼ばれる大根があります。「 たなべのお不動さん 」名前で知られる 法楽寺 はその田辺の地にあります。

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    境内にある田辺大根の碑と大根の花        田辺大根のオブジェ

 平清盛の嫡男、重盛の草創といわれ、治承2年(1178)に創建された伝えられています。平家物語によれば、重盛は根熱心な仏教信者で、宋の阿育王寺に向かう船頭妙典に黄金3000両を渡し、血縁を求めたいとの伝言したところ、阿育王寺の仏照禅師は重盛の仏法に寄せる志の篤さに感じ、同寺に伝わる仏舎利のうちの二顆(粒)を贈ってその篤志にむくいられたとあります。そして重盛は仏舎利を奉り、平治の乱で滅びた源義朝の念持仏如意輪観音を安置、平家・源氏の菩提を弔うことを願い田辺の地にお寺を建立したといいます。

 商店と住宅が立ち並ぶ街中を歩いていくと、突然巨木の茂る一画が現れます。入口には田辺不動尊と小松院法楽寺の石柱が立ち、山門の奥には三重塔がそびえ立っています。

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   法楽寺3

 平成8年(1996)に完成した三重塔は中国浙江省にある阿育王寺から贈られた仏舎利を納めるために建てられたものといい、塔内には本尊の大日如来、不動明王、愛染明王が祀られ、毎月28日に開扉されるとのこと。

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    三重塔                           大師堂

 三重塔の奥には本堂、書院、庫裏が並んで建っています。

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 この本堂と山門は大和松山藩織田家(織田信長の次子信雄を祖とする)の殿舎を移築したものといいます。

 境内の一画で三重塔をもしのぐ樹齢1000年といわれる楠の大木ががあり、その下にはこのお寺の代名詞でもある水かけ不動明王が置かれています。

  法楽寺5  法楽寺6

 平家と源氏の菩提を弔うために建立された 法楽寺 は今、神仏霊場社寺、近畿三十六不動尊の札所として、また近隣の人々の祈願のお寺として町の中にとけ込んでいます。

 
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