十輪寺 ~ 『なりひら桜』で知られる在原業平ゆかりの寺 ~

       世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのだけからまし

 の歌で知られる平安前期の歌人 在原業平 は桓武天皇の曾孫で、『伊勢物語』の主人公ともいわれ、ゆかりといわれる地は幾つもありますが、京都市西京区大原野にある 十輪寺  もそのひとつ。通称「 なりひら寺 」とも呼ばれ、業平は晩年ここに隠棲したといわれています。

 十輪寺 は嘉祥3年(850)に文徳天皇の女御染殿皇后(藤原明子)の世継ぎ誕生を祈願して創建され、めでた皇子(のちの清和天皇)が誕生したことから、勅願所となり隆盛しましたが応仁の乱で荒廃、その後花山院定好が再建し、花山院家(藤原北家)の菩提寺にされたといいます。

 十輪寺は県道向日善峰線の小塩のバス停から少し坂を上がったところに建っています。

 山門を入るとすぐ右手に建物に覆いかぶさるように枝を垂らした一本の桜の木があります。「 なりひら桜 」と呼ばれる桜は、 『三方普感の庭』と呼ばれる庭にあり樹齢200年近いといいます。その桜は四方を建物に囲まれる厳しい立地条件の中で懸命に生きてはいるものの、いつどうなるかは解らないともいわれています。なりひら桜のある庭の見方は「立って、座って、寝ての三通りのの楽しみ方のできる庭なので試してみてください」とお寺の方にうかがったので実際にしてみると、確かにそれぞれに違って見えました。桜の満開の時にはさすがに無理かもしれませんが・・・

  十輪寺10  十輪寺9
     三方普感の庭

    十輪寺7
        なりひら桜と鳳輦形の屋根をもつ本堂

 高廊下から連なる本堂は鳳輦型という御輿を型どった非常に珍しい外観の屋根で、寛延3年(1750)に再建されたもので、内部にも独特な彫刻が施されています。本尊の延命地蔵菩薩は伝教大師の作といわれる秘仏(年に一度8月23日に御開帳される)で、腹帯地蔵とも呼ばれ子授けや安産を願い訪れる女性も多いそうです。

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  十輪寺1  十輪寺5
                      高廊下から本堂の前に広がる庭園

  十輪寺4 本堂の前に建つ鐘楼

 本堂の脇から裏山に上がっていくと、少し平たくなった所に在原業平の墓と伝わる宝筐印塔がたっています。

    十輪寺6

 『なりひら桜』が覆いかぶさる本堂や茶室を下に見ながら進むと、『塩竃』の跡が残っています。ここに隠棲していた在原業平が塩竃を築き、難波の海水を運んで塩を焼き、風流を楽しみ、想い人であった二条后(藤原高子)が大原野神社に参拝される時には紫の煙で思いを託したと伝えられ、木立に囲まれた中に作られた塩竃(復元)は古人の風流な世界が偲ばれます。

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 満開の桜は見ることができませんでしたが、西山は自然豊かな里と京都の街並みや東山を見わたす眺望、歴史に彩られた人々を偲びながらの散策は季節ごとに訪ねてみたいと思いました。
  
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正法寺 ~ 「鳥獣の石庭」と梅園 ~

 勝持寺の仁王門から大原野神社に向って歩いてくると、社家川に架かる鮮やかな朱色の極楽橋が見え、その橋を渡ると「 石の寺 」とも呼ばれる 正法寺 の境内に入ります。 

  正法寺1  正法寺2
     極楽橋                          入口に立つ遍照塔と梵字を描いた花壇

 縁起によれば、奈良唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟・智威大徳が隠棲し、春日禅房を開いたことがはじまれで、のちに弘法大師が42才の厄除けのため自ら聖観音を刻み安置したことから『西山のお大師さま』と親しまれている真言宗のお寺です。また徳川綱吉の生母・桂昌院の帰依を得たことから徳川家の祈願所となっていました。

 境内に入ってすぐの小高いところに春日不動尊の社殿がたっています。大日如来のお使いといわれる不動明王は悪魔降伏の任務を担ってこの世に現れた仏さまです。厄除祈願を願ってのぼる階段の脇には少し蕾を膨らませたしだれ桜が・・・

    正法寺3

 山門から中に入ると白砂の中に石と数本の木が植えられた枯山水庭が本堂の入口まで続いています。

  正法寺4  正法寺5

 本堂に入り、弘法大師作の聖観音、かなり珍しい三面千手観音、薬師如来などの仏像をを拝ませて頂き、「 鳥獣の石庭 」へ。

    正法寺7

 『白砂に浮かぶ鳥獣』とうたわれる枯山水の庭には象、フクロウ、蛙、獅子などの形をした名石が白砂の上に置かれ、その先にある塀の向こうには東山連峰の峰々が・・・置かれていた配置図を見ながら鳥獣の石を確かめているうちに、白砂が海のように思え、大海原をさまよう自分の姿が重なってきました。パンフレットに「大自然のたゆみないいとなみの中で生かされているもう一人の自分に出会うことでしょう」とあり、改めてその偉大さを感じました。

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 桜で知られる正法寺ですが、早春の今は梅の香に包まれています。境内の一角に広がる梅園では一重八重、白や紅、薄紅色の様々な花が咲き乱れ、境内をひときわ鮮やかに彩っていました。

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    正法寺12

 春爛漫の桜が満開の頃には石庭に植えられた紅しだれ桜を見に来られる人も多いとのことですが、正法寺は春夏秋冬いつ訪れても、美しい風景に出会えるところ、今度はいつ訪れてようかと考えながらお寺を後にしました。 

勝持寺 ~ 西行法師ゆかりの花の寺 ~

京都の西山の山裾に広がる大原野は竹林とのどかな里の風景が広がる自然豊かなところ。その風景にとけ込むようにひっそりと古刹の寺社が佇んでいます。在原業平、西行法師、桂昌院など名だたる人のゆかりある寺は花々で季節の訪れを伝えてくれるのです。

 別名「 花の寺 」と美しい呼び名で知られる 勝持寺 も西山のふところの大原野の地にたっています。縁起によれば、白鳳8年(679)に天武天皇の命により、役行者創建のしたことが始まりで、延暦10年(791)に伝教大師最澄が桓武天皇の命を受け、ここに薬師如来を安置、再建され、その後仁寿年間(851~54)に仏沱上人が文徳天皇の帰依を得て中興の祖となり伽藍を拡張、大原院勝持寺 と名を改め大原野神社の供僧寺としたといいます。

 大原野神社の鳥居からのどかな道をのぼっていくと、うす暗い竹林の中に仁王門がたっています。

  勝持寺1  勝持寺2

 深い木立と竹林のなかにあるだらだらとした参道には、時折差し込む陽春の光が差し込み、竹の葉の刻む風の音、鳴き声が幼稚な鶯の声に心も弾みます。そして現れた武家屋敷のような白壁と石垣の参道は南門へと続きます。

  勝持寺3  勝持寺4

 門を入ると正面に書院、、瑠璃光殿、阿弥陀堂と並んでいます。

    勝持寺6
       阿弥陀堂と瑠璃光殿

 境内に入ると濃い赤のつぼみを膨らませた梅と地面に這うように咲くショウジョウバカマ薄いピンクの花が出迎えてくれました。

  勝持寺5  勝持寺7
     紅梅                            ショウジョウバカマ

 瑠璃光殿には本尊の薬師如来、その胎内仏の薬師如来、かなり珍しい極彩色の日光・月光菩薩、十二神将、金剛力士像とともに、西行法師像が置かれています。後鳥羽上皇に仕えていた北面の武士、佐藤義清が突然出家、剃髪し西行と名を改め庵をを結んだのがここ勝持寺といいます。そして植えた一株の桜は『西行桜』と称し、『花の寺』と呼ばれるようになったそうです。阿弥陀堂から一段下がった庭にある鐘楼の脇にある『西行桜』は少しだけつぼみを感じる程度で残念でしたが・・・

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       鐘楼と西行桜                      

 少し高台には不動堂の建物があり、堂の後ろの岩窟の中に石不動明王が安置されおり、諸病平癒の不動様とて信仰をされているそうです。

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 不動堂から見下ろす境内には桜と紅葉が数百本も植えられています。かのバサラ大名佐々木道誉は将軍主催の花見に対抗して同じ日に、この寺で花見会を催したとの話も残り、古くから花見の名所であったようです・

  勝持寺13  勝持寺15
     境内を流れる三春川                  桜ヶ丘

 歌枕で知られる『瀬和井の泉』と『冴野の沼』もあり、古の歌人たちの歌も残されています。

  勝持寺11  勝持寺12
     瀬和井の泉                       冴野の沼

 桜の季節には少し早かったのですが、竹林の参道、芽吹き前の枝の間から差し込む光が苔を浮き立たせる庭園、瑠璃光殿に安置された仏像たち、この季節だからこそ心行くまで堪能できたお寺でした。

 そしてもう一つの楽しみが、勝持寺のすぐ東側にある 寶菩提院 願徳寺 の如意輪観音です。国宝の如意輪観世音菩薩半跏像は平安前期のものといわれ、その優美な姿は是非一度目にしたいと思い足を運びました。小さな御堂の中に安置された如意輪さまは美しく、気品ある表情をしておられました。

  勝持寺16  勝持寺18

 

大徳寺塔頭 龍源院 ~ 枯山水の庭に囲まれた古刹 ~

 禅寺の落ち着いた色合いの建物が並ぶ山内でひときわ鮮やかな朱色が目を引く大徳寺の三門 金毛閣 この三門は千利休が楼上に自身の木像(雪駄履きの)を安置したため、そのことが問題となり秀吉から切腹を命じられたことで知られています。

    瑞峯院15

 その三門の前に大徳寺の中で最も古い寺 龍源院 があります。大徳寺南派の本院 龍源院 は室町時代に、南派の祖東渓宗牧禅師を開祖に畠山義元、大友義親、大内義興の三氏により創建されています。

 創建当時の建造の表門を入ると、杉苔の間を縫うように参道が庫裏まで続いています。

  龍源院2  龍源院3

 天井の梁の見える庫裏の横には書院があり、室内には日本最古という種子島銃や秀吉と家康が対局したといわれる四方絵巻の碁盤と碁筒が展示されており、あらためて歴史を感じます。

  龍源院4  龍源院5

 書院の南軒先には『滹沱底(こだてい)』と呼ばれる阿吽の石庭がありますが、その右と左には聚楽第のものと伝えられる基礎石も。

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     書院軒先にある阿吽の石庭              阿の石と阿の基礎石

 方丈は室町時代の禅宗方丈建築の遺構を完全にとどめている唯一のもで、建築史上枢要な存在であるといわれる貴重な建物です。

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     龍源院の額か掲げられた方丈            開祖堂(東渓禅師の塔所)

 大徳寺には本坊をはじめ、いずれの塔頭にも名だたる庭が存在していますが、この龍源院にも方丈を取り囲むように枯山水式の庭園が作られています。方丈前の庭は『一枝坦(いっしだん)』と呼ばれ、石組で仙人の住む不老長寿の島といわれる蓬莱山を、手前に苔で亀島、石組で鶴島を現し、白い砂が大海原を現しているとのこと。石と砂、苔のみで表現された庭に厳しい禅の世界を垣間見るような気がします。

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 方丈の北に広がる庭は『竜吟庭(りようぎんてい)』呼ばれ、創建当時のものといわれています。室町時代の庭師・相阿弥の作と伝えられる須弥山形式の枯山水で、杉苔で大海原を、石組が陸地を現しているといいます。そして一面に広がる苔の海原は優しい風合いで見る人を包みこんでくれます。ここに『洛北の苔寺』とも呼ばれる由縁があるのかもしれません。

    龍源院12

 そして方丈の東には我が国で最も小さい壺庭『東滴壺』が作られています。わずかな空間に作られた石庭はそこはかとなく深い深海を想像させ、恐ろしくもあるような・・・

    龍源院8

 方丈の周囲に作られた意匠の異なる庭は見る人に様々な思いを抱かせてくれます。山内の最古の寺院は四季を問わず訪れてみたいと想いながら後にしました。

大徳寺塔頭 瑞峯院 ~ キリシタン大名大友宗麟の菩提寺 ~

 大徳寺の山内はいつ行っても禅寺の凛とした空気に包まれ、身が引き締まってくるよな気持ちになります。その山内をそぞろ歩きしながら大徳寺の塔頭のなかで通常拝観ができる寺院のひとつ 瑞峯院 を訪ねました。瑞峯院は室町後期、九州豊前豊後の領主でキリシタン大名として知られる 大友宗麟 が自らの菩提寺として、徹岫宗九禅師を開山に創建された寺院です。瑞峯院の寺名は宗麟の法名から名づけられています。

 千体地蔵塚の脇から敷石の山内を左に進むとピンク色の花をつけた椿の大木が見え、その先に創建当時のものといわれる表門が建っています。

  瑞峯院1  瑞峯院2

 表門をくぐると緑苔で覆われた庭園の中を丸竹で仕切られた参道が、鍵の手になりながら唐門、庫裏へと続て行きます。

  瑞峯院4  瑞峯院5

 庫裏の玄関前には白色の『加茂本阿弥』の椿が咲き、訪れる人を出迎えてくれます。中に入ると方丈への渡り廊下の横に坪庭あります。白砂の上には開基の宗麟を偲ばせるキリシタン灯籠と蹲踞が置かれています。

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     玄関前で咲く『加茂本阿弥』の椿          坪庭に置かれたキリシタン灯籠と蹲踞

 室町時代の禅宗方丈建築の遺構をとどめているといわれる方丈は天文4年(1535)に建造され、入口の頭上には後奈良天皇の宸翰で『瑞峯院』の額が掲げられています。

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 ここ瑞峯院の庭はいずれも重森三玲氏の作庭で、方丈前に広がる枯山水の庭は瑞峯をテーマにした蓬莱山式庭園で『独坐庭(どくざにわ)』と呼ばれています。大刈込と巨石で表現した蓬莱山からのびる半島と小島に打ち寄せる荒波を砂紋で描いて大自然の活動を現し、そこから茶席の前の方は入り海となって静かな風景を現しているとのこと。柔らかな早春の光が差し込む庭を見つめていると白砂に描かれた砂紋に、柔らかな苔の庭に次第に心の雑念が薄れていくようで心地よい気持ちになってきました。

  瑞峯院9  瑞峯院10
                              独坐庭

 露地庭の一角にある茶室『餘慶庵』には利休忌に因んで毎月28日に釜がかけられているそうです。また方丈の裏手にある茶室『安勝軒』は大徳寺山内唯一の、逆勝手席なるものとか。

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     餘慶庵                          安勝軒

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     安勝軒内部

 そして方丈と茶室『安勝軒』の間に広がる庭は『閑眠庭』と呼ばれ、中庭にあるキリシタン灯籠を中心に、七個の石組からなり、縦に四個、横に三個の石の流れが十字架に組まれ、万民の霊を弔っているのだそうです。

  瑞峯院14  瑞峯院13
                               閑眠庭

 禅僧の方々が丹精込めて作り上げる瑞峯院の庭には厳しさと、静けさが大自然にとけこんでいるようで、いつ訪ねても心地よさが残りるこの庭を見に一度訪れてみてください。

大徳寺塔頭 高桐院 ~ 細川忠興とガラシャ夫人の眠る寺 ~

 京都市北区紫野の地にある 大徳寺 は臨済宗大徳寺派の大本山。船岡山の北に広がる山内に伽藍と20余の塔頭が立ち並んでいます。大徳寺の創建は鎌倉時代後期で建仁寺、東福寺、南禅寺の創建よりも後のこと。しかし、戦国の武将や大名、千利休をはじめとする茶人や豪商に支えられ、また歴代の住持、名僧を輩出したことにより大徳寺の名を高めたようです。
 『 塔頭はことごとく、第一級の美術館といっていい 』 と作家司馬遼太郎が『 街道をゆく 』の中で述べているように、それぞれの塔頭に名庭、名席、襖絵などがありますが、そのほとんどが特別公開以外、拝観が謝絶されています。その中にあって、細川忠興とガラシャ夫人が」眠る 高桐院 は通常拝観することができる数少ない塔頭寺院のひとつです。

 高桐院 は細川忠興(三斎)が父親の細川藤孝(幽斎)の菩提所として慶長6年(1601)に藤孝の弟である玉甫紹琮を開山に創建されています。細川忠興は織田、豊臣、徳川の三世に仕えた戦国時代切っての智将であり、利休七哲のひとりとして茶道の奥義を究め、歌道をたしなむ文武両道に秀でた哲理の人だったといわれています。しかし、気性が激しく、漢癖があり、人に文の人といわれることは嫌ったともいわれています。

 山内で一番西に位置する高桐院。開けられた表門の奥には丸竹で仕切られた敷石の参道が鍵の手になりながら唐門まで続いています。

  高桐院1  高桐院2
                         美しいアプローチの参道

 美しいアプローチを描く参道は歩いているだけで幽玄の世界に引き込まれていきます・・・余韻に浸りながらゆっくりと敷石を踏みしめながら中門まで進むと、その先にお寺とは見えないような玄関があり、その奥に客殿、書院、茶室、庫裏などの建物があります。『意北軒』と掲げられた書院は聚楽第にあった千利休の邸宅を移築したものと伝えられ、内部はかなりの歳月を漂わせています。書院の奥にある茶室『松向軒』は忠興の手で建立されたもので、茶室には珍しい黒壁で、簡素な中にも幽玄の趣きが散りいれられた名席といわれています。

  高桐院3  高桐院9 
    中門                            書院意北軒 

  高桐院10  高桐院13
    書院内部                         茶席松向軒

 客殿は茶室、書院に比べかなり新しく内部は簡素なものですが、そこから眺める庭園は素晴らしく、何度訪れても心に響きます。江戸初期に造園されたものといわれ、生け垣と緑苔に楓を主にした樹木が絶妙なバランスで植えられており、額縁画のように眺めるとより一層その美しさが体感できます。

  高桐院5  高桐院6

  高桐院8  高桐院7

 南庭から西に広がる庭を歩くと植えられた草木が四季折々に美しく、自然の風雅を見ることができます。趣向を凝らした庭の降り蹲踞には朝鮮の王城の礎石を持ち帰ったといわれる袈裟型の手水鉢が置かれていました。

  高桐院11  高桐院12
                                    袈裟型の手水鉢

 そして細川家の墓所はその庭の一角にあり、入口にある忠興とガラシャ夫人の墓は石灯籠が墓石になっています。

  高桐院4  高桐院14

 この石灯籠は利休秘蔵の天下一の称のある灯籠であったことから、秀吉が所望。そこで利休は灯籠の笠の部分をわざと欠いて、断ったという曰くあるもので、利休割腹後に形見として忠興に譲られたとのこと。そして今、忠興は関ヶ原の合戦に際して非な死を遂げたガラシャ夫人とともに苔を頂いた遺愛の石灯籠の下で静かに時の流れを見つめているのではないでしょうか・・・
 さらにその奥には細川家歴代の墓が並び、苔生した墓石に時の流れが偲ばれます。

  高桐院15  高桐院16
     細川家歴代の墓所                   『雪中花』の名をもつ椿

 墓石が並ぶ傍らにポツリポツリと花をつけた椿を見つけ、木札を見ると『雪中花』と書かれていました。大徳寺は戦国武将の菩提寺として尚武の木椿が好んでその庭園に植えこまれています。以前ここを訪れた際に淡いピンク色の小ぶりな椿『天津乙女』を見てその名に夢を馳せ、それ以来春にここを訪れるのを楽しみにしていました。確か、墓所の前の井戸の近くにあったような気がして探したのですが見つからず、庭の手入れをされていた方に伺ってみると、どうやら原木は枯れたしまったようなお話でした。期待していただけにかなり落胆しましたが、小さな苗が残っていて、いつかまた芽をだしてこの庭に花を咲かせてくれることを忠興・ガラシャ夫妻の墓に祈りながらお寺を後にしました。
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