建仁寺塔頭 禅居庵 ~ 開運と勝利の神を祀る禅寺 ~

 建仁寺の境内の南西にある 禅居庵 には本尊とは別に開運と勝利の神 摩利支天 が祀られ信仰されています。摩利支天 とはサンスクリット語で 陽炎 を意味し、陽炎は実体が無いことから捕えられて傷つくことがないため、戦国時代の武将の間に摩利支天信仰が広がったといわれています。

 その摩利支天が祀られている 禅居庵 は中国福建省出身の大鑑拙正禅師により開山されています。大鑑禅師は中国から日本に来朝し、鎌倉で建長寺をはじめとする禅寺に住山し、その後建仁寺の住持として迎えられ禅居庵で遷化されたといいます。禅師は祖先より摩利支天を信仰おり、住んでいたところにはいつも摩利支天を祀られていたといわれ、入滅地となったこの地で秘仏として680年近く祀られているそうです。

 摩利支天堂のある禅居庵には、境内の放生池近くにある山門から庭の中を通る参道からも、大和大路通に面した門からも入ることができます。

   禅居庵2  禅居庵3
     建仁寺境内にある山門                参道

    禅居庵4
      大和大路通に面した山門

 猪に乗って素早く移動するといわれる摩利支天、摩利支天堂の境内には狛犬ならぬ狛猪が鎮座し、参拝者を出迎えてくれます。迅速で勇敢な猪は農家にとっては嫌われ者の代表ですが、狛猪はなんとも憎めない表情をみせてくれます。

  禅居庵6  禅居庵7

    禅居庵5

 亥年の守り神でもある摩利支天は家運隆昌、商売繁盛、福利円満として今も変わらぬ信仰を集めている神様、少し遅くはなってしまいましたが今年の家内安全を祈願しました。
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2015 京の冬の旅 1 建仁寺塔頭 霊源院 ~ 五山文学の寺院に伝わる秘仏 ~

 今年の「 京の冬の旅 」は「 古都京都の文化財 世界遺産登録20周年記念 」と「 琳派400年記念 」をテーマに開催されています。特別公開されている中のひとつ 建仁寺の塔頭寺院 霊源院 をたずねてきました。

 霊源院は応永年間に龍山徳見和尚が勧請開山し、その弟子・一庵一麟により創建されています。鎌倉末期から室町時代にかけて栄えた漢文学「五山文学」の最高峰の寺院とされ、多くの五山派の代表的学僧を輩出し、なかでも幼い頃の一休禅師に漢詩を教えた慕哲龍攀が知られています。

 境内の南東に位置する 霊源院 は、勅使門を入り東西南北にのびる参道を右手に進んだ、建仁寺境内の一番端にあります。

   禅居庵1
    
 山門を入ると「妙喜世界」と書かれた額が掲げられた方丈と微笑みを讃えた大黒像が迎えてくれます。

  霊源院1  霊源院3

 中に入ると南北朝時代の肖像彫刻の傑作とされる木像の「中厳円月坐像」が安置されています。中厳円月は鎌倉出身の南北朝時代の僧で、万寿寺、建長寺、建仁寺などの住持を歴任し、「妙喜世界」(妙喜庵)という庵を建仁寺内に移築しそこで没し、その跡地に霊源院が移転したといいます。玉眼を嵌め込んだ木像はきりりとされた表情でで椅子に座り、真正面を見据えられています。そしてその胎内から発見されたという「毘沙門天立像」は細部にまでほどこされた見事な細工に驚かされます。。左手に掲げた水晶の玉の中には伝教大師が持ち帰ったといわれる仏舎利が納められてるとのこと。力強さがみなぎる「毘沙門天」に感動です  その他に、足利七代将軍義勝が10才で描いたという「達磨図」や掛軸がが展示されています。

 方丈には方丈内ににじり口のある「也足軒」、壁の一面に花頭窓を設けた「妙喜庵」の二つの茶席が備えられ、南と西には甘茶と沙羅双樹(夏椿)を植えた枯山水庭園「甘露庭」があります。いつか初夏の頃にまたこの寺を訪れることができるなら、清楚なそれらの花を眺めてみたいと想いながらお寺を後にしました。

建仁寺 ~ 「風神雷神図」で知られる京都最古の禅寺 ~

八坂神社から四条通を西に歩いていくと、弁柄色の壁に囲まれた一力亭があり、その角を南に曲ると祇園のメインストリート 花見小路 になります。石畳が敷き詰められた道の両脇にはお茶屋をはじめとする町家が軒を連ね、「これぞ京都」といわれる情緒あふれる風景にカメラを構える人でにぎわっています。京都最古の禅寺 建仁寺 はこの花見小路の突き当りにあります。

 臨済宗建仁寺派なの総本山 建仁寺 は栄西(ようさい)禅師により建仁年(1202)に創建され、当時の年号から建仁寺と名づけられ、中国の百丈山を模して建立されました。創建当初は天台、真言、禅の三宗兼学で、純粋な臨済禅の道場になったのは文永2年(1265)第十一世蘭渓道隆の時のこと。そして足利義満によって五山の第三位とされ、隆盛を極めましたが、度重なる火災で堂宇は失われそのたびに再建が繰り返され、広大な寺域は開山当初の半分以下になっているそうです。開山である栄西禅師は14才で落髪、比叡山で天台密教を修め、その後二度の入宋を果して臨済禅を受け帰国、その際に茶種を持帰り、茶の栽培法とその効用を説き、日本での「茶祖」となっていることでも知られています。

   建仁寺5
     境内に建てられている栄西禅師の入定塔

 八坂通に面した勅使門から南北に直線上に放生池、三門、法堂、方丈と伽藍が並び、東西には境内塔頭が配されている境内はその広さに圧倒されます。

  建仁寺1  建仁寺3
    勅使門                           三門

  建仁寺4  建仁寺2
    法堂                            整然と並ぶ伽藍を囲む石畳

 重要文化財に指定されている勅使門は、柱や扉に矢が刺さった痕があることから「矢の根門」とか「矢立門」と呼ばれ、元は平重盛の六波羅邸の門、あるいは平敦盛の館門を移築したものといわれています。放生池越しにみる三門は空門、無相門、無作門の三解脱門で、御所を望む門という意味から「望闕門」と名づけられています。その先の仏殿を兼ねた堂々たる法堂は「拈華堂」名づけられ、天井からは創建800年を記念して描かれた双龍が本尊の釈迦如来坐像を見守っています。

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 本坊を入るとこの寺でもっとの知られている俵屋宗達が晩年に描いたとされる「風神雷神図屏風」が迎えてくれます。

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 広々とした方丈は慶長4年(1599)、毛利氏の外交僧として豊臣秀吉との交渉窓口になっていた恵瓊が安芸の安国寺から移築したもの。広々とした屋根の広がる端正な方丈と「大雄苑」と称される枯山水の方丈前庭の白砂に描かれた砂紋が一幅の絵画を連想させてくれます。

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    広々とした方丈の廊下                 方丈内部  

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      方丈と「大雄苑」と称する前庭

  また 海北友松 により描かれた方丈内の襖絵は、いつでも目にすることや写真に収めることもできます。

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    雲竜図                           琴棋書画図 

 建仁寺には他に「潮音庭」、禅宗の四大思想を象徴したといわれる「○△□(まるさんかくしかく)乃庭」があります。

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    潮音庭                           ○△□乃庭

 方丈の裏庭には清涼軒、東陽坊の建物が木々の間に建っています。東陽坊の茶席は秀吉が北野大茶湯で副席として使われたものと伝えられています。

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    清涼軒                           東陽坊

 裏庭の一角には「安国寺恵瓊の首塚」がたてられています。安芸国守護武田氏の一族として生まれた恵瓊は、武田氏滅亡後に安国寺に身を寄せ、仏教修行に精進し、京都東福寺に入り、その後安国寺の住職となり毛利家の外交僧となったといわれています。関ヶ原の戦いで敗れ、六条河原で斬首された首は、建仁寺の僧侶が持ち帰りゆかりあるこの寺に葬られたとのこと。

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 観光地の真ん中にある建仁寺には国内外を問わず訪れる人も多いのですが、それを感じさせないほど広い境内。貴重な美術品は常設されており、散策を兼ねて一度は訪れたい寺院です。

長楽寺 ~「平家物語」のヒロインゆかりの寺 ~

 「 祇園精舎の鐘の声・・・ 」の書き出しで有名な『平家物語』は平家の栄華盛衰を描いたことで知られていますが、その中のヒロイン 建礼門院 (平徳子)は平家滅亡後、29才で出家して、生涯安徳天皇をはじめ平氏一門の冥福を祈りつづけたといわれています。東山三十六峰のほぼ中央にあるに長楽寺山の西の中腹に建つ 長楽寺 はその建礼門院が出家された寺といわれ、安徳天皇の遺品や建礼門院の御影が残されています。

 長楽寺は延暦24年(805)に桓武天皇の勅命により最澄が延暦寺の別院として観世音菩薩を本尊に創建されたと伝えられ、古来勅願所として歴代天皇の帰依が深かったといいます。当初は天台宗の別院であった寺は、室町初期に国阿上人に譲られ時宗(宗祖一遍上人)となり、明治時代に本山七条道場の金光寺を合併して現在に至っているとのこと。

 東大路通から八坂神社の南楼門を過ぎ、東大谷祖廟と円山公園の間にあるゆるやかな坂道を上っていくと正面に石段が見えてきます。濃色の献燈籠が並ぶその先に山門が立ち、山寺の風情がありながらどこか華やかさを漂わせています。 かつては寺域も広く円山公園の大部分や真葛原辺(円山公園を中心に知恩院から東山山麓一帯いの原野)までも寺内であったといい、古くは「京の名所は祇園清水長楽寺、江戸の名所は高輪の泉岳寺」と詠われた京都の代表的名所に今もその面影が潜んでいるのかもしれません。

  長楽寺1  長楽寺2
    献燈籠が並ぶ参道                   山門

 山門を入ると勾配のある石段が本堂まで続き、石段の左に庫裏、茶室と相阿弥作といわれる庭園が、右には客殿が建っています。

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    本堂まで続く石段                    客殿

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        足利義政の命により銀閣寺の試作として作庭されたと伝わる相阿弥作の庭園

 庭園のある拝観所には安徳天皇の遺品である御衣幡(複製)や安徳天皇御影、そして黒く塗られた建礼門院御影などが展示さています。御影が黒く塗られているのは源氏の目をはばかってのことといわれています。

 石段の上に建つ本堂には秘仏の本尊を安置した厨子、崇徳天皇念持仏とともに、にこやかな布袋尊像が祀られています。この泥像(土をこねたまま焼いてない)の布袋尊像は京洛七福神のひとつになっています。

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       西賀茂の正伝寺の法堂を移築した本堂

 本堂の横には建礼門院塔がたてられ、その奥には平安の滝が流れ落ちています。山麓より湧き出てる名水が平安の滝の修行地に流れ落ち、庭園の池に取り込まれているのだそうです。

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    建礼門院塔                        平安の滝 

 本堂の脇にある収蔵庫では宗祖の一遍上人をはじめとする七体の遊行上人の像が安置されています。また境内のあちこちには景勝を愛でられていた事を感じさせる歌碑や句碑が点在しています。

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    収蔵庫の周辺にも碑が                           柔らかな木漏れ日の射し込む境内 

 多くの文人墨客に愛されたいた長楽寺には多くの墓碑がたてられていますが、江戸時代の有名な文人頼山陽も遺言によりこの地に葬られています。竹や楓の木々に覆われた山道を進むとあたりが明るくなり、市街を見下ろす場所にその墓はあります。

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     木々の間から望める市街

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     頼山陽の墓碑

 観光客でにぎわう街中からわずかな場所にある長楽寺には雑多な日常を忘れさせてくれる静寂さがあります。ほんの少し足をのばすだけで、隠れた桜や紅葉の名所を堪能できるお寺です。
 

鹿王院(ろくおういん) ~ 足利義満ゆかりの寺 ~

 室町幕府第三代将軍 足利義満 は南北朝の合一を果たして幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させて、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いたことで知られています。その足利義満が24才の時に、夢の中で『今年中に大病を患うが、宝幢菩薩を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びる』と告げられ、自らが帰依する春屋妙葩(普明国師)を開山として宝幢禅寺を創建し、その禅寺は数年後には京都十刹第五位に列せられましたが、応仁の乱で廃絶。そして塔頭寺院の鹿王院だけが残っため、寛文年間に再興し 鹿王院 を寺名にしたといいます。その再興された禅寺が、右京区嵯峨北堀町にある 鹿王院 です。

 閑静な住宅街の中に建つ寺の山門には、義満筆で山号である『覚雄山』の扁額がかかげられています。案内によると一休和尚も少年の頃にはこの山門をくぐって、維摩経の提唱を聴いていたとあります。

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     創建当時の古色が漂う山門

 山門を入ると庫裏に向かって青苔の中を真っすぐに石畳の参道が伸び、左右に植えられた楓や椿の間からは柔らかな光が射し込んで来ます。凛とした空気が漂う禅寺に身が引き締まってくるような・・・

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     清浄な空気が漂う参道     

  鹿王院3  鹿王院4

 庫裏から客殿に入ると正面に義満筆の『鹿王院』の額がかかげられています。

  鹿王院5  鹿王院6
    客殿と庭園                        義満筆の『鹿王院』の額

 客殿前には舎利殿を中心とした庭が広がっています。

   鹿王院10

 モッコクなどの樹木が舎利殿を囲み、嵐山を借景に広々とした庭は苔で覆われ(この日は雪に覆われていましたが)、三尊石などの石組が配され、自然美あふれる庭にホッと心が和みました。

 客殿から瓦敷きの廊下を進むと本堂があり、中央に運慶作といわれる釈迦如来像と釈迦十大弟子像が、その後ろに開基の義満像、開山の普明国師の像が祀られています。

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    瓦敷きの廊下                      本堂

 本堂の先には庭園の中心をなしている舎利殿が建っています。この舎利殿には源実朝が宋から得たといわれる仏牙舎利が多宝塔に祀られています。この仏牙は天下泰平の霊仏で、御光厳天皇が普明国師に賜ったもので、御奈良天皇、後水尾天皇も礼拝供養されておられるとのこと。御開帳は毎年10月15日に定められています。

   鹿王院9

 紅葉の穴場でもある鹿王院、秋にまた訪れてみたいと思います。

法輪寺 ~羊の像が祀られた『嵯峨の虚空蔵さん』~

 今年は未年ですが、未にゆかりある神社仏閣は少ないようです。京都で未にゆかりある寺としては西京区嵐山虚空蔵町にある 法輪寺 があります。虚空蔵菩薩が姿を変えたといわれる羊、法輪寺の本尊が虚空蔵菩薩であることから境内には羊の像が祀られ、この羊に触ることにより知恵を授かるといわれています。

 「 嵯峨の虚空蔵(こくうぞう)さん 」 の通称で知られる 法輪寺 は「 十三詣り 」の寺として親しまれています。「 十三詣り 」とは十三歳になった子女が、福徳や大人になるための知恵を授かるために参詣するもので、知恵を授けるといわれる虚空蔵菩薩を本尊とする法輪寺に詣で、詣でたあと渡月橋を渡りきるまで、決して振り向いてはいけないといわれています。せっかく授かった福徳や知恵が消えてしまうから。

 法輪寺の歴史は、和銅6年(713)元明天皇の勅願により行基が葛井寺として創建、その後空海の弟子にあたる道昌が虚空蔵菩薩を安置して中興し、法輪寺と改めたとのこと。平安時代には代表的な寺院として清少納言の『枕草子』にも記載されています。建物は応仁の乱や蛤御門の変で兵火を受けるもその都度再興されたといいます。

 渡月橋を北側から渡って行くと前方の山の樹木のなかに朱塗りの多宝塔と本堂の屋根が見えてきます。観光客でにぎわう嵐山公園を過ぎ左方向に歩いていくと、右手に広場のような空間がありその先に山門が見えてきます。山門をくぐるの目の前には長い石段の参道が・・・

  法輪寺1  法輪寺2

 参道の途中には電電宮があり、この日もスーツ姿の電電関係の人たちが詣でていました。

  法輪寺3  法輪寺4
    電電塔                           電電宮

 石段を登りつめるとすぐに、羊の像が迎えてくれます。

    法輪寺5

 正面に本堂と大黒堂が建ち並び、本堂の中からは祈願の読経が響いてきます・・・

   法輪寺6

  法輪寺7  法輪寺8

 境内の小高い一角には境内を見下ろすように多宝塔と鐘楼が建っています。

  法輪寺9  法輪寺10

 多宝塔の傍らには針供養の塔が建っていますが、平安時代、清和天皇によって針供養の堂が建立されたことが由来となり、ここ法輪寺は針供養の寺としても知られたお寺です。

   法輪寺11

 高台にある法輪寺の境内の展望台からは大堰川を眼下に京都市街、東山連峰、比叡山、愛宕山を一望することができます。観光客のあふれる嵐山から少し離れると別世界ののどかな空間があるのです。

   法輪寺12

 ほんの少し暖かな日差しを受けることのできた初詣に心も弾み、新しい年に期待を膨らませながらお寺を後にしました。
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