禅定寺(ぜんじょうじ) ~ 茅葺き屋根の古刹 ~ 

 京都府綴喜郡宇治田原町、この地は古来より大和と京都、近江を結ぶ要害の地ででした。山城国宇治から近江の瀬田、信楽に抜ける間道が通り、壬申の乱で天武天皇が大津から吉野に落ちて行かれたさいに、後醍醐天皇が笠置に潜幸されたさいに、そして本能寺の変で徳川家康が国に帰る時もここを通ったといわれています。たびたびの動乱に巻き込まれたこの宇治田原の北のはたの高台に今では珍しい茅葺屋根の本堂を持つ 禅定寺(ぜんじょうじ) という古刹があります。寺伝によれば、東大寺の別当であった平崇上人が正暦2年(991)に華厳宗の寺として堂を建て、十一面観音像を安置したことがはじまりで、そののち藤原摂関家の帰依を得て平等院の末寺として発展、しかし藤原家の衰退とともに傾いていき、それでも禅定寺寄人(寺僧の下で農耕山樵に従事しながら社寺に仕える人)たちに支えられて寺の維持や諸行事が催されていいました。そして江戸時代に入り、加賀国大乗寺の月舟禅師によって中興され曹洞宗の寺となったそうです。

 平安時代からの由緒ある寺は宇治田原町の中心を走る国道307号線から少し山手の小高い丘の上にあります。

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     のどかな村里の中に建つ禅定寺

 色づいた柿が植えられた畑の中の石段を上がると山門、石畳の参道のその先に仁王門が見え、参道の中程には藤原時代傑作の仏像が安置された収納庫が建っています。仁王門前の広場からはのどかな田園風景が一望でき、忘れかけている日本の原風景を感じさせてくれます。

  禅定寺2  禅定寺3
    山門                            仁王門

 仁王門を入ると南北朝時代のものといわれる五輪塔が立ち、本堂と観音堂の前に広がる庭には秋の光に色を増した秋明鞠、リンドウ、ホトトギスなどの秋の花が咲き乱れていました。

   禅定寺10
     池を中心に草花が咲く庭と茅葺の本堂

  禅定寺4  禅定寺6
    仁王門の脇に建つ五輪塔               秋風に揺れる秋明菊の花

 池を前にした茅葺きの本堂は明るい日差しのなかひっそりと佇みどこか懐かしく心温まる風景が漂ってきます・・・

   禅定寺5
     日本の原風景が漂う茅葺きの本堂

 本堂に入ると中は寺院のひんやりとした空気とは異なり暖かな空気が流れ、まるで大きな懐にいだかれたような気分になってきました。

  禅定寺7  禅定寺8
    観音堂                          十八善神堂

 本堂や観音堂の裏側の山肌には巨大な大涅槃図が描かれています。開創一千年を記念して製作されたという『平成大涅槃図』で、中央にお釈迦様が描かれその周囲に描かれている「私の仏像」は日本中から募集され、12歳の少女から85才のお年寄りの方まで想いを込めて描かれたそうです。
 
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    平成大涅槃図

 静かな山里で時代を見つめていた禅定寺、時代が偲ばれる茅葺き屋根の本堂に感激し、安置されていた仏像の数々に感動  機会があればまた訪れてみたいと思いました。

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    鐘楼                            風情ある休憩所

 花データ

~ 秋明菊(シュウメイギク) ~ キンポウゲ科 多年草
 かつて京都の貴船に多く自生していたことから京都では 貴船菊 とよばれる。中国原産で日本には古い時代に渡来している。開花期は9月から10月 

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金胎寺(こんたいじ) ~ 役行者草創の「北大峰」と称された寺 ~

 京都府の南部にある相楽郡和束町は別名『 茶源郷 』と呼ばれるお茶の町。山の斜面、山裾の平地には一面に茶畑が広がるのどかな山里の風景が広がっています。その和束町にある鷲峯山の山頂近くに 金胎寺 という古いお寺があります。役小角(役行者)が山岳信仰の拠点として草創したと伝えられ、養老6年(722)に加賀白山の開創者泰澄が再興されたといわれ、後に聖武天皇により堂が建立され勅願寺となり、真言密教の修験道場として奈良の大峰山に対し『 北大峰 』と称されたそうです。

 人里を離れた山道を進むほどに道が狭くなり、路面には枯れ枝や木の葉が散乱、今にも鹿やイノシシが顔を出しそうな雰囲気に恐れをなしていると、突然明るくなり目の前には整然と並ぶ茶畑の畝が現れ・・・その光景に恐怖も飛んでしまいました 

    金胎寺1

            金胎寺2 花をつけたお茶の木
         
 緑一色の縞模様の茶畑はモダンで自然がつくりだす美しさに唯々見とれるばかり。茶畑を見ながら車を走らせると、やがて林道脇から斜めに緩やかに上がる金胎寺の参道がありました。杉の古木が生い茂り、木漏れ日と湿った土の匂いに、ひんやりとした空気が流れる参道は人気もなく聞こえてくるのは落葉を踏む足音と鳥の声。まさしく修行僧として山を廻るような面持ち・・・

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     木漏れ日の参道                     苔生した古木

 やがて辿り着いた山門は風に揺らぐ樹木の下で時折差し込む光を受けながら、訪れる人を迎えてくれました。

   金胎寺  金胎寺6
     山門                             彫刻をほどこした山門の扉

 山門の奥には寺務所と役行者尊の社があり、ひとめぐり約4キロの行場めぐりはここからはじまります。

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     行場めぐり入口の寺務所                役行者尊

 後醍醐天皇が元弘の乱のさい、、この地で陣を立て直そうとされたが山が深すぎて取りやめ、笠置寺に籠られたが、金胎寺はそのことが原因で焼き払われ、壮大な伽藍諸堂は焼失し唯一残った建物が多宝塔といいます。、現在は江戸時代に建てられた弥勒殿(本堂)、行者堂、そして鎌倉時代建立の多宝塔、昭和に再建された大師堂が山門の手前を左にのぼった高台にありました。

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     弥勒殿(本堂)

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     スマートで優雅な多宝塔                行者堂  

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     福寿弁財天堂                       大師堂

 曲がりくねった山道から眺めた眺めた茶畑の美しさ、古木の林を歩いて辿り着いた優雅な多宝塔に感動した山中の古刹金胎寺、表舞台に登場することはなかなかありませんが心惹かれるお寺でした。

笠置寺 ~ 磨崖仏を本尊とする山腹に建つ寺 ~

 京都府相楽郡笠置町は京都と奈良の間、木津川上流の山峡にある静かな景勝の里。伝説によると 笠置 の名の由来は、7世紀天武天皇が皇子の頃この地に狩猟に来て獲物を追い山頂の岩上にさしかかると、突然大鹿が現れ馬が驚き、千尋の谷に進退きわまった時、弥勒仏を祈念して危うく難をまぬがれた。その時再訪の目印としてかぶっていた笠を置いたことから笠置となったといわれています。
その笠置山の山腹に 弥勒大磨崖仏 を本尊とした 笠置寺 があります。笠置寺略記によれば今から1300年前東大寺の実忠和尚とその師で東大寺初代の別当となった良弁僧正が笠置山の大岩石に阿弥陀大磨崖仏を彫ったことにより修験行場として栄え、鎌倉時代建久4年(1193)、藤原貞慶(のちの解脱上人)がここに隠棲して南都仏教の復興に努め、多くの寄進を得て隆盛を極めた最盛期には49院の伽藍をあったといいます。しかし元弘元年(1331)倒幕に失敗した後醍醐天皇を寺に迎えたことにより、攻防の末にすべての堂宇は焼失してしまったとのこと。その後江戸中期にには荒廃、明治初年には無住の寺となってしまったそうです。

 木津川に架かる笠置大橋から曲がりくねった山道をのぼって行くと、舗装路から土の道になりところどころ色を染めた木やススキなどの秋草が揺れる、情緒ある風景が広がってきます。石段を上がり山門を入ると本坊があり、その先にある鐘楼には日本にひとつしかないという 解脱鐘 がかけられています。解脱鐘は底部が六つに切り込まれている珍しいデザインの鐘で、東大寺の俊乗坊重源が作り解脱上人に寄進したものといわれ、年に一度大晦日にだけ撞かれるそうです。

  笠置寺1   笠置寺2
    本坊                            解脱鐘がかけられた鐘楼

 境内にある建物は少なく、拝観するというより信仰の対象となっている巨岩奇石を訪ねるというべきであろう笠置寺の見どころは修行場めぐり。注連縄が張られた修行場めぐりの入口からは見上げるような巨石が連立、まさに霊域ともいうべき風景が・・・

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    修行場入口                        薬師石

 この修行場には大師堂、正月堂の建物があるだけ。本尊の弥勒大磨崖仏の前にある正月堂は天平4年(754)実忠和尚により建立されています。実忠和尚は修行場のひとつ千手窟で『お水取り』の行法を感得し大磨崖仏の礼拝堂だある正月堂で、現在東大寺二月堂で行われる『お水取り』の第一回目を行ったといいます。

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                      最初にお水取りが行われた正月堂

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    本尊弥勒大磨崖仏                 実忠和尚がお水取りの行法を感得した千手窟 

 弥勒石に彫られた像は戦火にあい巨大な光背の形だけになってしまわれたが、その堂々たる姿は圧巻  です。
 
 十三重石塔は鎌倉時代に建立されたもので、薬師、釈迦、弥陀、弥勒の四方仏が彫られています。虚空蔵石に彫られた磨崖仏は鮮明に刻んだ線がのこっており、その優美な姿には見とれてしまいました。 

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   十三重石塔                        優美な姿をとどめる磨崖仏

 巨岩奇石の行場は前身を清めるためのトンネルの胎内くぐり、たたくと音がする太鼓石、素晴らしい眺めを堪能できる平等石、元弘の乱の際に攻撃の備えとしたゆるぎ石、蟻の行列ようになって進む蟻の戸渡りなどをめぐります。

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   修行場めぐりの道 

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    太鼓石                           ゆるぎ石

 一周約800mの修行場めぐりが終わり、石段を上がると後醍醐天皇行在所の跡があります。

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    後醍醐天皇行在所跡

 木々に覆われ草が伸びる行在所は見る影もなく荒れて果て、歴史の片隅に追いやられたような風景が広がっていました。

 心地よい風が山を吹き抜け、雄大な木津川の流れを眼下にした笠置寺。自然がつくりだした巨岩奇石の偉大さ、信仰の対象となった岩肌に彫られた磨崖仏に感動。修行場めぐりを終えた心はあらわれたようで、清らかな気持ちで山を後にしました。

柳生の里 ~ 剣豪ゆかりの地を歩く ~

 奈良県奈良市の北東、京都府との県境にある 柳生 は江戸時代、代々の将軍家剣法指南役となった柳生家の藩領、そして柳生新陰流の本拠地。山間ののどかな田園風景の中に広がる 柳生の里 そこには多くの柳生家ゆかりの史跡が点在しています。
 剣豪の里として知られる柳生を治めていた柳生家の遠祖は菅原道真ともいわれ、平安時代、時の摂政藤原頼通が一族の氏神である春日大社に大和国四箇庄を寄進した際に、菅原道真の後裔・菅原永家が地頭となってこの地に移り住み、後醍醐天皇の御代、一族に永珍、中坊の兄弟がおり、中坊が建武の中興での戦功により累代の所領であった小柳生の庄を与えられたが、兄・永珍に譲ったことが始まりといわれています。柳生家中興の祖が名剣客として知られ、新陰流を編み出した 柳生宗厳 (のちの石舟斎)は永珍の17台の子孫といわれ、、家康、秀忠、家光の3代に仕え13000石を領する大名となった宗矩は宗厳の子、諸国遍歴で小説やドラマに登場する十兵衛(三厳)は孫となります。

 柳生の里が一望できる高台に建つ 芳徳禅寺 は寛永15年(1638)に柳生宗矩が父石舟斎の菩提を弔うために創建し、沢庵和尚が開山、のち柳生氏代々の菩提所となっています。石段の先の山門、周囲を囲む堀は城跡を感じさせますが、芳徳禅寺はもともと柳生家の居城があった地に建てられたので城の名残をとどめています。

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    柳生氏の居城跡に建てられた芳徳禅寺

  柳生1  柳生3
    居城跡にたつ石柱                   境内の片隅で咲くツワブキの花
 
 山門を入るとひっそりとした境内の奥に本堂が建ち、隣接された史料室では柳生藩の資料や新陰流の資料などが展示されていました。壁に掲げられた系図や展示されている武具を見ていると、以前読んだことのある小説やドラマの数々が思い出されてきて懐かしくなりました。

  柳生4
    柳生宗矩・沢庵和尚・列堂和尚が祀られた本堂

 柳生一族の眠る墓所は本堂の裏山の松林の中にひっそりと佇み、整然と並ぶ苔生した墓石に柳生家の繁栄をうかがうことができます。

  柳生5
    柳生一族が眠る墓所

 柳生の里で有名なもののひとつに 一刀石 といわれる巨石があります。石舟斎が天狗と試合を行い、一刀のもとに天狗を切り捨てたところ、翌朝二つに割れた巨石になっていたといい、それから 一刀石 と呼ぶようになったと伝えられています。

 その一刀石を見るために芳徳禅寺から鬱蒼とした森の中を歩いて行くと、天乃立石神社の鳥居前で一心に木刀を振るう人たちが・・・

  柳生6

 真近で対面してみれば外国の方  
 
  柳生12

 挨拶をして言葉をかけさせてもらうと、フランスから剣の修行に来られているとのこと。フランスでは日本の武道が盛んとは知っていましたが、本拠地の柳生の正木坂道場まで来られているとは  さすがです。
 
  柳生7   柳生8
    天乃石立神社                       天乃立石神社の佇む鬱蒼とした森

 静寂な森の中に鳥居と小さな社があるだけの天乃石立神社はご神体が4つの巨石で、その石は天の岩戸から飛んできたとう伝説があるようです。

 目的地の一刀石はこの天乃石立神社の先に。

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    一刀石

 大自然がつくりだした巨石の謎、信じがたい思いで見つめましたが剣の道を究める人にとってのこの巨石は偉大な存在なのかもしれません。木漏れ日と森の香りに包まれたここは神秘で神聖な場所でした。

 旧柳生藩陣屋跡、柳生宗矩が築いた建物はすでになく現在は桜の名所として知られる史跡公園となっていました。

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                      史跡となっている旧柳生藩陣屋跡

 芳徳禅寺と対面するような高台に建つ旧柳生藩家老屋敷はほぼ当初のままで残されており、現在は資料館として公開されていました。この屋敷は以前作家の山岡荘八氏が住まわれており、柳生を舞台とした大河ドラマの構想もここで練られたそうです。

 トンボが飛び交い、色づいた柿や秋の草花が咲く里は、歩いているとどこからともなく時代をまたいで剣豪が現れそうな気がしてくるから不思議・・・のんびりと歩いたこの地に季節を替えてまた訪れてみたいと思いました。

 花データ

~ ツワブキ(石蕗) ~   キク科 多年草  
 花期は10~11月 ツワブキの名は艶葉蕗(つやばぶき)が転じたと考えられている。日陰でもよく育ち、園芸植物として日本庭園の石組や木の根元などに好まれ、春先に伸びてくる太い葉柄は「キャラブキ」として食用されることもある。

苗村神社(なむらじんじゃ) ~ 国宝の社の大祭 ~

 滋賀県の中央部、琵琶湖の東側に位置する蒲生郡竜王町、この地に平安時代にまとめられた全国の神社一覧 『延喜式神名帳』 に名を連ねる、 長寸(なむら)神社 ( 苗村神社 )があります。近郷33ケ村の氏神として信仰を集め、国宝の西本殿、重要文化財の楼門、東本殿、八幡社本殿など貴重な文化財を有している古社です。


 由緒によれば、垂仁天皇の御代にこの地を開拓された御祖を祀ったことが始まりとされ、現在の 苗村(なむら) の名は寛仁元年(1017)に朝廷へ正月用の松苗を献上したことにより、後一条天皇から賜ったとのこと。西本殿に国狭槌命、東本殿に大国主命、素盞鳴尊を主祭神としています。

 鏡山(通称・西の竜王山)、雪野山(通称・東の竜王山)の間に広がる平地の中に県道を挟んでこんもりとした森が二つ、この中に苗村神社の社殿があります。苗村神社には多くの祭事、行事がありますが、今年は「 三十三年式年大祭 」が行われています。かつては毎年9月5日、氏子33ケ村列座の大祭が行われていましたが、慶長4年(1599)から33年に一度の式年大祭になったそうです。

  苗村神社1  苗村神社4
     鳥居の前にたてられた大祭ののぼり                    馬場に並ぶ山車

 楼門前の馬場には山車が並び、にぎやかな囃子の音色とともにや式年大祭に参加する人や見学する人々でにぎわっています。応永年間に建立されたといわれる入母屋造りの楼門は、どっしりとした柱の上に茅葺き屋根をのせた圧倒的な存在感でたたずんでいます。

  苗村神社2  苗村神社3
     西本殿の参道                      楼門

 にぎやかな境内では神輿が並べられた拝殿を前に本殿の入口は開かれ、本殿、十禅師社本殿、八幡社本殿に参拝することができました。まじかで目にすることのできた檜皮葺で蛙股に美しい意匠の彫刻が施された西本殿に感動  

  苗村神社5  苗村神社6
     神輿が並べられた拝殿                鎌倉時代建立の西本殿

  苗村神社7  苗村神社8
    十禅師社本殿                      八幡社本殿

 三十三年式年大祭は多くの人々が見守る中繰り広げられていきます・・・

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                        猩々踊りを奉納する子供たちと山車「八幡山」

  苗村神社10  苗村神社11

  苗村神社12   苗村神社13

 三十三年式年大祭でにぎわう西本殿と道を隔てた東本殿はひっそりとし、鬱蒼とした森の中に厳かな雰囲気が漂う中に建っています。また東本殿の周辺には多くの古墳が残されています。

    苗村神社14
                                東本殿

    苗村神社15
                         多くの古墳が残る東本殿の森

 次回の大祭は33年後という気の遠くなるような悠久の歴史ある祭を見ることができ、歴史好きの私にとっては幸せな1日でした 

金勝寺(こんしょうじ) ~ 山中で悠久の歴史を刻む寺 ~

 滋賀県の南西部に位置する栗東市荒張、金勝山(こんぜやま)の山中に歴史をある古刹 金勝寺(こんしょうじ) という天台宗の寺院があります。 
 由緒によれば、天平5年(733)聖武天皇の勅願により、奈良の都(平城京)の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として良弁僧正(東大寺の初代別当)が開基、弘仁6年(815)嵯峨天皇の勅願をうけ、興福寺の高僧願安が伽藍を整備して鎮護国家の僧侶を育成する官寺である『定額寺』に列せられ 金勝山金勝寺 となり、中世には歴代の天皇、源頼朝・義経、足利尊氏・義詮など多くの人々が帰依し、湖南仏教の中心寺院であったといいます。

 道の駅 『こんぜの里りっとう』 から車で林道の坂を上がること約10分、金勝寺の駐車場に到着。
 駐車場の周囲は大木とシダなどの下草に覆われ、時折聞こえる鳥の声が静寂さを打ち破り、どこからともなく吹く風がほほをかすめて行きます・・・

   金勝寺1  金勝寺12
      林道に立つ金勝寺の石柱               駐車場近くにそびえる良弁杉

 杉などの古木に覆われた参道から見上げるように仁王門が立ち、左右に苔むした石垣が並び長い歴史がうかがえてきます。

   金勝寺2  金勝寺3

   金勝寺4  金勝寺5
                      山門に安置されている木造仁王立像

 仁王門を入ると杉、モミジ、モミなどの大木に囲まれて正面に本堂、右に上がったところに二月堂が建っています。

           金勝寺6 本堂 
 
                     二月堂 金勝寺7

 金勝寺は天文18年(1549)の大火により諸堂を焼失したため、現在の本堂は仮堂として建ったもので本尊・木造釈迦如来座像、不動明王立像、良弁坐像、願安坐像が、二月堂には木造軍茶利明王立像が安置されています。4メートル近い腕を組んで物凄い形相で見下ろす軍茶利明王に思わず後ずさりしてしまいましたが・・・

 境内は少しずつ位置を上げながら、十三参りの仏像で名高い木造虚空蔵菩薩半跏像、その両脇に木造毘沙門天立像と木造地蔵菩薩像が安置された虚空蔵堂、明治初めまでは九重御祝小豆粥の水として献上していた清水の御香水館が建っています。

   金勝寺9  金勝寺8
      虚空蔵堂                         御香水館

 また虚空蔵堂の上の高台には大講堂跡や三重塔跡が残り、この一帯が壮観な寺院であったことがうかがえます。

   金勝寺10  金勝寺11
      大講堂跡                         霊泉池からの本堂と仁王門

 金勝寺からさらに林道を車で5分程上がると馬頭観音堂があります。

   金勝寺13  金勝寺14
      馬頭観音堂                        馬を模った絵馬

 この馬頭観音堂の駐車場からは琵琶湖をはじめ三上山(近江富士)、眼下に広がる湖南の町並みや遠く比良の山並みまで一望できる大パノラマは圧巻です 

      金勝寺15

 『東の金勝寺、西の比叡山 』といわれた名刹金勝寺、かつては深い山や谷を抜けてようやくたどり着いたであろう山中の寺は、今もひっそりと佇み神秘に包まれたなかで、多くの貴重な仏像が静かに時を重ねています。

建部大社 ~ 近江国一之宮 ~

 滋賀県大津市の瀬田川にかかる 瀬田の唐橋 は日本三古橋、日本三名橋のひとつに掲げられる橋で、古代から戦略上の重要な位置にあり、壬申の乱をはじめここを舞台に歴史に名を残す合戦が繰り広げてきました。そのため 『 唐橋を制する者は天下を制す 』 といわれ、かの武田信玄は死を前にし、『 勢多橋(唐橋)にわが風林火山の旗を立てよ 』 と言い残したといいます。その瀬田の唐橋から500m程東へ行ったところの 建部大社 があります。近江国一之宮として長い歴史を持つ建部大社は日本武尊(ヤマトタケル)、天照皇大神、大己貴命(大国主神)が祭神として祀られています。

 由諸によれば、祭神の日本武尊は景行天皇43年、東征の帰途、近江伊吹山に入って病にかかり、伊勢の地にて薨去された。そして景行天皇46年、神勅により妃・布多遅比売命が御子・建部稲依別王とともに住んでいた淡海国神埼郡建部郷千草岳に神宮を創建して尊の神霊を祀り、建部大神と称したとのこと。その後天武天皇白鳳4年、当時近江国府の所在地であったこの地に遷祀し、近江一之宮として現在に至っています。

 広大な神域をもつ建部大社の一之鳥居から広い参道を進むと、二之鳥居があります。

   建部大社1  建部大社2
      一之鳥居                         二之鳥居

 鳥居の先、灯籠の並ぶ参道の奥にはどっしりとした神門が建っています。

           建部大社3 手水舎

   建部大社4
                              神門

 神門をくぐると御神木である三本杉を前に拝殿、その奥に流造りの本殿、権殿が並んで建ち、本殿には日本武尊、天照皇大神が、権殿には大己貴命が祀られています。

   建部大社5
                       拝殿前にそびえる三本杉の御神木

   建部大社6  建部大社7
      拝殿                            本殿と権殿

 境内には摂社・四社、末社八社があり、出世開運、除火厄除、商売繁盛、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬されています。

   建部大社11  建部大社10 
      境内に並ぶ摂社                     境内に並ぶ末社

 また境内には多くの石灯籠が置かれています。なかでも拝殿の前庭の石灯籠は文永7年(1270)の在銘が入っていて、銘の入ったものでは近江最古と石灯籠といわれ、国の重要文化財に指定されています。

   建部大社8  建部大社12
     近江最古といわれる銘の入った石灯籠       旧瀬田城址・臨江庵から移築された大灯籠

            建部大社14 小灯籠 

 この建部大社で行われる祭礼で著名なのが、毎年8月17日の『船幸祭(せんこうさい)』です。日本武尊の海路東征に由来し、大神輿を乗せた御座船が神楽船などを従え、瀬田川を巡行するもので、この祭りとともに近江にもほんの少し秋の気配が漂い始めます。

 広大な神域に厳粛な空気が漂う境内に整然と並ぶ社は、さすが近江国一之宮の風格を感じさせてくれました。
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