安井金毘羅宮 ~ 花街にひかえる縁切り、縁結びの神様 ~

 東大路通、八坂道の交差点を四条通に向かって歩いていくと、左側に「 悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所 」と書かれた横断幕を掲げた大きな鳥居が立っています。そして、この鳥居の奥に 縁切り、縁結びの神様 として有名な 安井金毘羅宮 が鎮座しています。

    安井金毘羅宮1
                       横断幕を掲げた 安井金毘羅宮の鳥居

 由緒によると崇徳天王社、安井神社ともいわれる 安井金毘羅宮 は藤原鎌足が一堂を創建したことにはじまり、その地に植えた藤の花を崇徳天皇が大層好まれ、寵妃であった阿波内侍を住まわせられた。崇徳天皇が讃岐で崩御され、阿波内侍は天皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂に祀られた。そして後白河法皇の命により光明院観勝寺となった。しかし応仁の乱の兵火で荒廃する。その後、元禄8年(1695)に太秦安井にあった蓮華光院を移建され、鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐金毘羅宮より勧請した大物主神と源頼政公を祀ったことから 安井金毘羅宮 となったといいます。

 鳥居をくぐり参道を歩いていくと木々に覆われた下に手水があり、傍らに『絵馬の道』と書かれた碑がたっています。

           安井金毘羅宮3 木々に覆われた手水

 絵馬の奉納所として知られている神社の絵馬掛けには、良縁祈願、合格祈願、病気平癒などと並んで、呪詛に満ちた言葉が書かれたものもあり、生々しい世界を見るようで恐ろしくなってきます・・・そしてこれらの奉納された多くの絵馬は境内にある絵馬館で、著名人の絵馬とともに展示されています。

   安井金毘羅宮7  安井金毘羅宮8
                                奉納された絵馬の数々

 この神社で一番知られている 細長い紙が幾重にも貼られている岩(くぐり石) は金毘羅会館の手前にあります。

                          安井金毘羅宮4

 ようやく人の身体が通るほどの穴を這いずるように、手前からは縁切り、奥からは縁結びを祈りながらくぐると願いが叶うといわれる京のパワースポットで、観光シーズンともなればたくさんの人がこの岩を取り巻いている風景を目にしますが、さうが、真夏の今は人影もなく白さだけが目だっていましたが・・・

    安井金毘羅宮5

 くぐり石の横には藤が枝を伸ばして拝殿の屋根を覆うように茂り、その奥に本殿が建っています。。

    安井金毘羅宮6

 境内には他に安井天満宮、久志塚、八大力尊社などの社があり、安井天満宮に近い鳥居を北に進むと神社の祭神である崇徳天皇の御廟がひっそりと置かれています。悲惨な最期を遂げた天皇の魂は今、華やいだ祇園の地でどのような思いで時の流れを見つめているのであろうか・・・少し気になりながら御廟を後にしました。

   安井金毘羅宮2  安井金毘羅宮9
             安井神社の鳥居                          崇徳天皇の御廟
      
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金剛寺(八坂庚申堂) ~ くくり猿に願いを込めて ~

 東大路通から八坂通を二年坂に向かって歩いてい行くと八坂の塔が次第に大きく見えてきます。この辺りが八坂の塔を眺めるフォトスポットとして知られている場所。

                 八坂庚申堂1 フォトスポットからの八坂の塔

 八坂庚申堂 の通称で知られる 金剛寺 はその八坂の塔のすぐ西下に位置しています。朱塗りの門と赤い幟がたなびく金剛寺は東京の 浅草寺、大阪の 四天王寺 と並ぶ 日本三庚申堂 のひとつで庚申信仰発祥の地といわれています。寺の由緒によれば、平安時代、浄蔵貴所がすべての人がお参りできるように八坂の地の建立したのがはじまりとのこと。

   八坂庚申堂3  八坂庚申堂2
              庚申堂の碑                         三猿の置かれた山門

 庚申 とは干支の 「『庚』 『申』 の日のことをいい、中国道教によると、人間の体の中には 三尸の虫(三匹の虫)がいて、庚申の夜に体内から抜け出し天帝にその人間の悪行を告げるため、寿命を縮める。そこで庚申の夜は夜通し起きていることで、虫が体内から出ていくことを防ぎ寿命が縮まないように身を慎んだと云います。この庚申信仰は平安時代に日本に伝わり、特に江戸時代は全国で盛行されたようです。

 山門の屋根には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の小像が置かれ、山門を入ると色とりどりの くくり猿 をつけたお堂があり、本堂の入口にもくくり猿を付けた衝立が置かれています。

   八坂庚申堂4

           八坂庚申堂5

 猿が手足をくくられているのは、欲のままに行動する猿を動けない姿にすることで欲を我慢することの大切さを人間に教えているとのこと。くくり猿に願いを込めて、欲望をひとつ我慢することで願いが叶うといわれています。

   八坂庚申堂7

 また、この八坂庚申堂にはコンニャクを病人の頭の上に吊るすと病気が治るという『コンニャク祈祷』、下着に祈祷印を受けていると家族に下の世話をかけないですむという『タレコ封じ』という俗信があり、庶民の誰もが参られる寺を建立した浄蔵貴所の願いどおり、今も八坂庚申堂には庶民のせつない信仰が息づいているのです。
 
   八坂庚申堂6

六波羅蜜寺 ~ 「市の聖」空也上人ゆかりの寺 ~

 歴史上、六波羅 という名は平家一族の邸宅があったところ、平清盛が六波羅入道と呼ばれたこと、源頼朝が六波羅探題を置いたことで知られていますが、六波羅はかつて 六原 といい、東山山麓にあって麓原とよばれたとも、「六」が古語で葬送地の原と結びついたともいわれています。 この地に建つ 六波羅蜜寺 は「市の聖」と呼ばれた 空也上人 により開創された。空也上人は当時京の町に流行した疫病退散のため、自ら十一面観音像を刻み、荷車に安置して市中をめぐり、青竹を八葉の蓮片のように割、茶を立てて、その中に小さな梅干と結昆布を入れて病人に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えて病魔を鎮められたといわれます。これは現在も皇服茶として伝わり、正月の三日間参拝客に振舞われているます。また上人は十年余りをかけて金泥の大般若経六百巻の書写を成し遂げ、鴨川の東に仏堂を建ててこれを供養、そしてこの地に十一面観音を安置して西光寺と号したのがはじまりといわれています。

 六波羅蜜寺は鴨川に架かる松原橋を東に進んだ西福寺の角を南に曲ったところに位置しています。子育て地蔵と通称される 西福寺 は弘法大師が「 六道の辻 」に自作の地蔵尊を安置したことにはじまるといわれています。略縁起によれば、壇林皇后(嵯峨天皇の皇后)が息子の病気平癒を湖の地蔵尊に祈願したところ、本復して無事に成長、仁明天皇となったことから子育て地蔵として信仰を集め、今も狭い堂内には献花や華香の絶えることが置かれたいます。

           六波羅蜜寺1 西福寺の角にたつ「六道の辻」の碑

   六波羅蜜寺2  六波羅蜜寺3
          献花や華香に包まれた堂内                  堂内に掲げられている弘法大師の額

 この時期、京都の年中行事である 「 万灯会 」が開催される六波羅蜜寺は正面の門が開かれ、迎え鐘が響き渡っています。 万灯会とは数多くの灯明を人形文字『大』の形に点灯し、先祖の精霊尾迎え、追福の祈祷をする伝統行事で、毎年8月8日から10日に行われています。門から敷石を少し進むとと目の前に丹塗りの鮮やかな本堂があり、木組や組物に極彩色の文様がほどこされた堂内からは読経が聞こえ、手向けられた香華の煙が漂い身を清められるような気持ちに・・・
   
   六波羅蜜寺4  六波羅蜜寺5

     極彩色の文様が鮮やかな本堂 六波羅蜜寺6

 境内には本堂の他に弁天堂、地蔵堂、収納庫などが建っています。

          六波羅蜜寺8 境内  

   六波羅蜜寺7  六波羅蜜寺9
            弁財天を祀る弁天堂                      赤い涎掛けが目を引く石地蔵

 六波羅蜜寺の見どころは収納庫の納められた仏像や肖像で、念仏を唱えながら市中を廻った姿をリアルに再現した空也上人立像はここに収納されています。短い衣を身に着け、草鞋ばき、右手に撞木、左手に杖をつき、口から六体の阿弥陀小仏を吐くように出しているのは「南無阿弥陀仏」の六音をあらわしているといわれています。 出家したのちの平清盛坐像、「かつら掛け地蔵」の俗称をもつ地蔵菩薩、広目天をはじめとする四天王や弘法大師坐像など図録で見たことはあってもなかなか目にする機会のない実物を見ることができます。
 西国三十三カ所、神仏霊場の札所の六波羅蜜寺は文化財の宝庫でもあるのです。 
 

六道珍皇寺 ~ 「六道まいり」でにぎわう小野篁ゆかりの寺 ~

 「 六道 」とは仏教でいう 地獄餓鬼畜生修羅人道天道 のことで、人は死後この六道を輪廻転生するといわれます。京都市東山区にある 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ) のあたりはこの六道の分岐点で、この世とあの世境の辻 「 六道の辻 」 といわれ、古来より冥界の入口と信じられてきました。 この伝説が生じたのはこの寺が平安京の東の葬場であった鳥辺野にあたること、平安時代初期の官僚で歌人、学者として知られる小野篁がこの寺の井戸を使って冥土通いをしていたという奇怪な話からのようです。

 略縁起によると 『六道さん』 の通称で親しまれている 六道珍皇寺 は創建については諸説があり、弘法大師の師にあたる慶俊僧都が開創したとも、平安遷都以前にこの地に住んでいた鳥部氏の氏寺(宝皇寺)とも、平安期に当地の豪族であった山代淡海等が国家鎮護の道場として建立したともいわれています。現在は臨済宗建仁寺派に属する禅寺です。

 松原通に面した山門前には「 六道の辻 」の碑がたっています。

    六道珍皇寺1
                          「六道の辻」に建つ六道珍皇寺

 いつもはひっそりとしている六道珍皇寺が8月7日から10日の4日間は多くの参拝客が訪れ賑わいをみせます。京都ではお盆の前に精霊を迎えるために寺に参拝する風習があり、「 精霊迎え 」「 六道まいり 」と呼ばれる行事で、京洛の夏の風物詩になっています。

    六道珍皇寺2
                         「六道まいり」で賑わう六道珍皇寺
 
 境内からは精霊を迎えるために撞く「迎え鐘」が響いてきます。。この鐘の音は古来より冥土にまで届くと信じられ、亡者はその響きに応じてこの世に呼び寄せられるといわれ、お盆の期間中はこの鐘を撞くために順番を待つ人が延々とつづく。参詣者は参道に並んだ花屋で高野槇を買い求め、本堂で水塔婆に戒名を書いてもらい、迎え鐘を撞き、境内にある石地蔵に高野槇の葉で水塔婆への水むけ(水回向)をしてその高野槇を持ち帰り、お盆の期間中家の仏壇にお供えして置きます。

  六道珍皇寺3  六道珍皇寺6
      水むけ(水回向)の高野槇を販売する花屋              「迎え鐘」の納められた鐘楼

 境内には本堂、閻魔堂(篁堂)、地蔵堂、重要文化財が納められた収納庫(薬師堂)、鐘楼等がたっています。

   六道珍皇寺4
                「六道の辻」の中心付近に建つ三界萬霊供養塔と本堂

  六道珍皇寺5  六道珍皇寺7
                 薬師堂                             境内に並ぶ石地蔵

 「六道まいり」の際は普段は閉じられている収納庫(薬師堂)も開扉され、平安時代の作といわれる薬師如来坐像や地蔵菩薩、毘沙門天像も拝観することができます。閻魔堂(篁堂)では小野篁像と大閻魔王像が並んで置かれ、冥府の伝説を彷彿させられるような・・・そして冥界へのトンネルとして使ったという「冥途通いの井戸」は本堂背後の庭に今も残っています。

 また、この寺のそばには「 幽霊子育飴 」 という奇妙な名の飴が売られています。伝承によると、昔、この近辺で夜な夜な飴を買いに来る女性がおり、調べてみると身重のまま死んだ女が死後出産し、幽霊となって赤子になめさせる飴を買いに来ていたことがこの名の由来といわれています。麦芽風味の素朴で昔懐かしい飴は「六道まいり」の帰りに求める人も多い名物のひとつです。

    六道珍皇寺9
                             「幽霊子育飴」の店

近江妙蓮公園 ~ 室町時代から地元の人々に守られる妙蓮 ~

 盛夏の代表花でもあるハスの花は4日間ですべての花弁を散らせて咲き終わり、ハスの特徴でもある峰巣(ハスの実)になることで知られています。花期が短く、独特の果実をもつハスの中で、滋賀県守山市中町にある大日堂の 妙蓮池(大日池) には一茎に複数の花を咲かせ、峰巣はできずに数千枚の花弁を散らさないで2週間から20日前後も咲き続ける 妙蓮 という珍しいハス。

   近江妙蓮1  近江妙蓮8
              妙蓮池(大日池)                         池の傍にある大日堂

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                                近江妙蓮

 つぼみの外形は普通のハス(常蓮)と似ていますが、開花すると全く異なった花になる極めて珍しいハスで、世界的なハス学者・大賀一郎博士により『 近江妙蓮 』と名づけられました。

 妙蓮は今から千余年前、インドから中国へ、中国から日本へは天台宗の僧慈覚大師が唐から帰朝の時に持ち帰り、この地に植えたと伝えられています。残されている古文書によると、足利義満に献上され、さらに奇花であることを賞した足利義持は皇室に献上されたといい、江戸時代には人々から不思議なハスの花として賛美され、江戸城の池や金沢城内にも移植されたが、妙蓮は咲かずに常蓮に変わってしまったとのこと。

   近江妙蓮3  近江妙蓮5

   近江妙蓮6  近江妙蓮7

 一茎に2個から12個もの花をつける近江妙蓮は、開花前のつぼみの時期には花弁数が2千枚前後で、開花すると次第に花弁の数が増えるのだといいます。しかし、妙蓮は種子をつくることができず、レンコンで次の個体を作るため、環境変化に弱く絶滅危惧の植物を意味しているとのこと。この貴重な妙蓮を室町時代から600年もの間管理されている田中家や地元の人々の努力はいかなるものかと・・・地元の人々の保護、育成により今なおこの珍しい花を目にすることができることに感謝するばかりです。

    近江妙蓮2

 お盆を中心に一ヶ月ほどの期間ではありますが機会があれば 近江妙蓮 の咲く 近江妙蓮公園 を訪ねてみてください。
 

烏丸半島 ~ 日本最大スケールの花ハスの群生 ~

 真夏の水辺を彩る ハス や スイレン は涼しげであると同時に、神秘的で古代からエジプトやインドで神聖さの象徴として讃えられていました。古代エジプトの人々はスイレンを永遠の生命の象徴とし、インドの神話ではハスを宇宙創造の最初に現れた花として記されています。どちらも水生の多年草ですが、ハスはハス科、スイレンはスイレン科と、全く異なる植物で、インド原産のハスは古くから地下茎をレンコンとして食用することで親しまれ、一方スイレンは花が美しく観賞用として栽培されています。

 滋賀県草津市・琵琶湖畔の 烏丸半島 は日本最大のスケールを誇る ハスの群生地 があり、7月中旬から8月上旬になると緑の葉が湖水を覆い、その上に淡紅色の花が見え隠れする壮大な風景を展開されます。真近で見るとそのスケールには圧倒です 

     烏丸半島1
                 三上山(近江富士)を背景に琵琶湖に広がるハスの群生

 見たことはないのですが、夜明けとともに少しづつ花弁を開いていく様は極楽浄土を思わせる風景なのかもしれない・・・と思いながら眺めるとそれらしく感じてしまうから不思議 

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                         夜明けとともに花弁を広げるハス

   烏丸半島2  烏丸半島3

     烏丸半島5
                  熱気球に乗って空中からハスの群生を眺めることも・・・

 ハスの群生地の傍には水生植物を中心に展示されている植物公園 みずの森 があります。

           烏丸半島6 草津市立水生植物公園 みずの森

 園内には水生植物のテーマ館であるロータス館、コニファーの森、山のこみちなどの散策路、流れの上に架けられた橋を渡りながら水生植物を観賞のできる湿性花園などがあって、のんびりとした散策を楽しむことができますよ。

   烏丸半島9  烏丸半島10
                          ロータス館の中にある温室で咲くスイレン

                   湿性花園 烏丸半島8

    烏丸半島7
                     湿性花園で真夏の光を浴びて開くオニバス

 また園内の芝生広場からはハスの群生が一望することができ、ベンチに腰を下ろして緑と淡紅色の共演を楽しんで見ては 

 ハスは真夏にひと時の暑さを忘れる清涼剤にも似た清々しい気分にさせてくれた花でした。
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