2014 桜紀行 北信濃 3 ~ 信州・高山 孤高の桜を巡る ~

 善光寺平の東に広がる信州高山は しだれ桜の里 ともいわれ、樹齢200年を超すしだれ桜が多く点在する。中でも 水中坪井黒部赤和観音中塩 の桜は 高山五大桜 と呼ばれている。山里でひっそりと咲いていた桜は人々の話題になり近年は多くの桜マニアが訪れていると聞き、春爛漫な信州高山の山里の桜を追ってみた。

 水中(みずなか)のしだれ桜 は樹齢250年を超すといわれ、薄紅色の花が滝のように咲き誇り、畑の一角に立つ桜は空間の中でひときわ華やかさを漂わせている。

  信州・高山2

                信州・高山1


 赤和観音のしでれ桜 は400年余りの歴史を持つ赤和観音堂の登り口にある。少し赤みを帯びたしだれ桜は樹齢が200年余りといわれ、観音堂に参る人を迎えているようにも思える。

  信州・高山4

                信州・高山3

 黒部のエドヒガン桜 は水田地帯の中にある孤高な一本桜。樹齢500年といわれ、花の赤みが濃く黒い主幹との色合いが美しい。樹下には「十二宮」を祀る石碑がある。

  信州・高山5

      信州・高山6

 中塩のしだれ桜 は樹齢が150年余りといわれるがその姿は堂々として逞しく、樹下に安置されたお地蔵様が微笑ましい。

  信州・高山8
 
                信州・高山7

 坪井のしだれ桜 は樹齢が500年とも600年ともいわれる古木桜で、樹下には沢山の墓石が並んでいる。「日本彼岸桜見立て番付」といわれる会によると西小結にランクされているとか。子、孫やひ孫の株をしたがえて立つ様はさすがに堂々として気品がある。

 信州・高山10

     信州・高山9

 いずれの桜もそれぞれの風格があり美しさを競い合っている信州高山のしだれ桜。「しだれ桜の里」といわれるように、「高山五大桜」の他にもいたるところでしだれ桜を見ることができる。時折聞こえる鶯の声と山里の風景に忘れかけていた懐かしい日本の原風景を思い出させてもらった・・・そんな信州高山の桜でした。  
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2014 桜紀行 北信濃 2 ~ 信州・須坂  古木桜を巡る ~

 長野県 須坂市 は江戸時代に須坂藩主・堀氏の陣屋町として繁栄し、明治から昭和初期にかけては製糸業で隆盛を極め市街地には多くの蔵が現存、蔵を活かした博物館や美術館などが点在している。市街地にある里山として親しまれている 臥龍公園 は 『さくらの名所100選』 で知られているが、高台にある 豊丘地域 には代表的な古木桜が点在している。

 『夫婦しだれ桜』 で知られる 大日向観音堂のしだれ桜 は観音堂を両脇から二本の枝垂れ桜が覆っている。樹齢250年といわれるしだれ桜は子しだれ、孫しだれもそろって咲き訪れる人を楽しませてくれる。観音堂の前を通る草深い道はかの国定忠治も歩いたことがあるといわれる。

     須坂2 観音堂を覆うしだれ桜

          子しだれ桜 須坂3

  須坂4
       孫しだれ桜を見守る夫婦しだれ桜

     須坂1 国定忠治が歩いたといわれる旧三原道

 樹齢400年といわれる 長玅寺(ちょうみょうじ)の桜 は本堂で傘を広げたように咲き、江戸時代・天明の火災でも焼失を免れた鐘楼門の二階からの眺めも素晴らしい。

       鐘楼を付けた山門 須坂5

  須坂6
       樹齢400年を誇るしだれ桜

     須坂7 鐘楼門二階からの眺め

 標高730メートルの市街地を見下ろす高台には樹齢250年のしだれ桜が弁天池のほとりにあり、地元では 弁天さんの大桜 と呼ばれている。桜の木の下には明治時代、生糸の生産が日本一だったことを示す養蚕社の碑立ち、桜の木の周りには桃やレンギョウなどの花が咲き乱れ、あたりを一層華やいだ雰囲気に包んでいる・・・

       桜に囲まれた鳥居 須坂8

  須坂9
       弁天池を見下ろすしだれ桜

     須坂10 しだれ桜を色どる花々 

 この桜の他に 延命地蔵堂の桜、 洞入観音堂の桜 を入れて 豊丘五大桜 と呼ばれている。

 各地域の人々が大事に世話をし、次の時代へ引き継がれていく桜は、畑の中に、池のほとりに、地域の人々が信仰する神社やお堂の傍で、人々の生活に溶け込んで育てられている。穏やかな春の陽ざしとともに心温まる須坂・豊丘の桜をまた見に行ってみたいと思う。
 

2014 桜紀行 北信濃 1 ~ 信州・松代 城跡の桜とあんずの里を巡る ~

 山に囲まれた信州は梅の花が咲き始めると桃の花、桜と重なりながら次々に咲きそれはまさに桃源郷。

 今回は残雪の山並みと花が織りなす絶景の北信濃の桜を巡る旅をお届けします。

 長野市 松代町 は上信越自動車道の長野インターからすぐの所に位置する。江戸時代には松代藩・真田十万石の城下であった松代は、今も風情あふれる町並みが残るしっとりとした城下町である。真田家の菩提寺・長国寺、武田信玄を支えた武将・高坂弾正の菩提寺である明徳寺などの寺院や茅葺き屋根の武家屋敷、幕末の先覚者佐久間像山ゆかりの地、太平洋戦争末期には国家中枢機能の移転を目的として松代大本営の地下坑道など史跡も多い。

 その中心となった 松代城 は武田信玄が上杉謙信と戦うための拠点として築かせた海津城がはじまりといわれている。『日本百名城』のひとつでもある城の建物は壊されてしまっているが、復元された城門、石垣などが往時を偲ばせる。

     松代1 太鼓門

           北不明門 松代2

     松代6 東不明門橋

 ここ松代城跡は桜の名所として知られたところでもある。本丸の跡に広がる桜、石垣を覆う桜、堀の花筏は桜のパワースポット満載 

                松代3

     松代4

  松代5

     松代7 真田家の菩提寺・長国寺

   高坂弾正の菩提寺・明徳寺 松代8

 また、松代町はあんずの里としても知られたところ。桜より一足早く、松代城跡から東の山懐にピンク色の絨毯を広げたような風景が見られ、そのピンク色の畑からは残雪の北アルプスををみることができる。あんず花の雲霞に誘われながらの小路の散策は何ともロマンを感じるひと時・・・

  松代10
 
     松代9

 花を愛でながら歴史ある町の散策はゆったりとした気分を味わうことができて最高でした 

2014 桜紀行 3 ~上賀茂神社 神域の枝垂れ桜 ~

 賀茂川の上流、神山を降臨山として鎮座する 上賀茂神社 は京都で最も古い神社のひとつで、厄除け祈願の神社として名高い。正式名は 賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ) といい、祭神は『丹塗りの矢』の力によって玉依姫命(下鴨神社の祭神)の御子に生まれた 賀茂別雷大神 である。ちなみに神社でおなじみの『朱塗り矢』は上賀茂神社が発祥の地といわれている。京都三大祭のひとつ『葵祭』は上賀茂神社と下鴨神社の例祭で、ここ上賀茂神社が終点となる。

 賀茂川に架かる御園橋を渡ると一の鳥居が見えてくる。

     上賀茂神社1 一の鳥居

 一の鳥居の奥には広大な芝生が広がり、その中央を二の鳥居まで一直線に参道が伸びている。上賀茂神社は桜の名所としても知られているが、この参道の東側には見事なシダレザクラがある。「斎王桜」と名でけられたベニシダレザクラは滝の如く枝を垂れ下げその姿は圧巻  また孝明天皇の御所から賜ったシロシダレザクラの「御所桜」も外幣殿の南側にあるがベニシダレザクラより開花が早いのでなかなか同時に満開は見られない。

  上賀茂神社3
       斎王桜

 二の鳥居の正面には拝殿(細殿)、舞殿(橋殿)、土屋(到着殿)が見え、拝殿の前には円錐形の『立砂』と呼ばれる盛砂がふたつ並んでいる。これは神迎えに使っていた神木の名残で、先端に2本と3本の松葉が刺さっている。鬼門や裏鬼門に砂をまいて清める風習はこれが起源という。

  上賀茂神社7 二の鳥居

    『立砂』を前にした拝殿 上賀茂神社5

     上賀茂神社6 境内

 二の鳥居をくぐると「風流桜」「みあれ桜」と名づけられたシダレザクラが・・・

  上賀茂神社2
       風流桜

  上賀茂神社4
       みあれ桜

 境内を流れる御手洗川の橋を渡ると鮮やかな朱塗りの楼門があり、楼門の前には「賀茂桜」がある。

  上賀茂神社8
       「賀茂桜」が映える楼門

 世界遺産に登録されている上賀茂神社の社殿のの多くは江戸初期の建築となり本殿、権殿は国宝、それ以外の多くの建物がは重要文化財になっている。御物忌川と御手洗川に挟まれた社殿は華麗な色彩な満ち溢れているがなぜか落ち着いてみえる。

     上賀茂神社10 本殿

 御物忌川と御手洗川が合流した「ならの小川」の流れる境内は鎌倉時代の歌人・藤原家隆が百人一首に詠んだ

     風そよぐ ならの小川の 夕暮れは 御禊ぞ夏の しるしなかりける

 の舞台になった場所といわれている。そして今はゆるやかなせせらぎと深い緑に覆われたこの場所を映画やテレビの撮影に使われることが多く、その撮影現場に遭遇することもしばしば。
   
  上賀茂神社9

 のどかで牧歌的な光景が広がる境内は普段は人影もまばらだが、桜の時期ばかりは花見をする賑わう。それでも上賀茂神社の桜は是非一度見て感動を味わっていただきたい。

2014 桜紀行 2 ~ 金戒光明寺 そぞろ歩きしながら眺める桜 ~

京都は桜の名所に事欠かないが、名の知れた所はどこも人と車でいっぱいで、どんなに桜がきれいでもなかなか落ち着いてみることができないことが多い。そんな京都の中でゆっくりと桜を眺めながら散策できるところがある。京の人が親しみを込めて「 黒谷さん 」と呼ぶ 金戒光明寺 から真如堂にかけてへの道は人も少なく満開の桜の下や風に舞う桜の花びらを受けながらのそぞろ歩きができる最高の場所。

 その金戒光明寺は左京区岡崎黒谷町にあり、知恩院知恩寺清浄華院 とともに浄土宗四ケ本山のひとつ。比叡山黒谷で念仏修行していた法然上人が師の叡空(えいくう)からこの地を譲られ念仏修行したのがはじまりという。

 高麗門と呼ばれる通用門を入り、少し坂になった境内を見上げながら進むと荘厳な山門があらわれる。黒い山門がピンクの桜と対比して重厚さを引き立たせているがが、紅葉の赤に彩られた山門がまた美しい。

      金戒光明寺1 高麗門

  金戒光明寺2
        桜が映える山門

          紅葉の山門 金戒光明寺4

 万延元年(1860年)に再建されたという山門の楼上には後小松天皇の宸筆『浄土真宗最初門』の額がかかっているが、これは法然上人が最初に浄土教の真実義をひろめた念仏発祥の地であると意味で宗派としての浄土真宗の意味ではないという。この楼上正面には釈迦三尊、十六羅漢の等身坐像が安置されているが通常は非公開となっている。

  金戒光明寺3
        山門からの御影堂

 山門をくぐりきれいに掃き清められた石段をのぼると正面に御影堂が建っている。昭和19年(1944年)に再建された建物は鎌倉様式を採り入れた入母屋つくりで内陣には法然上人75才の御影像が祀られている。広い境内からは京都市内が一望できる。

     金戒光明寺5 御影堂

 御影堂の右手に低く横に枝を伸ばした松がある。「 鎧かけの松 」と呼ばれる松は法然の弟子となった熊谷直実が、この寺で出家した際に着ていた鎧をこの松にかけたことに由来する。熊谷直実は源平の合戦、一の谷で平敦盛を打ち取り、そのことで人生の無常を感じ出家した武将として『平家物語』などで知られている。

  熊谷直実ゆかりの鎧かけの松 金戒光明寺6

 大方丈を挟んだ阿弥陀堂は豊臣秀頼により再建された建物で、堂内には恵心僧都最終の作といわれる本尊阿弥陀如来像が安置されている。

     金戒光明寺8 阿弥陀堂

 山あり谷ありの起伏にとんだ境内は満開の桜と暖かな陽ざしに包まれて時折すれ違う人の顔にも笑顔が浮かぶ・・・

  金戒光明寺8
        
 境内の一番高いところにある文殊塔は古い墓地の間の石段をのぼった先にある。

    金戒光明寺10  金戒光明寺11

 徳川秀忠追悼のために建立されたという塔は日本三大文殊として崇敬されている。丘陵地にある金戒光明寺は京都市内を遠望できる見晴らしの良いところにあるが、この文殊塔からの眺めは最高  石段の上でひと休みしていても出会う人はほとんどいない隠れた穴場 

 また、ここ金戒光明寺は幕末維新の松平容保率いる会津藩の本陣であり、殉難した藩士たちは今この山上墓地の北東で安らかな眠りについている。

  金戒光明寺11
        桜に包まれる会津藩士の眠る墓地

 金戒光明寺界隈を桜を眺めながらのそぞろ歩きを一度楽しんでみてください。
 

法然院 ~ 三銘椿の咲く庭 ~

 京都のパンフレットや写真で一度は目にしたことがある数寄屋風の茅葺きの山門で知られる 法然院 は、銀閣寺橋から哲学の道を南に進み、洗心橋を東に入った東山三十六峰のひとつの善気山の麓にある。うっそうと茂る木々に覆われたゆるやかなの石段には藪椿の落花した風情ある風景が広がっている。

   法然院1
       藪椿の落花に彩られた参道

 木漏れ日に映し出され、藪椿の落花は一段と鮮やかさを増している・・・前方に見える茅葺きの山門は四季をとわず趣きある景色を見せてくれる。

      法然院2 春の陽ざしを受けた山門

        紅葉の中の山門 法然院3

 山門をくぐると目の下に「白砂壇」と呼ばれる波紋を描いた二つの盛砂がある。この水を表す盛砂の間を通ることは心身を清めて浄域に入ることを意味しているとのこと。

   法然院5           

 法然院は善気山万無教寺と号する単立寺院で、鎌倉時代に法然房源空上人が弟子の安楽・住蓮とともに「六時礼讚」(日課として一昼夜を六分した時刻に仏を礼拝し声明を唱えること)を唱えた念仏道場であったという。1206年に後鳥羽上皇の女房松虫・鈴虫が安楽・住連を慕って出家した事件が生じてしばらくは荒廃していたが、1680年に知恩院の万無心阿と弟子の忍徴によって中興されたという。

 表玄関を脇の受付から恵心僧都の作といわれる阿弥陀如来像と法然上人木像が安置されている本堂に入る。本尊前の須弥壇には毎日二十五菩薩を象徴する二十五の生花を散華される。法然院は春と秋の特別公開以外は本堂などの堂宇は非公開だが、阿弥陀如来坐像は本堂の外からも窓を通して拝観することができる。

      法然院7 表玄関

      堂宇の空間に咲く椿 法然院4

      法然院8 本堂

    手水に浮かべられた落花 法然院11

 法然院で椿の頃に見逃せないのが本堂北側の中庭で三本が一列に並んでいる 三銘椿 である。「花笠椿」「貴椿」「五色散り椿」の三種を同時に鑑賞できるとは何とも贅沢なことだろうか  

  法然院12

  法然院14  法然院15

                法然院13

 椿の花に感動しながら奥に進むと、伏見にあった後西天皇の皇女の御殿を移築したという方丈には、狩野光信の襖絵や鮮やかな色彩の施された屏風などがある。方丈前には三尊石を配した浄土庭園が設けられ中興以来絶えることなく湧き出ているという「善気水」がある。

     法然院9 浄土庭園

        善気水が湧く庭 法然院10

 また境内には他に講堂、経蔵、多宝塔、鎮守社がある。
 
      法然院6 講堂

 そしてここ法然院墓地には作家・谷崎潤一郎、社会思想家・河上肇など多くの著名人が眠うている。

 境内を自由に散策できる法然院は春と秋は多くの人でにぎわっているが、新緑の美しい初夏、蝉しぐれの響く夏、しんしんとした空気に包まれつ真冬は人影もなく、開かれた山門からは「白砂壇」をゆっくり眺めることができし、のんびりと境内を散策することも、阿弥陀様も心行くまでみていることもできる素晴らしいお寺です。 

2014 桜紀行 1 ~ 熊野若王子神社 哲学の道沿いの桜 ~ 

 熊野神社新熊野神社 とともに「 京都熊野三山 」のひとつに数えられる 熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ) は、哲学の道の終点の若王子橋を渡ったところに建っている。歴代上皇のなかで最多の34回もの熊野詣を行ったほどの熱烈な熊野信者であった後白河院が、紀州の熊野権現を勧請したのが始まりいわれる。若王子の名はこの神社の祭神の一神、天照大神の別号「 若一王子 」によるという。

       熊野若王子神社1 琵琶湖疏水に架かる若王子橋に建つ石柱

 桜の名所としても知られる神社は、室町時代には足利義政が花の宴を催したこともあったという。

  熊野若王子神社3
       桜に彩られた参道

                熊野若王子神社2
       
 神社の入口には御神木の椥の木の巨木がたっている。この椥の木で作られるお守りは「 苦難をなぎ倒す 」として合格祈願や縁結びのご利益があるといわれ人気があるという。

       熊野若王子神社4 御神木の椥の木

 吉良家から寄進されたという石橋を渡ると鳥居が立ち、背後の山を背に恵比寿殿、拝殿が並んで建っている。

                熊野若王子神社6

     熊野若王子神社7 恵比寿殿

             拝殿 熊野若王子神社9

  熊野若王子神社8

 春の桜の頃に、秋の紅葉の頃に、哲学の道を散策する時に立ち寄れる神社です。

霊鑑寺 ~ 椿の名所 「谷の御所」 ~

 京都では 「 椿 の植えられていない寺はない 」 といわれるほどあらゆる寺で椿を見ることができる。なかでも哲学の道の山裾にほど近い 霊鑑寺 は椿の名木が多いことで知られる。

 お寺の歴史は江戸時代初期の承応3年(1654)、後水尾天皇の皇女・多利宮(浄法身院宗澄)を開基として創建された尼門跡寺院で、創建当初は現在の地よりも南の渓流沿いにあったので 谷の御所 とも 鹿ケ谷比丘尼御所 とも呼ばれ、明治維新までは皇女・皇孫が入寺していたことから「 霊鑑寺尼門跡 」と称されている。

 哲学の道から琵琶湖疏水にかかる寺ノ前橋を渡ると石段の上に門が見えてくる。登り口には「 後水尾天皇 谷の御所 霊鑑寺門跡 」の石柱がたっている。いつもは閉ざされている門も椿の特別公開に合わせて開けれ、参拝者を迎え入れてくれる。

  霊鑑寺1  霊鑑寺2 
     入口の立つ石柱                     表門
 
 菊の御紋の入った表門を入ると石畳の参道が中門まで続いている。

      霊鑑寺11 表門近くに置かれた石仏

       中門まで続く石畳 霊鑑寺4 

      霊鑑寺12 椿の落花の飾られた参道

 中門の奥には上下二段に分かれた庭園が広がり、様々な椿が咲き誇っている。門を入った脇には後水尾天皇寵愛の日光椿が鮮やかに咲き、苔の上の散椿の風情にあちこちから感嘆の声が響く。

    後水尾天皇寵愛の日光椿 霊鑑寺12 

   霊鑑寺5
        苔の上に広がる散り椿

 書院の南側作られた庭園は池泉観賞式で江戸中期の作庭という。

   霊鑑寺6
        石組と石灯籠の調和が巧みな池泉観賞式の庭園

 本堂は徳川11代将軍の家斉の寄進により建立されている。安置されている本尊・如意輪観音像は恵心僧都の作で、大文字山の山麓に造営されていた如意寺の本尊といわれる。

      徳川家斉寄進の本堂 霊鑑寺8

 本堂裏側に廻る道に今を盛りに様々な椿が見ごろを迎えていた。そして散り椿が絨毯の如く苔に広がりその見事さは言葉では表現することができない優美な世界が・・・石組みと椿、苔と椿、石灯籠と椿、建物の配置と椿とすべてが椿のためにあるように思えてしまう。

      霊鑑寺10 咲き誇る椿

   霊鑑寺9
         木漏れ日の中の散り椿

 御所の旧殿を移建したというの書院・居間には狩野派や丸山応挙の襖絵、尼になった皇女の方々を慰められたであろう御所人形、カルタなどの寺宝も公開されている。

   寺宝が公開されている書院 霊鑑寺7

 通常は非公開の霊鑑寺は椿の頃と紅葉の頃に特別公開が行われるので、閑雅な雰囲気が漂う霊鑑寺を是非一度訪ねてみて下い。
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