妙円寺 ~京都七福神 第一番札所 松ヶ崎大黒天 ~

 京都市左京区松ヶ崎にある日蓮宗の寺、 妙円寺 は 松ヶ崎大黒天 の名で知られる京都七福神の第一番札所である。お寺の歴史は江戸初期に日英上人が隠居所として創建されたのがはじまりという。 

 地下鉄烏丸線の松ヶ崎駅から北山通を東に歩いて行くと、五山の送り火の『妙法』の『  』の字が山肌に見えてくる。妙円寺はその真下に位置している。

     妙円寺9 山肌に書かれた『法』の文字

 北山通を一筋北に入った住宅の間に建っている一の鳥居をくぐり、山に向かって歩くと境内につながる。
 
    住宅の間に建つ一の鳥居 妙円寺1

 突き当たったところから左の灯籠が並ぶ坂道を上がっていくと二の鳥居、そして石段を上がったところに東門がある。

     妙円寺2 二の鳥居
  
     しめ縄が張られた東門 妙円寺3

 境内に入るとのどかな春の陽ざしの中で背後の山林の緑に覆われるように本堂と大黒堂が並び、目の前では七福神の石像が参拝者を迎えてくれる。

  妙円寺4
      境内に置かれた七福神の石像

 この七福神の石像の脇からは一般の人は入ることができないが五山の送り火の『妙』の字に登山道が延びている。

     妙円寺8 『妙』の字への登山道口

 京都七福神の大黒さまは『なで大黒さま』を前した大黒堂の中におられる。祀られている大黒福寿尊天は伝教大師最澄の作といわれ、日蓮上人が開眼、開祖日英上人により法華経の守護神として祀られたという。幸福を招く神として信仰される大黒天だが、妙円寺の大黒天は昭和44年の火災の際も無事だあったことから「 火中出現の大黒さま 」として崇拝され、初詣や大黒様のご縁日である甲子大祭の開催される日は多くの人が開運を授かりに訪れる。

  妙円寺5

 本堂は大黒堂の少し上で見下ろすように絵馬堂が大黒堂の案内をするように建っている。

              本堂 妙円寺7

     妙円寺6 絵馬堂

 妙円寺の境内にはモミジが多いので、紅葉の頃は鮮やかな色に染まり隠れた名所かもしれない。                  
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狸谷山不動院 ~厄除け、ガン封じ、交通安全祈願と宮本武蔵ゆかりの寺~

 厄除け、ガン封じや交通安全祈願の寺として知られ 「 タヌキダニのお不動さん 」 と親しまれている 狸谷山不動院(たぬきさんふどういん)は一乗寺にある詩仙堂や八大神社に通じる坂道をのぼった瓜生山の中腹にたつ真言宗の単立寺院である。
 お寺の歴史は桓武天皇が平安京の東北隅の鬼門守護として不動明王を安置したことにはじまる。由来書によれば、 とは本尊を『咜怒鬼(タヌキ)』不動明王としているからだという。鎌倉時代に石窟内に不動尊を移し、悪鬼退散の霊験著しく公家をはじめ都人の尊崇をえた。剣豪・宮本武蔵 が吉岡清十郎一門との『一乗寺下り松』の決闘に際してこの山にある滝に打たれて修行を続け、己に克つ不動心を感得したといい、また 木食(真言宗における断食行で木の実や草を食す苦行を行う僧)上人正禅 が参籠したことにより、修験道の寺として多くの修行者を集めたという。しかし、明治の廃仏毀釈により次第に荒廃し、近隣の人々により細々と守られていた。そして昭和19年に 亮栄和上 が入山し、『修験道大本山一乗寺狸谷山不動院』として再建したという。

 かなりきつい坂道をあがって行くと一段上の開けたところに朱塗りの建物、交通安全自動車祈祷殿 がある。この境内からは京都の市中、西山とともに五山の送り火の『妙』や『船形』を見ることができる。 

      狸谷山不動院1 交通安全自動車祈祷殿

 さらに木立に覆われた道を進むと 世継ぎ地蔵尊 を祀った小さなお堂が建っている。

  世継ぎ地蔵尊が祀られたお堂 狸谷山不動院2

 深い谷が広がる道の傍らには奉納された祈念石柱がびっしりと並び、あちこちに奉納された狸の焼き物が置かれている。「 タヌキ ⇒ 他抜き ⇒ 他を抜く 」 といわれることから商売繁盛や芸能、スポーツ関係者の祈念石柱が多く並んでいる。

  狸谷山不動院9
       石柱の回りに並ぶ信楽焼きの狸と祈念石柱


 祈念石柱の並ぶ石段をあがり、塗りの鳥居と龍宮門をくぐると祠のような中に 白竜弁財天 が祀られている。これは木食上人がこの地に参籠した際に奉納したといわれる。

    狸谷山不動院3 白竜弁財天

 弁財天の出口に置かれた七福神 狸谷山不動院4

 弁財天の祀られたお堂を出ると迎え大師と杉の巨木がたつ 健康階段 となずけられた250段の石段が待っている 

  狸谷山不動院5

 石段を上がっていくと 四国八十八か所のお砂踏み霊場 が造られた 光明殿 があり、石造りの四つの門で繋がれた八十八か所のお砂踏み場が光明殿を囲んでいる。

     狸谷山不動院6 光明殿

  四国八十八か所お砂踏み霊場 狸谷山不動院7

 山に向かって石段が続きやがて広い境内にでる。見事な懸崖の上に造られた本堂を見上げるように、玉姫、清隆、白玉祈木の三明神を祀った三社大明神、宮本武蔵が修行したといわれる滝の前に不動明王、大黒天などが並んでいる。

  狸谷山不動院10
       懸崖の上に建つ本堂

  懸崖に取り付けられた弓と矢 狸谷山不動院12

     狸谷山不動院8 三社大明神

 宮本武蔵が修行した滝の前に建つ不動明王 狸谷山不動院13
       
 本堂の前の柱にはガン封じや病気平癒祈願のお札が溢れんばかりにかけられ、毎年1月28日の初不動祭では『ガン封じの笹酒の接待』が行われ、多くの参拝者がおとずれるという。

   狸谷山不動院11
       お札が掛けられた本堂前の柱

 深い緑に囲まれたすがすがしい空気の中で本堂の舞台から見る京都の街は、遠く西山まで見渡せる絶景が広がる・・・
 車で来ることも可能だが坂道を歩いたことでより一層味わい深い寺院となった狸谷山不動院、紅葉の頃にもうう一度訪ねてみたい。 

野仏庵 ~ 四季折々の花と境内の小道に並ぶ石仏 ~

 京都市左京区の銀閣寺道以北の白川通東側の山裾には懐にいだかれるように文人、貴人にゆかりある寺社が幾つもある。一乗寺の石川丈山ゆかりの 詩仙堂 の向かいにある 野仏庵 もそのひとつ。京都ゆどうふ料理の老舗『順正』の創立者で、古美術愛好家で知られる 上田堪庵 の別邸として設立された。趣き深い茶室と境内随所に点在する石仏が見どころの寺である。

 元老公爵・西園寺公望公が住んでいた家から移設したといわれる葦葺きの趣きある正門を入ると、正面に石造の野仏が祀られている。

  野仏庵1
      正門

       ほころび始めた椿 野仏庵12 

 咲き始めた椿の花に迎えられて進んでいくと鄙びた茶室がある。

       野仏庵2 茶席『陶庵席』

 この茶室も正門と同じく西園寺邸から移築されたもので、公望公の雅号にちなみ『陶庵席』と名づけられたという。

 さらに石段を上がっていくと紅殻に塗られた田舎風の建物がある。

             主屋 野仏庵3

 もと仙台藩伊達家のゆかりの品といわれる鐘を突き、主屋の中に入らせて頂く。京都近郊の庄屋の旧宅を移築したという風情ある建物の中には囲炉裏があり懐かしい香りがする。紅殻壁の座敷の各所には堪庵が自ら描いた絵や書が展示されている。
                
       野仏庵4 呼び鈴の鐘

          主屋の内部 野仏庵5

 仏壇と床の間の並んだ座敷の前には低い塀に囲まれた白砂を敷き詰めた庭がある。

  野仏庵6
      梅が咲く清楚な庭

 庭を眺めながら抹茶を頂き、そして静かな時が流れていく・・・京都にもまだこんなにも心地良い時を過ごせる場所があろうとは  時間が止まったような空間にほのかな梅の香が漂い柔らかな陽ざしに心が和む・・・

 この主屋と座敷で続く茶室が『雨月席』といい、江戸時代の『雨月物語』の作者である 上田秋成 の茶室を移したという。遠くに北山から高雄方面をのぞむことができる明るい茶室は煎茶を楽しむための茶室であったとか・・・

       野仏庵7 茶席『雨月席』

 境内には他に『幽扉席』と名づけられた茶室がある。

        茶室『幽扉席』 野仏庵11
 
       野仏庵10 『幽扉席』前の待合

 そして野仏庵、最大の魅力が起伏にとんだ境内の小径に点在する石仏である。

      小径に点在する石仏 野仏庵8

  野仏庵9
       苔むした石仏
 
 四季折々の花木や草花の中ににひっそりとうずくまる石仏は、何とも言えない安らぎを与えてくれる。鶯の鳴き声が響く風雅な庭園と苔むした石仏。ここは一度訪れると懐かしさに何度でも来てみたくなるようなそんな味わい深い場所である。

 庵を出ると東隣には不動明王を祀るお堂がある。心温まる石仏といかめしい顔の不動明王に力を授けられたような気がして足も軽く野仏庵を後にした。

      野仏庵13 不動明王が祀られたお堂
 

金福寺 ~ 俳人にゆかりの深い禅寺 ~

 「 奥の細道 」で知られる 松尾芭蕉 、 「 菜の花や月は東に日は西 」の句で知られる 与謝蕪村 はその松尾芭蕉を敬愛していたといわれる。 京都市左京区一乗寺にある 金福寺(こんぷくじ) はその俳人たちのゆかりある禅寺であり、舟橋聖一の歴史小説『花の生涯』のヒロイン 村山たか女 の終焉の寺である。

 お寺の歴史は貞観6年(864)安恵僧都 が慈覚大師・円仁の遺志により創建された天台宗の寺院であった。その後衰退していたが、江戸時代初期の貞享年間に圓光寺(左京区一乗寺にある紅葉の名所)の住持であった 鉄舟 により再興され、臨済宗南禅寺派に改められたという。

 住宅街の道から少し石段を上ると山門がある。

       金福寺1 山門

 山門を入った左側の門の奥に弁天堂がある。村山たか女が寄進したという弁天堂は藪椿の垣根の中にひっそりと佇んでいる。

  金福寺2
         弁天堂

 近江国多賀町にある多賀大社の寺坊の娘として生まれた村山たか女は18才で彦根藩主・井伊直亮の侍女となり、大老井伊直弼が彦根城の埋木舎で不遇な部屋住み生活を送っていたころの愛人であった。そして直弼が江戸に下ってからは京都において幕府の隠密となり、攘夷論者達の動向を探索しその情報を長野主膳を通じて大老に密報し、「安政の大獄」が行われた。「安政の大獄」に加担したことで勤王方から恨まれていた彼女は、「江戸城桜田門外の変」で大老が暗殺されると捕えられ、京都三条河原で晒し首にされたが三日後に助けられ、尼僧となって金福寺に入り、この寺で生涯を閉じたという。

 庫裏脇の戸口から中に入ると清楚な白砂の庭園が広がっている。春の陽ざしを浴びた庭園は白砂と本堂の端に植えられた紅梅の対比が美しい。

    つくばいと馬酔木の花の咲く庭先 金福寺3

  金福寺4
         本堂前の庭園 

 本堂の中には松尾芭蕉や与謝蕪村の木造の像や資料、村山たか女の位牌、遺品などが置かれている。

  金福寺5
         本堂

 白砂の庭園を囲むようにサツキが植えられた散策路を上がっていくと小高い丘の上に茅葺屋根の庵が建っている。この寺を再興した鉄舟は松尾芭蕉と親交があり、芭蕉が上洛したときにはここに立ち寄りこの草庵で風雅の道について語り合っていたといわれる。そして無名であったこの草庵に『芭蕉庵』と名づけたという。

  金福寺6
         芭蕉庵

          芭蕉庵内部 金福寺7

 その後、85年ほどして芭蕉を敬愛していた与謝蕪村が寺を訪れ、すでに荒廃していた庵を惜しみ再興し、俳文『洛東芭蕉庵再興記』をしたためこの寺に納めたという。

 芭蕉庵から少し行くと村山たか女の詣墓がある。

     金福寺9 村山たか女の詣墓

 与謝蕪村の墓までの馬酔木やヤマモモの木などが茂った小道の傍らには幾つもの句碑が立ち排跡となっている。

         与謝蕪村の墓 金福寺10

 苔むした木々の中にたっている蕪村の墓の周りには同人や画家の墓が並び、季節ごとの蕪村の句がかかげられている。

     金福寺12 

                金福寺11

 またこの墓のある場所からは愛宕山や高雄の山並みを見渡せる景色が広がる。
  
  金福寺8

 サツキが花開く初夏、小鳥のさえずりが涼やかな夏、紅葉に包まれた秋、ひんやりとした空気が流れる冬、どの季節も楽しめる 金福寺 に是非一度足を運んでみては・・・
               

祐正寺(妻娶地蔵) ~ 縁結びのパワースポット ~

 京都市上京区長門町にある 祐正寺(ゆうしょうじ)は 通称 妻娶地蔵 と呼ばれ、縁結びのポワースポット のひとつで、このお地蔵さまにお願いすれば「 素敵なお嫁さんがもらえる 」といわれる男性向きの縁結びのお地蔵さまが祀られている。また本堂前のしだれ梅とシャガの花で知られる静かなお寺である。

 洛陽四十八願所の第9番札所や京の通称寺のひとつにになってる祐正寺は、上京区下立売通七本松を東に入ったところにある浄土宗大本山・百万遍知恩寺の末寺。
 お寺の歴史は、慶長7年(1602)に円誉雲白上人により法然上人ゆかりの念仏道場として開かれた。その後霊元法王の勅願により地蔵堂が建てられ、その中に祀られたのがこの寺の本尊になっている 妻娶地蔵菩薩 という。

  祐正寺1

 境内に入ると山門の入口近くに慈光大弁財天、大黒天、毘沙門天が祀られた鎮守社がある。

       祐正寺7 鎮守社

 本堂前の地蔵堂に続く参道 祐正寺2

 本堂前の地蔵堂に続く石畳の参道に沿って松やは花木、花が植えられていて、春のしだれ梅、シャガの花は境内に華やかな彩りを添えてくれる。

  祐正寺3 

                祐正寺4

  祐正寺6
      本堂の前に植えられたしだれ梅

 地蔵堂は本堂の右端に建っていて、彩色された蓮華座に座ったご利益あるお地蔵さまは錫杖を手に慈愛深い顔をされている。

  祐正寺5

 祐正寺のある界隈には多くのお寺が並んでいる。京都十二薬師霊場第5番 地福寺(日切薬師)、第6番で通称 ひょうたん寺 ともいわれる 福勝寺(峰薬師)や通称 出水の毘沙門さま といわれる 華光寺 などのお寺もこの近くにあり、札所巡りのエリアでもある。

建勲神社(たけいさおいんじゃ) ~ 織田信長、信忠父子を祀る神社 ~

 京都市北区紫野の大徳寺の南側に小高い緑の丘があるが、この丘が古くから景勝地として知られる 船岡山  清少納言が『 枕草子 』で『 岡は船岡 』と誉め讃えたという岡である。平安京が造られた際、北の基点となりこの山の真南が大極殿、朱雀大路となった。また応仁の乱では西軍の本陣が置かれていたという。織田信長父子が祀られている 建勲神社 はこの山の中腹にある。正しくは「 たけいさおじんじゃ 」というが、一般的には「 けんくんじんじゃ 」、「 けんくんさん 」と親しみをこめた名で呼ばれている。

 神社の由来は天下統一を目前に倒れた織田信長の霊を慰めようと豊臣秀吉が、船岡山に寺を建立し、信長の像を安置しようとしたが寺の竣工は中途で終わっていた。その後、船岡山は信長公の霊地として保護され明治維新を迎えた。そして、明治天皇が信長の偉業に対し神社創立の宣下をなされ「 建勲神社 」の神号をもって船岡山に創建されたという。

  建勲神社1
        公園の入口にに立つ「史跡 船岡山」の石柱

 船岡東通りに面した素木の大きな鳥居を入ると階段にいくつもの朱塗りの鳥居が並んでいる。

       建勲神社2 素木の大鳥居

 左側の表参道から境内に向かっていくと、信長が桶狭間の合戦の出陣に際し舞ったという「 敦盛 」の一節

   人間50年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか 

を刻んだ石碑がある。

            表参道 建勲神社3

  建勲神社4
         平家物語の中の「敦盛」の一節が刻まれた石碑

 木々に囲まれた静かな境内を進むと拝殿があり、内部には信長の天下統一に貢献した武将の肖像画がかかげられているが、これはその一部とのこと。

       建勲神社8 整然とした境内 
 
  建勲神社5
        優美な外観の拝殿 

 織田信長、信忠父子が祀られている檜皮葺きの本殿は、酒樽の積まれた神門(祝詞舎)の奥にある。

  建勲神社6
        丸みを帯びた屋根が穏やかな神門と屋根の反りが美しい本殿

 建勲神社の建物の多くは国の有形文化財に指定されているという。その境内からほころび始めた梅の花の香りが春の陽を浴びて漂い、心地よい気分に・・・

  建勲神社7
        色鮮やかな梅の花が・・・

 小高い丘の上にある建勲神社の境内からは比叡山をはじめ東山三十六峰、京都市内が一望することができる。歴史を振り返りながら手軽に登れる山としてオススメしたい神社です。

妙心寺 桂春院 ~ 名勝庭園に癒される寺 ~

 京都市右京区花園に壮大な伽藍を構える妙心寺の北門から左に入り石畳を進むと、庭園が美しいことで知られる 桂春院 がある。非公開寺院が多い妙心寺にあって、退蔵院大心院 とともに年中一般公開されている塔頭のひとつ。
 寺の歴史は、織田信忠(織田信長の長男)の次男・織田秀則(津田秀則)により創建され、秀則の歿後、美濃の豪族、石河貞政 (豊臣秀吉の重臣となり江州長浜城主)が父光政の五十年忌あたり、追善供養のため、桂南守仙和尚(石河光政の次男)を請じて建物を整備し、亡き両親の法名から一字ずつとり 桂春院 と改めたという。

  桂春院1

                桂春院3


 山門から庫裏の玄関を入ると庫裏と方丈の間に坪庭がある。『 清浄の庭 』と名づけられ庭は白壁と庭木の緑が美しく調和して、心が洗われるようなすがすがしい気持ちになってくる。

  桂春院4
         清浄の庭

 寛永8年(1631)に建てられたという入母屋造りの方丈の正面中央には薬師如来が安置され、楯上には「桂春院」の額がかかげられている。

                桂春院7

 方丈内部の襖絵はすべて 狩野山雪 の筆による水墨画であるが、「金碧松三日月画」は金地に大ぶりの松が描かれた装飾的なものになっている。
 方丈の前には『 真如の庭 』と名づけられた庭が広がっている。ツツジの刈込を手前に苔に覆われた中にカエデを配した庭で、小さな庭石をさりげなく七・五・三風に配したところは、十五夜満月を表現しているとのこと・・・ カエデの芽吹きにはまだ早いが、明るい日差しに包まれた庭を見ていると日常の雑念が消えていくような気がして穏やかな気持ちになってくる。

  桂春院8
         真如の庭

また方丈東側に『 思惟(しい)の庭 』と名づけられた庭がある。左右の築山に植えられた馬酔木などの低めの樹木と十六羅漢石、中央の礎石を座禅石にみたて配したという庭は、趣き深い風情を感じる。

  桂春院6
         思惟の庭

 お茶を頂くことができる書院前には『 侘の庭 』がある。狭い空間に作られた庭からは落ち着いた雰囲気が漂ってくる。苔の間に置かれた飛び石の先にある門は梅軒門といい、茶室既白庵 に通じている。この茶室は滋賀の長浜城から移されたといわれ、かつて妙心寺では茶道の楽しみが禁止されていたため、ひっそりと目立たぬように建てられているとのこと・・・確かに方丈や書院からは樹木で遮られ見ることができない。

  桂春院5
         侘の庭

 この四つ庭園の作者や年代についての記録がなくあきらかではないが、作風からみて小堀遠州の弟子・玉淵坊作庭の説ではないかといわれている。

 また、方丈の脇から露地を散策できる庭がある。方丈の屋根を望むしっとりと落ち着きのある庭には冬枯れの枝の間から柔らかな春の光が差し込み、ほのぼのとした空間が広がっていた。そして新緑や紅葉の賑わいからつかの間の静寂を感じる庭には鶯の声が聞こえ、早い春を堪能させてくれた。

                桂春院10

  桂春院9

 穏やかで心地よい雰囲気がある桂春院は、花木も多く植えられているので季節を問わず訪れてみたい寺院のひとつです。 
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