朝護孫子寺(ちょうごそんしじ) ~ 張り子の大寅が出迎える商売繁盛・開運招福の寺 ~

 生駒山系の南端、信貴山中腹に伽藍を構える 朝護孫子寺(ちょうごそんしじ) は漫画のルーツともいわれる国宝「 信貴山縁起絵巻 」と「 張り子の大寅 」で知られ、寺の創建は 聖徳太子 と伝わる。寺伝によれば聖徳太子が物部守屋討伐を祈願した時に、初めて毘沙門天を感得したのが 寅の年寅の日寅の刻。毘沙門天から勝利を授かった太子は自ら、毘沙門天を刻んで祀り、「 信ずべき貴ぶべき山 」すなわち 信貴山 と名づけたといい、これ以降この寺は「 寅の寺 」となったという。寺の名は命蓮上人がこの地に堂を建て、毘沙門天に祈って醍醐天皇の病気を退散させたことから 朝護孫子 の号を賜り寺を中興させたことによるという。また朝護孫子寺は平安時代中期より、山岳密教と修験道の道場として栄え、とくに毘沙門天の武神としての面が武将たちの戦勝を祈らせ、この寺に祈願して生まれたたという楠木正成は、毘沙門天の別名である多聞天にあやかって、幼名を多門丸と呼ばれたという。

    朝護孫子寺1 開運橋

 大門池に架かる開運橋を渡り、深い緑と石灯籠が並ぶ参道を進むと張り子の大寅が迎えてくれる。その大きさには目を見張ってしまう 

  朝護孫子寺2
         シンボル張り子の大寅

 大寅を前にして前方には急な崖に張り出した舞台造りの本堂が見える。

  朝護孫子寺3
         張り出した崖の上に建つ本堂

             朱門 朝護孫子寺4 


 朱門から参道を行くと宿坊のひとつである塔頭千手院がある。千手院には護摩の毘沙門天が祀られ、商売繁盛・家内安全の「護摩の毘沙門さん」として親しまれている。さらに進むと木々の間に供養塔の十三塔が立ち、三宝荒神堂、多宝塔、鐘堂、虚空蔵堂が続く。本堂の上り口にある経蔵堂には中央に回転できる経厨子がありこの中には「一切経」が納められており、その経厨子を一回転させる毎に「一切経」を読誦したと同じ功徳があると言われている。

 朝護孫子寺8  朝護孫子寺9
     多宝塔                          経蔵堂 

 隣にある霊宝館には「信貴山縁起絵巻」が並べられているがこれはレプリカで、実物は毎年一巻づつ秋に特別公開されるという。
 毘沙門天が祀られている本堂は豊臣秀吉の再建、または豊臣秀頼の再建ともともいわれているが定かではないらしい。毘沙門天は七福神の中でも商売繁盛、金運、開運、心願成就の徳が最も厚く授けてくださる福の神といわれ、特に寅の日には参拝者が多いという。その本堂の舞台からは大和平野が一望できる素晴らしい眺めを見ることができる。
 
  朝護孫子寺10 本堂

 また山内には宿坊でもある塔頭の成福院と玉蔵院がある。成福院にある融通殿には福徳、開運、金運などすべてのことを叶えてくださるという「融通さま」が祀られている。また玉蔵院には三重塔や日本一の大地蔵がある。

    朝護孫子寺7 融通殿

 朱門から左手の参道を進むと樹齢1500年といわれるかやの木を御神体とした かやの木稲荷 がある。このかやの木は蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るために争っていた大和朝廷の時代に一粒のかやの実から育ったといわれる。そして稲荷社の近くには馬に乗った聖徳太子の像が・・・

 朝護孫子寺6  朝護孫子寺5
     かやの木稲荷                      聖徳太子像

 本尊への篤い信仰から「 信貴山の毘沙門さん 」と親しみをこめて呼ばれている朝護孫子寺は厄除け、福徳開運、商売繁盛を願うとともに、春の桜、秋の紅葉と四季の風情にも恵まれたお寺です。
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宝山寺(生駒聖天) ~ 生駒の聖天さん ~

 大阪府と奈良県の境にそびえる生駒山。その山麓から中腹にかけて狭い境内にひしめくように諸堂が建ち並ぶ 宝山寺 (ほうざんじ) は「 生駒の聖天さん 」と呼ばれ、商売繁盛の神として有名な寺である。資料によれば、もともとは 役行者(役小角)が開いた修験道の霊地で、弘法大師空海 も修行したと伝わる。寺の開山は延宝6年(1678)に入山した宝山湛海上人で、自ら不動明王像を刻み寺を興し、現世利益の神・歓喜天(聖天)を祀ってから一気に信仰を集めたという。

 灯篭が立ち並ぶ参道を上がっていくと惣門があり、さらに中門を入ると多数の宝鐸をつけた朝日の宝塔が目に入る。

      宝山寺1 灯篭が並ぶ参道  

  宝山寺2 宝山寺3
    中門                                      朝日の宝塔

 境内には般若窟と呼ばれる大岩壁を背に本堂、聖天堂、庫裏、客殿などが軒を接して建っている。

 宝山寺4

 創建当時からの重層な本堂には湛海上人作の本尊不動明王が祀られている。

      宝山寺5 本堂

            聖天堂 宝山寺6

 本堂に隣接して建つ風変わりな外見の建物が 大聖歓喜天(聖天)を祀っている聖天堂になる。拝殿の入口には歓喜天の供物である違い大根を浮き彫りにした銅製の大きな巾着袋が置かれている。聖天は夫婦和合や子授け、安産や財宝の神としてのご利益が広く信仰を集め参拝する人があとを絶たない。

      宝山寺7

 さらに上って行くと文殊堂、その上に多宝塔があり、奥の院に行く参道の脇には大師堂、五神明神などが建っている。

  宝山寺8  宝山寺9
     多宝塔                          奥の院参道

 奥の院は木々に囲まれた中にあって、境内には本堂、開山堂、開山廟などが建っている。

     宝山寺10 奥の院境内
 
 生駒山からは大阪と奈良を雄大な眺めも人気があり、四季折々の景色が楽しめる。

霊山寺(りょうせんじ) ~ 境内にバラ園のある古刹 ~

 奈良市の西部、富雄川沿いに 霊山寺 という古刹の寺院がある。寺の縁起によれば壬申の乱に加担したことで右大臣を退いた 小野富人(小野妹子の子)が、湯屋に薬師三尊を祀り薬草風呂で人々の病を治したことにはじまるという。創建は聖武天皇の勅命で行基が伽藍を建立、東大寺大仏の開眼供養の導師・菩提僊那がインド霊鷲山に似ていることから 霊山寺 と名づけられた。鎌倉時代には北条時頼の庇護を受け、江戸時代には幕府の御朱印寺として栄えたが、明治維新の廃仏毀釈により伽藍規模が半減、多くの仏像も失ったという。昭和に入ってからは本尊のとともに奥之院に祀られていた 辯才天 が信仰の中心となっている。

 富雄川に架かる霊山寺橋を渡ると右手に広大なバラ園が広がっている。5月中旬から11月にかけて200種2000株ものバラが次々に美しい花を咲かせるという。冬の今は・・・ 

  霊山寺1 バラ園

 一般の仏教寺院とは違う朱塗りの赤い鳥居が門になっていて、湯屋川に沿った参道は木漏れ日も射し込んで山寺のような景色が漂い古刹らしい雰囲気が漂う。

      霊山寺2 参道の鳥居

 参道を進むと古来より開運、厄除け、諸願成就の仏として親しまれている八体の仏様が並んでいる。 

          八体仏霊場 霊山寺3

 八体仏霊場の脇の鳥居から石段を上ると辯天堂がある。この辯天堂の奥に黄金殿と白金殿とという豪奢な建物があり、大辯才天は黄金殿に祀られている。
 
      霊山寺4 辯天堂

 本堂は鎌倉時代の代表的な建物として国宝に指定されているもので、その重厚で堂々たる風格に圧倒される。堂内には本尊薬師如来三尊、十二神将、阿弥陀如来など多くの仏像が祀られているが公開されるのは秋だけとのこと。

  霊山寺8 本堂

 本堂の周りには室町時代に造られた鐘楼、本堂を見守るかのように少し小高いところに建つ鎮守社殿、経蔵、地蔵院、弘法大師を本尊とし歴代徳川将軍の位牌が祀られた開山堂などがあり当時の伽藍の大きさが偲ばれる。

             鐘楼 霊山寺7

     霊山寺9 鎮守社殿


            開山堂 霊山寺10
 
 鎌倉時代中期に建立されたという三重塔は本堂から参道を挟んだ小高い森のような木立に囲まれた広場の中に建っている。この塔の初層内部全面には極彩色の壁画があるとのこと。

  霊山寺5  霊山寺6
     三重塔                         塔の片隅に建つ行者堂

 伽藍の半分は失われ、二百体の仏像は焼却されたといわれるが現在も貴重な諸堂や仏像の残る霊山寺は、仏像が公開されといる時、バラ園が花園になっている時にもう一度訪ねてみたいと思う。

2014 京の冬の旅 1 ~ 報恩寺 黒田官兵衛父子の位牌を祀る寺 ~

 京都市上京区堀川寺之内にある 報恩寺 は正式な名称を「尭天山佛牙院鳴虎報恩寺(ぎょうてんざんぶつがいんなきとらほうおんじ)」と称するが通称「 鳴虎 」で知られている浄土宗の寺。
 寺の略縁起によると、はじめは「法園寺」として鎌倉時代の仏師快慶作の阿弥陀如来像を本尊とする天台浄土兼学の寺として創建された。一時荒廃していたが、文亀元年(1501年)に後柏原天皇の御帰依篤かった慶譽明泉和尚に詔頼を賜って復興し、『報恩寺』と改め浄土宗の寺院なったという。当時は京都御所内にあったことが織田信長が上杉謙信に贈った『洛中洛外図』に記されていることが明らかになっている。その後豊臣秀吉公の叔父にあたる第九世称譽甫公尭天和尚の代にこの地に移転したといわれる。この寺が『鳴虎』と呼ばれるようになったのは、後柏原天皇より下賜された『虎の大掛軸』を秀吉公がゆっくり鑑賞したいと借り受け聚楽第に持ち帰り掛けた。ところが夜になって虎が鳴動しその夜は眠ることが出来なった。秀吉公は( これは鳴き虎じゃ、すぐに寺へ返せ )と翌朝早々に寺に返還されたことから「 鳴虎 」の名がでたと伝えられている。

       報恩寺1

 寺の東側の入口である東門は小川通に面している。この門の前を流れる百々川にかかる石橋は秀吉公の持尼・仁舜尼公よって寄進されたもので桃山時代の代表的な石造美術品として有名なもの。

             東門 報恩寺2

       報恩寺10 擬宝珠には銘や年号が刻まれている

 二度の大火で立派な伽藍は焼失したというが運慶の作と伝わる金剛力士像はお墓の中央に立っていてため焼失をまぬがれたといい、現在も境内の一角で目にすることができる。

 報恩寺9  報恩寺8

       報恩寺4

                 報恩寺7

       報恩寺6

                       
 白砂の輝く枯山水の庭から客殿(方丈)に入ると御柏原天皇から賜ったといわれる阿弥陀三尊が祀られている。ここは黒田長政が京での宿舎としていた寺で、この客殿には元和九年(1623年)長政が江戸より入洛したが病のため薨去したという最期の部屋も残され、父の黒田官兵衛と並んで位牌が祀られている。寺の呼び名でもある「鳴虎図」は部屋の一角に掛けられている。明の画人四明陶佾により墨で描かれた絵は、虎が谷川の水を飲んでいる構図で毛が一本一本繊細に描かれている。左右から見ると違った姿に見えるから不思議  
  
  報恩寺5
 
 またこの寺で忘れてならないのが梵鐘。京都の伝説のひとつである「 撞かずの鐘 」が境内にある。この梵鐘は平安時代後期の作といわれ、室町幕府官領畠山持国が陣鐘に用いたもので、西陣一帯の織屋の朝夕の仕事の交替を告げる鐘だった。ある時、いつもいがみ合っている織女と丁稚が「夕べの鐘はいくつなるか」ということで言い張り、負けた方が何でもすると約束。実際は九つあったが丁稚は寺男に「八つにしてほしい」と頼んだ。そして掛けに負けて丁稚に責め立てられた織女は悔しさのあまり鐘楼で首を吊って死んでしまった。それ以来この鐘を撞くと不吉なことが起きたため、大晦日と大法要の時以外は撞かれていないため「撞かずの鐘」と呼ばれるようになったという。

  報恩寺3

 多くの逸話をもつ報恩寺に一度足を運んでみてください。

日向大神宮(ひむかいだいじんぐう) ~ 「京のお伊勢さん」と呼ばれる神社 ~

 京都市山科区日ノ岡に「 京のお伊勢さん 」と呼ばれる神社がある。地下鉄東西線・蹴上駅から三条通を山科方面に少し歩くと左手に石の鳥居が立っている神社が「 京のお伊勢さん 」と呼ばれる 日向大神宮 である。この大神宮が「京のお伊勢さん」といわれるのは、中世に民間の伊勢参宮が盛んになり、近隣に代わりの参詣地を求め、ここに伊勢神宮の模擬社を創建されたともいわれる説があるがはっきりとはしていないようだ。また明治維新までは粟田神明宮・恵比寿谷神明とも呼ばれていたという。

  日向大神宮1 
     三条通りに面した参道登り口

 神社の案内によると、この大神宮は平安前期の清和天皇の勅願によって天照大神を粟田山に勧請したことにはじまる。その後応仁の乱で焼失したが江戸・寛永年間に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が徳川幕府に願い出て再興したといわれる。
 一の鳥居から中に入っていくと道の両側にはまばらに住宅は建っているが樹木に覆われた道が続く。さらに急な坂を登って行くと左手に石段が現れ、この段上に日向大神宮の境内が広がり社殿が建っている。

        日向大神宮2 石段の上に社殿が・・・  

 ひらけた空の下にある境内は明るい光が差し込み、いつ訪れてもすがすがしい気分になれる。普段はひっそりしていて自分の踏む砂利の音が聞こえてくるような境内も、新年のこの日はいつになく多くの人の姿も見受けられた。

       明るい境内と外宮 日向大神宮3 

 社殿は京都では例の少ない神明造りで外宮と内宮にわかれ、境内下段部を外宮とし、拝殿と下ノ本宮を配して瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀っている。

 日向大神宮4 
     下ノ本宮(外宮)

 そして一段高い奥の社域を内宮として上ノ本宮に天照大神と宗像三女神を祀っている。

     日向大神宮5 内宮域

  日向大神宮6
     上ノ本宮(内宮)
 
 この本宮の脇から少し上がったところの裏山に戸隠神社を祀る「 天の岩戸 」がある。この岩戸をくぐり抜ければ開運・厄除けのご利益を授かることができるといわれる「 京のパワースポット 」のひとつでもある。

 京のパワースポット・天の岩戸 日向大神宮10

 また日向大神宮の境内の脇から山道を登ると「 伊勢神宮遥拝所 」といわれる場所がある。

     日向大神宮7 伊勢神宮遥拝所に続く山道

  日向大神宮8 
   伊勢神宮遥拝所
 
 この鳥居の東方向に伊勢神宮があるといわれ、古人はここで遥か彼方の「お伊勢さん」に向かい手を合わせ伊勢参り・・・ということだったのかもしれない。また鳥居を背にした西方向には平安神宮、御所、大文字が一直線上に並んで見える。

  日向大神宮9
   伊勢神宮遥拝所より平安神宮、御所、大文字を望む   

 ここ日向大神宮は桜、ツツジ、紅葉も美しいが、初夏に咲くシャガの花が見事。それはまるで境内の木陰を独占するかのように・・・南禅寺から近いこの大神宮はインクラインの桜と合わせての散策もオススメ  
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