宝塔寺 ~京都市最古の多宝塔~

 伏見区深草にある日蓮宗 宝塔寺 は源氏物語にも登場する古刹。資料によると平安時代に関白・藤原基経 の発願により創建され、藤原時平 によって完成した 真言宗極楽寺 が前身で、鎌倉時代に時の住職・良桂が京都で日蓮宗を布教していた 日像 に帰依して日蓮宗に改宗したという。あまり訪れる人のないこの寺院で見逃せないのが重要文化財に指定されている 総門 と 多宝塔 である。

 京阪電車・深草駅から10分ほど住宅地の中を歩くと、四脚門 の総門が見えてくる。この門は室町中期の古い様式を伝える切妻造り、杮葺きで造られており、その堂々とした門はかつてこの地で多くの人の信仰を集めていたことが想像できる。

    宝塔寺

 門の先には石を敷いたゆるやかな参道が仁王門まで続く。参道の左右には子院が並び、山茶花の大木が冬の空にそびえていた。

 宝塔寺・仁王門 宝塔寺・山茶花

 この仁王門の天井は『 花天井絵 』になっており、格子状に区切られた中に牡丹の花や蕾が描かれ鮮やかな色彩をはなっている。

  宝塔寺・仁王門2

 仁王門の正面に建つ本堂は、京都の日蓮宗の本堂としては最古のものになるという。

    宝塔寺・本堂 

                宝塔寺・本堂2

 本堂の横にある 多宝塔 は室町時代に造られた京都市内最古の多宝塔で、下層の屋根には行基葺というめずらしいものだという。長い年月を重ねた塔はこの寺の栄華盛衰をどのような思いで見てきたのだろうか・・・

  宝塔寺・多宝塔

 本堂の裏手からやや急な石段を登って行くとこの寺の鎮守社があり、そこからは深草の街並みを見ることができる。

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光明院 ~波心庭~

 京都東山三十六峰のひとつ月輪山麓の広大な地に伽藍を構える 臨済宗東福寺派大本山 東福寺 その周囲には多くの塔頭寺院がある。室町時代の水墨画家・雪舟 が作庭したといわれ『 雪舟寺 』とも呼ばれる 芬陀院、豊臣秀吉が北野大茶会で使用した茶室を移し、二つの枯山水庭園がある 霊雲院、キキョウの咲く庭で知られる 天得院 など見どころの多い塔頭が建ち並んでいる。
 
 虹の苔庭 と呼ばれる 光明院 もそのひとつ。東福寺の南大門を南下した住宅地の中にあり、見過ごしてしまいそうなお寺は 摩利支天 と彫られた石柱の立つ石段を上がったところに建っている。

  光明院

 玄関を入ると 竹筒 が置かれており、この竹筒に常識の範囲内の志納をするとこれがこの寺の拝観料である。最初にこのお寺を訪れた時はこの志納に少し戸惑ってしまった  志納を済ませ中に入ると、吉野窓のある書院、廊下を渡ると方丈がある。方丈前に広がるのが 波心庭 と名づけられた 重森三玲氏作庭 の池泉枯山水の庭園である。周囲をツツジやサツキの植え込みで囲み、白砂 からなる庭は見ていると広い宇宙に居るような心地になり、心が安らぎ、穏やかな気持ちになってくる。この近くに住む知人は、腹が立ったり、イライラするとこの庭を見に来るというが、わかる気がする・・・・何気なく置かれたように見える石柱、流れるような白砂、隆起した地面を覆う苔の一つ一つが心に響いてくる気がする。

  光明院・庭園

                光明院・庭園3

  光明院・庭園2

                光明院・庭園4

 以前、この庭はテレビの CM の中で使われたことがあるので、一度は目にした人も多いと思う。刈り込みの中にある桜 は春に花弁を散し、モミジ は晩秋に紅葉した葉を白砂に落とす。暑い夏には木の間をすり抜けて一瞬の風が白砂と苔の上を流れていく。自然がこの庭の中に宿っているのを感じるのは私だけではないと思う。そんな光明院を是非一度訪ねてください。

地蔵院(椿寺) ~京の椿から 加藤清正が献上した椿~

 椿 は花期の長さ、種類の多さにおいて桜の比ではないのに、あそこの場所、あの花といわれることが少ない花のひとつかもしれない。豪華な花、華麗な花、清楚な花とその姿には驚かされるものが多い。京都や滋賀の寺社を巡っていると様々な椿を見ることができ、それも春先の楽しみのひとつになっている。

 椿寺 として知られる 地蔵院 は北野天満宮を少し南に行った一条通りのある小さなお寺である。資料によると、正式には 昆陽山地蔵院 といい、726年に 聖武天皇 の勅願により、行基 が摂津の昆陽池のほとりに一寺を建立し地蔵院と号したのがが始まりで、その後、平安時代に京都の衣笠山の南に移され、足利義満により再興、豊臣秀吉の命により現在の地に移されたという。

 往来する車や立ち並ぶ商店や住宅の多い場所だけに通り過ぎてしまい易いが、提灯のかけられた山門のあるのが地蔵院である。

  地蔵院

 その山門をくぐると右手に書院があり、その前に植えられているのがこの寺の通称名にもなっている 五色八重散り椿 である。見ごろは3月下旬から4月中旬ということで、今はまだ固い蕾に覆われていた。この椿は、加藤清正 が文禄の役の時に朝鮮から持ち帰り、豊臣秀吉に献上したものを、北野大茶会の縁でこの寺に献木したといわれる。しかしその木は枯れ、現在は樹齢120年の2世になるが、散り椿の名にふさわしく、一般的には花首から落下する花が花弁が1枚づつ苔の上に散らばり趣きある風情を見せてる。

                地蔵院・五色散り椿

 さらに進むと正面にあるのが地蔵堂で、本尊の地蔵菩薩は安産守護の地蔵といわれ、洛陽48カ所第12番霊場になっている。
 
  地蔵院・地蔵堂 地蔵堂
   
 地蔵堂の脇にあるのが観音堂で、洛陽観音霊場第33番の札所。ここに安置されている十一面観音菩薩は慈覚大師の作と伝えられている。

            観音堂 地蔵院・観音堂
  
 観音堂の裏には幾つかのお墓が並んでおり、その中の一つに、赤穂浪士の義挙に参画した境の商人 天野屋利兵衛 のお墓がある。利兵衛は晩年、この寺に隠棲し剃髪して義士の冥福を祈ったといわれる。

  地蔵院・天野屋利兵衛の墓 天野屋利兵衛の墓

        キリシタンの墓 地蔵院・キリシタンの墓

 京都のお寺には名花巨木と呼ばれる椿が数多くあり、のんびりと椿を愛でながらの寺社廻りを是非お勧めしたい。
        

善能寺 ~航空殉難者の霊を祀る寺~

 皇室の菩提寺である 泉涌寺 の参道には 子院 と呼ばれる寺が点在しており、善能寺 も子院の一つである。洛陽33ヶ所観音霊場18番札所 でもある 善能寺 は 弘法大師 の創建といわれ、平城天皇の勅願寺でもあり、1555年に泉涌寺山内に移された。明治時代の廃仏毀釈により荒廃したが、1887年に現在のちに移り再興されたという。
 参道を左手の方に少し下っていくと山門が見えてくる。

  善能寺

 中に入ると白砂、石柱、苔などで作られたの庭があり、人気のない庭園に葉を落とした枝の間から柔らかな冬の光が差し込み静寂な世界が広がる。

                善能寺・境内
 
 山門の正面には航空機『バンダイ号』の犠牲者遺族から寄進された 祥空殿 が建ち、航空殉難者のみが祀られている。安置されているのは本尊である観世音菩薩様。

  善能寺・祥空殿

 祥空殿の裏側には森を背に 重森三玲氏 が作庭された庭園 『 遊仙苑 』がある。池、築山、石橋、白砂、苔地、飛び石、植栽などで構成された 池泉式庭園 で、重森氏は「 飛行機が幾千万の山海上空を飛翔し、窓外に各地の山岳や平野を俯瞰する景観を全庭に畳んだ 」と述べられている。その思いが込められた庭も年月を重ねかなり荒れているが、それもまた風情があって好ましく感じるのは私だけだろうか 

                善能寺・庭園2
  
  善能寺・庭園

               善能寺・庭園3


 賑わって華やかなお寺の庭園が多い京都で、ほとんど人が訪れることのないお寺は近代を代表する作庭家が思いを込めて構成された庭を独り占めできる素晴らしい場所に思えた。


 ~参考データ~ 

 洛陽三十三所観音霊場 は観音菩薩をまつる京都市の三十三箇所の寺院からなる観音霊場

 平安時代の末期、後白河上皇が広域で巡礼が困難な西国三十三箇所観音霊場に変わるものとして、洛中の観音仏の中から定めたのが期限とされ、一時中断後、2005年に復活している。 
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