根来寺 ~和歌山 3 根来衆の郷 ~

 和歌山県岩出市にある 根来寺 は 新義真言宗 の宗祖 覚鑁(かくばん)上人( 興教大師 )によって平安時代末期に創建された名刹。覚鎫上人は京都・奈良で修行、のちに高野山に登り、弘法大師 開創の 真言密教 の真髄を正しく伝える必要を痛感し、大伝法院を建立され真言宗を中興された。しかし、檀上(高野山)の旧勢力との軋轢も生じて、晩年には支援者であった鳥羽上皇から下賜された荘園(根来寺)に下山されて、その地で生涯を閉じられた。その後、高野山から大伝法院を根来山に移し、根本道場として栄え、塔堂2700寺領72万石といわれるまでになった。警護のための僧兵の勢力も強大となり、これが秀吉におそれられた結果、紀州攻め となったのである。その際にほとんどの伽藍が焼失し国宝の大塔と大師堂以外は江戸時代に徳川氏の外護で復興されたという。

 根来一山の総門である 大門 は、この寺院にふさわしい貫録を持って参拝者を迎え入れてくれた。

   根来寺・大門 左右に仁王門を配した大門

根来寺は桜の木が多いが、ここ大門あたりも桜が多く植えられており満開の桜に覆われた大門も見てみたい。

 大門から大塔や大師堂のあるところまではかなりの距離があり、改めて根来寺の広大さを感じた。受付を入ると正面に 大師堂 が見える。秀吉の紀州攻め焼き討ちからも残ったのは、さすが弘法大師の力というべきなのか・・・(

 紀州攻めから免れた大師堂  根来寺・大師堂


天にそびえるように建つ 大塔 は現存する全国最大の木造大塔である。この塔は、真言密教の教義を形の上で示したものという。これもまた秀吉の紀州攻めから残ったものだが、戦乱の弾痕が残っており当時のすざまじさを今に伝えている。

   根来寺・大塔 全国最大の木造大塔

 大塔と並び堂々たる姿で建つ 大伝法堂 は根来寺の本堂にあたり、堂内には本尊である大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂の三尊が置かれている。この堂は真言宗の最も大切な修法を伝える道場で、僧侶が厳しい修行をする場という。

          大伝法堂 根来寺・大伝法堂

 この日、広大な敷地にゆったりと建てられた諸堂は秋の雨に打たれながら、もうすぐ訪れる紅葉の賑う時を待つかのような静寂な雰囲気を漂わせていた。

 大塔や大師堂を背に境内を流れる川を横切りしばらく行くと、名勝の 浄土池 が見えてくる。池に浮かぶにお堂は 聖天堂 と 行者堂 で、聖天堂には『 根来塗 』の朱塗りの壇に聖天尊が置かれている。


   根来寺・行者堂
   浄土池に浮かぶ聖天堂と行者堂

 その奥に建つ 光明殿 には開山興教大師の御尊像が安置されている。
           光明殿 根来寺・光明殿
   
 また、本坊 には国の名勝に指定された庭園があり、自然の滝と池が配された趣きある庭が広がっている。

   根来寺・庭園 本坊にある名勝庭園

 根来山の広大な敷地に広がる根来寺は、川が流れ、谷があり、桜、青葉、紅葉と四季の変化を楽しむこともできる見どころある寺院。根来寺にはその昔、ここで戦乱が繰り広げられ、多くの焼打ちがあったとは思いえない静かで穏やかな時が流れている。また機会があれば、違ったの季節に訪れてゆっくりと散策してみたい。
 

参考データ

 京都市東山区にある 智積院 は秀吉の紀州攻めで滅ばされた根来寺塔頭の智積院の再興である。紀州焼き討ちの時に智積院に住し、根来寺の学頭であった 玄有僧正 が京にのがれ法灯をお守りしていた。秀吉の没後、徳川家康に再興を願いでて、豊国神社の一部を賜り智積院を再興された。

  根来寺・智積院 智積院

         智積院金堂 根来寺・智積院2
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長保寺 ~和歌山 2 紀州徳川家の菩提寺 ~

 海南市下津町にある 長保寺 は 一条天皇 の勅願により創建された天台宗の寺院。一条天皇といえば二人の皇后 定子皇后、彰子皇后のお付き女官の 清少納言 と 紫式部 の名前を思い出される。
創建された当時の場所からは移っているので、現在の伽藍は鎌倉末期から南北朝にかけての建築となるとのことだが、本堂多宝塔大門 は国宝に指定されている。本堂、塔、大門が三つそろって国宝のお寺は他は 法隆寺 のみで、長保寺は日本の『 中世 』を代表する建造物を所有するお寺になる。戦国時代には衰退していたが、ここを訪れた紀州初代藩主 徳川頼宣 が紀州徳川家の菩提寺に定め、藩主の廟所となり歴代藩主が眠る 紀州徳川家の菩提寺 となている。

  長保寺 

 桜の木の枝の間に見える 大門 は室町時代初期の特徴をよく表している代表的な門として国宝に指定され、中には二体の仁王像が安置されている。門の入口の上部には 鯉の彫刻、くぐりぬけた上部には 虎と龍の彫刻 がある。

        長保寺・大門2

 開けた参道を進むと境内に入り、石段を上がった先に 本堂 が立っている。本堂の中には本尊釈迦如来座像が置かれていた。

  長保寺・本堂

 本堂の左側には 阿弥陀堂 右に 多宝塔 がある

  長保寺・阿弥陀堂 阿弥陀堂

                   長保寺・多宝塔 多宝塔

この国宝に指定された多宝塔は、本瓦葺で均衡のとれた優美な姿でたたずみ、堂内にはこの寺で一番古い仏像・大日如来が置かれている。

 これらの仏閣の背後の山の広大な斜面に、歴代の藩主廟所がある。

  長保寺・藩主廟所

薄暗く木々が生い茂る中に廟所は造られており、それぞれに門がつけられている。人気のない廟所に鳥の声と風の音だけがする昼下がりだった。廟所の階段を下ったところには 御霊屋 があって、そこには石庭が作られていた。

          長保寺・御霊屋

 境内や参道には桜や草花が植えられており、散策する足元に季節を感じることのできるお寺である。

  長保寺・ホトトギス  境内に咲くホトトギスの花


花データ

ホトトギス~  ユリ科 多年草

 東アジアに分布し、山野の日当たりの弱いところに自生している。花弁の斑点が鶏のホトトギスの胸の模様に似ていることから名づけられた。花期は夏の終わりから秋ごろまで。寒さ暑さにも強く、野性味のある姿で庭植えによく用いられる。

藤白神社 ~和歌山 1  熊野古道の上り口に鎮座する神社~

 和歌山を旅してきました。
 和歌山は 高野山熊野三山熊野古道青岸渡寺 をはじめとする 西国33か所 など多くの寺社や史跡が点在していて、歴史好きにはたまらない地域。しかし今回は、それらの名だたる寺院ではなくすこし観光地から離れた寺院を紹介します。
 
 初回は海南市にある 藤白神社 から
 藤白神社は、かつての 藤代王子 の跡に立っていて、 藤白王子権現 とも呼ばれた。世界遺産に登録されている 熊野古道 は 熊野三山 ( 熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社 ) へ通じる 参詣道 の総称。また、熊野九十九王子 とは熊野古道沿いに在する神社のうち、皇族、貴人の熊野詣に際して、先達をつとめた熊野修験の手で組織された一群の神社で、参詣者の守護が祈願された神社のことである。それ故、王子 は 中辺路 に沿道に限られており、その中でも 五体王子 といわれる、格式が高く重要な王子があり、ここ 藤代王子 はそのひとつとして信仰を集め、参詣者の宿泊所としての要所でもあった。創建については7世紀、斉明天皇の 牟婁行幸 の際に社殿が営まれたというからさらに古い歴史を持っている。

 鳥居をくぐり境内に入ると 楠の巨木 が多く、ひときわ濃い緑に包まれていた。この大楠は樹齢1000年を超えるといわれる。

  藤白神社

         藤白神社・神門

 境内の中ほどには「 宮水 紫の水 」と書かれた石碑がある。ここはその昔、川の上流に日に映えて紫色に輝く石があり、土地の人々は自然の真水の恩恵に浴し「 紫の水 」と呼ぶようになり、「宮水の源泉」と伝えられているとのこと。地元では、酒造の貴重な清水としているそうだ。

  藤白神社・紫の水

 拝殿に参拝すべく旧社務所に入ると、周りには「全国の鈴木さんいらっしゃい」と書かれた のぼり が沢山たてられていた。実はこの神社の御祭神である 櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひめのみこと) は 「全国鈴木姓の氏神様」 で鈴木さんのルーツになっているからである。また、近くには「 鈴木屋敷 」という鈴木氏の総本家の屋敷跡があり史跡となっている。

  藤白神社・拝殿

拝殿の横には 藤白王子権現本堂 がある。中には 木造熊野三所権現本地仏坐像 が置かれており、ここはまさに熊野の神様と仏様が並んでいる 神仏霊場 の世界なのだと感じる。

さらに境内の中にある 有間王子神社 は 万葉集

『 家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 』

で知られる孝徳天皇の皇子・有間王子 を祀った神社。孝徳天皇の死後、謀反の疑いがあるとして捕えられた有間王子は、斉明天皇が行幸中の牟婁温湯に護送され、裁きを受けたその帰路 藤白坂 で絞首される。その時、王子はまだ、19才の若さだったという。

藤白神社・有間皇子神社  藤白神社・有間皇子神社2

 熊野の入口である 藤白神社 の境内には 熊野三山の神様と仏様、藤白王子の神様と仏様、悲劇の王子の神社が並んで静かな時を刻んでいた。

藤白神社・境内   藤白神社・境内2

多田寺 ~若狭路小浜 2 日本三大薬師を見に ~

 多田寺 は 『若狭の多田薬師』 と呼ばれ 『奈良の薬師寺』、『出雲の一畑薬師』 と並ぶ日本三大薬師のひとつである。奈良時代に孝謙天皇の勅願により 勝行上人 が開基され、現在は高野山真言宗に属している。寺院の規模は小さいが、本堂の中に安置されている仏像は国の重要文化財に指定されている。

 集落の間の川沿いの細い道を進み、門前の橋を渡るとその向こうに仁王門が建っている。中には二体の金剛力士像が置かれていた。門をくぐると石段の先に本堂の屋根が見える。

  多田寺・山門 仁王門

 参道から石段を登りきった正面に本堂ある。

        多田寺・本堂 本堂正面

 本堂の中には大きな 厨子 があり中央に 薬師如来立像、右に 日光十一面観世音菩薩、左に 菩薩立像 が置かれている。資料によるとこの見事な厨子は、埼玉の川越城主であった 酒井忠勝 が 若狭に転封となった時に 『若狭には古い密教像が多い、どうしても 日光陽明門 を模した厨子を奉納寄進したい』 という要望で全国屈指の薬師像が奉られている 多田寺 に置かれたのだという。この薬師如来は、勝行上人が東大寺の要職に抜擢されたことで、『出世薬師』とされ、さらに孝謙天皇が眼病を患った際に、勝行上人が祈願して眼病が治ったことから、目の病を治してくれる 『お薬師さん』ともいわれている。祈願の護摩の煙のためか、『お顔が黒くなっている』 のは多くの人たちの 信仰の証 ということなのだろう。他にも、四天王、阿弥陀如来三尊、聖観音立像が置かれていて、中が狭いのでまじかで目にすることができるのはうれしい。
 
  多田寺・本堂2 本堂

 若狭小浜のお寺巡りは、参拝者も少なく案内をしてくださる人も丁寧に説明をしてくれるので理解しやすかった。そして何よりもまじかで仏様を見ることができて気持ちが穏やかになっていた。 
 

若狭神宮寺 ~若狭路小浜 1 東大寺二月堂お水送りの寺~

 福井県小浜市は由緒ある寺院が多い地域で、国の重要文化財を所有している寺院も多いので一度訪ねたいと思っていたが、なかなか行く機会がなく今回ようやく訪れることができた。

 一回目は東大寺二月堂 へ お水送りの寺 として知られる 若狭神宮寺 から

 若狭神宮寺 は奈良時代の元正天皇の勅願により、若狭国一の宮の神願寺として創建されたと伝わる 神仏両道 のお寺。お水取りの寺と呼ばれる由来は、神願寺の開山赤磨公が白石の神童を大和に伴い名僧、義淵僧正に託され、のちに東大寺開山堂の良弁僧正となり、お水取りの行を法をはじめらえた。お水取りに使われる水が 東大寺の若狭井 の水で、その若狭井の水源が白石の 鵜の瀬 である。その 神事 が毎年3月2日に、ここ若狭神宮寺で行われていることからという。

 国の重要文化財に指定されている 仁王門(北門) は、表門からはだいぶ離れたところにある。その仁王門には神仏両道の寺院といわれるだけあって しめ縄 がかけられていた。門の中に安置されている仁王像はかなり色あせてはいたが、立派なもので鎌倉末期の木道彫刻でつくられている。

  若狭神宮寺・北門 仁王門(北門)

 仁王門をくぐるとススキやコスモス花の揺れるのどかな田園を思わせる風景の参道になる。

       若狭神宮寺・参道 のどかな参道

 開けた参道から一転、木立に覆われた参道の脇には本坊やかつての坊の跡らしき石垣などがある。
  
  若狭神宮寺・参道2 参道

 表門から境内に入ると、国の重要文化財に指定されている 本堂 が建っていて、ここにもまた、しめ縄 がかけられていた。この桧皮葺きの本堂は、室町時代の末期に朝倉義景が再建したといわれる。中に入って驚くのが、内陣の 左側 に薬師如来などの 仏像右側 に白石鵜之瀬明神などの 神々 が祀られていていること。何とも不思議な世界  だが、本来、日本の神社とお寺の形態はこの形で成り立っていたものを、明治時代の 廃仏毀釈 で分離されてしまったのだから格別に不思議なことではないわけだが、見慣れていないので何か特別差を感じてしまう。さて、ここでのお参りの仕方はと思っていると、はり紙があり、『二拍一礼」とあった。

       若狭神宮寺・本堂 本堂

  若狭神宮寺・境内 木々に囲まれた境内

 境内を見渡すと目を見張るような巨木がある。これが天然記念物の スダジイの木 だ。太い根元には長い年月を偲ばせる苔が絡み付き逞しさを感じさせる。

       若狭神宮寺・スダジイ

 このスダジイの木の近くに、お水取りで汲み上げられる水源の井戸があり、石の中から霊水がこんこんと涌きでていた。この水が10日の後に東大寺の若狭井にたどりつくと思うと近いような遠いような・・・

若狭神宮寺・閼伽井井戸案内 若狭神宮寺・閼伽井井戸
                 お水取りに使用される水が湧きでる井戸

そして、豪壮な東大寺二月堂のお水取りの行はは始まるのである。

 

瑠璃光院 ~やすらぎの郷、瑠璃の庭へ~

 風光明媚な地、「八瀬」は「矢背」とも記されるように、壬申の乱の際、この地で大海人皇子(天武天皇)が流れ矢で背中に傷をおったことから 矢背 とよばれるようになったと伝わる。その大海人皇子が 「八瀬のかま風呂」 で傷を癒やされた平安時代から貴族や武士たちに 「やすらぎ」 と 「いこい」 の郷として愛されたきた。
 その地に建つ 瑠璃光院 は叡山電鉄・八瀬比叡山口から高野川沿いを少し歩いたところにある。岐阜にある無量寿山光明寺京都本坊で、大正から昭和の初めにかけて広大な敷地に、数寄屋造り大改装された 書院 と自然を借景にした 名庭 を造営。しかし、一般公開されることはなく、数年前から新緑と紅葉の頃に特別公開されるようになった。

 高野川の清流を見ながらゆくと、深い木立に包まれ中に立つ山門が瀟洒な姿を見せてくれる。

  瑠璃光院・山門

 山門から続く参道は、時折差し込む光がまばゆく通りぬける風が心地よい。

  瑠璃光院・参道

 参道から中に入ると、苔むした庭は 「山露路の庭」 とよばれ、木々の間に茶庵と十三重の石塔が見え隠れしている。この茶庵に明治の元勲三条実美公は 「喜鶴亭」 と名づけたという。

  瑠璃光院・山露路の庭

 お目当ての瑠璃色に輝く 「瑠璃の庭」 は見ることが出来なかったのは残念だったが、様々な苔が地面を覆い、その中を静かに流れる一条のせせらぎは見る人に至福の時を与えてくれる。ここは確かに「やすらぎ」と「いこい」の郷に違いないと感じた。

  瑠璃光院・瑠璃の庭

       瑠璃光院・瑠璃の庭2

匠の技が光る書院からは「瑠璃の庭」が一望でき、紅葉の頃はさぞや美しい光のシャワーが堪能できるのではないだろいかと想像を膨らませてしう。

  瑠璃光院・書院から

また、建物のの中には日本式蒸し風呂の原型といわれる 「八瀬のかま風呂」 の現存する遺構もみることができる。

  瑠璃光院・かま風呂

 京都には多くの名庭といわれる庭が存在するが、ここ瑠璃光院の庭はあくまで自然をそのままにした日本情緒あふれる静かな名庭と思う。瑠璃色に輝く 浄土の世界 を象徴的に表したといわれる庭を是非一度見て頂きたい。

 
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