石峰寺 ~竹林の中の五百羅漢像~

 京都市伏見区深草にある 石峰寺(せきほうじ)は江戸中期に創建された百丈山と号する 黄檗宗 の寺。創建当初は、諸堂を備えた寺とのことだが、現在は本堂庫裏を残すのみだ。民家と民家の間の狭い石段の参道を登り切ると龍宮造りの赤い門(総門)があり、門をくぐると正面に本堂が見える。本堂までの参道脇には、可憐な草花が植えられている。

  石峰寺・参道 民家に挟まれた参道

  中国風の龍宮門 石峰寺・赤門

  石峰寺・本堂 本堂

 しかし、このお寺本来の拝観目的は本堂の背後の山の竹林の中に点在する五百羅漢の石仏群(通称・若冲五百羅漢)である。これらは江戸中期の画家・伊藤若冲 が下絵をえがいて、石工に彫らせたもの。京の錦小路の青物問屋に生まれた伊藤若冲は、家業のかたわら、狩野はに絵を学んだが、のちに独学で腕を磨き、身の回りの動植物をモチーフに描くようになり、鶏の絵 はよく知られている。晩年はここ石峰寺のかたわらに草庵を結び、隠棲し84才の長寿で大往生する。お釈迦様の一生を表した石仏は、軽妙で微笑ましく、それぞれが表情が豊かだが、長年の風雪で見極めにくいものも多い。現在は、撮影やスケッチは禁止となっているのでそのゆっくりと散策しながら表情の違いを見比べたい。

  石峰寺・五百羅漢
 
  石峰寺・五百羅漢2


 
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兵主大社 ~名勝の庭を見る~

 琵琶湖のほとり、野洲市五条ののどかな田園地帯にある 兵主大社(ひょうずたいしゃ) は 養老2年(718年)創建で、中世には『 兵主 』 を 『 つわものぬし 』と読むことにより、源頼朝 や 足利尊氏 など名だたる武将の崇敬を集めた古社。中でも境内の入口にある鳥居と楼門は尊氏の寄進と伝えられている。御祭神は 八千矛神(大国主の別名) 
 
 松並木の 参道 を進み、太鼓橋を渡ると尊氏寄進の 鳥居 と 朱塗りの鮮やかな 楼門 が建っている。

    兵主大社・参道 松並木の参道

    兵主大社・鳥居 尊氏寄進の鳥居

    兵主大社・楼門 尊氏寄進の楼門

 楼門からカエデに覆われた玉砂利の参道を進むと翼廊造りの 拝殿 があり、その後方に 本殿 が見える。

    兵主大社・拝殿

 本殿の南側には国の名勝に指定されている、池泉回遊式庭園 が広がっている。庭一面に敷き詰められた苔の美しい庭は、平安末期のものといわれ水の流れを強く意識した大規模な庭園だったようだ。池は心字型、中島、石橋、出島など変化に富んだ造形美を持ち、春のツツジ、新緑、紅葉、雪化粧と季節により見どころのある庭である。

    兵主大社・庭園 名勝の庭園

 広い境内は散策にもよく、のんびりと気持ちよく歩くことができることがうれしい。

    兵主大社・境内 水と緑の境内



三千院 ~秋海棠に彩られて~

 すがすがしい初秋の風が吹き抜けるころ、呂川沿いに 三千院 に向かうと川辺には 『秋海棠』 がひっそりと咲き乱れている。紅葉の頃は人で身動きが取れない川沿いの道が、風の通り道になっているのが心地よく、ここに足を運んでしまう。

  三千院・秋海棠(呂川沿い)

 三千院 のある 大原 は平安時代から貴人文人たちの 隠棲地 として、都への 炭の供給地 として知られている、京の山里。そこに建つ古社寺には深い歴史が秘められたものが多い。そのひとつ、三千院は天台宗山門派の 三門跡寺院 で 『 梶井門跡 』と呼ばれる。もともと三千院は最澄が比叡山に根本中堂を創建する際に、東塔南谷の梨の大木の下に一宇を建てたのがはじまり。その後、最澄自刻の薬師如来を本尊として 円融房 と称し、院内にあった 加持井(修法に用いる井戸) から『梶井門跡』の名が起きたといわれる。堀河天皇の皇子最雲法親王が住んだのを最初の門跡とて以来、皇族の住持する寺となり、三門跡のひとつと定められた。坂本にあった本坊を焼失後は、洛中を転々とし、応仁の乱の後、修行道場を大原に移し、明治維新で本坊も大原に移して 三千院 と呼ばれるようになった。カエデの並木道から風格のある御殿門を入り、客殿へ。

   三千院・御殿門

客殿には、竹内栖鳳氏らが描いた襖絵が、宸殿には薬師瑠璃光如来像などが安置されている。客殿の前に広がる 『聚碧園』 と呼ばれる庭園は池と植栽の刈り込みが調和する鑑賞庭園。ここでも今を見ごろとする『秋海棠』が咲いていた。

   三千院・秋海棠(聚碧園)

宸殿奥の 『有清園』 は国宝の本尊の 阿弥陀三尊坐像 を安置した 『往生極楽院』 を取り囲むような池泉回遊式庭園で、深々とした苔とそれを覆いかぶせるように低く枝を広げたカエデの緑がまぶしく、木漏れ日の中に建つ 往生極楽院 がより一層美しく見える。往生極楽院は入母屋造りの小さな御堂で、狭い堂内を広く見せるのは中央を山形にした船底天井という構造によるからという。

三千院・初秋  三千院・初秋2

 有清園を歩くと、苔の間からわずかに顔をのぞかせている わらべ地蔵 が何とも愛らしく、思わず足を止めて見入ってしまう。

    三千院・わらべ地蔵

また、院内は、桜、アジサイ、シャクナゲ、秋海棠と季節ごとに花が咲き、紅葉の時以外も美しい風景が楽しめる。


花データ

秋海棠~ シュウカイドウ科 多年草

 中国、マレー半島に分布、日本には園芸用として江戸時代初期に渡来。花期は9月上旬~10月上旬で、直射日光の当たらない半日陰で湿気の多い場所を好む。
 

詩仙堂 ~山裾の庭に響く鹿おどし~

 詩仙堂 は出町柳から叡山電車に乗り3つ目の駅 「一乗寺」 で下車、そこから東に10分ほど歩いたところにある 曹洞宗大本山永平寺の末寺である。特別に名のある仏像があるわけでもないし、古い歴史があるわけでもないが多くの人が訪れる 京都観光寺院 のひとつ。この詩仙堂は徳川家康譜代の 武士・石川丈山 が隠棲用に建築した山荘で、建物内部に中国の36人の詩人の詩と絵師・狩野探幽が描いた画像を掲げたため、『詩仙堂』 と名づけられたという。丈山は59才の時にこの一乗の地に隠棲、自らの趣味を生かした山荘の造営し、90才で亡くなるまでここで隠遁生活を送ったのである。

 表門である 小有洞の門 を入り、ゆるやかな石段を登り、うっそうと茂るモミと竹の木漏れ日の中はすすんでいくとまるで仙界に入ったような印象を受ける。参道に立つ 老梅関の門 をぬけて、玄関を入ると 詩仙の間 になる。  

詩仙堂・小有洞の門  詩仙堂・老梅関の門
 小有洞の門                      老梅関の門 

詩仙の間には『詩仙堂』の名の由来となった漢・晋・宗代の詩人の画像が掲げらるている。つづいている 書院 は二方が開け放たれ、白砂にツツジと山茶花が丸く刈り込みされた庭園が広がる。人の多い季節は書院からゆっくりと庭をみるのは無理であるが、人気の少ないときはここに座り 鹿おどし を聞いていると、風雅な世界に引き込まれ、時のたつのを忘れてしまいそうになる。

      詩仙堂・庭園  紅葉の頃の前庭

この庭園は傾斜地に造られて高低差のあるためか、庭が実際よりかなり広く感じられ見ごたえがある。

詩仙堂・晩夏  詩仙堂・晩夏2
                          初秋の頃

詩仙堂・紅葉  詩仙堂・紅葉2

                          晩秋の頃

また、谷川の流水を取り入れた庭には、サツキ、紅葉、山茶花、藤、酔芙蓉の花木や草花が植えられており、季節ごとに楽しめるのがうれしい。

      詩仙堂・芙蓉 酔芙蓉

詩仙堂・ギボウシ  詩仙堂・ヤブラン
  ギボウシ                       ヤブラン


 また、石川丈山は作庭家としても有名で、東本願寺の飛地境内地の 渉成園(枳殻邸)、修学院離宮 の庭の設計したとされている。

 比叡山山系の西の洛北は大自然に恵まれ、多くの文人や貴人が風流な別荘を建て、名園を残した。山裾を歩きながら点在してる寺社を訪ねるのはいつの季節も気持ちがいい 


花データ

酔芙蓉~ アオイ科 落葉低木

 晩夏から初秋にかけて咲き、朝に白い花を咲かせ、午後にはピンク、夕方から夜にかけてくなり、翌朝にはしぼむことから『酔う芙蓉』といくことで 酔芙蓉 の名が付いたといわれる。平安時代から鑑賞されていて、全国各地の庭先や公園で目にすることができる。

ギボウシ(ホスタ)~ ユリ科 多年草
 7~9月に白から淡紫色の花が咲く、日本、中国など東アジアの植物。つぼみが橋の欄干の 『擬宝珠』 に似ていることから ギボウシ になったといわれる。19世紀にシーボルトが持ち帰り、多くの品種が作り出された。ギボウシは花を楽しむより葉を楽しむカラーリーフのような植物として、欧米では庭植えの観葉植物として人気が高い。

ヤブラン~ ユリ科 常緑多年草
 8~10月に淡紫色の花を付け、暑さ寒さに強く日陰でもよく育つにで、日本庭園の木々の根元などのアクセントとして植えられている。園芸種で斑入りの品種もある。
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