天寧寺 ~額縁門~

京都と滋賀にまたがる比叡山は京都の鬼門にあたる北東にあり、王城鎮護の山とされています。
古事記 には 日枝山(ひえのやま)と表記されていて古代から信仰の山とした崇められ、昔も今も、京都にとってはなくてはならない山なのです

今回は、その比叡山を眺める スポットの一つ寺町通鞍馬口下ルにある 天寧寺 を紹介します 
 
天寧寺はもともとは会津若松にあった寺で10世祥山が、天正年間に天台宗松陰坊の旧地である現在の地に移し、戦国の武将、直江兼続や京都所司代板倉勝重の支援で諸堂をととのえられたが、天明8年の大火で焼失し、本堂は天明8年(1788)、書院は天保14年(1843)に再建され、現在に至り、京都で数少ない 曽洞宗 のお寺です。
また、茶道宗和流の祖、金森宗和の菩提寺でもあります。

 そして、この天寧寺最大の見どころが 額縁門 寺町通から山門越しに比叡山が正面に眺められ、それは額縁におさめた絵画ようであることから「額縁の門」と呼ばれています。
 
  天寧寺

 確かに、境内の樹木を左右に配して中央に比叡山を置けば視界がさばめられ、より絵画的効果が増して見えて、
季節により、境内の風情や山の色合いも変わるので、その折々の比叡の山を眺めるのも良いのでは・・・・

そして、境内には天明の大火にも耐えたの樹高16メートル以上の カヤの木 があり天然記念物になっているので見逃しのないように是非見てください

     天寧寺・カヤ

参考データ

 園通寺  比叡山を望む承継庭 
 妙満寺  比叡山の峰を借景にした眺望
 正伝寺  比叡山を望む借景庭園

スポンサーサイト

興正寺 ~そろそろ梅の花が~ 

 梅の花は彩りは乏しいが馥郁たる香りを漂わせ、早春の代名詞として古くから親しまれお寺や神社には欠かせない花。
 
 一重、八重、小輪、大輪、白、薄紅、濃紅、紅と花弁のつき方や花の大きさ、色も豊富で早咲き、中咲き、遅咲きと花の時期も長く楽しめる花のひとつで春を感じさせてくれるうれしい花だと思うのですが・・・

 七条堀川の北西に築地塀をめぐらして 興正寺 は建っています。
 北に 西本願寺 があるので西本願寺の一部のようにみえてしまうが、独立した真正興正派の本山。
 しかし、創建からの歴史はいささか複雑のようだ。鎌倉時代に創建され、室町時代には本願寺に属し、明治時代に独立したとのこと。幾多の苦難を超えて、この寺は、今をひっそりとした雰囲気で私たちを迎えてくれます

山門を入ると広い境内に御影堂、阿弥陀堂が立ち並びその堂々の構えに圧倒されます

興正寺 御影堂  興正寺 阿弥陀堂
    御影堂                        阿弥陀堂


広い境内には、参拝者より近くの人たちが散歩を楽しむ姿を目にすることが多いお寺です。
   
 5月上旬のツツジは堀川通に面しているので名高いが、境内の片隅に咲く梅の花のほんのりとした香りが、堀川通の騒音を忘れさせてくれるような優しさがうれしい

   興正寺 境内


 あちこちから梅の開花のニュースが伝えられる季節になりましたが、時にはこんな素朴な梅の花も良いのではないでしょうか。  

花データ
 
~  バラ科スモモ屬  落葉中木
中国原産で日本には古墳時代から飛鳥時代に渡来したようです

万葉集や古今和歌集など多くの和歌にも詠まれています。

たとえば菅原道真の
東風吹かば においおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
紀貫之の
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほいける 

と、身近な歌もたくさんありますよ。
                 
体に良い食べ物だけでなく心にも良い  ちゃんでした            
           
      

2012 京の冬の旅 2 ~ 京都十二薬師霊場第一番 平等寺 ~

京の冬の旅 2回目は下京区松原通にある平等寺
   
   平等寺


 平等寺 は 通称「因幡薬師」として知られる古刹

 その昔、因幡国司 橘 行平が任務を終えて京都に帰る途中、因幡賀留津の海に一体の薬師如来が浮かんでいるのを見つけ、そこに仮堂を建て安置しておいた。 そののち、その薬師如来が行平の後を追って行平邸に飛来したので、自邸を仏堂にしたという。 この霊験談が都の評判になり、歴代の天皇から一般庶民までの信仰をえたといわれる。

 本尊の木造薬師如来は 京都の嵯峨釈迦堂(清涼寺)の釈迦如来、長野の善光寺の阿弥陀如来とともに、日本三如来のひとつとして数えられています(
 ここ平等寺の薬師如来像は、頭巾をかぶった印象的なお姿をされていましたよ

 他には、「平清盛」に関連して高倉天皇が 「平等寺」 の寺名を下賜された寺宝で、 天皇が寵愛された小督局の琴、蒔絵硯箱、小督局の髪で作ったと伝わる「毛髪織込光明真言」も展示されていました。

 ここ平等寺は特別公開の時以外も、参拝は可能ですよ

2012 京の冬の旅 1 ~ 長講堂 ~

 京都の冬のイベントのひとつに「京の冬の旅 非公開文化財特別公開」があります。
普段は見学できない庭園、建築、襖絵、仏像を見ることができる期間限定の特別公開です。
底冷えのする寺院や神社にたたずみ、人の少ない境内は凛として身が引き締まる思いがして、すがすがしい気分になり気持ちがいいですよ

 今年は、大河ドラマ「平清盛」にゆかりの地や、 干支「辰」にちなんだ「龍」に関するものが多いようですが
初回は、下京区にある長講堂を紹介

   長講堂
 

 長講堂 は 正式には法華長講阿弥陀三昧堂といい、後白河法皇の持仏堂として建立されたお寺

 保元の乱の後、天皇の座についた後白河天皇は政治のことは藤原通憲(のちに出家して信西)に任せきりで、自身は何らの積極的意志がなっかた、という説があり、「愚管抄」ではその理由を天皇の崇仏心に求め、天皇が仏法の御修行にのみ執心したためとしているが・・・・
また今様を好み、これに精進したため、政治に関心を示さなかったとの説ももあるが・・・・

 いずれにしても、天皇は新日吉・進熊野をはじめ、蓮華王院(三十三間堂)・ここ長講堂を造営したり
熊野・荒野・比叡山・東大寺など、行幸されないところはないちいうほどであるから信心の深さは
並みのものではありえない程ですよね (

その天皇が、念持仏として祀られた阿弥陀如来仏の両脇に安置された観音菩薩・勢至菩薩は片足を踏み下げた珍しい姿をされていたが、これは衆生を救おうとする姿を表しているとのこと

その姿は有り難くもあり尊くも感じました
 
他にも多くの寺宝が展示されておりましたが、後白河法皇直筆の「過去現在牒」には歴代天皇の他に源義朝、平清盛などの武士に混じり、祇王、妓女らの白拍子の名もかかれていました

 境内はすべて写真撮影が禁止だったので庭園や本堂も写すことができなっかたのですが、
入口のサザンカの花が満開だったのが印象的でした
                                
   長講堂 サザンカ


花データ 
サザンカ~ ツバキ科ツバキ屬  常緑広葉樹
実ができて、椿と同様に油を採取できるのです。
中国ではツバキ科の木を「山茶」といいその花を「山茶花」にしたことに由来しているとのこと。そのため、サザンカは日本特産の樹木ということになるです。
 童謡 「たきび」 にも歌われているように冬に似合う花かも
                     

沙沙貴神社  ~冬の空に咲く蠟梅~

近江八幡市安土町の沙沙貴神社に行ってきました

梢ばかりが目立つ境内にすがすがしい香りの蠟梅が、春の芽吹きを待つことなく精いっぱいに咲いて訪れる人を楽しませてくれていました
蠟梅はいち早く春の訪れを告げる香りの使者()ですね

 素心蠟梅 満月蝋梅
      素心蠟梅                 満月蠟梅

沙沙貴神社は珍しい花が咲く 近江百華苑 として親しまれていて、四季折々の花を見ることができます。
花好きにはとてもうれしい場所ですよ
特に有名な 「なんじゃもんじゃの木」 は 5月初めごろに咲き見事です 

今は春まだ早い時期だったので、椿がほんの少しだけつぼみの先を染めた状態でしたが・・
      
佐々木神社・椿・朧月
      椿・朧月

 寒さが厳しい今年は開花も遅れるかもしれませんね 

花データ 

蠟梅~  ロウバイ科ロウバイ屬  
落葉中木唐の国から来た少し大きい文字ことにより唐梅とも呼ばれている花やつぼみか抽出した蠟梅油は薬として使用。
蜜があるからか、ちゃんが花をついばんで丸裸になってしまうこともあるので

んじゃもんじゃの木~  モクセイ科ヒトツバタゴ屬  落葉高木
名前の由来はいろいろあり、初夏に突然多くの白い花を付けるのでその驚きと称賛のためについたとか、明治時代に名前がわからずに「何の木』と言われているうちにこの名前になったとか様々なよう ともあれ、一度は見ておきたい花ののです
            

~参拝メモ~
佐々木神社・楼門
(沙沙貴神社・楼門)

沙沙貴神社からの帰路、道路標識に瓢箪山古墳の文字を見ました。
私はここにおいて、ふっと疑問に思うのです。
『瓢箪山古墳に埋葬されている人物って、狹々城山君の一族だったのでは?』と…
『狹々城と沙沙貴』は違う家なのだろうか?と…
沙沙貴神社の沙沙貴はとりもなおさず、近江源氏の佐々木氏を祀る神社です。つまり佐々木氏は「源氏を名乗るからには、宇多天皇の子孫を宣言している」と、理解して問題ないはずです。一方、狹々城山君は近江の豪族で古墳を築く位ですから、その発生は宇多天皇よりも遥かに古いと言うことでしょう。
狹々城山君が佐々木氏の祖であれば、佐々木は源氏ではないことになり、佐々木氏がやはり源氏であるならば、狹々城山君は忽然と姿を消したことになります。
佐々木神社・本殿  佐々木神社・拝殿
 本殿                      拝殿

少々疑問に思ったので、少し調べてみました。尤も調べると言っても、サクサクとネットで検索エンジンを叩くくらいなのですが…
調べてみて驚きました!! 実はこの問題、プロの歴史家たちも頭を悩ませる難問だったのです。
説は大きく3つに分けられていました。
宇多源氏の源成頼が近江佐々木庄に入り、その孫にあたる源経方が佐々木氏を名乗ったとする説。『尊卑分脈』などがこれに該当するようです。猶この説では、狹々城山君は源氏に吸収されるように同化した、とされていました。
② 「いやいや、狹々城山君こそが、佐々木氏のルーツなのだ」とする説。明治に久米邦武によって提唱された説だそうで、この説では、佐々木氏は『安倍臣』なるようです。この点については、日本書紀に次のような記事を見つけた。
大日本根子彦國牽天皇 孝元天皇~中略~兄大彦命、是阿倍臣・膳臣・阿閉臣・狹々城山君・筑紫國造・越國造・伊賀臣、凡七族之始祖也。
孝元天皇や兄大彦命の実在云々についてはともかく、日本書紀が書かれた時点において狹々城山君は阿倍臣と近い関係にあったということなのでしょう。
③ 佐々木氏には宇多源氏系の佐々木氏と沙沙貴山君系の佐々木氏の2つの系列が存在するという説。なんじゃ、そりゃ。それって①とあまり変わらないんじゃ…?この説は林屋辰三郎らが編纂した『新修大津市史』に示されているそうなので、機会があれば見てみたいものです。そのうち滋賀県立図書館に行ってきます。近いですから…

まぁ、私は歴史の真実自体にはあまり興味がないですから、いずれの説でも構わないのですが、最後にもう一度、祭神を確認してみると…
佐々木神社・案内板

一座・少彦名命   祖神・産土神
二座・大彦命(大毘古神)  古代沙沙貴山君の祖神・四道将軍
三座・仁徳天皇(大鷦鷯尊) 沙沙貴にゆかりある祭神
四座・宇多天皇・敦実親王  宇多源氏・佐々木源氏・近江源氏の祖神

おおぉっ!!  『大彦命』ちゃんとはいっているじゃないですか。つまり滋賀県の人は狹々城山君と佐々木氏が同じであろうとなかろうと、等しくお祀りしてきた訳なのです。
いやはや、めでたし、めでたし。
プロフィール

ポピーランド

Author:ポピーランド
FC2ブログへようこそ!

アクセスカウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR