飛鳥の里 3 ~ 岡寺 日本最初の厄除霊場 ~

西国三十三カ所第七番札所 岡寺 は日本最初の厄除け霊場として知られる古刹で、天智天皇の皇子・草壁皇子の住まいであった岡宮を下賜された義淵が創建したと伝わっています。開祖の義淵僧正は、東大寺の初代別当・良弁僧正や大仏建立の立役者・行基や玄昉、道鏡等の高僧・名僧を育てた奈良時代の仏教を興隆した先駆者の師として知られています。岡寺の正式名称は 龍蓋寺(りゅうがいじ) で、寺の近くに畑を荒らす龍がいて困っていたところ、義淵の法力によって小池に閉じ込め、大石で蓋をしたという伝説からとられているとのこと。こうした伝説はやがて信仰に発展、さらにそれまでの観音信仰に厄除け信仰が加わり、日本初の厄除け霊場が形成されたといいます。

 多武峰の西麓に位置する岡寺、急な坂道をのぼって行くと朱塗りの仁王門が目に盃ってきます。仁王像が迎えてくれる門をくぐり、キンモクセイの香りが漂う石段を上れば、絵日傘が並べられ秋の陽を浴びて境内に彩りを添えています。

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    仁王門                           秋の陽ざしに映える絵日傘

 山の斜面を背に書院、本坊、開山堂が並び、厄除鐘と呼ばれる鐘楼堂を過ぎると観音霊場らしい落ち着きのある本堂が建っています。

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    鐘楼堂                           開山堂

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    本堂                            龍王願い珠がかけられたモチノキ

 本堂の中央には空海が造ったとされる日本最大最古の塑像の如意輪観音座像が安置されています。高さ5メートル近くもある巨大な仏像はまじかで見るとその迫力に圧倒されます。西国三十三カ所観音霊場の札所となる以前から観音霊場であったといわれる岡寺の観音さまです。

 そして本堂の前には義淵が龍を封じ込めたという『龍蓋池』がありますが、想像していたものよりもかなり小さくで驚きました。

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    龍蓋池                           奥の院石窟

 龍蓋池から樹木の生い茂る道を進むと奥の院石窟があります。この石窟の中には義淵が悪霊を祈願した弥勒菩薩が祀られています。

 岡寺は花の寺としても知られているところで、奥の院から義淵僧正廟所に続く参道は『シャゥナゲの道もみじのトンネル』と呼ばれように紅葉が続き、出番を待っています。

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    義淵僧正廟所                      三重塔 

 三重塔は境内でも高い位置ににあり、眼下には本堂をはじめとする堂宇、そして飛鳥の里を一望することができます。

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     三重塔付近から見た境内

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     飛鳥の里

 ここから眺める飛鳥はたおやかな山々に囲まれ、のどかな田園が広がる里・・・万葉の風がそこはかとなく漂う里は至る所で史跡に出会え、ロマンあふれるところであることを改めて感じ、飛鳥の里にまた来たいという思いが募りました。

 
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飛鳥の里 2 ~ 橘寺 聖徳太子ゆかりの古刹 ~

 大和朝廷発祥の地である明日香・橿原。天皇が住まわれ、政事を営んだ宮の跡はあちらにもこちらに点在しています。推古天皇の摂政としてかずかずの改革をおこなった聖徳太子もこの地で誕生されたといわれています。聖徳太子が誕生されたと伝わる 橘寺 の地は欽明天皇の別宮・橘の宮があったところで、ここで幼少期を過ごしたともいわれています。またこの地が橘と呼ばれているのは、垂仁天皇の時代、勅命によりトコヨの国に不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、長い間苦労して求めた秘薬を持ち帰ったところ、天皇は既に亡くなっており、その実をこの地に蒔くと目を出したのが『』であったことからと伝えられているといいます。

 橘寺 は正式には仏頭山上宮皇院菩提寺で、聖徳太子の家系の菩提寺で、本尊は聖徳太子としています。寺伝によれば、推古天皇14年(606)、勅命により聖徳太子が御殿を改造して創建したといわれ、広大な境内に金堂、講堂、五重塔などがならび、多くの堂搭坊舎をもつ大寺院で聖徳太子建立の七ヶ大寺院のひとつに数えられたといいます。しかし、再三の兵火により伽藍のほとんどは焼失し、現在の伽藍は幕末に再建されたもので、宗派も法相宗から天台宗となり延暦寺の末寺といいます。

 ヒガンバナが縁取りをなしているのどかな棚田の上に伽藍をならべる橘寺、山門をくぐると鐘楼の横にはおおきな銀杏の木が青空に向かってそびえ立っています。

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     橘寺全景

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                                    花びら形の心礎が残る五重塔跡

 境内では芙蓉や紫式部などの花が訪れる人の目を楽しませてくれています。五重塔跡や金堂跡に面影を偲びながら参道を進むと、聖徳太子の愛馬・黒駒の銅像を前に太子殿と呼ばれる本堂が建ち、堂内には太子の彫像としては最古のものとされる35歳の像が本尊として安置されています。

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    愛馬・黒駒の銅像                    太子35歳像を安置する太子堂(本堂)

 その他境内には六臂如意輪観世音菩薩が安置されている観音堂、護摩堂、経蔵、本坊、往生院、地蔵菩薩、日羅上人像などが収蔵されている収蔵庫などの建物が建っています。

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    観音堂                           護摩堂

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    経蔵                             収蔵庫

 阿弥陀三尊を本尊とする往生院は近年再建されたものといいますが、鮮やかな色彩を放つ花の格天井は見たことのない極楽浄土を連想させてくれます。

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    往生院 

 また本堂のかたわらには、大きな自然石に人面を刻んだ石があります。これは飛鳥時代の石造物のひとつで、人の心の善悪二相を表したものといわれ、二面石と呼ばれています。

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                      人の心の善悪二相を表した二面石

 境内には他にも、太子が造ったといわれる阿字池、太子が勝鬘経講讚の時に降ったといわれる蓮の花を埋めた蓮華塚など聖徳太子の伝説にまつわる遺物が残されています。

    橘寺10 阿字池

 境内からは 川原寺跡 を望むことができます。川原寺は斉明天皇が営んだ飛鳥川原宮を寺にしたと伝わり、礎石などの遺構から中金堂を中心に搭、西金堂、中門、講堂などが配置された大寺として飛鳥四大寺のひとつとされていますが謎も多いようです。現在川原寺跡には中金堂跡に建てられた弘法大師ゆかり寺 弘福寺(ぐふくじ) が建っています。

   橘寺2
     川原寺跡に建つ弘福寺

 明日香は国を揺るがす政変や謀略もあった地ですが、橘寺から望む川原寺跡はそのことさえも忘れ去られたようなのどかな田園風景の中にありました。


飛鳥の里 1 ~ ヒガンバナに誘われて ~

 秋のお彼岸の頃になると突然茎をのばし、畦道や草叢の中で存在を示す ヒガンバナ 『曼珠沙華』とも呼ばれるヒガンバナは異名も多く地獄花、死人花、幽霊花・・・など日本では不吉であると忌み嫌われることもありますが、『天上の花』という意味も持っているといいます。真っ赤なヒガンバナが、野火のように広がる光景を目にすると秋の訪れを感じ、足を運んでみたくなります。 『日本の心の故郷』と紹介される明日香村は関西ではよく知られたヒガンバナの群落地,、秋の一日、ヒガンバナに彩られた飛鳥の里を訪ねてきました。

 奈良県の中央部付近に位置する明日香村は中央集権律令国家の誕生の地であることから、飛鳥の里には多くの古墳、石造物や宮殿跡が点在しています。

 高松塚古墳 は日本で初めて本格的な極彩色の壁画が発見された古墳として知られています。古墳周辺は国営飛鳥歴史公園として整備され、古墳に隣接する高松塚壁画館では出土した埋葬品とともに壁画が原寸・原色で再現されており、鮮やかな壁画を見ることができ、その美しさに感動します。また、公園内の散策路ではヒガンバナや萩などとともに珍しいナンバンギセルがススキの足元で寄り添うようにピンクの花を咲かせていました。

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    高松塚古墳                       国営飛鳥歴史公園で咲くナンバンキセル

 高松塚古墳から北東方面に進むと黄金の稲穂に混じって白い蕎麦の花が風に揺れるのどかな風景に思わず足を止めて、懐かしい風景を堪能し、先を進むとその姿形から 亀石 と呼ばれている石があります。この石には『亀石伝説』といわれるものがあります。昔、大和の国に多くな湖があった頃、当麻と川原の二つの集落が水をめぐって争い、当麻が勝利。そのとばっちりを受け、棲んでいた亀が全滅、供養のため亀石が造られたが、怨みは治まらず、当麻の方向に(西)顔が向けば大和盆地は大洪水になるというもの。

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    そばの花                         亀石

 のどかな田園風景が続く飛鳥の里、心地よい風を感じながら進むとヒガンバナの群を生して咲く風景が・・・

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 青く澄んだ秋晴れの空に向かって咲くヒガンバナ、何処にもある風景なのになぜか飛鳥の里に咲くヒガンバナの風景は懐かしい日本の原風景を思い出させてくれます。

 国の特別史跡 石舞台古墳 は飛鳥最大の古墳で、石室がむき出しなったとされる巨石に不気味さを感じます。被葬者はこの地が蘇我馬子の庭園跡であったことから馬子の墓との説が有力といいます。整備された周囲には季節の草木が植えられ石舞台に彩りを添えています。

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    石舞台古墳                        舞台を彩るススキと萩

 多くの石造物が点在する飛鳥にあってなんとも恐ろしい名前の石造物が 鬼の俎鬼の雪隠 その形から呼ばれてきたそうですが、奇妙な名の由来は、昔、あたりに棲む鬼が、旅人を見かけると霧を降らせ、迷ったところを捕まえ、俎で料理し、雪隠で用を足したという伝説からといいます。

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    鬼の俎                          鬼の雪隠

 飛鳥の地にはこうした謎の巨石や石造物をあちらこちらに点在しています。いつか読んで旅の本に、「用途はわからぬながら 憎めぬ表情を見せる石造物たち」とあったことを思い出し、飛鳥の里の歴史ロマンにより一層の興味がわいてきました。


 

長弓寺 ~ 親子の悲劇から生まれた古刹 ~

 奈良県生駒市の富雄川沿いにある 長弓寺(ちょうきゅうじ) は聖武天皇がこの地で狩りをしていた時、供の小野真弓長弓が子の長麻呂の放った矢が誤って長弓に当り絶命。その不運を哀れんだ天皇は行基に命じて寺を建立させ、行基は十一面観音を安置し創建したと伝わる古刹。その後、延暦年間に藤原良継によって再興され、中世には隆盛するも応仁の乱の際に山名宗全方の落人により寺宝をことごとく破壊され、さらに天正5年(1577)に織田信長に寺領を没収され多くの建物を焼失、盛時には20院あったとされる塔頭が現在は4院が残っているのみです。

 真弓山橋を渡り、小さな山門をくぐると左手には宝光院地蔵堂が建っています。

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   真弓山橋                           宝生院地蔵堂

 真っすぐに伸びて参道を進めば池があり、その上の小高くなった所に阿弥陀如来を本尊とする薬師院、不動明王を本尊とする円生院、愛染明王を本尊とする法華院が建っています。これらの塔頭は住職のいない本寺の本堂を輪番制で護持しているといいます。

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    薬師院                           円生院

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    法華院                           伊弉諾神社  

 そして薬師院と円生院の間にある石段を上れば長弓寺本堂が建っています。

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 弘安年(1279)に建立されたという建物は入母屋造りで、檜皮葺の屋根の優美な曲線は今にも天に舞い上がろうと翼を広げる鳥の姿を連想させ、和様を主体に大仏様、唐様が混用された細部も調和がとれてた美しく国宝に指定されています。深い緑の木々を背後にひっそりと佇む本堂に訪れている人はなく、心ゆくまでその優美な姿を堪能 

   長弓寺9

 隠れたアジサイの名所で知られる境内には神仏混交の名残りを残す鎮守・伊弉諾神社、まゆみの鐘と呼ばれる梵鐘、石仏、宝蔵などがあります。

 静寂な中に佇む長弓寺は知る人ぞ知る名刹、季節をかえてこの優美な本堂をまた訪ねてみたいと思います。

 

久米寺 ~ 『今昔物語』で知られる久米仙人建立と伝わる聖徳太子ゆかりの寺 ~

 奈良県橿原市にある 久米寺 は『今昔物語』などで知られる 久米仙人 が建てたとも、また聖徳太子の弟来目皇子が開基したとも伝わる寺院。

 伝説上の人物とされる久米仙人は吉野山の竜門寺に籠り、飛行術などの神通力を習得し、この術を使って空を飛んでいた時、川のほとりで洗濯をしていた若い女性の白い脛に見とれて神通力を失い墜落、そしてその女性を妻にしましたが、術を失えばただの凡人で生活が困窮。すると間もなく高市郡に都が移されることになり、宮殿建造のための人夫として材木を運搬する仕事をしていると、仙人であることを知った役人が大勢の人夫の前で揶揄したため、それに発憤し、7日7夜の修行の後、飛行術を取り戻すことができ、この飛行術をもって巨木を空運させ、スムーズに建造が進んだといいます。そしてこの不思議な出来事を耳にした天皇は褒美として、免田30町を久米仙人に賜り、その地に建立したのが 久米寺 といわれています。その後仙人は一切衆生の中風と下の病を除くために本尊の薬師如来に諸願を立て、中風除けの竹の箸を作り、自らの頭髪と歯を用いて作った自分の像を納めたとされています。一方、来目皇子の説は来目皇子が眼病を患った際、兄の聖徳太子の勧めで薬師如来に祈願したところ、満願の日に天から25菩薩とともに薬師如来が降臨し眼病が癒えたので、皇子はこの薬師如来を本尊に伽藍を建立、皇子の名を取り『来目の精舎』と呼ばれ、この由緒から眼病に霊験があるとして信仰を集めたといわれています。

 橿原神宮駅から西に5分程歩くと久米寺の山門が見えてきます。かつては相当な大伽藍を誇ったとされるように山門を入ると大塔跡に大きな礎石が残されています。

  久米寺1  久米寺2
    山門                            大塔礎石

 蝉しぐれに包まれた境内には幾つもの毘沙門天や地蔵などの石仏が並び、樹木に囲まれた中に多宝塔がそびえています。この多宝塔は江戸時代に京都の仁和寺より移築したもので、もとの多宝塔は養老2年(718)にインドから来朝した善無畏三蔵によって建立され、仏舎利と大日経が納められていたと伝えられているそうです。弘法大師空海はこの寺に詣でてこの多宝塔の『大日経』を知り、密教の妙義を学ぶために入唐して修行、帰国後真言宗を開いたことから久米寺は『真言宗発祥の地』ともいわれています。

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    多宝塔                           修行大師の像

 江戸初期の本堂には本尊薬師如来像や久米仙人坐像が安置されています。

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 境内には阿弥陀堂、観音堂、大師堂、三宝荒神堂などが建ち、桜、雪柳、ツツジ、アジサイの花木なの花木や草花が植えられ広い境内に色を添えています。特にアジサイは有名でアジサイの寺として知られています。

  久米寺4  久米寺6
    久米仙人像                        阿弥陀堂

  久米寺8  久米寺10
    大師堂                           三宝荒神堂

 歴史と伝説に満ちた久米寺、境内の片隅で往時を偲び、また訪れる機会があるならば桜が見頃な頃に訪れたいと・・・



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