大神神社 ~ 古代信仰のかたちを今に伝える日本最古の神社 ~

 大物主大神が日本の国つくりのために、御魂を鎮めた三輪山は神々が宿る神聖なる山『神奈備(かんなび)』として、古くから崇められてきた山。その三輪山をご神体とする 大神神社 は数ある神社の中でも最古のもののひとつに数えられています。山そのものをご神体とするため本殿はなく、拝殿から3本の鳥居を組み合わせた独特な形の三ツ鳥居を通して三輪山を拝するという古代の祀りの様が伝えられています。

 大鳥居越しに神々しい三輪山を拝しながら参道を進むと二の鳥居があり、その先に古木に覆われた参道には木漏れ日がさし込み、進むにつれ、次第に身も心も清められていくような・・・厳粛な空気に包まれています。

  大神神社1  大神神社2
    大鳥居と三輪山                     二の鳥居
  
 石段を上り、2本の柱に大きな注連縄を渡した鳥居をくぐると、三輪山を背に徳川家綱が寄進したという拝殿が建っています。

   大神神社4

 拝殿の奥にある三ツ鳥居は中央に扉をもつ、大神神社以外には見られない珍しい形式で、その鳥居の奥は宮司といえども立ち入ることの許されいない禁足地といいます。

 『三輪明神』『三輪さん』と親しまれる大神神社は、謡曲『三輪』の舞台になったところです。平安時代の初め、三輪山の麓に住んでいた僧・玄庵がいつも参詣に来る女性を待っていると、ある日、その女性は衣を貸して欲しいというので貸し、その素姓を尋ねると、杉が目印と住かを教え消えてしまう。里の男が御神木に衣が掛るのを見つけ玄寶に知らせ、確かめると衣裾に歌が書かれていて、その歌を詠むと杉の木の中から返歌が聞こえ、三輪明神が姿を現すし、伊勢と三輪の神は一体分神と語ったというストーリー。境内には、その衣が掛けられていたという『衣掛杉』があります。

          大神神社4  衣掛杉 

 そして、大神神社から北に15分くらい歩いた山の辺の道沿いには玄寶が隠棲した庵があります。ひなびた庵は自然を残す庭と一体化して風情を感じます。 

  大神神社6  大神神社7
                              玄寶庵

 また、境内には、『巳の神杉』と呼ばれる大きな杉の木がありますが、この杉には神の使いの蛇が棲むといわれお供えの御神酒と卵が途切れることがないとか。酒神としても有名な大神神社、造り酒屋の軒先でゆれる『杉玉』は三輪山の杉にあやかったといわれています。

  大神神社5

 古来より国つくりの神として、生活全般の守護神として崇められている 大神神社 神話や伝説を宿す境内は今もどこかに古人が潜んでいるような・・・神秘的であり神々しい神社でした。


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長岳寺 ~ 山の辺の道に佇む弘法大師創建の花の寺 ~

 三輪山の南麓から春日山の麓まで山裾をぬうように通じていた道、それが世にいう 山の辺の道 は、日本最古の道といわれ、道沿いには1500余りの古墳や古社寺が点在しています。天理市柳本町にある 長岳寺(ちょうがくじ) もそのひとつ。釜口山の山麓にあることkら『釜の口のお大師さん』とも呼ばれる寺は、9世紀に淳和天皇の勅願により弘法大師が 大和神社 の神宮寺として創建した古刹で、盛期には48坊を数えたといいます。今なお、いにしえの面影が漂う境内には四季折々の花が咲き、参拝者を安らぎの世界に誘ってくれます。

 山の辺の道から境内に入り、大門をくぐると少しく下り坂になった参道の両側には、ほころび始めたヒラドツツジの生け垣が続きます。

  長岳寺1  長岳寺2
    大門                            参道のヒラドツツジ

 参道に敷かれた玉砂利を踏みしめながら進むと、ピンクの絨毯のような花びらが広がる横に、旧地蔵院の門が建っています。現在は庫裏として使われている旧地蔵院は、48坊あった塔頭のうち唯一残る建物といいます。唐門風の入口を入れば、室町時代の様式を残す書院造りの建物の奥に普賢延命菩薩像が安置され、前には同じ時代に造られたという趣きある庭園が広がっています。

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                                   旧地蔵院

   長岳寺5

 旧地蔵院を後に再び参道に出れば、正面に日本最古の鐘楼門といわれる門が建っています。創建当初唯一の建物といわれる重厚な造りの門の奥には放生池を前に本堂が建っています。

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    鐘楼門                           放生池に映る本堂

 江戸時代に再建されたという本堂には阿弥陀三尊像、多聞天・増長天が安置されています。阿弥陀如来像は目の部分にガラスや水晶を用いる『玉眼』の手法を使った日本最古の仏像といい、台座の上で片足を組み、もう片方はぶらりと降ろした座り方をしている観世音・勢至菩薩も個性的で、その堂々たる風格に圧倒されます。また、多聞天・増長天は藤原時代の作でありながら、今だ色彩が残り、厳めしく阿弥陀三尊を守護しています。

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    本堂                            大師堂

 そして本堂から少し奥に行くと大師堂が建っています。弘法大師創建の寺である境内には来大師像や八十八の小堂が置かれた八十八カ所道がありあちこちで弘法大師を偲ぶことができます。

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    大師像                           鐘楼  

 本堂前に広がる池泉式庭園を散策すれば、八重桜の花びらが地面に広がり、新緑が広がる頭上からは初夏を思わせる光がふりそそぎ、風にのってヒラドツツジが甘い香りを漂わせてきます。

  長岳寺12 長岳寺14
    十三重石塔

 また、この寺から西に1㌔ほど行った飛地境内には長岳寺五智堂が建っています。大日如来に見立てた丸い心柱の上に屋根を付けた珍しい建物で、傘堂や真面堂とも呼ばれ親しまれています。

     長岳寺13 五智堂

 境内の植えられたさまざまな花と歴史を語る仏像、そして足元の置かれた古き石仏たち・・・そのどれもが訪れた人の心を癒やし、安らぎをもたらしてくれる 長岳寺 いつかまた訪れたいと思います。

 

飛鳥の里 3 ~ 岡寺 日本最初の厄除霊場 ~

西国三十三カ所第七番札所 岡寺 は日本最初の厄除け霊場として知られる古刹で、天智天皇の皇子・草壁皇子の住まいであった岡宮を下賜された義淵が創建したと伝わっています。開祖の義淵僧正は、東大寺の初代別当・良弁僧正や大仏建立の立役者・行基や玄昉、道鏡等の高僧・名僧を育てた奈良時代の仏教を興隆した先駆者の師として知られています。岡寺の正式名称は 龍蓋寺(りゅうがいじ) で、寺の近くに畑を荒らす龍がいて困っていたところ、義淵の法力によって小池に閉じ込め、大石で蓋をしたという伝説からとられているとのこと。こうした伝説はやがて信仰に発展、さらにそれまでの観音信仰に厄除け信仰が加わり、日本初の厄除け霊場が形成されたといいます。

 多武峰の西麓に位置する岡寺、急な坂道をのぼって行くと朱塗りの仁王門が目に盃ってきます。仁王像が迎えてくれる門をくぐり、キンモクセイの香りが漂う石段を上れば、絵日傘が並べられ秋の陽を浴びて境内に彩りを添えています。

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    仁王門                           秋の陽ざしに映える絵日傘

 山の斜面を背に書院、本坊、開山堂が並び、厄除鐘と呼ばれる鐘楼堂を過ぎると観音霊場らしい落ち着きのある本堂が建っています。

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    鐘楼堂                           開山堂

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    本堂                            龍王願い珠がかけられたモチノキ

 本堂の中央には空海が造ったとされる日本最大最古の塑像の如意輪観音座像が安置されています。高さ5メートル近くもある巨大な仏像はまじかで見るとその迫力に圧倒されます。西国三十三カ所観音霊場の札所となる以前から観音霊場であったといわれる岡寺の観音さまです。

 そして本堂の前には義淵が龍を封じ込めたという『龍蓋池』がありますが、想像していたものよりもかなり小さくで驚きました。

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    龍蓋池                           奥の院石窟

 龍蓋池から樹木の生い茂る道を進むと奥の院石窟があります。この石窟の中には義淵が悪霊を祈願した弥勒菩薩が祀られています。

 岡寺は花の寺としても知られているところで、奥の院から義淵僧正廟所に続く参道は『シャゥナゲの道もみじのトンネル』と呼ばれように紅葉が続き、出番を待っています。

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    義淵僧正廟所                      三重塔 

 三重塔は境内でも高い位置ににあり、眼下には本堂をはじめとする堂宇、そして飛鳥の里を一望することができます。

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     三重塔付近から見た境内

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     飛鳥の里

 ここから眺める飛鳥はたおやかな山々に囲まれ、のどかな田園が広がる里・・・万葉の風がそこはかとなく漂う里は至る所で史跡に出会え、ロマンあふれるところであることを改めて感じ、飛鳥の里にまた来たいという思いが募りました。

 

飛鳥の里 2 ~ 橘寺 聖徳太子ゆかりの古刹 ~

 大和朝廷発祥の地である明日香・橿原。天皇が住まわれ、政事を営んだ宮の跡はあちらにもこちらに点在しています。推古天皇の摂政としてかずかずの改革をおこなった聖徳太子もこの地で誕生されたといわれています。聖徳太子が誕生されたと伝わる 橘寺 の地は欽明天皇の別宮・橘の宮があったところで、ここで幼少期を過ごしたともいわれています。またこの地が橘と呼ばれているのは、垂仁天皇の時代、勅命によりトコヨの国に不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、長い間苦労して求めた秘薬を持ち帰ったところ、天皇は既に亡くなっており、その実をこの地に蒔くと目を出したのが『』であったことからと伝えられているといいます。

 橘寺 は正式には仏頭山上宮皇院菩提寺で、聖徳太子の家系の菩提寺で、本尊は聖徳太子としています。寺伝によれば、推古天皇14年(606)、勅命により聖徳太子が御殿を改造して創建したといわれ、広大な境内に金堂、講堂、五重塔などがならび、多くの堂搭坊舎をもつ大寺院で聖徳太子建立の七ヶ大寺院のひとつに数えられたといいます。しかし、再三の兵火により伽藍のほとんどは焼失し、現在の伽藍は幕末に再建されたもので、宗派も法相宗から天台宗となり延暦寺の末寺といいます。

 ヒガンバナが縁取りをなしているのどかな棚田の上に伽藍をならべる橘寺、山門をくぐると鐘楼の横にはおおきな銀杏の木が青空に向かってそびえ立っています。

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     橘寺全景

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                                    花びら形の心礎が残る五重塔跡

 境内では芙蓉や紫式部などの花が訪れる人の目を楽しませてくれています。五重塔跡や金堂跡に面影を偲びながら参道を進むと、聖徳太子の愛馬・黒駒の銅像を前に太子殿と呼ばれる本堂が建ち、堂内には太子の彫像としては最古のものとされる35歳の像が本尊として安置されています。

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    愛馬・黒駒の銅像                    太子35歳像を安置する太子堂(本堂)

 その他境内には六臂如意輪観世音菩薩が安置されている観音堂、護摩堂、経蔵、本坊、往生院、地蔵菩薩、日羅上人像などが収蔵されている収蔵庫などの建物が建っています。

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    観音堂                           護摩堂

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    経蔵                             収蔵庫

 阿弥陀三尊を本尊とする往生院は近年再建されたものといいますが、鮮やかな色彩を放つ花の格天井は見たことのない極楽浄土を連想させてくれます。

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    往生院 

 また本堂のかたわらには、大きな自然石に人面を刻んだ石があります。これは飛鳥時代の石造物のひとつで、人の心の善悪二相を表したものといわれ、二面石と呼ばれています。

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                      人の心の善悪二相を表した二面石

 境内には他にも、太子が造ったといわれる阿字池、太子が勝鬘経講讚の時に降ったといわれる蓮の花を埋めた蓮華塚など聖徳太子の伝説にまつわる遺物が残されています。

    橘寺10 阿字池

 境内からは 川原寺跡 を望むことができます。川原寺は斉明天皇が営んだ飛鳥川原宮を寺にしたと伝わり、礎石などの遺構から中金堂を中心に搭、西金堂、中門、講堂などが配置された大寺として飛鳥四大寺のひとつとされていますが謎も多いようです。現在川原寺跡には中金堂跡に建てられた弘法大師ゆかり寺 弘福寺(ぐふくじ) が建っています。

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     川原寺跡に建つ弘福寺

 明日香は国を揺るがす政変や謀略もあった地ですが、橘寺から望む川原寺跡はそのことさえも忘れ去られたようなのどかな田園風景の中にありました。


飛鳥の里 1 ~ ヒガンバナに誘われて ~

 秋のお彼岸の頃になると突然茎をのばし、畦道や草叢の中で存在を示す ヒガンバナ 『曼珠沙華』とも呼ばれるヒガンバナは異名も多く地獄花、死人花、幽霊花・・・など日本では不吉であると忌み嫌われることもありますが、『天上の花』という意味も持っているといいます。真っ赤なヒガンバナが、野火のように広がる光景を目にすると秋の訪れを感じ、足を運んでみたくなります。 『日本の心の故郷』と紹介される明日香村は関西ではよく知られたヒガンバナの群落地,、秋の一日、ヒガンバナに彩られた飛鳥の里を訪ねてきました。

 奈良県の中央部付近に位置する明日香村は中央集権律令国家の誕生の地であることから、飛鳥の里には多くの古墳、石造物や宮殿跡が点在しています。

 高松塚古墳 は日本で初めて本格的な極彩色の壁画が発見された古墳として知られています。古墳周辺は国営飛鳥歴史公園として整備され、古墳に隣接する高松塚壁画館では出土した埋葬品とともに壁画が原寸・原色で再現されており、鮮やかな壁画を見ることができ、その美しさに感動します。また、公園内の散策路ではヒガンバナや萩などとともに珍しいナンバンギセルがススキの足元で寄り添うようにピンクの花を咲かせていました。

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    高松塚古墳                       国営飛鳥歴史公園で咲くナンバンキセル

 高松塚古墳から北東方面に進むと黄金の稲穂に混じって白い蕎麦の花が風に揺れるのどかな風景に思わず足を止めて、懐かしい風景を堪能し、先を進むとその姿形から 亀石 と呼ばれている石があります。この石には『亀石伝説』といわれるものがあります。昔、大和の国に多くな湖があった頃、当麻と川原の二つの集落が水をめぐって争い、当麻が勝利。そのとばっちりを受け、棲んでいた亀が全滅、供養のため亀石が造られたが、怨みは治まらず、当麻の方向に(西)顔が向けば大和盆地は大洪水になるというもの。

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    そばの花                         亀石

 のどかな田園風景が続く飛鳥の里、心地よい風を感じながら進むとヒガンバナの群を生して咲く風景が・・・

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 青く澄んだ秋晴れの空に向かって咲くヒガンバナ、何処にもある風景なのになぜか飛鳥の里に咲くヒガンバナの風景は懐かしい日本の原風景を思い出させてくれます。

 国の特別史跡 石舞台古墳 は飛鳥最大の古墳で、石室がむき出しなったとされる巨石に不気味さを感じます。被葬者はこの地が蘇我馬子の庭園跡であったことから馬子の墓との説が有力といいます。整備された周囲には季節の草木が植えられ石舞台に彩りを添えています。

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    石舞台古墳                        舞台を彩るススキと萩

 多くの石造物が点在する飛鳥にあってなんとも恐ろしい名前の石造物が 鬼の俎鬼の雪隠 その形から呼ばれてきたそうですが、奇妙な名の由来は、昔、あたりに棲む鬼が、旅人を見かけると霧を降らせ、迷ったところを捕まえ、俎で料理し、雪隠で用を足したという伝説からといいます。

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    鬼の俎                          鬼の雪隠

 飛鳥の地にはこうした謎の巨石や石造物をあちらこちらに点在しています。いつか読んで旅の本に、「用途はわからぬながら 憎めぬ表情を見せる石造物たち」とあったことを思い出し、飛鳥の里の歴史ロマンにより一層の興味がわいてきました。


 
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