北京紀行 6 ~ 街を歩く 繁華街の風景 ~

 北京市内にも繁華街と呼ばれるエリアがいくつもあります。北京を訪れる観光客が必ず足を運ぶといわれる 王府井・東単(ワンフーチン・ドンタン) は清朝時代から名をはせている繁華街。王府とは皇族の屋敷のことで、その屋敷の中に井戸があったことから『王府井』と呼ばれるようになったといいます。メインストリートとなっている歩行者天国の『王府井大街』には近代的なビルが立ち並び、流行最先端のショップや飲食店は多くの人でにぎわい、何処の大都会と変わらぬ喧騒が繰り広げられています。

  王府井2  王府井1
   王府井大街で存在感を示す北京百貨大楼     王府井小吃街入口

 その王符井大街から少し脇道に入ると『王府井小吃街』と呼ばれる清朝時代を模した屋台街があります。名物となっている生きたまま串に刺し揚げたサソリの串揚げをはじめとする軽食の屋台が並び地元民や観光客で賑わう通りは活気に包まれ、そこには年齢や国内外の違いを超えた風景が繰り広げられていました。

   王府井3
     賑わう王府井小吃街の屋台

 観光用の路面電車が走る 前門大街 は紫禁城(故宮)のいちばん南側にある正門・前門(正陽門)の前にはそびえる『箭門』の前に広がる繁華街。

  王府井5  王府井4
    前門大街入口にたつ正陽橋             箭門

 清朝代から繁華街だったとうい街は北京オリンピックを前にリニューアルされ、街路樹が通りを覆い、レトロ風に改築された建物がおしゃれな雰囲気をつくりだしています。

  王府井7  北京・前門
                              前門大街

 一方、リニューアルされた前門大街のなかほどから西に延びる『大柵欄街』には、清朝代から続く老舗が建ち並び、昔ながらの装飾をほどこした建物が残されています。

  王府井8  王府井10
    老舗が集まる大柵欄入口               脇道を入るとひっそりとして胡同が
 
   王府井9
     昔ながらの風情を残す老舗店

 この界隈では昔ながらの姿を残す老舗とレトロ風に改築した建物に最先端ショップが同居する両方を見ることができます。

 そして、ハイセンスな夜の町として知られるようになったのが『三里屯』です。各国の大使館が建ち並ぶエリアで、ここにはユニクロやアップルストアといった若者たちの人気のショップも多く、おしゃれな複合ビルも数多く建っています。

  王府井11  王府井12
    三里屯の夜空にそびえるホテル           街角で路上ライブをする若者たち

 新しい北京と昔ながらの風情を残す北京、今回はその両方が堪能できた素晴らしいものとなり、大満足で旅を終了しました。

スポンサーサイト

北京紀行 4 ~ 世界遺産を巡る 万里の長城 ~

 『世界7大奇跡』のひとつに数えられる 万里の長城 は北京市の北部を東から西に横たわる世界最大・最長の巨大建造物として知られ、多くの歴史家や詩人がその姿を『』に例えてきました。北方騎馬民族の侵入を防ぐ目的で造られた長城の始まりは紀元前からといわれており、司馬遷の『史記』に長さを『万里余』と記されたことが名の由来で、現存するももの大部分は明時代造営されたもので、その総延長は約6000㌔といいます。

 故宮とともに、北京観光で一度は見ておくべきスポットといわれる万里の長城ですが、今回は一番観光地として整備されている 『八達嶺長城』をめざしました。

 北京市内から約1時間、その途中には北京市内から一番近い『居庸関長城』があります。ここは古くから防衛の要所であったところ。急斜面の尾根伝いに長城が築かれているのが見え、少し不安が・・・

   万里の長城1

 さらに奥にバスが進み、八達嶺長城の入口に。

  番地の長城2  万里の長城3
    観光客で賑わう八達嶺                長城への入場口

 入口を入ると北側の山沿いに延びる緩やかなルートの通称・『女坂』、南側の山沿いに延びる傾斜のきつい階段が続くるーとの通称・『男坂』ふたつのルートに分かれています。まずは風景を見るために少しだけ南側のルートを登ってみました。南一楼から見た風景は雄大で、これからめざす長城への期待が・・・

   万里の長城4

 そして、女坂から多くの人が目標地とする北四楼をめざして歩き足元は、石がすり減っていたり、くぼみになっていたのかなりのでこぼこ道。手すりも少ないので転ばないように下ばかり見つめてひたすら上を目指すことに。息継ぎのために立ち止まりあたりを見回すと延々と続きく長城の壁に底知れない中国の壮大さを感じてきます。

  万里の長城5 万里の長城7
    石畳の道                        城楼

  万里の長城6  万里の長城8
    民族衣装の観光客                  楼閣内  

   万里の長城14

 長城は山岳地帯に築かれていることもあって風も強く、体感気温も低めで休憩していると肌寒さを感じます。そして、楼閣での休憩を終え見上げる長城の傾斜はかなりのもの、一足一足地面を踏みしめて北四楼をめざします。

  万里の長城9  万里の長城10

 かなりの勾配に生きも切れ切れながら辿り着いた北四楼、待っていたのは雄大な万里の長城の風景。晴れ渡った空の下、山の斜面に続く壁、それが2万㌔以上もあるという壮大さは驚きより圧倒 

  万里の長城12  万里の長城11

   万里の長城13

 いつも中国に来て思うことはスケールの壮大さと歴史の深さ。万里の長城ではいつも以上にそのスケールの大きさを感じ、人間の偉大さを感じてしまいました。

北京紀行 3 ~ 世界遺産を巡る 頤和園 北京の皇帝の庭園 ~

 北京最大の皇族園林(皇帝とその一族の庭園)である 頤和園(いわえん) は万寿山とその南に広がる昆明湖の総称で、その面積は約290万㎡といいます。そのうち昆明湖が全体の4分の3を占め、背後の山を庭園の風景に取り入れた巨大なスケールを持つ庭園で、世界遺産に登録されています。

 1750年に乾隆帝が母親の長寿を祝って造営をした庭園が前身当初は『清漪園(せいいえん)』と呼ばれ、乾隆帝の全盛期に造営された『三山五園(円明園、暢春園、静宜園、静明園)』とともに広大な離宮の一部となっていまいたが、1860年に英仏連合軍に破壊されたため、咸豊帝の側妃であった西太后が再建し、「頤養沖和(穏やかさを養う)」という言葉からとって『頤和園』と名づけたといいます。国家防衛費に支障をきたすような膨大な費用で再建された頤和園は、1900年再び8カ国連合軍によって破壊されてしまいましたが、西太后にとって愛着のある頤和園は1902年に再建され、現在にその姿が伝えられています。

 広大な頤和園は政務と居住の『宮殿区』 昆明湖の北岸一体の『海岸区』 頤和園の中心となる『万寿山区』 万寿山の北側の『后山・后湖区』 頤和園の大部分を占める『昆明湖区』の5つのエリアに区分されています。

 頤和園の正門である『東宮門』、門の上には光緒帝が書かれたという『頤和園』の扁額が掲げられています。

   頤和園1

 東宮門を入り、『仁寿門』をくぐると鳳凰や麒麟の銅像を前に皇帝が政務を執った『仁寿殿』が建っています。殿内の後方に立てられている屏風には書体の異なった『寿』の『文字』が書かれており、その数が226個にはビックリです。

  頤和園2  頤和園3
    仁寿門                           仁寿殿                        

 仁寿殿の後には光緒帝の居所であった『玉瀾堂』、光緒帝の皇后の居所であった『宣芸館』、西太后が暮らした『楽寿堂』などの建物が並んでいます。中でも昆明湖に面した楽寿堂は大規模な建物で、四隅に置かれた桃の香炉などを見ているうちに、逢ったこともない西太后の姿が浮かんできて、権力の恐ろしさを感じてしまいました。

  頤和園4  頤和園5
    玉瀾殿                           楽寿堂

 頤和園でもっとも多くの人で賑わっているのが『海岸区』にある『長廊』で、昆明湖の北岸に沿って建てられている回廊の長さは728m、柱間は273間あるといいます。

  頤和園7  頤和園8
    長廊の入口『邀月門』                  728mの長廊

 19世紀末に再建された長廊の梁には花鳥画、風景画、歴史画などが極彩色で描かれています。中には日本で馴染みある『三国志』や『水滸伝』などもありました。また途中には、留佳亭、寄瀾亭、秋水亭、清遥亭という八角形の亭が設けられていますが、これらは四季を表したものといいます。

  頤和園12 頤和園10

  頤和園11  頤和園9

 回廊に沿うように樹木や花なども植えられ、回廊の縁に腰を下ろし昆明湖にある南湖島と東岸を結ぶ『十七孔橋』を眺める人など、それぞれに頤和園の風景を楽しんでいます。

  頤和園13  頤和園15
    長廊から昆明湖を眺める人々            十七孔橋

 頤和園内にある『万寿山』は乾隆帝の命によって昆明湖を造った際の土砂で築いたという伝承が伝えられていますが、実際は自然の山で、その中腹には頤和園のシンボルともいえる『仏香閣』が建っています。また山頂にはチベット仏教式建築の『智慧海』の建物があります。今回は下からの眺望のなりましたが、その姿は壮観

   頤和園14
 
 広大な敷地に点在する建物や風景は見どころ満載の 頤和園 いつかまた機会があれば今回見れなかったエリアを回ってみたいと思います。

   頤和園6
     長廊、仏香閣、昆明湖が見渡せるスポット     

                      

北京紀行 2 ~ 世界遺産を巡る 天壇: 北京の皇帝の廟檀 ~

 天壇 は明、清時代の皇帝が五穀豊穣を願って祭祀を行った場所で、現存する中国最大の祭祀建造物といわれ、世界遺産に登録されているひとつです。広大な緑豊かな公園のなかに、『圜丘』 『皇穹宇』 『祈念殿』が南北一列に整然と並んでいます。大地を象徴する南端は方形、天を象徴する北端は半円形の壁で囲まれ、北側を高くすることで天地の世界を表現しているといいます。

 総面積273万㎡の広大な面積の中にある天壇、その天壇を代表する『祈念殿』ををめざして、東天門から中に入りました。市民の憩いの場所となっている天壇公園内には木漏れ日がさし込み、さわやかな風が木々の枝を揺らすのどかな風景が・・・木漏れ日を造りだしている木のひとつに『槐樹(エンジュ)』とともに北京の木になっている『コノテ柏』があります。ヒノキ科の植物であるコノテ柏は力強い生命力を持つ木で、北京の古い時代の分目のシンボルとして数多く植えられたといいます。その名の由来は、枝の直立する様子が、子供が手を上げる様子に似ていることからとか。ともあれ、その独特な幹に驚きです

   天壇1  
      木漏れ日に包まれた天壇公園

  天壇11  天壇2
    樹齢400年を超えるコノテ柏              七星石

 そして、『丹陛橋』を歩いて祈念門へ。天壇公園を南北に貫く丹陛橋の脇には皇帝が祭祀を行う際に着替えをした『具服台』も建っています。

  天壇3  天壇4
    丹陛橋                          具服台  

 『祈念門』を入ると目の前には大理石の基壇の上に瑠璃瓦の屋根をのせた堂々たる円形の建物が。木造建造物の建物は1420年に創建され、現在のものは1889年の焼失後に復元されたものといいます。建物を支える28本の柱にはそれぞれの意味があり、4本の柱は四季を、周りの12の金柱は12カ月を、そのほかの12の柱は12の時刻を表しているといいます。

  天壇5  天壇7
    祈念門                          祈念殿

   天壇6

 祈念殿の北側には祈念殿に祀られた神位の供養を行った場所に『皇乾殿』があります。大理石の台座の上に青い瑠璃瓦の屋根が光を浴びて鮮やかに輝いて見えます。

  天壇8  天壇9
    皇乾殿                           皇乾殿天井

                  天壇10
                    神厨

 天壇は見どころは比較的少なかったのですが、広大な敷地の中での散策は最高のひとときをもたらしてくれました。

                    

北京紀行 1 ~ 世界遺産を巡る 故宮(紫禁城) ~

 ユーラシア大陸の東部に位置し、ロシア、カナダに次ぐ国土面積を持つ中国。その首都である 北京 は上海に次ぐ第二の都市で人口は2000万を超え、高層ビルの立ち並ぶビジネス街では成長する北京に圧倒されます。また、元、明、清はじめ歴代王朝の都であった北京は多くの場所が世界遺産に登録されています。その世界遺産の幾つかをこの目で確かめたくて北京を訪れてきました。

 北京に行ったなら、一度は見るべきといわれる 故宮、 かつては 紫禁城 と呼ばれ、明、清の歴代皇帝と皇后が暮らしていた皇宮で、現在はその空間がそのまま『故宮博物院』として世界遺産になっています。600年を超える歴史をもつ故宮はオフシャルなスペースである『外廷』と皇帝一家のプライベートスペースの『内廷』のふたつのエリアに大別され、その中には大小の建物があり、部屋数は約9000ともいわれています。

 中国の象徴である 天安門 は故宮の外城壁南端に位置する正門で、その門の前には世界最大級といわれる巨大な『天安門広場』があります。広場の中央には人民英雄紀念碑が立ち、人民大会堂と中国国家博物館の建物が向かい合うように建っています。

  故宮1  故宮2
    天安門                         天安門広場の中央に立つ人民英雄紀念碑

 そして、故宮の正面入口である『午門』を入り、金水河と呼ばれる人造の川に架けられた内金水橋を渡って故宮の中心部へ。外朝の入口である『太和門』を入ると紫禁城の中心となる正殿『太和殿』が白大理石でできた三重の基台の上に建っています。その壮大な規模は圧巻です 屋根瓦は皇帝にのみ許された黄色の瑠璃瓦で覆われ、屋根の端には仙人、龍、獅子や麒麟などの想像上の動物が一列に並ぶ『走獣』という装飾が施されています。また正殿前には日時計、鶴亀の香炉などがいくつも置かれ、権力の偉大さがうかがえます。

  故宮3  故宮4
    午門                            内金水橋と太和門

   故宮5
     太和殿

 太和殿の奥に位置する『中和殿』は太和殿での大典(公式行事)に赴く皇帝がその前に休息を取る場所、その奥にある『保和殿』は大典の前に皇帝が衣装を替える場所であったといいますが、清代には宴が行われ、乾隆期以降は科挙の最終試験が行われたといいます。また、この保和殿の北側中央通路には故宮で最も秀逸な龍を刻んだ巨大な一枚岩のレリーフがあり、皇帝は輿に乗ってこの上を進んだといいます。

  故宮6  故宮7
    中和殿と保和殿                     保和殿の中央通路の一枚岩のレリーフ

 この保和殿で公の場である『外廷』が終わり、皇帝一家が実際に居住したスペースの『内廷』となります。その正門は『乾清門』は清代には皇帝が諸大臣の政務報告を受ける場所としても使われたといいます。

  故宮8  故宮9
    乾清門                           九龍壁

 広大な規模を持つ故宮、今回は内廷を省略して外東路側にある『寧寿宮区』に向かいました。出発点にある『九龍壁』、瑠璃装飾の壁に描かれた9匹の龍が描かれています。そしてその北面にある『皇極門』を入ると乾清宮を模して建てられたという『皇極殿』があります。建てられた当初は『寧寿宮』と呼ばれ、かの西太后の60歳の宴はここでも開かれたといいます。

   故宮10
     皇極殿

 皇極殿の奥には乾隆帝が居住するために造られたが一度も居住することがなかった『養性殿』、乾隆帝が退位後の寝宮となり、西太后も暮らしたことのある『楽寿堂』が建ち、養性門近くには京劇用の舞台『暢音閣』が建っています。

  故宮11  故宮12
    養性門                          暢音閣

  故宮13  故宮14
    楽寿堂                          頤和軒

 楽寿堂の奥にある『頤和軒』は乾隆帝即位後、休息場所として使われたといい、東西の壁には自らの著作である『西師詩』『開惑論』が刻まれています。また、その奥にある『景祺閣』は、清末の動乱の中で光緒帝妃の珍妃が投げ込まれた井戸があることで知られています。

  故宮15  故宮16
    乾隆帝の自らの著作                 珍妃井

 周囲を川と城壁に取り囲まれた故宮の総面積は約72万㎡、南の正門である午門と北の正門である神武門の間、南北一直線上に配置された皇帝の起居する殿閣の数々、そのすべてを見るのにはどれだけの時間を要するのだろうか・・・1日8万人の入場制限が行われているとう凄さにも驚きますが、その巨大さはそれ以上に驚きです

  故宮17  故宮18
    映画『ラストエンペラー』に登場した通路      神武門

 故宮の北門、神武門を出ると景山公園があり、園内の南側にある人工の築山の『景山』の頂上には万寿亭が立ち、亭内には仏像が祀られています。

   故宮19
     景山にある万寿亭

 その景山の山頂からは瑠璃瓦の輝く故宮の殿閣や北京市内の四方を見わたすことができます。そして、改めて故宮の壮大さを実感させられました。

   故宮20
     景山から見わたす故宮

                       
プロフィール

ポピーランド

Author:ポピーランド
FC2ブログへようこそ!

アクセスカウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR