小浜 みほとけの里を歩く 3 ~ 萬徳寺 名勝庭園を見下ろす本堂に安置された阿弥陀如来像 ~

 若狭国の最高峰・百里ヶ岳を源とする遠敷川、その川沿いの集落には奈良から平安時代創建の天台・真言宗の古刹が多くあります。小浜市金屋にある 萬徳寺 もそのひとつ。寺伝によれば、応安年間(1368~75)安芸国円明寺の僧覚応が、もとこの地にあった極楽寺を再興して『正照院』と改称、江戸初期、言現在の地に移され再興して『萬徳寺』と称したとのこと。萬徳寺は戦国時代若狭国守護大名武田氏の祈願所となり、国中の真言宗の本寺としての地位を与えられ、特に信豊は罪科を犯したものでもこの寺に入れば、俗世との縁が断ち切られ保護されるとする、駆け込み寺としての規定を与えられ、江戸時代になっても小花藩初代藩主京極高次や歴代藩主の祈願寺として崇敬されたといいます。

 道路から見上げる石段をのぼり、山門をくぐった右手に茅葺き屋根の書院が建っています。

  萬徳寺1  萬徳寺2
    山門                            茅葺きの書院

 江戸初期に造られたという書院は藩主の休憩所に供されていたといわれ、上段の間等も設けられています。書院の前には白砂が敷き詰められ、その奥に山裾を築山に利用した埋石式庭園が広がっています。国の名勝庭園に指定されている庭園は、金剛曼荼羅の庭園といわれ、中央に真言密教の本尊大日如来を表した巨石が置かれ、両脇の四個の庭石は阿閃如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来を意味し、斜面に置かれた多数の小石組みは諸仏が座る蓮台といいます。置かれた石の間には刈り込まれたツツジやサツキが植えこまれています。

   萬徳寺3
     書院庭園
  萬徳寺4  萬徳寺5

 日本紅葉百選にも選ばれている萬徳寺、庭園周辺には大小200本もの山モミジがあり、本堂に向かう苔生した石段にも新緑の美しいモミジが枝を伸ばして木漏れ日の参道をつくっています。
  
  萬徳寺6  萬徳寺7

 本堂には極楽寺の本尊であったという木造阿弥陀如来座像が安置されています。平安時代後期に造られた檜の一木つくりの阿弥陀像は穏やかな両眼、微笑みをたたえているような表情に心が安らいできます。

 高台に建つ本堂、眼下には萱葺の素朴な書院、初夏の陽ざしを受けて眩しい白砂、木の間からもれる光に鮮やかさをましたサツキ・・・自然がつくりだす美しい風景に感動  そして、モミジの紅葉を是非一度見てみたいとと思いながら境内をあとにしました。

   萬徳寺8

 萬徳寺から山裾を国道27号線に向って進むと、国史跡に指定された 若狭国分寺跡・国分尼寺跡 があります。奈良時代に聖武天皇の勅願によりこの地に建立されたという国分寺・国分尼寺は幾度かの災厄により焼失、現在は発掘調査で確認された伽藍配置の跡、江戸時代、小浜藩初代藩主京極高次が再建した釈迦堂があります。

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    南大門跡                         中門跡

 釈迦堂に安置されている木造釈迦如来坐像は兵火を免れた国分寺の本尊で、福井県内では最も大きなものといいます。また薬師堂には国分尼寺の本尊木造薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像が安置されています。薬師如来坐像は鎌倉時代、春日仏師の作と寺伝では伝えられ、その見目麗しい仏像は狭い薬師堂の中でひっそりと祀られています。

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    釈迦堂(金堂跡)                    薬師堂

 仏像を拝観したのち、改めて史跡公園となっている境内に点在する国分寺跡をまわると、文献でしか知りえない天平の昔が偲ばれてきます。

 今回の『みほとけの里』めぐり、古刹で拝観した多くの仏像に心が癒された素晴らしいものでした。
 いつかまた、季節をかえてあの仏像たちに会いにいきたいと思います。

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小浜 みほとけの里を歩く 2 ~ 妙楽寺 若狭最古の建造物に安置される千手観音立像 ~

 小浜市野代に位置する 妙楽寺 は養老3年(719)、行基が若狭を巡歴したとき、千手千眼の霊像を刻み、近くの岩屋に祀って開創、延暦16(797)、諸国をまわっていた空海が、本尊と拝して堂舎を建立したと伝わる古刹。

 のどかな田園が広がる里、案内板に沿って進むと、山の麓に向かって参道が伸び、木漏れ日に桜並木の若葉が光り輝き、歩いているだけで気持ちが和らいでいきます。やがて苔むした石垣の先の小橋を渡ると仁王像が安置された山門に・・・

  妙楽寺1  妙楽寺2
    木漏れ日の美しい桜並木の参道          山門

 山門をくぐると、眩しいほどの緑を背にゆるやかな屋根の本堂の美しい姿があります。

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     若狭最古の建造物となる本堂

 鎌倉時代初期に建立されたという本堂は、若狭地方における最古の建造物で、優美で格調の高さを感じさせます。木造千手観音菩薩立像が安置されている堂内の和様天井は、化粧屋根裏、内外陣に菱間と格子戸を入れて区画されています。ヒノキの一木造の千手観音は平安中期の作で、頭上には菩薩が三面あり、すべての面を合わせると二十四面の千手像という珍しいものといいます。千本の手が整然と美しく配置され、黄金色が残る観音像の表情は優しく穏やかで気持ちが安らいできます・・・また堂内には平安時代後期作の木造聖観音菩薩立像なども安置されています

  妙楽寺6  妙楽寺4

 そして境内には木造地蔵菩薩像が安置された地蔵堂、薬師堂、六社明神の建物がひっそりと佇んでいます。

  妙楽寺5  妙楽寺8
    地蔵堂                          薬師堂

  妙楽寺9  妙楽寺10
    六社明神                         芭蕉句碑

 俗世を離れさせてくれるような静寂な境内で、安置された仏像を心ゆくまで拝観できる 妙楽寺 山門前のせせらぎに見送られ歩く参道に流れる爽やかな風・・・秋の紅葉もさぞや美しい・・・忘れられない拝観でした。

 また、妙楽寺から少し西南に行ったところには 北陸随一の大日如来像を安置する 圓寺寺 があります。創立は不明で、春日明神の神託によって刻まれた大日如来像を奈良の三笠山より若狭堂谷に遷して一宇を建立し、遠松寺と号したことがはじまりといいます。のちに、現在の地に移され 圓照寺 と改め、真言宗より臨済宗に改宗したと伝わっています。大日堂に安置されている大日如来坐像は12世紀初頭の作、ヒノキの寄木造の安定感のある造型で、穏やかな表情に心が和みます。本堂裏にある庭園はモリアオガエルが生息していることで知られています。

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    圓照寺本堂                        大日如来座像が安置されている大日堂



小浜 みほとけの里を歩く ~ 羽賀寺 元正天皇がモデルと伝わる十一面観音菩薩像 ~

 福井県南西部、日本海側に位置する若狭小浜は海を通じて人々の交流や物資の交易が盛んで、古くから大陸や朝鮮半島、奥州、そして京の都とのつながりも深かった地として栄えてきました。文化都市であった小浜には現在も数多くの寺社が残されており、歴史ある文化財を見ることができます。『みほとけの里』と呼ばれるこの地には奈良から平安時代に創建された天台、真言宗の古刹が多く、平安時代に作られた仏像が静寂な境内に佇む堂内でひっそりと時を刻んでいます。

 小浜市羽賀にある 羽賀寺 は、霊亀2(716)行基の開創と伝わる若狭地方の古刹のひとつで、安置されている本尊木造十一面観音菩薩立像は若狭の古仏では欠かすことのできない仏像です。

 のどかな田園が広がるこの地は若狭の中世荘園のひとつ国富荘があったところで、羽賀寺はその最奥部の山裾にあります。境内の少し高くなったところに立つ中門の奥には庫裡と開山堂が建っています。

  羽賀寺1  羽賀寺2

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    開山堂

 開山堂から進む参道は木漏れ日に包まれ、心地よい初夏の風が頬をかすめ、ときおり聞こえる鳥の声に気持ちが和らいでいきます・・・

  羽賀寺4  羽賀寺8

 参道の突き当りには茅葺の落ち着いた佇まいの本堂が建っています。この本堂は室町時代に『奥州十三湊日之本将軍』と称する安倍(安藤)康季により再建されたといい、ここにも東北と若狭の海を通じる結びつきの深さがうかがえます。

   羽賀寺5

 そして、本堂に安置されている木造十一面観音菩薩立像がこの寺を勅願所とされた女帝元正天皇の御影と伝えられています。平安時代初期の作と伝わる仏像は146.6センチの等身大といわれ、色彩も極めてよくとどめた姿に感動  見とれてしまう美しさに感銘です。堂内には厨子に安置された本尊のほか、木造千手観音、木造毘沙門天が安置されています。

   羽賀寺6

   羽賀寺7



 羽賀寺は源頼朝が三重搭を建立したと伝えるのを始め、歴代領主・藩主から保護され寺宝も多く残されている名刹、また訪れてみたいと思います。

岐阜紀行 3 ~ 大龍寺 ツツジの花に包まれる『だるま寺』 ~

 岐阜城のある金華山から長良川を渡り国道256号線を北上すると右手に山の斜面をピンクと白に染め、その下に広大な伽藍を広げるお寺が見えてきます。

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 この広大な伽藍は『だるま寺』の愛称で親しまれる 大龍寺 で、寺伝によれば、持統天皇の時代に鎮護国家のために開かれた寺と伝わり、その後、650年続いた密宗は室町時代に土岐氏が禅宗に改宗したといいます。本尊腹帯子安観世音菩薩は後白河天皇の勅願により安置された霊尊で子授け、安産、子育ての観音、子安観音として信仰されています。

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 杉木立とツツジに囲まれた山麓に伽藍が広がる大龍寺、山門を入ると庫裏があり、その横には巨大な達磨大師坐像が鎮座し、本堂が建っています。

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    本堂                            鐘楼

 寺務所と並ぶ八角の鮮やかな建物がだるま堂です。今から500年以上前、廃寺同然に荒廃していた大龍寺を訪れた瑞翁禅師が「なんとしても復興しなければ」と身につけていた達磨大師像を本尊の傍らに祀り、伽藍の復興を成し遂げたことから寺の守り仏とされ、毎年1月の『だるま供養』には祈願所就で奉納された達磨が供養され大変な賑わいをみせるといいます。

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    だるま堂                         地蔵堂

 また、大龍寺は西美濃三人衆の一ひとり稲葉一鉄にもゆかりが深く、境内に清光院の一宇を寄進、遺品も残されています。境内をツツジが花盛りの4月中旬と真っ赤に紅葉する11月中旬には庭園や寺宝が公開されています。

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 ドウダンツツジはあちこちで見かけますが、大龍寺のツツジは圧巻・・・言葉を失いました。そして、真っ赤に染まった山麓や庭園に思いをはせながらお寺を後にしました。

岐阜紀行 2 ~ 崇福寺 血天井で知られる信長公ゆかりの禅寺 ~

 450年前に岐阜城に入城し、『岐阜』と命名した織田信長、この地には織田信長ゆかりの寺社や史跡が多く残されています。岐阜公園から長良川に架かる長良橋を渡った長良福光の地にある臨済宗妙心寺派 崇福寺(そうふくじ) もそのひとつ。永正8年(1511)に守護代斎藤利匡により創建された禅寺で、信長も入城とともにここを祈願所とし、境内には織田信長父子の廟所があります。妙心寺東海派の祖となった悟渓宋頓の弟子独秀乾才を開祖とした崇福寺からは多くの名僧が輩出されており、武田信玄に請われて甲斐の恵林寺の住職となり、織田信長の武田攻めの際に山門上で焼き殺された快川国師もそのひとりです。また、德川幕府三代将軍家光の乳母春日局の祖父・稲葉一鉄は幼少期にこの寺で小僧として修行していたといいます。

 山門を入ると庫裏に向って敷石の参道が伸び、両側には目に染みるような若葉の下、白砂と苔の庭園がひろがっています。その中ほどには稲葉一鉄が寄進したという梵鐘(現在のものは再鋳)があります。

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 『血天井』で知られる本堂、その天井板は岐阜城が落城した際、戦死した兵士の霊を弔うため城の床板を天井に張ったものといい、今も血痕の見える天井に胸が痛みます。堂内には織田信長の側室小倉氏から送られた遺品をはじめ寺にゆかりある人々の品々が展示されています。本堂前には白砂の美しい枯山水庭園があり、それを囲む土塀や中門は関白一条兼良卿からの寄進のされたものといいます。

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    本堂                            本堂前の庭園

 本堂の裏には本能寺の変で明智光秀に討たれた織田信長・信忠父子の廟と位牌を安置した位牌堂があります。

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    織田信長父子廟                    位牌堂

 静寂な空気が漂う廟所は新緑の葉の間をぬうように木漏れ日が差し込み、ドウダンツツジの白い花に包まれています。

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 そしてひと時ドウダンツツジを愛でながら、天下統一をここ岐阜の地からめざし、その志半ばにして没した信長公を偲びお寺を後にしました。

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