善光寺 ~ 極楽往生を約束してくれる寺院 ~

 『牛に引かれて善光寺参り』で知られる『善光寺』は、その昔、善光寺近くに住む不信心な老女が、軒先で布を干していると、大きな牛が現われて布を角に引っ掛けて駆けだしたので、老女は慌てて牛を追い駆けて行くと牛は善光寺の本堂に入ったので、老女も思わず善光寺参りをすることとなり、それ以来善光寺を信仰し、極楽往生したという諺から、『一生に一度は善光寺参り』にと訪れる老若男女は年間600万人以上といわれています。

 善光寺の創建は今から1400年程前の皇極天皇30年(644)といわれています。縁起によると、その昔、愛娘の病気を阿弥陀如来に救ってもらた印度の月蓋長者が、それまでの不心信を改心し、竜宮城の金塊を使って一光三尊阿弥陀如来を出現させ、長者の死後、如来は百済に渡渡って、聖明王のもとで手厚く祀られ、仏教伝来とともに日本に献じられますが、当時の日本は仏教の受容を巡って争いのさ中であり、如来は物部氏によって難波の堀江に投げ捨てられてしまいます。そしてある時、信濃国の本田善光が堀江を通りかかると『善光善光』と呼び止められ、「お前は、印度の月蓋長者、百済の聖明王の生まれ変わりである」と告げられたので、善光は如来を背負って故郷に持ち帰り、自宅に祀ったことが善光寺のはじまりと伝えられています。そして40年を善光の家で過したのち、現在の場所に移り寺が建てられたといいます。

 善光寺のある長野市は、南北に流れる千曲川と盆地を取りまく志賀高原や菅平など2000m級の山々が連なる善光寺平の中核の門前町として発展してきました。
  
  善光寺1  善光寺2
    善光寺平                         雪を頂いた菅平

 長野駅から中央通りと呼ばれる繁華街を15分程歩いていくと次第にゆるやかな坂道になり、善光寺の境内に入っていきます。表参道の右側には『善光寺講』の常宿である何軒もの宿坊が並んでいますが、様々な趣向を凝らした宿坊は観光客にも人気といいます。

  善光寺3  善光寺4
                            立ち並ぶ宿坊

 参道の左側、築地塀に囲まれた唐門の奥に善光寺本坊のひとつ浄土宗の大本願があります。尼寺にふさわしい清楚な佇まに心がひきしまる思いがします。

   善光寺5
     大本願

 大本願の先、数段の石段の上には堂々たる構の仁王門が建ち、高村光雲と米原雲海作の仁王像が参詣者を迎えてくれます。

  善光寺6  善光寺7
    仁王門                          仲見世通り

 仁王門をくぐると土産物店や仏具店が並ぶ仲見世通りが駒返り橋まで続き、通りには名物『おやき』の味噌や醤油の香ばしい匂いが漂っています。さらに参道を進むと左手に善光寺のもうひとつの本坊大勧進があり、位牌堂には武田信玄、上杉謙信の位牌が安置されています。そして右手には赤い涎掛けと帽子をのせた大仏地蔵と六地蔵が並んでいます。

   善光寺11
     大勧進

   善光寺10
     大仏地蔵と六地蔵

 そしてその先には、江戸中期の寛延3年(1750)に造営された唐様・和様の両様式からなる山門がそびえ、 『鳩文字』で描かれた『善光寺』の金色の額が掲げられています。この山門の内部には文殊菩薩、菩薩を守護する四天王、施行八十八カ所霊場分身仏が祀られ、さらに回廊からは善光寺の境内や人々が行きかう参道の眺望を撮影することができます。

  善光寺8  善光寺9
    山門                            「鳩文字」で描かれた額

 山門をくぐると香の香りが漂い、香炉からたちのぼる煙の先には宝永4年(1707)に再建された全国最大級といわれる国宝の本堂が建っています。。『無宗派』である善光寺は、浄土宗の大本願と天台宗の大勧進のそれぞれの住職が二人体制で住職を担い、すべての行事をそれぞれ一回ずつ、都合二回行われています。

                   善光寺13 本堂

 本堂の内部は広く、外陣・中陣・内陣に分かれています。堂内に入ると板敷の空間が外陣で、中央に『びんずる尊者(撫で仏)』が安置されています。びんずる尊者はお釈迦さまの弟子で、この像に触れると病気を治してくれるという信仰があり、びんずる尊者像はピカピカに輝いています。内陣に入ると頭上の欄間には、金色に輝く二十五の菩薩像が手に楽器を携え、音楽を奏でながら極楽よりお迎えに来てくださる姿が描かれていて、見ているだけで極楽が約束されてくるような面持ちになってきます。内陣正面の左側には瑠璃段壇があり阿弥陀三尊が安置されていますが、秘仏で開帳されることはなく、前立本尊の金銅阿弥陀如来及両脇侍立像が七年に一度開帳することで知られています。丑の年と未の年に開催される御開帳には全国か1000万にもおよぶ人々が参詣に訪れ、本堂内々陣に安置された前立本尊・中阿弥陀如来右手に結ばれた金糸と繋がる本堂前の大きな角塔婆(回向柱)に触れて御縁を結ぶといいます。

   善光寺15
     御開帳の時の本堂

 また、本堂に安置されている秘仏御本尊と結縁することのできる『お戒壇めぐり』は、瑠璃壇下の真っ暗な回廊を通り、中程に懸る『極楽の錠前』に触れると極楽浄土が約束されるといわれ人気スポットになっています。

 本堂の東南には南無阿弥陀仏の六文字にちなんで、6本の柱が特徴になっちる鐘楼が建っています。10時から16時の毎時ごとに撞かれる鐘の音は『日本の音風景百選』に選ばれ、また長野オリンピックの際には、開会を告げる鐘の音として全世界に響き渡ったことで知られています。 

 善光寺12  善光寺14
    鐘楼                            経蔵

 境内には他に経蔵や日本忠霊殿((善光寺史料館)、釈迦堂、講堂などの建物、さらに供養塔や墓地などもあり、歴史の長さを感じます。

 この地に生まれ育った私にとって、善光寺は初詣に、お彼岸やお盆に、そして境内の散策にと、折に触れ参詣した寺院。故郷を離れた数十年を過ぎてもここを訪れると懐かしい思い出が甦ってきます。いずれの宗派にも属さない無宗派の善光寺、『かならず極楽浄土に往生させる』というなんともわかりやすい功徳で、参詣者に安心をもたらしてくれます。亡き祖父母や父の菩提を弔いながら、自身の極楽往生を願い境内を後にしました。


スポンサーサイト

小浜 みほとけの里を歩く 3 ~ 萬徳寺 名勝庭園を見下ろす本堂に安置された阿弥陀如来像 ~

 若狭国の最高峰・百里ヶ岳を源とする遠敷川、その川沿いの集落には奈良から平安時代創建の天台・真言宗の古刹が多くあります。小浜市金屋にある 萬徳寺 もそのひとつ。寺伝によれば、応安年間(1368~75)安芸国円明寺の僧覚応が、もとこの地にあった極楽寺を再興して『正照院』と改称、江戸初期、言現在の地に移され再興して『萬徳寺』と称したとのこと。萬徳寺は戦国時代若狭国守護大名武田氏の祈願所となり、国中の真言宗の本寺としての地位を与えられ、特に信豊は罪科を犯したものでもこの寺に入れば、俗世との縁が断ち切られ保護されるとする、駆け込み寺としての規定を与えられ、江戸時代になっても小花藩初代藩主京極高次や歴代藩主の祈願寺として崇敬されたといいます。

 道路から見上げる石段をのぼり、山門をくぐった右手に茅葺き屋根の書院が建っています。

  萬徳寺1  萬徳寺2
    山門                            茅葺きの書院

 江戸初期に造られたという書院は藩主の休憩所に供されていたといわれ、上段の間等も設けられています。書院の前には白砂が敷き詰められ、その奥に山裾を築山に利用した埋石式庭園が広がっています。国の名勝庭園に指定されている庭園は、金剛曼荼羅の庭園といわれ、中央に真言密教の本尊大日如来を表した巨石が置かれ、両脇の四個の庭石は阿閃如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来を意味し、斜面に置かれた多数の小石組みは諸仏が座る蓮台といいます。置かれた石の間には刈り込まれたツツジやサツキが植えこまれています。

   萬徳寺3
     書院庭園
  萬徳寺4  萬徳寺5

 日本紅葉百選にも選ばれている萬徳寺、庭園周辺には大小200本もの山モミジがあり、本堂に向かう苔生した石段にも新緑の美しいモミジが枝を伸ばして木漏れ日の参道をつくっています。
  
  萬徳寺6  萬徳寺7

 本堂には極楽寺の本尊であったという木造阿弥陀如来座像が安置されています。平安時代後期に造られた檜の一木つくりの阿弥陀像は穏やかな両眼、微笑みをたたえているような表情に心が安らいできます。

 高台に建つ本堂、眼下には萱葺の素朴な書院、初夏の陽ざしを受けて眩しい白砂、木の間からもれる光に鮮やかさをましたサツキ・・・自然がつくりだす美しい風景に感動  そして、モミジの紅葉を是非一度見てみたいとと思いながら境内をあとにしました。

   萬徳寺8

 萬徳寺から山裾を国道27号線に向って進むと、国史跡に指定された 若狭国分寺跡・国分尼寺跡 があります。奈良時代に聖武天皇の勅願によりこの地に建立されたという国分寺・国分尼寺は幾度かの災厄により焼失、現在は発掘調査で確認された伽藍配置の跡、江戸時代、小浜藩初代藩主京極高次が再建した釈迦堂があります。

  萬徳寺9  萬徳寺10
    南大門跡                         中門跡

 釈迦堂に安置されている木造釈迦如来坐像は兵火を免れた国分寺の本尊で、福井県内では最も大きなものといいます。また薬師堂には国分尼寺の本尊木造薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像が安置されています。薬師如来坐像は鎌倉時代、春日仏師の作と寺伝では伝えられ、その見目麗しい仏像は狭い薬師堂の中でひっそりと祀られています。

  萬徳寺11  萬徳寺12
    釈迦堂(金堂跡)                    薬師堂

 仏像を拝観したのち、改めて史跡公園となっている境内に点在する国分寺跡をまわると、文献でしか知りえない天平の昔が偲ばれてきます。

 今回の『みほとけの里』めぐり、古刹で拝観した多くの仏像に心が癒された素晴らしいものでした。
 いつかまた、季節をかえてあの仏像たちに会いにいきたいと思います。

小浜 みほとけの里を歩く 2 ~ 妙楽寺 若狭最古の建造物に安置される千手観音立像 ~

 小浜市野代に位置する 妙楽寺 は養老3年(719)、行基が若狭を巡歴したとき、千手千眼の霊像を刻み、近くの岩屋に祀って開創、延暦16(797)、諸国をまわっていた空海が、本尊と拝して堂舎を建立したと伝わる古刹。

 のどかな田園が広がる里、案内板に沿って進むと、山の麓に向かって参道が伸び、木漏れ日に桜並木の若葉が光り輝き、歩いているだけで気持ちが和らいでいきます。やがて苔むした石垣の先の小橋を渡ると仁王像が安置された山門に・・・

  妙楽寺1  妙楽寺2
    木漏れ日の美しい桜並木の参道          山門

 山門をくぐると、眩しいほどの緑を背にゆるやかな屋根の本堂の美しい姿があります。

   妙楽寺3
     若狭最古の建造物となる本堂

 鎌倉時代初期に建立されたという本堂は、若狭地方における最古の建造物で、優美で格調の高さを感じさせます。木造千手観音菩薩立像が安置されている堂内の和様天井は、化粧屋根裏、内外陣に菱間と格子戸を入れて区画されています。ヒノキの一木造の千手観音は平安中期の作で、頭上には菩薩が三面あり、すべての面を合わせると二十四面の千手像という珍しいものといいます。千本の手が整然と美しく配置され、黄金色が残る観音像の表情は優しく穏やかで気持ちが安らいできます・・・また堂内には平安時代後期作の木造聖観音菩薩立像なども安置されています

  妙楽寺6  妙楽寺4

 そして境内には木造地蔵菩薩像が安置された地蔵堂、薬師堂、六社明神の建物がひっそりと佇んでいます。

  妙楽寺5  妙楽寺8
    地蔵堂                          薬師堂

  妙楽寺9  妙楽寺10
    六社明神                         芭蕉句碑

 俗世を離れさせてくれるような静寂な境内で、安置された仏像を心ゆくまで拝観できる 妙楽寺 山門前のせせらぎに見送られ歩く参道に流れる爽やかな風・・・秋の紅葉もさぞや美しい・・・忘れられない拝観でした。

 また、妙楽寺から少し西南に行ったところには 北陸随一の大日如来像を安置する 圓寺寺 があります。創立は不明で、春日明神の神託によって刻まれた大日如来像を奈良の三笠山より若狭堂谷に遷して一宇を建立し、遠松寺と号したことがはじまりといいます。のちに、現在の地に移され 圓照寺 と改め、真言宗より臨済宗に改宗したと伝わっています。大日堂に安置されている大日如来坐像は12世紀初頭の作、ヒノキの寄木造の安定感のある造型で、穏やかな表情に心が和みます。本堂裏にある庭園はモリアオガエルが生息していることで知られています。

  圓照寺1  圓照寺2
    圓照寺本堂                        大日如来座像が安置されている大日堂



小浜 みほとけの里を歩く ~ 羽賀寺 元正天皇がモデルと伝わる十一面観音菩薩像 ~

 福井県南西部、日本海側に位置する若狭小浜は海を通じて人々の交流や物資の交易が盛んで、古くから大陸や朝鮮半島、奥州、そして京の都とのつながりも深かった地として栄えてきました。文化都市であった小浜には現在も数多くの寺社が残されており、歴史ある文化財を見ることができます。『みほとけの里』と呼ばれるこの地には奈良から平安時代に創建された天台、真言宗の古刹が多く、平安時代に作られた仏像が静寂な境内に佇む堂内でひっそりと時を刻んでいます。

 小浜市羽賀にある 羽賀寺 は、霊亀2(716)行基の開創と伝わる若狭地方の古刹のひとつで、安置されている本尊木造十一面観音菩薩立像は若狭の古仏では欠かすことのできない仏像です。

 のどかな田園が広がるこの地は若狭の中世荘園のひとつ国富荘があったところで、羽賀寺はその最奥部の山裾にあります。境内の少し高くなったところに立つ中門の奥には庫裡と開山堂が建っています。

  羽賀寺1  羽賀寺2

   羽賀寺3
    開山堂

 開山堂から進む参道は木漏れ日に包まれ、心地よい初夏の風が頬をかすめ、ときおり聞こえる鳥の声に気持ちが和らいでいきます・・・

  羽賀寺4  羽賀寺8

 参道の突き当りには茅葺の落ち着いた佇まいの本堂が建っています。この本堂は室町時代に『奥州十三湊日之本将軍』と称する安倍(安藤)康季により再建されたといい、ここにも東北と若狭の海を通じる結びつきの深さがうかがえます。

   羽賀寺5

 そして、本堂に安置されている木造十一面観音菩薩立像がこの寺を勅願所とされた女帝元正天皇の御影と伝えられています。平安時代初期の作と伝わる仏像は146.6センチの等身大といわれ、色彩も極めてよくとどめた姿に感動  見とれてしまう美しさに感銘です。堂内には厨子に安置された本尊のほか、木造千手観音、木造毘沙門天が安置されています。

   羽賀寺6

   羽賀寺7



 羽賀寺は源頼朝が三重搭を建立したと伝えるのを始め、歴代領主・藩主から保護され寺宝も多く残されている名刹、また訪れてみたいと思います。

岐阜紀行 3 ~ 大龍寺 ツツジの花に包まれる『だるま寺』 ~

 岐阜城のある金華山から長良川を渡り国道256号線を北上すると右手に山の斜面をピンクと白に染め、その下に広大な伽藍を広げるお寺が見えてきます。

   岐阜24

 この広大な伽藍は『だるま寺』の愛称で親しまれる 大龍寺 で、寺伝によれば、持統天皇の時代に鎮護国家のために開かれた寺と伝わり、その後、650年続いた密宗は室町時代に土岐氏が禅宗に改宗したといいます。本尊腹帯子安観世音菩薩は後白河天皇の勅願により安置された霊尊で子授け、安産、子育ての観音、子安観音として信仰されています。

   岐阜25

 杉木立とツツジに囲まれた山麓に伽藍が広がる大龍寺、山門を入ると庫裏があり、その横には巨大な達磨大師坐像が鎮座し、本堂が建っています。

  岐阜・大龍寺7  岐阜・大龍寺9

  岐阜26  岐阜・大龍寺8
    本堂                            鐘楼

 寺務所と並ぶ八角の鮮やかな建物がだるま堂です。今から500年以上前、廃寺同然に荒廃していた大龍寺を訪れた瑞翁禅師が「なんとしても復興しなければ」と身につけていた達磨大師像を本尊の傍らに祀り、伽藍の復興を成し遂げたことから寺の守り仏とされ、毎年1月の『だるま供養』には祈願所就で奉納された達磨が供養され大変な賑わいをみせるといいます。

  岐阜27  岐阜28
    だるま堂                         地蔵堂

 また、大龍寺は西美濃三人衆の一ひとり稲葉一鉄にもゆかりが深く、境内に清光院の一宇を寄進、遺品も残されています。境内をツツジが花盛りの4月中旬と真っ赤に紅葉する11月中旬には庭園や寺宝が公開されています。

  岐阜29  岐阜・大龍寺10

 ドウダンツツジはあちこちで見かけますが、大龍寺のツツジは圧巻・・・言葉を失いました。そして、真っ赤に染まった山麓や庭園に思いをはせながらお寺を後にしました。

プロフィール

ポピーランド

Author:ポピーランド
FC2ブログへようこそ!

アクセスカウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR