諏訪大社下社(秋宮・春宮) ~  御神木をご神体と仰ぐ信濃国一之宮 ~

 諏訪大社下社も上社と同じく本殿を持たず、御神木をご神体と仰ぐ、古い神社の形式を残しています。

 大社通りのゆるやかな坂道を進むとその突き当りに 諏訪大社下社秋宮 の鳥居があり、左手に千尋池、右手の小高いところには八幡社と恵比寿社が祀られています。神橋を渡り、鳥居ををくぐると鬱蒼とした森のなかに御神木の『根入りの杉』が天高くそびえ、敬虔な雰囲気が漂っています。

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                                   御神木『根入りの杉』 

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     神楽殿                     

 境内の中央には大きな注連縄をつけた神楽殿が建ち、その前には青銅製では日本最大といわれる狛犬が圧倒的な存在感で参詣者を迎えてくれます。神楽殿の後に重要文化財に指定されている幣拝殿・左右片拝殿、その奥に御宝殿が建ち、四隅には御柱がそびえ、おごそかな雰囲気に包まれています。

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     幣拝殿・左右片拝殿

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 境内にはほかに、皇大神宮社、若宮社、稲荷社、八坂社、加茂社、子安社、鹿島社が祀られ、宝物殿には大同年間に平城天皇から下賜されたとといわれる『売神祝印』と刻まれた銅印や下社関連の資料が展示されています。深い緑に包まれた境内を回り展望台に上がれば、眼下には下諏訪の町並み、その先に光を浴びて煌めく諏訪湖が広がっていました。

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     秋宮からの下諏訪の町並みと諏訪湖の眺望 

 そして、下社春宮 は秋宮から北西に1㌔ほど行ったところに鎮座しています。その春宮の正面参道には下社では最も古いと建造物の下馬橋で、俗に『太鼓橋』と呼ばれ、その特殊な形には目を奪われます。

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    下馬橋

 鳥居をくぐり石畳を進めば神楽殿、その横に『結びの杉』がそびえています。この杉は根元が一つで梢が二又に分かれていることから縁結びの杉と呼ばれ、男女の縁のみならずさまざまなものとの縁結びにご利益があるといわれています。

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    神楽殿                          『結びの杉』

 そして神楽殿の奥に建つ幣拝殿・左右片拝殿、軒にほどこされた獅子、鶏、龍などの見事な装飾彫刻に目を奪われます。

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     幣拝殿・左右片拝殿

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    装飾彫刻                         筒粥殿

 また境内にある筒粥殿は毎年1月14日のよりから15日にかけて行われる下社特殊神事・筒粥神事の神粥炊き上げが行われる建物で、作物の吉凶が占われるといいます。

 この春宮境内から西方に流れる砥川にかかる細い橋を渡ると、巨大な自然石に仏頭をのせた不思議な石仏がたっています。

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    砥川と浮島                        万治の石仏

 『万治の石仏』と呼ばれる石仏は、江戸時代、高島藩主が石の鳥居を寄進する仕事を請け負った石工がこの地にあった大きな石にノミを入れたところ、石から血が流れ出したため、驚いた石工が鳥居を造ることをやめ、阿弥陀如来を刻み建立したといわれています。その名のとおり、『万のことが治る』とよまれ、物事を万事丸く治めてくれて、願いを叶えてくれる石仏として人々の信仰を集めてきたといいます。かの岡本太郎はこのアンバランスな石仏を愛してやまず、何回もここを訪れたといいますが、不思議な姿はどこかユーモラスで心が和みます。

 諏訪大社四社まいり、日本最古の神社のひとつでもある大社は多くの歴史にはぐくまれ、今なお多くの人々に愛されていることを知った貴重なものでした。

 
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諏訪大社上社(本宮・前宮) ~ 御山を神体とする信濃国一之宮 ~

 7年に一度の奇祭・御柱祭が行われる 諏訪大社 は信濃国の一之宮で、わが国最古の神社のひとつで、全国に一万余りの分社を数え、その総本社として人々の崇敬を集めています。諏訪大社には上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)があり、諏訪盆地の中心諏訪湖の南北に二社ずつ四か所に鎮座しています。神がたてまつられる本殿を持たず、かわりに上社は御山を神体に、下社春宮は杉の木、下社秋宮はイチイの木をご神木としてたてまつっています。祭神に上社本宮に建御名方神(大国主神の子)、上社前宮に妃神八坂刀売神、下社春宮、秋宮は二神に加えて八重事代主神が祀られています。諏訪湖が寒さで全面氷結すると氷が膨張してせりあがる『御神渡』は上社の男神が下社の女神のもとに通った恋の道といわれています。また、『御柱祭』は寅年と申年に行われる式年祭で、御宝殿の造り替えを行うとともに、御柱を建てる一連の行事であり、起源は平安時代以前に遡るといいます。

 諏訪湖の南側の諏訪市に鎮座し、4つの大社のなかでも最大の規模を誇る『上社本宮』の東参道の鳥居を入ると正面に『布橋』とよばれる屋根付回廊があります。江戸時代につくられたという回廊の入口には見事な彫刻が施されています。

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    東参道                          布橋入口

 布橋の左手には絵馬堂、摂末社遥拝所、大国主社が並び、さらに進むと斎庭に入るための『四脚門(勅使門)』が建っています。東西宝殿の間に建つこの門は徳川家康の寄進により造られたといいます。

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    四脚門と東西宝殿                   塀重門

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      参拝所

 塀重門を過ぎ、参拝所に。参拝所の奥には重要文化財になっている幣殿・拝殿、左右片拝殿がご神体山である守屋山を背後に横並びに建っています。社殿の奥の社叢の中には三之御柱と四之御柱がたてられており、それぞれに遥拝所が設けられています。古来より諏訪大明神として親しまれてきた諏訪大社は農業・産業・航海の守り神として崇められ、五穀豊穣の祈願が行われてきました。境内にある清祓池では毎年春の御頭祭には近隣の農家の人々が種もみを浸してその浮き沈みに依って豊凶を占ったといいます。

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    清祓池                          境内最古の樹木のひとつ大欅と二之御柱                          
 諏訪大社の中でも最も多くの建造物が残っている上社本宮、布橋から一段下がった境内には神楽殿、五間廊、勅使殿、駒形舎(神馬舎)などが建っています。

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    神楽殿                           五間廊 

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    勅使殿                           駒形舎(神馬舎) 

 上社本宮の裏手には上社と縁深い宮寺のひとつ 法華寺 があります。伝教大師最澄が東国布教の際、この地に巡錫し開山されたと伝えられています。その後鎌倉時代に禅宗に改宗、織田信長の甲州征伐の際には本陣とされ、明智光秀はこの寺で信長のよる辱めを受けたことを恨み、本能寺の変で命をおとす原因になったともいわれています。また、赤穂浪士討ち入りに遭遇し、高島藩へお預けの身になった吉良上野介の外孫・吉良義周の墓があります。かつては壮大な伽藍を有していたという法華寺は明治維新の神仏分離令により破壊され、現在は昭和初期に建造された山門、近年に再建された本堂、庫裏が建っています。そして本堂裏の小高いところに若くしてこの地に没した義周の墓がひっそりとたっていて、苔生した墓石に時の流れを感じます。

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    法華寺山門                        吉良義周の墓

 本宮から南東に位置する『前宮』は諏訪大明神第1の鎮座地といわれています。鳥居をくぐると諏訪大社の神職・大祝の居館であった神殿跡や十間廊、内御玉殿などがあります。

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                                   神殿跡

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     内御玉殿                        十間廊

 少し登りになった参道を進むと前宮の社が見えてきます。

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 前宮も本宮と同じく本殿がなく、拝殿もない特殊な形式になっており、社の近くには三と四の御柱がたっています。かつては本宮よりも栄えていたといわれる前宮ですが、それを偲ばせるものはほとんどありません。古木の中にひっそりと佇む前宮、木漏れ日から差し込む光が神々しく身が引き締まりました。

闘鶏神社 ~ 神社の名の起こりを伝える源平合戦の秘話 ~ 

 和歌山県田辺市にある 闘鶏神社(とうけいじんじゃ) は鶏にゆかりのある神社として知られています。神社の創祀は5世紀中ごろ、熊野権現を勧請し、田辺の宮と称したのがはじまりと伝えられ、神社の名の由来は源平合戦の際に紅白の鶏を闘わせて占ったことにより、『闘鶏権現』の称が生まれ、明治時代に『闘鶏神社』の名に改称されたとのこと。名の由来となった故事とは、壇ノ浦の戦いの際、熊野水軍を率いる湛増がいずれかに味方するかを思い悩み、熊野権現の神託によって去就することを決することに。その神託の方法は権現の社前で紅白二軍に分けた闘鶏を行ない、それぞれの旗標になぞらえて、紅組が勝てば平家に味方し、白組が勝てば源氏に荷担しようというもの。紅白二羽どうしの七番勝負の結果は、赤が一羽も勝つことがなかったので源氏に荷担したといいます。また、一説には源氏に荷担したのは武蔵坊弁慶が湛増の子であったからとも伝えられています。

 大きな鳥居をくぐると拝殿があり、その背後に本殿、上御殿、中御殿、下御殿、西御殿、八百萬殿の六棟からなる熊野造りの古い形式を残した社殿が並び、その風格ある佇まいに目を見張ります。

  闘鶏神社1  闘鶏神社2

   闘鶏神社4

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    西御殿                          八百萬殿

 その他境内には玉置神社、十日戎神社、弁天神社、藤厳神社などの社が建っています。

  闘鶏神社7  闘鶏神社8
    玉置神社                         十日戎神社                          

  闘鶏神社9  闘鶏神社10
    藤厳神社                         十日戎神社

 そして境内には闘鶏を前にした湛増と弁慶の銅像があり、社務所には源義経寵愛の横笛、弁慶の産湯釜などが展示されています。
  
   闘鶏神社10

 熊野街道の中辺路と大辺路の分岐点となる田辺市、その市街東部、仮庵山の麓に鎮座する 闘鶏神社 は熊野三山各社の御祭神を祀り、熊野権現の三山参詣に替えるという熊野信仰には欠かせない存在であり、かつては熊野参詣時に、歴代上皇、法皇、公達がこの神社に参籠宿泊して、心願成就を祈願したといいます。また歴代領主かrも篤い庇護を受けたとのこと。そして、この歴史ある闘鶏神社は2016年に世界遺産のひとつ『紀伊山地の霊場と参詣道』に追加登録されています。

杭全神社 ~ 神社の境内は鎮守の森博物館 ~

 大阪の東南に位置する平野は平安時代より摂津・河内・和泉を結ぶ交通の要衡として発展し、戦国時代には町の安全と自治を守るために集落の周りを二重の堀と土居でめぐらし、外敵からの侵入を防ぐ『環濠自治都市・平野郷』が成立したといいます。大阪市平野区平野宮町にある 杭全神社(くまたじんじゃ) は、その平野郷の守護神として長い歴史を持つ神社です。杭全神社は、貞観4年(862)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫の坂上当道が素盞鳴尊を勧請して社殿を創建したことがはじまりと伝えられています。

 国道25線に面してたつ鳥居をくぐるとその先に楠や銀杏の巨樹が生い茂る森が見えてきます。

  杭全神社1  杭全神社2

 注連縄のかかった門を入った左手には樹齢800年から1000といわれる楠の巨木が参道まで枝を伸ばした迫力ある姿で参詣者を迎えてくれます。

  杭全神社3  杭全神社4
    楠の巨樹                         大門

 大楠の枝の間からの日差しを受けながら参道を進むと鎌倉時代の建立の大門があり杭全神社の境内に入ります。境内には拝殿、第一本殿、第二本殿、第三本殿、田村社、恵比寿社などの社が立ち並んでいます。この杭全神社は第一本殿は坂上当道の勧請、第二本殿は14世紀に後醍醐天皇の勅命により勧請、そして第三殿は12世紀に勧請されたという三社からなっています。そのうちの第一本殿は春日大社の本殿を正徳元年(1711)に移建されたもの、第二、第三本殿は室町時代の建立で大阪市内最古の建造物で、三社とも重要文化財になっています。また、杭全神社の夏祭りは300年以上の歴史があり、『だんじり曳行』をすることで有名です。

  杭全神社5  杭全神社6
    拝殿                            第一本殿

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    第二本殿                         第三本殿

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    田村社                          垂乳根銀杏

 江戸時代の面影が色濃く残る平野の町の施設を無料で開放している 『平野 町ぐるみ博物館』 杭全神社を守ってきた森は『鎮守の森博物館』として巨木や老木を鑑賞することができます。なかでも『巨楠』とともに知られているのが『垂乳根銀杏(たらちねいちょう)』です。願いをかければ、母乳の出が良くなる、乳房の病が治ると伝わる垂乳根銀杏の樹齢は500年とのこと、その大きさに圧倒されます。そして、木々の枝の間からのぞく青い空と、境内を流れる風に少しだけ秋を感じながら神社を後にしました。

安曇野紀行 ~ 塩の道に鎮座する現存する最古の神明造の社 仁科神明宮 ~

 日本海側から内陸地方に塩を運搬していた 塩の道 そのひとつ千国街道は新潟県糸魚川から長野県大町を経て、松本盆地に塩を運んでいた街道として知られています。わが国に現存する最古の神明造の 仁科神明宮 はその塩の道沿いに鎮座する神社。祭神は天照皇大神一柱で、伊勢神宮内宮の御厨がこの仁科の地に勧請され、その御厨鎮護のために建立された社といわれていますが、その創祀の年代は明らかではないようです。

 街道沿いにある一の鳥居をくぐると正面に仁科神明宮の杜が見えてきます。

  仁科神明宮1  仁科神明宮2
    一の鳥居

 境内に入った左側にはには『神宮寺』と書かれた標識がたっていますが、往時を偲ぶものは何も残されていません。神宮寺跡を見ながら進むと『三本杉(真ん中の一本が倒伏して現在は二本杉)』と呼ばれる杉の大木がそびえ立っています。樹齢千年程といわれるだけにその姿は圧巻で、古社の風情が漂ってきます。

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    神宮寺跡                         三本杉

 杉や檜、松、ナラなどの大木に囲まれた境内は神々しい雰囲気に包まれ、社殿に向かう参道に射し込む光さえもが神々しく感じてきます。
 
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    手水舎  

  仁科神明宮7  仁科神明宮8
    三の鳥居                         神門

 三の鳥居を入った正面には神門が建ち、その境内には境内社の社が整然と並んでいます。

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    境内社                          神楽殿

 神門を入るとすぐに拝殿、その奥に国宝の本殿・中門・釣殿を持つ仁科神明宮の社殿が建っています。

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     わが国最古の神明造の仁科神明宮社殿

 仁科神明宮も伊勢神宮にならい20年に一度社殿の造営を行い式年遷宮祭が行われていますが、江戸時代初頭以後は、部分修理にとどまってきたために、原初形態をそのまま残されていることから国宝に指定されたといいます。伊勢神宮と同じ檜皮葺、千本・勝男木をのせた簡素な社殿が杉や檜の巨木にとけ込みかもしだす光景は古社ならの風格を漂わせています。

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    拝殿  

 仁科神明宮には祭典や神事も多くありますが、20年に一度の式年正遷宮祭は平成31年(2019)に行われるとのこと、その歴史ある遷宮の時にまた訪れてみたいとの希望を胸に社叢を後にしました。

 そして、古道 『塩の道』を少し北に向って行くと 盛蓮寺観音堂 の看板を見つけたので訪ねてみると、屋根の上に一見して宝形造のようにも見えるきわめて短い箱棟をのせたお堂が建っていました。盛蓮寺は高野山照光院の末寺で、鎌倉時代にこの地を治めていた仁科氏によってここに移され仁科氏の祈願寺となり、観音堂は室町時代後期の建立で、松本地方最古の寄棟造建築とのこと。澄み切った青空の下、境内に流れる初秋の風、そこにたたずむ観音堂の風景に懐かしさを覚えます。

  仁科神明宮14  仁科神明宮15
    盛蓮寺山門                        盛蓮寺観音堂

 刈取りがはじまった稲田、道の傍らの道祖神、少しだけ秋色を深めた北アルプスの峰々、歴史の中に息づく古社に古寺、安曇野の風景は忘れがたい思いでの一ページを作ってくれました。

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