御香宮神社 ~ 幕末、薩摩藩の屯所となった御香水が湧く神社 ~

 酒造りには欠かせない名水が湧く伏見は、豊臣秀吉が築いた伏見城によって生まれた城下町として知られていますが、幕末、『鳥羽伏見の戦い』『寺田屋事件』などの大きな事件の舞台となった地としても知られています。その伏見の街には今も、豪華な桃山時代、幕末の動乱の面影があちらこちらに残されています。

 『伏見の七名水』のひとつ『石井の御香水』が湧く 御香宮神社 も鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩の屯所であったといいます。御香宮神社は初めは御諸神社』と称されていましたが、平安時代貞観4年(862)9月9日、境内から香りのよい水が湧き出し、この水を飲むと病がたちまち癒えたことを知った清和天皇から『御香宮』の名を賜ったといいます。しかし、伏見の産土神として信仰を集めまた神社はたびたびの兵火で衰退。その後、秀吉が願文と太刀を献じ、さらに伏見築城に際して、城中に鬼門除けの神として勧請して社領を献じ、勢いを盛り返したといいます。神功皇后を主祭神する神社は神功皇后の神話における伝承から安産の神として信仰を集めています。

 かつて東の丘陵上にあった伏見城に向かう道だあった大手筋にそびえる朱色の門をくぐり、しばらく行くと、左手にどっしりと落ち着いた豪壮な門が建っています。

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    大手筋にそびえる鳥居                 表門
  
 神社の表門となる門は德川頼房(家康の11男)が伏見城の大手門を拝領して寄進したもので、中国の二十四孝の彫刻を施した蟇股は桃山時代の建築装飾の代表例といわれています。

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    蟇股の彫刻                        参道

 門をくぐった参道の右手には桃山天満宮の社が建ち、その先には伏見城跡の残石がゴロゴロと積まれています。

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    梅の香が漂う桃山天満宮               伏見城跡の残石

 さらに参道を進むと正面に大きな割拝殿、左手に能舞台っが建っています。

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     割拝殿

 正面の軒唐破風に鮮やかな色彩の彫刻に埋められた割拝殿の豪華さに目を見張り、屋根つきの廊下で結ばれた本殿の蟇股から柱にいたるまで極彩色の装飾がほどこされた豪壮で華麗な桃山時代の特色があらわされた社殿に圧倒されます。

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     桃山時代の特色があらわされた本殿

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    能舞台                           御香水の石碑

 本殿の左手には神社の名の由来ともなった御香水の落ちる樋があり、誰もが水を頂くことができます。

 そして、境内には松尾社、稲荷社などの摂社、御香水の霊験説話を画題にした絵馬の懸る絵馬堂などが建っています。
 
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    松尾社                           稲荷社

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    絵馬堂                           蘇鉄 

 社務所前には大きなソテツが本殿を守るように植えられ、社務所の奥には小堀遠州ゆかりの石庭があります。遠州が奉行所内に作った庭園をみた徳川三代将軍家光が感銘を受け、褒美として五千石を加増され、一躍大名に列せられることになり、遠州にとっては出世の糸口になった庭園で、戦後に石を移して再現されたといいます。白砂に覆われた庭、周囲を囲む高低差のある木々、そして置かれている石・・・美しい庭に心がやすまります。

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 また、御香宮神社には多くの椿が植えられています。参集館傍らで咲く小堀遠州の命名と伝えられる『おそらく椿』、桃山天満宮あたりの藪・・・椿好きには何度訪れてもうれしい神社です。

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    藪椿                            おそらく椿

 幕末、薩摩藩の屯所となった御香宮神社ですが、幸いにも戦火は免れ、今も桃山時代を代表する豪壮華麗な本殿や拝殿を目にすることのできる古社。香しい清水をいただきに季節を替えて、また訪れたいと思います。



  
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宇治上神社 ~ 世界遺産に登録される日本最古の神社建築 ~

 宇治川を挟んで平等院の対岸に位置する 宇治神社 は藤原頼通が平等院を造営するさい鎮守社としたため、平安貴族たちの崇敬を集めたといいます。社伝によれば、神社のある地は、応神天皇の後継者を巡って、兄の大鷦鷯皇子(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るため、宇治川で自ら命を絶ったと伝えられる菟道稚郎子の離宮があった地とされ、皇子没後に神社が創建されたと伝えられています。そして、山側に建つ 宇治上神社 と合わせて『宇治離宮明神』と称されたといいます。

 宇治川に架かる朝霧橋を渡り、境内に上がる石段をのぼると拝殿が建ち、その先に鎌倉時代に造られたといわれる祭神・菟道稚郎子を祀る檜皮葺、三間社流造の本殿が建っています。幼い頃から聡明であったといわれる菟道稚郎子が祀られる神社は学業・受験・合格のご利益があるといわれ、また正しい道へと導く神の使いの『見返り兎』の舞台でもあることから、良縁や正しい道を求めて訪れる人も多いといいます。

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    宇治川                          朝霧橋

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                                   宇治神社拝殿

 宇治神社から100㍍ほど進むと世界遺産に登録される 宇治上神社 があります。 

   宇治上神社5

 背後に緑林が迫る境内の、小さな門をくぐると正面に檜皮葺の低い屋根の拝殿が建っています。

   宇治上神社6
     拝殿

 直線的でシンプルな拝殿は、平安時代の寝殿造様式を取り入れた貴人の住宅を思わせます。鎌倉時代に建立されたといわれる拝殿は、中央に板扉、両脇の蔀戸と白壁で構成され、低い床の周囲を欄干でめぐらした建物、その上に広がる縋破風と呼ばれ手法を用いた屋根の美しさは格別です。そして、拝殿奥には平安中期の建立と伝わる日本最古の神社建築の本殿があり、応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子が祀られています。

   宇治上神社7
    本殿覆屋

 その他境内には春日社、住吉社などの摂社が建っています。本殿と春日社の間には『天降石』と呼ばれる注連縄のかかった巨石があり、石の上にはたくさんの小石が積まれていますが、この石は参拝者がお願い事をするために置いたもので、置いた石が落ちなければ願い事が成就するといわれているようです。

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    摂社が並ぶ境内                    『天降石』と呼ばれる巨石

 そして境内には『宇治七名水』のひとつ『桐原水』が湧いていますが、室町時代、宇治茶の象徴として作られた水も今はこの桐原水のみになったといいます。

                  宇治上神社8

 世界遺産に登録されながら馴染みの薄い 宇治上神社 ですが、悠久の歴史の中で意築く日本最古の神社建築は美しく、清らかな境内に湧く名水・・・また訪れたいと思います。



八大神社 ~ 宮本武蔵ゆかりの神社 ~

 京都市左京区一乗寺にある 八大神社 は剣豪宮本武蔵ゆかりの神社として知られています。もともとは方除け、厄除け、縁結び、学業などの神として信仰のされた一乗寺の産土神であり、また、皇居守護神十二社の一社ひとつで、修学院離宮に行幸される後水尾、霊元、光格天皇が立ち寄られたといいます。

 白川通から曼殊院道を進んでいくと、狸谷不動明王道が分岐するところに松の木がたっています。ここは平安の昔から近江から京に通じる交通の要衝にあたり、旅人の目印として松が植え継がれ、南北朝時代までは一乗寺という寺があったことから『一乗寺下り松」と呼ばれ、現在の松は4代目といいます。その脇には『宮本・吉岡決闘之地』と刻まれた石碑が立っていますが、ここは、慶長9年(1605)、宮本武蔵が吉岡一門と決闘し、武蔵が勝利した地と伝わっているところで、映画『宮本武蔵一乗寺の決斗』の舞台になっています。

   八大神社1
     一乗寺下り松にたつ石碑

そこから狸谷不動明王道を250m程進むと大人気の詩仙堂、門前には観光者で拝観も順番待ち。目指す八大神社hその東隣、一段と高い山側にたっています。鳥居を入ると参道には映画のポスターやスチール写真がたくさん貼りだされていたり、境内には『武蔵開悟の地八大神社』の幟がたなびいて、神社は武蔵一色に。案内によれば、武蔵は決闘の朝、八大神社に勝利の祈願をしようと鰐口(本殿の軒下の吊るされた鈴)にの綱に手をかけたが、神仏に頼ろうとする自分の弱さに気づき、寸前で取りやめて一乗寺下り松に向かったとう逸話からといわれています。

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 武蔵、開悟の地とされる本殿には素盞鳴命、稲田姫命・八王子命が祀られ、本堂の横には若き日の武蔵の像、さらに吉岡一門と闘った地、一乗寺下り松の古木が保存されています。

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  八大神社5  八大神社6

 一乗寺の決闘が史実なのかどうかはわかりませんが、歴史ファンにとってこの神社は武蔵を語る上に必要な神社であることを再認識させられるところでした。


鷺森神社 ~ 洛北の奇祭「さんやれ祭」で知られる古社 ~ 

 洛北の奇祭『さんやれ祭』で知られる 鷺森神社 は貞観年間(859~877)に修学院一帯の産土神として創建されたと伝わる古社。当初は赤山禅院付近にあって、応仁の乱で焼失後は修学院離宮のある山中に祀られていたが、修学院離宮造営のため現在の地に遷座し、古くから神の使いとされたサギがこの地に群集していたことから鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)の名がついたといいます。

 西側の長い参道を入れば、左右に植えられた楓が頭上から降りそそぎ、参道を朱色に染め上げています。春には美しい花を咲かせる桜やツツジも今は楓にその座を譲り静かに時の過ぎるのを待っています。

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   紅葉に彩られた参道                   山桜の巨木                   

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 紅葉に目を奪われながら参道を進むと境内があり、拝殿は石段を上ったところに建っています。

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   鷺森神社7

 祭神は素盞鳴命を御神号を鬚咫天王とする鷺森神社の例祭は、神社が一乗寺、無楽寺、藪里、修学院、白川、山端、高野七村の産土神であったところから、『七里祭』といい、その祭に少年たちが菅j笠に赤襷で、『さんやれ』と囃しながら練り歩く祭で、通称『さんやれ祭』として知られています。
  
 また、境内の一角には『八重垣』があります。これは祭神の素盞鳴命が詠んだ

      八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を

にちなんだ石で、触ると恋愛成就、夫婦和合のご利益があるといわれ、パワースポットにもなっています。

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    八重垣

 鬱蒼とした森ののなかに鎮座する鷺森神社、春の桜やツツジ、そして楓一色に包まれる秋に一度は訪ねてみたい神社です。

月読神社 ~ 『日本書紀』にも登場する安産発祥の『月延石』を祀る古社 ~

 京都市西京区にある 月読神社 は、『日本書記』にも登場する歴史ある神社。月を司る月読尊を主祭神とする月読神社、文献によれば、顕宗天皇3年(487)阿閉臣事代が勅命により任那(古代に存在した朝鮮半島南部の地域)に赴いた際に、壱岐で月読尊の神託を受けたので、帰京後、山城国歌荒樔田の地(大堰川の河浜)に社を創建されたと伝えられ、斉衝3年(856)に松尾大社の南の現在の地に移り、江戸時代に松尾大社の境外摂社となったといいます。後世、疱瘡の神となり、また神功皇后が応神天皇を生む際にその石で腹を撫でたため安産になったという『月延石』が奉納されていることから『安産守護の神社』と信仰されています。

 酒造の神と崇められる松尾大社から南に歩いていくと、短い石段があり朱塗りの鳥居がそびえています。鳥居をくぐった先には土塀に挟まれて小さな門が開かれています。

  月読神社1  月読神社2

 松尾山を背にした境内は木々が空をおおって薄暗く、静寂の中に社殿が佇み、本殿は檜皮ぶき流造り、拝殿は入母屋造りで建てられています。

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    拝殿                            本殿

 本殿の横には祈願石をのせた『月延石』が祀られ、その脇には三本の幹が途中でくっついた珍しい『むすびの木』がそびえています。

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    月延石                           むすびの木  

 境内にはほかに、水上交通の守護の御船社、学問の神を祀る聖徳太子社が祀られています。

  月読神社6  月読神社7
    御船社                           聖徳太子社

  月読神社8  月読神社10
    穢解(かいわい)の水                  願掛け陰陽石    

 古代京都の神祇信仰や渡来文化を考える上で重要な忌を持つ神社といわれる月読神社ですが、訪れる人は『戌の日』の安産祈願が行われる日以外はあまりないようで・・・歴史からいささか忘れ去られたような神社になっていました。

 
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