八大神社 ~ 宮本武蔵ゆかりの神社 ~

 京都市左京区一乗寺にある 八大神社 は剣豪宮本武蔵ゆかりの神社として知られています。もともとは方除け、厄除け、縁結び、学業などの神として信仰のされた一乗寺の産土神であり、また、皇居守護神十二社の一社ひとつで、修学院離宮に行幸される後水尾、霊元、光格天皇が立ち寄られたといいます。

 白川通から曼殊院道を進んでいくと、狸谷不動明王道が分岐するところに松の木がたっています。ここは平安の昔から近江から京に通じる交通の要衝にあたり、旅人の目印として松が植え継がれ、南北朝時代までは一乗寺という寺があったことから『一乗寺下り松」と呼ばれ、現在の松は4代目といいます。その脇には『宮本・吉岡決闘之地』と刻まれた石碑が立っていますが、ここは、慶長9年(1605)、宮本武蔵が吉岡一門と決闘し、武蔵が勝利した地と伝わっているところで、映画『宮本武蔵一乗寺の決斗』の舞台になっています。

   八大神社1
     一乗寺下り松にたつ石碑

そこから狸谷不動明王道を250m程進むと大人気の詩仙堂、門前には観光者で拝観も順番待ち。目指す八大神社hその東隣、一段と高い山側にたっています。鳥居を入ると参道には映画のポスターやスチール写真がたくさん貼りだされていたり、境内には『武蔵開悟の地八大神社』の幟がたなびいて、神社は武蔵一色に。案内によれば、武蔵は決闘の朝、八大神社に勝利の祈願をしようと鰐口(本殿の軒下の吊るされた鈴)にの綱に手をかけたが、神仏に頼ろうとする自分の弱さに気づき、寸前で取りやめて一乗寺下り松に向かったとう逸話からといわれています。

  八大神社2  八大神社3

 武蔵、開悟の地とされる本殿には素盞鳴命、稲田姫命・八王子命が祀られ、本堂の横には若き日の武蔵の像、さらに吉岡一門と闘った地、一乗寺下り松の古木が保存されています。

   八大神社4

  八大神社5  八大神社6

 一乗寺の決闘が史実なのかどうかはわかりませんが、歴史ファンにとってこの神社は武蔵を語る上に必要な神社であることを再認識させられるところでした。


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鷺森神社 ~ 洛北の奇祭「さんやれ祭」で知られる古社 ~ 

 洛北の奇祭『さんやれ祭』で知られる 鷺森神社 は貞観年間(859~877)に修学院一帯の産土神として創建されたと伝わる古社。当初は赤山禅院付近にあって、応仁の乱で焼失後は修学院離宮のある山中に祀られていたが、修学院離宮造営のため現在の地に遷座し、古くから神の使いとされたサギがこの地に群集していたことから鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)の名がついたといいます。

 西側の長い参道を入れば、左右に植えられた楓が頭上から降りそそぎ、参道を朱色に染め上げています。春には美しい花を咲かせる桜やツツジも今は楓にその座を譲り静かに時の過ぎるのを待っています。

  鷺森神社2  鷺森人jyあ3
   紅葉に彩られた参道                   山桜の巨木                   

   鷺森神社4

 紅葉に目を奪われながら参道を進むと境内があり、拝殿は石段を上ったところに建っています。

   鷺森神社5

   鷺森神社7

 祭神は素盞鳴命を御神号を鬚咫天王とする鷺森神社の例祭は、神社が一乗寺、無楽寺、藪里、修学院、白川、山端、高野七村の産土神であったところから、『七里祭』といい、その祭に少年たちが菅j笠に赤襷で、『さんやれ』と囃しながら練り歩く祭で、通称『さんやれ祭』として知られています。
  
 また、境内の一角には『八重垣』があります。これは祭神の素盞鳴命が詠んだ

      八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を

にちなんだ石で、触ると恋愛成就、夫婦和合のご利益があるといわれ、パワースポットにもなっています。

  鷺森神社6  鷺森神社8
    八重垣

 鬱蒼とした森ののなかに鎮座する鷺森神社、春の桜やツツジ、そして楓一色に包まれる秋に一度は訪ねてみたい神社です。

月読神社 ~ 『日本書紀』にも登場する安産発祥の『月延石』を祀る古社 ~

 京都市西京区にある 月読神社 は、『日本書記』にも登場する歴史ある神社。月を司る月読尊を主祭神とする月読神社、文献によれば、顕宗天皇3年(487)阿閉臣事代が勅命により任那(古代に存在した朝鮮半島南部の地域)に赴いた際に、壱岐で月読尊の神託を受けたので、帰京後、山城国歌荒樔田の地(大堰川の河浜)に社を創建されたと伝えられ、斉衝3年(856)に松尾大社の南の現在の地に移り、江戸時代に松尾大社の境外摂社となったといいます。後世、疱瘡の神となり、また神功皇后が応神天皇を生む際にその石で腹を撫でたため安産になったという『月延石』が奉納されていることから『安産守護の神社』と信仰されています。

 酒造の神と崇められる松尾大社から南に歩いていくと、短い石段があり朱塗りの鳥居がそびえています。鳥居をくぐった先には土塀に挟まれて小さな門が開かれています。

  月読神社1  月読神社2

 松尾山を背にした境内は木々が空をおおって薄暗く、静寂の中に社殿が佇み、本殿は檜皮ぶき流造り、拝殿は入母屋造りで建てられています。

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    拝殿                            本殿

 本殿の横には祈願石をのせた『月延石』が祀られ、その脇には三本の幹が途中でくっついた珍しい『むすびの木』がそびえています。

  月読神社5  月読神社9
    月延石                           むすびの木  

 境内にはほかに、水上交通の守護の御船社、学問の神を祀る聖徳太子社が祀られています。

  月読神社6  月読神社7
    御船社                           聖徳太子社

  月読神社8  月読神社10
    穢解(かいわい)の水                  願掛け陰陽石    

 古代京都の神祇信仰や渡来文化を考える上で重要な忌を持つ神社といわれる月読神社ですが、訪れる人は『戌の日』の安産祈願が行われる日以外はあまりないようで・・・歴史からいささか忘れ去られたような神社になっていました。

 

吉田神社 ~ 吉田神道で知られる大元宮に祀られる八百万の神 ~

 京都市左京区吉田神楽岡にある吉田山は桓武天皇が平安京を定めたとき、都城の東北に位置し、鬼門にあたるとして比叡山とともに王城鎮護の山と崇められたといいます。この山の中腹に鎮座する 吉田神社 は平安遷都から65年後、貞観年間に藤原山蔭が藤原氏の氏神である奈良春日神をここに勧請したことがはじまりとされ、以来藤原氏の氏神として朝廷の尊崇を集め、室町時代中期に神官となった吉田兼倶が吉田神道を興してからは、広く一般の信仰を集めるようになったといいます。

 東大路通から京都大学の校舎が並ぶ東一条通を東に進むと朱塗りの鳥居がそびえ、松の木が植えられた参道を進むと左手に吉田町の産土神・今宮社の社が建っています。

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                                   今宮社

 今宮社の前の鳥居をくぐり、樹木の覆われた石の階段を上って行くと、子供達の賑やかな声が響き、社殿が並ぶ境内は人気もなく閑散としています。吉田神社は『節分厄除け詣り』発祥の地といわれ、節分会は旧市中の社寺の中で最も賑わう神社として知られています。

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 春日造りの本殿は第一、第二、第三、第四の横一列の四棟からなり、本殿の東側の小高いところには摂社の神楽岡社、若宮社が建っています。

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    神楽岡社                         若宮社

 吉田山は古くは神楽岡とも呼ばれ、神々のいる場所として崇められた霊域であったといわれ、そのためか山一帯に広がる境内には摂社や末社が多くあります。料理・飲食の祖神を祀る山蔭神社、和菓子の京都にふさわしい菓子の神を祀る菓祖神社、竹中稲荷社などが鎮座しています。深い緑の木立の中に朱色の社が祀られている光景は、自然の中に神々が鎮まっておられるように思えてきます・・・
 
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    菓祖神社                         山蔭神社

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                                   竹中稲荷社

 鎮座する末社のひとつ 大元宮 は吉田神社の社家である吉田家の斎の場所。かつては吉田家邸内にあったのを文明16年(1484)にこの地に移し、吉田家の根本殿堂としたといいます。吉田家は朝廷に仕え、陰陽寮において占のことを司った家柄で、一族からは学者・文人を多く輩出していますが、中でも『徒然草』の作者・吉田兼好、吉田神道を興した吉田兼倶が知られています。
 
 天神地祇八百万神を祭神とする大元宮、門の奥には神社建築では珍しい八角形の本殿が建っています。茅葺きの屋根、朱塗りの八角に六角の後房をつけた特殊の建築は吉田神道の原理により表現された社といいます。大元宮は全国の神に参詣したと同じ効験が得られるありがたい社です。

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 多くの神々が祀られている吉田山には表参道だけでなく北参道、南参道、東参道があります。森の小道の趣きをもつそれらの参道をあがった頂上の公園には三高の寮歌『紅萌ゆる』に吉田山が歌われたことを記念する碑がたてられています。

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 かつては地域に暮らす人々の里山であった吉田山、生活環境の変化とともに失われてしまった自然の恵みは今、少しずつ取り戻すための再生の動きが進められているといいます。一日も早く、子供たちが生き物と触れ合ったり、自生している植物を見ることができる自然豊かな吉田山になることを願いつつ山を下りました。


籠神社 ~ 古い歴史と格式を有する丹後国一之宮 ~

 日本三景のひとつ『天橋立』の北端に鎮座する 籠神社(このじんじゃ) は丹後国一之宮として名高く、元伊勢など古い伝承を有する格式ある古社で、その昔、天橋立は籠神社の境内であり、参道であったといいます。由緒によれば、創建は神代に遡り、北の奥宮の地・真名井原に豊受大神を祀っており、その宿縁によって崇神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑から遷って与謝宮(吉佐宮)と称して豊受大神と一緒に祀り、その後、天照大神、豊受大神が伊勢に遷られたことによって 元伊勢 といわれ、両大神が伊勢に遷った後は天孫彦火明命を主祭とし、社名を 籠宮 と改め、元伊勢の社、丹後国一之宮として崇敬を集めてきたといいます。また、元伊勢である籠宮に奉仕する海部家は古い家柄を誇り、平安時代に編まれた『海部氏系図』は現存する最古の系図といわれ、国宝に指定されています。

 天下の名勝・天橋立が参道といわれる 籠神社 参道の松並木の中を北に向かって歩みを進めると、国道挟んだ先に大きな石の鳥居がそびえ、鳥居をくぐるとその先に白木の鳥居がたち、神門が建っています。

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    一の鳥居                         二の鳥居

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     神門

 神門の前では阿吽一対の石造狛犬が参詣者を迎えてくれます。

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 桃山時代の傑作といわれる狛犬は、その昔作者の魂がこもり、天橋立に暴れ出て通行人を驚かせていたので、たまたま仇討に来ていた岩見重太郎が一夜待ち伏せ、狛犬の脚を切ったところ悪戯が治まって社頭に還り、魔除けの狛犬といわれ霊験があらたかに名tっと伝えられているそうです。

 神門を入ると拝殿の前には6月の神事に使われる『茅の輪』が置かれていました。半年間の罪の穢れを祓い、残り半年が無事におくれることを願いながら、作法に従って茅の輪をくぐって身を清め、参拝を。

 籠神社の社殿は伊勢神宮とほぼ同じ唯一神明造りの様式で造られていています。境内には恵美須社、天照大神和魂社、春日社、猿田彦社、真名井稲荷社が祀られ、水琴窟が置かれた御生みの庭や亀に乗った倭宿禰命像が置かれています。

 籠神社の奥宮である 真名井神社 は本宮から徒歩で15分ぐらいの古木が生い茂る静寂に包まれた中に鎮座されています。この地に豊受大神が祀られた理由のひとつに『真名井の水』が湧き出ていたことと伝えられ、鳥居の傍らにある岩からは霊験ある御神水・天の真名井の水が今も涌き出ています。

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   天の真名井の御神水                  鳥居と参道

 鳥居をくぐると静寂な境内に漂う凛とした空気に全身が清められ、身も心も魂をも奪われそうな気持になってきます。本殿に守られるように鎮座する磐座、そこには神代の魂が存在しているように思えてきます。

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    本殿                            磐座

 天橋立にある 天橋立神社籠神社真名井神社 の三社を巡ることは『三社参り』と呼ばれ、この順番に参拝するとお利益がアップするという言い伝えもあるようです。

 天橋立の眺望と由緒ある神社の参拝はパワーを授かった素晴らしい散策でした。

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