油日神社 ~ 老樹に包まれた油の火の神を祀る神社 ~ 

 甲賀忍者の里で知られる滋賀県甲賀市油日に鎮座する 油日神社 は油の火の神として古くから信仰を集め、中世には甲賀の総社とされていました。近江を愛したことで知られる随筆家・白洲正子の著書『かくれ里』では一番最初に登場する神社で、平安時代の歴史書にもその名の記載があるといいます。鈴鹿山脈南部に位置する油日岳をご神体とする神社は、油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日神が降臨したことから『油日』の名が付いたと伝えられ、山頂に岳大明神を祀る奥宮、里に油の神を祀る里宮があります。 

 油の火の神を祀る里宮は豊かな自然が広がる里の老樹が茂る森に囲まれひっそりと佇んでいます。木造の鳥居をくぐり、両側に石垣が積まれた参道を進むと楼門と回廊があり、楼門の奥には拝殿、本殿が一直線に並んでいます。檜皮葺きのこれらの建造物は室町時代の神社建築を伝える貴重なもので重要文化財になっています。

  油日神社1  油日神社2
                                   楼門
 
 楼門を入ると清められた境内が広がり中央に拝殿、一段高いところに本殿が建っています。

  油日神社3  油日神社4  
                                   拝殿   

  油日神社5  油日神社6
    拝殿                            750年以上の樹齢といわれるコウヤマキ

 軒唐破風をつけ正面に蟇股で飾られた拝殿、蟇股の蟇股や板戸に動植物の彫刻が施された本殿、簡素な美しさに心が引かれます。本殿の傍らで天に届くようにそびえるコウヤマキは樹齢が750年以上もあるとのこと、その生命力に感動します。

 そして、老樹の中に点在するお堂や社は素朴で懐かしく心に響く一コマを見せてくれます。見ているだけで懐かしさを感じる風景は絶好なロケ地ということで、この油日神社はドラマや映画にしばしば登場しています。

  油日神社7  油日神社8

  油日神社9  油日神社10

 観光からは遠い神社仏閣は訪れてみて知ることや感動することが多く、その感動やそこに存在する由緒、歴史を知りたくて神社仏閣を廻っていますが、この油日神社にも社殿とともに由緒ある能面なども所蔵されており、近いうちにまた訪れて拝見したいと思います。


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田村神社 ~ 坂上田村麻呂を祀る「厄除大祭」で知られる古社 ~

 江戸時代、東海道は江戸の日本橋を起点とし、五十三の宿場を経て京都三条大橋に至る要道で、この街道が伊勢国から近江国に入る鈴鹿峠は箱根の並ぶ難所として知られていました。 『坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る』の馬子唄で知られる土山は近江国に入った最初の宿場町として栄えたところ。また伊勢から多賀大社に詣でる御代参街道もここから通じ、参拝する人々や近江商人が行き交い、宿場には今も当時の面影を偲ばせる本陣や旅籠の跡、旧街道沿いでは松並木や常夜灯などを見ることができます。そして、津和野藩の御典医だった文豪・森鴎外の祖父が参勤交代の途中病のためこの地で息を引き取り葬られた常明禅寺には悲劇の皇子、長屋王が母の死を悼んで納めたといわれる大般若経が伝えられ、境内にはここを訪れた時に詠んだ松尾芭蕉の句碑も残っています。

 土山宿の入口であった甲賀市土山町北土山に鎮座する 田村神社 は蝦夷征伐で知られる征夷大将軍・坂上田村麻呂を主祭神とし、厄除けで知られる神社です。坂上田村麻呂は、延暦10年(791) 桓武天皇の勅命を受けて鈴鹿峠に出没して旅人を悩ましたせた悪鬼を討伐し、交通の障害を取り除いて土地の安定を確保。そして、坂上田村麻呂薨去の後、その遺徳を仰ぎ、嵯峨天皇の勅命でゆかりの地である土山に田村公の神祠を建て、神として祀ったといいます。

 国道一号線に面してたつ一の鳥居をくぐると、鬱蒼とした森に包まれて参道が伸び、銅製の二の鳥居があらわれます。

  田村神社4  田村神社5
    一の鳥居                         二の鳥居

 二の鳥居の右手には野洲川支流の田村川が流れていて、東海道はここにかかる板橋から田村神社の参道を経て土山宿に入ったといいます。現在の橋は『海道橋』の名で、平成17年(2005)に再建されたものですが、橋の入口には当時の高札が掲げられています。また、安藤広重の浮世絵『土山宿 春の雨』はこの橋を渡る大名行列を描いたものといわれ、その絵を思い描き橋を渡ればどこか当時の雰囲気が頭に浮かんできます・・・

  田村神社1  田村神社2
    田村川                          再建された「海道橋」
             
           田村神社3 高札

 二の鳥居から三の鳥居をくぐると拝殿があり、その先に神明石鳥居が立っています。

  田村神社6  田村神社7
    拝殿                            神明石鳥居

 鳥居の入口には福豆が売られていて、参拝者は鳥居をくぐり境内を流れる御手洗川に架けられた太鼓橋から年の数だけこの豆を流して厄を落として祈願し、本殿前の斜めに交えて掛けられた神矢をくぐり参拝します。

  田村神社8  田村神社9
    神矢                            本殿

 この神矢の由来は鈴鹿峠の征伐を行なった際に、坂上田村麻呂が悪鬼に向かって「今や悪鬼もなし 之より此の矢の功徳を以て万民の災いを除かん。此の矢が落ちたる地を吾が宮居として斉き祀れ」と、放たれた矢が本殿前に落ち、不思議なことに青々と芽が出て育ち、現在の矢竹になったといわれ、以来、田村大神の心として神矢が奉納し、矢の功徳を以て災厄を祓い開運を導く信仰になったとのこと。

  田村神社10  田村神社11
    矢竹                            吉崎稲荷社

 いつもは静寂な境内に人の波が押し寄せる『厄除大祭』 厄除の神社として知られる田村神社の『厄除大祭』は毎年2月17日から19日にかけて催行され、県内外から厄落とし祈願に二十万人もの人出で賑わうといいます。杉の古木に覆われた本殿はその歴史を見続け、人々の祈願を受け止めてきていることに感慨深い思いがします。

            田村神社12  境内に並ぶ授与所

 東海道の旅人が神社の前を通るたびに参詣し、京へ、鈴鹿越えへと・・・とそれぞれの目的地に向かうその岐路に鎮座していた 田村神社 今もその面影を宿し、厄除の神社として多く人々から崇敬を集めています。

 

多賀大社 ~ 伊勢神宮の親神を祀る神社 ~

 『お多賀さん』の呼称で親しまれる 多賀大社 は伊勢大神の両親の伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀る近江国第一の大社。『古事記』によれば、伊邪那岐・伊邪那美の両神は高天の原で夫婦の道を始められ、天照大神をはじめとする八百万の神々、草木一切に至るまでありとあらゆる生命を生み、その後、琵琶湖を西に望む杉坂山に降臨し、多賀の霊地に鎮座したといいます。

 『お伊勢参らば、お多賀へ参れ、お伊勢お多賀のお子じゃもの』と詠まれる歌があるように、古くから庶民の伊勢参りが盛んになると、その親神というべき多賀大社への参詣もさらに広がったといいます。歴代皇室からの尊信も篤く、明治初年に至るまで朝廷の祈願所とされ、元正天皇の病気の際には、神主がシデの木で作った杓子に強飯を乗せて祈願したところたちまち治癒されたと伝えられ、以後その杓子は『お多賀しゃくし』と名付けられ、無病長寿のしるしとして有名になっています。また、鎌倉時代のはじめに東大寺の再建を指揮した重源上人は多賀大社に参籠し、延命を授かり、豊臣秀吉は大政所の病気平癒を祈願して一万石を寄進、武田信玄は厄年の厄除祈願に黄金を奉納など数々の社殿が伝えられています。

 延命長寿、縁結び、厄除けの神として名高い多賀大社、初詣の参詣者で賑わう鳥居をくぐると、神門の前には曲線の美しい太鼓橋が架けられていますが、この橋は『太閤橋』と呼ばれ、秀吉が寄進した一万石を授かった時に太閤蔵、奥書院庭園とともに築造されたものといいます。

  多賀大社1  多賀大社2
                                   太閤橋

 太閤橋を右に屋根に名残りの雪をのせた神門を入れば、広々とした境内には多くの人が列をなして参拝を待ち、その傍らには奉納されたしゃもじ形の絵馬が並んでいます。蛙の子である『オタマジャクシ』はその形がしゃくしに似ているところから名づけられたともいわれています。

  多賀大社3  多賀大社4
                                   多賀大社でおなじみのしゃもじ型の絵馬

 常緑の森を背にした社殿は前に拝殿、その後に回廊を廻らして神楽殿、幣殿、本殿が建っていますが、一部は徳川家光の寄進の江戸前期に建っていますが、大半は昭和に再建されたものといいます。

  多賀大社5  多賀大社6

 拝殿の前には参詣者が引いた紅白のみくじが結び付けられ、どこか華やかな空気が漂っています。社殿の東側には重原上人が20年の延命を授かったといわれる『寿命石』や能舞殿、さらに熊野神社、子安神社などの境内社が並んでいます。

  多賀大社7  多賀大社8
    長命石   

                   多賀大社9  能舞殿
                     
 長い歴史に育まれ、皇室、武将、庶民まで崇敬をされる多賀大社には四季において多彩な祭がありますが、なかでも4月の『多賀祭』、6月の『御田植祭』、8月の『万灯祭』はよく知られた祭です。

 そして、多賀大社参詣のお土産として名高い『糸切り餅』は、赤と緑の縞模様は元寇の役で戦利品として奉納した『船印』に由来し、長寿と平和を願って三味線の糸で切り分けられているといいます。糸切り餅に込められた願いは参拝を終えた人々の手に・・・そして私もその願いに近づこうと糸切り餅を手に多賀大社を後にしました。

    名物 糸切り餅  多賀大社10


立木神社 ~ 東海道往来の旅人からも親しまれた古社 ~

 近江は古くから交通の要衝として栄えたことで知られていますが、東海道五十三次のうち五十二番目の 草津宿 は江戸と京都を結ぶ東海道と中山道の分岐する宿場として賑わったところで、今も街道沿いには草津本陣跡、東海道・中山道の分岐道標などが残っています。

  立木神社1  立木神社2
                        東海道・中山道の分岐道標

   立木神社3  立木神社4
                             草津宿本陣                       

 草津宿は普通の宿駅の二倍の規模をもち、参勤交代する西国大名の往来繁く、江戸末期には本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠も70余軒近くを数えたといいます。なかでも『田中七左衛門本陣』は『草津宿本陣』として国の史跡に指定されています。現存する本陣の中では最大規模を誇り、大名が休泊した座敷、湯殿、台所土間など当時の面影を今に伝え、残されている宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介などの名を見ることができ、往時の旅の様子を偲ばせてくれます。

 旅人で賑わっていた草津宿の西の入口近くには歴史絵巻物にも描かれている 立木神社 が鎮座しています。滋賀県随一の古社といわれる立木神社は、今から千二百数十年前の767年、祭神であられる武甕槌命が常陸国の鹿島神宮を立ち、この地に着かれたとき、手にしていた柿の鞭を社殿に刺し、「この木が生え付くならば吾永く大和国三笠の山に鎮まらん」と言われ、その後、不思議にもその木は生え付き、枝葉が茂りだしたので、里人はこの木を崇め社名を立木神社と称したことがはじまりと伝えられています。その後、征夷大将軍坂上田村磨が東北鎮圧に際して、道中安全と厄除開運を祈願し大般若経一部を寄進したことから交通安全、厄除けの神として信仰を集めています。

 旧東海道に面して鳥居がたつ立木神社、いつもはひっそりとしている境内は初詣の人で賑わっています。

  立木神社5  立木神社6
                                   楼門

 室町幕府9代足利義尚が奉建したという四脚門(現楼門)までの待ち時間の長いこと・・・新春の飾り付けがなされた神楽殿、拝殿、本殿、そして天照皇大神宮、春日社、多賀社・・・などの境内社に参拝、今年一年の家内安全と健康を祈願しました。

  立木神社7  立木神社8
    神楽殿                          拝殿

  立木神社9  立木神社10
    立ち並ぶ境内社                    県内最古の道標  

 東海道を通った旅人達にも参拝された 立木神社 その古社は今も変わらず庶民に親しまれている神社です。                 

 

白鬚神社 ~ 湖中大鳥居で知られる近江最古の大社 ~

 水中に浮かぶ鳥居といえば世界遺産にもなっている宮島の厳島神社が有名ですが、滋賀県高島市にある 白鬚神社(しらひげじんじゃ) も『近江の厳島』として親しまれる湖中に立つ朱塗りの大鳥居が有名な神社です。由緒によれば、白鬚神社は垂仁天皇の皇女倭姫命が猿田彦命を祭神に創建した近江最古の神社とされ、日本全国に約300の分霊社が祀られているといいます。祭神の猿田彦命は天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内をされた神で、『道開きの神』として知られていますが、この白鬚神社で祀られている猿田彦命は白髪で白い鬚を蓄えた老人の姿で、『延命長寿の神』としても信仰を集めています。また、その縁起は謡曲『白鬚』でも謡われています。

 琵琶湖西岸、琵琶湖を代表する景観にもなっている湖中の大鳥居。案内によれば、神社前の湖中に鳥居があったという伝説や絵画から、昭和12年(1937)に復興寄進され、昭和56年(1981)に再建されたものといいます。足元に寄せる波を受けながら、湖中から社を見守る鳥居に逞しさを感じます。

   白髭神社1
     琵琶湖を代表する景観になっている湖中大鳥居

 社殿は国道と湖中大鳥居をはさんで向かい側にあり、風格のある入母屋造り檜皮葺の本殿は慶長8年(1603)に豊臣秀頼と淀君が寄進したものといい、国の重要文化財になっています。

  白髭神社2  白髭神社3
                                   拝殿

   白髭神社4
    本殿・絵馬殿

  白髭神社6  白髭神社7
    皇大神宮                         豊受大神宮

  白髭神社5  白髭神社8
    若宮神社                         八幡・加茂・高良神社

   白髭神社9

 また、白鬚神社には多くの著名人が参拝し句や歌を残しており、境内にはいくつかの句碑や歌碑が立っています。

 白髭神社12  白髭神社10
   松尾芭蕉の句碑                    与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑

     松尾芭蕉の句
       四方より 花吹入れて 鳰の湖

     与謝野夫妻の歌
       しらひげの 神のみまへに わくいづみ これをむすべば ひとの清まる  
     

          白髭神社11  紫式部の歌碑

      紫式部の歌
        みおの海に 綱引く民の てまもなく 立ちゐにつけて 都恋しも

 延命長寿・縁結び・子授け・・・・人の世の総ての導きの神として信仰を集める近江最古の神社 白鬚神社 境内にはお宮参りの家族、『ビワイチ(びわ湖一周サイクリング)』を楽しむ若者などに混じってアジア系の観光者も訪れ参拝している姿が。帰りがけ再び湖中の大鳥居を眺め、今度は早朝に対岸の山の間からのぼる朝日を浴びた鳥居を見てみたいと・・・叶えられそうな期待を胸に境内を後にしました。
 
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