長等神社 ~ 大津京鎮護のために創建さた神社 ~

 明治時代、琵琶湖の水を京都へ運ぶ水路として造られた 琵琶湖疏水 その疏水の両側にはたくさんの桜が植えられていて、滋賀の花見の名所のひとつとして知られています。

  長等神社1  長等神社2
                        新緑に包まれた琵琶湖疏水

 天智天皇が大津京遷都の際に、鎮護として創建された 長等神社 はこの琵琶湖疏水を遡った長等山岩座谷に位置しています。須佐之男命を勧請して創建された長等神社は貞観2年(860)、園城寺(三井寺)開祖の智証大師(円珍)が日吉山王神・大山咋命を勧請して、園城寺の守護神となったといいます。

 石の大鳥をくぐり参道を進むと、新緑の社叢を背に鮮やかな朱色の楼門が建ち、その奥に拝殿、大山咋命が祀られた本殿が建っています。

  長等神社3  長等神社4
    石の大鳥居                       楼門

 境内に建つ建物は南北朝の戦乱により消失、現在の社殿や楼門などの建物は足利尊氏によって再建され、壮麗な神社は皇室をはじめ武将や民衆の崇拝を集め隆盛したといいます。

  楼門を入った近くには平忠度の歌碑がたっています。

    さざなみやしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな

 「志賀の都はすっかり荒れてしまったけれども、長等の山桜は昔のままに咲いている」と詠まれているように、今もこの辺りは桜の名所として知られています。

   長等神社7  長等神社5      
     平忠度の歌碑                      拝殿                            

    長等神社6
      本殿

 そして、境内には三馬神社のひとつ 馬神神社 があります。古来より牛馬の守護神として名高い神社は豊臣秀吉も信仰したと伝えられているとのこと。現在もうまの関係者、愛好者、午年生まれの参詣が多いといいます。

  長等神社8  長等神社9
    馬神神社                         栄稲荷大明神

 園城寺を守護する神社として栄えた 長等神社 長い歴史を有する古社でありながらどこか庶民的な温かさを感じる神社でした。

 長等神社を出て南に行くと長等公園があり、木漏れ日に包まれた山裾の道を進むと、園城寺五別所のひとつ尾蔵寺に住んで多くの弟子を育てたといわれる慶祚阿闍梨が入定したとつたいわれる石室やいつ頃に祀られたのか不詳という長等山不動堂がひっそりと建っています。

  長等神社16  長等神社11
    慶祚阿闍梨入定窟                    長等山不動堂

 爽やかな空気に包まれた木漏れ日の道をさらに進むと山側に 近松寺(高観音) が建っています。近松寺も園城寺五別所のひとつで、平安時代に安然が開基し、智証大師が刻んだ観音像が安置されているといいます。本堂は江戸時代の享保年間に、阿弥陀堂は嘉永年間に建てられたといいます。

  長等神社14  長等神社13
    近松寺本堂                       近松寺阿弥陀堂

 高台に建つ近松寺、ここから眺める琵琶湖の眺望は昔から人々に親しまれたいてといいます。今ではビルや民家などの建物で埋め尽くされてしまった大津の町ですが、東海道の宿場があった頃は、その絶景に多くの旅人が癒されたであろうと・・・

   長等神社15

 大津市と京都市の境にある逢坂山から長等山には長い歴史を持つ由緒ある寺社や史跡が点在しています。それらの寺社や史跡はゆかりある人々や地域の人々により受け継がれ、そこかしこに面影をとどめ、今も私たちに当時を偲ばせてくれます。そして自然美あふれる道沿いでは四季折々の美しい風景と眺望が目を楽しませてくれます。道の傍らで咲く花を見ながら浮かんだ句

        山路来て何やらゆかし菫草

 この句は松尾芭蕉が、近江から京に出る小関越で読まれたといわれていますが、当時は草深い山道で見つけた心のオアシスだったのではと・・・

 眩い新緑と、霞む琵琶湖の眺望に癒された山道は、歴史も堪能できた素晴らしい散策でした。

 
 
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関蝉丸神社 ~ 平安時代の歌人・蝉丸ゆかりの神社 ~

 京都市山科区と滋賀県大津市との境にある 逢坂山 その逢坂の地名は峠の上で、二つの坂道が合うところから出た名称で、『日本書紀』によれば、武内宿禰が忍熊王を討とうと追いかけたところ、ここで両軍が出会ったことから名付けられたといいます。逢坂峠は平安京が定められたまもないころには逢坂の関が置かれ、不破の関・鈴鹿の関とともに天下の三関と称されたいました。畿内から北陸、東国へ往来する旅人はかならずこの峠を越えなければならず、古代から公家や武人、文人墨客もよく通ったことから逢坂山を詠み込んだ歌も数多く残されています。

 なかでもよく知られているのが百人一首にある清少納言と蝉丸の歌です。

   夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ  


   これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関  

  蝉丸神社2  蝉丸神社1
    蝉丸の歌碑                        逢坂山関址の碑

 『これやこの・・・・』の歌を詠んだ蝉丸は平安時代前期の歌人で、目が不自由であったが琵琶の名手といわれ、音曲の神として祀られています。この逢坂山の地は蝉丸が草庵を建てて隠遁生活を送ったところといわれ、この地には蝉丸が祀られた 関蝉丸神社 があります。関蝉丸神社は逢坂山の守護神で、旅人の安全をつかさどる猿田彦命・豊玉姫命を祀ったことがはじまりで上社と下社からなり、蝉丸も祭神として祀られています。また、分社でとなっている蝉丸神社の三社を併せて 蝉丸神社 総称することもあるといいます。

  関蝉丸神社下社 は『関清水蝉丸神社』とも呼ばれ、国道161号沿いに位置しています。京阪電鉄の線路を渡ったところに建つ鳥居の横には『音曲芸道祖神』と刻んだ石柱がたっています。

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 鳥居をくぐり境内に入るとすぐに、泉の跡らしき囲いがあり横には『せきしみず』の石標がたっています。これは紀貫之が詠んだ

   逢坂の関の清水に影みえて今や引くらむ望月の駒

 の遺跡といいます。境内には木漏れ日がさし込み、古社の雰囲気が漂ってきます。拝殿、その奥に本殿、社務所や摂社が並ぶ境内は参拝する人も少ないようで閑散としています。

  蝉丸神社15  蝉丸神社12
    関清水跡                         関蝉丸神社下社拝殿

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    関蝉丸神社下社本殿                 時雨灯籠

 拝殿の横には鎌倉中期の作と伝わる『時雨灯籠』が立っています。花崗岩でできている六角型で、四方に蓮華文が飾られている見事なもの。本殿に参拝後、周囲を回ると、いくつもの歌碑や句碑が置かれていて、かつて参拝した人の多かったことが伺え、社殿に残されているいくつかの絵馬にかかる埃がより一層虚しさを感じさせます。

 関蝉丸神社上社 は下社から150㍍ほど京都よりの国道1号線沿いに位置しています。国道から石段を上り、かつてあったであろう鳥居の上にたてられた赤い鳥居をくぐり、さらに石段を上ると拝殿、続く石段を上ったところに本殿が建っています。山の斜面に建てられた社殿は見ている以上に急な位置にあり、遠い昔、蝉丸が隠棲の地は今や交通の要所になっていることに、まつられている蝉丸も驚嘆しているのではないでしょうか。下社と同様、ここに参拝する人も少ないようです。

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                                   関蝉丸神社上社拝殿

                  蝉丸神社9 関蝉丸神社本殿

 さらに関蝉丸神社上社から京都に向かって進み、『逢坂山関址』の碑を越え、二又に分かれた道を右手に進むと『うなぎ』で知られる『かねよ』がありそこから少し行くと 蝉丸神社 があります。入口には江戸時代、大津から京都に物資を運ぶ際に道路に敷かれていた『車石』が置かれていて、当時が偲ばれます。木々に覆われた石段をのぼると鳥居が建ち、拝殿、その奥に本殿が建っています。深い緑に囲まれた境内に時折聞こえる鳥の声、風に枝を揺らす古木・・・そこに佇んでいると琵琶の音色が聞こえてきそうなもの悲しい雰囲気で、祀られている蝉丸もここではゆったりとした日々を過ごせるのでは・・・と

  蝉丸神社3  蝉丸神社4

  蝉丸神社5  蝉丸神社6
    蝉丸神社拝殿                      蝉丸神社本殿

 謡曲『蝉丸』では、醍醐天皇の皇子でありながら、目が見えなかったので、逢坂山に隠れ住んでいたところ、狂女となった姉君に、琴を弾じた音を聞かれて、姉弟の対面を果たしたとのこと、また『今昔物語集』では醍醐天皇の孫・源博雅が3年間通い続けて、やっと琵琶の秘曲を伝授されたなど、蝉丸に関する逸話はかなりありますが、その生涯は生没年ともに不詳で多くの謎に包まれているようです。

 車で通ることがあってもなかなか訪れることができなかった 関蝉丸神社 詠まれた和歌を思い出しながら、蝉丸を偲びました。

 

油日神社 ~ 老樹に包まれた油の火の神を祀る神社 ~ 

 甲賀忍者の里で知られる滋賀県甲賀市油日に鎮座する 油日神社 は油の火の神として古くから信仰を集め、中世には甲賀の総社とされていました。近江を愛したことで知られる随筆家・白洲正子の著書『かくれ里』では一番最初に登場する神社で、平安時代の歴史書にもその名の記載があるといいます。鈴鹿山脈南部に位置する油日岳をご神体とする神社は、油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日神が降臨したことから『油日』の名が付いたと伝えられ、山頂に岳大明神を祀る奥宮、里に油の神を祀る里宮があります。 

 油の火の神を祀る里宮は豊かな自然が広がる里の老樹が茂る森に囲まれひっそりと佇んでいます。木造の鳥居をくぐり、両側に石垣が積まれた参道を進むと楼門と回廊があり、楼門の奥には拝殿、本殿が一直線に並んでいます。檜皮葺きのこれらの建造物は室町時代の神社建築を伝える貴重なもので重要文化財になっています。

  油日神社1  油日神社2
                                   楼門
 
 楼門を入ると清められた境内が広がり中央に拝殿、一段高いところに本殿が建っています。

  油日神社3  油日神社4  
                                   拝殿   

  油日神社5  油日神社6
    拝殿                            750年以上の樹齢といわれるコウヤマキ

 軒唐破風をつけ正面に蟇股で飾られた拝殿、蟇股の蟇股や板戸に動植物の彫刻が施された本殿、簡素な美しさに心が引かれます。本殿の傍らで天に届くようにそびえるコウヤマキは樹齢が750年以上もあるとのこと、その生命力に感動します。

 そして、老樹の中に点在するお堂や社は素朴で懐かしく心に響く一コマを見せてくれます。見ているだけで懐かしさを感じる風景は絶好なロケ地ということで、この油日神社はドラマや映画にしばしば登場しています。

  油日神社7  油日神社8

  油日神社9  油日神社10

 観光からは遠い神社仏閣は訪れてみて知ることや感動することが多く、その感動やそこに存在する由緒、歴史を知りたくて神社仏閣を廻っていますが、この油日神社にも社殿とともに由緒ある能面なども所蔵されており、近いうちにまた訪れて拝見したいと思います。


田村神社 ~ 坂上田村麻呂を祀る「厄除大祭」で知られる古社 ~

 江戸時代、東海道は江戸の日本橋を起点とし、五十三の宿場を経て京都三条大橋に至る要道で、この街道が伊勢国から近江国に入る鈴鹿峠は箱根の並ぶ難所として知られていました。 『坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る』の馬子唄で知られる土山は近江国に入った最初の宿場町として栄えたところ。また伊勢から多賀大社に詣でる御代参街道もここから通じ、参拝する人々や近江商人が行き交い、宿場には今も当時の面影を偲ばせる本陣や旅籠の跡、旧街道沿いでは松並木や常夜灯などを見ることができます。そして、津和野藩の御典医だった文豪・森鴎外の祖父が参勤交代の途中病のためこの地で息を引き取り葬られた常明禅寺には悲劇の皇子、長屋王が母の死を悼んで納めたといわれる大般若経が伝えられ、境内にはここを訪れた時に詠んだ松尾芭蕉の句碑も残っています。

 土山宿の入口であった甲賀市土山町北土山に鎮座する 田村神社 は蝦夷征伐で知られる征夷大将軍・坂上田村麻呂を主祭神とし、厄除けで知られる神社です。坂上田村麻呂は、延暦10年(791) 桓武天皇の勅命を受けて鈴鹿峠に出没して旅人を悩ましたせた悪鬼を討伐し、交通の障害を取り除いて土地の安定を確保。そして、坂上田村麻呂薨去の後、その遺徳を仰ぎ、嵯峨天皇の勅命でゆかりの地である土山に田村公の神祠を建て、神として祀ったといいます。

 国道一号線に面してたつ一の鳥居をくぐると、鬱蒼とした森に包まれて参道が伸び、銅製の二の鳥居があらわれます。

  田村神社4  田村神社5
    一の鳥居                         二の鳥居

 二の鳥居の右手には野洲川支流の田村川が流れていて、東海道はここにかかる板橋から田村神社の参道を経て土山宿に入ったといいます。現在の橋は『海道橋』の名で、平成17年(2005)に再建されたものですが、橋の入口には当時の高札が掲げられています。また、安藤広重の浮世絵『土山宿 春の雨』はこの橋を渡る大名行列を描いたものといわれ、その絵を思い描き橋を渡ればどこか当時の雰囲気が頭に浮かんできます・・・

  田村神社1  田村神社2
    田村川                          再建された「海道橋」
             
           田村神社3 高札

 二の鳥居から三の鳥居をくぐると拝殿があり、その先に神明石鳥居が立っています。

  田村神社6  田村神社7
    拝殿                            神明石鳥居

 鳥居の入口には福豆が売られていて、参拝者は鳥居をくぐり境内を流れる御手洗川に架けられた太鼓橋から年の数だけこの豆を流して厄を落として祈願し、本殿前の斜めに交えて掛けられた神矢をくぐり参拝します。

  田村神社8  田村神社9
    神矢                            本殿

 この神矢の由来は鈴鹿峠の征伐を行なった際に、坂上田村麻呂が悪鬼に向かって「今や悪鬼もなし 之より此の矢の功徳を以て万民の災いを除かん。此の矢が落ちたる地を吾が宮居として斉き祀れ」と、放たれた矢が本殿前に落ち、不思議なことに青々と芽が出て育ち、現在の矢竹になったといわれ、以来、田村大神の心として神矢が奉納し、矢の功徳を以て災厄を祓い開運を導く信仰になったとのこと。

  田村神社10  田村神社11
    矢竹                            吉崎稲荷社

 いつもは静寂な境内に人の波が押し寄せる『厄除大祭』 厄除の神社として知られる田村神社の『厄除大祭』は毎年2月17日から19日にかけて催行され、県内外から厄落とし祈願に二十万人もの人出で賑わうといいます。杉の古木に覆われた本殿はその歴史を見続け、人々の祈願を受け止めてきていることに感慨深い思いがします。

            田村神社12  境内に並ぶ授与所

 東海道の旅人が神社の前を通るたびに参詣し、京へ、鈴鹿越えへと・・・とそれぞれの目的地に向かうその岐路に鎮座していた 田村神社 今もその面影を宿し、厄除の神社として多く人々から崇敬を集めています。

 

多賀大社 ~ 伊勢神宮の親神を祀る神社 ~

 『お多賀さん』の呼称で親しまれる 多賀大社 は伊勢大神の両親の伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀る近江国第一の大社。『古事記』によれば、伊邪那岐・伊邪那美の両神は高天の原で夫婦の道を始められ、天照大神をはじめとする八百万の神々、草木一切に至るまでありとあらゆる生命を生み、その後、琵琶湖を西に望む杉坂山に降臨し、多賀の霊地に鎮座したといいます。

 『お伊勢参らば、お多賀へ参れ、お伊勢お多賀のお子じゃもの』と詠まれる歌があるように、古くから庶民の伊勢参りが盛んになると、その親神というべき多賀大社への参詣もさらに広がったといいます。歴代皇室からの尊信も篤く、明治初年に至るまで朝廷の祈願所とされ、元正天皇の病気の際には、神主がシデの木で作った杓子に強飯を乗せて祈願したところたちまち治癒されたと伝えられ、以後その杓子は『お多賀しゃくし』と名付けられ、無病長寿のしるしとして有名になっています。また、鎌倉時代のはじめに東大寺の再建を指揮した重源上人は多賀大社に参籠し、延命を授かり、豊臣秀吉は大政所の病気平癒を祈願して一万石を寄進、武田信玄は厄年の厄除祈願に黄金を奉納など数々の社殿が伝えられています。

 延命長寿、縁結び、厄除けの神として名高い多賀大社、初詣の参詣者で賑わう鳥居をくぐると、神門の前には曲線の美しい太鼓橋が架けられていますが、この橋は『太閤橋』と呼ばれ、秀吉が寄進した一万石を授かった時に太閤蔵、奥書院庭園とともに築造されたものといいます。

  多賀大社1  多賀大社2
                                   太閤橋

 太閤橋を右に屋根に名残りの雪をのせた神門を入れば、広々とした境内には多くの人が列をなして参拝を待ち、その傍らには奉納されたしゃもじ形の絵馬が並んでいます。蛙の子である『オタマジャクシ』はその形がしゃくしに似ているところから名づけられたともいわれています。

  多賀大社3  多賀大社4
                                   多賀大社でおなじみのしゃもじ型の絵馬

 常緑の森を背にした社殿は前に拝殿、その後に回廊を廻らして神楽殿、幣殿、本殿が建っていますが、一部は徳川家光の寄進の江戸前期に建っていますが、大半は昭和に再建されたものといいます。

  多賀大社5  多賀大社6

 拝殿の前には参詣者が引いた紅白のみくじが結び付けられ、どこか華やかな空気が漂っています。社殿の東側には重原上人が20年の延命を授かったといわれる『寿命石』や能舞殿、さらに熊野神社、子安神社などの境内社が並んでいます。

  多賀大社7  多賀大社8
    長命石   

                   多賀大社9  能舞殿
                     
 長い歴史に育まれ、皇室、武将、庶民まで崇敬をされる多賀大社には四季において多彩な祭がありますが、なかでも4月の『多賀祭』、6月の『御田植祭』、8月の『万灯祭』はよく知られた祭です。

 そして、多賀大社参詣のお土産として名高い『糸切り餅』は、赤と緑の縞模様は元寇の役で戦利品として奉納した『船印』に由来し、長寿と平和を願って三味線の糸で切り分けられているといいます。糸切り餅に込められた願いは参拝を終えた人々の手に・・・そして私もその願いに近づこうと糸切り餅を手に多賀大社を後にしました。

    名物 糸切り餅  多賀大社10


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