宝泉院 ~ 額縁庭園の寺 ~

 勝林院の手前を左に下りると深い緑に囲まれてひっそりと佇む 宝泉院 が見えてきます。勝林院住職の僧坊として平安末期に創建された宝泉院は『額縁庭園』で知られる寺院のひとつです。

  宝泉院1  宝泉院2
    参道                            山門

 幽寂な境内に建つ山門を入ると左手の奥には樹齢600年といわれる五葉松がそびえ、足元では赤い涎掛けをした石仏が出迎えてくれます。

  宝泉院4  宝泉院3

 敷石を踏みしめながら向かう傍らの池には木漏れ日を通して梅雨の晴れ間の青空と青葉が映り出されています。美しさに感動しながら建物に入ると、趣きある設えがなされていてそのひとつひとつが心に響いてきます。

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  宝泉院10  宝泉院11

 伏見城の遺構である『血天井』の廊下のある客殿、その室内から眺める『盤垣園』と名付けられた庭は、柱と柱の空間を額縁に見立てて観賞すると、まるで一枚の絵画を観ているようであることから『額縁庭園』の名で知られています。

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    伏見城の遺構の血天井

   宝泉院9

 頂いたお抹茶を前に眺める庭は、瑞々しい青葉を背景に大きく枝をのばした松、苔をまとった地面のところどころに置かれた石やサツキなどの植え込み・・・それぞれが調和した美しさは圧巻です。紅葉の季節の庭が人々を魅了することはもちろん、青葉の季節の清々しい庭もまた心に響きます。そして、盤垣園の額縁庭園の美しい庭とともに、格子ごしに鑑賞する『鶴亀庭園』も趣きある庭で心がひかれます。

 庭園が美しいことで知られる宝泉院のもうひとつの庭『宝楽園』は、『仏神岩組雲海流水回遊花庭』を趣向に近年作られたといいます。さまざまな樹木に覆われた庭に、さまざまな石がそれぞれの意図によって配置され、底地に敷きつめられた白砂が浮かび上がる光景の美しさに言葉が思いつきません。大自然が表現されたといわれる庭は、そこにたたずんでいるだけで日常の日々から解き放たれたようなおおらかな気持ちになってきます。

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 心ゆくまで堪能した宝泉院の庭、その圧巻の光景は次に訪れる時まで心の片隅に残るであろう・・・と思いながら境内をあとにしました。

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勝林院 ~ 法然上人が行なった「大原門答」で知られる古刹 ~

 比叡山の北西麓、穏やかな山里の景色が広がる 大原 の地は、平安時代から貴人文人たちの隠棲地として、また都への薪炭の供給地として知られていていました。大原は『歌枕』でもあり、多くの歌人や俳人の歌や句も残されています。その大原という地名は平安時代初期に、慈覚大師円仁が修練道場として開いた『大原寺(だいげんじ)』に由来するといわれています。

 三千院をはじめとする名刹が集まる大原にある 勝林院 は顕真(のちの第61代天台座主)が浄土宗の開祖法然上人を招いて、叡山や南都の名僧と浄土の論議をたたかわせた『大原門答』の行われたことで知られる寺院です。承和2年(835)に慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建され、長和2年(1013)に寂源上人が中興して 勝林院 と称したといいます。

 青もみじに彩られた三千院の門前の道を進むと、律川ににかかる未明橋の朱色の欄干が見えてきます。

  勝林院1  勝林院2
    三千院から勝林院への参道             律川に架かる未明橋
 
 川べりの石垣は満開の花を付けたユキノシタが壁の如く広がり、風情を見せています。そして勝林院の入口に架かる来迎橋、この橋から内は極楽浄土とのこと、極楽浄土に向かうための緊張が・・・目の前には二本の菩提樹を前に端正な本堂(阿弥陀堂)が佇んでいます。

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     端正な杮葺きの本堂

 勝林院の本堂は幾多の火災や洪水で破損し、現在の本堂は江戸中期に再建されたものといい、杮葺きの屋根が風情ある姿を見せ、軒下の欄間、蟇股に施された彫刻の華やかさに目を見張ります。

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 声明が音声が流れる本堂内には凛々しい御顔立ちの阿弥陀如来像が安置されています。この阿弥陀如来像は『大原門答』の時、手から光明が放たれ念仏の衆生済度(仏が迷い苦しみから衆生を救って悟りの世界に渡し導くこと)の証拠を示したと伝えられていることから『証拠の阿弥陀如来』と呼ばれ親しまれているといいます。

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 平安期に梵鐘が下がる春日局が再建したといわれる鐘楼、観音堂、山王社などの建物がある境内は閑静で、苔の青さが目に染みます。

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     鐘楼                          

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 本堂から流れる声明を聞きながら梅雨の晴れ間から差し込む光を受けながら境内を散策すれば、池では河骨の黄色い花が顔をだし、青もみじの枝にはモリアオガエルの卵が重たげにぶら下がっています。

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    開花し始めた河骨                   青もみじに下がるモリアオガエルの卵

 清々しい境内に佇む風情ある本堂、その中に安置されている阿弥陀様が導く極楽浄土の世界・・・勝林院の阿弥陀様を拝観したことで少しだけ極楽浄土が近づいてきたような思いを胸に境内をあとにしました。


2018 桜紀行 5 仁和寺 ~ 壮大な門跡寺院を彩る「御室桜」 ~

 洛西・双ヶ丘の北に位置する 仁和寺 は『旧御室御所』と呼ばれるように、代々法親王が住持した門跡寺院。仁和4年(888)に宇多天皇が、前年に崩御した父・光孝天皇の遺志を継いで創建、寺名は年号から付けられたといいます。昌泰2年(899)に出家された宇多天皇は法務ををおこなう僧坊を設けられ、それは『御室』と尊称されて、地名として後世に伝えれられることになったといいます。いく度かの火災にみまわれた仁和寺ですが、応仁の乱ではほとんどが焼失し、本格的な復興は江戸時代、後水尾天皇の兄覚深法親王の時代になってのことで、徳川幕府の援助、さらには京都御所の改築に伴い、金堂に紫宸殿、御影堂に清涼殿、宸殿に常御殿が移築され、二王門、五重搭なども造られ、現在の優美な伽藍群が完成したといいます。

 古くから桜の名所で知られる仁和寺には京の桜の季節をを締めくくる『御室桜』があります。根本から枝を分けた低い木に花を咲かせる『御室桜』は、『わたしゃお多福御室の桜 鼻(花)がひくても人が好く』と詠われ、『お多福桜』の愛称でも人々に親しまれている桜です。

 左右に金剛力士像が安置した堂々たる二王門をくぐると、広々とした参道の先に浮かんでいるかの様に朱塗りの中門が建ち、左側の参道沿いには築地塀に挟まれて本坊表門、勅使門が建っています。

   仁和寺1 
 
  仁和寺2  仁和寺3
    本坊表門                         勅使門

 本坊内には宸殿の南側に白砂敷きの、北側に池を配した優雅な庭園が広がっています。

  仁和寺4  仁和寺5

 中門をくぐると左手に『御室桜』の苑があります。満開の御室桜が見れるはずが葉桜になっていて、五重塔とのショットは葉桜がメインに・・・

  仁和寺7  仁和寺8
    御室桜

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    御衣黄桜                          ミツバツツジ

 早くも新緑を迎えたような若葉が頭上を覆う境内には国宝の金堂をはじめ、御影堂、鐘楼、観音堂などの諸堂が建ち並び、満開のミツバツツジが彩りを添えています。

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    金堂                            鐘楼

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    御影堂                           経蔵

  仁和寺16  仁和寺10
    九所明神                          観音堂(改修中)

 楽しみにしていた満開の『御室桜』には間に合いませんでしが、今年は満開の桜にたくさん出会うことができた楽しい春でした。


2018 桜紀行 3 永観堂 ~ 「見返り阿弥陀」の御座す寺 ~

 『紅葉の永観堂』のと呼ばれるほどに紅葉の名所である 永観堂 ですが、桜を求めて境内へ。

 永観堂 、正しくは 無量寿院禅林寺 といい、弘法大師の高弟・真紹僧都が清和天皇から寺院建立の許可をもらい、『禅林寺』の名を賜ったのが始まりといいます。中興の祖といわれる永観律師が恵まれない人々にために境内に施療院を建てるなど奔走。そして、いつしか禅林寺は永観律師を慕う人々によって 永観堂 とよばれるようになったといいます。『見返り阿弥陀』の名で知られる本尊・阿弥陀如来像は、永観が念仏を行道中に現われ、振り向いて『永観 おそし』と言葉を発し、導いた姿から『見返り阿弥陀』と呼ばれています。

 総門をくぐると参道わきでは満開の桜が出迎えてくれました。中門を入り大玄関から堂内へ。

  永観堂1  永観堂2

 書院造りの釈迦堂は華やかな襖絵で飾られ、枯山水の庭園が趣きを見せています。葉先が3つに分かれている三鈷の松の古木を見ながら『臥龍廊』と名づけられた回廊をあがり開山堂へ。そして回廊を戻って阿弥陀如来堂に入れば、極彩色の堂内に格天井に『百花』が描かれた中、穏やかな微笑みを浮かべた本尊・見返り阿弥陀が安置されています。なんとも慈悲深い姿に心が癒やされます。

  永観堂3  永観堂4
    臥龍廊                           阿弥陀堂

 阿弥陀堂を出て多宝塔に上り、春景色に包まれた京の街が広々と一望。薄っすらと霞かかった中に京都御苑、双ヶ岡、左大文字までもが望める見晴らしは圧巻です。

  永観堂7  永観堂8
    多宝塔                           京都市街の眺望

 境内には御影堂、鐘楼などの建物のほか放生池があり、その周囲には楓をはじめさまざまな花木が植えられています。中でも白木蓮はその白さであるがゆえにか、永観堂の甍や芽吹き始めた木々に映えひときわ印象深い姿でそびえています。白木蓮は木蓮と同様に中国生まれで、一雨ごとに大きくなり、いつの間にかいっせいにほころび、あたりに芳香を漂わせる春の花。大きいものでは15㍍にもなるといわれ、蓮の花に似て朝開いて夕に閉じる咲き方は寺院には似つかわしい花といえるかもしれません。

   永観堂9 
     放生池

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     御影堂                         画仙堂   

   永観堂10
      白木蓮

 寺域に3000本をも超える楓が植えられている 永観堂 山内が真紅に染められる季節を除けばなんとも心が癒されるお寺です。慈悲深い仏さまに手を合わせに、また来たいと思います。 


2018 桜紀行 2 南禅寺 ~ 石川五右衛門を気取りで眺める桜 ~

 京都五山の最高位に君臨した 南禅寺 は正式には『瑞竜山太平興国南禅禅寺』 平安時代初期に造られた禅林寺(永観堂)の中に亀山上皇が離宮を造られ、その離宮が上の宮と下の宮から成っていて、下の宮を亀山天皇が深く帰依したいた大明国師に与えて寺とし、禅林寺の南にあったため『南禅寺』としたといいます。天下の大盗賊・石川五右衛門が『絶景かな、絶景かな』と見得を切った伝説で知られる三門はあまりにも有名で、南禅寺の代名詞になっています。

 勅使門を入ると花を落とし始めた桜と入れ替わるように眩しいほどの若葉が山内に広がっています。石川五右衛門が見得を切ったといわれる三門は寛永5年(1628)東堂高虎の寄進によるもので、石川五右衛門が釜茹でにされた三十数年後の建立といいます。三門の回廊からは、眼下に境内の四季折々の風景、そして遥か彼方に京の街を眺めることができます。春の南禅寺、豪壮で厳めしい三門と桜の取りあわせ、春のロマンが感じられます。

  南禅寺2  南禅寺1

 三門の先に建つ法堂(仏殿)は明治に再建されたもので、天上には豪壮な龍図が描かれています。その法堂の近くでは桜が枝を広げる美しい構図が・・・

  南禅寺3  南禅寺4
    法堂                            法堂に映える桜

 そして、法堂の奥には黒い木組みが白壁を仕切る庫裡が建ち、玄関を入ると方丈、書院が建っています。大方丈は豊臣秀吉が寄進した御所の清涼殿を移建したものといわれ、内部は狩野元信や永徳の障壁画で飾られ、まるで美術館にいるような感覚になります。大方丈の前には小堀遠州の作と伝わる『虎の児渡し』とよばれる庭園が広がっています。

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    庫裡                            大方丈

   南禅寺11
     方丈庭園

 境内の賑わいが嘘のような静寂な本坊には方丈庭園のほか幾つもの庭があり、趣きが異なるそれぞれの庭は印象深く、心を落ち着かせてくれます。

  南禅寺7  南禅寺8
                              
                  南禅寺9

 取だって名のある桜があるわけでもなく、さりとて桜苑があるわけでもない 南禅寺 ですが、広い境内のそこかしこに咲く桜を見ながらの散策は石川五右衛門ではありませんが、そこには絶景と感じる桜の風景に出会える楽しみがあると私は思います。

   南禅寺10

   
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