迎稱寺 ~ 時代劇を彷彿させる土塀の萩 ~

 吉田神社の東参道の坂道を下りてくると謡曲『東北』ゆかりの 東北院 があります。この寺はかつて藤原道真が建立した法成寺の東北の地の一郭に、常行三昧堂として建てられて道長の娘・上東門院によって建立され、その院内の小堂には彰子に仕えていた和泉式部が住んでいて、そこに植えた梅を愛しんだといいます。この和泉式部が愛した梅は『軒端の梅』といわれ、謡曲『東北』に採りあげられたて有名になったといいます。現在の東北院は元禄年間にこの地に再興されたものといわれ、本堂前に植えられている軒端の梅は謡曲『東北』に因んで植えられたものといいます。

  迎稱寺1  迎稱寺2
    東北院山門                        軒端の梅と本堂

 和泉式部ゆかりの軒端の梅は春には白い一重の花を付け、実までも結ぶといいます。春めいた夜に放たれる梅の香、若き日の和泉式部を偲ばせるのではとか、亡霊となった式部が境内や本堂にあらわれるのではとか・・・など、とほうもない想像をめぐらしてしまいました。

 東北院のある坂道には極楽寺、大興寺が軒を連ね、その先に今にも崩れそうな土塀が見えてきます。

  迎稱寺3  迎稱寺4
    極楽寺                           大興寺

 時代劇に登場するような古めいた土塀に囲まれた寺は『萩の名所』として知られる洛東九番・萩の霊場 迎稱寺(こうしょうじ)  創建については不明で、かつては天台宗の寺院であったとも、また鎌倉時代に一遍が時宗に改宗したともいわれているようです。京都の萩の名所は境内に植えこまれていることが多く、塀に沿ってあることはかなり珍しく、貴重ともいえる風景です。情緒に富んだ花景色には思いのほか早かったようで、塀の足元にしだれかかる赤や白の萩を見れなかったのは残念 気を取り直して、今回は頼りなげに枝を揺すり、花びらを地面に散らした風景を想像・・・近いうちに鄙びた里の風景を連想させてくれる風景に会いに来たいと思います。

  迎稱寺5  迎稱寺11
 
   迎稱寺6

 迎稱寺に未練を残しながら右に行くと 真如堂 の門前に出ます。『もみじの真如堂』で知れらている天台宗の寺院に人影はなく閑散としていますが、広々とした境内、緑の中で相輪を天高くそびえさせる三重塔、華美な飾りを排した伽藍・・・いつ訪れても疲れた心を癒やしてくれます(紅葉の季節を除いてはですが)

  迎稱寺7  迎稱寺8

 女人を救済してくださることで知られる真如堂、本尊・阿弥陀如来は『うなずき阿弥陀』とも呼ばれていますが、それは「一切衆生、特に女人をお救いください」との問いに頷いたことからといいます。静寂に包まれた境内に流れる清々しい初秋の風、紅葉を前にたわわな葉を茂らせた菩提樹、花をほころばせ始めた萩・・・と真如堂はいつ来ても心を和ませてくれます。

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    ひっそりとした境内                   紅葉を待つ菩提樹

 四季折々にさまざまな風景を見せてくれる『黒谷界隈』 京の路地裏歩きには最適なひとつです。


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知恩寺 ~ 「百万遍のさんの手つくり市」で知られる浄土宗四ヶ本山 ~

 京都市内を南北に走る東大路通と東西に走る今出川通の交差点 百万遍 その名の由来は交差点北東に位置する 百万遍知恩寺 といいます。元弘元年(1331)日本各地で疫病が流行り、後醍醐天皇はさまざまな加持祈祷を行わせるも終息せず、天皇は知恩寺の善阿に命じて7日間百万編念仏を行じ、ようやく終息、その功績によって『百万編』の号を賜ったといいます。知恩寺は第三代天台座主慈覚大師円仁が開創したと伝わり、かつては賀茂社の神宮寺として相国寺あたりにあったといわれ、賀茂社崇拝する法然が入山後、弟子の源智が住持となって浄土専修念仏の道場とし、知恩寺と称し、寛文2年(1661)に現在の地に定まったといいます。

 今出川通にたつ総門を入れば、空が大きく開けた閑散として境内に本堂、阿弥陀堂、釈迦堂、勢至堂などの建物が建っています。

  知恩寺1  知恩寺2
    総門                            阿弥陀堂

   知恩寺3
      本堂

  知恩寺4  知恩寺5
    釈迦堂                          鐘楼

  知恩寺6  知恩寺7
    勢至堂                          納骨堂

 この静寂とした境内はときおり賑わいをみせる日があります。それは『手づくり市」『古本市』『骨董市』などが行われている時。何度か訪れたことがありますが、その光景はいつもの境内からは想像できない賑わいに驚きます。

 知恩寺は京都における浄土宗四ヶ寺本山のひとつ、法然上人二十五霊跡として参拝されています。歴史ある寺には寺宝も多く、特別公開の際には大方丈、庭園などとともに見ることができます。

 境内の東側にはにはいくつかの塔頭寺院が並び、そのひとつ 了蓮寺 は『洛陽四十八願所地蔵めぐり』の『水落地蔵』が安置されています。また、龍見院は関ヶ原合戦における伏見戦で戦死した鳥居元忠を弔うために創建された寺で墓所があります。

   知恩寺10
      了蓮寺

  知恩寺8  知恩寺9
    西門                            西門脇に立つ鳥居元忠墓の石碑

 浄土宗では古い歴史を持つ 知恩寺 静かな境内は心が休まる場所でした。


常林寺 ~  「萩の寺」で祀られる世継子育地蔵 ~

 秋の七草のひとつ『』は古くから日本人に親しまれている花で、『万葉集』では萩を詠んだ歌が一番多いといいます。初秋、風に吹かれれば頼りなげに枝を揺らし、雨に打たれれば小さな花びらを地面に散らす・・・その風情ある光景は万葉人ならずとも心が動かされます。

 京阪電車・出町柳駅のすぐ近くにある 常林寺 は昔から『萩の寺』として知られる浄土宗の寺院。天正元年(1573)に念仏僧魯道によって開創され、当初は寺町通荒神口に建立されていましたが焼失、寛文11年(1671)に現在の地に移転し再建されたといいます。江戸時代には知恩院の役番として活躍し、また幕末には若き日の勝海舟の京における宿坊として利用していたといわれています。

 川端通に面して山門を開く常林寺。門の前には『世継子育地蔵尊』の石碑が立っています。伝えによれば、この地蔵尊はこの寺がたつ以前からこの地に祀られていて、子授け、安産の信仰篤く、素の霊感は遠国にまでも知られており、門前の若狭街道を行き来する人々に親しまれ香煙が絶えなかったといいます。その地蔵尊は門をくぐった左手の地蔵堂に祀られています。

  常林寺1  常林寺2

 境内は『萩の寺』といわれるように萩で埋まり、本堂に向かう参道にまでもしだれかかっています。かつてこの付近には『砂川』という小川が流れ、砂の河原に囲まれていたといわれ、生育に砂地を好む萩には最適な場所だったのかもしれません。

   常林寺3
           
 ほんの少し開花し始めた萩と少し穂を見せ始めたススキ・・・ひっそりとした境内は初秋の気配に包まれて、そよぐ風までもが涼しく感じられてきます・・・常林寺では毎年9月敬老の日に『萩供養』が行われるといいます。いつか境内や参道の石畳にこぼれた萩の花を踏みしめて本堂まで歩いてみたいと思いながらお寺を後にしました。

  常林寺4  常林寺5





滝口寺 ~ 建礼門院の雑仕と名門の武士の悲恋の舞台 ~

 京都嵯峨野には歴史や文学の舞台となった古刹が多くあります。祇王寺と隣り合う 滝口寺 もそのひとつで、『平家物語』巻十『横笛の事』の舞台となっています。この寺も祇王寺と同じく念仏坊良鎮が創建した往生院の子院であった三宝寺の旧跡だったところで、昭和期に『平家物語』の滝口入道と横笛の悲恋の地として小堂を建てて 滝口寺 と改められてたといいます。

 滝口入道とは平重盛(清盛の長男)の家臣斉藤時頼のことで、彼は建礼門院徳子に仕える横笛は相思相愛であったが、身分違いを理由に時頼の父によって引き裂かれてしまう。しかし父の干渉を知らない時頼は横笛の返信と思い込み19歳の身で往生院で出家。そのことを伝え聞いた横笛は自分の気持ちを打ち明けようと寺を訪れるが、滝口入道として仏に仕える身であると合うことを拒むみ、対面がかなわなかった横笛は近くにあった石に歌を書いて帰ったといいます。滝口入道は横笛に住まいを知られたということは修行の妨げになると高野山に入山、横笛は大堰川に入水したとも奈良法華寺で尼になったとも伝えられています。

 祇王寺から柴垣の間の石段をのぼると鬱蒼とした樹林に囲まれて小さな門がたっていて、その門から続く参道をあがって行くと生い茂る木の中に三宝寺の標柱と横笛が書いたといわれる歌碑が立っています。

  滝口寺1  滝口寺2

  滝口寺3  山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道に我を導け 

 草木が生い茂る参道をのぼりつめると開け放たれた本堂が建っています。近づいてみるとその建物は屋根には苔が、床はかかなりの傷みがあり、何とも哀れな姿になっています。以前訪れたときは紅葉の真っ盛りで、真っ赤に染まった小倉山を背に風情ある姿をミサていたような・・・

    滝口寺4
      本堂

 誰もいない本堂の縁に腰を下ろし、境内を眺めていると幾つもの実を付けた柿や千両が実を付けているのを発見、少しだけ秋を感じました。

  滝口寺5  滝口寺8
    本堂から眺める境内

 そして竹藪の中には滝口入道と平家一門の供養塔が境内を見下ろすように立っています。

  滝口寺6  滝口寺7
    平家供養塔

 鬱蒼とした樹林と天に届きそうな竹藪に囲まれた境内は山里の寂しい風景を思い描かせ、横笛と滝口入道の悲恋を偲べば胸が痛くなってきます。

 そして、この悲恋の舞台である寺にはもう一つの悲しい伝説があります。足利尊氏とともに鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞は名門の武将でありながら激変する時代の波に翻弄され、越前で命を落としてしまいます。その首が京の三条河原に晒されていたのを妻であった匂当内侍がこっそりと持ち出し葬ったのがこの滝口寺といい、入口の門の奥には新田義貞の首塚と匂当内侍の供養とがひっそりとたっています。

  滝口寺9  滝口寺10
    新田義貞の首塚                     匂当内侍の供養塔

 四季折々に趣きある風景を描き出す嵯峨野、無常観が胸に迫る寺々は訪ねる人の胸を打ちます。静寂の中に佇む滝口寺はそれをより一層心に響きました。
 

祇王寺 ~ 悲運の白拍子たちの隠棲した草庵 ~

 奥嵯峨にある 祇王寺 は悲運の白拍子たちが隠棲したことにより、今日の寺名となったことで知られている尼寺です。法然の弟子念仏坊良鎮が開創した往生院の跡に建てられていた草庵は、江戸末期以降、荒廃していましたが、明治28年(1895)当時の京都府知事が嵯峨にあった別荘を寄進し、富岡鉄斎らが再興したといいます。現在は大覚寺の塔頭寺院となっています。『平家物語』巻一『祇王の事』の舞台となった草庵は悲話から奥嵯峨で多くの女性の拝観者で賑わう寺として知られています。

 檀林寺から楓が覆う道を進むと、樹林の生い茂る中に祇王寺の入口があり、境内にある茅葺き屋根の門をくぐると、絨毯をのせたような苔の庭が現われ、ところどころに射し込む光が苔の美しさを一層引き立てています。楓が植えられた庭には苔生した石や燈籠が置かれ、暑苦しさを感じさせる蝉しぐれまでもが心地よく感じられます。人気のない庭は静まり返り、見つめていると心なしか聞こえるはずのない白拍子の今様の声や念仏が頭の中をよぎります・・・

  祇王寺1  祇王寺2

  祇王寺3  祇王寺4
  
   祇王寺5
     竹林と楓に囲まれた夏の苔庭

  祇王寺6  祇王寺7
                       紅葉に彩られた苔の庭の光景

 平清盛の寵愛を失った白拍子・祇王が母・刀自、妹・妓女を伴ってこの地に小庵を結んで隠棲、そこに前世の無情を感じて訪れた仏御前とともに念仏三昧に日々を送るという悲話。その舞台にふさわしいつつましやかな本堂には、本尊の大日如来、清盛公、祇王、妓女、刀自、仏御前の木像が安置されています。

   祇王寺8

 本堂の奥、控えの間にある吉野窓は、斜めに交差させた格子組が、障子を閉めると光の加減でその格子が影になtって虹の色に見えることから『虹の窓』と呼ばれる風情あるもの。窓辺に座りひと時、祇王21歳、妓女19歳、仏御前17歳で仏門に入った彼女たちを偲んでいると心が痛んできます。

      祇王寺9  『虹の窓』と呼ばれる吉野窓

 境内には平清盛公の供養塔と並んで祇王・侍女・刀自の墓がたっています。平清盛に翻弄された人生を想うと虚しさを感じますが、名にも語らないお墓を見ているとそれも遠い昔の出来事であったと思えてきます。

   祇王寺10

 四季折々に風情ある姿を見せてくれる 祇王寺 何度訪れてもののあわれを感じるお寺です。

 
 
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