矢田寺 ~ 「矢田地蔵」の呼び名で親しまれる古刹 ~

 三条通が寺町通と交差する賑やかな商店街を少し北に行くと、軒の下に提灯を吊る下げた 矢田寺 があります。

  矢田寺1  矢田寺2

 『矢田地蔵』の通称名で親しまれる 矢田寺 は奈良県大和郡山市にある 金剛山寺(矢田寺)の別院として、平安時代の承和12年(845)に五条坊門(京都市下京区壬生)に創建され、天正18年(1590)豊臣秀吉の京都改造により現在の地に移ったといいます。お寺の通称名となっている本尊・地蔵菩薩は開山の満慶上人が地獄で出会った地蔵の姿を彫らせたと伝えられ、地獄で人々を救うということから『代受苦地蔵』とも呼ばれており、その縁起を伝える『矢田地蔵縁起絵巻』が今もお寺には残されているそうです。

 商店街のアーケードに連なる屋根の下、『矢田地蔵尊』と書かれた提灯が吊るされる入口を入ると、せまい境内には数えきれないほどの火を燈した紅い提灯が吊る下げられ、親しみ深い雰囲気が漂っています。正面に安置された『代受苦地蔵』と呼ばれるお地蔵様は安産祈願・子孫繁栄・病患悉除・無病息災・恋愛成就の得られることで知られており、境内には奉納された絵馬や人気のぬいぐるみのお守りが掛けられ、人々の篤い信仰がうかがえます。

   矢田寺3 

  矢田寺4  矢田寺5
    大日如来                        石のお地蔵さま

 その境内には『送り鐘』と呼ばれる鐘がかけられています。この鐘はお盆の精霊を送るために撞かれる鐘で 六道珍皇寺 の『迎えj鐘』に対する呼び名といい、8月16日の精霊送りの日に撞かれています。

 そして、矢田寺ならではの行事のひとつに『かぼちゃ供養』があります。この行事は冬至にかぼちゃを食べると中風除けや諸病退散に良いといわれ、また忙しい師走に一息ついてほしいとの思いから始められたとのことで、師走の風物詩になっています。

 『矢田地蔵』と呼ばれ、人々の篤い信仰を集める 矢田寺は、 この界隈を通るたび、その明るい境に導かれるように入り、お地蔵さまに手を合わせてしまう親しみにあふれたお寺です。

 
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安祥院 ~ 「日限地蔵尊』で知られる寺 ~

 東大路通から五条坂を上って行くと、『茶わん坂(清水新道)』とわかれる坂の北側に、『日限地蔵さん』で親しまれる 安祥院 があります。祀られている日限地蔵尊は、参詣者自らが日数を決めて祈願すれば必ずその願いが成就するといわれ信仰を集める地蔵として知られています。

 安祥院は東山木食寺と号する浄土宗の寺院で、もともとは天慶5年(942)乙訓郡大藪村(現、京都市南区)に開創された護国院という天台宗の寺と伝わっています。荒廃後、鎌倉時代に浄土宗の僧・蓮寂が念仏道場とし、安祥院と名を改め再興するも再び衰退し、江戸時代の享保10年(1725)木食正禅養阿上人が現在の地に中興したといいます。
  
  安祥院1  安祥院2
                                   赤い提灯が目印の安祥院

 五条坂に接するように開かれた山門の中央には『日限地蔵尊』の赤い提灯が下げられ、入口には『日限地蔵尊』の石標がたっています。それほど広くない境内では、山桜の古木が枝をのばし、本堂の前庭を占めてその存在感を示しています。その前には正禅上人自筆の大日三尊光明真言碑がたっています。

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    山桜が枝をのばす境内                大日三尊光明真言碑               

 阿弥陀如来像が安置されている本堂、庫裏、地蔵尊を安置する地蔵堂、さらに毘沙門堂、荼枳尼天(仏教のお稲荷さん)、鐘楼、などが肩を寄せ合うように建てられています。

  安祥院4  安祥院5  
    本堂                            『日限地蔵』が安置される地蔵堂         
 
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    毘沙門堂                         荼枳尼天社

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                                   弁天堂

 また、幕末維新を物語る史跡が点在する洛東界隈、安祥院には吉田松陰の運命を変えたともいわれる幕末の儒学者・梅田雲浜と妻子の塚があることでも知られています。

 清水寺への上り口で、行きかうバスや車にさえぎられ、観光客の立ち寄ることの少ない 安祥院 ですが、 『洛陽六阿弥陀仏霊場』第四番札所、『京の通称寺』のひとつ。山桜が境内を埋めるころ、また訪れて訪れてみたいと思います。

 
 

清閑寺 ~ 古典文学にも登場する京の街を一望する古寺 ~

 子安搭で知られる泰産寺は清水寺の塔頭成就院の子院で、搭堂内には子安観音を祀り古くから安産祈願の寺として信仰を集めていることで知られています。

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    泰産寺                          子安搭

 その泰産寺の東側から 清閑寺 まで続く山間の道は『歌の中山』と呼ばれ、古くから紅葉の名所として多くの歌に詠まれてきました。昔、清閑寺の真燕という僧が夕暮れ時、門前に佇み往来する人を見ていると、ひとりの美しい女性が目にとまり、心が動かされるも言葉をかけるきっかけがつかめず、思わず 『清水への道はいずれか』 と問いかけたところ 『見るだに まよふ心の はかなくて まことの道を いかでで知るべき』 と歌を詠み、姿を消したてしまうが、じつはその女性は清閑寺の本尊・十一面観音の化身であったといわれ、この逸話から『歌の中山』の地名が起こったといいます。

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                             歌の中山

 その 清閑寺 は延暦21年(802)比叡山の紹継が創建した天台宗の寺院。平安時代、一条天皇の頃に勅願寺となり寺運が維持されるも応仁の乱で罹災し、衰退。そして、江戸時代初期に、紀州根来寺の性盛により復興され、真言宗に改宗されたといいます。

 音羽山の深い樹木に覆われた狭い道は、今もなお昔の面影を残す風情ある散歩道。そよぐ風に葉を揺らす木や竹、足元に積もった枯れ葉・・・歌に心得があるならばと思いながら山道を進むと、『歌の中山 清閑寺』の石碑がたっています。参道の石段を上って行くと、山門の手前の斜面に高倉天皇と六条天皇の御陵があり、高倉天皇陵の傍らには小督局の墓搭がたっています。小督局は『平家物語」に登場するヒロインのひとりで、高倉天皇に寵愛されたために、平清盛により宮中を追われ、この清閑寺で出家させられます。高倉天皇は小督局を失ったことに深く心を痛まれ、「亡くなったら局のいる清閑寺は葬ってほしい」と遺言され、21歳の若さで崩御。そして、その葬儀は清閑寺で行われこの地に埋葬されたといいます。

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    清閑寺参道                        高倉天皇後清閑寺陵

 山門を入るとさえぎる物のない境内は柔かな春の光に包まれて、絨毯を敷き詰めたような瑞々しい苔に覆われた庭が広がっています。

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 入口近くの鐘楼の傍らには『大西郷月照王政復古謀議舊趾』碑が建っていますが、かつてこの鐘楼の上には『郭公亭』と呼ばれた茶室があり、西郷隆盛と月照上人はその茶室で密議を交わしたといいます。

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    鐘楼                            「郭公亭」趾

 そして、本尊・十一面観音を安置する小ぶりな本堂の前庭には、小督局を供養する宝篋印塔が建てられています。苔生した塔は小督局の人生を見ているようで・・・どこかもの悲しい思いになってきます。

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    本堂                            小督局を供養する宝篋印塔

 苔の庭が広がる境内の西端には『要石』と呼ばれる大きな石が置かれています。それはここに立てば、京都の街が扇を開いたような角度で見えることから、扇の要の位置にあたるとして『要石』と名づけられたといいます。確かに、そこにたたずみ眺める風景は開発された今でも見応えがあり、かつて大津を経て山科から京をめざした旅人がこの地に辿り着き、初めて見た京の街の風景は感動と喜びに心がときめいたのでは・・・と思います。また、この石に誓いをたてると願いが叶うとの言い伝えもあるようです。

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     「要石」と市中の眺望

 平安時代にさかのぼる歴史を秘め、多くの和歌や古典文学にも登場する清閑寺は今も現実から離脱した趣きを持ち、雄大な眺望は心に安らぎと自然の美しさを教えてくれます。雑多な日常に疲れたとき、自然を楽しみたいとき、そして心を素にしたいとき・・・また、訪れたいお寺がひとつ増えました。

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                                   早春の庭に咲く木瓜



2018 京の冬の旅 4 ~ 清水寺塔頭 成就院 西郷隆盛と月照上人ゆかりの寺 ~

 京都観光ナンバーワンの人気を誇る 清水寺 創建の縁起は複数あるようですが、奈良時代末期の宝亀5年(778)、大和国子島寺(観音寺)の延鎮が東山山麓の音羽の滝で、白衣の居士行叡と出会い、霊木を授けられて観音像を刻み、滝の上に建てた草庵に祀ったことがはじまりといわれています。その後、延暦17年(798)にこの地に鹿狩りに来た坂上田村麻呂が修行中の延鎮に殺生を戒められ観音に帰依し、二人で千手観音像をつくり仏堂を寄進して安置、その後、弘仁元年(810)に鎮護国家の道場となり嵯峨天皇より『北観音寺』の宸筆を賜りますが、音羽の滝にちなんだ『清水寺』の名称が一般化したといいます。

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     子安搭からの清水寺伽藍

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    仁王門                          音羽の滝   

  『京の冬の旅』で公開されている塔頭 成就院 は、室町時代、応仁の乱の兵火にあった清水寺の復興に活躍した願阿上人が住坊として創建され、江戸時代には清水寺の本願職(寺院の造営勧進などを行う)を担当した子院であったといいます。成就院は『月の成就院庭園』と賞される庭が有名ですが、幕末の勤王僧として知られる月照上人と実弟信海上人が住職を務め、西郷隆盛をはじめとする勤王の志士たちが密談をしたところとも伝えられています。月照上人は尊皇攘夷に傾倒して京都の公家と関係を持ち、将軍継嗣問題では一橋派に与したため、大老井伊直弼から危険人物と見なされ、そして安政の大獄で追われる身となり、西郷の故郷である薩摩藩に逃れるも、藩から裳拒否され、西国とともに錦江湾に入水し亡くなったことで知られています。
 
 京都観光で欠かせない存在になっている清水寺から高台寺の界隈は、また幕末から維新を物語る史跡が多く点在しているところでもあります。

 京都霊山護国神社 は幕末、尊皇派志士の葬儀が行われるようになったことから、明治政府が官営の護国神社として戊辰戦争における官軍戦死者の合同墓地とし、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝充などの墓碑があることで知られています。護国神社の向かい側には幕末維新専門の歴史博物館『幕末維新ミュージアム霊山史料館』があり、歴史ファンの人気を集めています。
 その護国神社の参道は『維新の道』と呼ばれ、西郷隆盛と月照上人の密議の寺と伝わる 春光院 や幕末勤王の志士が密会した 翠紅館跡 などがあり、幕末維新を偲ぶ史跡に往時の志士たちの姿を連想させ、今でもそこかしこから彼らが現われてくるのではと・・・思い描いてしまいます。

  成就院9  成就院10
    京都霊山護国神社                   幕末維新ミュージアム霊山歴史館

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        維新の道

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    春光院                          翠紅館跡
  
 維新の道から、土産物店が並ぶ二年坂、産寧坂、清水坂を上って行くと鮮やかな丹塗りの清水寺の仁王門が出迎えてくれます。仁王門下の広場のいつもながらの喧騒な光景が繰り広げられています。石段を上ってそびえる三重塔を仰ぎ、北総門へ。

 北総門は成就院の正門で、寛永年間に再建されたといいます。門を入ると正面に月照・信海兄弟上人の歌碑、そして西郷隆盛が月照上人の17回忌に詠んだ弔詞を刻んだ碑の3つが建てられています。西郷が尊敬する島津斉彬が亡くなった時、殉死しようとした西郷に止めるよう諭したといわれる月照上人への厚い思いに胸が打たれます。

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   北総門                           月照、信海上人と西郷隆盛の石碑

 公開されている成就院は石碑の建つところから少し下った池を前に塀を廻らした建っています。

  成就院7  成就院7

 德川家光により再建されたという建物の玄関を入ると、仏間には月照、信海上人の木像、西郷隆盛の弔詞の拓本、錦江湾に入水していたときに身に着けていたという衣などが展示されています。そして、明治期のガラス戸の向こう側には江戸時代初期を代表するといわれる名勝庭園が広がっています。室町期の相阿弥の作で小堀遠州が補修したとも、江戸時代の俳人・松永貞徳の作ともいわれる庭は、東山36峰のひとつ高台寺山を借景にした池泉観賞式庭園で『雪月花の三名園』のひとつ、『月の庭』とされています。あまり広くない庭は、生け垣を低くして山の中腹に灯籠を立てて遠近感を出し、さらに階段状の刈込を配すなど様々な工夫で、無限の広さを感じさせるような工夫が凝らされているといいます。また、豊臣秀吉の寄進と伝わる誰が袖手水鉢、蜻蛉灯籠、烏帽子石などの灯籠、名石が配された庭に五葉松や椿などの木々が趣を添えた美しい庭園に圧倒されます。山の上から月が照らす庭を想像するだけでその心が躍ります。そして、この見事な庭園の東には東福門院和子が寄進したとという持仏堂(護摩堂)があり、本尊・十一面千手観音。不動明王や月照、信海上人など歴代住職が祀らているといいます。年に数回公開される成就院、庭園を彩るサツキ、新緑、紅葉、そして雪景色、四季折々のそれぞれの風情を堪能してみたい思いに。その思いが叶うことを期待しながら成就院をあとにしました。

 また、清水寺西門の脇にある茶店も西郷隆盛、月照上人にゆかりがあるところです。『忠僕茶屋』の名で親しまれる茶店を開いた大槻重助は、生涯上人の下僕となって忠誠を尽くし、鹿児島へ逃れ、ふたりが錦江湾に入水したときは救助に努めたものの上人を助けることができず、やむなく京に戻り、牢獄につながれたといいます。上人の死を怪しんだ幕府の人々の拷問にも口を割らず釈放されるも、『天下の謀反人』の烙印を押された重助に居場所はなく、わずかなお金で開いた茶店も人が寄らずに「苦労を重ねるも、時代が変わり、謀反人の冤罪が晴れたことにより『忠僕』と称えられるようになったといいます。

 今年の『京の冬の旅』では何度も訪れた場所でありながら初めて知ったことも多く、これを機会にまた、幕末維新に関する小説に目を通してみたい気持ちになりました。


2018 京の冬の旅 3 ~ 東福寺塔頭 即宗院  薩摩藩の畿内菩提寺 ~

 臨済宗東福寺派の大本山 東福寺 は五摂家のひとつ九条家が創建し、室町時代には京都五山のひとつに数えられた寺院として知られています。その塔頭子院は80を超える時期もあったといわれていますが、現在は25の塔頭がその姿を伝えています。

 京の冬の旅で公開されている 即宗院 は、薩摩の守護大名であった島津氏久の菩提を弔うため、南北朝時代の嘉慶元年(1387)に創建された寺院。開山の剛中玄柔は薩摩藩主の猶子として豊後の国に生まれ、東福寺第54世住持になった人で、院号は氏久の法名に由来するとのこと。永禄12年(1569)に焼失した寺は、慶長18年(1613)島津義久によって現在の地に再興され、以来薩摩藩の畿内菩提所として厚い庇護を受けたといいます。幕末には境内にあった茶亭『採新亭』で西郷隆盛と清水寺の僧月照上人が倒幕の密議を行ない、また鳥羽伏見の戦いの際には屯営となり、寺の裏山に砲列を敷き、幕府軍に砲撃を加え、勝利を手にしたと伝えられています。そして、境内には倒幕後、西郷隆盛は戦死者524霊を弔うため即宗院に滞在して碑文を書き、明治2年(1869)に『東征戦亡の碑』を建立したといいます。

 紅葉の名所で名高い東福寺の通天橋や洗玉澗は人影もなく、閑散とした境内に流れる凛とした空気・・・公開されている即宗院は境内のいちばん奥まったところに架かる偃月橋を渡った右手に位置しています。

  即宗院1  即宗院2
    通天橋と洗玉澗                     偃月橋

 石段を少し上がると山門があり参道が庭園に向かってのびています。

  即宗院3  即宗院4

 庭園入口の左手から玄関に入りと仏間があり、宝冠を頂いた釈迦如来像が安置されています。そして、室内には島津家から拝領した品々や西郷隆盛筆の掛軸や德川15代将軍慶喜の掛軸も公開されていました。

 そして、客殿の前には苔の美しい庭園が広がっています。即宗院のある地は、東福寺を造営した九条道家の祖父・兼実の山荘『月輪殿』が築かれていた場所といわれ、この庭園はその跡地といいます。太平洋戦争後荒廃していましたが、多くの人々によって往時の面影が復元されたといいます。

  即宗院5  即宗院6

 深い森を背後にした庭は室町時代後期の作と伝えられる池泉回遊式庭園で、滝の跡の石組みや池の地割などが当時の名残りをとどめているといいます。苔が敷きつめられた中を走る白砂の散策路、葉を落とした木々の隙間からこぼれる冬の柔らかな陽ざしの射し込む室内に漂う香煙・・・縁にたたずみ眺める庭は雑多な心に寄り添ってくれ、優しい気持ちにさせてくれます。

 そして、西郷隆盛自筆の『東征戦亡の碑』を見るために裏山へ。

 赤や黄色の実をつけた千両を見ながら築地塀に沿って進むと、『採新亭跡』と書かれた地があります。ここは江戸時代に第13世龍河が草庵を建てたことにはじまり、茶室として使用されていたといいます。東山36峰の裾野の閑居な地に建つ茶亭は恰好な隠れ場であったことから密議が行われた伝えられています。

  即宗院7  即宗院8
                                   採新亭跡

 枯れ葉が積もった道を上って行くと石造りの鳥居が建ち、石碑が並んでいます。

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                                   西郷隆盛自筆の「東征戦亡の碑」

 西郷隆盛が霊を供養するために斎戒沐浴し揮毫した戦士名と碑文、新しい日本のためにこれほど多くの犠牲があったのかと思うと胸が熱くなります。刻まれた名には隆盛の弟・吉之助や新選組の隊士から薩摩藩に移り、新選組局長・近藤勇を斬首に追い込んだ清原清(武川直枝)もあり、境内の一角には幕末三人斬りのひとり田中新兵衛の墓も建っています。

 そして、新しい日本のために犠牲となった人々のための冥福を祈り、感慨深い思いを胸に境内を後にしました。

 
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