智恩寺 ~ 『知恵の文殊』で知られる古刹 ~

 天橋立の入口にある 智恩寺 は日本三文殊のひとつ『知恵の文殊』と称される臨済宗の寺院。寺伝によれば、平安時代の延喜年間に創建され、室町時代には足利義満や五山の僧、連歌師ら多くの有力者、文化人がこの地を訪れたといいます。

 両側に土産物店や飲食店が並ぶ参道を進むと大きな山門が建っています。江戸時代に上棟されたという二重門の山門は丹後地方では最大のもの、そして門をくぐった左手に建つ多宝塔は室町時代の建立で、丹後地方最古の木造建築といわれています。

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    山門                            多宝塔

 雪舟筆の『天橋立図』にも描かれている文殊堂は智恩寺の本堂で、内陣厨子には獅子に乗った文殊菩薩、その脇に獅子をひく優闐王と経箱をかかげ持つ善財童子が安置されています。

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     芳珠造りの文殊堂

 宝珠造りの美しい文殊堂が現在の姿になったのは江戸時代初期、宮津藩主・京極高広が行った修理によるもので、内陣を囲む4本の柱は建立されたと伝わる鎌倉時代のままといいます。その文殊堂の外陣の壁には芝居絵・俳額・算額など多くの絵馬が掲げられ、境内の木々にはたくさんの扇形のおみくじが付けられており、人々の文殊堂によせる信仰の深さがうかがえます。

           智恩寺4 扇みくじが揺れる松の古木

 境内にはほかに鐘楼、鐘楼門、方丈、無相堂、吉祥弁才天堂などの建物あります。 

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    鐘楼                            鐘楼堂

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    方丈                            無相堂

 また、手水鉢として使用されている鎌倉時代の鉄湯船や歌人・和泉式部の供養塔と伝わる石造宝筐院塔、室町時代のものいわれる石造地蔵菩薩などの貴重な文化財が残されています。

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    鉄湯船                          和泉式部ゆかりの伝承を持つ宝筐院塔

 『知恵の文殊』のほか、この地の名から『九世戸の文殊』や『切戸の文殊』とも呼ばれる 智恩寺 古くから人々の信仰を集めてきた寺院は信仰のみならず文化財にも接することができました。千年余の歴史にはぐくまれた古刹は天橋立にはなくてはならない大きな存在であることを改めて知った拝観でした。

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蓮華寺 ~ 五智如来像が安置される『きゅうり封じ』で知られる寺 ~

 京都の洛西・双ヶ丘の北、御室の地に壮大な伽藍を持つ 仁和寺 は『御室御所』と称されたように優美で重厚な門跡寺院。壮大な仁王門をくぐれば広々とした参道が中門に向かってまっすぐに伸び、新緑の境内は爽やかな風に包まれています。

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    仁和寺の仁王門                     新緑の中にそびえる五重塔

 この仁和寺の東門を出たところに真言宗御室派 蓮華寺 があります。縁起によれば蓮華寺は天喜5年(1057)藤原康基が広沢池の北西に不動明王像を安置したことがはじまりで、そののち円融、後冷泉天皇の祈願所ならびに仁和寺奥院となり隆盛したが、応仁の乱の兵火にあい、鳴滝音戸山に移るも衰退したといいます。その後、寛永18年(1641)江戸の豪商が荒廃していた蓮華寺に石像五智如来像を安置し堂宇を再興、昭和の初めに現在の地に移され、昭和33年(1958)に山上に残った石仏をこの地に遷座したといいます。

 仁和寺の大駐車場のうしろ、石垣に五筋塀で囲まれて建つ蓮華寺、境内に上がると石仏群が南に向かって二列に並んで参詣者を迎えてくれます。

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                                    地蔵菩薩像を中心に並ぶ石仏

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     大日如来を中心にして鎮座する五智如来像

 五穀豊穣功徳の大日如来を中心に安置された石仏は医薬功徳の薬師如来、福徳財宝功徳の寶生如来、極楽往生の阿弥陀如来、知恵聡明功徳の釈迦如来の5体で、古来より庶民から深く信仰されている仏さま。そして後列には地蔵菩薩像を中心に10体余り安置されています。これらの石仏は蓮華寺を再興した豪商樋口平太夫が依頼して造らせたものといいます。まじかで、こころおきなく拝むことのできる蓮華寺はより一層功徳が得られたようでうれしくなります。

 石仏の並ぶ奥には木の香りの芳しい本堂、その右手には不動堂が建っています。

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    本堂                            不動堂

 不動堂内には『近畿36不動尊第15番霊場』の石造不動明王が安置されています。

 またこの蓮華寺は土用の丑の日に行われる『きゅうり封じ』で知られています。これは弘法大師空海がきゅうりに疫病を封じて五智不動尊に祈願すると罹病しないと説いたことによるもので、祈祷を受けたきゅうりで患部をなでると病気に効くといわれています。

 それぞれの仏像に手を合わせ蓮華寺から再び仁和寺へ。

 平安貴族も桜会を催したといわれる『御室桜』はピンクの花から瑞々しい青葉に変り、境内の一角で風に揺れています。御室桜の脇を通り、西門から『御室八十八カ所めぐり』に向かいました。四国八十八カ所札所を模したコースは約3㌔、山あり谷ありですが、清々しい初夏の風、鶯の声に疲れも吹き飛び、そして、山頂からの眺めに大満足  

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 蓮華寺で五智如来の功徳を授かり、御室八十八カ所めぐりで達成感とリフレッシュ  素晴らしい一日に感謝です。

遍照寺 ~ 風光明媚な地に建立された真言密教の『広沢流』の根本道場 ~

 のどかな田園が広がる嵯峨野の北、遍照寺山を水面に映した 広沢池 は遍照寺池とも呼ばれるこの池は平安中期に建立された 遍照寺 の庭池として造営されたともいわれ、古くから観月の池として数々の歌にも詠まれてきた景勝地。周囲1.3kmほどの池のほとりには桜並木が続き桜の名所としても名高く、また時代劇のロケーション地としても知られています。

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     風光明媚な地で知られる広沢池

 風光明媚で知られるこの地にはかつて宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正が開いた 遍照寺(へんじょうじ) の堂宇が池を中心に並んでいたといわれています。開山の寛朝僧正は広沢御坊とも称された高僧で、真言密教の秘法を究め、真言宗二大流派のひとつ『広沢流』の根本道場を開き栄えた寺は寛朝僧正没後次第に衰退し、応仁の乱で廃墟と化したといいます。その後、江戸時代寛永年間に広沢池から南に入った今の地に本尊十一面観音立像と赤不動明王坐像を安置する草庵が建てられ、江戸末期に寺となり新たな 遍照寺 として現在に至っているといいます。

 住宅地の中にとけ込むようにひっそりと佇む遍照寺、小さな山門の先には広々とした空の下に枯淡な参道が本堂向かってのびています。

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                                   『広沢流』の名が刻まれた石柱

 山門を入れば参道の両側には季節の草花が植えられ、ところどころにある石塔や社を見ながら進むと正面にこじんまりとして本堂が建っています。

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    本堂                            客殿

 本堂内には創建当時の十一面観音立像、成田山新勝寺の不動尊と一本二体の霊像と伝えられる赤不動明王が祀られ、庫裡を挟んだ客殿には狩野探雪の軸、寛朝僧正御影などが展示されています。

 嵯峨野には『源氏物語』ゆかりといわれる地が多くありますが、この遍照寺は『夕顔』の土台といわれています。紫式部が20歳頃のこと、村上天皇の皇子具平親王と親王家に仕える大顔がお忍びで月見に出かけ、月見を楽しんでいる最中に大顔が突如亡くり、紫式部の父と叔父は残された子供たちのために奔走することになったとのこと。身分違いの恋を描いた『夕顔』の巻の夕顔はその大顔がモデルといわれています。

 数々の歴史や物語の舞台となった嵯峨野、時代は移り変わってもその佇まいや風景で古の情景に思いを馳せることができる・・・嵯峨野の散策は無限の喜びをもたらしてくれました。

  

 清涼寺 ~ 「源氏物語」のモデルとされる源融ゆかりの寺の仏像 ~

 『嵯峨釈迦堂』の名で知られる 清凉寺 は.小倉山の山麓から少し離れた平坦地に伽藍を構えています。清凉寺は『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされる源融の山荘『棲霞観』あったところで、没後、その山荘に阿弥陀堂を建立して『棲霞寺』としたことにはじまるといいます。天慶8年(954)に醍醐天皇の皇子重明親王が堂宇を建立し、等身大の釈迦像を安置、これが釈迦堂の名の由来ともされています。その後、東大寺の僧奝然が宋から持ち帰った釈迦如来像を釈迦堂に祀って華厳宗の寺とし、『清凉寺』としたといいます。この釈迦如来像は釈迦が37歳のときの生き姿を刻んだもので、胎内には結縁手印状、経典、文書などとともに絹製の五臓六腑が納められています。異国情緒あふれるこの仏像は清凉寺式と呼ばれ、以後数多くの模像がつくらています。

 新丸太町通の最西点を北に進むと、正面に重層な仁王門が見えてきます。たびたび火災にみまわれ、応仁の乱で諸堂が焼失した清凉寺は江戸期に徳川家康や綱吉の援助を受けて現在の伽藍がととのっていったといいます。この仁王門も同時期の再興で上層内には十六羅漢が安置されているといいます。

   清凉寺1 

 門をくぐると木々のまばらな境内には明るい光がさしこみ修学旅行生のにぎやかな声が飛び交っています。正面にたつ豪壮な本堂は德川綱吉と生母桂昌院の寄進で、桃山建築の名残りをしめす堂内の中央には生き姿を刻んだという釈迦如来像が安置され、堂内を見守っていいます。また、開祖奝然上人の木像、厄除地蔵が祀られ、清凉寺縁起の一部を拡大した壁画、桂昌院寄進の品々も展示されています。

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                                   本堂

 本堂の裏手には放生池、摩尼堂(弁天堂)、納骨堂の建物が建っています。放生池には小島や橋、周囲には花木や木々が植栽されています。その池には屋根を宝形造りにした摩尼堂と目に染みるような青葉の木々やツツジの花が水面に映し出されています。

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     摩尼堂(弁天堂)と庭園

 本堂の右手には清涼寺のはじまりといわれる『棲霞観』を寺にした阿弥陀堂、さらにその手前には一切経蔵がひっそりと建ち、傳大士像と笑仏が祀られた経蔵に中には一切経を納めた輪蔵が置かれています。

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      阿弥陀堂                         

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    一切経蔵                         傳大士と笑仏 

 さらに境内には多宝搭、鐘楼や毎年4月に行われる『嵯峨大念仏狂言』が演じられる狂言堂などの建物、開山の奝然上人の墓、源融の墓といわれる宝筐院石塔、秀頼公の首塚などがあります。また、多宝塔の横には24歳のとき広く人々のを救うための仏教を求めて本堂の釈迦如来の前に7日間こもられたという法然上人の大きな立像もたてられています。

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    多宝塔                           鐘楼

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    奝然上人の墓                      法然上人立像

 そして、境内の奥まったところにある霊宝館には国宝の阿弥陀三尊像をはじめ多くの寺宝が収蔵されており、春と秋に特別公開されています。阿弥陀如来三尊は棲霞観を阿弥陀堂にした際の本尊と伝えられ、光源氏のモデルとされた源融が亡くなる直前に自分の顔に似せてつくらせたともいわれています。引き締まった美しい顔に逞しい造形、そこに漂う神秘的な表情に心が奪われていきそうな・・・この霊宝館ではほかにも多くの仏像や軸、釈迦如来像の胎内納入品などが展示されています。

 のどかな風景と竹林に囲まれた小径、美しい自然の中に佇む古刹、世をはかなんで出家した人々の少庵・・・嵯峨野にはしっとりと落ち着いた情景が漂っていますが、境内が広い清凉寺は開放的で、地元の人々から『嵯峨の釈迦堂』と親しまれているのが納得できるような明るいお寺、今度は和泉式部ゆかりの『軒端の梅』の深紅の花が咲くころの訪れてみようか・・・と思いながら境内をあとにしました。             

厭離庵 ~ 楓樹に包まれた藤原定家ゆかりの寺 ~

 新古今和集、新勅撰集の撰者で知られる藤原定家、 嵯峨野にある 厭離庵(えんりあん) は定家の『小倉山荘』の跡と伝えられ、江戸時代に定家の子孫である公家冷泉家が復興して寺とし、霊元天皇より「欣求浄土、厭離穢土」から庵名を与えられたといい、その後、臨済宗天龍寺派となり、明治末に山岡鉄舟の娘素心尼が住職につき、それ以降尼寺となっているといいます。

 民家の間のある竹藪に挟まれた細い道を進むといつもは閉められている山門が特別公開のためが開けられ、参詣者を迎えてくれています。

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 門を入ると正面に萱葺の門が見えてきます。これは門の姿をした腰掛待合で、飛び石を進むと頭上の高い位置に茶室『時雨亭』が建っています。

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    中門の姿を取った腰掛待合             茶室『時雨亭』

 定家の山荘・時雨亭の名を付けた茶室は大正時代に建てられたもので、葦の化粧天井に傘を想わせる屋根裏の趣きある佇まいです。

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     茶室『時雨亭』

 待合を左に折れると少し小高くなった所に小さな門があり、この門をくぐると瑞々しい若葉をつけた楓などの木が頭上に広がり、湿り気を帯びた苔を覆っています。ところどころに化石の橋や灯篭、飛び石が置かれている風情ある庭は京の名庭に数えられています。

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     京の名園に数えられる風情ある庭

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    書院                            本堂

 本堂は境内の一番奥、石段をのぼりつめたところに建っています。堂内には本尊である定家の子為家の念持仏の如意輪観音像を真ん中に両側には開山霊源禅師、西行法師、家隆卿、貫之卿の木像と定家卿、為家卿、為相卿の位牌が安置され、それを見守るように愛らしい『飛天』から見下ろしています。

 そして本堂の石段下には定家卿を偲ぶ五輪塔『定家塚』がひっそりと佇んでいます。

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    定家塚                           木の葉をかたどった飛び石

 静寂さが漂う境内にさし込む木漏れ日、そよぐ風に葉を揺らす楓や竹・・・寺院のなかとは思えないような風情を漂わせる 厭離庵 いつの日かまたここを訪れる機会にめぐり合えることを願って境内をあとにしました。
 
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