2018 桜紀行 5 仁和寺 ~ 壮大な門跡寺院を彩る「御室桜」 ~

 洛西・双ヶ丘の北に位置する 仁和寺 は『旧御室御所』と呼ばれるように、代々法親王が住持した門跡寺院。仁和4年(888)に宇多天皇が、前年に崩御した父・光孝天皇の遺志を継いで創建、寺名は年号から付けられたといいます。昌泰2年(899)に出家された宇多天皇は法務ををおこなう僧坊を設けられ、それは『御室』と尊称されて、地名として後世に伝えれられることになったといいます。いく度かの火災にみまわれた仁和寺ですが、応仁の乱ではほとんどが焼失し、本格的な復興は江戸時代、後水尾天皇の兄覚深法親王の時代になってのことで、徳川幕府の援助、さらには京都御所の改築に伴い、金堂に紫宸殿、御影堂に清涼殿、宸殿に常御殿が移築され、二王門、五重搭なども造られ、現在の優美な伽藍群が完成したといいます。

 古くから桜の名所で知られる仁和寺には京の桜の季節をを締めくくる『御室桜』があります。根本から枝を分けた低い木に花を咲かせる『御室桜』は、『わたしゃお多福御室の桜 鼻(花)がひくても人が好く』と詠われ、『お多福桜』の愛称でも人々に親しまれている桜です。

 左右に金剛力士像が安置した堂々たる二王門をくぐると、広々とした参道の先に浮かんでいるかの様に朱塗りの中門が建ち、左側の参道沿いには築地塀に挟まれて本坊表門、勅使門が建っています。

   仁和寺1 
 
  仁和寺2  仁和寺3
    本坊表門                         勅使門

 本坊内には宸殿の南側に白砂敷きの、北側に池を配した優雅な庭園が広がっています。

  仁和寺4  仁和寺5

 中門をくぐると左手に『御室桜』の苑があります。満開の御室桜が見れるはずが葉桜になっていて、五重塔とのショットは葉桜がメインに・・・

  仁和寺7  仁和寺8
    御室桜

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    御衣黄桜                          ミツバツツジ

 早くも新緑を迎えたような若葉が頭上を覆う境内には国宝の金堂をはじめ、御影堂、鐘楼、観音堂などの諸堂が建ち並び、満開のミツバツツジが彩りを添えています。

  仁和寺11  仁和寺12
    金堂                            鐘楼

  仁和寺15  仁和寺13
    御影堂                           経蔵

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    九所明神                          観音堂(改修中)

 楽しみにしていた満開の『御室桜』には間に合いませんでしが、今年は満開の桜にたくさん出会うことができた楽しい春でした。


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2018 桜紀行 3 永観堂 ~ 「見返り阿弥陀」の御座す寺 ~

 『紅葉の永観堂』のと呼ばれるほどに紅葉の名所である 永観堂 ですが、桜を求めて境内へ。

 永観堂 、正しくは 無量寿院禅林寺 といい、弘法大師の高弟・真紹僧都が清和天皇から寺院建立の許可をもらい、『禅林寺』の名を賜ったのが始まりといいます。中興の祖といわれる永観律師が恵まれない人々にために境内に施療院を建てるなど奔走。そして、いつしか禅林寺は永観律師を慕う人々によって 永観堂 とよばれるようになったといいます。『見返り阿弥陀』の名で知られる本尊・阿弥陀如来像は、永観が念仏を行道中に現われ、振り向いて『永観 おそし』と言葉を発し、導いた姿から『見返り阿弥陀』と呼ばれています。

 総門をくぐると参道わきでは満開の桜が出迎えてくれました。中門を入り大玄関から堂内へ。

  永観堂1  永観堂2

 書院造りの釈迦堂は華やかな襖絵で飾られ、枯山水の庭園が趣きを見せています。葉先が3つに分かれている三鈷の松の古木を見ながら『臥龍廊』と名づけられた回廊をあがり開山堂へ。そして回廊を戻って阿弥陀如来堂に入れば、極彩色の堂内に格天井に『百花』が描かれた中、穏やかな微笑みを浮かべた本尊・見返り阿弥陀が安置されています。なんとも慈悲深い姿に心が癒やされます。

  永観堂3  永観堂4
    臥龍廊                           阿弥陀堂

 阿弥陀堂を出て多宝塔に上り、春景色に包まれた京の街が広々と一望。薄っすらと霞かかった中に京都御苑、双ヶ岡、左大文字までもが望める見晴らしは圧巻です。

  永観堂7  永観堂8
    多宝塔                           京都市街の眺望

 境内には御影堂、鐘楼などの建物のほか放生池があり、その周囲には楓をはじめさまざまな花木が植えられています。中でも白木蓮はその白さであるがゆえにか、永観堂の甍や芽吹き始めた木々に映えひときわ印象深い姿でそびえています。白木蓮は木蓮と同様に中国生まれで、一雨ごとに大きくなり、いつの間にかいっせいにほころび、あたりに芳香を漂わせる春の花。大きいものでは15㍍にもなるといわれ、蓮の花に似て朝開いて夕に閉じる咲き方は寺院には似つかわしい花といえるかもしれません。

   永観堂9 
     放生池

  永観堂5  永観堂6 
     御影堂                         画仙堂   

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      白木蓮

 寺域に3000本をも超える楓が植えられている 永観堂 山内が真紅に染められる季節を除けばなんとも心が癒されるお寺です。慈悲深い仏さまに手を合わせに、また来たいと思います。 


2018 桜紀行 2 南禅寺 ~ 石川五右衛門を気取りで眺める桜 ~

 京都五山の最高位に君臨した 南禅寺 は正式には『瑞竜山太平興国南禅禅寺』 平安時代初期に造られた禅林寺(永観堂)の中に亀山上皇が離宮を造られ、その離宮が上の宮と下の宮から成っていて、下の宮を亀山天皇が深く帰依したいた大明国師に与えて寺とし、禅林寺の南にあったため『南禅寺』としたといいます。天下の大盗賊・石川五右衛門が『絶景かな、絶景かな』と見得を切った伝説で知られる三門はあまりにも有名で、南禅寺の代名詞になっています。

 勅使門を入ると花を落とし始めた桜と入れ替わるように眩しいほどの若葉が山内に広がっています。石川五右衛門が見得を切ったといわれる三門は寛永5年(1628)東堂高虎の寄進によるもので、石川五右衛門が釜茹でにされた三十数年後の建立といいます。三門の回廊からは、眼下に境内の四季折々の風景、そして遥か彼方に京の街を眺めることができます。春の南禅寺、豪壮で厳めしい三門と桜の取りあわせ、春のロマンが感じられます。

  南禅寺2  南禅寺1

 三門の先に建つ法堂(仏殿)は明治に再建されたもので、天上には豪壮な龍図が描かれています。その法堂の近くでは桜が枝を広げる美しい構図が・・・

  南禅寺3  南禅寺4
    法堂                            法堂に映える桜

 そして、法堂の奥には黒い木組みが白壁を仕切る庫裡が建ち、玄関を入ると方丈、書院が建っています。大方丈は豊臣秀吉が寄進した御所の清涼殿を移建したものといわれ、内部は狩野元信や永徳の障壁画で飾られ、まるで美術館にいるような感覚になります。大方丈の前には小堀遠州の作と伝わる『虎の児渡し』とよばれる庭園が広がっています。

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    庫裡                            大方丈

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     方丈庭園

 境内の賑わいが嘘のような静寂な本坊には方丈庭園のほか幾つもの庭があり、趣きが異なるそれぞれの庭は印象深く、心を落ち着かせてくれます。

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                  南禅寺9

 取だって名のある桜があるわけでもなく、さりとて桜苑があるわけでもない 南禅寺 ですが、広い境内のそこかしこに咲く桜を見ながらの散策は石川五右衛門ではありませんが、そこには絶景と感じる桜の風景に出会える楽しみがあると私は思います。

   南禅寺10

   

2018 桜紀行 1 醍醐寺 ~ 豊臣秀吉「花見の宴」跡に咲く桜 ~ 

 人々は四季折々の風情を求めて花の名所を訪ねます。花に魅せられる理由はさまざまで、その時期にしか見れないこと、慌ただしい日常を忘れさせてくれること、美しいものに感動したいこと・・・中でも春の訪れを告げる『』はそんな人々の心を熱くし、『和歌』の世界をはじめ『』と言えば『桜』を指すほど、また『花見』と言えば『』を鑑賞することを指して、マスコミに登場する『』の代表でもあります。例年を遥かに上回り開花した『』、今年は京都の人気スポットを訪ねました。

 豊臣秀吉が花見の宴を繰り広げたことで知られる 醍醐寺 は洛南随一の花見の名所。慶長3年(1598)3月15日に催された花見には、その花見に先立ち桜を700本も集めて移植され、当日は秀頼、北政所、淀君、家臣らが華やかに装い、満開の桜を楽しんと伝えられています。そして、その花見は5ヶ月後の8月18日に他界した秀吉にとって最後の花見となりました。

 世界遺産に登録されている 醍醐寺 は秀吉による『醍醐の花見』の煌びやかな寺院の印象がありますが、その実は骨太な山岳信仰の寺院です。『上醍醐』『下醍醐』からなる醍醐寺は標高450㍍の笠取山(醍醐山)とその西麓にかけて伽藍が広がっています。寺伝によれば、醍醐寺は貞観年間に聖宝(理源大師)が山上に草庵を設け、准胝・如意輪観音像をつくって准胝堂、如意輪堂を建立、さらに聖宝に帰依した醍醐天皇により薬師堂、五大堂が造営されて御願寺となったといいます。准胝堂は平成20年(2008)の落雷による火災により焼失しましたが、山中には五大堂、薬師堂、開山堂、如意輪堂や醍醐寺の山内守護神清龍権現を祀っている清龍宮拝殿などが建っています。そして拝殿の横の石段を上ると『醍醐寺』の寺名と由来となった『醍醐水』の祠があります。『醍醐』の語源は『最高の味』を意味し、仏教では『最高の真理』にたとえられるといいます。

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    五大堂                           開山堂

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    如意輪堂                         薬師堂 

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    清龍宮拝殿                        醍醐水

 上醍醐に対し山下は下醍醐にとよばれ、延喜4年(904)頃から造営がはじまり、釈迦堂(金堂)、五重塔などが建立され、真言密教、修験道の寺として隆盛を極めたといいます。室町から戦国期にかけて兵火に見舞われるも豊臣秀吉の支援より再興され、秀吉没後は秀頼、北政所に引き継がれ諸堂も甦ったといいます。

 さすがに京都有数の桜の名所、総門から仁王門にかけての『桜の馬場』はソメイヨシノやシダレザクラが隙間なく咲き乱れ、そよぐ風に桜が舞い落ちる風情ある光景が・・・

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    総門                            桜に彩られる仁王門

 総門を入り、桜の舞い散る参道を進むと左手に下醍醐の山内で重要な子院・三宝院があります。三宝院は醍醐寺だい14代座主・勝覚僧正によって創建され、以来醍醐寺の座主の居住する本坊として醍醐寺の中核を担ってきたといいます。五七の太閤桐の文様が浮彫されてた煌びやかな唐門の手前の表門から中に入ると巨大なシダレザクラが枝を広げています。 散り桜になっても存在感を示す巨木に圧倒されます。 

  醍醐寺3  醍醐寺4
    唐門                            シダレザクラ

 大玄関から葵の間、秋草の間、勅使の間を経て、表書院へ。表書院からは秀吉が直接作庭を指示したと伝わる庭園が開けています。

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    大玄関                           庭園

 池を中心に配した池泉回遊式の庭園は池の中に島が設けられ、そこに石橋が渡され、一方に植えられた樹木の中に茶室が造られています。普請狂とまでいわれた秀吉の死の直前に造った庭、往生極楽という願いが込められた庭なのかもしれたいと、秀吉を偲びました。

 再び参道の桜の馬場に戻り、下醍醐の伽藍エリアに。
 仁王門を入ると左右には五七の太閤桐が描かれた幔幕が張られ、花見気分を盛り上げてくれます。現存する京都最古の建物といわれる五重塔、秀吉の命により紀州から移されたという金堂(本堂)など、満開の桜のもとでその存在感を示しています。

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    五重塔                          金堂

 満開の桜、散り始めた桜、ほんのり先を紅く染めた桜・・・さまざまな桜の植えられた境内には清滝宮本殿・拝殿、不動堂、祖師堂などの建造物が建ち、さらにその先の日月門をくぐると観音堂、弁天堂が建っています。

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    不動堂                          弁天堂

 弁天堂の池には散り落ちた桜の花びらが、そして周囲の樹木は新緑の装いを。暫したたずみ情緒ある風景を満喫し、木漏れ日に包まれた庭園を散策・・・

 そして最後に、霊宝館に向かいました。天皇、貴族、武士、民衆など多くの人々から祈りを奉げられた醍醐寺には10万点を超える寺宝が残されているといいます。公開されている絵画や文書、そして仏像は国宝や重要文化財の貴重なものばかり。文化財を堪能し館内をあとに庭を散策。シダレサクラ、サトザクラは満開  あちこちから聞こえる感嘆の声とシャッターの音、華やかな光景の下でひっそりと座る御仏に舞う花びら・・・

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  醍醐寺12  醍醐寺14

 華やかな桜に感動、公開されている寺宝に圧倒された 醍醐寺 やはり天下に名を届かせる桜の名所、何度訪れてもその感動は無限です。

 

傳法輪寺 ~ 京都で一番大きな阿弥陀様と聞く涅槃図の絵解き説法 ~

 『関通さん』とよばれる 傳法輪寺(てんぽうりんじ) には座像でありながら高さが約7.5㍍という京都で一番大きいといわれる阿弥陀如来像が安置されています。傳法輪寺は江戸中期、専修念佛の法門を世の人々に説き示した関通上人によって創建された浄土宗の寺で、現在の地には昭和3年(1928)に移転したといいます。通常はあまり公開されることのない傳法輪寺ですが、今年は2月10日から4月8日まで特別公開されており、巨大な阿弥陀様と釈迦涅槃図の拝観に訪れてきました。

 仁和寺の東側の土塀に沿ってゆるやかな道を上って行くと右手に『傳法輪寺』と刻まれた石柱があり、参道を少し入ると右手に龍宮造りの門が見えてきます。寺の南門となる門の上は大きな釣鐘が懸けた鐘楼門になっています。

  傳法輪寺1  傳法輪寺2

  傳法輪寺3  傳法輪寺4

 門をくぐると花木や花が植えられたこじんまりとした庭が広がり、その先に本堂が建っています。白砂の庭を前に白壁、白い障子の本堂は眩しく、清浄感をたたえた佇まいで参拝者を迎えてくれています。

   傳法輪寺5

 本堂に入り安置されている阿弥陀如来坐像は想像以上の大きさ この阿弥陀如来坐像は江戸時代の代15代・桜町天皇御追福のために寄進されたもので、五色の光背中央には鏡が飾られているといいます。如来像の前に座り見上げると、仏さまが包むような優しい眼差しで見つめてくださっているようで、思わず『南無阿弥陀仏』が・・・この巨大な阿弥陀如来像、話によれば、現在に地に遷されるとき、当時通っていた市電の高架電線を潜る必要があり、竹竿で電線を持ち上げて通るもどうしても無理な場所があり、電線の切断か、仏像の頭部を切断しして移動するかの決断が迫られたとか。しかし、電線を切断することもなく、また改定することもなく無事に運び込まれたとの逸話があるといいます。

 そして、本堂に掛けられている『涅槃図』は縦5㍍を越し、横5㍍近い大きなもので、宝暦14年(1764)に作られたものといいます。

  傳法輪寺7  傳法輪寺8

 中央に涅槃のお釈迦様、周囲を取り巻く弟子、諸仏、鳥獣に至るまで、この世の全ての者たちが描かている涅槃図。この一枚には様々な物語が隠れているといいます。特別公開では、毎日ご住職がそれぞれの物語をその物語を解説してくださいます。訪れた日は、『』の物語で、一番人気とか。解りやすい言葉で知る涅槃図に全ての物語を知りたくなりました。

 安置されている阿弥陀如来像の裏側には、珍しい裸形阿弥陀如来立像、開基の関通上人像などが祀られています。

  傳法輪寺10  傳法輪寺9

 また、本堂の一角にはさまざまな模様が彫られたの木魚が置かれ、本尊の前にある巨大な木魚とともに魅入ってしまいました。

 『きぬかけの路』沿いにありながら、なかなか拝観することのなかった 傳法輪寺 ご住職の説法に魅せられ、寺庭婦人の御接待に心が温まり、是非また阿弥陀様の眼差しにあいに来たいと思います。

 

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