長安寺 ~ 「関寺小町」の舞台となった関寺跡に建つ寺 ~

 その昔、近江国逢坂の関の東に 関寺 という大寺院があり、そこには5丈の弥勒仏が安置されていたといわれています。その弥勒仏は『関寺大仏』と呼ばれ、東大寺(大和国)・太平寺(河内国)の大仏とともに日本三大仏のひとつに挙げられていたといいます。しかし、天延4年(976)の大地震により諸堂宇は倒壊、大仏も破損したといわれています。その後、比叡山横川に住んでいた恵心僧都が関寺の倒壊を嘆嘆いて再興を願い、弟子の延慶が勧進して再建したと伝えられる関寺は次第に衰退し、現在はその寺名は謡曲『関寺小町』の舞台として知られています。その『関寺小町』は昔の栄華を懐かしみ、それに対しての現在の老いた侘しい生活を嘆き悲しむ小野小町を演目にしたもので、謡曲『三老女』のひとつになっています。

 『関寺跡』に建つ時宗の 長安寺 はかつて関寺があった地の一隅に16世紀ごろに創建されたようです。資料によれば、江戸時代には大津宿の関係もあり、東海道を往来する人々で賑わい、近世には境内から湧き出る水を市街地の供給する長安寺水道を有し栄えたとのこと。

 京阪電車・上栄町駅を降り、線路に沿って南に少し行くと右手に石段があり、その石段を上って行くと、大きな石の搭が建っています。この塔は、関寺を再興するとき、人夫に混じって材木を運搬していた牛が、実はインドの釈迦の弟子である迦葉菩薩の化身であるという噂が広まり、その牛を藤原道長や頼道までもが拝みにやってきたといいます。そして、本堂の建築が終わるとその牛が亡くなったので、その供養にために建立した搭が『牛搭』と呼ばれる、この塔と伝えられているそうです。高さ3.3㍍、装飾が施されていない無地の搭は六角形の笠をのせて、どっしりと地面に根付いた様に建つ姿に、当時の面影が偲ばれます。

  長安寺1  長安寺2
    関寺跡に建つ長安寺境内               牛搭

 牛搭からさらに石段を上ると長安寺の境内が広がっています。境内には本堂、書院などの建物、『関寺小町』の主人公小野小町の供養搭、宗祖一遍上人供養塔や織田信長による叡山焼き打ちゆかりの百体地蔵があります。供養搭や石仏射し込む陽ざし、伐採された木々の間から望める大津市街、静寂な境内を流れる爽やかな初夏の風・・・身も心もいき返ったような気持ちに。

  長安寺3  長安寺4
    本堂                            小野小町の供養塔

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    百体地蔵                         境内からの大津市街眺望

 そして、中世に廃寺となり、多くの逸話や遺跡がありながら寺名だけが伝わる関寺、その跡との一隅に建てられた 長安寺 で、ひと時、昔の面影を偲び境内をあとにしました。

 
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長浜別院 大通寺 ~ 桃山文化の世界が広がる「長浜の御坊さん」 ~

 浄土真宗の中興の祖と仰がれる蓮如上人は、その教えを広げるために全国各地を遊化したことで知られていますが、近江国はその布教の最大の拠点となり、なかでも湖北地域は真宗王国とまで言われるほどに真宗が広がりました。『長浜の御坊さん』と呼ばれ親しまれる 長浜別院 大通寺 はその中心道場として慶長7年(1602)に教如上人を開基に長浜城跡に創建され、慶安4年(1652)に現在地に移転したといいます。

 町家風の商店が並ぶ『ながはま御坊表参道』を進むと、正面に壮大な山門がそびえています。総ケヤキ造りの門は江戸末期に落成し、近世大型建築としては県内屈指の名作であり、その先には伏見城の遺構と伝わる本堂(阿弥陀堂)が建っています。

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    ながはま御坊表参道                 山門

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     本堂(阿弥陀堂)

 寺伝によれば、伏見城の殿舎であった建物を東本願寺の御影堂として用いていたものを承応年間に移築して本堂とし、本堂から渡り廊下でつながる大広間も本堂と同様、承応年間に東本願寺から移築され、その玄関は当寺の住職の内室となった彦根藩主・井伊直惟の息女数姫が祖師聖人五百年忌に建てたものといいます。

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    広間玄関

 書院造りの広間の内部は極彩色で描かれた花鳥図や人物図に圧倒され、豪華な桃山文化の趣は、寺院内であることを忘れてしまいそうになります。また、大広間の奥にある書院や客室の含山軒・蘭亭は狩野山楽・山雪、円山応挙による障壁画に襖絵で飾られています。それぞれの部屋の前に広がる含山軒庭園と蘭亭庭園はともに国の名勝庭園に指定される美しい庭園。観賞式枯山水の含山庭は東方にそびえる伊吹山を借景としていることから『含山軒』の名が生まれたといわれ、狭い敷地に長い池が掘られた蘭亭庭は池泉観賞式庭園になっています。ところどころに雪を頂いた庭園は静まり返り、差し込む光にどこかしら春の気配が・・・

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    含山軒庭園

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    蘭亭庭園

 長浜盆梅展と並ぶ早春の風物詩『あせび展』もはじまり、境内には門徒衆に混じり観光客の姿も見受けられた大通寺 は湖北の信仰心の篤さと美の数々に出会えるお寺でした。
 
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     あせびの盆栽展 


竹生島 ~ 琵琶湖に浮かぶ神の住む島 ~

 『琵琶湖八景』のひとつ 竹生島 は琵琶湖北部の沖合いに浮かぶ周囲約2㌔の小島。神代の昔、伊吹山の神・多多美比古命が姪である浅井岳の神・浅井姫命と高さを競い合い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とすと、その首が琵琶湖に落ちて生まれた島といわれ、それがあらぬか、竹生島は昔から『神の住む島』と敬われてきました。島には弁財天を祀る宝厳寺 と浅井姫命を祀る 都久夫須麻神社(竹生島明神) があり、行基の開基とされる宝厳寺の本尊・弁才天は宮島、江ノ島とともに『日本三弁才天』のひとつとして知られています。

 『琵琶湖八景 深緑・竹生島の沈影』に数えられている島は深い緑に覆われ、さざ波の湖面にぽつんとその印象的な姿を映しています。

   竹生島1

 船着場に降り立つと数軒の土産物店、本坊などの建物の先に『祈りの階段』と呼ばれる石段が続き、165段の石段を上りきると 宝厳寺 の境内に。入口に立つ、四方に四仏が配された五重石塔は鎌倉時代作といわれ、比叡山中から採掘された小松石で造られた日本に7つしかない重要文化財のひとつです。弁才天が祀られている本堂は昭和に建造されていますが、平安後期の様式を基本に造られており、その姿は降り立った鳳凰を思わせ、背後の緑とあいまって美しい風景を描き出しています。

  竹生島2  竹生島3
  
  竹生島4  竹生島5
    宝厳寺本堂                       三重塔

 弁才天には琵琶が付き物ですが、この宝厳寺にもいくつかの話が伝わっており、そのひとつが『平家物語』の平経正の『竹生島詣』です。 木曽義仲追討のため北国路に兵を進めていた経正が、戦勝祈願のため竹生島に立ち寄り祈願ののち、琵琶を奏でると、湖中から明神が白龍になって現われ、感激した経正は、戦勝疑いなしと喜び島を後にしたというもので、その逸話は謡曲の題材ともなり、芸能の神として崇められるようになったといいます。境内にはほかに三重塔、雨宝堂、宝物館などの建物が建ち、また境内から見下ろす雄大な風景は感動です。

 琵琶湖の眺望を楽しみながら石段を下りると観音堂が建っています。弘法大師が真言密教の秘法を納めたと伝わる観音堂の堂塔は豊臣秀頼が復興し、入口に立つ国宝の唐門は豊国廟の正門だったといいます。

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    観音堂                          国宝の唐門

 唐門から『船廊下』と呼ばれる渡り廊下をいくと 都久夫須麻神社 の本殿があります。船廊下の名はは秀吉の朝鮮出兵たおりに御座船として造られた船を利用して造られたことからその名が付いたといいます。

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    船を利用した船廊下                  廊下の下は崖造り                                          
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     国宝の都久夫須麻本殿

 舞台造りの建物は伏見桃山城または豊国廟から移築したと伝わっており、その豪華絢爛たる内部は圧巻です。そして、拝殿の前には龍神拝所があり、その下の岩場にある鳥居にかわらけを投げ、それが鳥居をくぐれば願いが叶うといわれ、鳥居の下は願いの込められたかわらけが一面に・・・

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 行基が弁財天を刻み、堂を建立したことがはじまりと伝わる『竹生島信仰』 明治時代の神仏分離令で宝厳寺を廃寺にして神社とするよう命じられたにもかかわらず、日本全国の崇敬者の強い要望により廃寺をまぬがれ、寺院と神社が境界を設けて両方が並存することになったといいます。

 神と仏一体の『信仰の島・竹生島』 また、その大きなパワーを授かりに行きたいと思います。

                                    

引接寺 ~ 石仏、石塔が並ぶ『来迎浄土』 ~

 滋賀県東近江市上山町にある 引接寺(いんじょうじ) は聖徳太子の勅願により百済人のために創建された近江最古級の古刹 百済寺 の末寺にあたる天台宗の寺。織田信長の焼き討ちで寺の資料が消失したため、いつ建立されたかは不明ですが、百済寺を再建した亮算の弟子亮誉が開山し、ここに寺を建立したといわれています。そして、この引接寺には付近の山野に散在していた石仏や石塔を集めて造られた『来迎浄土』があることで知られています。

 国道307号から集落を抜けると民家も途絶え、木漏れ日の中に続く百済寺への道を上って行くと左手に引接寺の山門がたっています。

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                                   山門

 山門を入ると静かな境内に本堂が佇んでいます。本尊の阿弥陀如来像は平安時代の作とのこと、歴史がうかがえます。

  引接寺3  引接寺4
    境内                            本堂

 本堂の奥には庭園が作られ、その右手に大石塔を中心に5000体もの石仏や石塔が並ぶ『来迎浄土』が広がっています。その光景にしばし引き込まれ、やがて石仏や石塔の一つ一つに手を合わせたいような気持が・・・

   引接寺6

   引接寺7  

   引接寺8

 整然と並ぶ石仏や石塔は、百済寺付近の山野に放置されたままになっていたものを信者の人々が一つ一つ手で集めたといいます。そしてその信者により一つ一つの石仏や石塔に灯りがともされる毎年8月22日の『万灯供養』は夏の風物詩になっています。

 澄み渡った空の下、蝉しぐれに包まれ、初秋の風が吹き抜ける『来迎浄土』をゆっくり回り、居並ぶ石仏に手を合わせ、心ゆくまで石仏と向き合うことのできた 引接寺は 安らぎをもたらしてくれるお寺でした。
 

岩間寺 ~ 滋賀と京都の県境にたつ芭蕉ゆかりの寺  ~ 

 滋賀県大津市と京都府宇治市の県境に位置する 岩間山正法寺 は、 通称 岩間寺 の名で親しまれる『西国三十三カ所』のひとつです。縁起によれば、養老6年(722) 元正天皇の病気平癒に功のあった泰澄大師が、加賀白山を開く途上、霊地を求めここを訪れた折に、山中の桂の大樹から千手阿羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、その胎内に元正天皇の念持仏を納め本尊としたことがはじまりとのこと。かつては熊野、吉野と並ぶ日本三大霊場のひとつとして栄えたといいます。

 岩間山中腹にある寺は、瀬田川沿いに広がる住宅地を抜け、曲がりくねった山道は上へ上へと続いて、やがて生い茂った木々の間から光が射しこんだ駐車場に到着しました。そしてその境内で最初にであった『ぼけ封じ』の観音さま。

   岩間寺2

 この岩間寺は『西国三十三カ所』であるとともに『ぼけ封じ近畿十樂観音霊場』で知られています。

   岩間寺1  

 山門のない岩間寺、本堂に続く参道の入口では二体の仁王像が出迎えてくれます。木立に囲まれた境内は静寂に包まれ、暑さをを忘れさせてくれる涼やかな空気が漂い、その心地よさに思わず深呼吸  大師堂を過ぎると目の前には稲妻龍王社があり、その後ろには『火伏の銀杏』がそびえています。

  岩間寺3  岩間寺4
    大師堂                          稲妻龍王社と火伏の銀杏  

 そして泰澄大師が本尊を刻んだ後の切株から再び芽生たといわれる霊木・桂の木を前に本堂が建っています。ここに祀られている本尊は毎夜日没とともに厨子を抜け出し、百三十六地獄をかけめぐって人々を救済し、日の出の頃、岩間寺に戻ってきたときには汗びっしょりになっていることから『汗かき観音』と呼ばれているそうです。

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     本堂

  岩間寺5  岩間寺9
    霊木の夫婦桂                      不動堂

 本堂と不動堂の間に小さな池があります。この池は、松尾芭蕉の句の中で最も知られている
   
      古池や蛙飛びこむ水の音

 の句が詠まれた池といわれています。松尾芭蕉はこの岩間寺に参籠して本尊の霊験を得、その誹風を確立したと伝えられていることから、この古池は『芭蕉の池』と呼ばれています。俳句の心得はありませんが、この池を見ていると句が詠めそうな気に・・・

   岩間寺7
     芭蕉の池

  岩間寺8  岩間寺10
    『古池や蛙飛びこむ水の音』の句碑          日本一の長寿桂

 本堂を少し西に行くと八大龍王堂があり、その背後の山の斜面には桂の大樹群が広がっています。日本一といわれる桂は推定500年とか、その大きさに圧倒されます。風にさらさらと葉を揺らす桂の巨木、谷間から静寂を破って響く鶯の声、降り注ぐ夏の太陽、吹き抜ける風がほほをかすめていく心地よさ・・・時間を忘れていつまでもその場所にたたずみ、森林浴をたっぷり頂いた体で、足取りも軽くお寺を後にしました。
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