竹生島 ~ 琵琶湖に浮かぶ神の住む島 ~

 『琵琶湖八景』のひとつ 竹生島 は琵琶湖北部の沖合いに浮かぶ周囲約2㌔の小島。神代の昔、伊吹山の神・多多美比古命が姪である浅井岳の神・浅井姫命と高さを競い合い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とすと、その首が琵琶湖に落ちて生まれた島といわれ、それがあらぬか、竹生島は昔から『神の住む島』と敬われてきました。島には弁財天を祀る宝厳寺 と浅井姫命を祀る 都久夫須麻神社(竹生島明神) があり、行基の開基とされる宝厳寺の本尊・弁才天は宮島、江ノ島とともに『日本三弁才天』のひとつとして知られています。

 『琵琶湖八景 深緑・竹生島の沈影』に数えられている島は深い緑に覆われ、さざ波の湖面にぽつんとその印象的な姿を映しています。

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 船着場に降り立つと数軒の土産物店、本坊などの建物の先に『祈りの階段』と呼ばれる石段が続き、165段の石段を上りきると 宝厳寺 の境内に。入口に立つ、四方に四仏が配された五重石塔は鎌倉時代作といわれ、比叡山中から採掘された小松石で造られた日本に7つしかない重要文化財のひとつです。弁才天が祀られている本堂は昭和に建造されていますが、平安後期の様式を基本に造られており、その姿は降り立った鳳凰を思わせ、背後の緑とあいまって美しい風景を描き出しています。

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    宝厳寺本堂                       三重塔

 弁才天には琵琶が付き物ですが、この宝厳寺にもいくつかの話が伝わっており、そのひとつが『平家物語』の平経正の『竹生島詣』です。 木曽義仲追討のため北国路に兵を進めていた経正が、戦勝祈願のため竹生島に立ち寄り祈願ののち、琵琶を奏でると、湖中から明神が白龍になって現われ、感激した経正は、戦勝疑いなしと喜び島を後にしたというもので、その逸話は謡曲の題材ともなり、芸能の神として崇められるようになったといいます。境内にはほかに三重塔、雨宝堂、宝物館などの建物が建ち、また境内から見下ろす雄大な風景は感動です。

 琵琶湖の眺望を楽しみながら石段を下りると観音堂が建っています。弘法大師が真言密教の秘法を納めたと伝わる観音堂の堂塔は豊臣秀頼が復興し、入口に立つ国宝の唐門は豊国廟の正門だったといいます。

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    観音堂                          国宝の唐門

 唐門から『船廊下』と呼ばれる渡り廊下をいくと 都久夫須麻神社 の本殿があります。船廊下の名はは秀吉の朝鮮出兵たおりに御座船として造られた船を利用して造られたことからその名が付いたといいます。

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    船を利用した船廊下                  廊下の下は崖造り                                          
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     国宝の都久夫須麻本殿

 舞台造りの建物は伏見桃山城または豊国廟から移築したと伝わっており、その豪華絢爛たる内部は圧巻です。そして、拝殿の前には龍神拝所があり、その下の岩場にある鳥居にかわらけを投げ、それが鳥居をくぐれば願いが叶うといわれ、鳥居の下は願いの込められたかわらけが一面に・・・

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 行基が弁財天を刻み、堂を建立したことがはじまりと伝わる『竹生島信仰』 明治時代の神仏分離令で宝厳寺を廃寺にして神社とするよう命じられたにもかかわらず、日本全国の崇敬者の強い要望により廃寺をまぬがれ、寺院と神社が境界を設けて両方が並存することになったといいます。

 神と仏一体の『信仰の島・竹生島』 また、その大きなパワーを授かりに行きたいと思います。

                                    
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引接寺 ~ 石仏、石塔が並ぶ『来迎浄土』 ~

 滋賀県東近江市上山町にある 引接寺(いんじょうじ) は聖徳太子の勅願により百済人のために創建された近江最古級の古刹 百済寺 の末寺にあたる天台宗の寺。織田信長の焼き討ちで寺の資料が消失したため、いつ建立されたかは不明ですが、百済寺を再建した亮算の弟子亮誉が開山し、ここに寺を建立したといわれています。そして、この引接寺には付近の山野に散在していた石仏や石塔を集めて造られた『来迎浄土』があることで知られています。

 国道307号から集落を抜けると民家も途絶え、木漏れ日の中に続く百済寺への道を上って行くと左手に引接寺の山門がたっています。

  引接寺1  引接寺2
                                   山門

 山門を入ると静かな境内に本堂が佇んでいます。本尊の阿弥陀如来像は平安時代の作とのこと、歴史がうかがえます。

  引接寺3  引接寺4
    境内                            本堂

 本堂の奥には庭園が作られ、その右手に大石塔を中心に5000体もの石仏や石塔が並ぶ『来迎浄土』が広がっています。その光景にしばし引き込まれ、やがて石仏や石塔の一つ一つに手を合わせたいような気持が・・・

   引接寺6

   引接寺7  

   引接寺8

 整然と並ぶ石仏や石塔は、百済寺付近の山野に放置されたままになっていたものを信者の人々が一つ一つ手で集めたといいます。そしてその信者により一つ一つの石仏や石塔に灯りがともされる毎年8月22日の『万灯供養』は夏の風物詩になっています。

 澄み渡った空の下、蝉しぐれに包まれ、初秋の風が吹き抜ける『来迎浄土』をゆっくり回り、居並ぶ石仏に手を合わせ、心ゆくまで石仏と向き合うことのできた 引接寺は 安らぎをもたらしてくれるお寺でした。
 

岩間寺 ~ 滋賀と京都の県境にたつ芭蕉ゆかりの寺  ~ 

 滋賀県大津市と京都府宇治市の県境に位置する 岩間山正法寺 は、 通称 岩間寺 の名で親しまれる『西国三十三カ所』のひとつです。縁起によれば、養老6年(722) 元正天皇の病気平癒に功のあった泰澄大師が、加賀白山を開く途上、霊地を求めここを訪れた折に、山中の桂の大樹から千手阿羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、その胎内に元正天皇の念持仏を納め本尊としたことがはじまりとのこと。かつては熊野、吉野と並ぶ日本三大霊場のひとつとして栄えたといいます。

 岩間山中腹にある寺は、瀬田川沿いに広がる住宅地を抜け、曲がりくねった山道は上へ上へと続いて、やがて生い茂った木々の間から光が射しこんだ駐車場に到着しました。そしてその境内で最初にであった『ぼけ封じ』の観音さま。

   岩間寺2

 この岩間寺は『西国三十三カ所』であるとともに『ぼけ封じ近畿十樂観音霊場』で知られています。

   岩間寺1  

 山門のない岩間寺、本堂に続く参道の入口では二体の仁王像が出迎えてくれます。木立に囲まれた境内は静寂に包まれ、暑さをを忘れさせてくれる涼やかな空気が漂い、その心地よさに思わず深呼吸  大師堂を過ぎると目の前には稲妻龍王社があり、その後ろには『火伏の銀杏』がそびえています。

  岩間寺3  岩間寺4
    大師堂                          稲妻龍王社と火伏の銀杏  

 そして泰澄大師が本尊を刻んだ後の切株から再び芽生たといわれる霊木・桂の木を前に本堂が建っています。ここに祀られている本尊は毎夜日没とともに厨子を抜け出し、百三十六地獄をかけめぐって人々を救済し、日の出の頃、岩間寺に戻ってきたときには汗びっしょりになっていることから『汗かき観音』と呼ばれているそうです。

   岩間寺6
     本堂

  岩間寺5  岩間寺9
    霊木の夫婦桂                      不動堂

 本堂と不動堂の間に小さな池があります。この池は、松尾芭蕉の句の中で最も知られている
   
      古池や蛙飛びこむ水の音

 の句が詠まれた池といわれています。松尾芭蕉はこの岩間寺に参籠して本尊の霊験を得、その誹風を確立したと伝えられていることから、この古池は『芭蕉の池』と呼ばれています。俳句の心得はありませんが、この池を見ていると句が詠めそうな気に・・・

   岩間寺7
     芭蕉の池

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    『古池や蛙飛びこむ水の音』の句碑          日本一の長寿桂

 本堂を少し西に行くと八大龍王堂があり、その背後の山の斜面には桂の大樹群が広がっています。日本一といわれる桂は推定500年とか、その大きさに圧倒されます。風にさらさらと葉を揺らす桂の巨木、谷間から静寂を破って響く鶯の声、降り注ぐ夏の太陽、吹き抜ける風がほほをかすめていく心地よさ・・・時間を忘れていつまでもその場所にたたずみ、森林浴をたっぷり頂いた体で、足取りも軽くお寺を後にしました。

正法寺(藤の寺) ~ 戦国時代の英雄、蒲生氏郷のゆかりの地に咲く花をめぐり ~

 滋賀県南東部、鈴鹿山系に西麓に位置する 日野町 、『近江商人発祥の地』として知られるこの町は、戦国時代の武将蒲生氏郷の生誕の地でもあります。百足退治で名高い、俵藤太秀郷を祖先とし、近江諸語大名六角氏に仕えていた蒲生賢秀の三男として生まれた氏郷は、少年時代から織田信長に仕え、織田信長亡きあとは豊臣秀吉に従った有能な武将でありながら、茶道では利休七哲のひとりという文化人、さらには『レオ』という洗礼名をもつキリシタン大名でもあったといいます。日野にいち早く楽市楽座を開いて町の活性化に努め、当時は文武両道の達人といわれた氏郷は、病のため40歳の若さでこの世を去ったといいます。その後衰退していた町は、江戸時代に日野椀や薬の行商で財を成した商人が町並みを築き、商人の町として発展し、今もその歴史ある町並みに当時の面影を見ることができます。

 『近江商人と花のまち』のキャッチフレーズの日野は自然に恵まれ花の名所もいくつかありますが、日野町鎌掛にある『藤の寺』として親しまれている 正法寺(しょうぼうじ) もそのひとつ。 正法寺 は元禄5年(1692)に普存という禅僧が、もと八阪神社の脇にあった観音堂をこの地に再興したことが始まりで、本尊の十一面観世音菩薩はこの里の安産の守護仏として深く信仰されているお寺です。『後光藤』の名で親しまれている藤は、開基の普存禅師が京の仙洞御所から移したといわれる『ノダフジ』で、樹齢320年を超えるとのことに驚きを感じます。

 正法寺の入口にある『日野ダリア園』の牡丹の甘い香に迎えられて、山門を入ると向かい合って地蔵堂と閻魔堂が建ち、地蔵堂には半跏倚像と呼ばれる片足を下げた石造の地蔵尊が安置され、閻魔堂では恐ろしい顔の閻魔大王が睨んでいます。

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                          日野ダリア園の牡丹

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    地蔵堂                           閻魔堂

 境内の真ん中にある放生池の先には秘仏(33年に一度御開帳される)の本尊が安置されている本堂が建っています。

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    放生池                           本堂

 そしてお目当ての藤は放生池から本堂までの続く藤棚で枝を広げ、ほんのりと甘い香りを漂わせながら蕾を開きかけています。

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   正法寺8

 蜜を求めて飛び交う蜂、その中で花房を広げるて悠然と咲き乱れる藤、風に花房を揺らす藤・・・藤はどこか優雅で風情を感じる花に思えてくるのですが・・・また、鎌倉時代の作といわれる石造宝塔や天満宮などの建物が建つ山手から見下ろす藤も見応えがあります。

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 そして、この正法寺から少し奥に入った鎌掛谷には国の天然記念物に指定された『ホンシャクナゲ群落』があります。本来ホンシャクナゲは高山植物で、標高350mの低地で群生しているのは大変珍しいといわれています。新緑で眩しい渓谷に咲く淡いピンクの花を見ながらの散策は身も心もリフレッシュできる最高の贈り物でした。

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     鎌掛谷ホンシャクナゲ群落

 鈴鹿山系の麓のある日野町、四季折々の自然を満喫するには最高の場所、また自然を求めて歩きたいと思います。

本福寺 ~ 蓮如と芭蕉ゆかりの寺 ~

 湖族の郷として栄えた大津市堅田には様々な由緒を伝える寺院が建立されています。 そのひとつ 本福寺 は 蓮如 、 松尾芭蕉 ゆかりの寺として知られています。

 本福寺 は南北朝時代に野洲御上神社の神職であった善道が本願寺覚如の門人となり開創したのが始まりとう古刹。3代目住持法住の時、本願寺を追われた蓮如がこの寺に身を寄せ、浄土真宗再興の本拠とし、その本願を果たすために蓮如を支えたのが全人衆と呼ばれた堅田の商工業者、農民、漁民であったといいます。また11代住持明式は松尾芭蕉の最古門人で俳号を『千那』であることから本福寺は 千那寺 とも呼ばれています。

  『堅田の落雁』で知られる浮御堂近くに建つ本福寺は、山門の入口に『本願寺舊址』の石柱がたち、周囲は白い塀に囲まれてどこか武家屋敷のような雰囲気が漂っています。

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 山門を入ると古松が枝をのばし右手の一角には句碑が並んでいます。

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     蓮如上人御舊跡の石柱と千那の句碑  

 千那は芭蕉を初めて大津に招いた人で、句も書や絵などにすぐれ、芭蕉は千那に俳画を習ったと云われています。

  本福寺2  本福寺3
    芭蕉の肖像と句碑                    からさきの松は花よりおぼろにて

 芭蕉の句碑と並んで置かれている肖像碑、その穏やかなご面相は近江の人々との触れ合いを心の底から楽しんでいるように思えてきます。

 境内には鐘楼、近代的な本堂、蓮如堂、書院と蓮如のゆかりの遺品が数多く所蔵されている宝物館などが建っています。

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 書院の近くの庭の中にはこの地で風邪を引き、この寺で養生していた時に詠んだといわれる句の碑があります。

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     書院の庭にたつ芭蕉句碑 病雁の夜寒に落ちて旅寝哉

 本福寺の住持であった高弟千那、養子の角上、さらには角三と俳諧を受け継ぎ、堅田は蕉風俳諧が興隆することになったといいます。

 そして堅田を再三訪れた芭蕉はこの地で幾つかの句を詠んでいます。
 そのひとつ 祥瑞寺 にはここを訪れたときに詠んだ句碑があります。祥瑞寺は応永13年(1406)に一休の師華叟宗曇が開山した禅寺で、一休宗純が22才の頃から足かけ10余年修行していたことで知られています。

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  本福寺9  本福寺10

 禅寺の祥瑞寺は清められた境内に一歩入ると凛とした空気が流れ、身が引き締まるような・・・そんな雰囲気が漂ってきます。芭蕉がこの寺で詠んで句の碑は苔で覆われた木漏れ日の中にひっそりとたっていました。

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       芭蕉句碑  朝茶のむ僧静かなり菊の花 

 歴史とロマンの息づいた堅田は身近にありながら来れずにいたところ、芭蕉の句に触れながらの散策は多くのことを学び、美しい風景を堪能することができました。そして、また機会があれば芭蕉の句碑を探しに行ってみたいと思います。
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