北京紀行 5 ~ 街を歩く 什刹海界隈 ~

 人口2000万人を超える大都市・北京 その中心といえる国貿・CBD(セントラル・ビジネス・ディストリクト)には高層ビルには立ち並び、世界的な企業や5つ星のホテルも数多くあります。
 
  国貿1  国貿2
    国貿エリアにそびえる高層ビル            インパクトのある中国中央電視台

 天高くそびえる高層ビル群が北京の新しい顔としてあるように、故宮の北西に位置する 什刹海(じゅうさつかい)界隈 は什刹海エリアは悠久の歴史にはぐくまれた北京の顔。今も古き時代の香りが漂う什刹海を訪ねてみました。

 什刹海はかつて、北京の水源であるとともに北京と江南地方を結ぶ水運の拠点であったといいます。前海、后海、西海の3つからなる什刹海、前海の周囲に造られた公園は『什刹海公園』と呼ばれ、湖畔は市民の憩いの場所であり、落ち着いた風情は外国人観光客には人気のスポットとして知られています。

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     什刹海をボートで巡る人々

 人気の什刹海のなかでも前海と后海の間に架かる石橋・銀錠橋付近は中心地としておしゃれなバーや飲食店が並ぶ人気のエリアです。

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     銀錠橋

 また、この界隈では北京を代表する伝統的風景『胡同(フートン)」巡り』を楽しむことができます。 『胡堂』とは北京の原風景ともいえる路地のことで、その数は大きな胡同は360、小さな胡同は数えきれないほどあるといわれていますが、再開発でその姿は年々消しているといいます。
  
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 車のすれ違いもままならない狭い路地に密集する住宅地、移動手段にはレトロな三輪リクシャが人気があります。

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    人気の三輪リキシャ                   湖畔で観光客を待つ三輪リクシャ

 散策する胡同には伝統家屋『四合院』が数多くあります。四合院とは中庭を囲むように4つの家屋が配置されているもので、大家族で賑やかに暮らしていたといいますが、今は年齢層の上の人々がひっそり暮らしていたり、レストランとして活用されているものも多いといいます。

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    レストランとして活用されている『四合院』      『四合院』の台所

 そんな胡同の伝統家屋『四合院』の門の前では結婚式の前撮りをするカップルが。あたりを散策する人たちの温かな拍手に思わず笑みをこぼす二人に幸あれと・・・

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 緑に包まれた湖畔、北京の原風景が残る胡同・・・什刹海の散策は心に残る忘れがたい思い出を刻んでくれました。

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2017 京の冬の旅 1 ~ 知恩院 浄土宗総本山は幕末の薩摩藩・島津久光の宿所 ~

 毎年この季節に開催される非公開文化財特別公開 京の冬の旅 、今年は『大政奉還150年記念』をテーマに開催されています。260年余続いた徳川幕府の終焉は武家による政治の終わりでもありました。慶応3年(1867)10月、二条城二の丸御殿の大広間で諸藩の代表を集めて政権を朝廷へ返上する決意を表明してから150年、幕末の動乱の出来事の中心となった京都には多くの史跡が残されています。その幕末ゆかりの寺院を中心に特別公開されている 京の冬の旅 いくつか訪ねてきました。

 浄土宗の開祖・法然上人が草庵を結んだことにはじまる浄土宗総本山 知恩院 の正式名称は『華頂山知恩教院大谷寺』 といいます。東山三十六峰のひとつ華頂山を背後に、現存する木造の門の中で日本最大のスケールを誇る三門をはじめ、境内には106棟もの伽藍が立ち並んでいます。徳川家康は法然上人を深く崇拝し、知恩院を菩提寺として多大な援助をしたこともあって、現在の建物のほとんどは家康、秀忠、家光の三代にわたり再建されたものといいます。

  知恩院1  知恩院4
    三門                            宝佛殿

  知恩院2  知恩院3
    御影堂                           現在修理中の御影堂

  知恩院5  知恩院6
    納骨堂                           経蔵

  知恩院9  知恩院8
    阿弥陀堂                         ほのかな香りを漂わせる白梅

  知恩院7  知恩院10
   日本三大名鐘のひとつ大鐘楼             武家門と法然上人御堂 

 今回の『京の冬の旅』で公開されているのが 大方丈小方丈方丈庭園 です。豪壮で威厳が感じられる堂宇は徳川家の菩提寺というだけではなく、徳川幕府の『要塞』といった側面をもつといわれる知恩院には『知恩院の七不思議』があります。德川家光が創建した大方丈にはそのひとつ『鴬張り廊下』があります。寺院に用いられることは非常に珍しい鴬張り廊下で続く8室には可能尚信、信政ら狩野派の筆によると伝わる障壁画が描かれています。上段の間、中段の間、下段の間、金地に鶴が描かれた鶴の間、抜け雀の襖絵のある菊の間など華麗で豪壮な佇まいは圧巻です。少方丈は大方丈の北東に位置し、室内は水墨画で飾れています。こちらには上段の間、雪中山水の間、蘭亭の間などがあり大方丈と同時期に建てられたものといいます。

  知恩院11  知恩院12
    大方丈                           小方丈

 この方丈の前に広がる回遊式庭園は、僧・玉淵の作と伝わっています。

   知恩院13

   知恩院14
     二十五菩薩の庭

 東山の裾を築山の代わりに使い、瓢箪形の池を中心に石組と刈込が配された庭は雄大で豪壮。池に射し込む木漏れ日が冷気の漂う庭をほんの少しだけ温かみを感じさせてくれているような・・・そんな思いからか、小方丈の前の庭には『二十五菩薩の庭』の名がありました。配されている石は阿弥陀如来と二十五菩薩、植込みは来迎雲を表わしているとのこと。庭で表現された極楽浄土への様子に深く感銘しました。

 そして、庭園の先の門から上がった小高いところには家康、秀忠、家光の霊を祀る権現堂の霊宇が建てられています。浄土宗の総本山として偉観をみせる知恩院、その庇護者となった徳川家、その基礎を築いた家康、秀忠、家光、今もその影をこの知恩院のあちこちでみることができます。

    知恩院15 権現堂

 また、この知恩院は幕末の文久年間に公武合体の中心であった薩摩藩・島津久光が宿所とし、その京都での拠点となった所といいます。島津久光公については文献や資料でしか知り得ませんが、明治維新の進行において果たした役割はかなりのものだったようです。『大政奉還150年』の今年、幕末の文献をもう一度ひも解いてみようかと思う拝観でした。


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